第44話 せっかくだから

「……という事があったんだけど、どう思う?」

 出された紅茶を飲みながら、さっきからやたらと深刻な顔をしている稲葉に俺は尋ねた。


「え? ごめん、なんだっけ……」

 はっとしたように稲葉は聞いてくる。

 どうやら俺の話を全く聞いていなかったようだ。


「だから、すばるの事を諦めるように説得した弟から、すばるにデートの誘いが来たんだよ。しかもこの一ヶ月ではSNSでも全く連絡取ってないのにいきなりだ」


 ため息をつきながら俺は再び説明する。

 中島かすみに相談したら、とりあえず面白そうだから行ってみたらいい。と爽やかに言われた。


 しかし、そんな投げやりな理由で納得できる訳も無く、中島かすみの家を後にしたその足で稲葉の家に押しかけ、現状を説明した次第である。


「あー……、弟も何か思うところがあったんじゃないか? 一回デートしたら、それで吹っ切れて諦めもつくかもしれないし、いいんじゃないか?」

 頭をかきながら、稲葉が答える。


「そういうもんかなあ」

「そうじゃないと困る……」

 まあ考えてもわからない以上、行動するしかないよなぁ、と俺が思った直後、地を這うような低い声で稲葉が言った。


「何が困るんだよ?」

「いやっ、悪い、こっちの話だ。将晴の弟は全く関係ないから気にしないでくれ」


 不思議に思って俺が尋ねてみれば、稲葉は目を逸らしながらそわそわした様子で答えた。

 こいつ、また何か面倒な事になってるんじゃないだろうか。


「さっきから、何をそんなに悩んでるんだよ?」

「実は……いや、まだ確定したわけじゃないし、もうちょっと事実関係がはっきりしたら話すよ」


 言いかけてやめた稲葉に、俺は首を傾げたが、今までの稲葉の女性関係の事を考えると、また何か厄介な事になっているのかもしれない。


「そうか。よくわかんないけど、あんまり無理すんなよ」

「ああ、ありがとう……」


 しかし、現在俺も弟の事でいっぱいいっぱいなので、ここは深くは聞かないことにした。

 そう、世の中には知らない方が幸せな事もあるのだ。




 土曜日の午後一時十五分、俺は池袋駅東口へと向かっていた。

 優司と東口出口で待ち合わせをしているからだ。


 時間を読み違えて予定より早くついてしまった。

 近所の喫茶店あたりで時間を潰すかと思っていたら、地下からの階段を上がってすぐの所にそわそわした様子で立っている優司を見つけた。


 ……待ち合わせの時間まであと四十五分あるのに。

 こいつはいったいいつから待っていたんだ……。


 もしかして本当は一時待ち合わせで俺は遅刻したんじゃないだろうか、と慌ててラインの履歴を辿ってみたが、待ち合わせ時間は午後二時だし、そもそもこの時間は優司が指定してきたものだ。


 その場に立ち尽くしていてもしょうがないので、さっそく優司に声をかけてみる。

 優司は俺の顔を見るなり嬉しそうに笑った。


「えっと、待ち合わせって二時だったよね?」

「はい、そうなんですけど、落ち着かなくてちょっと早めに出ちゃいました」

 困惑しながら俺が尋ねれば、照れ臭そうに優司は答えた。


 比較的涼しい日陰にいたとして、それでもかなり空気は蒸しているし、あまり長時間になると脱水症も心配になるのでやめて欲しい。


「いつから待ってたの?」

「あっ、大丈夫です。僕も今来たばかりですから」

 慌てたように優司は言う。


 仮にそうだとしても、俺が時間通りに来ていれば、優司はどこか涼しい店に入るでもなく、そのまま一時間近くこの場所で待っていそうな気がする。


 色々と心配になっていると、ぐ~、と優司の腹の虫が鳴いた。

「……もしかして、お昼まだだった?」

「すいません、なんか、あんまり食べられなくって……」


 俺が尋ねれば恥ずかしそうに優司は答えるが、ますます俺が優司の事を心配になるだけだった。

「どっかご飯食べられるとこ行こうか」

「……はい」


 嫌とは言わせねえぞ。

 という圧力を言外に込める。


 その後、俺達は手近なファミレスに入った。

 俺は昼食を食べてきていたので、アイスコーヒーを注文する。


 優司はハンバーグ定食にしていた。

 結構腹減ってるじゃねえか。


 申し訳なさそうにする優司に良いからゆっくり食べてと言いながら、俺は優司の真意について考える。

 こいつは今日、どういうつもりですばるをデートに誘ったのだろうか。


 稲葉は一回デートしたら諦めが付くかも、みたいな事を言っていたが、なぜデートをしたら諦めが付くのか?

 デートで何か行動をおこす……たとえば、告白するとしたらどうだろう。


 ふられてしまえば、確かに諦めも付くかもしれない。

 バレンタインの時、優司と優奈はすばるが俺に告白してそれに失敗して、俺を諦める。という事を期待していた。


 もしかしたら、今日優司がやろうとしているのは、そういう事なのかもしれない。

 であるなら、俺にできるのはこいつをふって、まともな道に戻してやるくらいだろう。


 ……そういえば、優奈も入れて三人で一緒に出かける事は多々あったが、こうして優司と約束してから二人きりで遊ぶのは初めてだ。


 どうせ帰る頃には告白されて、断って、その後は気まずくなるのだろうし、それまではせっかくの弟と過ごす休日を楽しんでみるのも良いかもしれない。

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