第40話 絶対に折らせない

「きゃっ!」


 すぐに我に戻った俺は慌てて手に持っていたペチコートで女のしなを作りながら前を隠したが、確実に見られた自信がある。

 顔はメイクでごまかせても、流石に身体は完全に男だ。


 せめて服を着ていれば、まだ貧乳だなんだとごまかせたが、流石に今のように上半身裸の状態ではごまかしきれない。


 しかも、今の俺はすばるの顔に、下はふわっと広がった膝丈のAラインスカートにこれまた可愛らしいストラップシューズを合わせている。


 いろいろと言い逃れできない。


 対して優司も、ドアを開けた直後、顔を赤くした後すぐに真っ青になって、

「えっと、体調が悪そうなので、追っかけてきたんですけど……その、すいませんでした!」 

 などと言って走って行ってしまった。


 まずい。


 今ので確実に優司にはすばるが男だとばれてしまったし、優司からこの事が周囲に広がると、連鎖的にいろんな物が終わる。


 どうしよう……!


 ペチコートで前を隠したままヘナヘナと俺はその場に座り込んだ。

 しばらくそのまま呆然としていると、再び仮眠室のドアが開いて、今度は一宮雨莉が入ってきた。


「会場前の廊下からここまで、謎の水滴が落ちてていかにも追ってくれと言わんばかりね……さっき廊下で弟君とすれ違ったのだけれど、もしかして、弟君に正体がバレたりしたかしら?」


 一宮雨莉は言いながら俺を立ち上がらせ、仮眠スペースまで連れて行き、半分開いていた仕切りのカーテンを閉めなおす。


 どうやら偽乳の中の水は、会場を出てから既に滴ってしまっていたらしい。

 きっと優司もそれを追ってこの仮眠室までやって来たのだろう。


 たぶん、あの様子からして急に様子がおかしくなったすばるを心配して追ってきたのだと思う。


 その結果がコレだ。


「いや、すばるの正体が俺だとは気付いていないと思う。だた、すばるが男だっていうのはバレた」

「わかったわ。それなら、この事を他に漏らさないように、ちょっと『説得』してくるわ」


 俺が説明すると、一宮雨莉は心得たとばかりにさっさとカーテンをめくって部屋から出ようとする。


「待て、優司には手荒な事はしないでくれ!」

 このままだと優司が何をされるかわからないと、自分の時の事を思い出しながら慌てて一宮雨莉を止める。


「それは彼次第だし、こうしている間にも彼がこの事を他に漏らしたら、余計に仕事が増えるからもう行くわ。とりあえず、鈴村君は仮眠スペースで誰にも見つからないように大人しくしててちょうだい」


 しかし、俺の制止も虚しく、一宮雨莉はそう言い残すと仮眠室から足早に出て行ってしまった。


 確かに、優司からすばるの性別が漏れると、メルティードールや美咲さんの事務所にも迷惑がかかるので、一宮雨莉の言い分も、もっともではある。


 結局俺は、びしょぬれだった服が半乾きになる位まで、どうすることもできずに仮眠室で一宮雨莉の帰りを待つことになった。



「弟君、用事を思い出したって言って急に帰っちゃったみたい。あの様子だと、編集部の人にも何も言ってないようね」


 部屋に戻って来た一宮雨莉の話によると、どうやら優司は仮眠室で俺の姿を見た後、すぐに打ち上げ会場まで戻り、担当編集さんや美咲さん等、関係者に挨拶した後すぐに帰ってしまったそうだ。


「優司は、すばるに憧れてた所があったから、多分かなりショックで人に話すどころじゃなかったんだと思う」

 優司がすばるに本気で惚れていた辺りは軽くぼかしつつ、俺は一宮雨莉に説明する。


「鈴村君の実家に住んでるのよね、弟君は。家族や友達に相談という形で漏らしてしまうかもしれないし、早めに動いた方が良いわね……」


 一方、一宮雨莉は今後の動き方を考えているようだった。

 考えてみれば、高校時代から稲葉が泊まりに来ていた俺の家を一宮雨莉が知らない訳が無い。


 俺の背筋を冷たいものが伝った。


「待ってくれ、今回の優司の事は俺に任せてくれないか? あいつは繊細なんだ。ほとんど話したことの無い一宮よりは、付き合いのあるすばるや、兄である俺の方が話しやすいと思うし、今下手に優司を刺激してショックで漫画が描けなくなったら事だろ?」


 恐らく、それなりの強攻策を考えているであろう一宮雨莉に俺は提案する。

 それに、コレは嘘じゃない。


 既に優司は恋焦がれていた朝倉すばるが男だったという時点で相当ショックを受けているはずなのに、そこに一宮雨莉がいきなり家に乗り込んできて『説得』などされた日には、それこそ一生物のトラウマになりかねない。


 優司のどろヌマを描く原動力が朝倉すばるへの恋心である以上、そんなことになれば、どろヌマの続きが描けなくなるどころか、女性不振に陥って、本気で今後の優司の漫画家生命を脅かしかねない。


 元々は俺の撒いた種ではあるし、家族として、それだけはなにがなんでも阻止しなくてはと思う。


「わかったわ。確かに当人や家族だからできることもあるかもね。でも鈴村君、わかってる? この事が世間に広まれば、あなただってただでは済まないのよ?」

「わかってる」


 一宮雨莉は、小さくため息をついて言った。

 どうやら俺の提案に乗ってくれるようだ。


「だけど、いざとなったら私は、取引先の弟君より、うちの事務所に所属する+プレアデス+を守るために動くわ。それが嫌なら上手くやるのね」


 念を押すように一宮雨莉が言う。

 やはり彼女としては、美咲さんが一番大事なのだろうし、その美咲さんの事務所に所属する俺の方が優司よりは優先順位が高いということだろう。


「ああ、ありがとう」


 一宮雨莉に礼を言い、俺は腰掛けていたベッドから立ち上がる。


 きっと優司はなにも言わなくても、すばるの事は誰にも話さないだろう。

 いや、話せないというべきか。


 多分ショックすぎてそれどころじゃないはずだ。

 せっかくここまできたのに、きっとそんな事全てどうでもよくなる位落ち込んでいる事だろう。


 今の俺の仕事は、絶対に優司の筆を折らせない事だ。

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