第4話リオの騎士 2

 キョウは授業をさぼり、イライラしたまま、マストロの店の開閉の悪いドアを押し開けた。

 伝統ばかり気にして何もしない騎士達や、伝統の無いのに騎士団長をしている者の息子を、目の敵にしている講師たちにうんざりしていた。

 昨日もマストロに愚痴ぐちを聞いてもらった所でイライラは収まらす、いっそうの事、退学してくるので傭兵業をメインでやらせてくれと言うと、マストロに怒られた。剣の腕は買ってくれているものの、傭兵に登録していてもマストロは絶対に仕事を回してくれないのは解っている。それはキョウがまだ学園生だからだ。

 キョウは挨拶もそこそこに、店に足を踏み入れると、この時間には珍しく客がいた。

 相変わらず陽当たりが悪いので、影になってよく見えないが、カウンターのストゥールに誰かが座っている。

 その影の人物は、入り口の方を向いており、キョウを真正面から見ている。

 そして、その影は小さかった。

 他の傭兵の子供かと、気にせず入っていくが、中に進むに連れて次第しだいに顔がハッキリと見えてくる。

 そこで何かに気付いた様にキョウは目を見開いた。

 二人は対峙するように見つめ会う。

 キョウは手の力が抜け、肩に担いでいた、教材など入った袋と、愛刀を床に落とす。

 そんなわけがない。あるはずがない。

 自分の頭の中で否定しても、目から流れる涙は止まることがなかった。

 違う、確かに違うのだ。

 顔立ち、背、格好。何を取ってもまるで違う。

 なのに重なる。

 無いはずの記憶と全てが重なる。

 思わず、キョウの口から言葉が漏れた。

「――――イップ姫」

 あまりの小声で誰にも届かなかっただろう。しかし隠れるように、入り口付近の壁にもたれ掛かっていたマストロは、納得したように部屋を横切り、カウンターの奥へと引っ込んだ。

 にわかには信じられない話だが、彼女の言った通りの結果がそこにあった。二人してマストロを騙す必要はない。

 キョウはマストロの行動を気にせず、ただ目の前を見詰めている。彼女は、少し照れたように微笑んだ。

「初めまして、キョウ。私はリオと言います。少しばかり話を聞いてもらえないかな?」

 リオは真っ直ぐな青い瞳でキョウを見据みすえる。

 胸が苦しい、まるで声がでない。身動きすら出来ない。それをすればこの現実を壊すようで怖い。リオの顔から目をそらすことが出来ない。瞬きすら出来ない。

 リオも目元に涙を浮かべているが、厳しい表情のまま、キョウを見つめている。

 やはり、あなたが来た。これは偶然なのか、必然な運命なのか。

 最初は期待していなかったが、彼とわかり純粋に嬉しく思う。全く、この記憶は困ったものだ。

「今からる所に向かうの。キョウを私の護衛として雇いたい。お願い出来ないかな?」

 キョウのあの記憶が確かなものなら、何処どこへ、何をしに行くのか解る。リオと名乗る彼女が誰なのかも。しかしキョウには、リオに彼女の記憶が有るかは解らない。

 キョウは何度も唾を飲み込み、やっと声を出すことが出来た。

「………どっ、何処へ行く?」

「王国ファスマ」

 何の躊躇ちゅうちょもなく、リオはその王国の名を呼ぶ。

「………何の為に?」

 キョウの胸騒ぎが止まない。

「決まっているでしょ、あれを閉める為よ」

 キョウは自分の記憶が間違って無いことを確信した。

 あれだけハッキリとした記憶だ。現実としてもおかしくない。ただ、生まれる前という曖昧あいまいさが無ければだが。

「ちょっと待ってくれ、もう一つ質問するぞ。変な話だが、その、なんだ、リオで良いか?」

 再びリオは頷いた。

 キョウは焦る。何と言っていいか解らない。しばらくブツブツと考えて、やっと言葉が思い浮かんだ。

「そうだ、前世。リオは前世が在ると思うか?」

「無いと思う」

 リオはあっさりと否定した。その様子にキョウは混乱する。リオが、彼女と思い込んでいたが記憶違いだろうか。

 リオは少し得意気に話し出した。

「科学的に見て、前世が在るなんて有り得ない話よ。だけど、記憶が有るのはしかた無いよ。それはどう足掻あがいても、認めざるないわ」

「えっ、科学? 前世は無い? でも、記憶は有るのか?」

忌々いまいましいけどね。私はイップ・ファディスマ王女の記憶が有る」

 そうだった、彼女は王位を継承けいしょうしている。やはり、リオは彼女なのだ。

「やっぱりか。俺は、何故か解らないが、一目見て君がイップ姫…王女だと解ったよ。俺にも記憶が有るからだ」

「そうみたいだね。私も理由が解らないけど、解かったわ。キョウはセリオン、イップ王女の騎士ね」

「そうだ。セリオン。それが俺の記憶の名だ」

 やはり、キョウの思った通りだった。しかし疑問が残る。どうして二人とも解ったのだろうか。

 目の前にはストゥールに腰掛け、地面に着かない足をブラブラさせた少女。十二歳位でなかろうか。

 青い瞳に、金色のストレートな長い髪。イップ王女は鳶色とびいろの瞳に黒い髪。ストレートのロングだけは同じだが。

 服装もTシャツに、薄目のパァーカーを羽織り、旅にはてきしていない短いスカートに、腰にはベルトタイプの鞄を後ろ向きにつけ、足元には大きめの肩掛け鞄を置いてある。イップ王女なら絶対しない服装だ。

 育った環境の違いからかも知れないが、口調もイップ王女はもっと、王族の話し方だった。

 リオとイップ王女とは余りにもかけ離れている。なのになぜ解ったのか。

 きっと、前世の記憶がお互いに共鳴したのかも知れない。

「それで、王国ファスマまで着いてきてくれる? お金は余り無いけど」

 リオは心配そうに、キョウの顔色をうかがう。そこで有ることに気付いた。

「待ってくれ。本当に行くのか? 俺はいいが、君はまだ小さいだろ」

「これでも我慢したのよ。十二歳になるまで」

 小さいと言われるのが嫌なのだろうか、リオは少しほほを膨れさす。

「待て、後悔しているのは解るが、まだ十二歳だ。知っていると思うが、危険だぞ」

 話して居る間に、段々と冷静に成ってきた。

 王国ファスマまでは、リオみたいな子供が行くには、余りにも険しい道のりだ。

「解ってる。でも年だけを言うなら、私は今三十五歳だよ」

 記憶の年齢が確かなら、イップ王女が十七歳の時に、王国ファスマは霧に包まれた。あれから十八年経っている。

「記憶を入れた年齢だろ。今はまだ十二歳だ」

「でも、記憶が有るなら、回避出来る事も多くあるよ」

 確かにキョウも、剣の腕が良いのは、セリオンの記憶が有るからだ。

 ただ、記憶が有るからっと言って、それだけでは剣の腕は上がらない。キョウは今度こそは、人々を、イップ王女を守りたく思い、他人より必死に剣を握ったのだ。それは血のにじむ思いだった。多分、リオとしても同じだろう。彼女も色々調べて、勉強してここに居ると思うが、それでも思った。

 剣の腕が上がっても限界がある。

 前回の霧がせまって来たとき、嫌っと言うほど思い知らされた。

 今のキョウは十六歳の騎士養成学園生で、救えた人々は余りにも少ない。同じ思いなのは解るが、リオにはまだ早すぎると思った。

「悪いが、考え直せないか? 現実には、リオも俺もまだ子供だ。やれる事には限界がある。過去の知識は在って、色々知っていると思うが体は違う」

 知識は三十五歳だろうが、身体は十二歳の少女だ。王国ファスマはそれなりに遠い。

「私は大丈夫よ。それに、私が行けば多くの人が助かるでしょ」

 それも解っている。

 確かに人々を救う事は出来る。しかし、成功すればの話である。

 本当にリオを王国ファスマまで届けるなら、ティーライ王国で表すと、騎士団の大隊クラスが、彼女を霧や、霧に取り付かれた者や、他国の情報を欲しがる者を、蹴散けちらせながら行くのか一番合理的だし、確実だ。

 王国ファスマから、イップ王女とセリオンは一度去った。だが、何とか霧を止めようとして、二人で戻ったことがある。

 困難だった。

 霧だけでなく、王国ファスマの人間だと解れば人々も敵だった。後方からの支援もなく、銀路も尽きる。一番知っている。その大変さを。

「だけど、もう少し大きく成ってから行くのは駄目か? その時なら、俺は何を投げ出しても君を守り、必ず届けてやる。だけど今は失敗する可能性が高い」

 経緯けいいはどうであれ、自分を投げ出しても人々を守るイップ王女を、キョウはあこがれもしたし、尊敬もしたし、愛もしていた。人間として、女性としても。

 そこだけを見ると、やはりイップ王女とリオの二人は同じかもしれない。だからこそ、次は失いたくない想いが溢れ、どうしても行かせたく無かった。

 例え五年経ち、キョウが騎士たち仲間を動かし、リオが成功するまで百万の死人が出ようが、キョウはそれの方が良かった。

 リオは溜め息を吐くと、少し悩んでから頷いた。

「……………解った」

 リオはストゥールから飛び降ると、足元の鞄をたすき掛けにかついだ。

 キョウは安堵の溜息をつく。

 良かった。解ってくれた。それならあと数年後に、世界は確実に救われるだろう。

「あぁ、それなら他に話したい事もあるし、連絡先を教えてくれないか。それに、数年後には王国ファスマに行くなら、本格的に作戦を練らなきゃいけないしな」

「練らない。交渉は決裂。マストロさん、交渉が駄目なら紹介料は要らないよね?」

 裏に引っ込んだはずのマストロは、慌ててカウンター内に飛び出してきた。その様子から、後ろで話を聞いていたのだろう。

「あぁ、そうだが、ちょっと待ってやれ。キョウが言っていた事は間違ってないぞ」

「何が間違ってないの? 上手いごたくを並べることが? 一年間で、霧のせいで死ぬ人数を解ってる?」

 目を細め睨んでくる、リオの顔には怒りがあった。

 何故かキョウは厳しい表情のまま答えない。マストロはしどろもどろしながら答えた。

「二万、いや………五万人位か?」

「二十万人。もっとも、それも統計の取れる地域だけだから、本当はもっと行くでしょうし、その数は年々増えていってるわ」

 マストロは押し黙る。考えれば、この前の霧の犠牲者も二百人近かった。世界ではあれ以上の悲劇が有るのは当たり前だ。

 キョウは答えた。

「……………知っている」

 記憶が有るから、霧の事は調べた。特に自分の大切な人が関わった事だ。結果は知るべきものと思い。

「それなら、五年経てばいくら死ぬか解るよね。そして、それを誰が引き起こしたのも、知っているよね?」

 キョウは再び押し黙った。知っていても口に出したく無かった。

 話の流れから、マストロは驚きのまま答えた。先程のリオの話では、そこまで語られていない。

「霧は突然現れたわけじゃないのか? まさか、誰かがやった事なのか?」

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