第19話 襲撃(1)
冬の空気が澄み切った夜、シグマ大帝国とバルト永世中立王国の国境沿い、ウェスト山脈麓に広がる針葉樹林の森は静寂に包まれていた。
時折、夜行性の小動物を捕まえようと同じく夜行性のフクロウなどの鳥が獲物を捉えようと木の枝から飛び立つ際の枝が軋む音がやけに大きく聞こえるくらい森は静寂に包まれている。
いや、静寂に包まれていたと言った方がよいだろう。
――――バキバキバキ!
先程まで静寂に包まれていた森に破壊の音が響く。
人が必死に跳躍しても決して届かない高さの位置において、大木から生えている木の枝が折れて地面へと落ちてくる。
「おい! もう少し静かに移動できないのか?」
枝が折れる音に混じり人間の声が聞こえてくる。
それに合わせるように複数の足音が森の一角に静かに聞こえ始めた。
「仕方がないとはいえ、この枝が折れる音は結構響きますな……」
「全くだ。
いくらオークの身長が高いとはいえ、こうも無造作に音を立てられると我々の姿を誰かに見られないかとヒヤヒヤしてしまうぞ」
「それに比べてゴブリンはうちの兵達と同じくらい静かに行動しますな」
「当たり前だ。
ゴブリンは集団になるとやや手強い相手とはいえ、基本奴らは臆病な性格だからな。
人間に見つかれば即駆除の対象にされるから、生き抜くための知恵として静かに行動する習慣が身に付いている。
それに比べてオークは逆に人間がほぼ抵抗せずに逃げていく上に、殆どの場合において自身が狩られる存在ではないから、普段から隠密裏に行動する習性が皆無だ」
「もうすぐ予定集合地点に到着します」
指揮官と魔獣使いの話に割って入る様に先導の兵士が声を掛ける。
「もうか? 案外早く着いたな……」
「あまり目標に近過ぎると我々の存在を察知される危険性があるので、敢えて距離を開けているのです」
「なるほどな。
それにしても、これだけ暗く深い森の中を苦もなく一度も迷わずに進めるとは恐れ入ったよ。
さすが公国一の野戦猟兵だ」
そう言っている内に前方に誰かいるのが見えた。
先導の兵士が一瞬腰に吊っている剣に手をやるが、同僚達であることを確認すると安堵して剣から手を離す。
「お待ちしておりました。 ここに居るのは我々の班だけです。
周囲は既に検索しましたが、誰も居ません」
先に待機場所へ到着していた別働隊の兵士が指揮官の姿を改めると、すぐさま報告を行う。
「ご苦労。
作戦開始まで、まだ時間はある。
お前達の班は下がって休んでおけ」
「はっ!」
兵士が下がるのを確認して指揮官が己の後ろを振り返る。
「時間を確認する。 “アレ”をここに」
「はっ!」
指揮官の指示に別の兵士が前に出る。
その兵士は、幼児がすっぽりと入ってしまうくらいの木箱を持っていた。
木箱を持ったままの兵士に近付いて蓋を開けると、木箱の中には薄い金属の板バネで宙吊り状態で保持されている砂時計があった。
振動を排除し、中に入っている荷物に一切影響を与えない魔導木箱に収められた魔法の砂時計は現代で言うところのマスターウォッチと同じ位置付けである。
部隊によっては壁時計を入れて使用している部隊もあるが、彼らの様な秘密裏に行動し任務を遂行する野戦猟兵達にとっては非常時には隠滅のし易い砂時計の方が使い勝手が良かった。
指揮官は注意深く砂時計を見つめて時刻の確認をする。
「砂が落ちると同時に作戦開始だが、開始時刻まであと一時間ある。
監視要員以外は、各自装備の確認と食事を摂り休息をしておけ。
間違っても大きな音や煙などを出さないように」
『はっ!』
「それと俺からもお願いしておきたい。
魔物は基本的に戦闘になると同族以外は敵と見做す場合が多いので、ゴブリン達が目標と接敵したのを確認したら素早く森の中に隠れるように。
我々の姿を見られるわけにはいかないからな」
『了解しました!!』
指揮官と魔獣使いの指示を聞いた兵士達はそれぞれ配置に就きつつ、休息を取り始める。
その様子を確認した指揮官は隣にいる魔獣使いにしか聞こえない音量の声で尋ねた。
「万が一、魔物が全滅した場合はどうなされるおつもりですか?」
「ゴブリンは兎も角、オークが人間種の兵隊に負けるわけがない……と思うが、万が一という可能性は常にある。
もしもの時は即時退却だ。
先程、貴官の部下達に言ったように我々の姿を見られるわけにはいかないからな。
それは我々が死体になっても同じことだ。
状況を見極めて退却だな。
ま、そうなった場合、オークが撃破された時点で目標が我々を見逃すとは思えんが……」
「では……」
「臨機応変に対応するしかないというのが本音だな。
何れにしても逃げの一手だよ」
「はあ」
そう話しつつ、二人の目は落ち続ける砂時計の砂の流れを追っていた。
作戦開始時刻は刻々と迫っている。
◇
“ベシッ!!”っという、薄暗い馬車の中に肉を打つ音が聞こえ、同時に声にならない悲鳴が上がる。
「~~~~!!!!????」
(痛ってえー!? 何なんだ一体!?)
ぐっすりと寝ていると顔を殴られた衝撃が襲い、一瞬で脳が覚醒して起きると、顔に乗っていた手が傍らにポトリと落ちるので握り返してみると、誰の手か触った感触で直ぐに判った。
アゼレアの手である。
本人は見ているこっちが幸せそうな表情で寝ていた。
(何だよ、寝惚けて俺に裏拳をお見舞いしたのかよ……)
危ない危ない。
アゼレアは普段、俺があげた機動隊の防護手袋Ⅱ型という籠手を装着しているのだが、寝ているときに外してくれていたお陰で助かった。
もし、あれが手に嵌ったまま裏拳をお見舞いされていたら、間違いなく鼻の骨が折れていただろう。
(まったく……お返しに指を舐めしゃっぶっちゃうぞ?)
もちろんそう思っただけで実行しようとは思わないが、こちらも気持ちよく寝ていた手前なんか悔しい。
「うーん……目が冴えてしまった」
喉も乾いたのでトイレへ行くついでに何か飲み物でも出して飲もうと思い、馬車の荷台から出る準備を行う。枕元の拳銃と自動小銃を確認し、ダッフルコートを着て靴と一緒にマガジンポーチと手榴弾ポーチ、銃剣が付いたバンダリアを持ってロレンゾさんを跨いで静かに車外へと出た。
「どうかしたのか、エノモト殿?」
馬車から降りると見張りをしていたカルロッタが声を掛けてくる。
見張りと言ってもすることは限られるので、焚火の前で毛布を被って馬車への侵入者と曳き馬に危害が加えられないように見張っているだけだ。
「いや、ちょっと叩き起こされちゃって」
「ん? 誰にだ?」
「顔にアゼレアの手がバシッっと……」
「なるほど」
それだけで理解したのか、特に驚くことなくカルロッタは頷いた。
「ところでズラックさんは?」
「うむ。
あの御仁なら、御者台の上で馬を見張っておるところだ」
「そうですか。
ちょっと目が冴えてしまったので、用を足すついでにちょっとそこら辺を見て来ます」
「大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。 いざとなれば“コレ”があります」
そう言ってCZ806をポンポンと叩いて見せる。
「まあ確かに、オーガを撃破して見せたエノモト殿なら大丈夫か……」
「そういうことです。 んじゃ」
そう言って俺はカルロッタに見送られつつ歩き出した。
◆
◆
砂時計が落ちると同時に雰囲気はがらりと変わった。
「よし。 作戦開始」
静かな、ともすれば緊張感のかけらもないほどに平坦で力強い声が兵士達の耳を打つ。
「良いな?
我々の目標はただ一つ、“ドゥーチェ”の殺害のみだ。
それ以外には目もくれるな。
弓兵は混乱に乗じて隙があれば狙撃し、それが無理であるならば即時撤退。
監視要員は決して前に出ず、状況を見極めて撤収せよ。
決して我々の姿を見られるわけにはいかないのだ、いいな!」
『ハイ!!』
「質問は?」
『ありません!!』
「良し!
諸君らは本官と共に幾つもの修羅場を潜って来た歴戦の強者共だ。
私は諸君らの勇気と技量を知っている。
そして、この任務を必ず成功させると確信している。
国に帰って家族や恋人の顔を見たくば、己の持つ力の全てを出し切るのだ。
特別野戦猟兵万歳!!」
『万歳!! 万歳!!』
「出撃っ!!」
指揮官の号令と共に兵士達が散って行く。
「良し。 では、俺達も出撃だ」
魔獣使いの号令で魔物の群れが前進を開始する。
暗い森の中には無数の光る不気味な目が見え隠れしていた。
◇
「はぁ~スッキリした」
この広場には公衆トイレという立派なものはないので、森に入って用を足さねばならないのがつらいところだが、コトが終わった瞬間の開放感は素晴らしい。
「水が美味いねえ」
寝ていたせいで口の中がヌメッていたので、一度口の中を何回か濯いでからペットボトルに入っていたミネラルウォーターを飲む。
「それにしても、よくよく見ると本当に人が多いなあ……」
水を飲んで一心地着いてから冷静に広場を見渡すと、改めてこの場所で休息を取る人の多さに驚く。
夕方は馬の世話と夕飯を食べた後の片づけと、その後のお喋りで周囲を散策していなかったが、こうして歩いてみると、馬車から見渡したとき以上に興味深い光景が幾つかある。
「あれは……寝袋か?」
馬車や騎馬、荷車に交じって冷たい地面の上にレジャーシートのような布を広げて眠っている人がちらほらと居るのだが、よく見るとモコモコとしたダウンジャケットのような布を着膨れしたように着込んでいる人がいるのだ。
起こさないように静かに近付いてその姿を観察していると、やはりそれが寝袋であることが分かる。しかも、端っこを触ってみるとほんのりと温かく、その温度は人肌より少し暖かい程度の温度を保っている。
(ロレンゾさんがやっていたように魔法か何かで温めているのかな?)
確かにこれなら寒い冬の地面の上でも寝ることは可能だ。
しかも、地面は日本のようにコンクリートやアスファルト、砂利とかではなく柔らかい地面の上なので、寝る場所の石ころさえ除去すれば背中を痛めることなく寝れることだろう。
(てっきり地球の中世レベルの文明に魔法がプラスされただけと思っていたけど、こりゃあ本当に侮れないな……)
イーシアさんは足元を掬われない様にと言っていたが、改めてただの異世界でないことが分かる。
その後、俺は自分が乗っている馬車が駐車している場所とは反対の位置まで行き戻って来た。
(やっぱり、このテントの集団は規模が別格だな……)
馬車から遠めに見えていたモンゴルのゲルのようなテントを張っている一団。
テントの数は5つほどだが、そのすべてに金属鎧を着た騎士や兵士が篝火を焚きながら警備に就いている。
テントの傍らには立派な鞍が装着されたままの馬が休んでおり、馬車も何両か駐車しているが、馬車に曳き馬が繋がれていたり、鞍を馬に装着したままだったりとまるで襲撃でも警戒しているかのような感じだが、もしかしたら身分の高い要人があのテントのどれかにいるのかもしれない。
さすがにテントは全部同じで誰がどこにいるのか分からないようにしているのだろうが、もしロレンゾさんやアゼレアのような攻撃魔法の使い手に襲撃されたらひとたまりもないのではないのだろうか?
もう少しテントの間隔を置けておく必要があると思うのだが……
(まあ、ここは異世界だし。
ミサイルや迫撃砲が無いから、そこまで気が回らないのかな?)
もしそうならやはり地球の近代兵器はアドバンテージになる。
まあ、この世界の人々も馬鹿でないから、そうした攻撃も初撃でしか通用しないだろうが。
そんなことを考えながらテントの一角をジッと見つめていた俺を怪しい輩とでも思ったのか、周囲を警戒していた騎士がこちらに詰め寄って来た。
「貴様、先ほどからこちらを見つめておるが何か用か?」
「いえいえ、何もありませんよ。
ただ、大所帯であんなに密集していて大丈夫かなと思って見ていただけですよ」
「何ぃ!?」
(ヤバイ! つい焦って考えていたことをそのまま口走ってしまった……!)
幸い『攻撃』とか『襲われて』など余計なことは言わなかったが、傍から聞いたら同じような言い方になってしまう。
今まで剣で武装した人間はおろか、日本にいた頃も警察官に職質されたこともなかったので、ビビッて馬鹿正直に内心思っていたことを言ってしまうとは我ながら情けない。
「どうかしたのか?」
先程の騎士がでかい声を上げたお陰で後方からこちらを見守っていた騎士が兵士2人を従えてやって来た。
(まずい!! まずいですよぉー!?)
「こいつがこの天幕の密集は攻撃しやすいと」
「何だと!?」
(いやいや! 俺『攻撃しやすい』なんて言ってないし!
何勝手に脳内変換しちゃってるの!?)
しかし現実は無情かな。
こちらの思いとは別に目の前の騎士と兵士の顔がどんどん険しくなっていき、兵士の1人は明らかに槍を握る手に力が籠っている。
「貴様、もしかして『貴族派』が放った刺客か!?」
「え!? 何ですかその貴族派って!?
私はただ、ここを通り掛かっただけですよ!!」
「嘘つけ! 先程の誰何での攻撃という言葉といい、刺客でなければ斥侯であろう!!」
「違いますって、大体『攻撃』なんて言葉言ってないじゃないですか!!
勝手に脳内変換しないでください!!」
「黙れ!! 言い訳は後で聞いてやるから、大人しく縛につけい!!」
「無茶苦茶だ!」
マズイ!!
この騒ぎをアゼレアが聞きつけたらとんでもないことになる。
彼女はイーシアさんがお墨付きを与えるほどの魔力と攻撃力を誇る魔族だ。
もし彼女がキレて暴れたりでもしたら、ここが灼熱の地獄へと変わってしまう!
「膝をつけ!!」
混乱した頭の中でアゼレアが来ないか心配していたら地面に引き倒されてしまった。
拳銃や自動小銃を取り上げられなかったのはこれらが武器だと思われなかったためだろうか?
「ようし! お前ら、こいつの手足を縛って……ん?」
それまで怒鳴っていた騎士が何かに気付いたのか、俺を素通りしてそのまま歩いて行った。
彼が歩いて行った方向は広場に隣接した街道を挟んだ向かい側の森だ。
“シャリン”と剣を鞘から抜く金属音が響いた次の瞬間、何かを切るような叩くような音が響き、同時に「グギャァ!?」という声が響く。
そして暫くして、
「ゴブリンだ!! ゴブリンの群れが襲って来たぞ!!」
そう言って騎士が剣を持ったままこちらに戻って来るが、彼は左手に何かを引き摺っている。
「ゴブリンだと!? それは本当か?」
「こいつを見てみろ!」
「なっ! これは!?」
同僚に聞かれた騎士が地面へ何かを放り出す。
放り出されたソレは篝火の炎の光に照らし出され、はっきりと視認することができた。
日本の小学6年生程度の身長でくすんだ緑色の皮膚を持ち、髪の色は黒くチリチリに生えており、顔は老人のように皺が多く、目は人間の2倍ほど大きくて白目の部分は黄色く濁っている。
胸を剣で突かれたのか胸部の中央部分と半開きになり、舌がダラリと垂れ下がった口から赤黒い血がだらだらと流れ出していた。
「暗くて全体を見まわせなかったが、向こうの森の中に幾つも目が光って見えた。
あれは十や二十では利かん数だ。 かなりの数が森の中に潜んでいるぞ!」
「今すぐに仮眠している兵や文官を叩き起こすのだ!
それとアズナート侯爵閣下に報告して指示を仰げ!!」
「は、はい!」
騎士の指示を受けて兵士が慌てて走り去って行く。
直ぐに天幕の方は大騒ぎになり、鎧や剣を身に着けていると思われる金属音がガチャガチャと響き、武装をしていない男女数人が天幕の外に出てきて兵士に事情を聴きに走り回っている。
すると、天幕の一角から目の前にいる騎士とは別の立派な鎧を着こんだダンディな男が出て来て、騎士や兵士達に指示を飛ばす。
「殿下と馬を守れ!
冬場は食料が減ってゴブリン共は腹を空かしている筈。
馬を殺されると、今後の移動が困難になる!
天幕は最悪放棄しても構わん!
兎に角、防御陣形を組んで殿下と馬を守るのだ!
文官と侍女は馬車の中へ退避!」
すると騒ぎを聞きつけたのか、他の天幕や馬車、荷車がある方向からも騒がしい音が聞こえ始めた。
ここにいる騎士達とは別の騎士や兵士、冒険者と思われる男女、自分や家族の身を守るために手に剣や斧、槍や杖を持った人々が見える。
「ゴブリンだと!?」
「なぜこの時期に……?」
「ここは普段、魔物が出ない森ではなかったのか?」
「とりあえず馬を守らなければ!」
「お前達は隠れていなさい!」
「へっ! ゴブリンなんざ、眠気覚ましにもならねえよ。
全部俺が討ち取ってやらあ!!」
各人の反応は様々で、突然のゴブリン襲撃に驚く者、馬や荷物を心配する者、家族の安全を優先させようとする者、突然の戦闘に血の気が逸る者など様々だった。
因みに俺はどうなったのかというと、俺を押さえていた騎士や兵士も先程指示を飛ばしていた男性の下に行き陣地を守るために各所に散って行った。
「どうしよう……」
俺はというと軽くパニックになっていた。
ここまでの旅で誰からも襲われることがなかったので『これから先もひょっとして襲われないのでは?』という日本人特有の『自分だけは大丈夫!』な考えもあったのだと思う。
そんな中での魔物の襲撃である。
しかも1匹や2匹とかではなく集団ということと、アゼレアやスミスさん達から逸れた状況下で突然の魔物達の襲撃。
(一体どうすれば? そうだ、取り敢えず馬車まで走って逃げれば!)
パニックの中で唯一出てきた案に対し直ぐに行動に移そうとしたが、それを許してくれるほど現実は甘くなかった。
「ん!?」
突然妙な圧迫感を感じて視線を上に向けると、上空から巨大な大木が数本、こちらへよ目掛けて降って来るところだった。
◇
アゼレアがその“音”を聞きつけたのは孝司が馬車から降りて暫くしてからだった。
「何かしら?」
ムクリと起き上がり耳を澄ます。
人間では聞き取ることができない、遠くの方からこちらへと向けて草木を掻き分けて走って来る足音が聞こえる。それも十や二十では利かないもっと沢山の足音だ。
「この足音、何処かで聞いたことがあるような……?」
方角は馬車を停めているこの広場から街道を挟んだ森の方からだ。
集中力を音に傾注してみると微かに金属が擦れる音も聞こえる。
「この金属音は剣や鎧の音かしら?」
何かとてつもなく嫌な予感がする。
しかし、それとは別にその嫌な予感を歓迎している自分が居るのもまた事実。
ということはこれは…………
(これは久々の戦いということになるのかしら?)
そう思った瞬間、全身に魔力と殺気が漲り始める。
アゼレアの体からそれらが漏れたのを感じたのか、スミスとロレンゾ、ベアトリーチェがもそもそと起き始めた。
「どうした? そんなに物騒な笑みを浮かべて」
アゼレアの様子が普段と違うことを感じ取ったスミスが彼女に尋ねる。
眠そうな顔をしているが、彼の手には愛用の剣がしっかりと握られていた。
「どうやら誰かがこちらに害意を持って向かって来ているみたいよ?
それもかなりの数ね。
しかも、足音に混じって金属音がするから全員武装しているみたい」
「ふむ?
ということは状況からして大規模な盗賊団とかか?
まさか軍隊とかじゃないだろう?」
「さあ? それはどうかしら」
そう言いつつ、テキパキと装備を身に付けていくアゼレア。
彼女の後ろではロレンゾやベアトリーチェも装備や持ち物の点検を始めている。
「ま、何れにしても警戒しておくことに越したことはないな。
ところで、タカシはどこに行った?
一足先に外にいるのか?」
「えっ!?」
スミスにそう聞かれて彼女は自分の隣を見る。
するとスミスが言ったように、隣で寝ていた筈の孝司の姿が見当たらない。
彼女は孝司を探すために急いで車外に出る。
もしかしたら、外に出てカルロッタ達と呑気に話し込んでいるのかもしれない。
そう思って外に出たが、視界に映ったのはカルロッタ一人だけだった。
「カルロッタ、孝司は何処にいるの?」
「エノモト殿は厠に行かれたぞ。
そのあと周囲を散策して来ると言っておったが……何かあったのか?」
「向こうの森からこちらに向かって来る足音が聞こえるのよ。
それに加えて、ものすごい数の足音に混じるように鎧や剣の擦れる金属音が聞こえるわ」
「なんだと!?」
「万が一っていう可能性もあるから、カルロッタも注意して」
「心得た」
「で、孝司はどっちの方向に歩いて行ったの?」
「向こうに天幕が見えるであろう?
エノモト殿はそちらの方角に歩いて行かれたぞ」
「わかったわ!」
そう言ってカルロッタが指し示した方角に行こうとしたとき、その方向から声が響いて来た。
「ゴブリンだ!! ゴブリンの群れが襲って来たぞ!!」
「ゴブリンの群れ!?」
これで合点がいった。
人間より軽く、しかし力強い足音の正体が。
アゼレアが何処かで聞いたと思っていた足音は勘違いではなかった。
魔王領の郊外に時折出没する魔族種と区別される野生の魔物の生態分布調査の際、護衛任務で興味本位で付いて行った時に耳にしたゴブリンの足音だったのだ。
「早く孝司を迎えに行かないと!」
元々魔王領でもかなりの魔力と戦闘力を持っていたアゼレアはゴブリンの群れなど脅威にも感じていない。
敵軍に寝返った西部方面軍の反乱部隊から転移魔法陣を使って逃げる時も竜族族長の娘を逃がす最中に毒矢を受けたが、あれにしたって軍に所属していない一般人である竜族族長の娘を避難させることが優先された為に毒矢を射られたのだ。
もしアゼレア一人だったら毒矢で武装した反乱部隊など鼻歌交じりに殲滅できただろう。
そんな彼女にとってゴブリンの群れがどれほど攻めてこようが脅威の内にも入らない。
しかしそんな彼女が焦る理由は別にあった。
孝司である。
アゼレアから見て彼はお人好し過ぎるのだ。
もちろんそんな性格の彼に惚れたのだが、こと命を賭けた戦闘では、その性格は命取りになりかねない。
しかも、彼は戦闘は全くの素人だ。
あのオーガを吹き飛ばした兵器や『銃』という恐るべき武器を肌身離さず携帯していることから大丈夫だとは思うが、万が一という可能性は常に付き纏う。
出来ることなら彼の背中くらい守ってあげたいと思うのは惚れたゆえの感情だが、やっぱり放っておけないのだ。
そしてもう一つ、ゴブリンの足音に交じって後方から質量のある足音が微かに聞こえていたのだ。
アゼレアの考えが正しいのならば、後方にゴブリンを指揮している大型の魔物がいる可能性が高い。
そのためにも、あの魔法障壁持ちだったオーガを一撃で撃破して見せた兵器を保有する孝司をこちらに呼び戻さなければいけない。
「カルロッタ、悪いけどここをお願い。
私は孝司のところに行くわ!」
「承知した。 ベアトリーチェ様やスミス殿には私から言っておく」
「お願いね!」
そう言った瞬間、二人の間を矢が飛翔して行った。
「ギャッ!!」っという叫び声が聞こえた方向を見ると、首に矢が突き刺さったゴブリンが地面に倒れてもがき苦しんでいるところだった。
「「えっ!!??」」
矢が射られた方向を見ると、御者台で馬を見張っていたズラックが弓を構えて既に二射目の矢を番えている。
「先ほどの奴は多分斥候だ。 もうすぐ群れの先頭が到達すだろう。
早くタカシを迎えに行くんだ!!」
ズラックに頷き駈け出すアゼレア。
しかし駆け出してすぐに、まるでアゼレアの行動を見透かしたかのように広場のほぼ中央部分に巨大な大木が空から数本降って来た。
「何っ!?」
大木の直径は約2メートル、長さ約10メートルは程。
それが広場や隣の街道に何本も降り注ぎ、アゼレアのいる場所と孝司がいる場所とを分断してしまう。
しかも…………
「火ですって!?」
降り注ぎ、小山のようになっていた大木が勢い良く燃えだしたのだ。
「なんてこと!!」
油でも染み込ませてあったのか炎は勢いよく燃えている。
偶々近くにいた冒険者クランや隊商の護衛依頼に就いていた魔法使いが水の魔法で消火しようとするが、一度消えたかと思ったら、また火の手が上がるという悪循環が発生していた。
竜族のような頑丈な皮膚があれば話は別だが、これでは跳躍して倒木の山を越えるのは不可能だ。
「クソ!! この炎は何なんだ! 中々消えないぞ!?」
「大木の中心部がかなりの高温に晒されているお陰で消火が難しい!!
種火まで完全に消さないと、森に火の手が燃え移るぞ!!」
魔法使い数人が炎を消す作業を行っていたその時だった。
街道側の森の中から無数のゴブリンが飛び出して来る。
しかも、それぞれの個体が剣や槍で武装しており、中には革鎧や盾を装備している個体も何体かいた。
「ゴブリンが来たぞぉー!!」
「気を付けろ! こいつら武装している!!」
こうして事態は完全な乱戦状態へ突入した。
広場には冒険者や魔法使い、どこかの国の兵隊や騎士などもおり、各自個別に自衛戦闘に徹していたが、中には最低限の護身用の短剣や薪割り用の斧程度しか持っていない旅人や家族連れ、商人などもいた。
彼らは戦闘を行う者達の間を武器を振り上げたゴブリンに追い回されている。
とその時、一匹のゴブリンがアゼレア目掛けて向かって来た。
「グウェェェェギャ!!」
気色の悪い雄叫びを上げ、剣を振り回しながら突っ込んて来るゴブリンをアゼレアは無表情で蹴飛ばす。
「ギャブエッ!?」
蹴り飛ばされたゴブリンは森の大木に激突するや否や、その衝撃によって水風船が破裂するときのような音を立てて四散し、大木には赤い粘着質のゴブリンだった何かがこびり付いていた。
「いいわ。
そんなに孝司の下に行かせてくれないのなら、手始めにあなた達を皆殺しにしてあげる。
その後で、森の中からこちらを伺っている奴らも一緒に皆殺しよ」
先程から暗闇に息を潜めるようにしてこちらを監視している輩が複数いるのだが、シグマ大帝国の兵ではないだろう。自国の森でこれだけの数の魔物が人を襲っているのだ、それを監視程度で見過ごす筈がない。
ということは、あの輩共はこの魔物の群れをここへと誘導して来た者か、魔物の襲撃で漁夫の利を得ようとしている者のどちらかだろう。何れにしても、気持ちの良い相手ではない。
「先ずはこいつらの血液を手に入れようかしら?」
先程は怒りに身を任せてつい襲ってきた一匹を蹴り殺してしまった。
やはり効率的に仕留めるには血液が必要だ。
「ギュアアアァァァァァァ!!!!」
とその時また獲物がこちらに突進してき来た。
己がこれからどうなるのかも知らずに…………
「丁度良かったわ。 態々そっちから来てくれてありがとう」
そう礼を言いつつ、また性懲りも無く襲って来たゴブリンをアゼレアは容易く捕獲する。
彼女はまるで林檎を持つかのようにゴブリンをもの凄い握力で頭から鷲掴みにした。
「フフフ……」
鷲掴みにしたゴブリンを見てアゼレアは獰猛な笑みを浮かべる。
その笑みは何も知らない子供が見たらショック死するくらいに殺気と暴力に満ち満ちていた。
彼女の笑みを見たゴブリンは抵抗を止めて小刻みに震え始め、自分が獲物になったことを瞬時に悟る。
「さて……」
「始めようかしら」と言おうと思ったその時、未だ勢い良く燃えている倒木の向こう側から何かが連続して“バンバンッ!”と破裂する乾いた音が響いてきた。
時折、それよりも大きい爆発音も聞こえる。
「この爆発音は孝司かしら?」
今までこんな音を出す攻撃魔法は聞いたことが無い。
ということは、この音が『銃』の攻撃音なのだろうか?
「いいわぁ。 ちょっと心配だけれど、孝司はそっちで頑張って。
孝司が殺せなかった分は私がきっちり殺してあげるからぁ……」
そう言ってゴブリン頭を持つ手に少し力を入れた瞬間、ゴブリンの頭部が熟れたトマトのようにグシャリと握り潰され、アゼレアの左手から滴るゴブリンの赤黒い血液は地面の上を意思を持つ生き物のように流れ、幾何学模様の魔法陣を形成し始め、同時に彼女の赤金色の目が妖しく光る。
「夜はまだまだ長いわ。
果たして“あなた達”はこの森から生きて出ることができるのかしらぁ?」
血生臭い宴の夜が幕を開けようとしていた。
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