第21話 個人的な嫌がらせ
稲葉をしずくちゃんの家に案内するにあたり、出かける前にすばるの部屋で稲葉と一真さんの顔合わせをする事になった。
「………………」
俺の隣に立ち、一真さんと向き合う形になっている稲葉が、ニコニコとしている一真さんの顔を、まじまじと見つめる。
「あの、どこかで会ったことありませんか?」
「いいえ、全く」
神妙な顔をして尋ねる稲葉に、一真さんは笑顔で答えた。
「どうせ他人の空似とかでしょう。こちら、しずくちゃんの所で勤めてる一真さん。そして一真さんの方はもう知ってるでしょうけど、私の彼氏の稲葉です」
俺は手短にそれぞれを紹介してしまう。
稲葉には、一真さんの事はしずくちゃんの世話係という事にして事前に話している。
刺客云々のくだりを省いたのは、その方が面倒な事にならなそうたからだ。
「話は大体すばるから聞きました。しずくちゃんは今、どんな様子なんですか?」
心配そうに稲葉は一真さんに尋ねる。
今回しずくちゃんがこうなってしまった責任を少なからず感じているようだった。
「食は細くなりましたが、食べてはいるようです。それ以外は、ずっと部屋から出てこないのでなんとも。携帯の電源も切っているようですし、外から話しかけてもあまり反応はなくて……お嬢様が随分とご執心の小林様なら、と思いまして」
随分としおらしく一真さんが話す。
確かに今の状況ならこう話した方が稲葉には効果がありそうだとは思った。
普段の一真さんと比べると違和感を感じるが。
ちらりと稲葉の方に目をやれば、そんな事になっていたなんて……と、かなりショックを受けているようだ。
「俺にできることなら、何でも言ってください、しずくちゃんがそうなってしまったのは、恐らく俺のせいでしょうし、やれるだけの事はやりたいんです」
意を決したように稲葉が言えば、待ってましたとばかりに、一真さんはその申し出に頷く。
「ありがとうございます。そう言っていただけると心強いです」
稲葉がうまいように乗せられている気がしないでもないが、しかし乗せられてもらわないと困るので、俺は黙って二人のやりとりを見ていた。
一真さんの車に乗せられて連れて行かれた、現在しずくちゃんが住んでいるという家を前に、俺達は絶句した。
そこには豪奢な洋館が立っていた。
「元々は関連企業の保養施設だったらしいんですけど、経営が悪化したとかで払い下げられた物を木下氏が少し手を入れて、お嬢様の新たな住まいに仕立て直したようです」
淡々と一真さんは話すが、上京する娘にポンとこんな豪邸を用意するしずくちゃんの父親って一体……。
「若い娘が一人暮らしなんて絶対に許さないとおっしゃられて、身の回りの世話や警護をする人間も一緒に住むとなると、どうしてもこれ位の広さは必要だとかで……あ、そうそう、ここの共同浴場はなかなか広くて充実してるんですよ」
唖然とする俺達に、一真さんが補足とどうでもいい情報を付け加える。
「最近羽振りがいいらしいとは聞いてましたけど、そんなにすごいんですか?」
「ええ、国内だとそうでもありませんが、グループ全体で手広くやっているようですし、最近は海外進出を果たして中々好調らしいので」
……どうやら、しずくちゃんの実家は、俺の想像以上に羽振りがいいらしい。
「婚約の話というのも、元はといえばお嬢様たっての願いを木下氏が受け入れたのが始まりのようですし、一概にただの政略結婚とは僕は言えないと思いますよ」
「………………」
しずくちゃんの部屋に向かう途中、稲葉は終始無言だった。
ふかふかとした赤い絨毯張りの廊下をしばらく進むと、一際豪華な扉が現れた。
扉には場違いな感じのする、『しずくのおへや』と書かれた可愛らしいプレートがかかっている。
どうやらここがしずくちゃんの部屋らしい。
「しずくちゃん、俺、稲葉だけど」
扉に付いていたドアノッカーで何度かノックした後、稲葉は少し大きな声でドアに向かって話しかけたが、返ってきたのは沈黙だけだった。
「お嬢様、小林様がお見えになりましたよ」
続いて一真さんが声をかけるも、返事はなかった。
「俺、しばらくしずくちゃんに声をかけ続けてみようと思います……あの、それで」
「わかりました。ではしばらく僕は外します。何かあれば、この番号にかけてください」
一真さんは稲葉の言わんとした事を察したらしく、メモ帳に携帯番号を書いて稲葉に渡した。
「ありがとうございます。……すばるも悪いけど」
「わかってるわ。がんばってね」
一真さんからメモ用紙を受け取りながら、稲葉が俺の方を見てきたので、俺も頷く。
側に誰もいないからこそ話せることもあるだろう。
俺はさっさと一真さんについて退場する事にする。
元々、稲葉の紹介以外に特に仕事も無いし、今だって稲葉の付き添いで付いてきただけだ。
とりあえず、最終的にしずくちゃんが無事復活したのを確認できれば、特に問題はない。
「いいんですか? 彼をあの場に一人置いて来てしまって」
「いいんですよ。彼はああなったら聞きませんから」
廊下の角を曲がり、稲葉がいる場所から十分離れた所で一真さんが尋ねてきた。
むしろ何の問題があるのかと、言いそうになるのをぐっとこらえて、稲葉の彼女風の台詞を返す。
「本当に彼のことを信用してるんですね」
「私が勝手に信じたいだけですよ」
高級感の漂う室内を見渡しながら、一真さんの言葉に適当に答える。
「……ところですばるさん、せっかく少し時間ができましたし、よろしければ少し付き合ってもらえませんか?」
「いいですけど、この豪邸を案内でもしてくれるんですか?」
「いえ、今回こんな事態を招いた人物に対する、僕の個人的な嫌がらせです」
窓から見える綺麗な庭を歩きながら眺めていたら、意外な答えが返ってくる。
一真さんの方を見れば、なぜか一真さんは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
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