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閑話④




 残り、80人。

 百冊の本に選ばれた100人の人間。その内の、20人が不老不死を求める【戦い】から脱落した。

 一息吐いたからと言って【戦い】が小休止を挟む訳はなく、残りの80人に通知の札が配られて1日を経つ暇もなく、79人、78人と次々と数は減っていく。

 確実に、誰かが不老不死へと……薬を与える姫へと、近付いて行く。


メキシコ


 その口の治安は最悪と言われている。どこかの観光ブログでは世界最凶とまで書かれていたが、観光客の入国を制限している訳はない。むしろ南米諸国の中では治安は良い方と囁かれている。

 どの国でも危険な場所はある。脳内お花畑で毎日ビクニックに行けるような、警戒心皆無でのほほんと暮らせるような場所なんて存在しないのが現実だ。

 世界は優しくない。安住の地なんて、平和の楽園なんてない……だから、今ここで生きる場所で、運命に抗う。

 糞ったれな世界に反抗するために。


『こっちに歩いてくるヨ。そんなに急いでいない』

「武器は? マシンガン? それとも拳銃?」

『持っていない。ああ、でも……構えたぞ、気を付けろ!』

『こっち。コッチ、人間も通れる』

「ありがとう! お礼に美味しいサラミをご馳走する」


 観光客どころか地元の人間すらも近付かない下町の裏路地。建物と建物の微かな隙間は日も差さず、人の目が向かう事もない。忘れられた、隠された空間を蹴り、走り、汚水の溜まりを踏む。

 亀裂だらけの壁。蛍光塗料で描かれた下品な落書きに唾を吐く暇もない、導いてくれる声に従って敵から逃げるべく走った。


『カッサンドラ! 危ない!』

「っ!」


 攻撃が来た。標的を追尾して、角を曲がって石畳に刺さり爆発する。

 間髪入れずにもう一本、二本、銀の矢が彼女――カッサンドラを追いかけて来た。

 ボーガンの矢でも、原始的な弓矢の矢でもなく、矢の形をした銀色の光が飛んでくる。昔、音が遠いテレビで観た日本のアニメーションで見た、ヒーローに倒される敵の攻撃のようだった。


『カッサンドラ、来たヨ。来たヨ! 見た事のない男!』

「アンタたちは、逃げなさい……」

「始めましてレディ。この私を前にして逃げるなんて、連れないな」


 こんな場所に不釣り合いな身形の良い白人の男。雑誌でしか見た事のない綺麗なブロンドに、エメラルドのような瞳。生きて来た中で、一度も出会った事のない美しい姿をした人間。たくさんの黒服の男を引き連れて、カッサンドラの前に現れた。

 反射的に逃げた。持っていたトゥナのジュースを高そうなスーツにぶちまけて、窓から逃げて此処で攻撃されたのだ。


「何か用? アンタみたいな人間と私、すれ違った事すらないんだけど」

「いやねぇ、訊きたい事があったんだ。先日、麻薬カルテルの幹部が飼っていた鰐に噛まれて死んだ。大人しい鰐で、今まで人を噛んだ事も暴れた事もなかったらしい」

「鰐だって、人間を噛みたくなる時もあるんじゃないの。腹が立った時とか、むしゃくしゃした時とか……水槽の中でくだらない毎日を見せられるよりは、自由になりたかったんじゃないの」

「う~ん、鰐君は随分と鬱憤が溜まっていたのかな? でもねぇ、その幹部……君がいた孤児院に立ち退きを求めていた奴だろう。先日、子供たちの部屋にダンプカーが突っ込んだそうじゃないか。他にも、君と同じ孤児院出身の子供に麻薬の運び屋をやらせていたとか……君だね、鰐君をけしかけたのは。カッサンドラ・オリーブ、【本】のタイトルは『Dr. Dolittle』。素敵なイヤリングが君の能力だろう」


 全部見抜かれている。カッサンドラは唇を噛んだ。ホットポンツから伸びる脚を擦り剝いた、出血もしている。これでは、ダッシュで逃げ去る事はできない。

『Dr. Dolittle』、邦題は『ドリトル先生物語』。

 動物語を理解する獣医・ドリトル先生の冒険を描いた児童小説だ。

 児童文学なんて、本なんてまともに読んだ事がなかったカッサンドラが頭を振り絞って読んで、考えて想像して創造したのが両耳のイヤリングだ。

 創造能力『ポリネシアの授業Animalingual

 作中で、主人公のドリトル先生に動物語を教えたオウムのポリネシアから発想を得たのは、耳に着ければ動物の言葉が解り、会話をする事ができるイヤリング。左耳がオウムのポリネシア、右耳はドリトル先生が被るシルクハット。どちらも彼女の掌の半分ほどの大きなアクセサリーである。

 この能力を使い、カッサンドラは動物たちと意思疎通を図っていたのだ。

 敵の位置を知らせて逃走の手助けをしてくれたのは仲良くなったネズミと烏。件の麻薬カルテルの幹部も、ペットの鰐と粘り強く交渉し、鰐自身の愚痴を聞いて交流を深めたためにできた事だった。

 飼い主に呆れ果て、ストレスとヘイトを溜めていた鰐に攻撃するように頼んだ。否、唆したと言った方が良いかもしれない。彼女は手に入れた【本】の能力で復讐を果たした。後悔なんて、していない。


「そうよ、全部私がやった。こんな能力が手に入ったのよ、使わなかったら勿体ないじゃない! あいつを殺さなきゃこっちが殺されていた! 孤児院の壁に大穴が開いて、まだ4歳だったあの子が死んだのよ! 私の直ぐ後にやって来たあの子だって、いいように使われた後に口封じでドブの中よ! 分る?! 昨日まで一緒に食卓に着いていた弟分が、次の日には! 私は、いいように使われてやるもんですか……絶対に抗ってやる。この糞みたいな世界に、屈服して堪るか!!」

「良いねぇ、実に良い。運命に抗う、悲劇の女王の名を持つ乙女……だが、これは【戦い】だ」

「っ!?」


 男が左腕を伸ばし、軽く払ったその瞬間……カッサンドラの視界は銀色に包まれて、それからプッツリと意識を失った。

 残り、79人。




***




日本


 残り80人を切った【読み手】たちだが、脱落した者たちの紋章の殆どは日本に集まっている。些かバランスが悪いが、前回の優勝者が日本人であるためその情報を得た者が先走って続々と来日しているからだ。

 日本の来日人数は、二回目の東京オリンピックの年にピークを迎え、現在に至るまで増加しつつある。今年になってからもグラフは伸びて伸びて、その数の中には『竹取物語』を手中に収めんとする者たちも入っているだろう。

 50年前の勝者・黒文字蔵人の元にあるはずの、不老不死への足掛かり。

 駆け足で黒文字家へ近付く【読み手】もいれば、真っ先に優勝賞品を目指さず、少しずつ少しずつ経験値を貯めてレベルを上げてから殴り込みに行こうと画策する者もいる。日本各地にいる【読み手】を狩るべく、【読み手】同士は邂逅する。

 何もない、観光名所もSNS映えスポットもないような地方の田舎町の片隅で、神々しい光の剣が天を切り裂いた。


「武装能力・約束された勝利の剣エクスカリバー!」


 選ばれし王にしか手にできない聖剣が春晴れの空を貫く。光り輝く巨大な刃、一刀両断にすべく振り下ろされた剣の先にいた【読み手】は、これっぽっちも焦る様子を見せずに軽快な足取りで“ひょい”という効果音が付きそうな気軽さで、『約束された勝利の剣』は回避された。


「アレカ、今だ!」

「……うん、兄さん」


 片や、よく似た面影を持つ2人の男女。少年が剣を持ち、少女は自身の【本】を手にする。

 片や、カジュアルな服装の……そこら辺を歩いていそうな、平凡な若い女性。乱れた髪を手串で直し、ゆっくりと身体を伸ばした。

 王の剣を軽々と回避しても、相手がコンビであるので追撃が控えている。アレカと呼ばれた少女の【本】の光が最高潮に達すれば、遥か高い青空は荘厳なシャンデリアが吊り下げられた舞台と化す。

 炎の灯を孕んだ美しいクリスタルも神聖を抱く金も凶器になる。女性の頭上に、シャンデリアが落ちた。邪魔な歌姫に強引な退場を促す凶器が、舞台の上に落とされた。


「創造能力・舞台はクリスティーヌのためにMy Dear Prima Donna!」


 耳の奥で『オペラ座の怪人』が聞こえる。舞台に立つプリマドンナを潰すシャンデリアが、崩壊する音も聞こえる。

 巨大なシャンデリアに潰されたら無事では済まないだろう。回避できる暇もなかった……並んだ2人の【読み手】はボロボロになった女性が出て来る事を期待した。けれども、砂埃が晴れたその先にいた彼女は、全くの無傷だったのだ。

 相変わらず手串で乱れた髪を撫で付けていたが、頬に小さな傷一つもない。

 何かを創造して無効化したのか?いや、そんな素振りを見せなった。

 さっきから、彼女は何かを創造する気配すら見せていないのだ。


「アレカ、もう一度だ」

「……うん」

「まあ、そんなにカッカしないで。ゆる~く、行こうよ」


 それからは、何が起きたのかよく理解できなかった。気が付いたら、2人の少年少女は穏やかな表情で女性の膝の上で寝息を立てていた。そして、『アーサー王伝説』と『オペラ座の怪人』の【本】は紋章を失っていたのだ。


「……ラフィアとアレカのパーム兄妹。【戦い】のためだけに育てられたと聞いたが、その2人を赤子扱い……か。要注意人物という噂は本当のようだな。天宮アマミヤモモ


【戦い】に絡む者たちにも秘密の情報網が存在する。歴代の優勝者は誰か、この【本】はどこにあるか、この【読み手】の【本】のタイトルは何か。日本の片隅で、3人の【戦い】を覗き見していた櫻庭も一つの情報を元に此処まで辿り着いた。

 しかし、目にしたのは有望とされていた兄妹が無力化されて脱落する姿。そして、得体の知れない女を目撃したのだ。


「彼女の【本】の『タイトル』を予測できない。マイナーな物語か、それとも……」

「何か御用ですか? 櫻庭さん」


 一瞬だけ、背筋が凍った。両目と心臓に刺した鏡の欠片がズキンと痛むほど、背後からかけられた一言は突拍子もなく、世間話をするかのように優し気だったのだ。

 後ろを振り向けば、ついさっきまで、瞬きをするまで何百mも向こういたはずの彼女――天宮桃が、櫻庭の背後にいる。

 気配を全く感じなかった。それどころか、瞬間移動したかのような素早い動き……彼女は何者だ?何の物語を手にしている?


「君と私は、初対面のはずだが」

「ええ、そうですよ。でも、貴方と此処でお会いする事はいたので」

「……では、紋章をかけて【戦う】かね。私の女王と」


 ちらちらと雪が降る。雪の結晶が、桃の黒髪に落ちてすうっと溶けて消えた。

 櫻庭の肩に乗って白い腕を回す雪の女王と、タイトルの分からない謎の物語を持つ桃との間に一瞬の沈黙が走ったが、彼女は腕時計で時間を確認すると木陰に置いておいた荷物に【本】をしまったのだ。


「旅館のチェックインの時間なので、今日はここまでにしましょう。どうせ、またどこかで会う事になるでしょう。私、今は日本中を旅している最中なので」

「それまでに、君は生き残っているのかな」

「多分、出会えると思いますよ。此処ではない、どこかで」


 すやすやと健やかな眠りに付くラフィア、アレカの兄弟を木陰へ寝かせて、天宮桃は去って行く。【本】のタイトルも能力も分からない、関わるのは得策ではない謎の女――櫻庭もまた、彼女とは関わらずに残りの70人と少しの邪魔者を狩る。

 全ては、初恋の君のために。

 残り、77人。




***




若紫堂


 紫乃と蔵人たちが参戦した50年前の【戦い】では、残り80人を知らせる札が出現したのは5月の半ばだった。情報網も交通手段も発展途上であった当時としても早い方であったが、今代はそれに輪をかけて早い。やはり時代という事か。

 残り80人を切った事は分かったが、誰が残っているかはこの目で認識している【読み手】しか分からない。そして、どの【本】が未だに覚醒していないのかも。

 客の脚も落ち着いた。今の店内にはゆっくり店番をする紫乃しかいない。

 静寂を切り裂くタイミングで、マナーモードにされているスマートフォンが震えた。


「もしもし」

『おはようございます、奥島さん』

「日本はお昼だよ。そちらは朝かい?」

『はい。『ドン・キホーテ』の【読み手】に捕まって朝ごはん食べ損ねちゃいました。ああそうだ、本題本題。奥島さん、着信が入っていましたけどどうしました?』

「……『竹取物語』を蔵人さんに送ったのは、お前さんかい?」

『いえ、送ったのは祖父です。僕は祖父に付き添ってスイスの銀行まで一緒に行きましたけど。黒文字さんに頼まれて、昨年の内に届くように手配したはずだったんですけど、途中で荷物が行方不明になってしまって』

「だから、読人の手に届いたのか」

『ヨミヒト?』

「蔵人さんの孫だよ。それが聞きたかったんだ。マサルさんとエデルさんによろしくねぇ」

『え、それだけ?』


 うん、それだけ。確認したい事を確認し終わって、紫乃はさっさと電話を切った。

 蔵人は『竹取物語』をスイス銀行の金庫に預けていたが、それを取り出して日本に送ったのは現地の知人であったのだが……まさかその知人の孫が、【読み手】に選ばれていたとは。

 50年前のイギリスで出会った昔馴染みの孫たちのうち、読人や響平、そして彼と、3人が【読み手】となっているのは一体どういう運命の悪戯だろうか。


「……まさか、ねぇ」


 こんな偶然、筋書き、もうないはずだと願いたい。




***




???


 数時間ぶりに開いた瞼の中に飛び込んで来たのが見慣れぬ天井であった刹那、反射的に身体が跳ねた。バネ仕掛けの玩具のように、シーツを蹴り上げて半身を起こして辺りを見渡せば、枕元の椅子には細身の少年が座っていた。


「起きた?」

「っ……お前は? 此処は?!」

「起きたかい、カッサンドラ」

「っ!」


 カッサンドラが寝かされていたのはふかふかのベッドだった。真っ白なシーツに羽毛の枕、天井には温かい色をした花のデザインの小ぶりなシャンデリアが吊り下げられている。

 同じ部屋にいたのは、ほっそりとした中東系の少年。カッサンドラの額から落ちた冷たいタオルを見るに、彼女を看病してくれていたらしい。

 だが、その前に記憶を遡る。確か、自分は、男に追い詰められて……そうだ、男だ。突如、カッサンドラが育った個人を訪問し、『ドリトル先生物語』を手に逃げた彼女を追って来た男。

 その男は、部屋に入って来たのだ。とても高そうな私服姿で。


「此処はどこ?! 何で私は此処にいる! ど、どうして私を……」

「落ち着け。此処は、私の別荘の一つだ。そして、君が此処にいる理由は……君は今日から、私の部下だからだ」

「……はぁ?!」

「カッサンドラ……君の名前は、神話に登場する王女と同じだ。神の求愛と引き換えに予知の能力を得たが、自分が弄ばれて捨てられる未来を目にして神を拒絶し、呪われた。呪いの中で悲劇を辿った亡国の女王……しかし、君は違う。運命に抗うその姿勢、気に入った! 紋章はありがたくいただいたが、【戦い】はまだ長い。この私1人でも大変なのだ。そこで、私は部下が欲しい!」

「……だから、部下になれと」

「そう。紹介しよう、君の隣にいる彼はアイ。部下同士、仲良くしてくれ」


 男に紹介され、少年――アイは、そっと手を差し伸べて握手を求めたので短く握手を交わした。

 だが、部下になれと請われてそう簡単に頷いてやるとは思うな。気絶し、脱落したカッサンドラを強引に、彼女の知らない場所へと連れて来て何が部下だ。なんて強引なスカウトだ。

 彼女は帰らなければならない。孤児院の子供たちや、育ての親に麻薬カルテルの危険が迫っている。

 実行犯の鰐には申し訳ない事をした。後始末だけは自分だけでやらなければ。もう【本】の能力はない、だが死ぬまで抵抗する事はできる。


「ああ、そうだ。君の育った施設だが……子供たちやオーナーを始めとした全員を、アメリカに亡命させた」

「……え?」

「何人かは大学に通いたがっていたからね。奨学金を貸し付けるよ。無利子無期限、返済は彼らが一人前に知識を身に着けてからでいい。小さな子たちの学校も手配しておいた。休みの日に遊びに行くが良い、みんな君に会いたがっていたよ」

「ちょ、ちょっと待って」

「それと、君の友達のネズミ君と烏君、鰐君も別荘の庭にいるから会いに行ってくれ。鰐君は以前の名前がお気に召さなかったようだから、君の【本】の物語に肖ってジム君と名付けた」

「……何なの、アンタ」

「私かい? 神に憧れる人間だよ。だが、私は違う。アポロンのように、自分をフった乙女へ呪いをかけるなんてしないさ。部下には、臣下には誠心誠意十分なフォローと報酬を与えよう、私はそれができる。胸を張れ、君たちはこの私が選んだ部下なのだ。これからは、私と共に組織のために【戦い】を勝ち抜こう」


 眩しく、雄々しく。美しい男は、神話の登場人物の如き金糸の髪を揺らしてカッサンドラの手を取った。


「私の名はレザン。組織の名は……そうだな。Mythology神話とでもしておこう。『Myth』とでも、好きなように呼ぶが良い」


 ページは、時間は、人々の【戦い】は、栞を挟まれる事なく進み続ける。

 まだ、今年が始まって4か月しか経っていなかった。







To Be Continued……


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