第26話

「藤川さん、おはよう」

「よ! おはよ」


 朝の通学路。

 澄んだ空気、気持ちの良い晴れ空の下で私は凍りつきました。

 おかしいな……お日様の日差しは柔らかくて暖かいはずなのになあ。


 まだ早い時間だというのに、王子君と草加君が二人揃って姿を現しました。

 足を止め、まるで私を待ち構えていたようです。

 立ちはだかる二人のイケメン……眩しい……こんなところにも太陽が!

 直視することが出来ません。


「お、おはようございます」


 これは一体、何なのでしょう。

 恐怖しかありません。

 怖い、凍えてしまう!


 『それでは……』と通り過ぎようとしたのですが、二人は私を挟んで一緒に歩き始めました。

 何で!?


 私は落ち着きません。

 キョロキョロと両サイドの様子を伺ってしまいます。

 恐らく、不審者だと思われるでしょう。

 そう分かっていても平静を保てないほど困惑しています。

 これ、何の処刑ですか?

 またもや私は、知らぬ間に許されぬ大罪を犯してしまったのでしょうか!


「わっ」


 注意力散漫な状態で歩いていると、地面の小さな窪みに躓いてしまいました。

 転ぶほどではありませんでしたが、私の声に反応した左側にいる草加君が腕を掴んでくれました。


「ぼうっとすんなよ。一花」

「う、うん。ありがとう」


 お礼を言いつつ、顔を覆いたくなりました。


 わあ……やっぱり照れてしまいます。

 『一花』と名前で呼ばれるのは。


 昨日、夜に草加君から電話がありました。

 ショウちゃんのことや昨日のカラオケのことを話したのですが、その時にウーロンという呼び方を変える話になりました。

 草加君は他の人のことも名前で呼んでいるので、呼び捨てにすることは自然なことかもしれませんが、私は翔ちゃん以外に名前で呼ばれたことなどないので気恥ずかしくなってしまいます。


「?」


 右側からただならぬ負のオーラを感じて目を向けると、王子君が険しい顔をしていました。

 そして視線は草加君に向けられています。

 え? 何? 喧嘩でもしているのでしょうか!?

 草加君は涼しい顔をしていますが、私を挟んで揉めるのはやめてください!


 王子君を見ていると目が合いましたが、すぐに逸らされてしまいました。

 ……はあ。


 王子君のことも気になります。

 昨日の『逆』とはなんだったのでしょう。

 話をしたかったと言ってくれたので、嫌われてはいなかったのかなと思い始めていますが……。


 今度は草加君に目を向けました。

 草加君も私の視線に気づき、目が合いました。


「何?」

「ううん、何でもないの。草加君達はどうして立ち止まっていたの?」

「たまに途中で一花と会うことがあっただろ? だからいるかもしれないなーって見てみたら、後ろにいたから待っていたんだよ」


 そっか、有り難いけど……心臓と胃に悪いのでわざわざ待って頂かなくても良かったです……。


「って、違うだろ」

「え? あー……」


 一瞬何を言われたのか分かりませんでしたが、すぐに思い出しました。

 思い出せたけど……言わなきゃ駄目?

 顔を見ると、ニヤリと笑いながら待っている様子です。


「ひろ……君」

「そうそう」


 これも電話で話したのですが、苗字で呼ばれるのは堅苦しいから変えろと言われました。

 『下の名前を呼び捨てで』ということでしたが……無理です。

 翔ちゃんだって呼び捨てには出来ません。

 翔ちゃんと同じように『ヒロ』と呼べば ?と言われたのですが、それも壁が高くて……。

 結局『ひろ君』で許して貰いました。

 それでも恥ずかしい……私のような者が男子をあだ名で呼ぶなんていいのでしょうか!


「!?」


 再び右側の恐ろしい気配が急激に増しました。

 目を向けるのも怖いです。

 恐る恐る横目で見てみましたが……うわああああ!

 怖いです!

 王子君が怖いです!

 何があったのですか!?

 離れたい!


「一花が怯えてるぞ?」

「え?」


 王子君が私を見ました。

 ひろ君、余計なことを……私に注目しないで!


「ごめん。違うんだ。これは大翔の馬鹿が喧嘩を売ってくるから!」

「悔しかったらお前も言えばいいだろ? ま、無理だろうけどさ」

「はあ? 余裕だっつーの!」

「そ? じゃあ、どうぞ」


 二人のやりとりが、私の頭上を行き来しています。

 二人とも背が高いなあ。

 私、保護者に引率されてる子みたいになってないかなあ。

 兎に角私は後ろに、遙か後方に下がっても宜しいでしょうか?


「藤川さん!」

「!? は、はい!」


 自分に話が来ると思っていなかったので油断していました。

 王子君の大きな声に驚いてしまいました。


「その……俺もっ!!」


 鬼気迫る顔で、何かを言おうとしています。

 何を言われるの!?

 公園の時もそうでしたが、いつも落ち着いて大人びてみえる王子君らしくない歯切れの悪さです。


「呼び方を……」

「呼び方?」


 あだ名で呼んで欲しいということなのでしょうか。

 私が知るあだ名と言えば……。


「王子君?」

「違う……」


 『馴れ馴れしい』と不快にさせるかもしれないと思いながら言ったのですが、やっぱり違ったようです。

 私のような者が言えるあだ名ではありませんでした。

 申し訳ございません!


「ごめんなさい!」

「え? いや、違う。その……藤川さんは悪くなくて! でも、そうじゃなくて!」

「?」


 難しい顔をしています。

 私も顔を顰めています。

 ごめんなさい……分かりません!

 正解は何なの!?


「……馬鹿はお前だろ」


 ひろ君が呆れ顔で何か呟きました。

 そんな顔してないで、あなたの幼馴染みの通訳をしてください!

 お願いします!




※※※




 登校するだけでいつもの五十倍くらい疲れました。

 早い時間だったので人の数は疎らでしたが、それでも出会った人達からは訝しむような視線を向けられました。


 『なんでお前が真ん中にいんの?』


 皆の顔にそう書いてあるようでした。

 仕方無いと思います。

 ですよね!

 私だって思っているもの!


「あ」


 席に着き、鞄から教科書などを出していると、隣の席で同じように鞄を片していた王子君がこちらを見ていました。

 視線の先には私が呼んでいる小説。

 そこには、昨日頂いた栞を挟んであります。


「あ、はい。使わせて貰っています。ありがとうございました」

「うん」


 改めてお礼を言うと、王子君が朗らかに笑いました。

 またこの笑顔です。

 うっ……この近距離で直視すると死んでしまう!


「えっと……使うのが勿体無い気もしたのですが、折角なので……!」

「使ってくれて嬉しい」


 笑顔を向けられていることが落ち着かなくて、誤魔化すように口を開いたのですが、更に笑顔を向けられ……困りました。


 昨日、家に帰ってから王子君の『謎』について考えたのですが、度々この笑顔を思い出してそわそわしてしまいました。

 少し前まであんなに苦手意識があったというのに、話をしてくれるようになってからはこの笑顔にそれまでのことがかき消されてしまいそうで……。


「綺麗な栞ね」


 考え込んでいたところに、鈴の音のような綺麗な声が聞こえました。

 この声は!


「椿さん!」


 登校してきた椿さんが、私と王子君の間に立っていました。

 まだ席についていないようで、鞄も肩に掛けたままです。

 ああ、鞄も可愛いなあ。

 確かどこかのファッションブランドのものです。

 似合うなあ、素敵だなあ!


「おはようございます! あの、体調は大丈夫ですか?」

「ええ。ありがとう。それはどうしたの?」


 栞が気になったようで、視線が釘付けになっています。


 あっ……!

 椿さんの好きな王子君から物を頂いてしまいました。

 気分を悪くしてしまうでしょうか。


「えっと……藤王君に頂きました」

「司に?」


 隠すのもおかしいと思い、気を張りながら答えました。


「そう。……いいな」


 椿さんの表情が寂しそうに見えました。

 王子君には背を向けているので、見えていないはずです。

 私はズキッと胸が痛くなりました。

 どうしよう……椿さんに悲しい思いをさせてしまったかも!?

 私のような者が貰ったところで、何もないと全く気にしていませんでしたが、椿さんは気になったようです。

 冷や汗を流しながらどうしようかと考えていると、一転して椿さんの表情がぱあっと明るくなりました。


「ツカサ、私には何かないの?」

「椿に? ない」

「もう、気が利かないんだから。ジュースくらい奢ってくれるわよね?」

「別にいいけど」

「いらないわよ」

「……だったら言うなよ」

「やっぱり奢って」


 あれ、寂しそうな表情は気のせいだったのでしょうか。

 いつも通りの仲の良いやりとりが始まりました。

 似合うなあ。

 私の入る余地など無さそうです。

 少し寂しいです。


 ……ん?

 寂しい?

 なんで寂しいんだろう。

 私も椿さんと仲良くしたい! って思っているからかな?


「藤川さんもツカサに奢って貰おうか?」

「ウーロン茶」


 椿さんの言葉に、すかさす王子君が呟きました。

 妙に張り切っていた声だったのですが……何?

 昨日ウーロン茶を奢って貰ったからでしょうか。


 あ!

 もしかして、さっきあだ名の話と繋がる?

 王子君が呼ばれたかったのではなく、ひろ君から話を聞いていたとかで私を『ウーロン』と呼びたかった、とか?

 それなら遠慮したいです。


「あの……私はいいです」

「そう? じゃあ、私達は行ってくるね」


 HRが始まるまで時間があるので、今から買いに行くようです。

 並んで出て行く背中を見送りました。

 やっぱり似合う二人だなあ。

 でも見ていると、さっきと同じ寂しさが湧いてくるのは何故なのでしょう。

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