06 純喫茶『マザー・グース』

06-①




 最近の読人の朝の日課は、家の仏壇に線香を上げて拝むことである。

 蔵人の家から持って来た黒文字家の仏壇は、物置代わりに使っていた和室を片付けてそこに設置された。読人は毎朝学校に行く前や朝食の前に手を合わせ、蔵人に【戦い】のことや夢の出来事を報告している。


「おじいちゃん、今日もまた頑張ります」


 心の中で、夢の中の登場人物が増えたことや今日も紫乃の店でバイトであることなどを報告する。そして顔を上げれば、仏壇の上に飾っていた遺影と目が合った……三枚の内の一番右側にある、読人と同い年ぐらいの少年の遺影だ。

 若い頃の蔵人によく似たその人は、母の兄であり読人の伯父。若くして亡くなった蔵人の長男・黒文字クロモジ書人カキヒトである。


「読人、ご飯ー」

「あ、はい。ねえ、母さん」

「どうしたの?」

「書人伯父さんって、俺と同じぐらいの年齢で亡くなったんだよね?」

「……そうね。伯父さんが亡くなった時、まだ17歳だったわ。今年で30年ね」


 伯父の書人は事故に遭って亡くなったと聞いているが、詳しくは知らない。読人が彼の話題を出すと、母も祖母も蔵人も酷く悲しい顔をするので、子供心に触れてはいけない話題だと感じ取ってから口に出すことはしなかった。

 17歳、まだ高校生の時に亡くなっている。もし書人が生きていたら、若い頃の蔵人のような上品な雰囲気を携えた紳士になっていただろう。それだけ、遺影の彼は蔵人に似ていたのだ。


「……そろそろ、兄さんの命日ね」


 やっぱり、朝からこの話題を口にすべきではなかった。キッチンに帰る母が廊下でポツリと、そう、呟いていたのを聞いてしまったのである。


「読人、今日は午前授業でしょ。お昼は?」

「適当に食べておく。あと、午後は6時までバイトだから」

「どうだ読人、慣れたか?」

「うん。最近は、楽しくなってきた」

「そりゃ良い。社会の勉強は、若い頃にしておいた方が良い」


 本日の朝食は、鮭の粕漬けを焼いた物に昨日の夕飯の残りのコールスローサラダ。冷凍食品のから揚げとパック詰めのタケノコの土佐煮。味噌汁の具は、豆腐とネギととろろ昆布である。

 実は、パック詰めのタケノコの土佐煮が一番美味しいと思っているのは秘密だ。

 今日の高校は午前授業。二週間後に迫った高校受験のための問題作成やらそれ関係の会議のため、在校生はとっととさっさと下校しなさいとのお達しだ。

 部活動も禁止なので、お昼ご飯は正美と一緒にファストフードかラーメンでも食べよう。その後は『若紫堂』でバイトである。

 紫乃の弟子兼古書店のバイトとなった読人の時給は、ちょっと低めの900円。まあ高校生ならこれで妥当だろう。

 特に金に困っている訳でもないし、勉強もさせてもらっているからむしろ高待遇だ。

 朝食を食べ終わって食器を水に漬けると、各々の身嗜みを整えてから黒文字家はそれぞれ出勤・登校する。読人はバスで高校へ。母は電車で勤め先である都心の大型書店へ。そして父は、自家用車で市役所へと出勤して行った。


「行って来まーす」

「「行ってらっしゃーい」」




***




 今日のお昼は、駅中のファストフードで期間限定のサンドでも食べようと思っていた。友人である正美と一緒に。

 そう考えていた読人だったが、朝から予定が狂ってしまった。昇段試験を控えていた正美たち柔道部が、市の会館を借りて部活をすることになったため読人と寄り道できなくなったのである。

 しょうがないから1人で食べて行こう。黒文字読人、1人で外食するのに特に抵抗はない男である。

 そう考えながら下駄箱に上履きをしまって靴を履き替えると、玄関に彼女――竹原夏月がいたのだ。


『た、竹原さん!? え、話しかけた方が良いのかな? ヘアピンのお礼に……でも、急に名前で話しかけたら失礼じゃ……!』

「あ、黒文字君」

「ひゃいっ!?」


 ひゃいって何だ、ひゃいって!?

 ここに正美がいたら、きっとそう突っ込んでいただろう。夏月に話しかけようかかけまいか、下駄箱の影でもだもだうじうじしていたらなんと、夏月の方から声をかけてくれたのだ。


「えーと……俺の名前」

「あ、ごめんね。図書館でカードを見た時に覚えていたの。「黒文字」って名前、珍しいから」

「そそそ、そっか。改めまして、1年C組の黒文字読人です」

「私は、1年B組の竹原夏月です」


 この時ほど、「黒文字」と言う珍しい名字であることに感謝したことはなかった。

 これってチャンスじゃないのか?夏月と話をする絶好のチャンスだ!


「ヘアピン、本当にどうもありがとう。重宝しているよ」

「どういたしまして」

「(終わっちゃった!)……そ、そうだ。竹原さん、お昼はどうするの?」

「家に帰るか、適当に買って帰ろうかな~って。本当は友達と一緒にどこかに寄って行こうかと思っていたんだけど、その友達が風邪を引いて学校を休んじゃって」

「っ、じゃ、じゃあ……一緒にお昼、行かない?」


 この時の読人は、「言えた!」と内心ガッツポーズをしていた。絶対に。


「ヘアピンのお礼に、奢るよ」

「え! 悪いよ、そんなに高い物じゃなかったし」

「なら、一緒に食べに行こうよ。俺もお昼1人なんだ」

「……お、お願いします」


 そう言って夏月が小さく頭を下げた瞬間に、読人の脳内でレベルアップを祝福するファンファーレが鳴り響いたのだった。

 行ってみたいお店があると言う夏月と一緒に、高校の最寄り駅から二駅ほど電車に乗ってやって来たのは『若紫堂』からそんなに距離がない住宅地だった。

 こんなところに飲食店はあったかと思った読人が連れられてきたのは、民家の間に立地したレンガ造りの建物……看板には、『純喫茶』の文字があった。


「純喫茶『マザー・グース』」

「ここ、入ってみたかったんだ」


 1985年創業と書かれた木目の看板がかけられた昭和雰囲気が漂う喫茶店は、大人には懐かしく高校生たちにとっては敷居の高そうな店構えであった。

 ガラス張りの全国チェーンのカフェとは違い、気軽に1人で入るには躊躇われてしまうだろう……もし、子供はお断りなんて言われてしまったらどうしようと、いらぬ杞憂もしてしまう。

 アルファベットではなく、レトロと言う言葉がしっくり来る書体のカタカナで書かれた看板の下を潜って店内へ入る。ドアを開けると、大きめのカウベルが来客を告げる音を立てた。


「いらっしゃい。お好きな席へどうぞ」

「黒文字君、窓際の席で良い?」

「うん」

「お兄ちゃんたち、デートかい? 若いって良いね~」

「こら、若い人たちをからかうんじゃないよ」


 カウンターの向こうで出迎えてくれたのは、ニット帽を被って白い口髭を蓄えた60代後半ぐらいのマスターだった。店内には3人組の婦人と、イヤホンを着けながらレポート用紙にシャーペンを動かす大学生っぽい青年と、カウンター席の端に座る老人だけだった。

 その老人は高校生の男女と言う初々しくも見える彼らに声をかけて来たが、手早くお冷とメニューを用意したマスターに窘められる。


「ごゆっくり。うちは紅茶が専門だけど、コーヒーも良い豆が揃っていますよ」

「ありがとうございます」

「凄く感じが良いお店だね」

「うん! 来て良かった」


 嬉しそうに笑う夏月を見ることができただけでも来て良かった、と読人の頭に浮かんで来た。絶対に口には出せない。

 最近流行の清潔感がある店内とは違い、濃い色の木材の壁に囲まれた空間はどこかアットホームな空気が流れていた。

 新規の飲食店を発掘するのはある意味賭けだ、それなりのリクスも伴って来る。だけど、夏月の中で『マザー・グース』の雰囲気は合格ラインに食い込んだようである。


「黒文字君は紅茶派? それともコーヒー?」

「紅茶かな。おじいちゃんが紅茶派だったから、昔から飲ませてもらってた」

「へぇ~カッコいいおじいちゃんね」

「ありがとう。竹原さんは?」

「私はコーヒー派かな。よくカフェラテとか飲むから……」


 夏月にメニューを向けて一緒に眺めていたら、彼女の視線が一点で数秒間停止したのを見逃さなかった。焼きそばやピラフ、グラタントースト等が並ぶフードメニューの中で、1ページ全部を使って載っていたそれはこの店の名物なのだろう。

 アフタヌーンティーセット(2名分)1,600円(税抜き)※ドリンクは以下の中からお選び頂けます。

 普通の飲食店では滅多にお目にかかれない、まるで英国貴族の持ち物のようなケーキスタンドにスコーンを始めとした軽食が並んでいる写真がそこには掲載されていた。2人前でこの値段でドリンクも付くなら、随分お得ではないのか?


「竹原さん、俺、このアフタヌーンティーに興味があるんだけど……どうかな? 2名分だし」

「私も気になっていたんだ。じゃあ、これにしよう。すいませーん」

「はーい。ご注文は?」

「アフタヌーンティーセットを一つ。ドリンクは、私は紅茶で」

「俺も紅茶で」

「紅茶はどちらもストレートでよろしいですか?」

「はい」

「はい、しばらくお待ち下さい」

「ごめんね、何だか付き合せたみたいになって」

「良いよ。俺もアフタヌーンティーが気になっていたし」


 これは本当の話だ。夢で、若き日の蔵人と紫乃がアフタヌーンティーを共にしている場面を見てからちょっと気になっていたのである。

 さて、注文が終わったのは良いが……ここで気付く、アフタヌーンティーが来るまでの待ち時間をどうやって過ごせば良いのかと。

 何か話題を振ろうかと思って、お冷に口を付けながら色々と思考してみたがどうも上手く動かない。異性と会話するのは苦手と言う訳でもないのに、夏月の前ではドキドキして落ち着かないのだ。


「黒文字君って、部活とかやっているの?」

「いや、俺は帰宅部だよ。委員会にも入っていなくて……あ、竹原さんは剣薙サークルだったっけ? 友達から聞いたんだ。柔道部の、松元から」

「松元君と友達だったんだ。時々重い荷物とか持ってくれて、助けてもらっているの」

『おのれ、マサ……!』


 ちょっと正美にジェラシーを感じたりもしたが、夏月との会話はそんなに滞りなく進んでくれた。

 夏月は中学校の頃は剣道部で、高校になったら薙刀にも興味を持ったから今は薙刀を振るっているとか。読人はバイトを始めたと行ってみたら、彼女は「お勤めご苦労さまです」と言いながら頭を下げて悪戯が成功したように微笑んだ。

 あ、好き――夏月と言う少女は、読人が思っていた以上に無邪気な一面がある。この短い時間でそれに気付いて、そんな言葉が溢れて来た。


「竹原さん。連絡先、交換しない? LINEでも電話番号でも良いから。あ、これ、俺の……!」

「あ!」


 珍しく強気に出たと思ったら、スマートには行かなかった。夏月に自身の連絡先を渡そうとして、メモ帳とボールペンを取り出そうとしたらリュックをひっくり返してしまい、喫茶店の床に中身をぶちまけてしまったのだ。

 ノートや筆箱が夏月の足元にも滑り込んでしまっていて、店内の視線が集まってしまっている。嗚呼、今なら羞恥で死ねる気がする。


「大丈夫ですか、お客さん?」

「ハイ……ありがとうございます」

「お待たせしました。アフタヌーンティーセットと紅茶です」


 しかも、『竹取物語』の【本】まで床にぶちまけてしまっていた。

 マスターに手渡された【本】を受け取って急いでリュックにしまうと、小振りのワゴンに乗せられたケーキスタンドと白磁のポットとカップが二つずつ、テーブルに乗せられる。

 4人掛けのテーブルの真ん中に置かれたケーキスタンドの皿には、細い手足を組んで怒った顔をした卵が描かれていた。『鏡の国のアリス』に登場するハンプティ・ダンプティである。

 店名が『マザー・グース』であることに因んでいるだろう。確か、ハンプティ・ダンプティの歌は中学校の時の英語のテキストに載っていた。


「紅茶はセイロンティーです。上から、スコーン、チョコチップとドライフルーツのカップケーキ、胡桃のカップケーキ。サンドウィッチはツナとキュウリとトマト、ベーコンと卵になっています。スコーンには、こちらのクロデットクリームとマーマレードを付けてお召し上がり下さい」

「どうもありがとうございます」

「どうぞ、ごゆっくり」


 スコーン四個、カップケーキとサンドイッチは二種類が二個ずつ。説明をしてくれたマスターの「サンドイッチ」の発音が、やたらと良かった気がする。

 それぞれに置かれたティーポットとカップは、読人の物は白磁に青で紫陽花が描かれ、夏月の物は紅桃色のバラだ。どちらも、セイロンの茶葉が十分抽出され、飲み頃になっている。


「うわ~私、ティーバッグじゃない紅茶って初めてかも」

「俺も、久し振りかも。いただきます」

「いただきます」


 自然に手を合わせた2人は、カップにセイロンティーを注いでそれぞれシュガーポッドの角砂糖を一つずつ入れる。

 スコーンは横から二つに切ってクロデットクリームとマーマレードをたっぷり乗せて齧り付くと、ほろ苦いマーマレードとのバランスが良くクリームが甘くなり過ぎない。歯応えもさっくりと温かく、文句なしに美味しかった。


「美味しい!」

「うん、美味しい」

「紅茶も美味しいし、良いお店だね。また来ようか」

「っ、た、竹原さんが良いんだったら……」

「なら、連絡先を交換しよう」

「っ」


 夏月が鞄からパステルカラーの模様が描かれたメモ用紙と緑色のボールペンを取り出すと、小振りで丁寧な字が電話番号とメールアドレス、メッセージアプリのIDを紡いで行った。今度は失敗しないようにと、読人も自分のメモ用紙を取り出して三つの連絡先を書き、2人同時に相手へ差し出した。


「はい。SNSはやっていないから」

「俺も、やっていない。これどうぞ」

「ありがとう」

「今から登録するね」


 後から登録しても良かったが、一刻も早く彼女の連絡先を自分のスマートフォンの中に入れたかったのだ。焦るように滑る指で何とかフリップ入力をすると、電話帳の中に新しく『竹原夏月』のページが作成され、友達が増えた。

 無ことに連絡先を交換し、色々と話をしながらお茶を楽しんでいると鞄にしまっていた夏月にスマートフォンがメッセージを受信する。読人に一声かけてからメッセージを目にすると、どうやら風邪を引いて学校を休んでいた友人かららしい。

 電話をしてくると席を外す夏月を見送ると、一気に頬の筋肉が緩くなり彼女に見せられない顔になってしまう。両手で覆うと、顔は熱を持ち始めていた。

 それだけ夏月と話ができたことが嬉しかったのだ。しかも一緒にお茶をして、連絡先まで交換して、次にまたこの店を訪れる約束までしてしまったのだから。


「やべ……にやける」

「お兄ちゃん、良い子じゃないか」

「ひぃ?!」

「あれだね、ティーのセットが来ても写真を撮らないのが良いね~カッちゃんもそう思うだろ」

「だから、若い人をからかうんじゃないよ。すいませんね、この人常連なんだけどどうもお節介なところがあって」

「い、いえ……あれ?」


 コトン、と。常連客に「カッちゃん」と呼ばれたマスターが置いた一枚の皿には、揚げ物が乗っていた。

 櫛形のフライドポテトと一口サイズのきつね色のフライ。これってもしかして、フィッシュアンドチップスではないだろうか?

 夢で散々登場した。マスターが塩とビネガーの瓶も一緒に置いたので間違いないだろう。しかし、注文していない。


「あの、注文していませんけど」

「サービスです」

「サービス?」

「頑張れ」

「っ、はい」


 彼が読人の何に対して「頑張れ」とエールを送ったかは解らない。だけど、不意打ちに与えられたその言葉にカっと顔が赤くなる。

 よし、頑張ろう……何を、ではなく、何でも頑張ろう。


「お待たせ。あれ、これは?」

「サービスのフィッシュアンドチップスだって」

「サービス? どうもありがとうございます」

「お構いなく。塩とビネガーを振って召し上がって下さい」


 小振りで食べやすい白身魚のフライは、衣にもしっかり味が付いていて日本人の口に合わせた味付けになっていた。ケーキスタンドも皿も空にして、夏月が食べ切れなかったカップケーキはビニール袋に入れて持ち帰ることにする。

 それから、温い紅茶をゆっくり飲みつつ風邪を引いていた友達は大丈夫かとか、期末テストはどうなるのだろうかと高校生らしい話をしていたらあっと言う間に時間が来てしまう。『若紫堂』のバイトは2時からだ。


「ごめんね、駅まで送れなくて」

「良いよ、黒文字君のバイト先まで遠回りになっちゃうんでしょ。バイトに遅れちゃ駄目だよ」

「そうだね。じゃあ、また学校で」

「うん、今日は楽しかったよ」

「俺も……また、また連絡するから!」


『マザー・グース』の前で夏月と別れ、ちょっと大きめの声でそう告げた読人はあっと言う間に走り去ってしまう。

 夏月には見られてなかっただろうか?ヘアピンで前髪を上げたことにより、はっきり見えてしまうこの真っ赤な顔を。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ハンプティ・ダンプティが塀に座った

ハンプティ・ダンプティが落っこちた

80人の男にさらに80人が加わっても

ハンプティ・ダンプティを元いたところに戻せなかった

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