第6章 まさにどろヌマ(後編)
第41話 今、なんて言った?
一年以上片思いをしていた朝倉すばるが実は男だったというのは、優司にとって相当ショッキングな事件だった事だろう。
きっと今は唐突に自分の幻想を打ち砕かれた衝撃やら、失恋の痛み等で、大層混乱しているに違いない。
だが、逆にコレはチャンスとも取れる。
優司がすばるへの想いを断ち切って、漫画の執筆に打ち込んだり、建設的な恋に目を向ける良い機会かもしれない。
考えてみれば、今までが異常だったのだ。
これで優司がまっとうな道に戻れると考えれば、このままずるずると正体を隠したまま関係を続けるよりも、優司に朝倉すばるの事を諦めさせる良いタイミングだとも思える。
今、俺のやるべき事は、優司に朝倉すばるの性別について他言しないように釘をさしつつ、間違いなく落ち込んでいるであろう優司を、できるだけ早く立ち直らせる事だ。
一宮雨莉に手を借りながら身支度を整えた俺は、体調が悪いからと美咲さん達に挨拶した後、早めに打ち上げ会場から帰宅した。
家に戻ってすぐにメイクを落として着替えた俺は、早速将晴のスマホから優司に電話をかけてみるが、電源を切っているらしく、繋がらない。
ならばと優奈の方に電話をかける。
こっちはすぐに電話に出てくれた。
「もしもし、どうしたのお兄ちゃん」
「優奈、突然だが今家か?」
「うん、そうだけど」
電話口の向こうで何かのBGMと声が聞こえる。
どうやら優奈は居間でテレビを見ながらくつろいでいた所らしい。
「良かった。優司は帰ってきてるか?」
「さっき帰ってきたけど、優司に用があるなら代わろうか?」
「ああ、頼む」
「わかった~ちょっと待っててね~」
俺が優司に話があるらしいと察した優奈は、すぐに優司に代わるかと提案してくれた。
頼む前から既に返事はわかっているらしく、話している間にもトントンと階段を上る音が聞こえてくる。
会話が終った直後にはコンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
行動が早い。
そして、電話の向こうでなにやら優奈が話しかけるような声が聞こえてくる。
保留機能は使わないらしい。
しばらく電話の向こうで優奈が優司に話しかけているらしい声が続いたが、やがてその声は止んだ。
「ごめんお兄ちゃん、なんか優司、今誰とも話したくないみたいで、部屋に鍵もかかってるし、今日はちょっと無理かも」
どうやら優司は現在部屋に閉じこもって出てこないらしい。
「優司って昔から落ち込むと部屋の隅で丸まって誰とも話さなくなるから。大体翌日には直ってるけど、しばらくはテンション低いままだよ」
なんでもない事のように、さらりと優奈が言うが、俺は今初めて知った。
一年、一緒に暮らして、それからだんだんと話すようになって、優司の事をわかったような気になっていたが、それでも俺の知らない、気付いていない優司の一面は沢山あるのだな、と感じた。
きっと、優奈にも、春子さんにもそういう俺の知らない面は沢山あるのだろうと思う。
考えてみたら、親父の事も俺はよく知らない。
春子さんと結婚してからはすっかり家庭的な人間になってしまったが、その前の親父がどんな人間だったのかという事を、生まれてからずっと一緒に暮らしてきたはずなのに、俺は知らない。
それに気付いてしまうと、胸の奥がチクリと痛むような寂しさを感じた。
しかし、同時に俺の家族も、俺の女装の事だとか、モデル業の事だとかは知らないし、知って欲しいとも思わないので、そこはお互い様かもしれない。
「そうか……ありがとな、優奈。明日の夕方、ちょっとそっち帰ると思うから、優司がもし出かけるようなら夕方には家にいるように伝えておいてくれ」
俺は優奈にそう伝えると電話を切った。
気持ち的にはすぐにでも駆けつけたいが、今優司は誰とも話したくなくて、明日になれば少し落ち着くというのなら、時間を置いた方が良いだろう。
優司が今、どれ程のショックを受けて、今何を考えているのかはわからない。
だけど、何とか立ち直る手助けをしたいと思う。
翌日、俺は大学の講義が終ると、その足で実家へと向かった。
玄関の呼び鈴を鳴らせば、待っていたと春子さんが俺を出迎えてくれた。
居間に通された俺は、春子さんから、優司が昨日からずっと食事も一切取らず、部屋から全く出てこないと説明された。
「今までもこんな事はあったけれど、朝には部屋から出てきてたのに、今日は学校にも行かないでずっと篭りっきりで、食事にも全く手を付けていないの。優奈から聞いたのだけど、将晴は優司が何でこうなったか知ってるの?」
心配そうな顔で春子さんが俺に尋ねてくる。
「……知ってる。でも、それは母さん達には言えない。今日はその事で優司と話しに来たんだ。いいかな?」
「昨日は、単行本の先行発売のイベントがあるって張り切って家を出て行ったのに……もしかして、その事と何か関係があるの?」
「ごめん、それも言えない。でも、優司はなんとかして立ち直らせるから、部屋から出して、飯も食わせるから、俺を信じてくれないか」
「…………わかったわ。でも、それならちょっと待ってね」
そう言うと春子さんは台所へと向かい、少ししてから、おにぎりを三つとお茶の入った湯のみをおぼんに乗せて戻って来た。
「もし、部屋に入れたら、優司に渡して欲しいの。ダメだったら部屋の前に置いとくだけでいいから」
俺は春子さんからおぼんを受け取りながら、こんな事になってしまって、とても申し訳ない気分になった。
「わかった。行ってくる」
春子さんにそう返事をして、俺は二階へと続く階段を上った。
優司の部屋まで来て、部屋をノックして声をかけるが、中からの返事は無かった。
「すばるの事で話があるんだ。ここだと話しにくいから、お前の部屋で話がしたい」
すばるの名前を出した瞬間、部屋の中でかすかに物音がした。
そして俺が言い終えると、部屋の鍵が開く音がして、静かに扉が開いた。
中から顔を出した優司は、頭がぼさぼさで目の下に隈ができていた。
「………………入って」
優司はそれだけ言うと部屋の中に引っ込んでしまったので、俺もその後を追って部屋に入った。
「母さんから。お前が昨日からなにも食べてないって、随分心配してたぞ」
おぼんを机の上に置き、椅子に座りながらベッドに腰掛けた優司を見やる。
「……僕はさ、本当にすばるさんの事が好きだったんだ」
「そうだな」
優司はおぼんの上のおにぎりとお茶を一瞥すると、下を向いてポツリポツリと話し始めた。
「すばるさんが側にいてくれるなら、他に何も要らないって、本気でそう思える位好きだったんだ」
「そうか」
「だけどさ、昨日、偶然すばるさんが着替えてる所に出くわしちゃって……実はすばるさん、男だったんだ」
「ああ」
「僕、その事がショックだったんだ」
「だろうな」
「あんなにすばるさんが好きだったのに、すばるさんの性別が男だってくらいでショック受けちゃった事がショックだったんだ」
「……は?」
今なんて言ったこいつ?
性別……くらいだと??
俺は、どうしようもなく嫌な予感がした。
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