第20話
『逃げなきゃ』
王子君の顔を見た瞬間、そう思いました。
「ごめんなさい!」
理由は分かりませんが、何かに怒っているのは確かです。
しかも私が関わっているのでしょう。
呼び止められたのですから。
それにこんな張り切った格好をしているところを、いつまでも見られるのも恥ずかしいです。
どうして私だと気が付いたのでしょう!?
王子君に背を向け、お店の中に駆け込うとしたのですが……扉に手が届きません。
体が動きません。
動けない原因は分かっています。
後ろから手首を掴まれているからです。
「ごめん」
拘束されている手首に目を向けると、犯人は……王子君はすぐに手を放してくれました。
顔に視線を移すと……思い切り目を逸らされました。
……ええ?
引き留めたけど、見たくは無い?
「掴んで悪い。でも、聞きたいことがあったから」
目は道路に向けられたままです。
話はしたくないけど、聞きたいことがあるから仕方が無いという状態なのでしょうか。
私のことを掴んでいた手が気になるのか、開いたままで不自然に固まっています。
触るのが嫌だったのかな。
「……なんでしょうか」
折角楽しかったのに、悲しくなってきました。
挨拶をしてくれるようにはなりましたが、まだ私のことは嫌いなのでしょうか。
『普通』だと言ってくれたのは、勘違いだったのでしょうか。
早く話を済ませて、家に帰りたいです。
「今日は……大翔と出掛けていたのでしょうか」
やけに神妙な声色で聞かれました。
これが聞きたかったこと?
やっぱり、幼馴染みの草加君と私が仲良くするのは嫌なのでしょうか。
『出掛けていません』と嘘を言いたくなりましたが、さっき草加君を見送っていたところを見られています。
正直に答えるしかありません。
「……はい」
「二人で?」
「始めは違ったけれど、他の人達が別の所に行ったので、結果的に二人になりました」
だから不可抗力なんです、私の意思ではないんです、許してください!
ちらりと王子君の顔をのぞき見ると表情は変わりませんが、何処か納得しているような雰囲気がありました。
良かった……もう逃げてもいいですか?
そもそも、どうしてこんなところに王子君がいるのでしょう。
「あの……どうしてここに?」
「パンを買いに」
そういえば、パンは『美味しかった』と言ってくれていました。
『また行く』と言っていたのは、嘘じゃなかったようです。
「ありがとうございます。どうぞ、お入りください」
私は店の扉に手を向け、ベテランのツアーガイドのように滑らかな動きで王子君を誘導しました。
さあさあ、入り口はこちらです。
そして、私は逃げます。
走って逃げると王子君を刺激してしまいそうなので、自然な動きでマンションの方に足を進めました。
「少し、お時間宜しいでしょうか」
「はい?」
横を通り過ぎようとしたところで、何故か姿勢を正してビシッと『気をつけ!』状態な王子君に堅苦しい感じで引き留められました。
空気がピリッとしています。
……何か言われるのでしょうか。
私に対する正式な抗議、とか?
冷たくされている原因は知りたいですが、いざ面と向かって言われるとなると……怖いです。
『宜しくないです!』と言いたいけれど、言えない空気もあります。
「パンを一緒に選んでは貰えないでしょうか」
「はい?」
パン?
身構えて過ぎて機能停止寸前だった頭では、一瞬理解出来ませんでした。
「姉に『美味しそうなの買ってきて』って頼まれてるんだけど、どれがいいかなって」
「ああ……はい。分かりました」
脱力しました……驚かさないでください。
早く帰りたい気持ちはありましたが、それくらいなら。
そして、お姉さんがいらっしゃるのですね。
きっと美しい人なのでしょう。
「ありがとう」
「!」
お姉さんの姿を想像していた私に向けて、王子君が笑いました。
笑いました。
笑いましたよ!
王子君が笑った!!
本当に嬉しそうな……優しい笑顔でした。
こんな表情を向けられたのは初めてです!
「……」
私は固まりました。
王子君の笑顔が視界の中に入ったことはありましたが、こんなに正面から見たことはありませんでした。
いえ……正面じゃなくても、こういう心からの笑みは見かけたことがなかった気がします。
今、とても驚いています。
私に笑顔を見せてくれたこと、そして……王子君の笑顔の破壊力に。
こんなにキラキラしてるの!?
椿さんや周りの女の子達のハートが奪われている現状に納得です。
『心を鷲づかみ』どころか、粉砕されそうです!
王子君に対して苦手意識のある私でも胸がドキドキしています。
まともに目を見ることが出来ません!
「どうかした?」
「なんでもありませんっ」
顔が赤くなったかもしれません。
慌てて俯き、隠しました。
ああ、吃驚した……。
※※※
「いらっしゃいませ。あら、おかえり」
店で出迎えてくれたのは母でした。
お客さんは今すれ違って出て行ったところで、店内には誰もいません。
人がいないので、気を抜いた状態の母がカウンターから出てきました。
「お洒落して出て行ったと思ったら、デートだったの? こんな格好良い彼氏連れてきて」
「お母さん!?」
嬉しそうな母が大声で放った言葉を聞いて、全身の毛穴が開きそうになりました、やめて!
王子君に向かって何を言うの!
冗談でも言って良いことと悪いことがあるのです!
「ただのクラスメイトだって! お店の前で、偶然会ったの! あの、ごめんなさい!」
母に抗議した後、全力で謝りました。
王子君は嫌な気分になっているはずです、本当にごめんなさい!
「ただの……」
案の定、王子君は暗い顔をしていました。
ああもう、お母さんの馬鹿!
「分かってるわよ。あんたには、彼氏をつくる度胸なんてないでしょ」
「もう……」
分かっているなら言わないで……。
今のやりとりだけで寿命が減った気がします。
早くパンを選んでしまいましょう。
私の命が尽きる前に。
トレーとトングを取ろうとしていると、私の後方にいた王子君が母の前までやってきました。
「藤王司といいます。宜しくお願いします。ここのパン、凄く美味いです」
王子君は綺麗なお辞儀をしながら、母にとても丁寧な挨拶をしてくれました。
丁寧すぎて、私が恐縮してしまいます!
「あら、ご丁寧に。ありがとうね。ついでにうちのチビ娘も買っていかない?」
「え」
「お母さんってば!」
丁寧な王子君とは対照的に、右足に体重をかけて体勢を崩している母が、軽く笑いながら吐き出した言葉に怒りを覚えました。
態度も悪いし、そういうことを言わないで欲しい。
驚いた様子の王子君に土下座したくなりました。
「いくらですか」
!?
床に手をつく心構えが出来ていた私の耳に、幻聴かもしれない声が聞こえてきました。
王子君が、母の冗談に付き合ってくれている?
『出世払いは出来ますか』なんて声も聞こえてきたけど、これ……幻聴ですよね?
「あら、男前な上に面白いのね。あなただったらタダでいいわよ」
「マジですか……」
母のお喋りに合わせてくれているのだと思います。
心苦しい……冷や汗が流れてきました。
王子君に気を使わせているこの状況に耐えられません!
「もう、厨房に入ってて!!」
お客さんはいないし、王子君の会計なら私が出来ます。
爆弾のような母を厨房に押し込めました。
これ以上母がいたら、私の胃がストレスで溶けてなくなってしまいます。
「あの……お姉さんはどういうのが好きですか?」
王子君は戸惑っている様子でしたが、強引に話を進めました。
「甘い物かな」
「ああ、それで前回来てくれた時に、スイートポテトとかあんドーナツを買ってくださったんですね」
「うん。美味かったって。それで『おかわり』って」
「お姉さんと仲が良いんですね」
「『普通』かな」
何故か普通と言う時に力が入っていました。
どこか誇らしげですが……。
お姉さんと仲が良いと言われたことが嬉しかったのでしょうか。
トングとトレーは私が持ち、以前買って頂いた物とは違う甘い物をいくつか王子君にお勧めしました。
チョコレート系以外の甘い物が良いということだったので、カスタードやフルーツを使ったものをピックアップしました。
その中から王子君は、フルーツタルトや林檎のガレットにシュガーラスクといったデザートに近い物を選びました。
あと、自分用にと以前食べて美味しかったというスイートポテトを買ってくれました。
私はカウンターに入り、会計をしました。
その動きを王子君が眺めています。
始めて来てくれた時は罰ゲームのような辛い時間でしたが、今はそうでもありません。
さっきの『笑顔』を見たからでしょうか。
「お持ち帰りでいいんですよね?」
緊張が緩和されたことで、聞けなかった質問が自然に出ました。
食べていくことはないと思いますが……。
「自分の分は食べていっていいですか」
「あ、はい……どうぞ」
え……食べるんだ?
中々帰らないのですね。
食べている王子君を放っておいて帰るのは悪いか、でも私なんかいない方がいいかと迷っていると……。
「少し、話に付き合って頂けないでしょうか」
「ええ?」
……いた方が良いようです。
今日は精神的過労で倒れてしまうかもしれません。
「ん?」
ふと視線を感じて厨房の方に目を向けると、父と母がなにやらコソコソと話をしながらこちらを見ていました。
父はいつも通りの表情の無い冷めた感じでしたが、母は私を見て面白がっているような癇に障る笑顔でした。
「あの、良かったら……近くに公園があるので、そこで食べませんか? ベンチがあるので……。お店は狭いですし」
このまま両親に見られながら王子君と話すのは苦痛です。
私の都合でお願いするのは申し訳なかったのですが、思い切って場所を変えないかお願いしてみました。
「行く!」
面倒だと言われるかもしれないと思っていたのですが、元気な声で快諾してくれました。
「すぐ行こう」
「あ、はい」
了承してくれたことは嬉しいのですが……どうしてそんなに元気なのでしょう。
既に扉を開け、私が出るのを待ってくれている王子君の元へと急ぎました。
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