④鳥居をくぐった先の異界には、非日常がいた

「おお、ここは特にいいな」


 石造りの鳥居の前で、たすくは思わず呟く。


 引っ越してきてから知ったことだが、嵩都たかつ高校付近にはやたらと神社仏閣の類があった。


 初日から優等生然とした立場を築いた翼は、教師陣の覚えもめでたく色々と雑用を任され忙しく過ごすこととなった。それらを片付けて帰りが遅くなったけれども、翼の脚は神社へと向いていた。


 せっかく、これだけの神社があるのだ。巡らない手はない。そう思う程度に翼は神社が好きだった。


 学校の近隣から少しずつ脚を伸ばして幾つもの神社を巡り、最後にその神社に行き着いた。学校から真っ直ぐ歩けば30分程度の位置だろうか。


 入り口には『嵩都稲荷神社』とある。


 鳥居をくぐる。

 街中にぽっかり開いた空間は、鎮守の森に囲まれた神域。静謐な空気が満ちていた。


 入って正面には住居も兼ねていると思しき社務所がある。右手は行き止まり。

 本殿は入って左側だった。


 翼は、左へ折れて本殿を正面に見る。

 そこまで大きくはないが、朱塗りの柱も鮮やかな立派な造りの本殿だった。


 本殿へは玉砂利が敷き詰められた参道が真っ直ぐ続いている。

 途中、参道の左手に手水場ちょうずばがあった。


 本殿の手前には参道両脇に二メートルほどの大きな石灯籠がある。

 本殿右手には、小さな社が幾つか。本社とは別に色々な神を祭っているようだ。


 綺麗な長方形をした敷地に、整然とした建物の配置。

 神域に相応ふさわしい、すっきりとした雰囲気を持つ神社だった。


 他に人はおらず、鎮守の森を吹き抜ける春風がもたらす葉擦はずれの音がよく聞こえる。

 夕暮れの中、参道を本殿へと歩むと、玉砂利を踏みしめる足音がそこに加わった。


 作法通り、手水場で手と口を清め、本殿へ。

 本殿前、二段ほど高くなったところに賽銭箱の置かれた拝殿が設けられている。


 翼は拝殿へ上がるとお賽銭を入れ、鈴緒すずおをしっかりと揺らして坪鈴つぼすずを長く大きく鳴らす。


 神に訪れを告げたところで二礼し、二拍手。


「俺のホームズに出会えますように」


 合掌し、祈願する。


 祈りながら頭に浮かんだのは、真萌の姿だった。

 ここが神社というのもあるだろうが、巫女装束を私服とするクラスメート。

 時代がかった口調が特徴的だった。桜色の丸眼鏡とその奥の力を感じさせる瞳も印象に残る。


 何より、入学式で交わした会話。

 奇しくも登場した『ホームズ』という単語。


 そこに運命的なものを感じなかったと言えば、嘘になる。


 彼女と、もっと話してみたい。


 今日は結局、朝しか真萌と話す機会はなかった。

 だから、明日の朝、また話かけてみよう。


 そんなことを考えつつ神へ祈念してから、翼は両手を下ろす。

 最後に丁寧に一礼して参拝を終えた。


 拝殿から去ろうと振り向く。


「え?」


 いつの間にか拝殿のすぐ下に巫女が立っていた。


 神社に巫女が居ること自体は、特に不思議はない。


 が、その巫女が、今、正に頭に浮かべた巫女だとするとどうだろう?


「これは、びっくりじゃ」


 真萌は、丸レンズ越しの瞳を大きく見開いて白目がちにしながらこちらを見上げていた。


「いや、びっくりしたのは、こっちもだ……」


 高いところから見下ろすような格好だったので、翼は拝殿から降りて真萌の隣に並ぶ。


 真萌はかなり身長が低く、翼は平均やや高め。並んだところで身長差があり見下ろすのは変わらないが、それでも段に乗っているよりはずっと近い。


「家が神社だと言ってたけど、もしかして、ここが倉主さんの家なのか?」

「お、おぉ、そうじゃ。いかにも嵩都稲荷神社こそがわれの家じゃ」


 驚きの表情を収め、翼の問いに同意する真萌。


「丁度本殿の裏から掃除に出てきたところで、こんな時間に珍しく参拝客がおるのが見えての。ちょっと気になって来てみたのじゃ」


 どうやら、参拝し始めた頃からそこにいたらしい。鈴をしっかり鳴らしていたので、やってくる足音に気づかなかったのだろう。


「学ランでもしやと思ったのじゃが、振り向いたら案の定見知った顔じゃったので驚いた、というわけじゃ」


 これは、益々運命的なものを感じる。


 願うや否や、会えたのだ。

 やはり、彼女こそが己のホームズではないのか?


 家の神棚にも毎朝祈る程度には信心深いところのある翼である。

 どうしても、そんな期待を抱いてしまう。


「ところで、『俺のホームズ』とは、なんじゃ?」

「な、え? ど、どうして、それを!?」


 真萌の不意打ちの問いに取り乱す翼。


「いや、さっき、祈っておるのが聞こえたからの。『俺のホームズに会えますように』と。しっかりと声に出ておったぞ」

「あ……」


 周囲に人がいないと思い込んでいたものだから、迂闊にも祈願の内容を口にしていたらしい。


 ホームズとワトソンに準えた諧謔かいぎゃくをこめた願望が知られ、気恥ずかしいものがあった。


 こうなれば全て話してしまうべきか? それとも誤魔化すべきか?


 焦りと迷いで視線をあちこちに向けつつ「えっと……」だの「その……」だの要領を得ない言葉が出るばかり。


「……まぁ、無理に話さなくても構わんがの。祈りは神にさえ届けばよいのじゃから」


 翼が言いづらそうにしていることをおもんぱかってであろう真萌の言葉。


 甘えてしまおうかと思った。


 けれど、こうして自分を気遣ってくれた真萌に対して誤魔化すような真似はしたくない、と生真面目に思い直す。


 翼は、腹は決める。


「……いや、聞いて欲しい」


 一呼吸置いて、真萌へと視線を定めると、ワトソン役に憧れる己の内面を披瀝ひれきする。真萌は、翼を見上げるようにしてきちんと視線を受け止めて聞いてくれた。


「ふむ、中々に興味深いのぉ」


 全てを聞き終えた真萌は、そんな感想を漏らす。


「となると、われをかの名探偵『ホームズ』というか主の定義であれば『非日常へ誘ってくれるヒーロー的な存在』と思うたということか?」

「あ、あぁ、そうなるな」


 改めて客観的に言われると照れ臭い。ホームズを『ヒーロー』と表現されたのは的を射ているが、子供っぽいとも言われているようで気恥ずかしい。


「ふむ……なんとも複雑な心境じゃのぉ」


 言って、真萌は翼を見上げていた視線を落とす。


「われも、中学の頃の自分と決別して変わりたいと思っておる身じゃ。じゃから、人を変える前に己のことで手一杯じゃ。ゆえに、無責任にホームズを、誰かを変えるヒーローを自認するなど烏滸おこがましいと思うのじゃ」


 やんわりした拒絶に落胆を覚えないでもない。


 一方では出会って間もないクラスメートに己の憧れを押しつけること自体が無茶なので、仕方ないとも思う。


 気持ちを切り替えようとしたのだが、


「じゃが、の」


 話は終わっていなかった。


 真萌は、今度は上目遣いに翼を見上げ、


「友達になら、なれそうじゃの」


 はにかむように、口にした。


 翼にとって、これまでの真萌は超然とした印象だった。

 巫女という神域に近い存在に向ける、畏敬のようなものさえ感じていた。


 だからこそ、その時代がかった口調にも翼はそれほど違和感を感じず、むしろ似合っていると思っていた。


 だが今、これまでは畏敬に繋がる泰然たいぜんとした力強さを感じさせていた瞳が、桜色の丸いフレームに飾られて柔らかく笑みの形を描いている。


 翼は、これまでとの表情のギャップにドキリとさせられる。


 真萌は、おずおずと白衣の袖からちょこんと出した右手を、翼へ伸ばす。


「……そうだな。ホームズとワトソンも、探偵と助手である以前に、友人だったしな」


 伸ばされた手を、優しく取って翼は応じる。是非もない。


「では、宜しく頼むぞ、来栖辺君」

「こちらこそ、宜しくお願いするよ、倉主さん」


 ちょっと変わったクラスメートと、ふとした切っ掛けで友達になる。


 これは、ありふれた日常の物語。

 どこにでもある青春ストーリー。

 自分を変えてくれるような非日常は、どこにもない。


 それでも。


 これまで、誰とでも分け隔てなく平等に接してきた翼が。

 真萌との関係を特段大切にしていきたい、と強く思った。

 それは、今までになかったことだ。


「青春、してますね」


 未だ握手を交わした状態の二人に、唐突に声がかけられた。


「だ、誰じゃ!?」


 真萌が慌てて手を離し、誰何すいかの声を上げる。


 いつのまにそこに現れたのだろうか?


 見れば、夕陽に溶け込むような朱色のパンツスーツに身を包んだ女が立っていた。


 深紅のハイヒールを履いているのもあるが、背は女性にしては高い方だろう。

 女性的な、柔らかな凹凸のあるスタイルをしている。

 目元には、真っ赤なフレームのアンダーリム眼鏡。

 切れ長の瞳は、知的な印象。

 サラサラの髪が綺麗に肩口で切り揃えられている。


 月並みに表現すれば、有能な社長秘書といった風情の姿。


「確かにがれ時ではありますが、だからと言って己の住まう神社の祭神に誰何の声とは、いただけませんね」


 淡々とした口調で、神を名乗る女。


 翼は状況についていけず、ただ呆然とその姿を見るのみ。


「祭神、じゃと? ふざけたことを言うでない! この神域でみだりに神を名乗るなど、不遜にもほどがあろう!」


 真萌は一喝し、視線を厳しくして女をめつける。


「おお、怖い。文字通り『神をも怖れぬ』視線ですね」


 堂に入った迫力さえある一喝を全く意に介さず、女はひょうげた態度で肩を竦めるのみ。


「ですが、ふざけてはおりませんし不遜でもなんでもありません。むしろ、不遜なのは貴女の方ですよ?」


 続けて女がそう言うなり、本殿周囲の空気が変わった。


 夕焼けの朱が、更に濃い朱に塗りつぶされる。

 視界が朱に染まり、何も見えなくなる。


 次に開けた視界は、それまでとは全く違うもの。

 長方形の神社の敷地の一部を正方形に切り取ったような、およそ五十メートル四方の空間。

 建物は消え去り、玉砂利の地面だけがそのままだ。


 四方と天頂が朱の光の壁に区切られている。

 翼と真萌は、区切られた地面の真ん中に、並んで立っていた。


 神を名乗る女は、その正面、少し離れた位置に立っている。


「な、なんだ、何が起きた?」


 周囲を見回して焦る翼と。


「貴様、何をしたっ!」


 毅然と問い詰める真萌。


「少しばかり力を使って、ゆっくりと話せる空間を演出させていただいたまでですよ」


 飄々とした態度を崩さず、涼しい顔で答える女。


「これで、お解りいただけたでしょうか? 少なくともわたくしが、超常的な……いえ、そうですね。ここでは、こちらの表現の方が適切でしょう」


 意味ありげに翼へ視線を向けると。


「『非日常』的な力を持つ存在だということが」


 そう、言い直した。

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