第36話ラズベリーブルーの草原 3

 その日、王国ファスマに一番近いフォエベ王国の港に、五百名の兵士が降り立った。

 この辺りの霧の数を軽視けいししているのか、全ての兵士は馬にまたがっている。

 霧の対策として、馬には多くの鳥籠とりかごがくくり付けられているが、果たしてその程度ていどの数でどこまで持つのかは考えもので、あまりにも無謀むぼうすぎる姿だ。

 その為か、兵士たちの士気しきは低かった。

 大戦からながらくの時が経っており、その様な光景は最近はまるで見ない。霧の大討伐でなら何度か見てきたが、馬に乗ってなど見たこともないし、考えられない事だ。

 人々は珍しそうに、遠巻きで兵士たちを観ている。

 五百もの大軍は北を目指して、一斉いっせいに移動していく。

 北と言えば王国ファスマのある方向だ。

 人々はあまりにも無謀むぼうな兵隊達を無言で見送った。

 しかし、フォエベ王国の人々が、本当に驚いたのはもう少し後で、半日後に現れる、法国オスティマ本国の旗をかかげた、二百名の兵士が、再び北に向かうのを見たときだった。

 こちらも馬に乗り、鳥籠を幾つも付けていて、先ほどと同じだが、司令官に対して声を上げ、士気しきは高い。

 フォエベ王国の人々は、どこかで戦争が始まったのかと、不安な面持おももちで北の山々を見上げていた。



 ストラを離れて、キョウ達は王国ファスマを目指し歩く。

 依然いぜんと霧は増えていったが、ユキナの鉄の棒をキョウが使い、霧など相手にならない。それに、ここまで来ると、霧のせいで生物自体が少なくなるのか、逆に霧に乗っ取られた生物とは、ほとんど出会わなくなった。

 ここからはキョウの独壇場どくだんじょうだ。無抵抗むていこうな霧をこそぎ切り倒す。

 リオやユキナは、霧を相手せず余裕を持って旅が出来た。

 霧が相手に成らない今、キョウ達の旅のスピードは早い。このままのペースで進めば、ストラを出たのが早い分、イップ王女達より早くに王国ファスマに着けるだろう。邪魔をされる心配は薄くなる。

 三人並んで歩いていると、不意にリオがキョウの顔をき込んできた。

「どうした?」

 汗をきながらの、キョウの問い掛けにリオは首を振った。

「何でもないよ。キョウが何だか楽しそうに見えて」

 リオに言われて初めて気付いたが、キョウの口元はゆるんでいた。

 ここまで命を狙われたり、自分達に他人の記憶を植えられたりと、信じられない事ばかりが起こる、辛い旅だった。それに、セリオンが暗殺者を倒してくれたことを知らないキョウは、今も暗殺者には警戒をしているが、アイストラ王国を出てから、気配が絶たれたので諦めたものかと安易あんいに考えていた。

 ただ、王国ファスマが近づくにつれ、それでも楽しい旅だったと感じる。

 記憶の中の思い出の風景。

 キョウの記憶では無かったが、なつかしい場所に帰ってきたと言う気持ちが高ぶり、自然と足が早くなる。リオも同じ気持ちなのだろう。彼女も笑顔だった。

 しかし、それは王国ファスマの領土に着いてからは一変した。

 三人は国境を越え、ついに王国ファスマの領土りょうどに足をみ入れる。

 領土に入ったとは言え、しばらくは風景も変わらず、ただの森の中を歩いているだけと同じなので、王国ファスマにやって来たと言う気持ちにはあまり成れない。

 しばらく歩き、領地の最初の町に差し掛かる。

 町は、崩れた家屋が残っているだけで、当たり前だが誰も残っていない。

 この辺りは領地の中でも農業が盛んな所だった。以前は、秋には金色の麦畑がつらなっていた場所は、今では草が生えしきり、あの時のような面影おもかげはない。

 イップ王女達の記憶では、霧が発生して一年後の記憶なので、ここまでひどい荒れようではなかった。

 当たり前の話だが、キョウやリオにとっては、王国ファスマのにぎわいを知っているだけに、そんな些細なことが寂しく思った。

 あのにぎわいは、もう戻って来ないのだろう。しかし落胆らくたんしている暇はないと、足取りを進める。

 以前に来た、イップ王女達の記憶より早かったが、それでも六日かかった。

 その日、山とは言えぬ、高台の坂道の上らからそれは見下ろせた。

 記憶に有るだけで、自分の目で確めるのは初めてだ。

 それを見た瞬間に、リオはキョウの手を強く握ってくる。キョウも強く握り返す。

 お互いに言葉は無かったが、気持ちは同じだった。

 キョウは出発前に、リオの年齢なら失敗する可能性が大きいと言った。確かに楽な旅ではなかった。幾度となく、命の危機を感じた旅だった。しかし、キョウとリオはやっとそれを見た。

 高く、入り口付近は二重構造にじゅうこうぞうの、外敵から城を守るための堅陣けんじん外壁がいへき

 今は霧を出さないための外壁がいへき

 王国ファスマ正門。

 ついに、キョウ達は、王国ファスマにたどり着いたのである。



 其処そこは、十八年前、世界で一番大きかった国。

 人々が、誰もがあこがれた国。

 技術が一番進んでいた国。

 事の発端ほったんの国。

 十八年前に滅んだ国、王国ファスマ。

 二人の旅の目的地。

 キョウとリオ、二人の物語の最終章。



 懐かしい王国ファスマの外壁が姿を現せた。

 領土を歩いていても、王国ファスマにやって来たと、あまり実感が持てなかったが、この風景を見ると、あらためて心から思う。

 見覚えのある風景。

 幾度いくどとなくくぐってきた門。

 誰かが、もしくはイップ王女が開けたので有ろうか、正門は人が一人通れるほどの隙間すきまだけ開いていた。

 十八年前、この門を閉めたのは、いまだに頭の中に残る。

「ユキナもここから出てきたの?」

 リオが楽しげで、少しだけ自慢したように、ユキナに話し掛けている。

「いや、城の西側の方だ。あの辺りの城壁は一部くずれていた。そこから出てきたが、あれは遠回りだった」

「城壁、くずれてるんだ」

 確かに十八年前、手付かずな土地だ。いくら堅陣けんじんな城壁であろうと、もろい場所は有るだろう。それに門が閉まったあと、誰かが中から出るために壊したかも知れない。魔法を使えば可能だろう。

 キョウ達は、正門をくぐり中に入る。

 記憶にある、目も閉じたくなる惨事さんじ

 霧に乗っ取られていない者も、まだ中に居るにも関わらず、みなで閉じた王国ファスマ側の正門。そこも開いていた。

 人々の叫ぶ声が今も耳に残るが、その現場である今の城壁内は、あれが嘘のように静かで穏やかで、霧の姿もない。

 二重構造の城壁のなかは、広く取られており壁は高い。

 城壁の壁の中には、敵を弓で狙うための穴や、通路が設けられており、そこまで登るのは、梯子はしごに成っている。休憩するなら、もってこいの場所だ。

 霧は梯子はしごを登っているところは見たことは無いので、登れないとは思うが、人が登ったあとに梯子はしごを取れば、霧はさらに城壁の上にはやってこられないだろう。

 ただ、十八年間放置された、竹製の梯子はしごを登る勇気があればの話ではあるが。

 それに、ここは霧の発生する以前は、流通の管理をしていたので、色々な物や道具がおかれている。

 しかし、武器やくわなどの鉄製品はサビついており、雨風のあたる木製の扉や、外に出したままの木製の箱などはてている。それは、十八年と言う時間が、けして短く無いことを意味していた。

 夕暮れまでには城に着きたいので、ここでは休憩を取らず、そのまま後にする。キョウ達は、悲劇の歴史が出来てしまった、王国ファスマ側の門から、外に抜けだした。

 ここからは城までは後一時間。

 後一時間で、辛い歴史に幕を下ろす。

 ここからも、キョウが思っていたほど、霧の数は多くない。外とよく似た程度だ。それを考えると、リオやレナ姫に教わった通り、壁では霧の隔離かくりは出来なかったのだと解る。

 それでも、他の国から考えれば格段に多い。

 霧の多い場所では、それが自然の霧か、次元の違う霧が多く集まり濃くなっているのか区別できないほどだ。

 それに、そこまで集まられると、現在はユキナに借りている、キョウの持っている、霧を切り裂く鉄の棒一本では対処たいしょがやりにくい。

 真っ直ぐに歩けば、そのまま城に一直線で行けるのだが、そのように霧が固まっている場所はけて歩いていくと、どんどんと東に追いやられる。

 それはどこに通じる道か解っていたので、キョウとリオは、本道の方にあえて道を修正せず、そのまま進んでいった。

 リオは、今から向かう場所が嬉しいのか、キョウの顔を覗くと、楽しそうに話し掛けてきた。

「キョウ、あそこに着いたら、ちょっとだけで良いから休憩しようよ」

 現在は霧の発生源の中心地の、危険な王国ファスマに居るにも関わらず、場違いな提案をしてくる。

 興奮しているのだろうか、少しだけほほを赤らめた顔だった。

「霧が集まっていなかったら少しだけな」

 こんな時に不謹慎ふきんしんだが、キョウもリオに負けずおとらず、行ってみたい願望がんぼうは大きくある。

「しかし、不安だな」

「そうね………」

 二人して不安を口にして、黙り込む。

 ユキナは二人の会話から、霧が多くて不安をもたらしていると考えていた。

 ここまで来る最中に、さらに詳しく二人の過去も聞いた。

 ユキナもリオの考えと同じく、前世など信じていなかったが、やはりその通りで、二人にはイップ王女とセリオンの記憶を、植え付けられた事が最近解った。

 ユキナの世界にも、その技術に近いものがあるが、まだ他人の記憶を植え付けられるまで行っていない。しかし、魔法を使えば、技術をおぎない、さらに進化することもリオにより理解できた。

 全く、リオの凄さには目を見張るものがある。この世界の住人は気付いていないが、その凄さは空間輸送システムを止めるだけに留まらない。もっと凄い技術に通じている。

 リオの考えた世界が来れば、それは本領を発揮するだろう。

 少しだけ帰りたくない。それをこの目で見てみたい。

 ユキナは学者だ。だから、この世界にきて初めて、自分の身の安全よりも、好奇心の方がまさった。しかし、リオに言われた通り、ユキナも帰ってすることがある。

 全ては、リオの考えた未来のためだ。

 ユキナは二人を見る。

 不安の影をのぞかせながらも、楽しそうに力強く前に進む。

 本来なら、二人は脇役で、イップ王女の予備として終わるはずだった。空間輸送システムを閉めるにしても、ユキナやイップ王女が主役だったはずだ。

 それなのに、今、前を向いて歩いていりのはリオだ。

 リオの案無くして、空間輸送システムは止まることが無かっただろう。そして、止まらないならそれ以上の未来も無かった。

 彼女により、時代はかせが外れ、大きく動けるようになる。それなら、ユキナは脇役で十分かまわない、この物語の主役はリオしかいない。

 嬉しそうに前を歩くこの二人には、解っているのであろうか、その凄い事をりに行くと。

 多分、解っていない。

 二人は言葉より、ただある未来をなぞるように作って行くだけだから。

 数回の霧と対峙して、キョウ達は目的地に近付いた。

 胸が高鳴る。

 これを見れる喜びも大きいが、不安も大きい。

 霧を止めるために、こんな場所までやって来て、他の者が考えれば小さすぎる不安。未来を目指して歩いてきた二人が、一つだけ過去にこだわったもの。

 長い坂道が平坦になり、林から抜け、森が終わるところ。

 そこからはか木々が生えておらず、また少しだけ登り坂になっている。

 キョウとリオ、二人してその坂道を掛け登った。

 早く見たい。不安はあるが、それでも自分の目で確かめてみたい。

 林の間から飛び出すと、一気に空気が変わる。

 草と土のにおい。雨降り前のにおいにも似ている。

 二人がそこを登りきったとき、一気に風が二人の間をけ抜けていった。

 そして、その風により、二人の前を小さな花びらが舞う。

 その花びらの色はラズベリーブルー。

「うわぁー」

 キョウの隣でリオが歓喜かんきをこぼしていた。

 二人の不安はよそに、ラズベリーブルーの丘は、イップ王女とセリオンの記憶のままに、リオとキョウを出迎でむかえてくれていた。

 王国ファスマの、東の木々の生えていない高台にある、ラズベリーブルーの草原。

 くずれた家屋かおくや、てた土地、風化ふうかのした道具とは違い、ラズベリーブルーの草原は今もなお、その青色は健在けんざいで、王国ファスマをささえているような気がした。

 ユキナは呆れた様に二人を見ていた。

 これから歴史に残るような、大きな仕事をすると言うのに、まだまだ子供のような事にこだわる。

 たしかに、他人には些細ささいな事かも知れないが、キョウとリオには十分に意味が有ったし、もう存在しないかと不安にもなった。

 二人の記憶にしかない風景が、今も目の前にある。

 二人はどちらともなく、自然と再び手を繋いだ。

 眼の下には、滅んだ王国が有る。

 城下町はここからも解る位に無残につぶれ、城だけが孤独こどくたたずんでいた。

「ついにたどり着いたな、王国ファスマに!」

「うん!」

「もうすぐ空間輸送システムが閉じるんだな!」

「うん!」

「霧のない時代が来るんだな!」

「うん!」

「リオ、頑張ったな」

「うん、………キョウ、」

「なんだ?」

「ありがとう」

 そう言えば、今まで旅をしていて、一度しか見たことがなかった。

 人々との別れ。

 暗殺者に狙われた事。

 自分や他人の、幾つもの過酷な過去。

 何度辛い目にあっても、ただ前を向いて、弱音は出なかった。

 リオは歯を食いしばりながら、静かに涙を流していた。

 キョウは誘われた涙を、グッとこらえる。

 今の言葉はリオ・ステンバーグ姫の台詞ではない。リオ本人の気持ちだ。だから純粋に嬉しいが、まだ終わりではない。

「リオ、礼を言うのはまだ先だ」

 リオは目元の涙を、両手でぬぐい去った。

「そうね、ここからが本番よね」

 リオは振り向いて、キョウとユキナを真っ直ぐに見つめる。

 二人は笑顔だった。

「ユキナ、私のサポートをお願い!」

「任せろ!」

「キョウ、私を守り、助けなさい!」

「解った!」

 三人して頷く。

 リオはこの旅の最終目的地の名を静かに語った。

「少し休憩したら、王国ファスマ城に向かいます」

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