第32話 甘美な響き

 朝になってからも、なんだかんだとしずくちゃんに引き止められ、帰りは夕方になっていた。

 やっていた事は一日目と同じはずなのに、寝てないだけで疲労感が酷い。


 しかし、カラコンをつけている以上、迂闊に居眠りはできない。

 帰りの車の中で、中島かすみとラインで軽くやりとりしたが、大まかな話だけ伝えて、細かい事はまた今度会った時に話すことにした。


 すばるの家に送り届けられた俺は、家に帰ると、すぐにウィッグを取り、カラコンを取り、メイクを落とし、寝る前のスキンケアをし、寝る仕度を始めた。


 とにかく今は眠い。

 何か食べると余計眠くなるからと、しずくちゃんの家で出された朝食と昼食も適当に理由を付けて少ししか手をつけてないので、腹も減った。


 しかし、なにもやる気は起きないと、俺はベッドの上に倒れ込んだ。

 しばらく経ってうとうとしていると、サイドテーブルの上に置いたスマホが鳴った。

 鳴っているのはすばるの方らしい。


 なんだよもう少しで眠れそうだったのに、と画面も見ずにすばるの声で電話に出れば、一真さんだった。

「すばるさんは、須田さんよりも僕の方が好きなんですね」


 電話してきて開口一番がそれか、とも思ったが、多分それだけ俺が須田さんと一真さんのどちらを選ぶか気にしていたのだろうと思うと、なんだか少しおかしかった。


「ええ、共犯者としてなら一真さんの方が適任かなと思いまして」

「共犯者、ですか。甘美な響きですね。良ければその共犯者に選んでいただいたお礼がしたいのですが」

「お礼、ねぇ」

「一緒に食事でもどうです?」


 そこまで話して、俺は以前一真さんが作ってくれた朝食を思い出した。

 どこかに何か食べにいく気力も、自分で何か準備する気力は無いが、近場で何か作ってもらえるのなら食べたい。


「いえ、今日は疲れていて出かける気力が無いので……お礼をしてくれるというのなら、一真さんの手料理がいいです。できるだけ早く食べたいです」

「ええ、わかりました。では、十分程で適当に作ってしまうので、できたらまた連絡しますね」


 一真さんに話してみれば、案外あっさり承諾してくれて、俺は夕食をゲットした。

 今の俺はすっぴんに部屋着だが、一真さん相手ならコレで問題は無いだろう。


 せっかくだから何かデザートとか無いだろうか、とキッチン周りを物色していると、以前一真さんからもらったチョコレートが包みのまま見つかった。


 そういえば、後で食べようと思ってそのままだった。

 結局俺は、一真さんから貰ったチョコレートをデザート代わりに持っていく事にした。


 一真さんから準備ができたとの連絡を受け、チョコレート片手に一真さんの家に向かう。

「あり合わせで作ったものですが」

 と一真さんに出されたのは、ミートスパとコーンポタージュにサラダだった。


 分量的にはいつもなら十分満足できる量ではあったが、その時どうしようもなく腹の減っていた俺は、デザートにチョコレートを持ってきて良かったと思った。


「おや、そのチョコレート、まだ食べてなかったんですか」

「そのうち食べようと思っていたら日があいてしまって。せっかくだからデザートに一真さんと食べようかと思いまして」


 すぐにチョコレートの箱に気付いた一真さんに、別に一人で全部食べようとは思ってないぜ、とアピールしながら答えれば、そうですか、と一真さんは嬉しそうに笑った。


 そんなに首が繋がったのが嬉しかったのだろうか。

 まあ、給料が美味しいと言っていたし、普通に嬉しかったのだろう。


「そういえば、すばるさんの目元がいつもと違うような」

「ああ、睫毛エスクステ付けてみたんですよ。お泊り会だったので、少しでもすっぴんをマシに見せたくて」

「……良いんじゃないですか。色っぽくて」

「それはどうも」


 最近気付いたのだが、一真さんは条件反射的にいつもと違うところがあったら、とりあえず指摘して褒めてるだけのような気がする。


 でも、それに引っかかる人も多いんだろうな、なんて思うが、どうせそれも『ただしイケメンに限る』技なのだろうので、とりあえず一真さんは爆発すれば良いと思う。


 夕食も無事食べ終え、一真さんが食器を片付けている間にチョコレートの包みを開ける。

 先に食べていて良いといわれたので、早速一つ、食べてみる。

 酒のボトル形のチョコレートで、中にウィスキーが入っている物と、ブランデーが入っている物ががあるらしい。


 まずはウィスキーの方のチョコレートを口に入れてみれば、カリッとチョコをかんだ瞬間トロリと口の中に苦い液体が広がる。

 更に噛んでいけば口の中に甘さ控えめのビターチョコと、ザリザリとした砂糖の粒が口の中で独特の風味を醸し出す。


「美味しい……」

 思わず俺が声に出して言ってしまえば、

「でしょう?」

 と一真さんがどこか得意気に言った。


 俺は一真さんの言葉に頷きつつ、今度はブランデーの方を食べてみる。

 こっちはウィスキーよりも甘いというか、華やかな感じがする。


 まあどっちも美味しいのだが。とザリザリと砂糖の粒とビターチョコレートが口の中で溶け合っていく様を味わう。

 どちらも後を引く味で、食べ出したら中々止まらない。


 一真さんが洗い物を終えて戻ってくる頃には、気が付いたら箱にあったチョコレートの半分以上を食べてしまっていた。

 それにしてもこのチョコレートは旨い。


「えへへ、一真しゃん、このチョコレート美味しいれす」


 なんだか舌が上手く回らない。


 さっきから妙に暑い気がする。


 頭がぼーっとして、くらくらする。


 しかしなんだか楽しい。


 何が楽しいのかは知らないが、なんかとにかく楽しい。


「もうちょっと食べても良いれすか?」

「……ダメです。ちょっと水でも飲んでてください」

 残りを食べて良いかと尋ねれば、なぜか却下されて水の入ったコップを渡された。


「なんだよー……元々それは俺にくれた奴じゃないれすかー……」

 コップの中身を飲んでみたものの、やっぱり中身は味のしないただの水だった。

 俺はコップをテーブルの上に置き、ついでに顔も机の上に乗せた。

 あ、ひんやりして気持ち良い……。


「残りは明日渡しますから、今日はもう帰って寝た方が……」

「じゃあ今食べるー」

「だからダメですって」

「なら……」

「それも……」

「……」

「……」


 この日の俺の記憶はその辺までしかない。

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