20-②




「よく似ているだろう、お前が殴り殺した俺の祖父に。そして、この火傷は……お前の罪の証だ。そのタトゥーを頼りに、15年間捜したよ。覚えているか? お前が警察の捜査線上に上がって連行されたあの時を。けれど! 俺がベッドの上で目を覚まして、喋れるようになって、そのタトゥーを見たと必死で証言した時、お前は既に姿を消していた! アリバイがあるとかで釈放されやがった! 当然、犯人は見付からずに事件は迷宮入りだ。15年の月日が過ぎて、誰もが忘れかけたとでも思っただろう……だから、ネット上にのんきに自分の写真を上げたんだろう。忘れているとでも思ったか? お前に殺されかけた! 家族を殺されたこの俺が!!」


 15年間、片時も忘れる事はなかった。暗闇の中で悪霊のように浮かび上がった白い骸骨が、上下する腕の動きに合わせて楽しそうにスキップをしているようで、幼かった彼――ミハエルは、あまりの恐ろしさに直ぐに目を反らしてしまった。

 瞼の裏に焼き付いたスキップする骸骨の恐怖に怯えながら生死の境を彷徨い、此岸へと戻って来られたその瞬間に、恐怖は憤怒と憎悪に変わる。その感情を原動力に、この広い世界を、混沌なるネットワークの海を捜し回ってやっと見付けた。楽しそうに日本の名所を案内する、あの夜の骸骨を。


「自分のオリジナルデザインのタトゥー、だったよな。コメントの返信は。他に、同じタトゥーを持つ男がいたら教えてくれ。教えられるものならな! 認めろ、カルドン!」

「……Sorry, I’m Cardoon」

「っ、認めた。でも……駄目だ、聞き取れない」

「……「あの頃の私はどうかしていた。君の家族には、本当に悪い事をした」」


 床に這い蹲って顔を伏せたまま、自分はミハエルが捜していたボブ・カルドンであると認め、謝罪の言葉を口にした。それから、少し早口に、ぶつぶつと籠った声で何かを話しているが流暢すぎて読人のヒアリングでは追い付けない。

 しかし、横でハインリヒが通訳してくれた。シンと、埃が落ちる音さえも聞こえてしまいそうな沈黙の空間の唯一の音は、懺悔だった。

 何故、ミハエルの祖父母宅に押し入ったか?当時の自分は質の悪い連中から多額の借金をしていて、厳しく暴力的な取り立てに追い詰められていた。金が欲しかった。ミハエルの祖父に気付かれて、衝動的に殺してしまった。

 何故、別居していたミハエルの家に火を点けたのか?通報されたかと思い、怖くなった。どうして放火なんてしたのか、覚えていない……自分でも分からない、自分が悪魔のように怖ろしい。


「「15年間、私は贖罪の人生を歩んで来た。君たちの家族の事は、片時も忘れた事はない」……長いな。「君の幼い妹さん、あの子と同じぐらいの歳の女の子を目にする度に、自分が犯した罪の重大さに心が穿たれる」……っ?!」

「っ!」

『……狼?』


 再びの突風と、カルドンの悲鳴が耳を劈いた。隣の読人も悲鳴を上げそうになったのを阻止しようと、ハインリヒの大きな手が彼の口を塞ぐが、読人の手も無意識にハインリヒの顔に伸びてお互いの口を塞ぎ合ってしまう。読人の頭を踏み台にして渦中の現場を目にした火衣が小さく呟いた。

 狼……そこには、カルドンの首筋に鋭い牙を立てた、巨大な黒い狼がいたのである。


「良かったよ、カルドン。お前が、復讐を躊躇させない外道の畜生で。何が贖罪の人生だ、何が片時も忘れた事はないだ……! お前は、自分が殺した人間にこれっぽっちも興味を持っていないんだなぁ! 地元の新聞すらも読まなかったのか? 連行された先で、警察は被害者について何も語らなかったのか? 本当に心が穿たれるのか? 俺のは誰か知っているのか!!」


 ???


“年上の妹”

 ミハエルのその言葉に、読人とハインリヒの頭の中でクエスチョンマークが乱舞した。だが、その答えは直ぐに分かった。「ベラ」という名前であったミハエルの“妹”はとても仕事熱心だったが、それが祟って若くしてリタイアしたところをパートナーであったミハエルの父とその家族と共に、余生を過ごしていたらしい。


「ベラはな、家に来た時は6歳だった。だから俺は妹として扱ったら、その度に親父は「ベラはお前よりもずっと大人なんだぞ」と言って、笑っていた。本当に、彼女は大人だったよ。そして優秀な警察犬だった……15年前のあの日も、お前の骸骨が恐くなって彼女のベッドに潜り込んでずっと震えていた。怖くて動けなかった俺を、ベラが助けてくれたんだ。炎に巻かれても、自分が苦しくても、自慢の毛並みが真っ黒になっても、俺を守ってくれた!」


 祖父母を殺された、両親も、兄も、そして……年上の妹だった、親友であった飼い犬のベラも、カルドンに殺された。

 奴は、見事に地雷を踏み抜いた。改心なんてこれっぽっちもしていない、贖罪の人生なんて最初の一歩すら踏み出していない。自分が殺した家族の名前も、人数も、エボニー家には何人の子供がいた事さえも気にならなかった。

 ただ、邪魔な羽虫を叩き潰した程度にしか感じていなかったのだろう。腕の骸骨が、通行の邪魔だと目の前のビルを崩壊させているかの如く。


「この不思議な【本】のタイトルは『三匹の仔豚』、誰もが知っている童話だ。この話に登場する狼は、その息で藁の家と木の家を吹き飛ばした。創造能力・突風は狼と共にGust the Wolf。この【本】の本来の用途なぞ興味はない、この能力でお前を殺す事ができれば、俺はそれで本望だ!」


 狼がフーっと息を吐いたら、長男豚が作った藁の家はバラバラに吹き飛んでしまいました。次男豚が作った木の家も以下同文。いくら兄豚たちの家造りが杜撰だったとはいえ、二つの家を吹っ飛ばしてしまう突風を巻き起こす狼から想像し、ミハエルがカルドンへの復讐のために創造したのは、突風を巻き起こす巨大な黒狼だった。

 カルドンを連れ去った、本日の突風の正体。ビルを噛み砕く骸骨の頭を簡単に噛み砕いてしまいそうな、巨大な顎と鋭い牙は、少し力を込めただけでカルドンの太い首を噛み千切るだろう。殺すのは簡単だったが、ミハエルはそう簡単に復讐を終わらせるつもりはないらしい。

『三匹の仔豚』、裏表紙の紋章は、息を吐く狼と藁と木の残骸と、息ではびくともしない家に住む仔豚。ミハエルは【本】を開き、新しい舞台を用意すれば、読人とハインリヒがいる廊下も飲み込まれた。


「展開能力・レンガの家は壊れないAegis House。両親と兄は、熱かっただろうな、苦しかっただろうな……お前も、苦しめ」


 殺風景な会議室の壁が、床が、丁寧に積まれたレンガに変化した。このフロアは全てレンガの家、狼が吹き飛ばせない煙突がある丈夫な家。屋根の煙突から侵入しようとすれば、グツグツ沸騰した大鍋の熱湯で大火傷をしてしまう……足元のレンガが高熱を発し始め、あっという間に廃ビルのワンフロアが沸騰した大鍋の中のような高熱に達したのだ。


「熱っ!?」

「あっづ!?」

「やはり、侵入者がいたか」

「ひぃ!」

『やっぱり最初からバレてたか』


 あまりの熱さに隠密行動も忘れて叫んでしまった。展開された場面はレンガの家、というよりはレンガの家の暖炉から繋がった煙突の中。鍋に落ちた狼の気持ちがよく分る。

 掌と尻を火傷しかけた2人は大人しく姿を現し、それぞれの白い【本】を見せればミハエルは納得して右目だけを少し細めた。


「俺の【本】の紋章が目当てか? さっき言った事を聞いているなら分かっていると思うが、俺は【本】を巡っての【戦い】にも不老不死なんぞ興味はない。邪魔しないでもらえるか」

「その人へ、復讐をするんですか?」

「何だ、復讐なんてくだらないからやめろとでも言いたいのか? 復讐なんてしても、死んだ家族は喜ばないとでもほざくのか」

「違っ……」


 清廉潔白な主人公ならそう叫ぶかもしれない。復讐なんて悲しい負の連鎖を止めようと、身体を張って炎の中に飛び込むかもしれない。でも読人にそんな事はできない……ミハエルの、悲しい叫びを聞いてしまったら言えるはずがない。

 けれども、犯人と同じ下種に成り下がるつもりかと、頭の中で小さく響く。それをミハエルに叫んだとしても、きっと彼はそれを受け入れて下種の道に選ぶだろうけれど。


「……殺すの? その人を」

「勿論だ。こんな外道を野放しにしていたら、いつまた同じ犠牲者が出るか」

「……止めねぇよ」

「ハインリヒ」

「なら、そこで黙っていろ!」


 額から一粒の汗が落ちる。いつの間にか、レンガの家の煙突の中は高温サウナ以上の温度に達していた。レンガの床・壁の温度はかなりの熱さだ。素手で触ったら、きっと火傷じゃすまない。その熱さは、転がっていたカルドンが途切れ途切れの悲鳴を上げながら会議室の隅に残っていた椅子の上に避難している様子で分かる。

 この熱さでじわじわと焼き殺されるか、それとも狼の牙によって貫かれるか。それともう一つ、狼が巻き起こす突風によって圧殺されるか。

 カルドンの運命は既にまな板の上の鯉だ。それともあえて、解体直前の豚とでも表現しようか。15年間、逃げ回り何もかもをすっからかんに忘れて自己保身に走った殺人犯は、被害者遺族の手によって断罪される。


「この熱の中で、少しずつ、少しずつ、血を流して苦しめ。どれだけ叫んでも、もがいても、お前が犯した過去が全て牙を剥いたと思え。今更後悔しても、懺悔しても、既に遅いんだ!」


 ミハエルの叫びと狼の咆哮が重なった。大きな顎で、悲鳴を上げて椅子から転げ落ちたカルドンへ向かって行く……真っ赤な血が吹き飛ぶか。反射的に目を閉じた読人と、顔を背けたハンリヒ。

 けれども、その目を拓かせて顔を正面に戻したのは、カルドンの悲鳴でもミハエルの咆哮でもなかった。静寂を切り裂く、一発の銃声。黒い狼の眉間に穿たれた一発の銃弾は、この舞台を別の物語の一場面へ変えたのだ。


「ベラ!!?」

「誰だ、誰だ!?」

「……お取込み中悪いが、そこの飼い主に少々聞きたい事がある」

「もう、1人?」


 煙草と火薬の臭いがした。眉間を撃たれて苦しそうにもがく狼――ベラと呼ばれた彼女へと駆け寄ったミハエルに、銃口が向けられている。

 この場にいた、もう1人の登場人物。廊下の死角から現れたのは、不精髭が伸びる顎で煙草を咥えた白人男性。背中のライフルケースと、そのメッシュポケットに入った白い【本】。ハンリヒが追いかけていた【読み手】、『赤ずきん』の【本】を背負った男だったのだ。


「お前は!」

「ベラ、ベラ! 誰だ、ベラに何をした!」

「狼には用はねぇんだ。用があるのは、お前だ」

「何……が、はっ」


 撃たれたベラはピクリとも動かない。創造された存在が、一発の銃弾によって本当の死体と化してしまったかのようだ。

 ベラに縋るミハエルだったが、今度は彼の身に異変が起きた。突如感じた嘔吐感と胃痛、喉の痛み、自分の意志に反して身体の中からナニかが這い出て来る。吐きそうになるのを抑えようとしても贖えない、ミハエルの口からはあり得ないモノがボトボトと、唾液に塗れて吐き出されたのだ。


「な、何だよごっ、れは……!? い、し?」

「創造能力・石吐き狼Werewolf on the Rock。『赤ずきん』ちゃん、って知っているか? 狼の腹の中から、おばあさんと赤ずきんを救出したら、その腹の中にたくさんの石を詰め込む話だ。それと同じで、今お前の腹の中には大量の石が創造されている。俺が止めない限り、苦痛と共に延々と吐き続けるぞ」


 ミハエルの口からは飲み込むのが困難な拳大サイズの石が、一つ、また一つとボトボト音を立てて吐き出される。男が手にする【本】のタイトルは『赤ずきん』。読人にもハインリヒにも随分と馴染みのある物語から想像して創造された能力は、随分と痛々しくえげつないものだった。

 というか、『赤ずきん』ってこんなにもバイオレンスな物語だったか?過去しかり、現代しかり。


「石を止めて欲しかったら三つの質問に応えろ、飼い主」

「じっ、じつもん?」

「一つ、俺の名はトマス・オーキッド。この名前に覚えは」


 男――トマス・オーキッドは、ミハエルに石を吐かせながら彼の頭に手にした拳銃を突き付ける。一つ目の質問に、ミハエルは大きく頭を横に振った。


「二つ、昨年の11月28日、カリフォルニア州ベイモンドにいたか」

「? じ、じらない」

「三つ、他に、狼を飼っているか」


 トマスの質問、三つ全てにミハエルは首を横に振った。何が何だか分からないと言いたげな表情で全てをNOと答えれば、トマスは目を閉じて小さく息を吐いて【本】を閉じた。それと同時にミハエルが吐く石も止まり、大きく咳き込んで荒い呼吸を繰り返した。


「がっは、げほっ……お前、何なんだよ……!」

「悪かった。人……いや、だったようだ。お詫びと言っては何だが、手伝ってやる」


 トマスがそう言ったと同時に、白い【本】に再び光が灯り、今度は部屋の隅で動けなくなっていたカルドンが石を吐き始めた。呆気にとられるミハエルの前に、ゴドンと、トマスが手にしていた拳銃が落とされた。


「M1911、銃弾は7発、いや8発全部入っている。使え。石吐きは止めないでおいてやる。復讐を遂行しろ」

「……」

「先ほどのやり取りを聞いていたが、この男は息を吐くように嘘と罪を重ねる畜生だ。フライドポテトを摘まむように、誰かを殺す。こんな男にお前の家族は汚された。雪げるのはお前だけだ。家族の名誉を取り戻せ、君にはその権利がある」


 あまりにも優しく、教師が生徒に諭すかのようなトマスの言葉。目の前に落ちた拳銃を手にしたミハエルは、延々と石を吐くカルドンへ向かって速足に近付いて、引き金を引いた。

 一発、続けざまに二発目。カルドンの悲鳴と共に、助けと救いを求める叫びが聞こえるが哀れにも息絶えない。読人は最初の銃声で目を閉じた、顔を俯いた。いつの間にか、場面はレンガの家から現実の会議室に戻っている。だけど、今、この空間が現実なのか非現実なのか分からなくなっていた。

 嫌でも鼻に付く錆臭い血の臭いと、慣れない火薬の臭い。【本】が創造したモノではない、現実の武器である拳銃と、そこから飛び出る銃弾は痛いほどの現実であるはずなのに。


「【読み手】の少年たち。子供がこんなところにいてはいけない、早く帰りな」

「待てよ、トマス・オーキッド。いや、『赤ずきん』の【読み手】。俺はあんたに用がある。その【本】、渡してもらおうか」


 50年前の【戦い】において、イーリス・アーベンシュタインの手にあった『赤ずきん』は、彼女の元から消えた。そして45年の時を経て、現代の【読み手】の手に渡り参戦していた。

 トマス・オーキッド

 狼に襲われそうな赤ずきんと、狼に銃口を向ける猟師の紋章が、白い【本】の裏表紙に刻まれていた。






To Be Continued……


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