第35話

 パン屋を出て、藤川さんの後をついて行く。

 俺も藤川さんも口を開かず、黙々と歩いている。

 空気が重い。

 話をしたかったけれど、いざ話すとなったらどう切りだしたらいいか迷う。

 手っ取り早く『ごめんなさい』か、『俺は避けられているような気がするのですが……』と前置きをするか。

 これからあの公園に行くようだけど、辿り着くまでに考えは纏まるだろうか。

 

「ごめんなさい!」


 藤川さんが急に立ち止まり、振り向いた。

 俺の顔を見てとても深刻な顔をしている。


 え、何?

 『ごめんなさい』って、まさか……。

 この前の嫌いの反対の意味が伝わっていて、それに対する『お断り』じゃないよね?

 違うよね!?


 もしそうだとしたら、避けられたのも説明がつく。

 これから振る相手と仲良くなんかしたくないだろう。


 藤川さんが何か言おうとしているけど聞きたく無い。

 怖い!

 思わず身構えた。


 「私、頂いた栞を……なくしてしまいました……」


 藤川さんが深々と頭を下げ、放った言葉は予想とは違っていた。


「その、気づいたらいつの間にか無くなってて……探しても見つからなくて……。本当にごめんなさい」

「……なんだ」


 ……そんなこと?

 嫌いになったんじゃないってことだよな?


 はああああああああ良かった!!


 マジで良かった……ちょっと泣きそうだった。

 世界は終わったと思った。

 心臓に悪い。

 もう驚かさないで。

 思い入れのあった栞を無くされたのは結構悲しいけど、振られるよりは全然いい。


「ごめんなさい。許して貰えないかもしれないですけど……」


 別に許すけど……いや、待て。

 無くした責任と、俺を半泣きにした責任をとって貰おう。


「許さない」


 俺の言葉を聞くと藤川さんの表情が強ばった。

 可愛い……意地悪したくなるからやめて。


「だから、一緒に買いに行こう」


 自分の分も買おうと思っていた。

 ちょうどいい、一緒に買いに行けるなんて最高じゃないか!

 行こう!

 今すぐに!


「え」


 藤川さんの手を引き、姉と行ったあの雑貨屋を目指した。

 そう遠くないし、徒歩でもそう時間はかからない。


「ええ!? ま、待ってください!」


 待てるわけないじゃん!

 今俺のテンションはMAXだから!

 藤川さんとお揃いの栞を買うために手を繋いでデートだなんて、天国かよ……ってええええ!?


 俺、手繋いでるじゃん!!

 なんで?

 俺が掴んだからだ!!


 そうだ、嬉しい勢いでつい握った!

 勢い最高!

 グッジョブ俺!!

 最近藤川さんと話せることが多いから、段々歯止めが効かなくなっている気がする。


「あの、手を離してください!」


 藤川さんの焦ったような声が聞こえた。

 嫌がっているならやめよう、そう思って様子をちらりと盗み見たけど……大丈夫そうだ。

 照れているのか顔が赤い。

 やめて……可愛い……ギュッとてして『好きだ!』と叫びたくなる。

 

「駄目、はぐれそうだから」

「そ、そうでしょうか?」


 絶対逃がさない。

 握った手に力を入れた。


 小さくて柔らかい手だな……。

 暖かいし、幸せすぎるぞ、これ。


 俺の手は冷たいけど、大丈夫かな。

 意識しすぎて、手汗でベトベトになったらどうしよう。

 キモいって思われたらどうしよう!

 でも離したくないしなあ……キモくなるギリギリまで粘ろう。


 手を繋いでいるのが嬉しくて意気揚々と歩いていると、いつの間にか目的地に着いていた。

 ……遠回りすれば良かった。

 人が多い。

 邪魔だな、俺と藤川さんが通るから避けて。

 藤川さんとぶつかったりする奴がいたらぶん殴る。


 あ、でも『危ないから』って肩を抱いて進んだらより密着できる……それはいいな。

 よし来い、邪魔者ども!

 俺が藤川さんを守る! ……って思ったら人の数が減ったし。

 俺の気合いを返せよ。


 まあいい。

 お揃いの栞が俺を待っている。

 エスカレーターを上ると、見覚えのある雑貨屋が目に入った。

 あそこだ。


 ここは雑貨屋だけど男にも敷居の低い外観だし、面白い物がたくさんあって気に入っている。

 藤川さんと来ることが出来るなんて夢のようだ。

 狭い店の中での密着率アップを期待したけど、店も空いていた。

 前に来た時は結構混んでいたのに、そこは残念だ。


 栞があるからいいけどな。

 もう目前だ。

 握った手にも力が入った。

 どうか売り切れてませんように……あった!

 前に見た時と同じ場所にあった。

 良かった……。


「栞をここで買ったんだ。ほら」

「あ……」


 栞を見た藤川さんの表情が、パッと明るくなった。

 喜んでくれた?

 ここに置いている栞はどれも藤川さんが気に入りそうだ。


「買ってくるから」


 手を離すのは名残惜しいけど、手を繋いだままじゃ支払いが出来ないから仕方が無い。

 早く買ってもう一度繋ぎたい。

 急ごう。


「二つ?」


 レジに向かっていると、不思議そうな声が後ろから聞こえた。

 あ、そうか。

 自分の分を買うことが俺の中では当たり前だったけど、藤川さんには言ってなかったか。


「自分用に同じ物を買おうと想って。俺も『藤王』だし」


 いつか藤川さんもなってください、『藤王』に。

 なるべく近い将来で!


「あの!」


 藤川さんが俺の手にあった栞を奪った。

 え、何するの?


「私が買います」

「え?」

「無くしたのは私ですし……。私が買って、一つをプレゼントします。……お詫びで」


 ……マジで?

 あれ、もしかして……ここに来て『神っているし!』の主張ですか?

 藤川さんから俺に栞のプレゼント!

 最高すぎる!

 これって、『私、藤王になります』ってことじゃない!?

 もう俺達の未来は決まったな……。


「じゃあ、お願いしようかな。でもこれは俺が」

「あっ」


 藤川さんの手から栞を一つ奪い返した。

 だって藤川さんが持つ物は俺があげたい。

 共通点の『藤』の栞を交換……もう俺達、絶対結婚するじゃん!


「俺が買って藤川さんにプレゼントするから、交換しよう」

「え、でも……」


 藤川さんは申し訳なさそうだけど、俺は幸せなので大丈夫です。

 俺がレジを済ますと、藤川さんも後に続いた。

 同じ物を買うなんて、店員のお姉さんも俺達をカップルだと思っただろう。

 そうなんです、俺達もうすぐ付き合ってそのうち結婚するんです。


 店の前で、お互い買った栞を交換した。


「ど、どうぞ」


 あたふたしながら栞を渡され、つい抱きしめそうになった。

 やばかった……一瞬無意識になって手が前に出た。

 ああ早く藤川さん公認でギュッと出来るようになりたいなあ。




※※※




 長い間店を開けてしまったと、藤川さんが落ち着かなくなったので渋々帰ることにした。

 迷惑はかけられないし我が儘も言えないけど、本当はもっと一緒にいたい。

 『翔ちゃん怒ってるかなあ』なんて呟いているけど、俺といる時に他の男のことなんか考えないで。


 帰り道は並んで歩いている。

 手を繋ぎたかったけど、一度離れてしまったからもう一度繋ぐ勇気が出なかった。

 あの時の俺の勢いよ、帰ってこい!

 早くしないと、もうお別れなのに……。


 折角二人なのに、もうちょっと進展したい。

 学校だと何かと邪魔が入って上手くいかないし……。

 明日からは大丈夫そうだけど、今日まで避けられてたし……。


「俺……藤川さんに嫌われたのかと思った。凄く避けられてたから」

「無くしたことが申し訳なくて……」


 無くしたことは黙っていたらバレないはずなのに、気に病んで態度に出てしまう辺りが藤川さんらしい。

 大好きです。


 でも、避けられるのは本当に辛かった。

 どうして嫌われたのだろうとビクビクしてしまった。


 公園でも少し話したけど、藤川さんもそうだったのかな。


「藤川さんは……俺が話さなかったから、俺に嫌われてると思っていたのでしょうか」

「はい、違うんですか?」

「違う!」


 公園では……あの時はちゃんと話せなかった。

 焦って、馬鹿みたいなことを口走って……。

 ちゃんと話さなきゃいけない。

 話したい。

 今日なら……今なら言える気がする。


 今度こそヘマをしないように、こっそり息を整えた。


 ……よし、少し落ち着けた。

 大丈夫だ。


「話せなかったんだ。緊張して」

「はい?」

「でも、今は話せる。だから……話せるから、言いたいことが沢山あるんだ。この前は最後までちゃんと言えなかったけど、反対なんだ。『嫌い』の……」


 大事な言葉を言う前にもう一息ついた。

 やばい、心臓がやばい。

 今まで生きてきた中で一番ドキドキしてる。

 手に変な汗が出てきた。

 今、手を握ったら嫌われるキモいやつだ。

 そのうち全身が汗で溶けてしまいそうだ。

 早く言おう……よし。

 俺は覚悟を決め、藤川さんの目を見た。


「俺は藤川さんが好きだ」


 言った。

 とうとう言ってしまった。

 今度こそ伝わっただろうか、俺の想いが。


「へ?」


 藤川さんはきょとんとしていた。

 いつも可愛いあの『きょとん』だ。


 可愛いのは分かってるし、嬉しいんだけど……あの、伝わりましたか?

 ……リアクションがない。


 まだ不十分!?

 どうしよう、今日はちゃんと伝えたい。

 分かって欲しい。


「だから緊張して……何を話せばいいか分からなくて……。藤川さんが好きだから、特別だから……だから、藤川さんとだけは話せなかった」


 自分の想いを解説するのは恥ずかしいけど、言わなきゃ伝わらない。

 必死に脳を回転させ、理解して貰えるような言葉を探す。

 ああ、くそ……もっと上手に言えないかなあ!


「……ッ!」


 藤川さんの様子がおかしくなったような気がして、顔を覗き込むと真っ赤になっていた。

 それを見て思った。

 『ちゃんと伝わった』と。


 そう思うと俺の顔の熱も急上昇した。

 うわあ……俺ってば告白出来たじゃん。


 藤川さんと目が合った。

 凄く動揺しているように見える。


「好き、です。こんなこと、急に言われたら混乱すると思うけど……」

「するに決まってるじゃないですか! からかってるんですか!?」


 『付き合って欲しい』って、『すぐじゃなくてもいいから俺のことを考えて欲しい』と言いたかったけど……藤川さんに遮られた。


 からかってる!?

 そんなわけないじゃないか! 


「違う! 本当に好きなんだ!」


 そう反応した時にはもう、藤川さんは帰路を駆けて行こうとしていた。

 逃がしちゃだめだ。

 ちゃんと分かって貰うまでは!

 慌てて追いかけて、捕まえた。


「来ないで! っ!? はわあ!?」


 俺が引っ張ってしまったせいで、藤川さんの体勢が崩れ、転びそうになった。

 危ない!

 車道に出たら大変だし、慌てて引き寄せてた。

 藤川さんは思ったより軽く、案外簡単に受け止めることが出来た。


「良かった。大丈夫?」

「!?」


 転ぶのは大丈夫だったけど、俺が力を入れすぎて痛かったかもしれない。

 心配で顔を覗こうとして……ハッとした。

 藤川さんが近い。

 腕の中が暖かい。


 『これ、ずっとやりたかったやつだ』


 そう思うと体が勝手に動いていた。


「は、離して!」

「好きなんだ。信じて」


 信じて欲しくて、どうしても伝えたくて……藤川さんを閉じ込めた腕に思わず力が入った。

 このまま、俺の気持ちがテレパシーで伝わったらいいのにな。


 腕の藤川さんが強ばっているのか、緊張しているのか、ドキドキしているのが分かる。

 でも俺の方がドキドキしてる。

 多分バレてるだろうなあ。


 このまま時間が止まればいいのに。

 ……なんて幸せに浸っている俺を藤川さんが突き飛ばした。


 力は大したことはなかったけど……寂しくなった。

 どうして……嫌だった?


「こんなの夢だもん!!」


 顔を真っ赤にして、余裕がなさそうな藤川さんが叫んだ。

 『え?』と思った瞬間には、信じられないスピードで歩道を駆け抜けていった。

 あまりにも俊敏であっけにとられ、追いかける機会を逃してしまった。


「『夢だもん』とか超可愛いんですけど……」


 俺の決死の告白を夢扱いされちゃ困るけど、可愛すぎた……。

 結局逃げられたけど、俺の気持ちは知って貰えたと思う……多分。


 明日『夢じゃない』って言おう。

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