第48話 なにやってんのお前
元々この部屋は稲葉の持ち物なので、稲葉ならばこの部屋の合鍵を持っていても不思議ではない。
「なんだよ稲葉かよ。びっくりするから電気くらいつけろよ」
さっきの驚きのせいでまだ心臓がバクバクいっているが、ここで情けなく腰を抜かしたりキレたりすると、後々思い出して恥ずかしくなる事は明白なので、なんとかこらえて俺は平静を装う。
「将晴、お前に大事な話があるんだ……コレをお前に持っていて欲しい」
稲葉はそういうと、テーブルの上にそっと鍵を置いた。
「なんだよそれ?」
「俺の一人暮らししてる部屋の鍵」
「今後、俺にもしもの事があったら、家族に見つかる前に俺のパソコンの本体を物理的に破壊してくれ。あと、寝室のクローゼットに×印のついたダンボールがあるから、それはお前にやるよ。そっちは今すぐにでも……」
暗い顔して、焦点の合わない目で一気に稲葉はまくし立てる。
暗くなりすぎて、逆にハイテンションになっている。
稲葉はかなり精神的に追い詰められているらしい。
「待て、何があったんだよ?」
なんとか稲葉を正気に戻そうと、俺は稲葉の両肩を掴んで軽くゆすった。
「霧華さんに……会ってたんだ。姉ちゃんが。その現場ををこの前、街で偶然見てしまってな」
「へ? 美咲さん?」
少し落ち着いたらしい稲葉は、静かに話し始めた。
「別に会うくらい良くないか?」
ただ会っていただけで大袈裟じゃないかと俺が尋ねれば、稲葉が首を横に振る。
「二人は、その……以前付き合ってたんだ。それに、端から見てても距離が近すぎるような気がしてな……」
俺は実際にその現場を見てないのでわからないが、焼け
「それで気になって様子を伺ってたら、どうも雨莉に黙って二人で会ってるみたいなんだよ」
「お、おう……」
その時点で、俺はこれは色々とダメなやつだと察した。
「それと、途中で少し離れた所で俺と同じように二人の様子を見てる人に気付いたんだけど、その人、俺の記憶が正しければ、たぶん霧華さんの旦那さんなんだ」
「えっ」
相手方の旦那さんは、既にこの事実を知っているらしい。
確か、中島かすみの話によれば、霧華さんの旦那さんは、彼女の十年来のストーカーで、紆余曲折あった末に彼女と結婚したという。
……なんだろう、すごく一宮雨莉と近い匂いを感じる。
「それで、後で姉ちゃんを問い詰めようと思ってたら、ちょうど席をたった姉ちゃんに見つかって……一緒に食事するはめになった」
「なんでだよ!」
思わず俺はつっこんだ。
美咲さん、稲葉の事を無条件に信用しすぎだろ! というか、霧華さんは何も言わなかったのだろうか。
「というか、旦那さんはどうしたんだよ!?」
「姉ちゃんに誘われた時に振り向いたら、もういなかった」
旦那さんも何が目的なのだろう。
「そして、後日、その話がどうも雨莉に捻じれた状態で伝わったみたいで、俺が姉ちゃんの浮気を知ってて黙ってたと思われて、締め上げられそうになったのを、命からがら逃げてきた」
「なにやってんのお前」
もう意味がわからない。
大学に入って少しは落ち着いたかと思ったが、こいつの昼ドラ体質は健在だったらしい。
「自分でもそう思う! 雨莉には一応知っている事は全部話したけど、それで納得してるかはわかんねえ……できる限りの事はやってみるが、もしもの時は、最悪パソコンの本体だけでいいからホントマジで頼む」
「お、おう……」
とりあえず、一宮雨莉も流石に命を奪うまではしないと思うが、それで稲葉の気持ちが少しでも楽になるのなら、と俺は合鍵を受け取った。
「ありがとう。とにかくお前には迷惑かけないようにするから」
「……なあ、ところで聞きたいんだけど、お前今スマホの電源って切ってる?」
安心したように言う稲葉に、俺はふと気になった事を尋ねてみた。
「へ? なんでだ?」
不思議そうに稲葉が首を傾げて、俺は嫌な予感がした。
「…………一宮がお前のスマホに位置情報を自動で送信するアプリを入れている可能性について、考えた事はあるか?」
「なんだよそれ? そんなのあるのかよ……そういえば、雨莉は大体どこに逃げても把握してるけど、そういえば逃げ切れた時はいつも、スマホを持ってなかったり電源が切れてたような……」
言いながらどんどん稲葉の顔は真っ青になっていく。
どうやら今まで考えた事もなかったらしい。
そして稲葉の視線は静かに左の方へと移って行く。
合わせて俺も稲葉の視線の先を見る。
電源が入った状態で充電されている稲葉のスマホがあった。
「今すぐ電源切れよ、ばかぁ!」
俺が稲葉にそう言った直後、インターフォンが鳴った。
言ったそばから! と、俺達に緊張が走ったが、振り向いて確認してみれば、インターフォンの画面には中島かすみが写っていた。
受話器を取れば、
「グアムのおみやげ持ってきたにゃーん」
という能天気な声が聞こえた。
どうやら無事に海外での撮影は終ったらしい。
「よ、よく来たな。実はこっちも話したいことがあるんだ……あがってくれ」
俺がエントランスのロックを解除し、中島かすみをマンションの中に迎え入れると、稲葉が後ろから真っ青な顔で今、そんな事して大丈夫なのかと尋ねてきた。
大丈夫もなにも、中島かすみに助けを求めるのが現状で一番の最善策のように俺は思える。
しばらくして玄関の呼び鈴を鳴らした中島かすみを部屋に招き入れ、俺は事情を説明した。
話している間中、稲葉はずっと中島かすみを警戒しているようだった。
「随分と、面白そうな事になっているにゃあ」
俺が話し終えれば、中島かすみは心底愉快そうな笑みを浮かべた。
「……この事態をできるだけ平和的に収めたいんだが、力を貸してくれないか?」
「将晴は、どうしてここで鰍に頼るのかにゃ?」
話を最後まで黙って聞いていた中島かすみは、目を細めながら俺に尋ねてきた。
「だって、好きだろ? こういうの」
俺は素直に答える。
こいつは高校時代、一宮雨莉につっかかりたいがために稲葉にちょっかいを出していた気がある。
今回みたいな状況は、むしろ心が踊るのではないだろうか。
「大好物だにゃん。でも、将晴はその見返りに、何をしてくれるのかにゃん?」
「久しぶりに一宮雨莉と遊べるぞ」
「そうだにゃあ、確かにそれは魅力的だけれど、そうしたら、あんまり平和的には収まらないにゃん」
しかし、それでは俺の希望には添えないと中島かすみは言う。
要するに、俺の希望を叶える代わりに、それ相応の報酬をよこせという事だろう。
「……何が欲しい」
「今回鰍が、将晴のお願いを聞く代わりに、今度将晴が鰍のお願いを聞いて欲しいにゃん」
俺が尋ねれば、中島かすみはにっこりと笑って俺に自分の願いもかなえるようにと言ってきた。
どんな願いかと聞けば、それは後から決めると言われた。
今の自分の状況を考えると、一つの希望を聞くだけで身の破滅を招きそうだが、こいつの性格なら、意味もなく俺を破滅させるような事はしないだろう。
それなりのトラブルには巻き込まれるかもしれないが。
「…………わかった」
俺が頷けば、中島かすみは小指を差し出してきた。
出された小指に自分の小指を絡める。
「約束にゃん」
中島かすみはそう言って笑う。
今後が心配な約束をさせられてしまったが、一宮雨莉が乗り込んでくるのも時間の問題な中で、中島かすみがタイミング良く来てくれたのは本当に運が良かった。
俺が胸を撫で下したのも束の間、中島かすみが言った。
「それじゃあ早速雨莉に電話をかけるにゃん」
「「えっ」」
「一番被害が少ない方法にゃん」
うろたえる俺達を前に、中島かすみはにっこりと笑った。
受難の日々はまだ続きそうである。
―――■ お知らせ ■―――
続きは
続々・おめでとう、俺は美少女に進化した。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881289775
をご覧ください。
続・おめでとう、俺は美少女に進化した。 和久井 透夏 @WakuiToka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます