第29話

 ツカサが『昼食を一緒にとろう』と藤川さんを誘った。

 ……嫌だった。

 一緒にご飯なんか食べたくなかった。


 でも、私は我慢することにした。

 だって……藤川さんと仲良くなったら、ツカサが告白しても断ってくれるかもしれない。

 そのためにも、ヒロトに続いてあだ名で呼んでみたり……。

 応援してくれると言っていたし、裏切らないわよね?

 

 どうやったらツカサは私を見てくれるの?

 ツカサの気持ちに気づいてから、私は思考を巡らせた。

 知恵を絞った。

 頭を使いすぎて眠ることも出来なかったけど、良い案は浮かばなかった。


 でも思った。

 ツカサが花ちゃんを諦めたら、次はきっと私を見てくれる。

 だから大丈夫。


 屋上での時間は思っていた以上に苦痛だった。

 ツカサがわざわざ花ちゃんのおうちのパン屋まで出向いていることなんて知りたくなかった。

 『毎日食べたい』だなんて、プロポーズみたいな言葉も聞きたく無かった。

 こんな言葉を向けられて、何も気にしていない様子の花ちゃんにも腹が立った。


 ああ、苦しい。

 ツカサが花ちゃんを見ているのが分かる。

 チョコのゲームも、花ちゃんと近づきたいから積極的なのだとすぐに分かった。


 それでもゲームに勝ったのは私だった。

 嬉しかった。

 神様が選んだのはツカサと私だった。

 ツカサには、私が相応しいというお告げのように思えた。

 でも……見てしまった。


 花ちゃんが『辛い』と言った瞬間のツカサの落胆した表情を。


 『お前じゃない』


 そう言われているようだった。


 これは耐えられない。

 屋上に来てから、ずっと堪えてきたけれど……無理だった。


 これ以上ここにいたら、私は私でいられなくなる。

 無様に泣き崩れるのか、花ちゃんを罵って醜い姿を晒すのか分からないけど、普段の私でいられなくなることは確かだ。

 ツカサの前で、そんなことはあってはならない。

 私は逃げた。


 何処かに行こう。

 学校を出よう、そう思った。

 今日はもう、ツカサと花ちゃんの姿を見ていられない。

 鞄を取るために教室に戻った。


 教室には、この時間には珍しく誰もいなかった。

 助かる。

 今は誰とも話をしたくない。

 でも、誰かの机には食べかけのお菓子がある。

すぐ人が戻ってきそうな気配がした。

早く出よう。


 ふと、ツカサの机に目がいった。

 そして隣の花ちゃんの席へ……。

 机の上には小説の本が置かれてあった。

 本には、ツカサがあげたとういう栞が挟まれている。


「何よ。見せつけるみたいに学校に持ってきたりして」


 気が付けば足は、花ちゃんの席へ向かっていた。

 そして自然に手は栞へと伸びた。


 綺麗な栞は、ツカサの『花ちゃんへの想い』を形にしたものに見えた。

 その瞬間に思った。

 捨ててやろう、と。

 手に力が入り、栞がぐしゃっと歪んだ。


「!?」


 廊下に足音が響いている。

 そして近づいてくる。

 慌ててポケットに栞を隠し、自分の席へ戻った。


 鞄を手に取ったところで、教室の扉が開いた。


「……香奈」


 姿を現したのはヒロトだった。


「何?」

「大丈夫か?」


 そういえば屋上でも、ヒロトは大丈夫かと声を掛けてくれた。

 ……ヒロトには悟られているのだろうか。


「何を心配してくれてるか知らないけど、大丈夫って言ったでしょ」

「……そうか。でも、無理するなよ」

「してないわよ」

「してるだろ」


 私の心を見透かしているような台詞が耳に届いた瞬間、目の前がチカッと光るような怒りが沸き上がった。

 何なの?

 私の何を知っているっていうの!?


「してないって言ってるでしょ! ヒロトに何が分かるのよ!」

「分かるよ!」


 苛立ちを隠さずに言い返した言葉に、聞いたことの無い強い口調でヒロトが叫んだ。

 私は驚いて口を噤んだ。

 大きな声で、少し怖いと思ったし……どうすればいいか分からない。

 ヒロトも戸惑っているのか何も喋らない。


 気まずい時間が流れた。


「オレはずっと、香奈を見てきたから」


 静寂を破ったのは、ぽつりと落とされた呟き。

 小さな声だったけれど、はっきりと聞こえた。

 ヒロトは私から視線を逸らし、辛そうな顔をしていた。


 いったい何なの……わけが分からない。


「何よそれ」

「司のことは諦めないか?」


 外していた視線を私に戻し、真っ直ぐと見据えられながら言われた言葉は、私にとっては不快なものだった。

 やっぱりヒロトは、私の気持ちに気が付いていた。

 なのにこんなことを言ってくる。

 またじわじわと怒りが湧いてくる。


「嫌よ」

「分かったんだろ、お前は。あいつは一花が好きだって」


 自分の中で、プチンと糸が切れたような音がした。

 駄目だ、我慢出来ない!


「だから何!? なんで私が諦めなきゃいけないの!? こんなに好きなのに! 自分の気持ちに嘘ついたら、馬鹿みたいじゃない! ヒロトには……やっぱりヒロトには分かんな……」


 吐き出し始めると止まらない。

 火のように怒りを燃やしながら捲し立てていたのに……言えなくなった。


 驚きで頭が白くなり、全身が停止してしまった。

 ヒロトが近い。

 暖かい。

 気づけばヒロトに抱きしめられて……体が熱い。


「ちょっと……何!?」

「諦めるって、格好良くないよな」


 私を腕の中に収めながら、ヒロトが呟いた。

 これだけ近いと小さな声も大きく聞こえるし、振動も伝わってくる。


「やっぱり香奈は強いな。やっぱりオレ、お前が好きだわ」

「え?」


 私を拘束している腕の力を強くなった。

 苦しい。

 ヒロトが私を……好き?


「お前が司を好きなのを知っていたから、オレは諦めた。お前と司をくっつけてやりたいと思ってた。……そんな自分が、ちょっと格好良いと思ってた」


 ヒロトが自嘲するように笑った。

 耳元で笑われるとくすぐったい。

 熱いし、恥ずかしいし、逃げたいけど逃げることが出来ない。


 逃げようとする私を拘束しながらも、ヒロトの独り言のような告白は続く。


「でも、違った。司に諦めることを馬鹿にされた時は心底むかついたけど、あいつの言う通りだ。オレ、お前が司を好きでも、それでもいいや。お前を好きでいる」

「な……花ちゃんに言い寄ってたくせにっ」


 反抗する材料が欲しかった私は、記憶を探って今日思ったことを口にした。

 ヒロトは花ちゃんをあだ名で呼び、ツカサを牽制しているような態度も見てとれた。

 朝だって、二人で花ちゃんを挟んで登校してきたと周りから聞かされている。


 『あー……』とばつの悪そうな声を出したヒロトは体を少し離し、私の両腕を掴んだままで答えた。


「お前を諦めて……ちょっと良いなと思ったのが一花だったんだよ。あいつのことは好きだけど、なんか妹っぽいつーか、やっぱお前とは違った」


 そう言って笑うヒロトの顔を正面から見た。

 微かだけど、顔が赤くなっていた。

 それを見ると、私も意識してしまって……。

 そうか、『ヒロトは私が好きなのか』と改めて思ってしまった。


「さっきみたいに、傷ついたお前をみるのは辛いけど、その時はチャンスだって思ってこれからもお前に付き纏うよ」


 それは、ヒロトが私を諦めないという宣言をしているように聞こえた。

 顔が熱い……私の方が赤くなっているかもしれない。


「迷惑よ」


 顔を背けて、そう吐き捨てた私を見てヒロトが笑った。


「そんで、お前が司に振られるのを待ってる」

「最悪」


 本当に最悪。

 でも、私の心は軽くなっていた。

 こんな私でも……打算ばかりの嫌な奴でも、好きになってくれる人がいるんだ。


 ……でも、私はツカサが好きだ。

 それは変わらない。


「放して」


 もう怒りはない。

 私の普段通りの声色を聞いて、ヒロトはすぐに解放してくれた。


「ごめん。私、今日は帰るね」


 ヒロトの気持ちは嬉しいけど、やっぱり屋上での胸の痛みは消えない。

 今はツカサを見られない、花ちゃんも見たくない。

 それに……ヒロトのこともゆっくり考えたい。


 ヒロトが何か言っている声が聞こえたけれど、構わず教室を飛び出した。


 廊下を進み、昇降口に辿り着いたところで気づいた。


「あ……持ってきちゃった」


 ポケットには、ツカサの気持ちが詰まったあの栞が……。

 捨てようと思ったけれど、本当にいいの?

 でも、今更戻って返すことは出来ない。


 ……花ちゃん、ごめんね。

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