第36話 突入(3)
階段から投擲魔導弾が落ちて来たときセマとリリーはもう駄目だと思った。
その思いは俺だけではなくアルトリウス君も同じだったようで、どことなく諦めたような気配が彼等から漂っていた。
しかし、アゼレアだけは別だったようで、彼女は人間では不可能なスピードでセマ達の背後に瞬時に移動し、彼らの襟首を掴んでそのままこちらへ向けてぶん投げてきたのだ。
咄嗟にムシルとマイラベルが2人を受け止めたからこそ良かったものの、下手をするとそのまま後方の壁に打ち付けられてもおかしくはなかったと思う。
横目でチラリと見ると、2人を受け止めたムシルもマイラベルもアゼレアの力を最後まで受け流すことは出来ずにセマとリリーを抱えたまま後ろへとひっくり返っている。
本当は大丈夫かと尋ねたかったが、俺もアルトリウス君も目の前の光景から目を話すことが出来ず、彼らに声を掛けることは出来なかった。何故なら、数メートル先でアゼレアが軍刀を鞘から抜き、今まさに自分へ向けて迫り来る投擲魔導弾へと斬りかかる直前だったからだ。
――――“ドドォォォォンッ!!!!”
アゼレアが持つ軍刀の刀身が目前に迫ってきた投擲魔導弾2個の内の1個を斜めに切り裂いた瞬間、猛烈な閃光が迸り、手榴弾より少し大きい爆発音が連続して響く。
アルトリウス君が展開した魔法障壁があるとはいえ、反射的に両腕で顔を覆いそのまましゃがみ込んでしまったが、目を瞑る瞬間見えたのは切り裂かれた投擲魔導弾が爆発し、その衝撃で誘爆したもう一つの魔導弾の爆炎に頭から自身の身体が包み込まれるアゼレアの姿だった。
「ああ、ああぁぁ……!!」
突如として起きた惨状に俺は禄に声も出せずに、只々陸に上げられた魚のように呆然と口をパクパクとさせるだけだった。
そして俺だけではなく爆発から逃れたセマやリリー、彼らを受け止めたムシルにマイラベル、後ろで事態を見守っていたアルティーナや俺と一緒に爆発の瞬間を見たアルトリウス君も唖然とした様子で爆心地を見つめている。
本来であれば、自分達が爆発に巻き込まれていた筈のセマとリリーは危険を顧みずに救ってくれたアゼレアが爆炎に包まれてしまったことに対して顔を真っ青にしていた。
「ア、アゼレア!
アゼレアが爆発に…………って、なっ!?」
未だ煙が晴れぬ爆心地であったが、次第に煙が薄くなっていくと俺の目に飛び込んできたのは、平然とした様子で立っているアゼレアの姿だったのである。
◇
「オゥエェェぇぇーーーーッ!!」
リリーが両手を壁ドンしつつ下を向いて盛大に吐いていた。
朝、出発前に食べていたものの残りが胃から全て吐き出されて、周囲には酸っぱい臭いが立ち込めている。
しかし、リリーの行いを咎める者はいない。
それどころかクランが違うアルティーナが彼女の背中をさすり、心配そうな表情でリリーの顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ……!
一体、
何をすれば人間が
リリーが顔を真っ青にしながら怒りを露わにして怒鳴るが、彼女の視線の先には一つの大きな肉塊が床に落ちていた。
血塗れの
リリーが言っていた人間だったものの成れの果て。
それは腕や足を切断されて首と胴体だけになった人間の死体だった。
胴体のすぐ傍には斬り落とされた両の腕と脚が落ちているが、よく見るとそれぞれの指先があらぬ方向へと折り曲げられ、中には爪を剥がされたり指を潰されたり、斬り落とされたりしていた指もあった。
激しく殴られたのか痣だらけとなって風船のように腫れ上がった顔は血で真っ赤に染まっており、鼻と口だけでなく耳からも血が流れ出している。
しかも何か恐ろしいものを見たのか、目をカッと見開いたまま恐怖に恐れ慄く表情を顔に貼り付けたまま死んでおり、頭部のすぐ近くには切り取られたブヨブヨとした何かの肉――――よく見ると人間の舌が無造作に落ちていた。
「さてと聞きたいことは全て聞き出したことだし、この国の貴族や裏の世界の連中への見せしめとしても
孝司、コイツから聞き出した話だと、何人かの商会の連中がデュポンと一緒に所用で外に出ているらしいから、奴らが異変に気付いて戻って来ない内に囚われている被害者達を連れ出すわよ」
「ああ。 分かった……」
「分かったじゃないわよ!
エノっち、アンタ何冷静に受け答えしているの!?
アンタはこの状況を見て異常だとは思わないの?
大体、何でこんな悪魔のような仕業を行なった女がエノっちと行動を共にしているのよ!?」
アゼレアの提案に頷いた直後、リリーが顔を青褪めつつ怒鳴りながらこちらに対して抗議してきた。
彼女が指差す先には当然アゼレアの姿があるわけだが、何時もなら馴れ馴れしい態度をとるリリーがアゼレアと一切目を合わせようとしないのは、明らかに彼女に対して恐怖を抱いている証拠だ。
「悪魔のようなとは失礼ね。
これでも一応、私は吸血族の一員なのだけれど?」
「そんなこと言ってるんじゃないわよ!
悪魔だか吸血族だか知らないけどねッ!
やって良い事と悪い事があるってことをアンタは知らないの!?
アンタみたいな魔族には良心の呵責ってもんがないのかしらねぇ!!」
「それは、この商会の連中に言ってやりなさいな。
大体、裏の世界に身を置くのなら、いつかはこんな目に遭うのは当然でしょうに。
貴女と違って私には同胞達を奴隷として売買するようなクソ共に良心の呵責なんかないわよ」
「でも、いくらなんでもあそこまで残虐な拷問をする必要はないじゃない!
拷問を受けた人間が素直に本当の事を喋るかもとか……どんだけ楽観的な考えをしてるのよ!?」
「それに関しては問題ないわ。
私の得意は血液を触媒とした魔法。
勿論、それには対象の血液や脈拍の制御も関わってくるから、相手が本当の事を喋っているかは大体把握できるし、もし嘘を言っていると分かれば即座に本当の事を話すように
矯正という言葉が何やら物騒な響きではあるが、要するにアゼレアの魔法の能力の一つとして地球で言うところの嘘発見器と同じ働きを行うことが出来るらしい。
嘘を言う人間は視線が泳ぐとかの挙動に現れるというが、どうやらアゼレアは脈拍や血液の流れで嘘を見破っているようで、もし彼女のいう事が本当であればある意味恐ろしい能力と言えるだろう。
例え真実を突き付けられて動揺したとしても、目や体の動きを自在にコントロール出来るように訓練が施されているスパイであっても血液や脈拍の動きを自分の意思でコントロールすることなど絶対に不可能だ。
「か、仮に本当のことを話したとしてもここまでする必要はないじゃない!!
それとも何、アンタ達魔族や魔王軍は日頃からこんな残虐なことをしているの!?」
「そんなわけないじゃない。
私達魔王軍は主に防衛に重きを置いた軍隊よ。
誤解しないでもらいたいのだけれど、今回は同胞が奴隷として売買されていたことが分かったから、見せしめとしてできるだけ苦しんで逝くように殺っただけ。
基本的に我々魔族は温厚な種族が多いのよ?」
(うん。
今の状況で言われても、果たして魔族が温厚かどうかは判らないよ)
「よくも、いけしゃあしゃあとそんなことが……」
「リリー、少し頭を冷やせ。
お前はセマと共に先ず彼女に礼を言うのが先だろうが。
それにここで口論する暇があれば、一刻も早く奴隷達や公女様を助け出すんだ」
「う……そ、それはそうだけれど、でも幾ら何でもこれは……」
リリーの抗議を遮るようにムシルが口を開く。
確かに彼が指摘したように、リリーは命の恩人であるアゼレアに礼を言っていない。
リリーと一緒に助けてもらったセマは彼女とアゼレアの会話を黙って見守っていた。
「確かにこれは酷い、酷過ぎる。
俺だってこんな惨い仕打ちを受けた死体は久し振りに見たさ。
しかしな、クローチェ少佐殿が咄嗟に助けてくれなかったら、お前もセマも魔導弾で黒焦げになっていたんだぞ?
それに少佐殿の言うことにも一理ある。
この大陸の主要な国の殆どで禁止されている奴隷の売買をしているような屑野郎共を大人しくさせるには、これくらいの脅しは必要だ。
大体、犯罪組織に身を置くということは官憲だけではなく、同じ裏の世界で暗躍する連中も敵になるんだ。
そんな連中相手に五体満足で死ねるという考え自体が幻想なんだ。
覚悟が出来ていようがいるまいが、いずれは因果応報で同じような目に遭う運命にあるんだよ。
犯罪者っていう連中はな……」
まあ確かにムシルの言う通りだ。
普段は平気な顔をして法を犯して他人を騙したり傷つけたりしているのに、いざ自分に危険が及ぶと命乞いしたり、謝ったり後悔するとか虫が良すぎる。
そんなことをするのなら、最初から犯罪に手を染めず真面目に生きれば良いのだ。
アゼレアのやったことは確かに惨いが、俺としては当然の報いと思っている。
彼らの手で売られて行った奴隷達がもっと惨い地獄を味わっていないとは限らないのだから…………
「まあ、ここの連中のことなんてどうでもいいのだけれど。
ところで今気付いたのだけれど、貴方と一緒にいた公爵家のご令嬢とその執事の姿が見えないわね?
あと猫族の娘もいないみたいだけれど、一体何処に行ったのかしら?」
アゼレアからアルトリウス君への問い掛けに対し俺は周囲を見回すが、公爵令嬢とそのお付きの男装の執事にトレジャーハンターの猫耳娘が見当たらない。彼女ら3人も確かにこの建物の中へと入って行った筈だが、ここに来るまでの間、彼女らの姿を見かけていないことに気付いた。
「彼女達は地下室の探索を行なっている筈です。
この建物の何処にルナ殿下が監禁されているのか分からないので」
「ふ~ん。 って、おや?」
噂をすれば影。
アルティ―ナが通路の方へと振り向くのに合わせて俺も同じ方向へと顔を向けると、件の3人が丁度こちらへ向けて歩いて来ているところだった。
◇
「じゃあ、地下にはルナ公女殿下はいらっしゃらなかったのか……」
「はいですニャ。
それどころか、地下には人を閉じ込めておくような設備さえも無かったですニャ。
あったのは荷馬車の交換用の部品や槍などの武器ばかりでしたニャ」
「その猫娘の言う通りですわ。
地下室は物置として使われているだけで、隠し部屋や非常用の抜け穴などの類も見当たりませんでした。
私と共に探索を行ったブリジットも同意見ですから、間違いありませんわね」
傍らで彼女らとアルトリウス君との話を聞くに、どうやら地下には何も無かったらしい。
ルナ第二公女はいなくても、こういう後ろ暗い事を行っている組織なのだから、秘密の抜け穴くらいはあるだろうと踏んでいたのだが、それすらも無かったというのである。
「恐らくですが、公女殿下は別の建物に監禁されているのではないでしょうか?
どうも、この建物に詰めている兵の数が少ないように感じられます。
仮にも一国の王族を監禁しているのならば、少なくとも三倍以上の兵が居てもおかしくはないかと……」
「そうねえ……確かにここまでで、殺った敵の数は二十人にも行かなかったわ。
あと連中には、『他国の王族を手元に置いてる』という緊張感がどうにも欠けていたように感じられたし。
貴女が言うように、ここには殿下は最初から居ないのかもね?」
「ええ? そんなまさか」
ブリジットとアゼレアの話に俺は一抹の不安を感じた。
もし、彼女達の予想が正しければ、俺達冒険者が態々危険を冒してまでこの建物に突入する必要が無かったからだ。
もちろん、囚われている奴隷の娘達を助ける必要はあるが、それはこの国の治安機関に任せておくのが筋であり、ギルドが依頼を出すほどのことではない。
ギルドとしてはギルド所属の冒険者がルナ第二公女を助け出したと言うことで、ウィルティア公国にへ何らかの形で恩を売っておきたいところなのだろうが、ここに公女殿下が居ない場合は完全に空振りとなる。
「まあ、何れにしても囚われている娘達を助け出さないとね。
もしかしたら、誰かが殿下のお姿を見ているかもしれないし。
という訳で孝司、捕まっている娘達の所まで案内して頂戴」
「わかった」
話している間にようやく回復したのか、リリーはしっかりとした足取りでこちらへとやって来た。
しかしながら、彼女の足取りはフラフラで顔は青白く、今にもぶっ倒れそうで俺は思わずリリーに声を掛ける。
「リリー、大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ。
今でも気を抜くと胃が捻れそうよ。
っていうかあんた達、後からここへ来たのに、こんな状況の中よく平気でいられるわよね?」
「仮にも私はシグマ大帝国三本の指に入る公爵家の娘。
これしきの死体如きで倒れるようでは公爵家の名折れですわ。
それに私が通っていた魔法学園では生き物を用いた解剖や実験も行われていたので、血の匂いには慣れていますもの」
「遺跡発掘人にとって遺跡の探索中に死体を見つけるのは日常茶飯事ですニャ。
時には白骨化してない生の状態の死体を見ることもありますニャ。
それに
私が見た中で、酷い有様の死体はこんなもんではなかったですニャ」
「私は公爵家に仕える以前は帝国軍に所属していましたので、死体は戦場で見慣れています」
「あんた達、絶対におかしいわよ……」
「まあまあ、今ここで死体のことで言い合いしてもしょうがないよ。
取り敢えず、アゼレアの言う通りに捕まっている娘たちを助けよう。 ね?」
「……分かった」
リリーは渋々といった感じで俺の言うことに従ってくれたが、アゼレアに対しては未だに目を合わせようとしなかった。
「じゃあ行きましょうか?
孝司、奴隷を監禁している部屋へ続く通路は?」
「そこの階段を昇った所の扉の向こう側が監禁部屋だよ。
下の出入り口と同じで鉄で作られた扉だから、普通に開けるのは苦労するかも?」
「ふ〜ん……」
俺が指差す先には2階へと続く階段があり、その先にゴツく黒い鉄製の扉が見える。
鉄の扉は昭和時代の古い銀行にある金庫のような重厚な作りで、表面に塗られた塗料が黒光りしており、ちっとやちょっと程度の力では破壊できそうにない雰囲気を醸し出していた。
「随分頑丈そうな作りの扉ね。
…………別に何かしらの仕掛けや罠はなさそうだわ。
扉の開閉方法はこちら側へと引くのではなく、押して開けるみたい。
これだったら、さっきみたいに蹴るだけで開けられそうね?」
「いやいや!
向こう側には商会の奴ら以外にも囚われてる娘達が居るんだから、蹴りで扉を吹っ飛ばしたら彼女達が危ないって!」
「そう? 大丈夫だと思うけれど?」
「いや、さっき扉を蹴り飛ばして向こう側にいた敵を扉と壁の間に挟んで圧死させたのは何処の誰よ?
もし、蹴り飛ばされた扉やその破片が中にいる娘達に当たったらどうするのさ?」
鋼鉄で作られた扉の前に取り付いて何かしらの仕掛けや危険物の有無、魔法的な防護が存在していないかなどを一通り精査したアゼレアがおもむろに蹴りの体勢に入り始めていたのを見て、俺は慌てて彼女を制止した。
扉を破壊するにしても、アゼレアのやり方は手っ取り早い反面、荒っぽくて危険過ぎる。
「アルトリウス君。
君のクランの娘でさ、確か猫族の女の子が扉の鍵を開ける技術を持っていたよね?」
「あ、はい。
エルネが遺跡発掘技術の一つとして扉や宝箱に掛けられている鍵の開錠を得意としていますけど」
「じゃあ、そのエルネって女の子に扉の鍵を開けてもらえるようお願いしても良いかい?」
「ええ。 構いませんけど……」
「じゃあ、お願い」
「はい」
俺のお願いを聞いた彼は後ろに下がってエルネの所へと歩いて行く。
そしてすぐに猫耳娘のエルネを伴って戻ってきた。
「孝司さん、エルネを連れてきました」
「ありがとう。 ゴメンねエルネちゃん。
早速で悪いんだけど、この扉の鍵は開錠できそうかい?」
「失礼しますニャ。
むう……この扉は、この国やシグマ大帝国の行政機関などでよく使われている大金庫用の扉を改造した特注品みたいですニャ。
開けるにはこの鍵穴に鍵を差し込んで…………っしょっと!
この暗証番号を間違えずに押す必要がありますニャ」
エルネは鍵穴を覗き込んだ後、扉の表面を注意深く眺めていたが、おもむろに鍵穴の近くを軽く叩き始めた。すると、扉の中央付近のカバーがスライドしてテンキーボタンが出現した。
「ほう! パスワード入力だと?」
出現したテンキーボタンは電子的なものではなく、田舎の駄菓子屋や雑貨店に置いてある古いレジスターと同じ機械的な入力装置らしく、1~10までの漢数字が表示されている。
「この扉は管理者が暗証番号を自由に設定できる上に、扉の中には開けた回数を記録する装置がありますニャ。
本来は財宝や重要な書類を保管する金庫用の扉を改造して転用したものと思いますニャ」
(ふむ。
確か、旧日本陸軍の参謀本部や大本営の本部施設で似たような機能を持つ金庫が暗号表とかを保管するために使われていたっけ?)
アレも金庫の扉を開けた回数を記録する機械式の装置が扉の中に内蔵されており、万が一、扉を開閉した回数が管理者の記録と合わない場合は保管されていた暗号表は全て破棄するようになっていた筈である。
「へえ~? 暗証番号は分かるかい?」
「暗証番号は一から十までの数字を打ち込むようになってますニャ。
この手の金庫の番号は大抵の場合、誕生日や記念日を設定する人が多いので過去に判明している入力情報を元に試してみますニャ。
鍵の方は扉が厚いので、かなり深い位置まで差し込まないといけませんニャ。
お陰で通常の器具では開錠はかなり難しいですニャ。
でも、それは素人の考えですニャ。
鍵自体の形状は単純な上に、差し込んだ開錠器具
「そうなんだ……」
「という訳で、チャチャッと開けちゃいますニャ!」
そう言うと、エルネは腰に提げていた革製のポーチから開錠用の器具と藁半紙で作られたメモ帳を取り出して作業に取り掛かる。
開錠作業を行う彼女の様子を見ると、エルネは先ず地球のピッキングツールによく似た棒状の細長い2本の器具を扉の鍵穴に差し込んでカチャカチャと動かす。
差し込んでいる器具の感触に全神経を注いでいる彼女は扉の中の音を聞き取るために耳を傾け、何かを思い出すような顔をしながら目は虚空を見ている。そんな状況が1~2分ほど経ったとき、不意に“ガチャン”という金属音が聞こえてエルネの顔が笑顔になる。
「鍵が開きましたニャ! 次は暗証番号を片付けますニャ」
彼女は開錠器具を手早く片付け、次に取り出していたメモ帳を手に機械式のテンキーボタンと向き合う。
パラパラとエルネがめくったページには幾つかの数字や文字が記されており、彼女はその数字を打ち込みながら扉に猫耳をピッタリとくっ付けて扉の中の音を聞いている。
数字を打ち込んでは音を聞き、数字を打ち込んでは音を聞く。
そんな作業を続けること約10分。
先程よりも大きな金属音が響き、それを聞いたエルネはニンマリと満足そうな笑顔を浮かべながらこちらへと振り返る。
「扉が開きましたニャ!」
「すげえ……!」
不意に背後から驚く声が聞こえ、声がした方を見るとムシルが驚愕の表情でエルネを見ていた。
「開いたのね?」
「みたいだよ」
エルネが開錠作業をしている間、アルトリウス君やセマ達と突入時の段取りを話し合っていたアゼレアが開錠の報を聞いてこちらへ話し掛けてきた。
「それでは開けますけど、用意は良いですかニャ?」
「何時でもイイわよ?
では孝司、突入の手筈はさっき話した通りでお願いね」
「おう! こっちは何時でもイケるよ」
エルネの問い掛けに対して肉食獣の如き獰猛な表情で返答するアゼレアを横目で見つつ、俺は音響閃光手榴弾『RGK-60SZ』を持って突入に備えた。
エルネが扉を開くと同時に室内に音響閃光手榴弾を放り込んだ後、手榴弾が炸裂した直後にアゼレアとマイラベル、セマとムシルが突入して室内を制圧する。
残りの敵は俺の銃とリリーの弓、そしてアルトリウス君のルーン魔法で掃討する予定で、アゼレアの後ろでは準備万端とばかりにセマやアルトリウス君らが武器やお札を構えていた。
室内は人質がいる状態と同じなので、奴隷の娘達を不用意に傷つけないように俺は先程まで手に持っていた軍用ライフル弾を使用するフィンランド製Rk62M3自動小銃ではなく、口径23mmの旧ソ連製散弾銃『KS-23』へと換装している。
散弾銃に装填しているのはバックショットなどの散弾ではなく、本来であればドアブリーチング用に使用する『バリケード』と呼ばれる砲弾型のデカい鋼鉄製の一発弾を内蔵したショットシェルだ。
こいつならば高速ライフル弾を使用しなくても大柄で筋肉質な男を一発でノックダウンできる。あとは射線に注意すれば、奴隷の娘達に銃弾が命中することはないだろう。
「それでは扉を開けますニャ。
…………ん、あれ? 扉が開きませんニャ」
「え?」
困った表情のままエルネは扉を開けようと両手で押したり、肩を押しつけたり扉に背を預けて足を踏ん張るが扉はビクともしない。
「おかしいですニャ。
鍵は全部開錠したのに、何で開かないのですニャ?」
「ちょっと、変わってもらっても良いかい?」
「はいですニャ」
エルネに代わって俺が扉を押すが開く気配はなく、ほんの数ミリすらも動く気配がない。
「うーん、これは向こうで扉を押さえてるのか?
いや、閂のような物で扉を固定しているのかねえ?」
「ならば、私が扉を蹴り飛ばして……」
「いやいや、だからそれは駄目だって!
吹っ飛んだ扉や部品が中にいる娘達に当たったらどうするのさ!?」
「ではどうしますニャ?」
「そうだねえ……
そう言いつつストレージから取り出したのはドアブリーチング用のジャッキであるl
このジャッキは左右にスライドする伸縮可能なアームの爪をドア枠に食い込ませて固定し、手動式のレバーを操作することにより油圧の力でドアを奥へと押し込んで強引に扉を抉じ開ける突入用の器具だ。
よく海外のドラマや映画で警察の特殊部隊が巨大なハンマーでドアを強引に押し開けたり、ショットガンで扉の蝶番や鍵を破壊したりして突入するシーンを見たことがあると思うが、このような分厚くて頑丈な金属製の扉が相手の場合だとハンマーでは力不足だし、ショットガンではドアを破壊するどころか蝶番破壊用のハットンスラッグ弾が扉を貫通しない可能性がある。
こういう場合にはこのジャッキが役に立つ。
しかも、操作音がほとんど発生しないため、室内にいる相手にこちらが何をしているかを察知されにくい特徴がある。
「空間収納魔法を使えるのは高位の魔法使いだけだと聞いたことがありますニャ。
タカシさんは魔法使いだったのですかニャ?」
「うーん、どうだろう?」
「ニャ?」
エルネは取り出したジャッキよりも俺のストレージの存在に興味を示しているが、俺は彼女の疑問に対して敢えて答えない。先程も散弾銃を取り出したときに公爵令嬢で魔法使いでもあるアナスタシアにしつこく質問されたので、尚更この手の質問は誤魔化すようにしている。
どうも、この『空間収納魔法』と呼ばれるストレージの存在は貴重な魔法らしく、アゼレア以外のメンバーはこのス能力に対して皆一様に驚いていた。
(うーむ、このストレージから物を取り出す行動は目立ってしょうがないなあ。
でも、ずうっとひた隠しにするわけにもいかないし、難しい問題だ……)
本当は『俺の能力=空間収納魔法』というくらいに当たり前になるのが一番良いのだが、それにはまだまだ時間が掛かるだろう。だが、今はそんな悩みは横に置いといて先ずはこの扉の排除である。
「ちょっとごめんね?」
アゼレアとエルネを後ろへと下がらせて扉の中央付近の高さの位置にあるドア枠へジャッキを取り付ける。スライド式のアームをそれぞれ左右に伸ばし、先端に付いているL字型の爪を扉とドア枠の隙間へと差し込んでしっかりと固定させた。
「扉が開くと同時に室内へ大きな音と閃光が発生する武器を放り込むから、俺の合図で目を瞑って耳を塞ぐようにね」
後ろに控えているアゼレア達にそう注意してから改めてジャッキと向き合う。
ジャッキが固定されているのを確認して操作レバーを反復運動させると、直ぐに油圧の力で金属製の扉に圧力が加わりジワリと湾曲し始めた。
すると、15秒程でギシギシと音を立てながらドア枠に連結されていた蝶番が変形し、20秒が過ぎたところで蝶番が壊れて金属製の扉が支えを失い、そのまま床へと倒れて行く。
扉が床に激突する音と衝撃に対して反射的に身構えそうになるのを我慢しながら、音響閃光手榴弾2個を室内へ素早く同時に投擲する。
「耳と目を!」
手榴弾を室内へ投擲すると同時にスプーンが本体から外れる。
それをチラリと確認しながら後方にいるメンバーへ合図を送った。
「塞げ!」という言葉を言わなかったのは相手が咄嗟に同じ行動をとるのを恐れたためだ。
床に音響閃光手榴弾が当たる音がした直後、打ち上げ花火の爆発音を数倍強くした音が響き、同時に雷が瞬くような強烈な閃光が迸った。
「うわッ!?」
「目があぁぁァァァ!!」
「キャァァァーーーー!!」
手榴弾が放り込まれた室内から男女の叫び声が交互に連続して響く。
俺はそんな叫び声を聞きながら、ドア枠に取り付けていたジャッキを迅速に取り外してアゼレア達に突入の合図を送る。
「良し! 突入ッ!!」
「うおおおおおおぉぉぉぉォォォォーーーー!!!!」
「ハアアアァァァーーーッ!!!」
雄叫びを上げつつ、デカイ戦斧を構えて突撃するムシルを先頭に完全武装のマイラベルが続く。2人に続いてセマとリリーが己が最も得意とする得物を持って室内へと突入し、それから短剣を構えたエルネと軍刀を持ったアゼレアが突入する。
俺は突入組の邪魔にならないように扉の脇の壁に万歳の状態でぴったりと張り付き、彼らを見送った。
彼らが室内へと突入し終わった直後、中から武器と武器が打ち鳴らされる音や叫び声が聞こえてくる。
「マイラベル達は大丈夫でしょうか?」
ムシルら5人が突入した後、接近戦に向いていないアルトリウス君がこちらへ心配そうに尋ねてきた。
彼の後ろにはアルティーナやアナスタシア、お付きのブリジットが控えている。
「まあ、大丈夫でしょ? アゼレアもいるんだし。
それに、あれだけの勢いを持った彼らを敵さんがどうこう出来るとは思えないけれどねぇ?」
「確かにそうですね」
「そうそう。 おーい、アゼレア! 終わったぁ?!」
「終わったわよー!」
「だってさ。 じゃあ、入ろうか?」
「はい」
そう言って先にアルトリウス君達を先に入れる。
アゼレアが終わったと言ったということは室内は完全に制圧されたということだ。ならば、先に彼らに室内へ入ってもらって俺が殿を務めるのが良いだろう。
仮に敵の残党が居たとして、後方から襲われても俺の持つ銃器なら対処が可能だ。
俺の前を通りながらアルトリウス君を先頭にしてエルネ、アナスタシア、ブリジットの順番で入室して行く彼らを見送る。
「ん?」
(何だ?)
一瞬ではあるものの、ブリジットが俺と俺の持つ銃をチラッと見て中へと入って行ったが、一体何だったのだろうか?
「ん〜?」
そんなブリジットを不思議に思いつつ、俺も彼らの後を追うように中へと入って行く。
「ほお~?」
そこは俺が数時間前に入ったときとは全く様変わりしていた。
奴隷を閉じ込めていた牢屋の扉は全て破壊されたり解錠されたりして女性達は全員解放されている。
囚われていた娘達は全員牢から出されて中央の通路に集められており、彼女らを守るようにセマやマイラベルが周囲を警戒しつつ、アルティーナが一人一人の健康状態をチェックして回っていた。
「アルティーナ、女の子達の容態はどう?」
「大丈夫よ。
全員健康状態に問題無いわ。
てっきり、衰弱したりしてる娘がいると思っていたのだけれど……」
「そう、良かった……!」
アルトリウス君の問い掛けに対して、笑顔で答えるアルティーナは心配ないとばかりに答える。それを聞いたアルトリウス君はホッとしたように緊張していた面持ちの表情を弛緩させ、それを見たアルティーナやマイラベルはお互いの顔を見やって苦笑していた。
「ここの奴隷商会は奴隷の娘達をちゃんと管理していたようだからね。
言い方は悪いけれど、商品の見た目や状態が悪ければ高く売れないから殊更、奴隷の健康状態には気を遣っていたようだよ?」
「そうなんですか?」
「うん。
まあこいつらも非合法とはいえ商売としてやってる以上、より多くの利益を出すための先行投資として奴隷をキッチリ管理してたらしいから。
もし商売としてではなく、自分達の快楽のために攫っていたとすればこんなふうにはなっていないでしょ?」
『………………』
俺は沈黙した彼らを他所に集められた女の子達をデジタルカメラで動画撮影しつつ、彼女達の容姿を確認していく。
種族は全員人間ばかりと思っていたが、よく見ると長耳族……所謂エルフ族の娘が一人混じっていた。肩まで届くストレートヘアーの銀髪に均整の取れたスラッとした肢体とエメラルドグリーンの瞳が目を引く。
彼女は種族の服なのか、所々に紋様の入った土色の厚手のワンピースのような服を着ていたが、服には擦れや汚れは見当たらず、彼女自身も傷や痣などの外傷は無く、至って健康そうだ。
これは彼女だけではなく他の娘達も一緒で、乱暴をされた形跡は見たところ皆無のようだった。
「あの……何か?」
「ん? ああ、いや……何も」
「?」
長い間監禁されていたとは思えないような状態の彼女を見ていたら、向こうから声を掛けられた。
どうやら彼女の姿を凝視しすぎたようだ。
(まあ五体満足で健康であったとしても、こんな所に長期間閉じ込められていれば精神的に異常を起こしそうだけれどね……)
そんな考えは口には出さずに俺は周囲を見渡す。
俺の足元や突入組の周囲には何人かの敵の死体が血を流して倒れているが、いずれも胸を貫かれたり、首を斬られたことによる失血死が多い。
よく見ると、頭を叩き切られた死体と首を切断された死体が1体ずつ見えるが、それぞれ誰が殺ったかは明白だ。それが証拠にムシルの戦斧には数本の頭髪が付着し、アゼレアの軍刀からは血が滴っており、2人はこちらに背を向けて奴隷だった娘達の様子を観察していた。
「ん?」
っと、そのとき己の視界の端にほんの一瞬、何かが動いたという違和感を感じた。
「あれは……」
俺の視線の先にあったのは、ただの壁があるばかりで何もなかった。
しかし、俺は何か不自然な感覚を感じ取ってそちらへ視線を向け続ける。
「孝司、ちょっと危ないから少し退がってくれるかしら?」
「ん? どうしたのアゼレア?」
「いいから」
「ん〜?」
俺がこちらから向かって右側奥の壁をジッと凝視してると、アゼレアが退がるように指示を出してきたので不思議に思いつつ、首を傾げながら彼女の指示に従い数歩退がって部屋の出入り口まで戻る。
するとアゼレアは右手を腰の後ろに回してプッシュダガーを引き抜き、そのまま虚空にポイっと放り投げて刃の部分を危なげなく掴むと、そのまま流れる動きでプッシュダガーを壁に向かって投擲した。
「ギャッ!!」
「え!?」
目の前を風切り音を立てて飛翔して行ったプッシュダガーを見送った先から短い悲鳴が響き、俺は思わずショットガンを構える。
すると某ハリウッド映画に出てくる人間をハンティングしては逆さに吊るして皮を剥ぐのが趣味な宇宙人が光学迷彩を解除して姿を現わすような感じで
「うっそーーッ!?」
(ええっ、光学迷彩!?
あ、いや……魔法か? 魔法で姿を消していたのか!?)
驚く俺を他所に、格好からして魔法使いと思われる男は己の右肩付近に深々と突き刺さったプッシュダガーと床に落とした杖を一瞥しつつ、痛みで顔を歪め何かを小さく口ずさみながらアゼレア達に左腕を翳す。
彼女らに向けられた手には幾つかの指輪が嵌められており、指輪には赤や青、緑色に輝く宝石が埋め込まれていたが、男は左手を握り拳にして指輪に埋め込まれている宝石の部分をアゼレア達に見えるようにして向ける。そして…………
「死ねえっ!!」
「孝司、奥まで退がってぇ!!」
男が叫ぶと同時、奴隷だった娘たち達の前に出て立ちはだかったアゼレアから必死の退避勧告を受けた俺は出入り口から出していた顔を素早く引っ込めると、直後に自分の目の前を右から左へと生暖かい突風が通り過ぎる。
(な、何だ今の風は!?)
後で知ったことだが、俺の前を通り過ぎた風は『切断波』と呼ばれる透明な魔法エネルギーの塊で、触れたものを切り裂く
因みに、俺の目の前を通り過ぎて行った切断波は人体はおろか牛や馬程度の生き物ならば、難なく切り裂ける力の魔法だったらしい。
仮にこれを食らったのが俺やセマ達だったら、首か胴体のどちらかが切り裂かれてサヨナラしていただろう。そしてそれは切断波を放った魔法使いの男も同じ思いだったらしく、アゼレアに向かって放った切断波が彼女を真っ二つのにするものと自信満々に確信していた。
しかし…………
「フンッ」
アゼレアはそんな男の確信を打ち砕くように目の前の空間を軍刀で無造作に斬り裂いた。
まるで、周囲を飛び回るハエや蚊を追い払うように斬り裂かれた切断波は、その場で魔力が霧散して無力化されてしまう。
「え…………ッ!」
自分が放った必殺の攻撃を難なく防がれたのを目の当たりにして一瞬間の抜けた声を出した魔法使いの男であったが、そこでめげてしまうようでは長年魔法使いなんてやってはいない。彼は直ぐに別の魔法を発動させるべく短縮呪文を唱え始める。
「空間、息吹……焔獄!」
「げっ! マジぃ……!」
独特の韻を踏みつつ、最低限の言葉だけを紡いで魔法を発動させようとしていた男の呪文を聞いていた俺は、短縮呪文の最後と思われる『焔獄』という言葉を耳にして顔を青褪めさせつつ、
そして、出入り口から射撃のために必要最低限の身体を露出させてショットガンを連続で発砲した。
「キャーー!!」
発砲音に驚いて悲鳴を上げる奴隷だった娘達に構わずに、俺は油断なく銃を構え続けていた。
まるで映画のショットガンのような銃声というよりは轟音と言っても良いほどの大きな発砲音を響かせ、口径23mmの銃身から発射されるソリッドスチールで作られた2発の砲弾の形をした弾丸の内、1発目は見事男の下腹部に命中する。
高速のライフル弾では不可能な破壊力を発揮し、外套の下に装着していた革鎧を破壊して腑をグチャグチャのミンチのようにしながら引き千切り、そのまま突き進んで腰の骨を粉砕した。
2発目の弾丸は男の眉間の少し下辺りに命中して頭部を破裂させる。
鼻っ柱を砕き、奥に突入した弾丸のエネルギーによってまるで内側から膨れ上がるかのように後頭部から脳が飛び出し、頭蓋骨の破片と共に背後へと飛び散って壁を赤黒く汚す。
声を出すこともなく、撃ち殺された魔法使いの男の身体が手前へとゆっくり崩れ落ちる。すると倒れ込んだ拍子に破壊された顔面から左の眼球が零れ落ちて、アゼレア達の方へ向かってコロコロと転がって行く。
「…………ん」
“プチャッ!”という音と共に男の眼球を踏み潰したアゼレアはブーツの裏にへばり付いた
既に頭を文字通り吹き飛ばされているため、死亡確認はせずに刺さったままだったプッシュダガーを死体から引き抜いて男の衣服で血液を拭い、腰の
「ふーん。
どうやら彼はギルドに所属している魔導師らしいわね。
ほら」
「おっと、っとぉ~!」
身分証の内容を確認したあと、アゼレアはこちらへ向かって男の身分証を放り投げてきた。
受け取った身分証を見ると、男の名前や所属先が書いてあった。
氏名:キップス・ザール
所属:ギルド・シグマ大帝国ザイテル辺境支部魔法科
等級:二級魔導士
出身:シグマ大帝国ザイテル辺境区シシリアン峡谷
「ほう?」
どうやら射殺した魔法使いはかつて俺が冒険者登録を行ったギルド大帝国本部が所管する地域の所属だったようだ。
因みに、魔法を行使する者の呼び名として『魔法使い』や『魔導師』に『魔導士』、『魔術士』や『呪術士』など人によって呼び方が幾つかあるが、アルトリウス君曰く、一般的に広義の意味では『魔法使い』が用いられる場合が多く、ギルド内では『魔導師』が正式な呼び名らしい。
「この人は2級魔導師なんですね。
どうりで魔法の起動がスムーズに行えたわけだ」
「ん? それはどういうことだい?」
「魔法使い……えーと、ギルドに所属する魔導師にも冒険者らと同じく
まあ、個人によって差があるんですけど、等級が高ければ高いほど使える魔法の種類の幅や魔法を発動させる時間が短くなったりしますね。
この人がさっき使った透過魔法や切断波、短縮呪文を見るに等級が2級ではありますけど、ほぼ1級相当の魔導師だったと思います」
「旦那様の言う通りですわ。
ギルドに所属する魔導師には例外なく本人の魔力や能力を勘案して適当な等級が付与されます。
一つ気を付けることは冒険者らと違い、魔導師の中には面倒ごとを嫌って昇級試験や審査を受けない者もいますから等級が本人の持つ真の実力であると思わないことですわね。
あくまで目安として扱った方が良いでしょう」
「へえー」
アルトリウス君の説明を補完する形で公爵令嬢のアナスタシアが魔導師の等級に付いて注意事項を説明してくれたが、等級=本人の実力とは限らないとは、今後注意しないといけないだろう。
「魔導師なんて特殊な職に就く者は多かれ少なかれ魔法に魅了された者が多く、中には魔法馬鹿な研究者肌の魔導師もいますわ。
勿論、私自身もその一人です。
しかし、魔法を研究すればするほど使える魔法の種類は増えますし、余程の才能でなければ個人差はありますが鍛錬すれば魔力も増強されますわ。
そうなるとギルドから加入を促されたり、既にギルドに所属している魔導師は昇級試験と審査を受けるようにギルドの魔法科から打診されます」
「へえ~」
「しかし、冒険者の等級が上がるとその冒険者自身やクランに対して依頼の量が増えたり、大きな商会や国から転職の話が多くなるのと同じで魔導師も同様に仕事の依頼や転職の誘いが多くなりますわ。
特に二級以上の魔導師は貴重ですから、国家機関からの仕官要請はそれはそれは引きも切らなくなるくらいに多いですわね。
勿論、安定した収入を欲する魔導師なんかはそういった国からの仕官要請には喜んで応じるでしょうけど、研究一筋の魔導師などの場合、そういった誘いが煩わしくてワザと昇級をしない者もいますわ」
「ふーん……」
まあ確かに、研究者というのは地球でも研究自体が趣味という者もいるし、そういう人はとにかく研究を続けることができれば所属する国や機関なんて特に拘らない研究者も多い。
まあだからこそ、研究者のそういう性格に付け込まれて日本の優秀な研究者が自由に研究できる環境&豊富な研究資金と引き換えに海外の国家機関や企業、研究機関なんかに引き抜かれる自体が続発しているのだが、その殆どが文系の者だけで構成されている日本の各省庁の官僚や政治家、企業の重役達は優秀な研究者の海外流出の危機感を口では語っていても、最終的にはそのような理系研究者の事情や研究内容、成果を理解出来ていない。
特に基礎研究の分野は地味で直ぐに成果が出るものではないから補助金や助成金を渋った挙句、成果が出やすい研究分野にばかり予算を投じたり、補助金や助成金獲得のハードルが高かったり、申請方法が煩雑で直ぐに申請できなかったりするものも多いから、余計に多額の研究資金をスピーディーかつポンッと投じてくれる海外に引き抜かれたりして徐々に外国の研究機関に差を開けられたりする事態が発生している。
「基本的にギルドの魔導師は昇級する度に身辺調査が行われるので、中には己の過去の経歴を調べられるのを嫌がって昇級を拒む者もいますわ……」
(なるほど。
じゃあ、この男がアルトリウス君の言うように1級の実力があるにも関わらず、身分証の等級が2級止まりで尚且つ更新期限が切れているのは自身の脛に傷があるからなのかな?
まあ、奴隷商会なんていう犯罪組織に所属しているんだから、逆に真っ白な経歴でいる方が難しいか……)
と、アルトリウス君とアナスタシア嬢の言ったことを自分なりに理解しながら男の身分証を見ていると、猫耳娘のエルネが物欲しそうな表情でこちらを見ていることに気付いた。
「ん? 何かな?」
「あのぉ~この男の死体と所持品はどうしますニャ?」
「え?
いやぁ、どうするって言われても、そのままにしとくしかないだろうね……」
(変なことを聞く娘だな。
死体や所持品なんてものは普通そのまま放置しないか?)
「ってことは、この魔導士の所持品はエルネたちが貰っても良いのですかニャ!?」
「う、うん。 いいんじゃない? ねえ、アゼレア?」
「私は別に構わないわ」
「だって」
「分かりましたニャ!」
目をキラキラさせながらこちらを見るエルネに答えると、彼女は嬉々として頭を吹き飛ばされた男の死体を漁り始めたが、セマ達の後ろに控えていたアルティ―ナも一緒になって男の死体を漁る。
指に嵌っていた魔法石が埋め込まれている指輪や魔法杖の他、財布に入っていた金銭など金目のものは全て回収していた。
普通なら吐き気を催して当然の惨状になっている死体から女の子達が遺品を取り上げる光景を少し複雑な気分で見ていた俺だが、ふと周囲を見るとセマやリリームシルにマイラベル達も彼らが倒したと思われる敵の死体を漁っていた。
「まあーっ!
見なさいなブリジット。
噂には聞いていましたが、冒険者は本当に倒した相手の金品を奪い自分のモノにするのですわね。
何と野蛮な……」
「お嬢様、彼らに聞こえてしまいますので、もう少し声を抑えた方がよろしいかと……」
黙々と死体から装備や貴重品を回収するセマ達冒険者の行動を見て、指を指ししながらアナスタシアは彼らにギリギリ聞こえないくらいの声でブリジットと会話をしていたが、彼女はアナスタシアの言ったことがアルトリウスの耳に入るのではないかと、チラチラと彼の方を気にしながら自分の主人の言動を窘める。
公爵令嬢である彼女の目には死体からモノを回収する姿が追剥ぎや盗賊と同じように映っており、その顔には侮蔑の表情が籠っている。
この場で死体を漁っていないのは俺とアゼレアとアルトリウス君、そしてアナスタシアとブリジットの5人だけだが、アゼレアは当然という顔でアルトリウス君は少し悲しげな表情で死体を漁る彼ら彼女らの行為を見つめている。
「ねえ、アゼレア。
この世界では倒した敵の所持品ってどういう扱いになるの?」
ヒソヒソと彼らに聞こえない声でアゼレアに尋ねると、彼女は同じように声を小さくして俺に耳打ちする。
「孝司は初めて見るものね。
この世界というか、この大陸では自分と戦った又は自分に危害を加えようとして倒した敵の所持品は基本的に自分の
「そりゃあ、また何で?」
日本人からしたらトンデモナイ決まりを聞いた俺は内心かなり驚いている。
確かにファンタジー小説などを読んでいると、倒した相手の死体から武器や貴重品を剥ぎ取る描写があるが、実際に目の前で20歳にも満たない女の子が血を流している死体から遺品を回収する光景を目の当たりした俺は正直ドン引きしていた。
そんな俺の様子を見ながらアゼレアは話を進めていく。
「これは冒険者というか、この手の治安維持の任務に参加又は助力した者達に対する報酬の一部として当然の権利なのよ。
軍の兵士や治安組織の官吏と違って冒険者や賞金稼ぎが貰える報酬はバラつきがあるから、それを補うための手段とも言えるわね。
とは言っても、依頼してきた軍や治安組織に領主、ギルドなどが許可した場合に限るのだけれど。
軍や治安組織は常に人手不足だから冒険者や魔法使い、賞金稼ぎ達に治安維持任務に参加してもらうには相応の報酬がないと誰も請け負ってくれないわ。
何と言っても己の命が掛かっているのだから、依頼報酬が低いと誰も応募してこないのは当然よ。
でも予算や人員が少ない治安維持組織や地方領主の場合、多額の報酬を用意するのは困難なの。
だからと言って何もしなければ治安が悪化するのが目に見えている場合、募集要項の一つとしてこのように倒した賊や犯罪組織の所持品や金銭を自分のモノにできる権利を依頼期間中に限り、参加した冒険者や賞金稼ぎに付与するのよ」
「なるほど……」
「まあでも、これは一種の賭けにもなるわ。
例え報酬が低くても、それを上回るほどの戦利品を得ることが出来ればそれで万々歳でしょうけれど、そうではない場合は命を懸けたタダ働きとは言わなくても、それに近いものになるでしょうね。
私と孝司のように一人又は二人で活動している者達ならば最低限の報酬でもなんとかなるでしょうけれど、集団で活動している者達だと、全員に分配された報酬額が低くなる上に戦利品も大したモノを得られなかったとなった場合、死活問題よ。
だから、冒険者クランや賞金稼ぎの集団には良い依頼内容を嗅ぎ分けられる優れた
その鼻が利く者は戦闘能力が低くかったり戦闘技能が不足していたとしても、結構重宝されたりするものよ」
「ふーん……」
まあ、アゼレアの言う通り、己の命を掛けるような依頼内容で報酬が低いとしても依頼遂行中に得る副収入的な戦利品が大きければ、収支は本来の報酬と合わせてもトントン以上になる必要はある。
要はそういった依頼内容やその背景をきちんと分析出来る嗅覚を持つ者をクランに迎え入れられるかどうかが、クランの運命を左右する可能性もあるわけだ。
一番良いのはリーダー自身がその嗅覚を持っているのが一番なのだろうが、人には向き不向きがある。仮にリーダーが依頼を嗅ぎ分ける鼻を持っていなくても、何処からか鼻を持つ人物を見つけてクランに迎え入れないといけないというのは大変だ。
アゼレアの言うことが本当なら、漫画や小説のように「俺は冒険者クランを作ってリーダーになる!」と言って簡単にクランを創設して運営するのは難しいということになるし、それで言えば目の前にいるセマとアルトリウス君の2人はこれまで冒険者クランを率いているということは、彼らはリーダーに足る資質を持っているということである。
「やはり現実と空想では違うなあ。
俺は冒険者クランのリーダーになるのは無理だわ……」
「そんなことないと思うわよ?
現に孝司はつい最近までスミス達熟練者の冒険者クランとベアトリーチェら教会の人間達、そして私達との間に軋轢を生むことなく、一か月以上に渡って率いて来れたじゃないの。
大丈夫よ。
孝司なら冒険者と言わず、軍の指揮官としても問題なくやって行けると思うわ」
「ははっ。 ありがとう」
軍人であるアゼレアから自分にとって過大な評価を貰って少しだけ自信が付いた俺は、気を取り直して戦利品の回収を終えたセマに話し掛ける。
「そろそろ、外回りに出ている商会の奴らが戻って来るとも限らない。
戦利品の回収は程々にして、ルナ第二公女の捜索とこの娘達をここから連れ出そう」
「ああ、そうですね」
「でも、これだけの数の女の子たちをどうやって運ぶの?」
「それは俺が持ってる馬車じゃないと無理だろうなあ。
でも、確か突入前に聖騎士団の応援がこちらに向かってるって言ってたから、多分彼女らを乗せれるくらいの馬車はあるんじゃないのかな?」
「ふーん……」
リリーが心配するのも無理はない。
目の前に広がるそれぞれの牢には全部で20人近くの女性達が囚われていた。
俺と一緒に事前に商会へ潜入していたギルド情報科のアジルバの説明では、多い時で40人以上が収容されていたこともあったと聞いているから、この人数でも少ないほうなのだろう。
「取り敢えず、彼女らをどう運ぶかはここを出てから決めればいいさ。
俺とムシルは公女様の捜索を行うから、リリーは彼女達の護衛をしろ」
「ええっ!? あたしも捜す!」
「野郎が彼女達の護衛をしても怖がらせるだけだから、女の子であるお前が適任なんだよ。
狭い建物ではお前が持つ弓矢は先頭には不向きだ。
それに……」
「それに、何よ?」
言い淀んだセマに対しリリーが怪訝な表情で訪ねるが、彼はリリーの腕を取り部屋の端っこまで連れて行き彼女に小さい声でこう耳打ちした。
「お前のその明るい性格が彼女達の助けになるかもしれないからな。
危害を加えられていないとはいえ、彼女達は長期間ここに閉じ込められていたんだ。
彼女達を励ましてやってくれ……」
「……分かった」
こう言われては我がままを言えないと思ったのか、リリーは素直にセマに従った。
そんなやり取りを黙って見つめていたアルトリウス君も仲間に指示を出す。
「じゃあ、アルティ―ナ、エルネ。
リリーさんと一緒に彼女達を外に連れて行ってあげてね。
マイラベルは皆を守ってやってくれないか?」
「分かりました」
「かしこまりましたニャ!」
「了解した」
早速、彼女達は奴隷だった娘達の人数と顔を確認して、2つの
「外には国軍警務隊と聖騎士団の人達が警備に当たっている筈だから、外に出たら彼らに女の子達の保護を要請して。
じゃあマイラベル、宜しくね!」
「うむ!」
そう言って彼女達は監禁施設を後にする。
俺はその様子を黙って見守っていたが、施設の出入り口を潜る奴隷だった娘達全員が涙ぐんでいたのが目に入った。
「何とか一人を除いて全員救えたわね」
「うん……」
「どうしたの? 何か浮かないような顔をして」
「いや、何も。
さあ!
さっさっとルナ殿下を探し出して、俺達もこんな所とオサラバしよう!」
この時、俺はギルドからの依頼は公女殿下の件以外はほぼ完了したと思い、気楽に構えていたのだが、実はこの案件というか事件はこれからが本番なのだと、これから思い知らされることになるのだった。
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