19-②【Past】
『目標、粉砕! 火薬、使用量、適切!』
『消音、完璧♪』
『衝撃、無……zzz』
『爆風、消……失……阿嚔!』
『周囲、被害、無! 無!』
『任務、完了。掃除、隠滅、撤退、迅速、駈足!』
『……っ!!』
不気味で静寂な爆発によって瓦礫と化した店舗は、幼児に破壊された積み木のようだった。
当然だが、崩された後には積み木のその物が残る。城を崩したら後片付けだと言わんばかりに、彼らは店舗だった物を機敏な動きで片付け始める。
せっかちに、陽気に、眠そうに、鼻がむず痒そうに、照れ臭そうに全てを更地にしてしまい、厳格な声を発した1人の引率でその場から立ち去ろうとしていた。が、最後尾の千鳥足が、一部始終を目撃していた蔵人たちを発見して焦り出したのだ。
ってか、今まで気付かなかったんかい。
『目撃者! 発見!』
『消去?』
『消滅! 削除!』
『隠滅♪』
『阿嚔!』
『虐殺……zzz』
『……!』
「今! 言葉よく分がんねけど、くしゃみの後に凄ぇ物騒なこと言った! 確実に!」
「しかも、眠たそうに言われると……そんな人が、一番危険人物だったりするんですよね。特に何も感じずに殺人を犯すとか」
「怖い! 怖いです蔵人さん!! で、この人たちなんですか!?」
霧の中から出現した7人の小人たち――京劇にも似た特徴的な赤いメイクをしていて、各々の表情が決定的に異なっている。その顔と行動と、しかも7人いることが決定的となり読人には彼らを創造した【読み手】が持つ【本】のタイトルが予測できた。
だが、読人が予測できたところで過去の記憶に干渉できない。目撃者という証拠を隠滅しようと、7人の小人たちはツルハシやらスコップやら、右手にダイナマイトに左手に火種やらの物騒な物を手にして襲い掛かって来たのだ。
「蔵人さん!」
「ええ」
『カァ!!』
「停止!」
凛――と、霧の中から声が聞こえた。
一本の槍のような静止の声が、静寂を突きや打つ。声によって7人の小人たちはピタリと動きを止め、7人中6人がへこへこと低姿勢で声の主の顔色を窺う。おとぼけな1人だけは、声の主に嬉しそうにまとわりついていた。
闇に相応しい、淫靡な光を宿した真紅の唇。細い腰に流れる豊かな黒髪は蔵人が昼間に目撃した艶だった。
石畳にヒールを鳴らすのは、一歩一歩を踏み出す度に深いスリットから覗く黒いストッキングに包まれた長い脚。霧の向こうから少しずつ姿が現れるその様は、纏っている薄絹を一枚一枚脱いで裸体を魅せる様子を思い起こすような……こんな状況でなければ、思わず生唾を呑み込んでしまいそうになるほどの光景だ。
だが、虐殺一歩手前だったこの状況で、のんきに興奮なんてしていられないだろう。登場したのが、白いチャイナドレスのとびきりの麗人だったとしても。
手にしている【本】の裏表紙には、林檎に唇を寄せる黒髪の姫と彼女を囲んで円を描く7人の小人のシルエット。タイトルは『白雪姫』――その名を知らぬ者はいない、姫の物語だった。
「
「こんばんは。昼間、お会いしましたね」
「熱の籠った視線、いただきましたわ。でも残念、まだ仕事の最中なのでお誘いは受け取れないの。代わりに……気持ちよく殺してあげる」
麗人の黒髪を飾る二枚の櫛がするりと抜けた。縄のように編み込まれた長い黒髪が独りでにうねり、腰以上の長さまで伸びて大きく掲げられる。
手にした【本】が光る度に二枚の櫛の歯がどろりと濁り、官能的な香を纏った髪が牙を剥いて来た。
「武装能力・
「……龍生君、光孝君を連れてお逃げなさい」
「蔵人さん!」
「そろそろ、真面目に紋章集めをしようかと思います」
一撃目は威嚇。石畳を砕ければ、櫛から滴り落ちた濁りがジュ!という音と煙を出して、石の欠片をドロドロに溶かしてしまう。ただの櫛ではない、【読み手】の髪で自在に操る、毒の櫛だ。
これでは、麗人が言うように気持ちよく死ぬことはできないだろう。気持ち良いと感じた時は既に、肉も骨も溶け切っているはずだから。
だが、蔵人はそう簡単に毒殺されない人種なのはよく知っている。犯行現場を見てしまったからと言って、そう簡単に始末されないはずだ。
音なき爆風で飛ばされた中折れ帽子を、砂埃を払ってから頭に乗せる。『古事記』を手に龍生と光孝を遠ざけ、【戦い】が始まった。
「申し遅れました。黒文字蔵人と申します。【本】のタイトルは『古事記』、どうぞお見知りおきを」
「あら、【読み手】だったの。自分から名乗るなんて……正直な男、好きよ。【本】は『白雪公主』、名は
気怠そうな低めの声を紡ぐ真紅の唇から、ちろりと濃桃色の舌が艶めかしく顔を出したと同時に、三つ編みの縄となった黒髪と毒の櫛が蔵人へ襲い掛かる。
『白雪公主』――『白雪姫』。その物語において、最終的に姫を殺害したのは毒リンゴであるためその殺害方法(?)が有名すぎるが、実は白雪姫は三度に渡って魔女の継母に命を狙われている。
一度目は、綺麗なリボンを胸にきつく締められて窒息死したが発見が早かったので息を吹き返した。そして二度目は、毒を染み込ませた櫛を髪に刺して毒殺したが、これもまた発見が早かったので櫛を抜いたら再び息を吹き返した。
魔女の想像以上に白雪姫の生命力が強かったため、毒リンゴは三度目の正直だったのだ。
この創造の元となっているのは、二度目の犯行。白雪姫の黒髪に突き刺された毒の櫛だが、これには抜いても生き返らない即死の猛毒が染み込んでいる。その攻撃を、蔵人はどう防ぐのか、反撃するのか。
『天岩戸』か、それとも『八咫鏡』で物語の獣たちを召喚するのか。『古事記』を開いた蔵人の迫る毒の櫛、その歯をぽっきりへし折らんとばかりに弾き返したのは、霧の中に灯る赤い光。
一つ、二つ、三つ。赤、赤、赤……蔵人の周りを浮遊する三つの赤が、甲高い音を立てて櫛を打ち返す。
徐々に収まり始めた霧の向こうで彼を守護していたのは、赤く光る勾玉。蔵人の手の動きに合わせて、飛行ユニットのように浮遊し、くるくると回っていたのだ。
「武装能力・八尺瓊勾玉――ヤサカとは、長さを意味する「八尺」。「瓊」は赤い玉を意味します。つまり、巨大な赤い勾玉ということです。ですが、現在の大きさに合わせると約180cmになってしまいまして、それでは流石に大きすぎるでしょう。ですから、私が使いやすい大きさで創造したのですが……」
「蔵人さん! 説明しているバヤイじゃありませんって!!」
逃亡の最中である光孝が、思わず突っ込み染みた注意喚起をしてしまうほどのんきな蔵人の説明を、敵こと英蕣が大人しく聞いてくれるはずがなかった。
蔵人の『八尺瓊勾玉』に驚くことも感心することも、じっくり観察して解析でもしようという素振りも見せず、黒髪の乱舞の猛ラッシュが始まったのだ。
毒の櫛は二つしかないが、櫛が繋がっている英蕣の黒髪は無尽蔵に伸び続ける。しかも長さだけではなく、ある程度の硬化も可能なようだ……瞬時に編み込まれた三つ編みの縄が、蔵人の隣にあった消火栓を薙ぎ払えば、ぽっきり折れて水が噴き出した。
「場所を変えましょうか。八咫君」
「カー」
「待ってよ、遊びましょう」
流石に接近戦は無理だと判断したのか、蔵人は八咫君に運んでもらって周囲を浮遊する『八尺瓊勾玉』ごと近くの建物の屋根の上に舞い上がる。それを追って、英蕣も黒髪をバネにして自身の痩身を持ち上げて屋根に着地すれば、細いヒールが煉瓦を鳴らす。
そして、一息吐く暇もなく、色っぽいお誘いもなく、櫛のラッシュとそれを受け止めて光速に動き回る赤い勾玉の応酬が始まったのだ。
黒髪の連獅子――と言うには、あまりにも妖しく、美しすぎた。編み込まれた黒髪が猛毒の飛沫を散らしながら薙ぎ、払い、突き、乱れる。
一方、蔵人も彼が手を払えばその動きに合わせて勾玉が守って、攻めて、闇を赤く照らす。勾玉は徐々に小さくなり、増殖する……分裂するかのように赤い勾玉の数が増え続け、気付けば数十個もの赤い勾玉に2人の【読み手】が囲まれていた。というか、包囲されていた。
「大きさか、数か。貴女の場合は数で包囲した方が確実かと思いまして」
「あら、見くびってもらっちゃぁ、困るわ」
勾玉の包囲網を突破するために新しい創造をするのかと、白い手は【本】に移るかと思いきや……そんなことはなかった。解かれた髪が舞い散って広がり、勾玉は黒髪に飲み込まれてほとんどの数が地面に叩き付けられた。正面突破。脳筋だ。
と、その光景を目にしてしまった読人だったが、思った以上にゴリ押してはなかった。暗闇に乱れた黒髪が手櫛で梳かれて落ち着きを取り戻せば、英蕣の背後には7人の小人に囲まれた光孝が、簀巻きの逆さ吊りにされていたのである。
「蔵人さん! ごめんなばい、捕まりまじた……」
「あー……有能な小人たちですね」
「
白雪姫を守護する7人の小人たち。それを元に創造された彼らは非常に優秀だった。
創造能力・
無関係な周囲の店舗を巻き込まず、一軒だけのターゲットを的確に爆破するのもお手の物。時には音もなく被害もなく仕事を遂行できる彼らは見事であるが、爆破に限らず普通に有能だった。
逃げた光孝を捕まえ、簀巻きにして巨大なツルハシから吊るして首元にノコギリを添えている。見事な人質だった。
「このボウヤ、どうする?」
『消去!』
『目撃者! 消去!!』
『消・去~!』
『消・去♪』
『消……去zzz』
『消、去っ!』
『……!』
「だって」
「嫌あぁぁ!!」
「光孝君……私はでは無理です」
「……えっ」
光孝の顔が絶望に染まった。だが、助けないとは言っていない。蔵人の距離では彼の救出は無理だが、こっちにはもう1人いる。
消去消去と盛り上がる小人たちの背後で、再び水柱が噴き上がった。また消火栓がへし折られたのかと思ったのか、7人が一斉に背後を振り向いて屋根の下を覗いてみれば、一気に屋根までせり上がった激流に仰天して7人中4人がひっくり返った。
激流を足場にして駆けて来たのは漆塗りの下駄を履いた龍生、その手には『一寸法師の川下り』を巻き起こす箸が握られている。小人たちがひっくり返ったその隙に箸を彼らの足音に突き刺せば、突如発生した噴水によって7人が各々の方向に吹っ飛んだのだ。
「龍生ざーん!!」
「泣ぐな泣ぐな。ごめんなさいね、綺麗なおねーさん。小人たち吹っ飛ばしてまって」
「あら、あらららら……私、お姉さん? うふふふ」
「え、わし、何か変なこと言った?」
「嬉しいわ、綺麗な女と言ってくれて」
ころころと、鈴……と言うよりは、土鈴が出す少し低くとも心地の良い声で笑う英蕣。龍生へ向けてニコリと、妖艶な微笑みを向けてチャイナドレスの首元へ手を伸ばす。
月も隠れてしまった闇夜だというのに、霧が晴れた良いタイミングだったのか。チャイナカラーを開けた真っ白な首が浮かび上がれば、そこには違和感が待っていた。女性の物にしては少しがっしりとしたその首には、くっきりと喉仏が出ていたのである。
「え、それ……」
「まさか」
「やはり、男性だったのですね。けれど、白いドレスがよくお似合いだ」
「白が好きなの。肌ざわりの良いシルクも、光を孕んだ赤も、翡翠色の黒髪も。女でいるのが、好きなのよ」
見た目は完全に美しい女性だ。しかし、よくよく見て見れば喉仏の下の胸元には豊満な膨らみがない。ヒールを脱いでもその身長は龍生よりも大きいだろう。
女でいるのが好きと言う英蕣の本来の性別は男。だけど、本人は龍生に「おねーさん」と言われて心の底から喜んでいるようにも見えた。
「えー……けんど、どう見てもおねーさんだから、おにーさんとは呼びたくはないな」
「龍生さん、それで良いんですか?」
「だってさー」
「昼間にお目にかけた時から違和感があったのですが、本当に男性とは思いませんでした。私の直感も捨てたものではありませんねぇ。八咫君」
「カァ! カァ!」
「痛い痛い、蹴らないで八咫君」
八咫君は相変わらず手厳しい。三本の脚で蔵人を蹴り、時には嘴で突いて来る。
「では、もう一つ直感を語ってもよろしいでしょうか? 昨日と先ほどの爆破は、貴女と小人たちの仕業です。見せしめと、粛清、なんでしょう」
「……何が言いたいの?」
「貴女、先ほど「多謝」と言いましたね。「ありがとう」と。【本】の能力で言葉の疎通が可能となっていますが、言葉の端々には一般の中国語である北京語ではなく広東語が見える。広東語が一般的なのは香港だ。そして、爆破された店舗二軒はどちらも香港の方が経営しています。そして、彼らがみかじめ料を支払って庇護してもらっているのは香港系のマフィアです。貴女のお勤め先では?」
蔵人の直感――昼間と夜間、二件の爆発はそれぞれ見せしめと粛清であると感じたのだ。そして、何故そう感じたのか。八咫君がもたらしてくれる情報やら、英国現地で得た情勢を総合した結果、蔵人は一つの仮説を立てた。
あまりにも突拍子もないそれは、人に話せば苦笑いでもされて「小説家にでもなったら? もしくは漫画家とか」とでも言われてしまいそうな、その仮説。
「最近、中国側が香港その他のイギリス領の返還を求めています。けれど、今の香港が中国へ返還されても香港側にメリットはありません」
「え、なして? 故郷に帰りたいもんじゃないんですか? 沖縄とか」
「今、香港はベトナム戦争やその他の戦争特需で絶賛の好景気です。わざわざ中国の、もっと言えばイギリス政党の支配下にならずとも自分たちの足で国際情勢を歩いて行ける。そう、お考えでは?」
「……」
「あくまで私の戯言としてお聞き下さい。貴女方の目的は、中国への帰還でもなければイギリス支配の継続でもない。香港独立……では、ないのでしょうか?」
蔵人の予測が正しいのだとしたら、爆破された二店舗は香港独立に反対したが故の爆破だったのかもしれない。
その独立は、英蕣の所属している組織が積極的に推し進めているために、彼女は仕事をした。奇しくも【戦い】の年だったため、英蕣が【読み手】だったために、摩訶不思議で非日常的な仕事ができたのだ。
まあ、全ては蔵人の頭の中で立てられた突拍子のない直感かつ戯言のため、それが真実であるのかは分かりっこない。
だけど、彼の予測を一通り聞き終わった英蕣の唇が弧を描くと、『白雪姫』の表紙を閉じて小人たちも【本】の中へ撤退してしまった。
「そういうことにしておいてあげる。ここで貴方とやりあって紋章を手に入れるのも良いけれど、逆に奪われたら私が殺されちゃうもの。今夜のお仕事はきちんと終わらせたから、見逃してあげる」
「あ、あの……っ、あのお店の人たちは、どうなったんですか?」
「しっかり始末して、テムズ川に流しておいたわ」
光孝が再び悲鳴を上げた。香港人がテムズ川に浮かんでいたと新聞に載るのは、時間の問題かもしれない。
英蕣が【本】を閉じたので、これ以上【戦い】を続ける必要はないと判断したか蔵人も『古事記』を閉じた。
すると、英蕣のヒールの音が蔵人に近付いて白い指先が蔵人の左頬に伸びると同時に、右頬には真紅の唇が触れた。近距離にいる2人にしか聞こえないほど小さなリップ音と、薄い唇のキスマークを残して英蕣は再び微笑んだ。
「またね、
「ええ。今度は、もっとゆっくりお話しできる場所で。
「翡翠の髪状」とは、カワセミの羽のように艶やかで長く美しい黒髪のことを言う。
その名に相応しい英蕣の黒髪が本来の長さに戻り、毒が抜けきった櫛が飾られると今夜はもうおしまいと言う決定的な合図だった。
黒髪を翻した白いチャイナドレスが蔵人の傍から離れ、再び立ち込み始めた白い霧の中に消えて行く場面で、本日の夢は終わりだ。匂いなんて感じないのに、英蕣の――彼女が纏っていた香水の匂いなんて、全く知らないのに。
何故か凄く良い匂いが、甘く、それでいてどこか寂しい残り香が鼻を擽った気がした。
To Be Continued……
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