第16話

「大翔、遅いぞ」

「遅いって……いつも通りの時間だけど?」


 朝の通学路。

 今日もいつもの場所で大翔と合流だ。

 今日の俺は、昨日の俺を更に越えてきた。

 俺・改NEO、MAX……ってキリが無さそうで一々考えるのが面倒になってきた。

 兎に角、『今日藤川さんに挨拶が出来なかったら、死ぬ!』くらいの覚悟で来ている。

 大翔には絶対負けない!


「俺はもう、師匠であるお前を越えたからな」

「だから何の話だよ。わけの分からないお前なんて破門だ、破門」


 おのれ大翔、眠そうな顔をして『破門』だなんて余裕か?

 今に見ていろよ。


 通学路を行く月紫台の生徒の中に、藤川さんの小さくて愛らしい姿を探すが見当たらない。

 昇降口でも今日は出会えなかった。

 既に教室にいるか、まだ来ていないか。

 後から来てくれた方が、心の準備が出来るからいい。

 あ、でも、以前のように途中で邪魔が入り、見過ごしてしまうかもしれないから先に来ていた方がいいかもと考えながら教室の扉を開けると……いた!

 今日も可愛い横顔ですね。


 藤川さんは真剣な顔で本を読んでいた。

 何を読んでいるんだろう。

 難しい内容の本なのだろうか。

 本を読んでいる藤川さんの顔を、俺はずっと横で見ていたい。


 視線は藤川さんに向けたまま足を進める。

 はあ、扉から席までってこんなに長かったっけ?

 いや、短いかな。

 こんな距離じゃ心の準備が出来ない。


 自分の席には座らず、思い切って藤川さんの横に立ち止まった。

 可愛いつむじが見えた。

 右巻きですか。

 俺の藤川さんデータベースが増えた、やったね。

 って黙って見ていたら駄目だ。


 はあああ、深呼吸。

 心の中で予行練習をしてから……『藤川さん』。

 よし、いける。


「藤川さん」


 出た、声出た!

 よっし、やったぜ、俺!

 右手を天に突き上げたい衝動に駆られるが、まだ話し掛けただけだ。

 落ち着け、俺。


「はい。……あっ」


 藤川さんが俺を見た。

 藤川さんの目に自分が映っているのが見えて嬉しくなった。

 また右手が疼いてきたが、突き上げるのは……喜ぶのはまだだ!


 今まで言えなかった『おはよう』。

 言えなかった分を全部込めて、ちゃんと言うんだ。


「おはよう」


 言えた!

 言えたぞ、なんだ……余裕じゃん……全身が震えそうだけど!


「えっ」


 ……あれ?

 驚いたような声を出した藤川さんの眉間に皺が入っている。

 どうしたの?

 返してくれないの!?

 『今更言われても』って思ったのだろうか。


 辛い……。

 ああ、返事が貰えない『おはよう』ってこんなに悲しいんだな。

 今まで俺は返せていなかったけど、藤川さんにもこんな思いをさせてしまっていたのだろうか。

 俺の場合は『好きな人から返事をして貰えない』だけど、挨拶を返して貰えないって普通の場合も悲しいよな……。

 何やってたんだろ、俺。

 好きな子に嫌な思いをさせて……ほんとに情けない。 


「……おはよう」


 これからは俺が言うから。

 返してくれなくていい。

 言ってくれた分以上に言うから。


「あ、はい。お、おはようごぎゃ……います」

「ごぎゃ……」


 ……やめて、可愛い。

 もおおおお、なんでそんなに可愛いんだよおおおお!

 にやけてしまいそうになる顔を隠すために俯いた。


 っていうか『おはよう』を返してくれた!

 俺のこと許してくれるの?

 藤川さん、やっぱりあなたのことが好きです!!


 駄目だ、変なこと口走りそう。

 一端座って落ち着こう。

 ああ、抱きつきたい。

 深呼吸をしよう。

 よし、この勢いで第二ステージだ!


「あのさ」


 好きです。

 じゃなくて……。

 ここで昨日考えた話題を!

 絶対大丈夫な話題を!


「パン、美味かった。また行く」


 自分を落ち着かせながら話すと、思っていたより低い声が出た。

 素っ気なかったかな……。

 冷たい奴と思われないかな。


「あ、ありがとうございます! お待ちしております!」


 俺の言葉を聞くと藤川さんの表情はパッと明るくなり、元気な声で返してくれた。

 大丈夫だったみたいだ。

 ああくっそー、可愛いなあもう。


「うん」


 待っていてくれるなら毎日行くけど!?

 いや、やっぱもう……一緒に住も!


「あのさ」

「はい!」


 藤川さんのパン屋があるマンションの一室を借りて住もうか……じゃなくて。

 言っておきたいことがあったんだ。


「俺、普通だから」


 俺も大翔のように親しみやすい人になります。

 『普通』です。

 だから大翔とじゃなくて俺と喋って?

 俺と仲良くしてください!


「はい……え? ええ?」


 えっ……すぐに良い返事をしてくれたと思ったのに……疑問系に変わった。

迷ってる?

 上げて、落とされた……。

 『藤川さんに弄ばれている!』と思うと、ドキドキするけど。

 俺とじゃ話は出来ませんか?

 藤川さんにとって俺は、『普通』じゃありませんか?


「違いますか」

「ええー……?」


 凄く迷っているよ……。

 でも、今まで話が出来ていなかったんだから、そうだよな。

 俺、これから頑張る。

 何か今日から、頑張れそうな気がする!


「王子-!」


 HRが始まるまで話し続けようと話題を考えていたら、誰かが俺を呼んだ。

 ……聞こえません。


「呼んでますよ?」

「あ、うん」


 藤川さんに言われたら、無視するわけにはいかない。

 くっそー誰だよ!

 呼ぶな!

 お願いします、今はやめて!

 行くけど、行くけどさあ……空気よんでよ……。


 呼ばれて行ってみれば、凄くどうもいい話だった。

 合コンがどうとか。

 友達でもない、好きでもない子とわざわざ遊ぶ意味が分からない。

 気を使うだけなのに。


「絶対行かない。一生行かない」


 だから二度と誘わないで。

 俺と藤川さんの語らいの時間を奪った罪は重いぞ。


「王子が合コンとか行くわけないじゃん!」

「あんたじゃないんだからさー」


 話を聞いていた女子が、俺の代わりに抗議してくれた。

 その調子で断罪をお願いします。

 俺は藤川さんともう一度……って、椿に取られた!


 まあいいか、とりあえずはもっと仲良くならなきゃいけないし。

 椿がいたら、藤川さんも話しやすいかもしれない。

 ということで俺も混ぜてください。


「あ、オレも行く」


 大翔の隣を通っていると合流してきた。

 お前は嫌だ!

 俺の分の藤川さん取らないで!!

 隣の席の奴と話をしていたんだから、そのまま喋ってればいいのに。

 後ろをついてくる大翔を見る。


「どうした? 早く行けよ」

「行くし」


 言われなくても行くから!


 椿の席の近くまで来ると、藤川さんが俺達に気が付いたようでこちらを見た。

 そして、俺が到着するのを待ちわびていたようで、前のめりで話し掛けられた。

 どうしたの、抱きしめていいの?


「あの、椿さんが……体調が悪そうなんです」


 やばい……藤川さんにおねだりされているみたいな、俺を見上げるこの表情……。

 これは帰宅後、使えます……。

 じゃなくて……使うけど、今は駄目。

 藤川さんが、俺を頼っている!

 これは頼りがいのある男っぷりを見せなければ。


 椿に目を向けると本当に具合が無さそうだった。

 元気が無いというか、いつもの覇気がない。


「保健室に行こう」

「……大丈夫よ」


 大丈夫と言うが、声を聞くとより心配になった。

 大丈夫じゃないじゃん。

 椿は『行かない』と言ったら本当に行かないタイプから、引っ張って連れて行った方が良さそうだな。


「顔色が悪い、行こう」


 腕を引いて、椿を保健室に連れて行くことにした。


 藤川さん。

 女子に優しい俺、どうですか!!

 藤川さんにならもっと優しくします!!

 色んなことで優しくします!!

 だから俺を見てくれ!!


 藤川さんの反応を見ようと思い、椿の手を引きながら振り向き……絶句した。

 大翔……お前、本当に悪党だな!

 椿のことは俺一人に任せて、藤川さんと仲良くしているなんて!

 椿のことが好きなら、お前が連れて行け!!

 代われよ!

 椿のことも心配だからこのまま連れて行くけど、この恨みは忘れません。


 教室を出る前にもう一度二人を見ると、ふと、藤川さんが手に持っているCDに目が止まった。

 あのCD……俺が嫌がらせでした落書きがあるってことは大翔のCDだ。

 CDを貸し借りしている仲だなんて……おのれ、羨ましい。

 俺の藤川さんの指紋が、大翔の私物についているだなんて許しがたい。

 というか俺の次に藤川さんに貸したのか?

 だったら藤川さん宛の手紙とか仕込んでおけば良かった!


「ツカサ」

「ん?」


 ごめん。

 一瞬、椿の存在忘れていた。

 そうだ、保健室に行くんだ。

 藤川さんと保健室のベッドで一緒に寝たい。

 添い寝もいいけど、膝枕も捨てがたい……。


「藤川さんとヒロト、仲良いね」


 心にグサッと、大きな槍が刺さったような気がした。

 他の人の目から見ても、『仲が良い』と見えたことがショックだ。


「あの二人、似合っていると思うな」

「……そうかな」


 刺さった槍が深くなる。

 聞きたく無い。 

 でも、似合っているとかいないとか関係ないし。


「椿と大翔の方が似合っているんじゃないか」


 大翔よ、頑張れ。

 俺は協力するぞ。

 だから俺の邪魔をしないでください!


「……」


 手が重たくなったと思ったら、椿の足が止まっていた。


「椿?」


 動けなくなるほど体調が悪くなったのかと焦った。

 顔を覗こうと近寄ると、掴んでいた手を乱暴に振りほどかれた。


 ……どうしたんだ?


「……自分に返ってきちゃった」


 小さな声で呟かれた言葉は聞き取ることは出来たけれど、何のことを言っているのか分からない。


 どうも様子がおかしい。

 早く保健室に連れて行こう。

そう思っていると椿は顔を押さえて走り出し、トイレに入っていった。

 気分が悪いのだろうか。

 トイレの前まで来たが中に入ることは出来ない。

 かといって放っておくわけにもいかないので、ここで待つことにした。


「……っく」


 入り口脇の壁に凭れて待っていると、椿の小さな声が聞こえてきた。

 これは声というより、しゃっくりの様な……いや、泣いている?


「椿、大丈夫か!」


 様子を見たいが入れない。

 誰か呼んでくるべきか迷っているとトイレの中から声が聞こえた。


「……放っておいて、大丈夫だから。自分で保健室に行くから」


 そうは言うが、本当に大丈夫かどうか分からないし、ちゃんと保健室に行くか分からない。


「本当に大丈夫。待たれると恥ずかしいから」


 もう一度『一緒に保健室に行こう』と声を掛けると、そう返事が来た。

 そうか、それは気が利かなかった。

 今の声は心配なさそうに聞こえたが……。


 念のため、保健室の先生に声を掛けてから戻ると伝えた。

 椿から『分かった』という返事が返ってきたので、保健室に寄ってから教室に戻った。


 結局椿は早退したが……あの様子は少し心配だ。

 悩みでもあるのだろうか。

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