ラズベリーブルー

オトノツバサ

第1話滅んだ国 1

 目を閉じると、何度も思い出す風景。

 この地で、一番大きいとしょうされていた大国だ。

 城から北にかけて広大な山々がそびえ立ち、東の地には木々が生えていない、見晴らしのよい丘がある。

 城下町を守る外壁はないが、代わりに重要な領土を囲うように、広大な外壁が成されている。

 高く、門付近は二重構造の、堅陣けんじんな外壁に関わらず、門はいつも閉まることが無く、他国との交流の多さを物語っていた。

 城下町はレンガ作りの町並みに、石畳で舗装ほそうされた道路。

 多くの人波が町中を行きかわし、露店で足を止める。町の中は活気にあふれていた。

 メインロードの半ば程にある、口うるさいオバサンが開いている、パン屋のタマゴサンドは絶品で、彼女もお気に入りだった。

 東の丘には春先にかけて、ブルーの野花が一斉に花を咲かせ、ラズベリーブルーの草原として、人々に安らぎを与えた。

 いつまでも頭に残り、消えることのない、俺の中の記憶の風景だ。

 それは、世界で一番大きかった国。

 人々が憧れていた国。

 十八年前に滅んだ国。

 事の発端ほったんの国。

 全ては、俺の生まれる前の話だ。



一  滅んだ国



 目の前に剣を握った少年がいる。

 木製のロングソードを正眼にかかげる、最も合理的な構えだ。しかし、なんとも滑稽こっけいに見えるのは、腰が引けているためかも知れない。

 対峙しているのも少年。

 こちらは右手の木製のロングソードを肩に担ぎ、左手を前に差し出した変則的な構え。ただし、全体から力が抜けており、構えに余裕が見える。

 「始め」の合図で仕掛けたのは、正眼の少年からだった。上段に剣を降り上げ、降り下ろす。

 一閃だった。

 カランと乾いた音がして、彼の木製の剣が跳ね上がり、地面に転がった。

 つまらなそうに、変則的な構えだった少年が、トントンとおのが剣で肩を叩く。

 誰もが想像した結果がそこにはあった。しかし、まだ「辞め」の合図は掛からない。

「どうしたキョウ、まだ終わっていないぞ」

 キョウと呼ばれた少年は、不服そうに講師を眺める。

「もう、勝敗は付いている」

 確かに、誰の目から見ても勝敗は付いていた。しかし、とどめを刺すまで、勝敗を決めるべきではないのなら、キョウも納得ができる理由である。

 講師は甲高い声でキョウを睨み付けた。

「いい気になるなよニグスベール! 勝敗を決めるのは私だ。お前ではない!」

 講師は、あえてキョウが嫌うファミリーネームの方で呼ぶ。

 講師の言い分はいつも同じだ。講師いわく「伝統のある騎士が、たかが剣を落とされたぐらいで、負けはしない」

 酷いときなど「伝統のある騎士が、たかが斬られたぐらいで負けはしない」

 その騎士も領土の大きな騎士ほどそうらしい。キョウは木製の剣を投げて、講師に従うことにした。

「俺の負けでいい」

「いい加減にしろニグスベール。親が騎士団長だからと言っていい気になるな! 学園では騎士団長より、講師の方が上だ」

 講師に嫌われるのは、それなりに理由がある。そして、キョウ自身がなげやりに成るのも、それなりに理由があった。



 ティーライ王国は、大戦時代に他国から恐れられるほどの、力と伝統のある騎士団で編成された王国だ。

 しかし二十五年前に、人々は徐々に変わり始めた。

 大きな代償を払うかわりには利益の薄い、人間同士の争いを辞め、奪うよりも自国を豊かにすることに力を入れ始めたのだ。農作物に力を入れる国、観光に力を入れる国、技術に力を入れる国。様々な国があるなかで、ティーライ王国は農作物と観光に力を入れ、騎士達は次第に力を失って行った。

 剣を振るより、国から与えられた領地の名産を造る方が金になる。金を持っているほど他人より一目置かれる。

 元々、ティーライ王国は暖かな気候に恵まれ、作物が良く育つ環境だった。中でもブドウの出来がいいので、そのブドウでブドウ酒を作ったところ、他国でも評判になり高値で取引される。

 騎士達は競って、己が土地を耕し、ブドウ酒造りに没頭した。

 七年という時間は、剣を忘れるのに十分な時間であった。そして、大戦終戦の七年後の、今から十八年前にそれが起こった。

 事の発端は王国ファスマ。

 世界で一番大きく、もっとも技術の進んだ国が、突如、意味不明な霧に包まれた。

 霧の大きさは人間大。それが無数に現れた。しかし、それだけでは大した問題で無い、問題はその先だ。

霧は動物、時には人間に接触すると、その者を異物へと変化させる。

 細長く成る者。真っ平らに成る者。体の内側からめくれ、内臓が外皮なる者。各々は別の単体で有るにも関わらず、一つの生命でしばられる者。

 悪魔の様な外見に成るならまだしも、命のある生命体として見る事は考えにくい変化をとげる。変化した者は、まともな考えを持ち合わせている様には見えない。ただ生きるために、他の者を食べる。もちろん人間すらも。中には吸収すると言った方が正確な者までいる。

 人間が霧に乗っ取られる事を、回避しようとするなら、恐怖を感じず、自分は自分だと、ただ意識を強く持つことのみ。

 王国ファスマは、人々の憧れの国から、一気に絶望と恐怖の国へと変わった。

 王国ファスマの人々は死力をつくし、堅陣な門を閉じることで、霧をある程度減らせる事に成功した。霧は風になびく事もなく、空を飛ぶ事も出来ないことから、それは有効打となったのだ。しかし、それも全てではない。隙間すきまから漏れ出したり、突如、壁の向こうからこちらに現れたりする物はいなめない。それでも、外壁はある程度の役にはたった。今から思えば、その為の外壁にも思える。しかし、そこには多くの犠牲も払った。

 外に出られた人々は、ほんのわずかだった。

 そして、外に出た王国ファスマ人にとっても、絶望はまだまだ続いた。自分の出身地を知られれば、不必要なまでのしいたげが待っている。王国ファスマ人々は、逃げるように身を隠して生活をしていくしか無かった。

 だが最悪なのは、生き残った王国ファスマ人だけではない。世界各地に散らばった霧は、人々に恐怖を与える。

 森には変化した小動物や、大型動物達があふれ、霧に乗っ取られた隣人に、突如、襲われる事も当たり前となる。

 相手は霧なので、剣で切る事も出来なく対処方法がない。さらに魔法によっての討伐ですら不可能であった。

 出来る事と言えば、小動物を篭に入れ、霧に乗っ取られた後に倒すのが、唯一の方法であった。

 直ぐに討伐隊が形成され、各地で霧狩りが始まるが、数の多いことや、恐怖心から、あまり上手く行っているとは言いがたかった。

 ティーライ王国も、騎士達による討伐隊が形成される。しかし、一度剣から離れた騎士達にとって、少しばかり荷の重いものとなった。

 国は騎士養成学園を作り、新しい戦力の開発に力を注いだ。そして、こうをそうして王国周りの討伐に成功を納め、ある程度の安全を手にしたのだが、最近になり事件が起こったのである。

 それは今から一カ月前の話だ。

 霧や、乗り取られた者が連携を組んだように、ティーライ王国を襲ったのである。

 現在の王は慌てた。

 それもそのはず、前王が亡くなり、膨大な葬式を済ませ、王を即位して七日目の事であった。

 遅くに生まれた皇太子は、甘やかされて育った。大戦を知らない、国政も家庭教師に教わっただけの、現場を知らない人物だ。

 国政を牛耳る摂政達せっしょうたちは、元々は形だけの王で有ることを望んだのだろう。指示どおりに動く王でよい。しかし皇太子は、王になってからは、国政に口をはさむようになる。

 特に摂政達せっしょうたちを悩ませたのは、その発言がただのわがままだからだ。

 霧が攻めて来た時も、全ての騎士を統括する騎士団長の言葉を、まるで聞こうとはしなかった。

 ティーライ王国の騎士団長、バード・ニグスベールは作戦会議室で、副騎士団長、師団長たちと霧の討伐の軍議を開いていた。そこに伝令の者がやってくる。

「何っ? 王が騎士に招集をかけた?」

 突然の王の命令に、バードは自分の耳を疑った。

「はっ! 騎士団長も速やかに来るようにと、仰せられております」

 伝令の男は敬礼の姿勢のまま、的確に用件のみ伝えた。

「今からか?」

 理解できない話を聞いたように、バードは再度たずねる。

 作戦会議室では、今まで霧を壊滅してきたとおり、小動物の準備や、隊列をまとめあげ、いざ向かう手だてが整った矢先である。

 霧に乗っ取られた者は、対処さえ間違わなければ、さほど脅威きょういでない。問題は霧自体だ。意識の弱い人々は、霧に乗っ取られる。それは子供や老人により多くだ。霧は進行が早く、早期解決が望ましい中、今手を止められるのは痛手であった。

 バードは自分の片腕に値する男に目をやり、皆に指示をする。

「くっ、では、皆の者、私の代わりに、副騎士団長に指示を仰ぎ…………」

「副騎士団長も、招集がかかっております。師団長達にもです」

「――――こんな時に幹部全員にかかっているのか!」

「はっ!」

「何を考えている! 現状が解っていないのか!」

 バードは怒りの余り顔をゆがませたまま伝令に吠えたが、彼にあたっても仕方がない。バードは荒々しくドアを開けて出ていく。皆もそれに続いた。

 広い城の中を、騎士達が一気に駆け抜けていく。周りの者はただならぬ雰囲気の騎士たちを心配そうに眺めていた。

 バードは王の接見の間に着くと、すぐさま王に駆け寄った。王は摂政達せっしょうたちと護衛の騎士に周りを固めさせ、大きな椅子の上で小さくなっている。

「王! どうなされたのです。早く霧の討伐にいかなければ、取り返しのつかないことに成りますぞ」

「あぁ、バード、霧だ。霧がここに来るぞ」

「で、あるからして、速やかに騎士団達を討伐に出させて頂きたい!」

「あぁ、解っておる」

「では、まいります」

 バードは敬礼もそこそこに、騎士達と共に戻ろうとする。今は何より時間が惜しかった。

「待て、待て、お前達はここにいろ!」

 王は慌ててバード達を呼び戻す。

「指揮を取らなくてはなりません。どうか行かせて下さい」

 ここで初めて、バードは王が震えている事に気が付いた。

 それもそのはず、皇太子時代は先代の王に守ってもらい、無能な次の王は自分達の言いなりと、摂政達せっしょうたちからも軽視さる。時代の流れから、王族権力者達の減少によって、王族特有の血生臭い権力争いから逃れた。今まで命を狙われることは皆無に等しい。その事から、命の危機に面するのは、今回が始めてだろう。

 それは恥じる事ではないとバードは思う。しかし、自らは堅陣な城に守られているのだ。今は国民の安全を心配するのか先決だろう。

「指揮なら、伝令の者を使えばよい」

 離れた場所では指揮は取れない。戦場は生き物で、常に変化している。

 バードは摂政達せっしょうたちを見た。

 年老いた摂政達せっしょうたちにも、自分の周りを囲ませているぐらいだ。二、三人師団長を置いて行っても、納得はしないだろう。

「では、私が残りましょう。後の者は戻します」

 バードはそれなりに、腕には自信があった。彼は昔からの伝統ある騎士でなく、領土すら持っていない。しかし、バード一代で騎士から団長まで上り詰めた、いわゆる叩き上げだ。

 剣の腕や頭脳がないと、何も後ろ楯のないバードは、騎士団長まで昇れなかっただろう。その事は皆が知っているし、自覚もしている。

「ならん、王の危機だ。全員残れ!」

「しかし王、指揮を取るものがいないと騎士を動かせません、被害も多く出ます。せめて副騎士団長だけでも………」

「ならん、それならば指揮は私がとる」

 何故、摂政達せっしょうたちは王を止めないのだと、バードは彼らを睨む。

 解っている。今ヘソを曲げられると、自分の思い通りに王を動かせないし、自分達の家族は、比較的安全な城下町にいるからだ。領地なら後で人員を何処からでも調達すればいい。

 王は伝令を呼び寄せた。

「騎士団長から師団長達は、王を守る。騎士達の半数は城内を警備。半数は城下町を守れ。それと城の門と城壁の門は今すぐ閉じよと、伝令を総動員し指示せよ」

「王! それでは外の者が! せめて半数は討伐に命じて下さい!」

 バードや騎士達は、慌て王に詰め寄る。

「貴様らは、何のための騎士だ! 王の為の騎士であろう! 今は王を護るのが任務だ。これ以上私に逆らうなら、反逆罪で家族共々打ち首にしてくれる!」

 違う、違うのだ。騎士とは王国の為の騎士だ。国民がいなければ、王も騎士も無い。何故、誰も今までその事を教えてあげなかったのだ?

「ならば王、せめて小動物を届ける手配だけは………」

「後、小動物を百匹ほど用意し、城内の入口付近に集めよ。五分以内でだ。急げ!」

 小動物を百匹と言うと、これからの作戦に使う全てだ。

「王っ!」

 バードの叫びは虚しく、王は伝令を下がらせると、やっと落ち着いた様子で、椅子に深々と座り直した。それから、バードが何を言っても王の耳には届かなかった。

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