第26話 桃たんっっ

 結局その週の土曜日、俺は稲葉と一緒にしずくちゃん達と買い物に出かける事にした。

 なんだったら適当に様子を見て、須田さんと一緒にその場を離れてしずくちゃんと稲葉を二人っきりにしてやろうか、とも考えていた。


 しかし土曜日、考えていた作戦は頭の中から吹っ飛んだ。

 単純に、あまりに住む世界が違いすぎて圧倒されてしまったのだ。


 昼の十時頃に自家用車ですばるのマンションまで俺を迎えに来たしずくちゃんは、そのまま稲葉も途中で拾い、新宿へと車を出させた。


 ちなみに車は当然のように前回送り届けてもらったのと同じリムジンで、車内が広くて落ち着かない。

 しずくちゃんに聞いてみたところ、今日は街に出るので、小回りの聞く小さめの物を用意したと言われ、俺はその辺について考えるのをやめた。


「今日は服や小物を見て回りましょう!」

 しずくちゃんは目をキラキラとさせて俺に言った。


 なんでも、俺の服を参考に、稲葉から受けの良い服を買いたいらしい。

「すばるさんって、いつも可愛い服着てますよね、お兄ちゃんもそういうのが好きなのかなって」

 もじもじした様子でしずくちゃんが言う。


 確かに、すばるの服は常に女の子らしい可愛いものをと考えている。

 だが、これは『女の子がこんな服着てたら可愛いな~』という俺の趣味だ。


 稲葉はどんな服が好きなのだろうと、向かいの席に座る稲葉を見る。

 現在俺達は、俺と須田さん、稲葉としずくちゃんに別れ、それぞれ向かい合う形で座っている。


 目が合うと、稲葉はバツが悪そうに目を逸らした。

 逸らす意味が解らない。


 視線を下ろして、自分が今着ている服を確認する。

 襟の大きめのブラウスにワインレッドのカーディガン、コルセット風なハイウエストのAラインスカートに黒タイツ、こげ茶のブーティ。


 実に女の子らしくて可愛いと思うのだが、この服を肯定すると何か不都合でもあるのだろうか。

 なぜだかちょっとムッとした俺は、あえて稲葉に意地の悪い話のふり方をしてやる。


「この服は完全に私の趣味なのだけれど、稲葉はどう思う? 好き? 嫌い?」

 スカートの裾を軽くつまんでヒラヒラさせながら稲葉に尋ねる。


 ちなみに、このスカートも、ブラウスも、ついでに言うと今は車内なので脱いでいるが、俺が来ていたコートも、全てメルティードールの物だ。


 稲葉の姉である美咲さんが手がけたブランドで、俺もイメージモデルを勤めるメルティードールの服を、好きか嫌いかという問いかけをされて、稲葉が嫌いと答えられる訳がない。


 この服のブランドがメルティードールだということをを稲葉が知っているかは知らないが、それでもメルティードールがどんなテイストの服を作っているかは知っているので、迂闊にこういったファッションを否定はできないだろう。 


「まあ、どちらかといえば好きだけど……」

 渋々、といった様子で稲葉が答える。


「へー、ふーん、稲葉こういう服が好きなんだ~」

「いや、見るのが好きなだけだからな!」

 ニヤニヤしながら俺が言えば、焦ったように稲葉が答える。


「俺は全く着たいなんて思わないからな!」

 稲葉が力強く宣言し、車内の時が止まった。


 どうやら稲葉は、俺の格好を肯定すると、女装趣味があると誤解されている手前、またこの手の服を着せられるのではないかと警戒していたらしい。


 しかし、このタイミングその台詞は、むしろ着てみたいのに素直になれないように見えるので、墓穴以外の何ものでもない。


 現にしずくちゃんは、忘れてた! みたいな顔をしている。

 そして少し間を置いて、覚悟を決めたような顔になり、稲葉の両手に身を乗り出して自分の両手を重ねた。


「稲葉おにいちゃん、今日はいっぱい可愛い服みてまわろうね!」

「う、うん……?」

 状況を把握できていないらしく、稲葉は首を傾げていたが、これは教えてやった方がいいのだろうか。


「今日はすばるさんがよく着ているような、系統のお店を色々調べて来たんです」

 意気込んだ様子でしずくちゃんが言う。


「そうなんだ、楽しみだわ」

 なんてしずくちゃんに返しながら、俺は少し気がかりな事があった。


 俺の隣に座っている須田さんが車に乗り込んで軽く挨拶を交わしてから、全く一言もしゃべっていないのだ。

 確かに、こんな空気の中で話には入りづらいだろう。


 須田さんの方をそっと見てみれば、何もかも諦めたような顔をして虚空を眺めていた。

 あ、これ知ってる。稲葉に誘われて大人数の飲み会に参加したものの、うまく場に馴染めなくて、結果一人で黙々と飯食ってる俺だ……。


「須田さんは、女の子の服、どんなのが好きですか?」

 できるだけ明るく俺は須田さんに話しかけた。

 なんというか、平時の自分を見ているようでいたたまれない。


「えっ、あ、似合っていれば、なんでも魅力的かなと思います……」

「そうですか~」

「……」

「……」


 ヤバイ、会話が続かない。

 須田さんも緊張した面持ちでそわそわしているが、今の答えにこれ以上どう返せばいいのか。


「……朝倉さんはその服、とても似合っていると思います。桃たんみたいで」

 目を泳がせながら須田さんが言う。


「……ももたん?」

 俺が聞き返せば、須田さんはしまったという顔をして焦り出した。


「あっ、桃たんというのは僕が好きな『カードマスターもも』というアニメの主人公で……すいません、今のは忘れてください」


 須田さんはしょげたようにそう言ったが、次の瞬間、俺は須田さんの腕を逃げられないようにとがっしり掴んだ。

 まさかこんな所に同士がいようとは。


「私も『カードマスターもも』見てました! 再放送ですけど、少女マンガとか、こういう可愛い服装が好きになったのもそのアニメがきっかけなんです」


 そう、何を隠そう俺が少女マンガだとか可愛らしい物に興味を持ち出したきっかけがこのアニメなのだ。


 しかし、女ならまだしも、男でこれは人に言えないので、今まで『カードマスターもも』についてはまだコスプレもしていない、+プレアデス+のブログ初期の頃しか触れていない。


「可愛いですよね! 桃たんっっ」

 途端に須田さんの目が輝く。

「今、桃たんのアニメ、再々放送しているんですよ! 新たにグッズも売り出されたりして、再び注目を集めているんです」

 

 興奮した様子で話す須田さんを前に、おのずと俺のテンションも上がる。

「フィギュアとか小物とか出てますよね! 最近売り出されたクロックカードと封印の鍵、気が付いたらポチってました」


 あるある、と須田さんが頷く。

 しかし、彼の次の言葉で俺は一瞬固まった。

「そういえば、朝倉さんは、桃たんのコスプレはしないんですか?」


 しばし逡巡した後、俺は口を開いた。

「桃たんは私の中で永遠のアイドルなので、好きすぎて逆にコスプレするのははばかられて……」


 これは半分嘘で半分本当だ。

 実は高校時代からブログに上げようと、桃たんのコスプレは何度かしたことがある。


 しかし、衣装や小道具など、元の作品への思い入れがあればある程納得できなくて、結局全ての写真や衣装、小道具がお蔵入りになってしまったのだ。

 そうして一度俺は、桃たんのコスプレを諦めた。


 だが最近『カードマスターもも』のアニメが再放送されているのを知って、なんとなく視聴し始め、やっぱ桃たん可愛いわと思った時、俺は思った。


 今の俺の技術力と経済力なら、自分でも納得できるような桃たんのコスプレができるんじゃね? と。

 そんな、つい最近思いついた計画を思い出せば、自然と口元が緩む。


「でも、また熱がぶり返してしまって、こうなったら今の自分の持てる全てをぶつけた桃たんのコスプレしようかなって思ったんですが、衣装で迷ってしまって」

「ああ、可愛い衣装多いですもんね」

 須田さんも楽しそうに話に乗ってくれる


「あのアニメ、魔法少女の衣装が毎回変わるって斬新ですよね」

「それも大きな魅力ですよね!」


 そうして俺達は、稲葉としずくちゃんが目の前で呆然としているにも関わらず、店に着くまでずっと『カードマスターもも』の話で盛り上がっていた。

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