第43話 相手はいるのかにゃん?

 その日、俺は優司を部屋から出した後、一緒に夕食の準備を始めようとしていた春子さんに心配をかけた事を謝りに行った。

 春子さんは随分と喜んで、俺にとても感謝してくれたが、今回優司がこうなった原因は主に俺にあるので、なんとも言えない気分になった。


 少しして、友達と遊びに行っていたらしい優奈が帰ってきたが、こっちは全く心配していなかった。


「まあ優司がこうなる事なんて初めてじゃないし、事情知ってるらしいお兄ちゃんが来るなら、どうせ夕食の頃には出てくるだろうなって思ってたよ」

 なんて、かなり楽観的に考えていたようだ。


 優司と優奈は口を揃えて

「母さんは心配しすぎ」

 と言っていたが、それがわかっているならもう少し心配させないようにしてやれよ、とも思う。




 どろヌマの発売から一ヶ月が経った。

 発売当初、本当に売れるだろうか、と俺が心配していたのが馬鹿らしく思える位にどろヌマは売れていた。


 発売から一週間も経たないうちにあちこちの本屋で売り切れが続出し、緊急重版がかけられ、ネット上でもあちこちで話題になっているのを見かける。


 優司は漫画家として、中々に好調なデビューを果たしたと言えるだろう。


「すごいわ、すばるちゃん! マチルダルックの人気で、関連商品は即日完売、それ以外の商品も大幅に売り上げを伸ばして常に品薄状態で生産が追いつかない。生産体制は今後大幅に強化するとして、期待以上の働き振りよ!」


 ある日、事務所に顔を出したら、いきなり美咲さんに抱きつかれてそんな感じの事を言われた。


 美咲さんは背が高いうえにヒールの高い靴をよく履いているので、抱きつかれると顔が胸に埋まる。

 美咲さんの後ろにいるであろう一宮雨莉の視線が見る前から既に恐い。

 幸せな膨らみに顔を埋めているはずなのに、その背後からの殺気で全く素直に喜べない。


 ハグから開放されて話を聞いたところ、マチルダルックの人気は日に日に高まり、現在メルティードールは嬉しい悲鳴をあげているらしい。


 頼まれていたメルティードールのどろヌマコラボで販売する限定商品のデザインをいくつか美咲さんに渡す。

 デザインといっても、マチルダの服装やアイテムを日常で使えるレベルまでカジュアルダウンした案、という感じなので、完全に俺のデザインと言っていいのかは疑問ではあるが。


「私、こういうの初めてで、とりあえずすぐに思いついたものをいくつか描いてみたんですけど……」

 そう言って俺が紙袋から大判の封筒を取り出して中のデザイン画を見せる。


「可愛いじゃない、特にこの襟にみたてたチョーカーは良いわね……」

「他の服の襟からもいくつか考えてきたんですけど、これとこれとこれなら、色もタイプも違う感じの物になると思うんです」


 机の上に広げられたデザイン画を指差しながら俺が説明すれば、返事が無く、不安に思って俺が顔を上げてみれば、美咲さんが嬉しそうな顔でニコニコとしていた。


 どうしたのかと尋ねれば、

「いやー、いー君は良い子を捕まえたなぁ、と思って」

 と言われた。


 美咲さんの隣に座っている一宮雨莉を見れば、

「私の事も、お義姉さんって呼んでも良いのよ?」

 と笑顔で言ってくる。


 美咲さんはともかく、一宮雨莉は完全に面白がっている。




「そりゃあ、一週間も放置したらゴムも劣化するに決まってるにゃん」

 外のうだるような暑さが嘘のようにひんやりとクーラーの効いた部屋で、カップのカキ氷の蓋を開けながら中島かすみは言う。


 今日は中島かすみの家で撮影後恒例のお茶会をする事になったが、屋外は立っているだけで汗が噴きでるような暑さだった。

 なので、途中にコンビニでそれぞれアイスを買った次第だ。


「おかげで大惨事だったぜ」

「一個十円そこそこなら、ケチらずに多くても2、3回で使い捨てる事をお勧めするにゃん」

 渋い顔をしてお渡し会の打ち上げの事を話せば、中島かすみは呆れたように肩をすくめた。


「そうする。まあ、万が一の時のスペアを持ち歩けるのは良いな……今の季節はどうしても薄着になるから出番は無いけど」

 結局あの事件の後、詰め物が割れる恐怖を思い知った俺は、一度もコンドームで作った偽乳は使用していない。


「ちなみに、将晴はそれを本来の目的で使用する予定はあるのかにゃん?」

 そういえば、というように、中島かすみはカキ氷を食べながら俺に聞いてきた。


「ねえよ、ちくしょう!」

 突然の中島かすみによる精神攻撃に、俺はなす術も無く大ダメージを受けた。

 一瞬、手に持ってるアイスバーを落としそうになったのは仕方ないと思う。


「じゃあ、使いたい相手はいるのかにゃん?」

「そこは好きな人いる? でいいんじゃないかな……」


 尚も中島かすみの攻撃は止まない。

 なぜ、普通に聞かないのか。

 ていうか、いたとしても、その聞き方で答えられるわけがないだろうが。


「そうとも言うにゃん」

 悪びれる様子も無く中島かすみが言う。


「いないし、好きって言ってくれる相手もいない……」

 俺は深いため息をついた。


 どうせモテねーよ!


「すばるはモテモテなのににゃ~」

「ホントにな~……鰍は?」

 さっきからこいつはなんでこうもこいつは俺の心をえぐってくるのか。


「秘密にゃん」

 蠱惑的こわくてきな笑みを浮かべ、中島かすみが言う。


「ああそう……」

 どうせこいつはモテるんだろうな……なんて思いながら俺は適当に返事をした。

 ひんやりしたアイスの甘さが心に染みる。


 そんな事を考えていると、マナーモードにしたままだったすばるのスマホが震えた。

 確認してみると、優司からラインでメッセージが届いていた。


『すばるさん、今度の土曜日、良かったら二人で出かけませんか?』


 という、いたってシンプルな文面だった。

 お渡し会の打ち上げ後、優司とはSNSでも全く連絡を取っていない。


 一ヶ月経った今になってなぜ? という疑問と共に、嫌な予感しかしなかった。

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