第18話 越境前

 結局、宿を出立したのは昼過ぎになってしまった。

 ギルドの物資補給所に冒険者や魔法使い達が大勢押しかけて窓口がパンク寸前になったらしい。 


 お陰で俺達が購入した物資を積み込み次第、こちらに向けて出発するはずだった荷馬車が道を塞がれてしまって補給所から出られなくなったという。


 先方の馬車が我々のいる宿に到着したのは大体の予定時刻から1時間も遅れての到着だった。


 しかし、気の回る職員のお陰で事前に遅れる旨を予め知らせに来てくれていたので、空き時間を利用して俺は新たに取り出した銃器や爆発物の準備を終えた後、スミスさんらと一緒に武器屋を回り、アゼレアが言っていた貫通試験用の軽金属の鎧や盾を購入する。


 その後、物資補給所からやって来た荷馬車から自分たちの馬車に荷物を移し終えたときには、時刻はちょうど午後12時を過ぎていたところだったので、宿の食堂で昼食をいただいてから出立した。


 宿のオーナーや従業員達から見送られながらの出発だったが、宿の従業員である人間主の男の子が終始アゼレアの顔を観察していたけれど何だったのだろうか?



「このままメンデルの南門を抜け、暫く街道を南下して十字路を目指す。

 バルト方面はその十字路から右に曲がるが、そこから少し進んだ所に途中、馬車を止めれる広い場所があるから今日はそこで夜営だな」


「わかりました」



 俺から預かっている地図を見ながらスミスさんが進路と予定を告げる。

 雇い主は俺だからこういうことは率先して俺が仕切らないといけないのだが、初心者である俺がやると禄でもないことになりそうなので、今回は勉強させてもらうという意味合いでもスミスさんに仕切ってもらっていた。



「俺だって仕切ったり予定を立てるのは得意じゃねえよ。 

 でも孝司から預かった地図のお陰で、予定が立てやすいのは事実だがな……」



 実はこの旅を始めた当初、スミスさんは俺のお願いに気が進まなかったようだが、俺がイーシアさんに用意してもらったこの大陸の全ての道と地形を網羅した詳細な地図を見せたら俄然やる気になり始めた。

 態度がコロッと変わった理由を本人に聞いたところ……



「こんな精密な地図を俺は未だ嘗て見たことがない。

 この地図は見ているだけでも楽しいしな!」



 と言われた。

 因みにこの地図はリアルタイムで状況が更新されており、常に最新の地形や道の状態を確認できる。まさに魔法の地図と言えなくもない上、この地図は水に濡れても皺になったり、インクが滲むことも破れたり燃えたりすることもない。



「なあタカシ。

 この依頼が終わってお前さんと別れることになったときはこの地図、良ければ俺に譲ってもらえないだろうか?」


「いいですよ。 別に武器でもないですし、転売しないという約束をしてもらえれば大丈夫ですよ」


「そうか、それは助かる。 転売に関しては心配しなくていい。

 こんな魔法の地図、手に入れようと思って手に入れられる代物じゃないだろうからな。

 死んでも手放さないぜ!」


「それはそうと、今日夜営するところですが、そこは安全なんですか?」



 俺は御者台からこの馬車の周りを見ながらスミスさんに質問する。

 メンデルに着くまではポツポツとしか見なかった他の馬車や騎馬に荷車などのほか、徒歩で移動する人々の姿が目に入るようになってきた。


 その恰好は様々で、貴族・冒険者・商人・騎士・農家・家族連れ・吟遊詩人と思わせる旅人など様々で、身なりが綺麗な者もいれば、長旅なのか裾が擦り切れた外套を被って顔を隠している如何にもな旅人もいて観察するのに飽きない。


 馬車も野菜や木樽などを満載した荷馬車や煌びやかな装飾が施されて複数の護衛の騎馬を連れている客車、俺たちが乗ってるのと同じような幌付きの荷馬車や人を満載した客車など、すれ違ったり追い抜かれたりしている。


 先程などは、伝令なのか鎧を着込んで剣を凪いだ金髪イケメンの騎士が馬に乗りマントを靡かせながら、物凄い速度で疾走して行った。


 因みにこの大陸では人や騎馬、馬車は基本的に左側通行らしい。

 先ほどの騎士のように先を急いでいる者は次々と抜かして行くが、事故を避けるために右側は空けておくのが常識だとスミスさんに忠告された。


 

「ああ。

 そこは街道を行き来する商人や冒険者、貴族の馬車や騎馬なんかが途中休憩するために作られた広場でな。

 皆、暗黙の了解でそこを使っているが、今まで喧嘩程度の騒ぎしか起きてねえから心配するな」


「そこで鎧の貫通試験をしたいんですが、出来ますかね?」



 そう言って俺は膝の上に置いているCZ806自動小銃をポンポンと叩く。



「お前さんが抱えてるそのジュウっていう武器か?

 大丈夫じゃねえか。

 あそこは周りは森で木ばっかりだし、気を付ければ問題ないと思うぞ?」


「それは良かった。 ところで、あの連なっている山々がウェスト山脈になるんですかね?」



 俺はメンデルを出てから暫くして見えてきた標高の高い山を指さしてスミスさんに質問する。

 前方の山はアルプス山脈のようにいかにも険しそうな山々が連なっており、よく見ると岩肌むき出しではなく山の中腹より少し上まで針葉樹林と思われる木々が生い茂っており、頂上に行くにしたがって雪が積もっている。



「ああ、そうだ。 左右にでかい山脈あるだろう?

 あの間に森が広がっていて、その中を道が走っている。

 そこをひたすら道なりに進んで行くとバルトに着く」


「地図では途中に検問所がありますね」



 地図を確認すると森の中にシグマ大帝国とバルト永世中立王国の国境があり、検問所のような施設が記載されている。



「文字通り検問所だよ。

 一度、シグマ側で手続きを終えた後にバルト側で入国審査を経て初めて向こうの国に入ることができる。

 ただ、時期によっては向こうに入るのに半日以上待たされることもある。

 今はまだ冬でそこまで混んでないだろうから、一時間くらいで入国できるはずだ」


「今日中には着きませんか?」


「無理だな。 この分だと検問所に着くのは明日の朝だ。

 さっき追い越して行った騎士の兄ちゃんなら今日中に着くだろうが、このでかい馬車じゃどう足掻いても不可能だ。

 無理に右側を走れば対向してきた他の馬車や騎馬と衝突して事故を起こしちまう」


「そうですか……」


「それより、お前さん昨日は三時間くらいしか寝てないんだろう?

 ここは大丈夫だから、後ろに行って寝ておけよ。

 こんだけの馬車や騎馬が密集して進んでるんだ、野盗なんかの心配はする必要がないから、今の内に寝ておけ」


「分かりました。 じゃあ、お言葉に甘えて失礼します」


「おう」



 そう言って俺は御者台から後ろに移り、仮眠をとらせてもらうことにした。






 ◇






 この世界での旅は現代日本人にとって非常に退屈なものだ。

 何故ならば馬車にしろ船にしろ、地球の自動車や船舶と比べて速度が遅い為、目的地に辿り着くまで長い時間を要する。


 陸ならば初めて見る異世界の景色を眺めるという方法もあるが、馬車の進行速度が遅い上に景色に対する“慣れ”が生じてしまい、よほどインパクトがあるものが現れない限り段々と興味が失せてきてしまう。


 海の方は地球でのフェリーなどで短い距離を進むのにも関わらず海原ばかりが続くとつまらなくなるのだから、風頼みの帆船などのスピードが遅い船の景色など言わずもがなだ。


 そうなるといかに時間を潰すかという問題が発生するのだが、その解決方法は限られる。

 スマートフォンや携帯電話、音楽プレーヤーが無い世界だ。

 となれば同乗者と話をするか、本でも読むか寝るかに限られるというものだ。


 俺も最初はこの世界のことを知ろうと、こちらから盛んに話し掛けてはメモを取ったり、録音したりしていた。


 しかし、これといって質問することが無くなると、会話する内容や切っ掛けが少なくなってしまう。元々この世界の住人では無いので、この世界の常識やトレンドには疎い俺と会話が噛み合わない場面も少なからずあった。


 アゼレアは皆がいないところでは積極的に俺と話したり、故郷や私生活についてお互いに色々と話すが皆の前では当たり障りのない話しかしない。多分、彼女なりに気を使って俺が会話の中でボロを出さないようにしてくれているのだろう。


 俺以外は全員が元軍人か聖職者という陣容で観察力や洞察力が鋭い人ばかりなので、その辺の配慮は有り難かった。


 と言っても、既にこの世界には存在しない武器や品物を出して皆の目の前で使っているので、確信とまではいかなくとも、ある程度の推測は立てていることだろう。


 まあそれは兎も角、勘が鋭い人達の前で日本の書籍を出して読むことは憚れるので、御者台で手綱を操る時と見張りをする時以外は、大抵寝ていることが多くなった。



「よし! 着いた」



 御者台から聞こえてきた声と馬車が止まる振動で意識が覚醒すると共に目に映るのは、馬車の荷台を覆う幌の天井、そして外から聞こえてくる少々賑やかな声。



「ふわあ……! 眠い……」



 そう言いながら起き上がり、靴を履いて馬車の後部出入り口へ歩いていく。

 俺と同じように寝ていた数人も、のそのそと起き上がり馬車から降りる。



「よいしょっと! ほお? これはこれは……」



 馬車を降りて周囲を見渡すと、そこは深い森の中だった。

 周囲には背の高い針葉樹林が生い茂り、木々の所々に薄っすらと雪が積もり山の山頂には厚い雲がか掛かっている。


 そして馬車の周りには様々な馬車が駐車しており、他にも休憩している騎馬や荷車、旅人で賑わいを見せていた。



「ここがさっき地図で見た場所か……」



 そこは日本の平均的な学校の運動場を遥かに凌ぐ大きさの広場だった。

 地面は雪が降っていたにも拘らず土が踏み固められており、歩き易い。


 周囲は木で囲まれているが、不思議と圧迫感がなく清んだ空気と相まって非常に心地良く、皆思い思い場所に馬車や荷車や馬を停めているが、一応他の者の邪魔にならないように配慮しているのか無秩序な感じはしなかった。


 そして、その隙間を縫うようにして地元の村人と思われる人々が水や食べ物、ちょっとした土産物のような品を売り歩いている。



「水は如何ですか? 一度、火で沸かした清潔な山の湧水だよ」


「果物は要りませんか? 新鮮な果物は要りませんか?」


「そこの旅人さん魔法薬は要らないかい?  

 こいつはな、ちょっとした怪我ならたちまちの内に治しちまう治癒の魔法薬だ。

 バルトの魔法使いから仕入れた品だが、今なら安くしとくよ」


(へえ〜?)



 こんな場所でも商売をするのは逞しい限りだが、パッと見たところ周囲には村らしきものは見えないが、彼らは一体何処からやって来たのだろう?



「なんだか賑やかな場所ね」


「そうだね」



 いつの間にか横に並んでいたアゼレアがこちらに話し掛けてくる。

 目の前に広がる光景はどことなく日本の繁忙期のオートキャンプ場を連想させるが、日本のオートキャンプ場と違うのは自動車ではなく馬車である点と人種が違うくらいだろうか?



「おい。 お前さん方、見るのはいいがちょっとは手伝ってくれよ」



 馬車の前方から声を掛けられたので向かってみると、スミスさんとズラックさんが誰が作ったのかわからない丸太を組み合わせてできた柵に曳き馬を繋いでいるところだった。夕飯の準備をする前に馬に餌と水を与えなければいけないらしい。



「暗くなる馬に餌と水を与えて蹄の裏にこびりついた土や汚れを落とすんだ。

 そのあと、鍋で温めたお湯を飲ませてやれば馬は自分で勝手に寝るから、その間に夕飯の準備だな」


「分かりました」



 俺がスミスさん達と共に作業に入ろうとしたところ、アゼレアがカルロッタを伴ってこちらにやって来た。



「ねえ、孝司。

 夕飯の準備は私達の方でやっておくから、食材を出して貰っといても良いかしら?」


「ああ。 いいよ」


 そう言いながらストレージから大型のアルミ製コンテナを2つ出す。

 自衛隊や物流会社などで使われているコンテナの中には日本の調味料や野菜、この世界で購入した肉やチーズなどの他、調理器具が入っている。



「ありがとう。 じゃあ、カルロッタ。 向こうに運びましょうか?」


「了解した」


「アゼレア、直火にかける鍋は鋳鉄の黒くて重い鍋を使ってね。

 食器の洗い方は後で教えるから」


「は~い。 わかったわ」



 そう言って2人はそれぞれコンテナを持って馬車の後方に去って行った。



「タカシはやることなすこと全部初めてだろ?

 なら人がやるのを見つつ、自分も真似てやれば覚えるのも早くなる。

 面倒くさいだろうが、我慢してくれ」


「面倒だなんて……実際やってみると結構楽しいので苦にはなりませんよ?」


「そう言ってくれると、こっちとしてもありがてえや」



 その後、スミスさんやズラックさんがすることを補佐しつつ見様見真似で馬の世話をし、終わったときは1時間が経過していた。



「お疲れさまですわ。 皆様、夕飯出来てますわよ」


「おお! ありがとうございます」



 馬を馬車から切り離し、餌と水をもらってすっかりリラックスして地面に伏せた馬を見てから魔法使いのロレンゾさんに保温の魔法を馬に施してもらい、安心して馬車の後方に戻ったら丁度、女性陣は夕飯の用意を終えたらしい。



「これは、肉じゃが……なのかな?」



 彼女達に預けていたダッチオーブンの中ではジャガイモと玉葱、人参、牛肉などが直火で煮込まれグツグツと美味しそうな匂いを漂わせていた。

 よく見ると傍を通り掛かる人の殆どが鍋の中を遠巻きに覗いている。



「そうよ。 魔王軍でよく食べられている牛肉とジャガイモの煮込み料理。

 通称『肉じゃが』よ」


「へえ? まさか肉じゃがを食べれるとは思わなかったなあ……」


「おお! こいつは肉じゃがか? こいつを食うのは久しぶりだな」



 俺と同じく肉じゃがを見て懐かしんでいるのは元魔王軍兵士のスミスさんだ。



「……っと、後はいこれ」



 そう言って紙製の食器に盛られて出てきたのは白米だ。

 炊き立てなのか、湯気を立てて熱そうである。



「おおっ!? これは白ご飯ではないですか!」



 やはり白米を見て興奮してしまうのは日本人の性だ。

 言葉以上に内心踊り狂いそうなほどに興奮している自分がいることに気付いた。



「これはお米ですか? えらくまた白いですね……」



 そう言って炊き立てのご飯をまじまじと見ているのは、魔法使いのロレンゾさんだ。



「ロレンゾさん、お米を知っているんですか?」


「知っているも何も、この大陸の南部では“米”が主食としている国は幾つもありますよ。

 シグマ大帝国では主に小麦を使ったパンや麺類が主食ですが、私の故郷では小麦と米、どちらも食べられていました」


「へえ……」



 知らなかった。

 まさかこの世界で米が食べられていたとは驚きである。



「まあ、米は栽培や収穫に手間がかかるので、麦を混ぜて炊く麦飯が中心でしたがね。

 このようにお米だけ炊くというのは、中々見掛けませんでしたが……」


「確かにな。

 ロレンゾの言う通り、私の母国でも玄米を炊いて食べるか、玄米と混ぜて炊くことが多かった。

 この様にに十割全部が白米というのは、貴族でもない限り見られる光景ではなかったな……」


「ありゃ? そうなんですか?」



 珍しくズラックさんが口を開いて故郷の米食事情を語る。

 米に対して何か思い入れがあるのか、彼は遠い目をしていた。



「それにしても、よくこんな綺麗に炊けましたね。

 飯盒やダッチオーブンを使うのは初めてだったんじゃ?」


「食材と一緒に入ってた本に絵付きで米の炊き方が載っていたのよ。

 絵のおかげで食器や調味料の使い方が直ぐにわかったわ」



 と言って俺に本を見せるアゼレア。

 本の表紙を見ると『全部まるわかり。 キャンプ料理大全!!』とある。



「こんな本入ってたんだ。 一体、誰が入れたのかね?」



 可能性としては地球の神様こと御神みかみさんだろうか?

 イーシアさんはこんな気の利いたことはせずにエロ本とかを仕込みそうだから、多分違うだろう。

 そう思った瞬間、何処からか『失礼じゃのう!』という苦情が聞こえてきた気がするが、敢えて無視しておく。



「それにしても、野外での料理は楽しかったですわ。

 教会の寄宿舎では料理番は基本持ち回りで私も包丁を振るいますが、まさか台所ではなく野外というのは新鮮でしたわね!」


「皆さんも料理をするんですか?」


「もちろん」


「もちろんですわ」


「当たり前だ」



 これは意外だった。

 ベアトリーチェはおっとりとした雰囲気的に料理くらいは出来るだろうと踏んでいたのだが、魔族のお嬢様であるアゼレアやまじめ一辺倒な雰囲気のカルロッタまでもが料理できるとは予想外だった。


「女性陣全員が料理できるとありゃあ、この旅の間だけは期待出来そうだな」



 そう言って肉じゃがを頬張りながら期待の感想を漏らすのはスミスさんだ。

 先程からものすごい勢いで肉じゃがとご飯を頬張って腹へ詰め込んでいるが、よく見るとスミスさんだけではなく、ズラックさんやロレンゾさんも負けじ劣らずの勢いで肉じゃがとご飯をガッツていた。



「うん、美味い!」



 慌てて俺も肉じゃがを口にする。

 ジャガ芋はホロホロと崩れて吸い込んだ汁が染み出し、牛肉は柔らかいままで噛むと肉汁がじゅわりと出てきて旨味を含んだスープと混ざり、思わずご飯が欲しくなってしまう味だ。


 お米大好き日本人の本能の赴くままにご飯を口に入れると、咀嚼する度に肉じゃがと混ざり、口の中は懐かしい味のハーモニーとなる。


 米もまた美味い。

 少しだけお焦げが付いたご飯はお米一粒一粒が立っており、最近パンばかり食べていた身としてはお米の旨味が体に染み渡るようだ。


 煮込むうちにジャガイモの角が取れてスープにイモが溶け込んだお陰で、少しだけドゥルドゥルなったスープと一緒にご飯を口に含むと、途端に郷愁が心を襲う。



(ああ、お母さんの料理食いたいな……)



 もう二度と地球に戻れず、家族は綺麗さっぱり俺のことを忘れているだろうが、今はどうしているのだろうか?

 俺がいなくても幸せに暮らしていてくれていれば良いのだが……



(まあ、ここまで来たら気にしても仕方がないか。

 神様の保証があるから大丈夫なのだろうが……)



 そんな思いは顔には出さず、俺は肉じゃがとご飯を心行くまで堪能した。






 ◇






 辺りはすっかり暗くなり、広場の所々には焚火の炎が見える。

 その周りには老若男女様々な人々が集まり思い思いに過ごしていた。


 仲間同士で酒を飲む者、初めて会ったにもかかわらず意気投合し酒を飲みながら歌う者、誰かの肩に凭れ掛かって寝ている者など。


 よく見ると、所々にモンゴルのゲルそっくりのテントが点々と張られていて、中には鎧を着込んだ騎士が周囲をガッチリ固めているテントがあることに気付く。

 そして俺達一行は料理の時に使った即席の竈で暖を取りつつ、火を囲み談笑していた。



「俺達が行った迷宮の中で一番難易度が高かったのは、大陸南部にあった迷宮だな。

 そこはヤバかった。

 何がヤバいって、一つ一つの階層がまるで一つの世界のように機能していることだ。

 なんたって、それぞれの階層の空間に終わりがなく、まるで外にいるかのように雨や風が吹くことと、夜なら夜、日中なら日中のままだから、時間の感覚が無くなっちまうのが非常に危険だった」


「それは怖いですね。

 時間の感覚が無くなるということもですが、空間に終わりがないというのはどういう構造になってるんですかね?」


「私もそんな迷宮見たことあるわ。

 魔王領でも迷宮を専門に研究している者がいるけれど、未だ全ての解明には至っていないようね」


「へえ~?」



 俺とアゼレアがスミスさんと迷宮の話をしている横では、



「あれはまだ私が山岳歩兵だったころだ。

 隣国の部隊が山脈伝いに侵入して来たとき、私と部下達は敵の侵入を阻止するべく深い雪の中を四時間かけて行軍した」


「で、そのあと戦ったのか? ズラック殿」



 ズラックさんとカルロッタがお互いの過去の戦話をしており、



「教会の大聖堂に突如刺さっていた剣はこれまで見たこともない剣だそうですわ。

 何でも地面に刺さっているだけなのに、どんなことをしても引き抜けないということです」


「以前から存在している英雄や勇者が使っていた剣とはまた違うようですね。

 実物を見ないことにはわかりませんが、刺さっている原理が分かればまた違ってくるかもしれませんね……」



 ベアトリーチェとロレンゾさんは飽きもせずイーシアさんがふざけ半分に教会の大聖堂の床にブッ刺した性剣の話をしていた。


 このように俺を含む全員がそれぞれ飲み物片手に話に花を咲かせており、カルロッタとズラックさんと俺はコーヒーを残りの全員は酒を呑んでいる。


 この世界でもコーヒーが飲まれていたのは知ってたが、名前も『珈琲』のままだったのには驚いた。


 俺は就寝する前に酒を飲む習慣がないので日本やっていた習慣の延長でインスタントコーヒーを飲んでいるのだが、カルロッタとズラックさんの2人は今日の夜間見張り担ということなので俺が淹れたコーヒーを眠気覚ましで飲んでいる。


 では、残りの4人がどんな酒を飲んでいるのかというと、俺がこの世界に持ち込んだ日本産のウイスキーである。このウイスキーは秩父で醸造されているシングルモルトのウイスキーで元の地球では世界中のウイスキー愛好家垂涎の日本製ウイスキーだ。


 トランプの絵柄がラベルとして使われていた醸造初期の貴重な逸品で、地球では通称『カード・シリーズ』と呼ばれており、現在愛好家の間で人気のコレクターアイテムなのだが、日本国内外のウイスキー愛好家の品評会やオークション等で高値で取引されており、投資の対象にもなっている。


 そんな貴重なウイスキーを手に入れることが出来るのは、まさに神様の御業にほかならない。


 当初、このウイスキーを含む幾つかの酒類はこの世界で調査を行うのに当たり王族や貴族、大地主や商人などの他、酒好きで有名なドワーフの有力者などといった、将来面識を持った際にお近づきの印として用意してもらってたものだが、少しくらい試飲と称して消費しても良いだろう。


 しかし一つだけ問題があった。

 異世界人と地球人では味覚が違うと思っていたので、果たして地球の酒がこの世界の人々の口に合うかと心配していたのだが、その懸念は杞憂に終わったようだ。


 高貴な出自で口が肥えていると思われるアゼレアとベアトリーチェが、このウイスキーをストレートで美味しそうに呑んでいるのを見ると、最初にこの酒を出した時の心配は何だったのかと思ったが、それくらいの勢いで2人はこのシングルモルトのウイスキーを呑んでいる。


 またスミスさんやロレンゾさん達のような大陸各地を巡り、その地の食べ物や酒を飲んでいる人達にもこのウイスキーは大好評だった。


 さすがにカパカパと瓶を早々に空けてしまう様な飲み方ではないが、チビチビとしかし確実に瓶の中身は減っていっている。



「このウイスキーという酒は美味いな。

 酒精は強いのに腹にどっしり来なくて飲みやすい」


「スミスさんの言う通り、このお酒は今まで飲んだ物の中でも一番美味しいですわ。

 香り高くて透き通った味は美味の一言ですわね」


「私も今まで色んな種類の酒を飲んできたけれど、これは不思議な味がするわね。

 奥行きがあって木の香りが堪らないわ。

 ドワーフたちが作る果実酒やどぶろくと同じくらい酒精は強いけれど、喉や舌が焼けるような刺激は全くないから飲みやすい」


「これは以前、故郷でお裾分けでもらった王室献上の酒よりも美味いですね。

 お陰で、今後暫くは他の酒が飲めませんよ」



 と、このように評判は上々だ。

 ウイスキーを含むアルコール飲料は店を開けるくらいの量がストレージの中に入っている。ここで、ちょっとした宴会でも開いて構わないのだが、今回はこの一本が空になった段階でこの場はお開きとなった。


 焚火に大きめの薪を数本放り込み、薪がチロチロと燃え始めるのを確認してカルロッタとズラックさんを除く俺たち達は就寝の準備に入った。



「これ預けときますんで。 使い方は分かりますか?」


「大丈夫だ。 何回か教えてもらったから、さすがに覚えた」



 馬車に乗り込む前にカルロッタとズラックさんに大型のフラッシュライトを渡しておく。

 このライトはアルミ合金のパイプから作られたアメリカ製のライトで、電池を入れた状態だと警棒代わりにもなる非常に頑丈なライトだ。


 本体を充電機にセットすればそのまま充電出来る上に昔のハロゲンライトのモデルと違い、現行モデルはLEDを使っているので電池とランプの持ちも良い。


 帝都を出発した当初はスミスさん達は魔法で明かりを取ったり、動物の脂を燃やすカンテラを使って馬車の周囲を警戒していたのだが、効率が悪いので今はこのフラッシュライトを使って貰っている。

 フラッシュライトを渡した俺は馬車から少し離れてところで歯を磨き、用を足して馬車に戻った。



「じゃあ、おやすみなさい」


「うん。 おやすみ」


「うむ。 ゆっくりと休むんだぞ」


「さて寝ますか……」



 そう言いつつ馬車の後部から車内に入る。



「遅かったわね?」


「まあね……」



 馬車に乗り込んで来た俺へ、先に横になって毛布を被っていたアゼレアがこちらに声を掛けるが、実はこういう時、馬車に入るのは大体俺が最後だった。歯磨きやら銃の整備や点検でいつも遅くなるのだが、まあ仕方がないだろう。


 車内はロレンゾさんが施した魔法の光のお陰でほんの少しだけ明るい。

 明るいと言っても日本で使用されている常夜灯くらいの明るさなので、間違って人の頭や体を踏むようなことはない。


 既に寝息を立てているロレンゾさんを跨ぎ、アゼレアとロレンゾさんの間に空いているスペースに自分の体を横たえる。ホルスターから拳銃を抜き、弾倉を抜いて薬室に弾が装填されていないことを確認してから枕元に置く。



「ふわ~ぁ。 じゃあ、おやすみ」



 時刻は腕時計の時刻で午後11時半を回ったところで、日本にいた頃はまだまだ宵の口と言った時間だが、生活習慣が変わるとこの時間でも眠くなってくるから不思議なものだ。ちょっと目を離した間に先に寝てしまったアゼレア顔を見てから、誰にともなく断って俺は眠りに就いた。






 ◆

 ◆






 は今までは本能のままに生きる存在だった。

 森の中で獲物を狩り、喰らい、繁殖の季節になると同族の雌とつがいになり雌が子を産み、子が大きくなり暫くすると己はいつもの森の縄張りに戻りまた獲物を狩り、喰らい、寿命が尽きればその肉体は森に暮らす他の種族の貴重な栄養源になり、骨と皮は自身が生きてきた森の土に還る。


 ただそれだけの存在だった。

 しかし、ある生き物の所為でその状況は一変することになる。


 森の中は血の匂いで溢れかえり、先ほどまで己を捕らえようとして返り討ちにあった生き物が潰されたり引き千切らたりして血まみれになって己の周囲に散乱している。



「ふむ……いい個体だな。

 最近はここまで立派な個体は中々いない。

 いい奴を引き当てたな」


「ええ。 その代わり貴重な部下を十一人失いました……」


「それは仕方がないだろう。

 部下を失った貴官の心痛は察するに余りあるが、これもまた上の命令なのだ。

 それで言えば、貴官も俺も所詮ただの駒の一つにすぎないということだがな」


「はあ……」


「消沈するのも結構だが、亡くなった部下達の労に報いるためにも、この任務は成功させねばならん。

 それが貴官と部下の為でもある」



 目の前で本来なら己の食べ物となるべき存在が好き勝手に話をしている。

 何を話しているのか知らないが、どうやら己を見上げて笑っているようだ。



「しかし、惜しかったな。

 シグマの廃鉱山に隠れ住んでいたという大型のオーガを配下に置けなかったのは」


「お言葉ですが、“アレ”は我々の手に負えるものではありませんでした。

 仮に『“アレ”を押さえろ』という命令が下っていた場合、どれほどの部下が亡くなっていたことか……」


「確かにあのオーガは身体が大きいうえに貴重な“魔法障壁持ち”だったと聞いている。

 あの個体を手に入れることが出来れば相当な戦力になっていたかもしれないのだが、本当に惜しいことだ」


「しかし、そんな化け物も最期は冒険者によって討ち取られてしまったと聞いておりますが?」


「うむ。

 高々、冒険者風情五人程度に討ち取られるような魔物とは思えなかったのだがな?

 しかし、ギルドから聞き出した現場に赴いて死体を見て納得したよ。

 さすがのオーガでも、あれだけ木っ端微塵にされては到底生きておられん」



 何か言いつつ己の足をパンパンと叩く生き物。

 森で時々狩る草木と同じような色をしたの生き物はよりは大きいが、己の体軀と比べれば小さく皮が白い。


 本来ならば己の体に触れる距離ならこの手で鷲掴みにして頭から齧るというのに、己の体を束縛する何かの蔓の様なものがその行為を邪魔する。



「ほおっ? 見てみろ、俺や貴官を喰おうと必死にもがいているぞ」


「あまり近寄らないほうが。

 ドワーフが作った対魔物捕獲用の軽金属製の鎖とはいえ、油断は禁物です」


「大丈夫だ。

 この鎖は潮や血液が触れても錆びることはないし、竜でもない限り、この鎖の拘束を力技で破るのは不可能な筈だ」


「ですが……」



 目の前の生き物の傍らにいるもう一つの生き物と話しながら、さらに己に近付く皮が白い生き物。

 それは己の目を見ながら何か話している。



「今日から、お前は俺の配下だ。

 逆らうことも勝手に死ぬことも許さん。

 お前は俺のために生きて、俺のために死ぬ存在となるのだ」



 何かを言いながら己の腕に素の生き物の手が触れ、そこから何かが入り込み、己の体の中を蝕み始める感覚に本能的な危険を察したのか、その魔物は暴れて逃げようとする。

 しかし、頑丈な金属で作られた鎖がそれを許さない。



「声が出せないか?

 残念だったな、咆哮を上げられてお仲間に来られると面倒だから、一足先に声だけ出せないようにさせてもらったぞ」



 そう言って薄っすらと笑う男の周りに青く明滅する文字が地面から浮き上がって来た。



「全員、よく見ておけ。

 アレが魔獣使いが魔物を意のままに従わせることができる魔法陣だ」



 そう言って、事態を見守る兵達と共に目の前の状況を注意深く観察する指揮官。

 魔獣使いの周囲から浮き上がった魔法陣はそのまま目の前の魔物の体の表面を覆っていく。



「…………終わりだ」


「守備はいかかですか?」


「うむ。

 少々精神面で抵抗されたが、最終的に制圧することに成功した。

 もう鎖の拘束は解いて構わん。 こいつは俺の制御下にある」


「わかりました。 おい、拘束を解け!」



 上官の指示で恐る恐る拘束を解いていく兵士達。

 その顔には未だ解けぬ警戒の色がある。


 無理もないだろう、目の前の魔物は同僚を十一人も殺した化け物だ。

 上官と共にいる魔獣使いが本国一の使い手であっても、万が一という可能性が無いとは言えない。



「それにしても解せんな。

 上は俺や貴官らを動員してでも、目標を亡き者にしたいのかねえ……」


「それは本官の知るところではありません。

 もちろん、貴方様もです」


「分かっている。

 さて、すまないがもう一頑張りだ。

 司令塔役の魔物は手に入れたが、作戦遂行の為には“コレ”の他にも幾つかのゴブリンの群れを手中に収めないといけない」



 魔獣使いがそう言うと、指揮官の傍に控えていた兵士が報告する。



「既にこの周辺に存在するゴブリンの集落は把握済みです。

 集落はこの付近に二つと、ここから一キロほど離れた場所に一つ確認されています」


「よし。 じゃあ、さっさと終わらせてしまおう。

 目標が国境を越える前にこいつらをぶつけないと、ここまでの苦労が水の泡なるからな」


「了解しました。 部隊の移動準備は?」


「既に完了しております」


「では、移動開始だ」



 指揮官の号令で兵士達は無駄な動き一つなく持ち場へと戻る。



「よし。 では、俺達も移動開始だ」



 魔獣使いが魔物に話しかけると言葉を理解しているのか、魔物は頷いて魔獣使いの後を歩いてついて行く。



「ゴブリンを配下に収めたら、後はそれぞれの個体の武装化を行う。

 準備の方はどうなっている?」


「はっ!

 我々の関与を悟られない様に盗賊団から押収した武器類や防具を身に付けさせる予定です」


「結構。 こいつの艤装も済めば、後は何の障害も無い。

 これで心置きなく作戦を実行出来るな」



 そう言いつつ、野生動物達によって長い時間踏み慣らされた獣道を行く兵士達と魔獣使いに従う魔物。

 その光景は何も知らない冒険者辺りが見たら目を疑うことだろう。


 魔獣使いとはいえ、男に付き従う様に歩いているオーガと同じく凶暴で豚顔をした人間を襲う危険な魔物。



「オークとて俺の使役魔法に掛かれば他愛のないものだ」



 そう言うと彼等は森の中に消えて行った。

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