第7話 いいぞもっとやれ

 しずくちゃんの突然の登場に俺は身構えたが、しばらくすると、どうも様子がおかしい事に気付いた。


 稲葉のコスプレしているキャラクターを言い当て、衣装の出来を褒め、是非写真を取らせてもらえないだろうかとまるで初めて会ったかのように稲葉に話しかける。


「しずくちゃん? そんなに改まらなくてもいいって……というか、しずくちゃんはあんまりこういうゲームには興味ないと思ってたよ」

 驚いたように稲葉はしずくちゃんに言う。


「その声はもしかして稲葉お兄ちゃん!? 普段とかなり違うから、誰だかわかんなかった! とっても偶然ね!」


 待っていましたと言わんばかりのテンションで、元気にしずくちゃんが答える。


 明らかに怪しい。


 怪しいも何も、昨日の一真さんからの電話の内容からして、コレも完全に何か企みがあってのことなのだろうが。


 とりあえず、今しずくちゃんに下手な発言をされて、すばると稲葉が付き合っている事になっていると優奈にバレる事だけは阻止したい。


「実は、最近友達に薦められて始めてみたらすっかりはまってしまって……コスプレの事ももっと知ってみたいと思ってたから……」


 恥らうようにしずくちゃんが言うが、既に一真さんから情報をリークされているこちらとしては、その言葉をそのまま信じる事は出来ない。


「私も、特に今お兄ちゃんがコスプレしてるキャラが好きで、写真撮らせてくれたら嬉しいな。もちろん撮った写真は後で送るから……」

 だめ? と、上目遣いでしずくちゃんが稲葉に頼む。


 最近、散々エラい目に合わされて辟易していた稲葉だったが、やはり小さい頃から妹のように思っていたしずくちゃんにそのように言われて、当然断るはずもなかった。

 何枚かしずくちゃんに言われるがままにポーズをとって写真を撮られる。


「すっごくかっこいいよ稲葉お兄ちゃん!」

「そ、そうかな……」

 しずくちゃんに褒められて稲葉も恥ずかしそうに照れる。


 普通だ。

 あまりにも急に健全なアプローチをしだしたしずくちゃんに、俺は驚いた。


 バレンタインデーにいきなり稲葉を高級ホテルに拉致監禁して既成事実を作ろうとしていたのが嘘のようだ。


 ゲームキャラの名前をいきなり言い当てた事といい、もしかしたら誰かがしずくちゃんに入れ知恵をしているのかもしれない。


 いいぞもっとやれ。


「せっかくだから、もっと設備の整った、スタジオとかで写真撮りたいな……稲葉お兄ちゃんがあんまりにも素敵なんだもの、ねえいいでしょ?」

 甘えるようにしずくちゃんが稲葉にねだる。


「えっ」

 流石に身の危険を感じたのか稲葉が固まる。

 どうやら肉食な所はあんまり変わってないらしい。


 いや、いいじゃんかよ、もう襲われちまえよ、そして籍入れちまえよ、美少女だぞ? 女子高生だぞ? お嬢様だぞ?

 なんて思ってしまう。

 ちょっとヤンデレの気があるのが難点だが。


「……それは、二人っきりでってことかな」

「もちろん」

 少し考えたように稲葉がしずくちゃんに尋ねれば、しずくちゃんは力強く頷いた。


「ごめん、だったら行けない、俺はあいつを裏切れない」

 神妙な顔で稲葉はしずくちゃんの申し出を断る。

 おい何言ってんだお前。俺は心の中でつっこんだ。


「あいつは別にその程度の事でどうこう言ってこないけど、俺が嫌なんだ。俺はあいつの事が好きだし、恋人として付き合っている以上、俺は出来る限りあいつにたいして誠実でありたいと思う」

 稲葉がなにやらかっこいい事を言って、しずくちゃんの申し出を断ろうとする。


 やめろよ、優奈だっているんだぞ、と、思いつつ隣にいる優奈の方を見れば、食い入るように稲葉としずくちゃんのやりとりを見ていた。


「あの、ちょっと取り込んでるようだから私達はちょっとはずそうか」

 部外者のフリをして逃げようと、優奈にこそっと耳打ちすれば、優奈は静かに首を横に振った。


「いいえ、私はあの人を見極めなくてはいけませんから」

 真っ直ぐな目で優奈はそう言う。

 一体何を見極めなければいけないというのか。


 そうこうしている間に稲葉としずくちゃんの言い合いは白熱していたようで、

「私だって! 私の方が! 絶対お兄ちゃんのこと幸せにできるんだから!!」

 しずくちゃんは目に涙を溜めてそう捨て台詞を残して走り去っていった。


 同時に何事かと周囲の視線も突き刺さる。

 おい何やってんだよ、早く追いかけろよ。


 ところが稲葉は俺と優奈の手を掴んで別の場所へと歩き始めた。

 追いかけなくていいのかと稲葉に言えば、今は追いかけちゃいけないんだと稲葉に返された。


 稲葉がしばらく歩いて立ち止まった所で、優奈は稲葉に尋ねる。

「稲葉さん、今の子って……」


「昔から親同士が仲良くて、小さい頃からよく遊んだりしてたんだけど、あの子が小学生の時に親が婚約やなんだって言い出してさ、あの子もそれに答えなきゃって躍起になってるけど、それじゃあの子も俺も幸せにはなれないんだ」

 困ったように稲葉は言う。


「……稲葉さんは、今付き合っている恋人さんを、どう思っているんですか?」

 なぜか真剣な顔で優奈は稲葉に問いかける。


「そりゃあいつには色々迷惑をかけてるし、これからもかけると思うけど、俺はあいつがいなくなったらどうしていいかわからない」


 稲葉も優奈の様子に困惑しつつも、答える。

 まあ、今の大分こんがらがった状況でいきなり俺が失踪したら、稲葉だけでなく多くの人が困りそうではある。


「それ位大事ってことですか?」

「そういうことになるかな」

 何かを思案する様子の優奈に不思議そうな顔をしつつも稲葉は頷く。


 さっきの問答でしずくちゃんと稲葉が『朝倉すばる』という名前を出さなかったので、優奈の中では稲葉があいつと言っている恋人と朝倉すばるは繋がっていないとは思われる。

 しかしこのまま話を続けると、いつボロが出るかわからないので、早めに話を切り上げて欲しいところだ。


 稲葉の言葉を聞き終わるなり、急に優奈は柔らかい表情になったかと思うと、とんでもない爆弾発言をした。


「そうですか、わかりました。そこまで二人が想い合っているのなら、私は二人を応援しようと思います。稲葉さん、兄をよろしくお願いしますね」

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