第23話 雲行きが怪しい

 しずくちゃんの部屋の前に俺と一真さんと須田さんが到着した頃、稲葉は両手に携帯と一真さんに渡されたメモを持って立っていた。

 ちょうど、こちらに連絡しようとしていたところらしい。


 とりあえず、何があったのか稲葉に尋ねてみる。

「さっきまでしずくちゃんを説得しようと色々話してたんだけど、突然中から物音が聞こえて何事かと思ったら、扉の前までしずくちゃんが来た気配があって、急いで準備するから待っててくれって言われた」


 なんであのタイミングで急に……などと不思議そうにブツブツ呟く稲葉を前に、俺達三人は顔を見合わせると、静かに頷いた。


「恐らく準備にはしばらくかかるでしょうから、よろしければ応接室でお待ちください」

「では彼女には僕の方から連絡を入れておきます」

 一真さんが稲葉を応接室まで案内すると言い、須田さんがしずくちゃんへの連絡を申し出る。


「いえ、俺は別にここでも……」

「私、のど乾いちゃった。お茶でも頂きながら待たせてもらいましょ」

 俺は渋る稲葉の腕をグイグイと引っ張る。


 アニメを48話連続鑑賞中、しずくちゃんが適切に睡眠や入浴を行っていたという保障はない。

 そうなると、しずくちゃんとしてはそれなりに準備の時間も欲しい事だろう。


 力強く腕を引く俺に、流石さすがに何かを察したのか、結局稲葉は俺と大人しく応接室でしずくちゃんが身支度を終えてやってくるのを待つことにした。


「それで、何があったんだよ」

 一真さんに応接室に案内され、他にやることがあるからと一真さんと別れた後、稲葉がいぶかるように俺に尋ねてきた。

 俺はしずくちゃんの名誉のために言えない、とだけ返しておいた。


 しばらくして、給仕のお姉さんがお茶とお菓子を持って応接室にやってきた。

 突然来たにもかかわらず、結構お高そうな茶菓子が出てきて、更に給仕のお姉さんが甲斐甲斐しくお茶を注ぎ足したりしてくれる。


 VIP待遇に恐縮しつつも、話しかけてみたらお姉さんも結構気さくな人で、しずくちゃんが来るまでの話し相手になってくれた。

 服はホテルの制服みたいなもので、メイド服じゃないのか、とちょっとがっかりしたのは内緒だ。


 三十分程経った頃、廊下を走ってきたのであろうしずくちゃんが息を切らせて応接室にやってきた。

「ごめっ……せっかく……来て、くれたのに……」

 ぜいぜいと息を上げながら話すしずくちゃんに、ゆっくりでいいからと稲葉が言う。


 しずくちゃんは少し間を置いて呼吸を整えると、改めて口を開いた。

「ゴメンねお兄ちゃん、せっかく来てくれたのにすぐに相手できなくて」

 稲葉の服の裾を掴み、しずくちゃんは不安そうな顔で稲葉を見上げる。


「いや、しずくちゃんが出てきてくれたならそれでいいよ」

 そう言って稲葉がしずくちゃんの頭を撫でれば、しずくちゃんがえへへ……と幸せそうに顔を綻ばせた。


 よし、これで大団円だな。

 それじゃあ邪魔者は静かに去るとしますかと俺が席から立ち、応接室から出ようとすると、しずくちゃんに焦ったように呼び止められた。


「今まですいませんでした!」


 呼び止められて振り向いた直後、なぜかしずくちゃんに頭を下げられて俺は困惑した。


「私、今まですばるさんのことも、お兄ちゃんの事も誤解してて……あの、ちょっとお話できませんか?」

 突然の申し出に、思わず俺は稲葉の顔を見たが、稲葉も驚いているようだった。


 再びしずくちゃんに視線を戻せば、緊張した面持ちで俺を見てくる。

「……しずくちゃんが、嫌でないのなら」

「嫌だったら呼び止めません!」


 恐る恐る俺が答えれば、しずくちゃんに力強く言い返された。

 俺は、突然急変したしずくちゃんの態度を不思議に思いながらも、促されるままに再び席に着いた。


 応接室の片側に俺と稲葉、そしてそれに対面する形で俺達は席についた。

「最近、もっとお兄ちゃんのこと知りたくて、お父さんのつてで遠縁のポップカルチャーに詳しい人に講師に来てもらってて、須田さんというのですけど……」


 早速、しずくちゃんの話の冒頭部分で俺は戦慄した。

 

しずくちゃんの父親の伝、という事はつまり、しずくちゃんの父親のみならず、それを相談したであろう関係者にも稲葉がヲタバレをしている。ということである。


 稲葉はまだそこまで思い至っていないのか、へー、と普通に相槌を打っている。

 しずくちゃんの周りの人間がどこまで情報共有してるかわからない今、しずくちゃんの父親まで俺達がでっち上げたあのきわどい趣味の情報が流れている可能性もあるのだが……。


「それでねっ、まず何から見たら良いかわからないから、須田さんに色々オススメとかきいて見たり読んだりしたのだけど、そうしたらすっごくおもしろくてね!」


 頬を染めながら、キラキラした瞳でしずくちゃんが語る。

 須田さんにより、しずくちゃんのヲタク化が着実に進んでいるようである。


「私知らなかった、二次元はあんな素晴らしいものだったなんて、ノーマルもBLもGLも、皆違って皆良いのよね! そして、自分の萌えは他人の萎え、他人の萌えは自分の萎え……私のやっていた事は、ただの趣味の押し付けだったんだわ!」 


 熱弁しだすしずくちゃんに、何かおかしいぞ? と俺は思いだす。

 そういえば、さっきはつい流してしまったが、アニメを48話連続鑑賞だと? いくらやる事がないとはいえ、相当はまってないとできないことだ。


「お兄ちゃんの趣味を受け入れるなんて言っても本当は私、心のどこかでこれはないって、軽蔑してたんです」

 罪の告白のようにしずくちゃんが言う。

 それでいいんだよ! それが目的だったんだから! と、俺は心の中でつっこむ。


「それで、こんなの間違ってるって、最初はその趣味に適当に合わせつつ、ちょっとずつ自分がお兄ちゃんの性癖を正しいものに導いてやるんだって思ってたんです……」


 なんだそうだったのか……そういうことなら、むしろ稲葉は導かれたがってるよ!

 心の中で俺は叫んだ。


「でも、須田さんに薦められた作品をいくつか見て、その中には本当に胸躍らされる物もあって、寝食忘れて続きを見てしまうものもあって、そして気付いたんです。私がやろうとした事は、それを取り上げる事だったんだなって……」


 切なそうにしずくちゃんは瞳を伏せる。

 ……なんだか、雲行きが怪しくなってきた。


「たから、私、今度こそ、お兄ちゃんの趣味と向き合おうって決めたんです!」

 顔を上げ、しずくちゃんは真っ直ぐ俺達の方を見てくる。


 ちらりと稲葉の方を見れば、涙目になっていた。

 もちろん感極まっての物ではないのだろうが、傍から見ると、そう見えてしまうのが辛い所である。

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