第28話ユキナの世界 4

 それからリオの訓練が始まった。

 五日掛けて、次の国アイストラ王国に着くまで、ユキナの世界の言葉の読み書きを練習した。

 霧に乗っ取られた者と対峙しながら、夜に高い木に結んだハンモックの中で。

 休むこと無く、文字や言葉を覚える。

 最初は一緒に練習していたキョウは、一時間で取り残された。

 そして、五日後のアイストラ王国に入る前に、ユキナは信じられない生物を見るような顔をしていた。

 たった、五日。

 確かに、まだまだ発音はとぼしく、覚えきれていない単語は多いが、リオは確かにユキナの世界の言葉で話していた。

 信じられない。

 ユキナは呆然とリオを見る。

 今のリオには二万七千の言葉の意味も理解できる。それは、努力でどうこう出来るレベルではないが、努力無しでは出来ない事だ。

 そこから宿をとり、パソコンの操作を覚える。

「最低でも、ブラインドタッチまで出来る様になってもらう」

 ユキナの言葉と共に、リオは眠る時間をしみ、紙に書かれたボタンを押していく。

 間違えても何度も繰り返し、目は紙を見ず、ただ前だけを向け、ボタンの位置を身体に覚えさしていく。空いた時間や食事の時間は、ユキナの世界の科学の理論を、徹底的に覚えていく。

 それは、キョウが剣の練習している時と似ているが、少しだけ違った。

 疲れているはずのリオの瞳には輝きがあり、どこか楽しんでいるようだった。

 リオの意識は、もうすでに暗殺者や霧などに向いていない。

 有るのはただ閉めることのみ。

 いや、現段階ではそれも怪しい。

 リオは、新しい事を覚える楽しみに没頭ぼっとうしていた。

 リオの覚える速度は凄まじいが、それでもキョウは心配ごとがあった。

 金銭を持っていないユキナが増えたこともあり、宿代や食事代を考えたら、金銭的に一週間以上の滞在たいざいは難しい。

 それに、セリオンの時にアイストラ王国に来たから解るが、アイストラ王国は、王国ファスマ人にひどしいたげをした国で、現在は王国ファスマ人ではないキョウでも、どこか居心地は悪い。王国ファスマから近い国だから、仕方はないとは思うが、あの残虐ざんぎゃくは思い出したくは無い。

 アイストラ王国に着いてからは、リオはユキナと共に宿から出ないし、他人と接触しないので、下手なことを口走る心配は無いが、キョウには別の心配が有った。

 この国に着いてから、誰かに見られている感じがする。

 それが解ってから、キョウはわざと一人で町の中を歩き回っていた。

 宿に引きこもるリオの身も心配だが、ユキナのもう一つの武器、コルトガバメントがあれば大丈夫と読んだ。

 ユキナの世界の武器はそこまで凄かった。暗殺者相手に何処まで通じるか解らないが、剣を振り回す者になら、相手にならないだろう。

 それに、相手は先ずは護衛を始末するつもりなのか、上手い具合にキョウに着いてきている。

 キョウは飛び道具や、魔法に注意しながら、旅に必要な物をそろえるふりをして、襲われやすい町の外れまでやってくる。町の外れには都合の良いことに、開けた場所が有ったので、そこで動きを止めた。

 ここなら、相手が身を隠す場所も少なく、直接出てくるしか仕留められない。

 キョウは剣にも手をかけずに、道端みちばたの石に腰掛け、のんびりしている様子をよそおい、相手を誘った。

 ユキナが現れてから、運が向上したのか、誰かが町とは逆方向から歩いてくる。

 キョウは少しだけ目を細めた。

 暗殺者と言われているので、これ程に堂々と現れるとは思わない。関係のない旅人だろうか。

 キョウは荷物を置き立ち上がると、念のため剣を手に掛けたまま、その人物が近付くのを待った。

 男。

 四十歳ほど。

 このあたりの旅人には珍しい、騎士の正装のような鎧………。

 そこまで見て、急に背中に寒気が走る。

 キョウは一歩、後ずさりした。

 何か解らないがヤバイ。

 心臓の脈打ちが早くなる。

 その男を見た瞬間から、頭の中の自分が逃げろと叫ぶ。

 キョウは奥歯を咬みしめた。

 男がもし暗殺者なら、ここで決着を着けなければ、リオに危険がおよぶのは解っている。しかし、こちらからの一歩が踏み出せない。

 初めての経験だった。

 脚の震えが止まらない。

 頭の中では直ぐに剣を構えろと命令するが、頭の片隅では、剣を取れば敵と見なされ、られるかも知れないと言う恐怖で、筋肉か強張こわばり、身体が言うことを聞いてくれない。

 男は、汗をかきながらただ立ちすくむ、キョウの横を通り過ぎようとした。

 暗殺者でないのなら、このまま通り過ぎてくれ!

 キョウは祈るように願い、身動き出来ないまま男の声を聞いた。

「林の中に誰かいる。――――お前、狙われているぞ」

 男はキョウの真横で立ち止まっていた。

 キョウを気遣い、狙われている事への助言。しかしその時、キョウは思った。

 誰に狙われている? お前に?

 キョウは二、三歩後退りすると、町に向かって走り出した。男の言葉で我に帰ったのだ。

 敵わない。

 必ず負ける。

 出会ってはいけない存在だ。

 初めて出会った男の筈だ。なのに、鮮明せんめいに現れる答え。

 今、逃げなくては殺される。

 突然、走り出したキョウに対して、男は驚いたような表情を向けていたが、溜め息を一つ吐いた。

 若い男を狙っているのは暗殺者だろう。

 今の少年は暗殺者を誘き出そうとしていたが、暗殺者はそんな簡単なものでない。簡単な相手なら、物陰ものかげに隠れて、飛び道具や、魔法で直ぐにしとめるだろう。しかし、それでは仕留められないと判断すれば、わずかな隙をつくためずっと張り付いている。

 しかし、あの年で暗殺者が、ロングアレンジで仕留められなく思うとはたいした玉だ。彼は何者なのだろうか。

 男はそこでキョウの顔を思い出した。

「――――あいつか!!」

 男は再び、溜め息を吐くと剣を取った。仕方がない。これもいずれかのびだ。

 男は、キョウを追い掛ける、わずかな殺気に向けて剣を投げた。

 サツは、今まで感じた中で、一番の信じられない物を見た。

 自分の腹に熱を感じ、目を下ろせば自分の腹に、一本の大剣が生えている。確かにリオを狙い、護衛に付いているキョウの剣技や、周りへの警戒の強さから、遠くからの暗殺を断念した。そして、護衛を先に倒すためキョウに張り付き隙をうかがっていた矢先である。

 どこから攻撃されたのか解らない。しかし、自分の死は暗殺を始めたころから覚悟していたが、これ程あっさり殺られるとは思っても見なかった。

 後から剣が抜かれ、口からは人間が出す血液とは、信じられないほどの量の血を吐いた。せめて、自分を殺った相手を知っておこうと、うすれる意識で後ろを向いた。

 そこにはただ、木々の枝が風を受けているだけで、誰もいなかった。

 サツは混乱したが、今までの罪が戻って来ただけだと、勝手な想像をして、前のめりに倒れ込んだ。

 息を切らせたキョウが、宿の扉を力任ちからまかせに開ける。

 ドンっと大きな音に、紙に書いたパソコンを練習していた、リオとユキナは驚いている。しかし、ユキナはキョウと解ると溜め息を吐いた。

「驚かすな。何が起きたかとびっくりしたぞ」

 ユキナはそう言ってから、再びパソコンの操作を教えるために、リオに顔を戻したが、リオは顔をまだ戻さない。彼女は心配そうにキョウを見つめ続けた。

「キョウ、何があったの?」

 リオの言葉で、ユキナは再びキョウを見る。

 キョウは洗い息のまま、顔を真っ青にして震えていた。

「解らない、――――解らないが、リオ、ユキナ、悪いが直ぐにこの国を立とう」

 キョウから何かを感じ取ったリオは、椅子から立ち上がると片づけを始める。キョウも部屋に入ると、荷物をまとめだした。ユキナはそこで、話に聞いていた暗殺者の事を思い出し、二人にならった。

 出発は早かった。

 荷物をまとめ上げた三人は、直ぐ様アイストラ王国を後にして、最後の国、故ストラを目指した。

 キョウは一秒でも、あんな者のいる国に居たくは無かった。あれを相手するなら、霧と対峙した方がはるかにましだ。

 キョウの中の全ての記憶が、あの男を否定していた。

 リオはキョウを心配そうに見つめていたので、安心させる為に、頑張って笑顔を作る。

 余り上手く出来ているとは思えなかった。

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