20 三匹の仔豚

20-①




 COOL JAPAN

 その言葉が世間の表舞台から隠れてしまったのはいつの頃からだっただろうか。少なくとも、東京オリンピックが開催される前はよく耳に入っていた気がする。基幹学校に通っていた頃に見たテレビ番組で、その言葉を聞いた覚えがあるからだ。

 最近聞かなくなったな、と一昔前の言葉を思い出したのは彼女が原因と断言できる。ハインリヒのクライスメイトとなった彼女……昨日はポニーテールだったのに、今日の髪型はお団子のツインテールになっている。毎日コロコロと髪型が変わる、アメリカからやってきた彼女である。


「ハーイ、ハインリヒ。今日はこの後、予定はある? ないなら一緒にカラオケに行きましょうよ。カラオケが嫌ならお茶しましょう。池袋に楽しいカフェがあるの」

「予定はねぇがカラオケもカフェもパスだ」

「相変わらずなのね。まあ良いわ。貴方がその頭を縦に振るまで、ずっと誘い続けるから」

「アンタ、何でそこまでしてオレを誘うんだ?」

「あら、前も言わなかったかしら? 貴方、ワタシの好きなマンガのキャラクターに似ているのよ。名前も同じ!」

「ああそうかい。そうだったな」

「興味がある? 英訳のマンガを貸すわ! ジャパニーズ・ヒーローが好きな貴方なら、絶対に好きになるはずよ!」

「No thank you!」


 興奮気味にダークブロンドのツインテールを揺らした彼女こと、ベロニカ・ジョーンズ。

 ハインリヒが入学した日本語学校のクライスメイトである彼女は、最初のオリエンテーリングの自己紹介の際に大好きだという日本の漫画やアニメ等のサブカルチャーの魅力を熱弁し、入学初日から同じ「好き」を持つ世界各国のクラスメイトたちと一瞬で友人になっていた。ちなみに、その日の髪型は三つ編みのおさげだった。

 一方のハインリヒは件の自己紹介の際、「日本の何が好き?」というクラスメイトの質問に対し、幼い頃に母国で放送していた日本の戦隊ヒーローと答えたらベロニカにロックオンされてしまったのだ。勿論、彼女が言っているように、同じ名前かつ似ているキャラクターがいたというのも拍車をかけてしまった。

 全力で沼に沈めようとしている。入学から1か月も経っていないのに、既に毒牙にかかったクラスメイトがいる。

 東京都智代田区に位置する日本語学校。開校から20年以上、様々な国籍の人間に日本語を習得させて送り出してきた実績を持つこの学校が、ハインリヒが通う学校である。この学校で2年間、国籍も年齢もバラバラのクラスメイトたちと日本語のみならず、日本のマナー等も学んでいく。

 ちなみに、学費は全てアーベンシュタイン家持ちである。なので、しっかり毎日サボる事なく登校しているが、そのため毎日ベロニカに絡まれていた。


「ハインリヒ、また来週ね! 今度は日曜日の朝のお話をしましょう」

「Tschüss」


 ベロニカを振り切って教室を出れば、廊下にフリースペースにエントランスにと、学校内の様々な場所で日本語以外の言語を耳にする。最も多いのが英語、次に中国語。

 此処の教師はイーリスよりは断然優しいので、郷に入っても郷に従わなくてもいいし、日本にいるけど日本人にならなくともいい。なので、クラスメイトたちとの会話の殆どは英語、時々ドイツ語だ。

 言葉に注意を払わなくてもいいのは随分と楽だ。日本語の発音が上手だと教師に褒められた時は満更でもなかった。素直に嬉しい。

 優しい方の先生こと、日本語を教えてくれたイーリスの夫兼ビルネの祖父を思い出す。来日してから1か月と少し経ったが、元気にしているだろうか?

 学校から駅に向かう途中の大通り。人通りの多い、幅の広い横断歩道の信号が青になった。周囲の雑踏の中で頭一つ大きいハインリヒも周囲に紛れ、音楽が鳴り止まない内に反対側の道路へ渡る。途中、歩きスマホでこちらにぶつかってきそうな人を避けたら別の人にぶつかってしまった。

 ハインリヒと接触したその人の呟きは「Entschuldigung」と聞こえた。ドイツ語で「すみません」、「Excuse me」に当たる言葉だ。ドイツ人か?流暢な母国語に惹かれて振り返れば、自身の進行方向反対へと向かう背中が背負っているライフルケースのメッシュポケットから見えるタイトルに、大きく心臓が跳ねたのだ。


「Halt!! オイ、待て! その【本】……!」


 反射的に出たドイツ語は、相手の耳にも通じているはずだ。雑踏に紛れて行ってしまうがっしりとした背中、その背中にある、まるで見せびらかしているような白い【本】……横断歩道の音楽が鳴り終わり、信号が点滅して赤に変わってしまえば車が容赦なくハインリヒの目前を横切って行ってしまい、声は遮られてしまう。

 しかと見た、間違いない。世界各国のタイトルをイーリスに叩き込まれ、絶対に見逃すなと散々釘を刺された【本】だ。メッシュポケットに入れられた白い【本】のタイトルは『Little Red Riding Hood』。日本語のタイトルは『赤ずきん』。

 50年前の【戦い】においてイーリスが選ばれた。そして、45年前に彼女の手から消えた【本】だった。

 信号が再び青になると、ハインリヒは【本】を、持ち主を追って走り出す。この時にやっと気付いた、今日は風が強い。春風にしては痛いほどの突風が智代田区周辺に吹き荒れて、まるで生き物の移動のように近隣にも吹き込んだ。

 天候は強風といえども、電車が遅延や警報が発令されるほどではないので日常は通常通り進む。授業を終えて夕方のバイトに精を出す読人も、神田駅から電車に揺られてこよみ野市へ帰るところだった。


「はい、本は無事に受け渡しました」

『ごくろうさん。今日は直帰して良いよ』

「はい」


 今日のバイトはちょっと遠出をした、『若紫堂』にある古書を神田の古本屋へ受け渡したのだ。

 時代の流れとは便利なもので、最近は欲しい本を専用のアプリやサイトで検索すれば登録している全国の古本屋が自身の店に在庫があると返答をしてくれる。たとえタイトルも出版社も不明でも、キーワードを教えてもらえればその道のプロたちが希望の一冊を探し出して教えてくれる。

 紫乃もそのアプリに売り手として登録しており、今日の配達はそのアプリ関係だった。

 買い手は、先ほど言った通り神田の古本屋の店主。売り手としても買い手としてもご愛用している。郵送ではなく直接手渡しを希望したので、読人がこうして電車に揺られて本を届けに来たのである。

 師匠から直帰の了承が出たので、ちょっとだけ寄り道をしてから帰ろうか。

 紫乃へ連絡を終えた読人が通話を切ったそのタイミングで、改札の駅員が声を荒らげたのに人々の視線が集まった。が、スマートフォンをブレザーのポケットにしまう動作を挟んだ事で、読人の反応はワンテンポ遅れてしまい、視線を改札へ向けた時には太く硬い腕が首に巻き付いていた。


「え?」

「Not come! Fuck him!!(こっちに来てみろ! こいつをぶっ殺すぞ!!)」

「えぇぇぇぇぇ?!!」


 何の前触れもなく、読人の首をホールドした腕の主はガタイの良い中年の黒人男性。白い【本】の翻訳機能が働いていないので、言語の疎通はできていないがこれぐらいの単語だったら理解できる。物凄く物騒な、日本の往来じゃまず耳にしない単語が叫ばれたではないか。

 何がどうしてこうなった?一瞬混乱したが、背負っていたリュックからは火衣が顔を出していた。【読み手】である彼なら、こんな状態でも跳ね退けられる。


「うわっ?!」

『みぎゃ?!』

「Damn it!!」


 火衣の炎が零距離で噴出されようとしたが、その刹那、神田駅に突風が吹き込んだ。けれども、普通の突風じゃない。外からではなく、改札口の向こうのホームからこちらを狙って来た風が前髪を乱す。

 読人をホールドしていた腕は外れ、男性は彼を突き飛ばして逃亡しようとしたが……柱に背中をぶつける前に、見てしまったのだ。

 逃亡しようとした男性の身体を浮き上がらせて、さらって行く風を。その風の中に、黒く巨大な四足の獣の影を。

 柱にしたたか背中をぶつけた時には、もう男性の姿もなく突風も鎮まっていた。一体何だったんだ、日常に紛れ込んだ突拍子もない摩訶不思議は。

 近くにいた女性に「大丈夫?」と声をかけられて「大丈夫です」と返せば、彼女の向こうからぬっと、女性よりも頭二つは大きな影が横切った。


「ハインリヒ!」

「お前、何でここに?!」

「バイト! って、それより今の」

「見たのか、お前も」


 まさかこんなところでハインリヒと遭遇するとは思っていなかったが、先ほど目にした黒い獣の存在によりついさっきまでの現象に合点がいった。突風の正体はあの黒い獣であり、根源は【読み手】だ。何故あの男性を連れて行ったのかまだ分からない(言語の疎通ができていなかったので、恐らく【読み手】ではないだろうが)。

「じゃあな」と、さっさと駅を出ようとするハインリヒの長い脚に引っ付いた。ついでにリュックから飛び出た火衣が彼の頭の上にズシっと乗れば、実に迷惑そうに脚を止めてくれた。


「何してくれてんの!? お前ら!」

「今の、君が追っている【読み手】の?」

「いや違う……別な奴を追っていたら見失って、偶然見付けた」

「じゃあ一緒に!」

「何でだよ!」

『別に良いだろ。敵の敵は味方って事で』

「いや、訳分かんねぇ」


 とりあえず、放せ。駅のど真ん中で、背の高い外国人青年の脚にしがみ付く男子高校生。注目の的である。

 読人にも火衣にも押し切られて、結局2人で件の風を追いかける事となった。だが、神田駅を出たら足跡もなにも手掛かりは見当たらない。


「どこに行ったんだ?」

『……風向きがあっちだ。風がまだ吹いている。この風が【本】によって起こされているなら、その先が【読み手】の拠点だろう』

「俺も、あの突風を追って来た。どうやらお前を盾にしたあの男に用事があるみたいだ」


 雑踏の中で捜していた【本】を見付けたハインリヒは、その持ち主を追ったが人の群れの中に消えて見失ってしまった。そうしている内に、ナニかに追われて逃げ惑っているかのようなあの黒人男性とすれ違ったのだ。

 彼も突風の中で見た。風を纏って、風を発生させながら男性を追う黒い獣の姿を。【本】の回収も大事だが、ハインリヒは1年に渡って行われる【戦い】を生き延びなければならない。そのためには、紋章を集めてレベルアップをする事も大事だ。追いかけて、あわよくば【本】を閉じて紋章を得ようとしたが……読人だけは予想外だった。


「ここ?」

「風はこの建物に流れ込んでいるな」


 火衣の背中の炎が風になびく先は、彼らの目の前の立ち入り禁止の廃ビルだ。

 風の強さは髪を撫でるぐらいに弱まっていた。だけども、彼らの目の前の建物から離れてしまえば途端に無風になる。本来は十階建てのはずなのに、五階から上が真っ黒に焦げてしまった廃ビルに読人とハインリヒは辿り着いた。

 火事の現場なのか、既に取り壊しが決まっているようで封鎖された柵の前に建てられた看板には来月に解体工事が始まると書いてある。成程、アジトとしてはちょうど良いという事か。これでアクション映画とかだったら、このビルの中で拷問なり取引なり乱闘なりが行われるはずだ。

 唇の前に人差し指を立てて「シー」というジェスチャーハインリヒに向け、足跡を立てぬように埃だらけの階段を登って行けば野太い悲鳴が聞こえた。踊り場の壁には『4F』のプレート、悲鳴が聞こえた先は四階の会議室。壁の上部三分の二がガラス張りとなった、けれども埃で酷く汚れ、ヒビもあれば割れてもいる。

 その向こうに、2人の人間がいた。床に這い蹲っているのは風に攫われた黒人の男、もう1人は、黒いパーカーフードを被った男……右手には、一冊の白い【本】があった。


「いつまでシラを切るつもりだ。ボブ・カルドン」

「Who’s he?! Why are you kill me!! I am……」

「エボニーの名前を忘れたとは言わせない!!」


“エボニー”。パーカーの男がその名を、彼がボブ・カルドンと呼んだ男へ突き付ければ、屋内で突風が吹いた。今度は人間を攫ってしまうような強風ではなく、極寒の北風よりも鋭い鎌風がカルドンのアウターを切り裂いた。


「15年前、ジョージア州のメイトライドで老夫婦が強盗に押し入られ、2,531ドルと11セントの現金を奪われて殺害された。その時、妻は同じ町に住む息子夫婦へと助けを求めて電話をかけた。その息子は警察官だったからだが……その電話の最中に、強盗によって殺された。そのすぐ後だ、息子家族の家が全焼したのは。家の周りのガソリンを撒いて放火し、電話を受けた息子だけではなくその妻も子供たちも殺した。お前だろ……エボニー一族を殺したのは」

「What……?」

「見たんだよ、俺が。玄関の窓の向こうに、お前が、そのタトゥーがせっせとポリンタンクからガソリンを撒いている姿を!!」


 アウターを切り裂かれたカルドンの二の腕には、不気味なタトゥーが彫られていた。巨大なビルを噛み砕く大きくアギトを開かせた骸骨。だが、その様子をこっそり覗き見していた2人と1匹を驚かせたのはそれだけではなかった。

 パーカーの男が、顔を隠していたフードを取り払ってその顔を見せれば……カルドンは、悪魔と遭遇したかのように、先ほどよりも甲高い悲鳴を上げた。フードの下、目の前のカルドンと同じ肌の色。けれども男性の顔の左半分、左目の瞼から頬、唇のギリギリまでが爛れたケロイドになっていたからだ。


「俺の名前はミハエル・エボニー。エボニー一族の生き残りだ。まだ分からないのか?! 復讐だよ! 祖父の、祖母の、父の母の、兄の、妹の!! お前に殺された家族の復讐だ!」


 白い【本】を手にしたミハエルの叫びは全て、言葉も感情も意味も、読人の耳から入って心臓を跳ねさせた。

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