第42話 現実は非情である

「例え男でも、すばるさんはすばるさんなのに! 兄さんに聞かれた時もそう答えたのに!」

「んん!?」


「兄さんは知ってたんだね……」

「まあ、な」


「僕、頭ではそう思ってたはずなのに、いざ目の当たりにしたら動揺しちゃって、それが情けなくって……」

 いや、何も情けなくねえよ。

 というか、そのまま諦めないのかよ。


 性別って、結構重要なファクターだと思うんだけど!?

 好きだからってだけでそんなあっさり今までの自分の嗜好をかなぐり捨てられるものなのか?


 何言ってるんだこいつ……そんな言葉が俺の頭の中でぐるぐると回っていた。


「待て、ちょっと待ってくれ優司。その言い方だとまるで、朝倉すばるが男でも好きだって言っているように聞こえるんだが」

 頼む、違うと否定してくれという思いを胸に、恐る恐る俺は優司に尋ねる。


「うん、好き」

 しかし、そんな俺の思いなどつゆ知らず、優司は真っ直ぐな瞳で俺を見つめてくる。

 現実は非情である。


「……優司、朝倉が実は男だって事は、あいつの周りでもごく一部しか知らないことなんだ。だから」

「わかった。誰にも言わない」


 そうだ、当初の目的をと気を取り直して言えば、あっさりと優司は頷いた。

 それどころか、知っている人間がほとんどいないすばるの秘密を知ったことに優越感を覚えたのか、どこか嬉しそうでさえある。


「というか、お前落ち込んでるのかと思ったら、普通に元気そうじゃねえか。それなら昨日帰ってきてから今まで何やってたんだよ」

「ああ、コレだよ」


 案外元気そうな優司に、思わず俺がぼやけば、優司は俺の所までやってきて、机の上のパソコンをいじり始めた。

 そうして出て来たのは、どろヌマ今後の展開に関するアイデアやネーム、マチルダの新しい服や、新キャラのラフ画だった。

 そしてなぜか、一緒にメルティードールの通販ページが出て来た。


「昨日は本当に動揺しちゃって、自分の気持ちがわからなくなったんだけど、こうやってキラキラ輝いてるすばるさんをファンタジー風に描いてみたりしてたら、やっぱり好きだなぁ、って思って、色んなアイデアも出てきて止まらなかったんだ」


 実は、マチルダの衣装はメルティードールの通販ページなどの+プレアデス+の服を優司がファンタジー風に直したものらしい。

 現在俺が提案しているマチルダルックはそんなマチルダの服のエッセンスを普段着に取り入れたものだ。


 デザインが一周しているだと……。


「だからといって、不眠不休で食事も取らないのはどうなんだ……」

「食事は取ってたよ。アイデアが止まらなくて食事で中断するのも惜しかったから、あれで」


 そう言って優司は机の下に置かれたリュックサックを指差した。

 いざという時に春子さんが各自の部屋に置いた非常用持ち出し袋だ。

 中には数日分の水と食料が入っている。


「やっぱり自分でも気持ちが落ち着かなくて、手を動かして心を静めてた部分もあるんだ。それに、周りに八つ当たりしそうで、あんまり人に会いたくなかった……」

 どこか寂しそうに優司が言う。


「だからって、せめて母さんや優奈からの呼びかけには答えてやれよ……」

「答えたよ、ご飯はいらない、学校は休むって」

 呆れて俺が言えば、今度は不思議そうに優司は首を傾げた。


「言葉が足りないんだよお前は」

「それは……ごめん」

 ため息混じりに俺が言えば、優司は素直に謝ってきたが、謝る相手が違う。


「まあ、母さんには後で一緒に謝りに行くとして、お前がそこまで思いつめてなくて良かったよ。せっかく単行本の先行発売イベントも大盛況だったのに、これでもう描かないなんてもったいない事言い出すんじゃないかと冷や冷やしたぜ」


 俺は胸をなでおろした。

 直後、優司は首を傾げる。


「どうして兄さんがイベントが大盛況だったって知ってるの?」

「……ほらっ! 俺の一人暮らししてるとこ、秋葉原から近いじゃん? それで朝倉から優司の漫画のイベントやるってきいたんで、こっそり見に行ったんだよ!」


 慌てて俺は取り繕う。

「……全然気付かなかった」

 驚いたように言う優司にどうやら信じてくれたようだと、俺は再び胸をなでおろした。


「まあ、俺も人ごみの中で遠巻きに見てただけだったからな。人が多すぎて」

「そう、すばるさんに聞いたんだ……」


 すばるの名前を出したとたん、優司の顔が暗くなった。

 恐らくはすばると仲が良いらしい俺を、ちょっと羨ましく思っているのだろう。


 しかし、マズイ。


 優司はすばるの性別を漏らす事も筆を折る事もなさそうだが、既に色々な道を踏み外すレベルで朝倉すばるの事が好き過ぎる。

 ここは、なんとかこのフラグをへし折っておかないと、後々大変な事になる気しかしない。


「優司、お前はすばるの性別を知ったら、そのまますばるの事を諦めるんじゃないかと思ってたけど、そうじゃないんだな」

「うん」


 一旦優司にベッドに座らせ、向き合う形になってから改めて尋ねれば、優司は迷いのない瞳で答えてきた。


「だがな、優司、あいつの背負っているものはそれだけじゃないんだ」

「……どういうこと?」


 深刻そうな顔で俺がもったいぶるように言えば、優司は眉間に皺を寄せて聞き返してきた。

 こうなったら、適当にすばるに重い設定をくっつけて、優司を諦めさせる事にしよう。


「これは他人の俺がほいほい簡単に話して良いようなものでもないし、朝倉が俺を信じて話してくれた事だから、それを今ここで言うつもりは無い。だけどな、兄として、コレだけは言える。あいつはお前の手に負えるような奴じゃない。諦めろ」


 しかし、思いつきの行動なので、特に設定など考えているはずも無く、ここは『言えないけど非常に重くて深刻な事情』があることにして押し切るしかないだろう。


「それは、年末年始に僕にすばるさんについて聞いてきたことと、関係があるの?」


 戸惑ったように優司が尋ねてくる。そう言えばしたな、そんな話。

 ……どんな設定だったっけ?


 とりあえず深刻そうな顔のまま、俺は静かに首を横に振った。


「それも言えない。だがな、優司、世の中には知らない方がお互いに幸せな事もあるんだ。あいつと友人として仲良くするのはかまわない。でも、それ以上の感情を持つのはやめておけ」


「今までそんな話しなかったのに、なんでそんな事言うの」

「お前が本気だとわかったからだ」


 怪訝そうな顔で尋ねてくる優司に、ここで揺らいではボロが出ると、俺は先程の調子を崩さすに答える。

 あくまで、そういう話は前から知っていたが、今回優司がすばるの事を本気で好きなのだと確信したから話すことにした。という体で話す。


 言った直後、優司が愕然とした顔になったので、慌てて俺は言葉を付け足す。

「……ただ、そうだな、あいつはお前の漫画が本当に好きで、いつも楽しみにしてるから、漫画だけは描き続けてやってくれ」


 フラグをへし折るのはいいが、それで優司がショックを受けて漫画を描けなくなっては元も子も無い。

「そんな取って付けたように言われても、わかんないよ……なんですばるさんはそんなに僕の漫画が好きなの」


 流石に優司もおかしく思ったようで、俺に尋ねてくる。

 とりあえず、ここはそれっぽい答えを用意しなくては。


「……あいつな、どろヌマの話が他人事みたいに思えないって言ってたよ。こうなったら良かったのに、ともな」

「それ、どういう意味なの……」


 今の話に優司は随分驚いたようで、身を乗り出して俺に続きを促すが、そこまでしっかり設定を考えているわけでもないので、答えられるはずも無い。


「さあな、とにかく、朝倉はお前の描く漫画に救われているみたいだから、あいつの事を思うなら、漫画を描き続けてくれ。だがな、それ以上の事をあいつはお前に求めていないし、望んでもいない」


 力技で話をまとめると、俺は椅子から立ち上がった。

 そろそろ春子さんが夕食を作り始める頃だ。

 なんとかその前には優司を部屋から出して、春子さんにもう心配はないと伝えたい。


「僕が漫画を描くと、すばるさんは喜んでくれるのかな」

「毎週楽しみに待ってるらしいぞ」

「……そっか」

 それだけ言うと、優司は自分も立ち上がってドアの方まで歩いて行く。


「兄さん、今日は晩御飯食べてくでしょ?」

「ああ、そのつもりだ。とりあえず母さんに心配かけた事謝ったら、二人で準備手伝うか」

「そうだね」


 そんな話をしながら俺達は優司の部屋を後にした。

 後日、俺はこの日のでまかせのせいで、どうしようもなく頭を抱える事になった訳だが、もう今回についてはじゃあ他にどうすれば良かったんだよ、とも思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る