11 赤ずきん【Past】②

11-①【Past】




 例えば、週刊の漫画雑誌等において、長期までは行かなくとも作者急病を理由に数か月の休載を挟んで漫画の続きが再開する場合、前回のあらすじとか今までの流れとかを事前に掲載したりするだろう。

 読人的にはその掲載はありがたい。休載期間が長ければ、物語の大筋は覚えていれども細部や新しい登場人物を忘れてしまうことがあるからだ。

 だから、前編のプレイバックぐらいは視せてもらいたかった……ただでさえ、夢に現れる50年前の【戦い】の記憶は夢だからほとんど忘却してしまうのに。

 まさかの前後編となってしまった【戦い】の記憶――『古事記』と『赤ずきん』の対決は、読人の耳の奥に響くページをめくる音と共に夢の中に現れると、岩雪崩が『天岩戸』に降り注ぐ場面から始まったのだ。

 しかも、その時の読人の視点では自分に向かって岩が降って来るように見えたため、思わず悲鳴を上げそうになったが飛び起きることはなかった。そこのところが、少し不思議である。

 最初からクライマックスの後編は、ちょっと困った表情で左手を首に添えた蔵人が『天岩戸』から姿を現した場面から始まった。


「日本から参りました、黒文字蔵人と申します。【本】は、『古事記』。一曲踊って頂けますか? お嬢さん」


【読み手】同士の礼儀として名乗り、自身の【本】のタイトルをイーリスへ見せた蔵人の背後には真円の鏡面が創造されていた。

 水面のようにユラリと揺れた鏡面から飛沫を出す勢い飛び出て来たのは、暗闇の場面に白い直線を描き入れる稻羽君こと『稻羽の素兎』である。

 雷管を叩かれた弾丸の如く飛び出て来た小さくてふわふわの身体は、『一寸法師の川下り』によって水浸しなった道路に点在する岩を足場にして迫り来ると、イースリは再びバスケットの中から巨大な裁断バサミを取り出し、稻羽君を迎え撃ったのだ。


「武装能力・お見舞いの七つ道具Ausrüstung der Sympathie……腹裂きのハサミIncision-Schere!!」


 金属同士が衝突し合った状況に似た、甲高い音が響くと稻羽君も腹裂きのハサミもそれぞれ跳ね返る。

 イースリの紫がかった青い瞳に一瞬の困惑を浮かべて腕が振るえた。どうやら稻羽君の体当たりの威力を見誤り、その衝撃によって腕に痺れが走ったのだろう。しかし、彼女はこの程度では怯まなかった。

 稻羽君――蔵人を相手にする武器はハサミではないと判断し、再びバスケットに手を突っ込んで別の武器を取り出したのだ。

 彼女の【本】のタイトルは『赤ずきん』。日本では幼稚園児でも知っている、ヨーロッパの童話だ。

 物語の中で、主人公である赤ずきんは森の向こうに住む祖母のお見舞いに出かけるのだが、その時手にしていたバスケットの中には裁断バサミもマスケット銃も岩雪崩も入っていないはず。ワインだって、巨大な鈍器ではなく普通の瓶詰の葡萄酒だったはずだ。

 そのお見舞いのバスケットから発想を得た創造したと思われる能力であるが、随分と戦闘に特化した能力であると読人も思わず感心してしまう。

 赤いキャスケット帽と相まって、イーリス自身が赤ずきんちゃんのように見える……最も、この赤ずきんちゃんはそう簡単に狼の甘言にも乗りそうにないし、猟師に助けてもらわなくとも自力で撃退しそうである。

 裁断バサミは猟師が食べられた2人を救出するために狼の腹を裂いたハサミ、岩雪崩はその後に詰め込んだ岩、マスケット銃は猟師の持ち物である猟銃でもイメージしたのだろう。そして、それらに連なる七つ道具の四つ目は、岩に小さな脚を付いて再び踏み込んだ稻羽君を絡め取ってその姿をお披露目した。

 一旦ハサミを仕舞い込んだバスケットの中に手を突っ込んで、白く細い指を夜間の空に流すと大きく跳躍した稻羽君の小さな身体が空中で硬直してしまったのだ。


「っ、稻羽君の身体が?!」

「……糸だ」

「え?」

「光孝、見えないか? 糸だ……」


 網にかかった野兎のようにもがく稻羽君は、肉眼では捕えきれないほど細い色によって絡め取られていたのである。

 よく目を凝らせば、微かにキラキラと光る糸が建物に渡って格子状に張り巡らされていたのだ。これは、岩を詰めた狼の腹を縫った赤ずきんの祖母の針と糸だ。


「武装能力・縫合の裁縫道具Naht-Nähen! 活きの良いHaseは、美味しいWildにして差し上げましょうか」

「それは勘弁してあげて下さい。美味しそうですけど」


 このままでは毛を毟り取られて料理されると悟ったのか、糸に絡め取られている稻羽君が必死にジタバタともがいて脱出しようとしている。

 ちなみに、よく『因幡の白兎』と表記されることが多い彼のモデルであるが、『古事記』における正式名称は『稻羽の素兎』だ。“素”は毛のない裸を示しているので、つまり毛を毟り取られるのはトラウマなのである。

 だが、読人が知る中で、蔵人の【本】における戦闘能力は弾丸の速度で跳ね回る稻羽君だけだ。彼が封じられた今、一体どうやって反撃するのだろうかと蔵人の一挙一動を追うと、手にしている『古事記』の【本】に再び光が灯り、真円の鏡が創造されたのだ。


「高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、川上の堅石を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた八咫鏡――三種の神器の一つですが、こう言う使い方は如何でしょうか? 出ておいで、和邇ワニ君」


 再び波紋を描いた鏡――八咫鏡の中から飛び出て来たのは、身の丈3mはありそうな巨大な鮫だった。赤いビー玉のような円らな目は八咫君や稻羽君と同じ、しかし、烏と兎の2匹とは違い鋭い牙がいくつも連なった鮫はあまりにも異質。

 例えるなら、可愛いゆるいマスコット集団の中に、一体だけリアルに作りすぎた猛獣が混ざっているのである。

 蔵人をも呑み込んでしまいそうな巨大な鮫は水中でなくとも自由に動き回れるらしく、牙を剥き出しにして稻羽君へ突撃して行くと、その牙で細い糸を切断して稻羽君を救出。そしてそのまま自身の背中に稻羽君を乗せたが、救出された稻羽君は耳をへたりと垂らしてブルブル震えていた。

 蔵人が創造した能力を理解した。『古事記』に登場する三種の神器が一つ、『八咫鏡』を介して物語に登場する生物を次々と召喚できるのだ。

 今まで鏡から召喚された生物たちは全て、『古事記』のエピソードに登場し、神々の物語に置いて重要な役割を担っている存在である。


「『稻羽の素兎』に出て来る“和邇”と言う生き物は、鮫や鰐、海蛇と言う説がありますが、『山幸彦と海幸彦』のエピソードから、私は鮫説押したいですね。もっとロマンを言えば、現代では絶滅してしまった“ワニザメ”なる生き物かもしれませんし……」

「蔵人さん! 今はそう言う場合ではありません!!」


 そう、光孝が叫んだ通りそんな場合ではない。まだ【戦い】は続いている。和邇君の牙で切断された細い糸は直ぐに修復し、和邇君の巨大な身体を雁字搦めにしてしまった。

 肉眼でも捉えにくい糸が鮫肌に細い糸が食い込む様は、煮崩れしないようにとタコ糸で縛られた叉焼のようだ……だけど叉焼とは違い、少しでも糸に力が込められるとそのまま切り刻まれてしまうかのように食い込んでいた。


「糸、とは……紫乃さんの青海波を思い出しますね。和邇君、稻羽君」


 八咫烏の八咫君のように鳴き声で返事をしない2匹だったが、蔵人の言葉に反応して即座に動き始めた。

 叉焼の如く締め付けられる和邇君の身体が何匹もの小さな鮫に分裂して格子状になった糸の隙間から脱出すると、稻羽君は小さな鮫たちを飛び石のように足場にして跳躍し、再び白い直線を描いてイーリスへ向かって行ったのである。

 小さな鮫たちを数えるように次々と踏み抜いて行くその様子は、蔵人の【本】の物語の中にある『稻羽の素兎』の場面そのものだ。

 獲物を絡み取る蜘蛛の巣のように張り巡らされる糸を掻い潜って、弾丸の速度まで加速した稻羽君がイーリスの直前にまで迫っていた。が、彼女は一瞬の焦りを見せただけで甲高い叫び声なんて出さない。再びバスケットに手を入れて上空へ大きく振り上げると、自身と稻羽君の間に巨大なワインボトルが降って来たのだ。


鈍器のボトルSchwer-Flasche!」

「稻羽君!」

「さっきのワインボトル!?」


 ドイツ語が書かれたエチケットラベルが貼られた巨大なワインボトルは、先ほども龍生を狙って降って来た物だ。

 今度はそれを鈍器ではなく盾として使った。ギリギリのタイミングで両者の間に振って来たボトルに、稻羽君が衝突して弾き返される……痛かったようだ。

 白い直線を描く元気もなくひょろろろ~と言う感じの効果音が付きそうな、弱々しい動きで蔵人の帽子の上に着地して、彼の頭の上で不快を訴える足ダンことスタンピングを行っていた。


「痛い痛い、痛いですよ稻羽君。しかし……天晴れ、お見事としか言いようがありませんねFräulein. 素早い小さな兎である稻羽君を相手にするのは、巨大なハサミで切り刻むのではなく糸で捕えた方が最良の手段です。それを咄嗟に判断して行動に移し、稻羽君の攻撃の威力を知った後にはそれ以上の強度を持つ盾を用意した。まるで歴戦の軍人さんのような、迷いのない正確な判断ですね」

「お褒めに預かり、光栄でございます……と、今は返しておきましょう。この1年のために、【本】に選ばれるその時のために長年研鑽して参りましたので」

「……まるで、【本】に囚われているような口ぶりですね」

「っ、そろそろ終わらせましょうか!」


 蔵人の言葉を聞いたイーリスは、綺麗な線を描く眉を微かに顰めるとその変化と表情全部を隠すように赤いキャスケット帽を目深に被り直す。そして再び、バスケットの中から腹裂きのハサミを取り出すと自身の身の丈ほどあるそれを両手で握り大きく振り回したのだ。

 読人の耳にも聞こえたのは、「シャキン」と言うあまりにも澄んだ心地いいハサミの音だった。ナニかを切った時に出る、ハサミの刃が触れ合うその音が出たと言うことはナニかを切ったと言うことだ……まさか、蔵人が身体の一部を切られたのか?

 口に岩を詰めて針と糸で縫われるのではなく、腕の一本や二本が胴体からさようならしてしまったのかと思ったが、実際はそれ以上の被害規模だったのだ。

 裏路地を形成していた建物、光孝が立て籠もっている電話ボックスが置かれた側にあるフラットの壁が斜め30度の角度で切られてしまったのである。

 最初はゆっくりと断面を滑るフラットの倒壊部分だったが、元々ヒビが入っていた壁が音を立てて細やかな瓦礫が落ち始めると、建物全体が音を立てて盛大に崩壊するのは早かった。しかも、光孝が立て籠もっていた電話ボックスの上部まで巻き添えで切られてしまい、フラットよりも早く地面に落下すると窓ガラスが粉々に砕け散ってしまった。


「うわぁぁぁ!?」

「龍生君」

「はい?」

「支えられますか?」

「やってみます」


 いくらになるとは言え、此処までの崩壊は自分たちにも危害が及ぶと判断したらしい蔵人だったが、対処は龍生に任せたようである。

 電話ボックスの中で悲鳴を上げる光孝を余所に、蔵人と龍生が随分と軽いやり取りの後に『一寸法師』を開くと白い【本】には再び光が灯り、崩壊するフラット全部を飲み込んでしまいそうなほどの広範囲の水流がせり上がって来たのだ。

 龍生は「やってみます」と言っていたが、『一寸法師』の紋章が描かれた白い【本】を持つ手には力が込められ、飄々とした彼の表情とは逆に水流は怒涛の飛沫を上げて崩壊するフラットを押し返すその光景は「絶対にやってみせる」と語っているようだった。

 彼が創造した『一寸法師の川下り』は、川の如き水の流れを自在に乗りこなす駆動性に長けた能力であるが、【読み手】の中の創造が固まれば水流自体も自在に動かせる。せり上がって来た水流が崩れ落ちる瓦礫を飲み込んで石畳の路地で跳ねると、粒の大きい雫が降って来て蔵人やイーリスの服を濡らした。

 誰も瓦礫の下敷きになっていないし、光孝が立て籠もっている電話ボックスも上部を切られた以外は長方体の形を保ったままだ……崩れた瓦礫は全て、お椀の形に変形した水によって受け止められていたのである。

 イーリスのハサミに切られてから龍生の水に瓦礫が受け止められるまで、たった数秒の出来事であったが物語を目にする第三者の立場として見ていた読人には、何分もかけて状況を説明したスローモーションに見えた。そして、流石に派手にやり過ぎたのだろう。

 ロンドンの霧にも隠れないほどの建物の崩壊が、騒ぎに発展しかけていたらしく、パトカーのサイレンの音やざわざわと言う群衆の声が聞こえて来たのだ。ついでに、赤いキャップの切り裂き魔の姿を追って夜の街へ繰り出したもう1人の【読み手】も。


「誰か【戦い】をしているかと思えば……貴方たちですか、黒文字蔵人!」

「あ、こんばんは紫乃さん」

「紫乃さーーん!!」

「彼女が、例の切り裂き魔ですか?」

「はい。名前は確か……えーと、アーベンシュタイン? って」

「っ! アーベンシュタインですって!」


 イーリスを探していたらしい紫乃までも、この【戦い】に引き寄せられて現場に現れてしまったのだ。蔵人からは呑気な挨拶をかけられ、光孝からは援軍が来たと言わんばかりの呼びかけが向けられたのだが、龍生が口にしたイーリスの名前に狼狽えた。

 一方、イーリスの方も手を耳元に当てて何やら狼狽えた表情をして小さく呟いている。【戦い】の最中は髪やキャスケット帽で見えなかったが、よく見れば彼女の耳にはイヤホンに似た物が装着されてコードがジャケットにまで伸びていた。恐らく、無線の通信機なのだろう。

 何度か小さくボソボソと呟くと、腑に落ちないと言わんばかりの表情でハサミをバスケットの中に収納し、『赤ずきん』の【本】を閉じてバスケットそのものを消失させ、一方的に【戦い】を終えてしまったのだ。


「今宵はこれにて失礼します。またいずれ、お会いするかとは思いますが」

「待ちなさい、貴女はアーベンシュタインの……」


 イーリスを引き止めようとした紫乃の声は、腹に響く重苦しいエンジン音にかき消されてしまった。霧の向こうから眩しいライトの光が迫って来る。

 黒塗りのベンツが思いっ切りアクセルを踏み込んだ速度で乱入して来ると、イーリスの身体を隠すように彼女の隣に横付けしたのだ。そして、間髪入れずに運転席の窓から球体の何かが投げ込まれて石畳の上で破裂すると、狭い裏路地は目に痛いほどの激しい光によって真っ白に染まってしまったのである。どうやら、閃光弾だったようだ。

 視ている読人も驚いて飛び起きてしまいそうな閃光に紛れて、黒塗りのベンツはイーリスを回収して去って行ってしまった……赤いキャップの切り裂き魔に、逃げられてしまったのである。


「目が、目がチカチカする……」

「た、助かった~

「逃げられてしまいましたね。イーリス・アーベンシュタイン嬢、ですか……」


 蔵人が【本】を閉じて稻羽君も和邇君も消えてしまうと、【戦い】の間に起きた出来ことはになる。フラットの崩壊も斜めに切られた電話ボックスも元に戻って何こともになったのだが、『一寸法師の川下り』で濡れた服は濡れたままだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

・狼の腹を裂いた猟師の鋏

・狼の腹に詰め込んだ石礫

・石を詰めた狼の腹を縫合した糸

・猟師の持つマスケット銃

・お婆さんへのお見舞いワイン

その他あと二つ……。


信じられるか、これらを赤ずきんちゃんが持ってるんだぜ。

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