③巫女装束と学ラン

 いよいよ授業開始となる日。


 たすくは、長年で染みついた優等生的性分もあって遅刻など絶対にありえない。朝早くに登校するのが常だった。


 始業までは相当に余裕のある時間。一番乗りのつもりで教室の扉を開けた翼は、そこで一瞬フリーズしてしまう。


 まさか、先客が居るとは思わなかった。


 それもあるが。


 巫女がいたのだ。

 コスプレではなく、本物の巫女が。

 教室の一番奥の窓側最前列の席に。


「おはよう、来栖辺くるすべ君」

「ああ、おはよう、倉主くらぬしさん。早いね」


 何食わぬ顔で挨拶してくる巫女に、そちらへ向かいながら挨拶を返す翼。


「どうにも朝方の性分での。どうせ早起きしておるなら、早めに登校してのんびりしようというのが、昔からの習慣なのじゃ」


 朝早い登校については、比較的順当な理由であろう。

 だが、それ以前の問題として。


「巫女装束は、ハレの日用じゃなかったのか?」


 流石に、通常の授業でも着てくるとは予想していなかった。


「巫女であるわれにとっては、これが普段着じゃ。ハレの日というか舞を奉納したりするときには千早を羽織るがの。ほれ、今は千早を羽織っておらんじゃろ?」


 言われてみれば、今日は白衣と緋袴だけであることに気付く。

 そこで、あの入学式での真萌の思わせぶりな回答の理由に思い至った。


 あの時点で普段も巫女装束で来るつもりだったから、誤解した翼を驚かせようとはぐらかしたのだろう。それは、探偵がワトソン役に真相を出し惜しみする構図に似ている。


 まんまとその思惑にまった形なのだが、翼にはそれが妙に心地良かった。


「この高校のよいところは、私服登校が認められておることじゃ。巫女が私服として巫女装束を着て登校したとて、なんの問題もあるまい」

「道理ではあるが……」


 とは言え、巫女装束で授業を受けるという意外性に翼の実感が追いついてこない。頭では理解していても、曖昧な同意になってしまった。


「それに、主も大概じゃろう? 入学式では制服の入手が間に合っていなかったり中学時代の制服の着納めだったりという理由は考えつくが、授業が始まる今日になっても学ランと言うことは、あえてそれを私服として選んだ、ということに他なるまい。巫女装束も職業的な制服とも言えるのじゃから、制服を敢えて私服扱いで選んだ点は、似たようなものであろう」


 言われてハッとする。そこそこ暴論な気もしないでもないが、筋は通っている。


「その通りだが、巫女装束と一緒にされると……面映おもはゆいものがあるな」

「面映ゆいとな? てっきり心外とでも言われるかと思ったのじゃがな」


 心底意外そうに真萌まほ。自分の格好が普通でない自覚はあるようだった。

 だがだからこそ、翼は否定する。


「心外だなんてとんでもない。俺は、昔から生真面目な優等生気質だったから、それに合わせた格好を選んだだけだ。そんな学ランを倉主さんの巫女装束という特殊性の高い服装と同列に扱ってもらえるなんて、心外どころか光栄と言ってもいい」


 それが正直な感想だった。

 変わりたいけれど変われない。面白みのない自分の個性に分相応と選んだのが、この学ランなのだから。


「いやはや、確かに生真面目ではあるな」


 翼を値踏みするかのように目をすがめながら真萌は言う。どうにも目力があるが、これまで分け隔てなく様々なタイプの人間と接してきた翼にとってはどうということはない。気負うこともなくその視線を受け止める。


 真萌の方は、翼の反応を少し意外そうにしながらも、視線は逸らさない。


 しばし、見つめ合い。


 真萌が一つ頷いて視線を切る。


「ふむ、正直、人づき合いは苦手なのじゃが、不思議と主とは接しやすそうじゃ」

「ますます光栄だな。俺も、倉主さんのような面白い子にそう言って貰えると嬉しいよ」


 リップサービス的な言葉が自然と口から出たが、言ってから『面白い子』は失言ではないか? と不安になる。


「面白い子、か」


 噛み締めるように、真萌。


「そんな風に言われるのも悪くはない。そうじゃな、よ、よければ……」


 真萌が何かを言いかけたところで、パラパラと教室に人が増えていく。

 途端、真萌は口をつぐんでしまった。


「ん? 何か言いかけなかったか」

「いや、いい」


 それだけを言うと翼から視線を切り、俯いてしまう。


 翼は黙ってしまった真萌の傍を離れると、教室の入り口付近へと向かう。

 そこで、登校してくるクラスメート一人一人に挨拶をしていく。


近沢ちかざわさん、おはよう」「佐藤君、おはよう」「高橋君、おはよう」「鈴木さん、おはよう」


 一人一人、名前を呼びながらである。入学式で顔と名前を一致させておいた成果を早速発揮していた。


 そうこうしていると、


「お、翼、おはよう」

「岬、おはよう」


 入学式でそれなりに打ち解けた岬がやってきた。

 今日はラフなブルーの開襟シャツにジーンズだ。


「すげぇな、もしかして、全員の顔と名前覚えてんの?」


 引き続き、翼が現れるクラスメート一人一人に挨拶をするのを見て、岬が楽しそうに訪ねてくる。


「その通りだ。顔と名前を一致させるのはコミュニケーションを円滑に進める上での最良の潤滑油になるからな」


 律儀に理由を回答する。


「そうかそうか。やっぱり、見た目通りの優等生って雰囲気だなぁ」

「まぁ、自分のそういう気質に合わせた格好でもあるからな。否定はしないよ」


 変わろうとは思うが、そうすぐには変われない。

 だから、変えてくれるホームズを求めるのだ。


 そうこうする内に時は過ぎ、始業時間となる。


 最初なので皆適当に空いている席に座っていった結果、最後まで挨拶していた翼は教卓前最前列に陣取ることになった。そこは、真萌の席から二つ席を挟んだ位置であった。


 そのまま今の自由に座った席順を当面の席順とすることになったので、しばらくはこの席が教室での定位置となる。


 最初の時間はロングホームルーム。

 学生生活についての諸注意やらが終わり、クラス委員の選出となった。


 その旨を若い眼鏡の担任女教師がクラスに伝えるや否や、


「来栖辺君がいいと思います!」


 と推薦され、翼は圧倒的支持を得て委員長に選出されてしまった。

 朝の一人一人への挨拶が聞いているようだ。


 それ以前に、多様な服装の男女の中、詰め襟をピッチリ着て髪も七三分けに綺麗にセットして銀縁のオーソドックスなデザインの眼鏡という翼の出で立ち。それが、委員長や生徒会長の記号のような衣装であることが一番の理由だった。


 順当な結果だと、翼は委員長就任をすんなりと受け入れた。


「それで、あたしは副委員長に立候補します!」


 続いて、立候補の声が上がる。どうやら、真っ先に翼を推薦した女子生徒のようだ。


「本当は一番目立てそうな委員長が良かったんだけど、うん、来栖辺君には勝てる気しないし、無理やり委員長になって『やっぱり来栖辺君の方がよかった!』とか比べられるのも嫌だし。だから、副委員長というポジションが最適解という算段よ!」


 あっけらかんと己の打算をぶっちゃける。


 肩口までの軽くウェーブの掛かった髪。茶色いのは染めているのか地毛なのかは解らないが、垢抜けた印象だ。

 学校指定のブレザーに包まれたのは均整の取れたスタイル。

 整った顔立ちには自信が満ちている。


「という訳で、この近沢ちかざわ透子とおこ、副委員長に立候補させてもらうけど、いいかな?」


 あからさまに打算的なのだが、そこを露わにして好感を得たのか誰も止めはしなかった。担任は、既に翼に一任ということか、翼の方を見て親指を立てている。ノリがいい担任だった。


「では、近沢さんにお願いしよう」


 翼も、別に断る理由もないので応じる。


「じゃ、よろしくね!」


 ずかずかと翼の隣に並び、無遠慮にその手を取ってぶんぶん振り回してくる。


「こちらこそ……では、他の委員の選出を行おう」


 さらっと流して手を丁寧に離すと、場を仕切り始める翼。こういうときは、さっさと話を進めるに限る。


 一方で透子は流されたことになにやら思うところはありそうだが、翼の手際には感心したように一つ頷いて、


「うん、それじゃ、先ずは図書委員から行ってみよう!」


 と翼に続いたのだった。


 委員長として忙しく過ごしているうちに一日はあっという間に過ぎた。翼は、真萌と話す機会に恵まれないまま放課後を迎える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る