第23話 対峙

 ゴブリン共やオークとの戦闘が終わり、状況は逃走したゴブリンの生き残りを追撃・掃討へと推移していた。



「ハア……」



 俺はというと追撃には参加せず、テントの前で折り畳み式のパイプ椅子に座ってスポーツドリンクを飲んでいた。


 基本的に追撃戦は公女様の護衛に就いていたウィルティア公国の近衛騎士と歩兵から半数、残りは駆け付けたシグマ大帝国の辺境警備軍と国境警備隊から兵を出して行っている。ゴブリン共は森の中へと逃げ込んだり、死んだ仲間の死体に混じって死んだふりを決め込む奴などがいたため、まずは広場に散乱するゴブリンの死体確認と処理から行われていた。


 木が燃える匂いに混じって生臭い臭いや肉が燃える臭いが充満しており、お世辞にも良い環境とは言い難い。


 肉が燃える臭いとは言っても、焼き肉のような香ばしい匂いではない。

 石油ストーブに顔を近付けたとき熱い部分に前髪がうっかり接してしまって、髪の毛を数本焦がしてしまったことがある人もいるだろうが、ちょうどあの時の髪が焦げたときと同じ臭いがしてくるのだ。


 正直言って良い匂いとは言い難く、長時間吸っていると頭が痛くなりそうで辛い。



「早く鎮火しないかねえ……」



 そんなわけで余り良くない環境の中で俺が見つめる視線の先には未だ燻り続ける大木の山があった。

 炎は消え去り一見黒く炭化している大木の山は外側の火が燃えていないというだけで内部はまだ高温を発しており、肉を近付ければ遠赤外線効果で美味しいお肉が焼けそうな勢いだ。


 一度、分断されたこちら側に来た水を得意とするシグマ大帝国治安機関所属の魔法使いたちが消化を試みたのだが、水を掛けた途端に大量の水蒸気が立ち上り、その水蒸気が周囲に拡散し火傷しそうになった者が続出したため、現在は自然鎮火を待たなければいけない状態になっている。



「これじゃあ、何時までたっても出発できないなあ……」



 俺たちが乗っていた馬車はあの燻り続けている大木の向こう側にある。

 そのため、俺やアゼレアだけで国境に進むことはできない。


 それはこちら側にいる冒険者たちや商人らも同じようで、地面に座ってことの成り行きを見守っている。幸い、森に炎が飛び火することはなく、付近の木を数本焦がす程度だったので助かったものの、一歩間違えれば森が大規模な森林火災に発展しかねなかったのでそれが無かっただけでも運が良かった。


 因みに現在も消化を試みようと相談をしているシグマ側の魔法使いたち以外にもウィルティア公国側や冒険者クラン、隊商護衛のために雇われていた何人かの魔法使いたちがいたのだが、戦闘時、森に火が燃え移らないように初期消火に当たっていたそれぞれの魔法使いたちは魔力を使い果たして全員ぶっ倒れている。


 また、国境近くに何者かがバリケードの如く設置した倒木はシグマ側によって撤去されており分断された広場のうち、こちら側に荷物を置いていた者達は既に国境へ向けて出発していた。しかし、馬車や荷車を所有していた者たちは曳き馬が殺されたり、馬車や荷車そのものがゴブリンやオークによって破壊されており、出発が困難になっている。



「うちの馬車はどうなっているのかねえ?

 曳き馬が殺されていないといいけど……」



 もし「曳き馬2頭とも殺されていたらどうしよう?」そんな考えが頭を過る。

 俺にはこの世界に持ち込んだ自転車やスーパーカブがあるから俺一人でも先に進むことはできるが、アゼレア達を置いて行くことはできない。


 かと言って原付はおろか、自転車すら見たことない異世界人に自転車に乗れというのは土台無理な話だ。


 因みに今回の魔物襲撃事件を起こした犯人はまだ捕まっていない。

 そのため今回の事件を知っていると思われるウィルティア公国第一公女 シレイラ・マクファーレン殿下は現在、俺の座っている場所の後ろに建っているテントの中でシグマ大帝国の辺境警備軍と国境警備隊から首謀者特定のための事情聴取を受けている。


 広場の向こう側でも同じようにシグマ大帝国の治安機関が到着しており、俺たちが逗留したメンデルから急遽派遣されてきた帝国情報省軍、内務省警保軍の調査官たちが事情聴取を行っているらしい。


 そして俺も彼らから事情聴取を受ける予定でテントの前に座っている。

 しかも、ご丁寧に監視の兵隊付きでだ。



(どうしたものかねえ……)



 恐らく、シグマ側の俺に対する事情聴取の目的はどうやって俺があのでかいオークを仕留めたかなのだろう。


 彼らはシレイラ公女に話を聞く前に、彼女を守っていた騎士や兵士にも話を聞いていたから俺の持つ武器のことを調べたいのだと思う。でなければ、一介の新人冒険者に聞くことなんてないはずだ。今までの事件の経緯はウィルティア公国の者達に聞けば良いのだから、態々同じ内容を冒険者風情に聞く必要はない。



(このまま逃げても良いけど、そうなるとアゼレア達に迷惑がかかるなあ。

 本当にどうしよう?)



 恐らく、アゼレア達も向こうでシグマ側の事情聴取を受けているだろうし、多分俺が彼女らの仲間であることも既に判明しているだろう。馬車や馬がこちらに来れないだけで、森を経由すれば人間だけはこちらに来られるのだ。


 それが証拠に、俺を監視している兵隊とは別に違う軍服や制服を着た人間が森を通って分断されている広場を行き来しており、その内の何人かはシレイラが入っているテントを行ったり来たりしていた。



(恐らくは事情聴取の結果の擦り合わせと、向こうとこちら側の話に齟齬が無いか確認しているんだろうなあ……)



 彼らの行動を見ていると下手な嘘は通じないように思える。恐らく鑑識や検死技術が地球のそれと比べて劣っているだけで、基本的な捜査手法は日本の司法警察機関とそう変わらないだろう。



(ふう! どうにかしてこの状況を回避できないものか?)



 これだけの人間がいる中で逃走を図るのは難しい。

 しかも、シグマ側の複数の治安機関の目以外にウィルティア公国やどこの国の所属か分からない兵士らの目もある。  


 このような状況下で逃走を図れるとも思えないし、強引に突破しようと思うとどうしても武器を使わざるを得ない。


 もし武器を使って強行突破すれば、間違いなくお尋ね者になる上に武器の性能がバレてしまうだろう。少なくとも、今のところは銃火器の正体は公女様と現場に居合わせた者達くらいに留めておきたい。



(下手したら最悪、シグマ側に何らかの罪を適当にでっち上げられて拘束される可能性もあるな。

 いや、そうでなくても既にシグマ以外にもウィルティアや他国に目を付けられている可能性もあるか?)



「うーむ、マズイ……」



 と、俺がそんなことをグダグダと考えているその時、広場を分断した火が燻り続けている大木の山がもの凄い轟音と共に吹き飛んだ。






 ◇






 それは凄い音だった。

 ハリウッド映画でカーチェイス中に車が横転するシーンがあるが、そのとき車が派手に宙を飛び路面に叩き付けられる時の轟音と似たような音が広場に響き渡る。



「なんだ!?」


「また魔物の襲撃か!?」


「総員戦闘準備ーッ!!」


「逃げろぉー!」



 あちこちで騎士や兵士、冒険者や傭兵たちが殺気立ち、大木が吹き飛んだ付近に居た者たちは空中に弾き飛んだ破片から逃げ惑っており、空中に吹き飛んだ破片はスローモーションのように地面に激突する。


 焼け焦げて炭化しているとはいえ大きさは成人男性くらいの大きさがあり、内部には火種が残っているので未だ高温の状態だ。そんな危険な破片から人々が逃げた先、吹き飛んだ箇所は黒煙が舞っていた。


 しかし、その煙が徐々に晴れていくと煙の向こうに人影のようなものが見える。魔法使いでも撤去が難しかったあの大木の山を――――炭化して多少脆くなり軽くなったとはいえ――――吹き飛ばすなど普通の人間ができることではない。


 そう思ったのか大木の山が吹き飛ばされた箇所に集まり、剣や槍の穂先を向ける騎士や兵士たち、中には弓や魔法杖を構えている者もいる。


 そして次第に煙が晴れると思った瞬間、まるで大型の送風機で薙ぎ払われるかのように強制的に煙が消え去り、それと同時に大木が吹き飛んだ個所と地面に薄く氷のようなものが浮かび上がり、今度は白い水蒸気が発生下。


 空焚きした鍋に水を入れたときのような“ジュウゥゥゥゥッ!!”という音が辺りに響き、数分で水蒸気が消える。



「あれは……まさか!」



 こちら側の広場に展開し、事態を警戒しつつ見守っていた者達全員が愕然とする。

 水蒸気が消えこちら側に姿を現したのは見たこともない剣を腰に吊り、赤金色の目を持つ上級魔族だった。



「何ということだ……」



 先程の轟音を聞きつけ慌てて天幕から出て来たのだろう。シレイラ公女を始め彼女を事情聴取していたシグマ大帝国の将校たちが他の兵士らと同様に愕然とした表情で魔族の女を見つめている。


 兵士やその他大勢に見つめられている彼女はその視線を一切気にすることなく、何かを探すように辺りを見回し、目的のものを見つけたのかシレイラ公女がいる天幕の方に向かっていきなり走り出した。



「止まれー!!」


「そこを動くなーッ!!」


「殿下を守れーー!!!!」


「防御盾を構えよ!! 盾を持っている者は防御姿勢をとれッ!!」


「槍を持っている者、前に出ろー!!」



 さすが訓練を受けた兵士たちとでも言おうか、女魔族が無言でシレイラ公女のいる方向へ走り出したのを見て、ウィルティアとシグマ側双方の兵が制止しようとし、シレイラ公女のいる天幕周辺を警備していた兵達も前に出て盾や槍を構える。



「殿下に近寄らせるなー!!」 



盾と槍を構え、天幕に近寄らせまいと前に出た兵士の槍の穂先が真っ直ぐ突っ込んできた女魔族に接触しようとした瞬間……



「何ぃ!?」



 女魔族は直前で飛び上がり、兵士たちを飛び越え空中で一回転して天幕のすぐ手前に音もなく着地した。






 ◇






「アゼレア……」



 兵士達の制止を突破し、俺の前に降り立ったのは誰であろうアゼレアだった。



「アゼ……フムゥ!? ムゥッ!!」



 俺の顔を見て笑顔を浮かべた彼女は、そのまま俺に抱き着いたかと思うといきなり口づけした。



(おいぃぃ!! いきなりナニしちゃってくれてんの!?

 周りの人達、超ドン引きしてるんですけど!!)



 余りにも激しいキスをされながら横目で辺りを見回すと、周囲に展開していた兵士達も唖然を通り越して呆れかえっており、若い兵士の中にはもの凄い顔で俺を睨み付けながら、槍の石突や脱いだ兜を地面に叩き付けている者もいる。


 視線を感じ右斜め後ろを見るといつの間にかテントから出てきていたシレイラまでもが俺たちを見ており、両手で口元を覆い、顔を赤くしている。



「プハッ! アゼレア、一体どうしたの!?」


「どうした?じゃないわよ。 一向に戻ってこないから心配したんだから!」


「あー、いや……ごめんなさい」


「まったく! さあ、行くわよ!」


「えっ!? ど、どこへ?」


「決まっているじゃない。 あなたの馬車に戻ってバルトに行くのよ」


「あ、なるほどね」



 確かに広場を分断していた大木は一部であるが吹き飛ばされて馬車の往来が可能になっており、今も続々とこちらへ馬車や荷車、騎馬が入って来ていた。


 

(まあ、ここにいてもシグマ大帝国の事情聴取を受けるだし、残っている理由はないわな)



 しかし、そうは易々とコトが進めば世話はない。



「ま、待たんか!」



 そう言って俺の手を引くアゼレアを止める声が上がる。

 振り返ると、先程の騒ぎでテントから出てきていたシグマ大帝国の将校の1人が腰に下げていた剣を抜き放ち、切っ先をこちらへ向けていた。



「あら、何かしら?」


「その男はまだ我々の聴取を受けておらん。

 勝手に連れて行くのは止めてもらおうか!」


「何故かしら? 彼は今回の事件の容疑者ではないわ。

 それどころか、この騒ぎの鎮圧に貢献したのよ?」


「それは分かっている。

 しかし、この広場に居た者達から聴取した結果、帝都で発生した事件に使われた凶器とその男が使った武器と幾つかの類似点が見つかったのだ!」


「それは本当なの、孝司?」


「えっ!? いや、さあ……」



 心当たりがありすぎるが、俺は敢えてとぼけた。

 因みに、アゼレアは例の憲兵の皮を被った連続通り魔の話は既に知っている。

 もちろん俺がその憲兵に襲われて射殺したこともだ。



「彼は知らないって言ってるわよ?」


「そんな筈はない! あのような特徴的な傷跡を作る武器が他にあるものか!」


「あなたが知らないだけで、もしかしたら他の人も持っているかもしれないじゃない」


「うるさい!

 兎に角、その男も今回の事件の重要参考人なのだ!

 我々の聴取が終わるまで大人しく待っていろ!

 大体、貴様は何者だ!?

 我々に口答えするのなら、まず貴様の身分を明かさんか!」


「あら、それもそうね。 じゃあ、はい身分証」



 そう言ってアゼレアは近くの兵士に身分証を見せる。

 身分証を見た兵士は一瞬驚愕の表情を浮かべたが、直立不動の姿勢を取り「失礼します!」と言って受け取った身分証を先程の将校のもとに持って行った。


 「どれ?」と言って身分証を受け取った将校は中身を確認して固まった。隣に居た同僚の将校や別の制服を着た将校も、身分証を一瞥して驚いた表情でアゼレアと身分証を何度も見比べている。



「な、何で魔王軍の将校がここにいるんだ……?」



 そう言った瞬間、俺とアゼレアの周囲を取り囲むように展開していたシグマ側、ウィルティア側双方の兵が一斉に武器を収めた。



「分かったでしょ。 彼は私たち魔王軍の賓客なの。

 ここで彼を拘束するとあなた達の上官が迷惑を被るわよ?」


 明らかに嘘だ。

 魔王軍が賓客としてもてなす相手に、仮にも将校である彼女が抱き着いてキスするなんてありえない。彼らもアゼレアが口から出まかせを言っているのが分かったのか、必死に食い下がる。



「ふざけるな! 本当に賓客ならば、あのような無礼な真似が許されるものか!」


「じゃあ、魔王領及び魔王軍ではなく魔王軍北部方面軍総監・吸血族族長にして大公オルランド・クローチェが次女、アゼレア・クローチェの賓客でどうかしら?

 彼は我がクローチェ大公家が招いた大切なお客様よ。

 もし文句があるのなら是非、我が大公家当主に抗議の手紙でも書くといいわ」


(わお……! これじゃあ、まるで悪役の貴族令嬢だよ)



 これまで見たこともないような傲慢な態度で接しているアゼレアを俺は初めて見た。

 言われたシグマ側の将校達は顔をプルプルさせながら、バツの悪そうな顔をしている。


 まあ仕方がない。

 彼女が魔王軍の将校であり、吸血族族長の娘であることは調べればすぐに分かることだろう。


 もし、ここで賓客である俺――――真っ赤な嘘である――――を拘束したり、俺を連れて行こうとしているアゼレア本人を拘束または害するようなことになれば、シグマ大帝国と魔王領の国際問題に発展する……と思う。


 この世界に治外法権が存在するかは分からないが他国の軍の将校、それも大公家の関係者を無闇に拘束しても良い結果は生まないだろう。


 因みに俺がアゼレアと行動を共にするようになった時、事前補足情報としてこの世界の神イーシアさんに教えてもらったところ、魔王軍はシグマ大帝国やウィルティア公国と比べて兵力数でこそ劣ってはいるものの、魔族個々の戦闘力はまさに一騎当千ともいうべき戦力で特に龍族のそれはこの大陸において他国が対抗できるものではなく、ベテランの龍族兵10人で中規模程度の国なら一夜で陥落させることが可能であるという。


 まあ要するに地球であれば核保有国に相当する戦力を備えているようなものなのだが、彼らがこのバレット大陸全土を手中に収めないのは多数の属国や植民地を維持できるだけの兵力がない上に魔族の個体数が人間と比べて少ないのが理由である。


 ならば魔族の数が揃っていれば、ファンタジー小説お馴染みの帝国主義の覇権国家になっているのかと言えばそうではない。


 俺が想像するファンタジー物語にありがちな残虐な性格を持つ悪役の魔族と違い、この大陸の魔族は基本お人好しの日和見主義でアゼレアのような武闘派魔族や強硬派は極端に少ないのが現実だ。

 また人間に対しても温和な種族が多いのも特徴である。


 そのため、人間種や亜人種らの国々と戦ってお互いいがみ合うよりは仲良くした方が得策だとして近隣諸国に対し経済援助や技術指導、移民同化政策などを行い、周辺国の国力を底上げして魔王領と共に発展しお互いに利益を享受しようというのが国策となっており、魔族版日本とも言えなくもないが、その国策もあって魔王領はバレット大陸の中でも一二を争うかなり裕福な金満国家へと成長していた。


 そしてバレット大陸で一番の国土面積と兵員数を誇る農業大国であるシグマ大帝国ですら、魔王領には頭が上がらない。


 何故なら、シグマ大帝国内で使用されている魔道具や幾つかの農耕器具や農業技術には魔王領の援助なしには実現できなかったものが多数含まれており、今でも魔王領から派遣されている魔女族含む人間種の指導官や技官、魔導士らが日々更新される最新の農業技術や魔法体系を指導または供与しているのだ。


 だからこそ魔王領がルガー王国軍の騙し討ちとも言える侵攻を受けた際にバルト永世中立王国を含む周辺各国が軍事顧問という名目の応援部隊などを秘密裏に送っているのはここにある。


 因みにバレット大陸の各国で技術指導や外交及び情報収集などを行っているのは殆どが魔王領で移民同化政策を利用して暮らしている人間種やエルフに亜人種や獣人達の他、見た目が極めて人間種に近い外観を持つ魔女族や淫魔族などの魔族種である――――中には人間種に化けて他国の中枢でそれとなく働いている者もいる。


 そんな訳でアゼレアが俺のことを大公家の賓客であると言った以上、シグマ側も自国と魔王領との関係上彼女を止めたくても止めることができない。彼女が明確な犯罪行為でもしていればまた違うのだろうが、彼女は彼女で今回の襲撃事件の鎮圧に一役買っているため、拘束することも叶わない。


 既に彼女の事情聴取も終わっているらしく、再度聴取を行うというのは事実上不可能だった。

 しかも、ここでシグマ側にとって更に追い打ちとなる事態が発生する。


 こちらの広場に進入して来た俺達一行の馬車からベアトリーチェとカルロッタが下りて来たのだ。

 そして、そのままこちらに歩いて来て、俺とアゼレアを引き留めていたシグマ側とウィルティア側双方の将校に自分達の身分証を提示したのだ。



「なっ!?」


「うお……!」


「本物か……?」



 双方の将校達が驚いたのも無理はない。

 彼女らの身分証には、それぞれ聖エルフィス教会特別高等監察官と聖騎士団所属を表す紋章が刻印されており、驚いている彼らを他所に、ベアトリーチェが口を開く。



「任務、ご苦労様です。

 お仕事中申し訳ありませんが、私達も彼と行動を共にしています。

 問題なければ、このまま彼と一緒にバルトへ行きたいのですが?」


「いや、しかし……」


「ベアトリーチェ様の仰る通り、彼は我々と行動を共にしています。

 アゼレア殿が言ったように、エノモト殿はこの事件の容疑者ではありません。

 早々に開放していただけると、我々としても助かるのですが?」



 返答に窮する将校。

 とその時、別の将校が提案した。



「それでは我々が貴女方をバルトの教会総本山までお送りしましょう。

 バルトの国境までですが、こちらからバルト側へ連絡を取りバルトの軍に送ってもらえるよう我々が手配させていただきたいと思います」


「それは出来ません」


「何故でしょう? 差し支えなければ、理由をお聞かせ願えますか?」


「お恥ずかしい話ですが最近は教会内でも経費削減が進んでおりまして、この度教会本部に向かう際にも交通費は可能な限り最小限に留めるようにと通達がありました。

 そのようなときにバルト行きの乗合馬車をギルドで探していたところ、偶然にもバルト方面に向かう彼の乗合護衛の依頼募集を見つけたのです」



 驚いた顔で俺の顔を凝視する双方の将校と兵士達。

 まあ当然だろう。スミスさん曰く『乗合護衛』の費用はほぼ全額を依頼主が負担する。


 それは道中の食費や滞在費など護衛を引き受けた者の個人的な費用以外の殆どを依頼主が捻出するのが通例だからだ。


 そのため通常は乗合護衛の依頼主は規模の大きい商人や貴族が多く、個人の冒険者が乗合護衛の依頼を出すことは殆どない。俺もギルドの依頼窓口で乗合護衛の依頼を出した時は職員にかなり驚かれた。



「あなた方の申し出は確かに嬉しいのですが、既に彼には諸処の経費を負担いただいています。

 もし、私とカルロッタをあなた方がバルトの協会本部に送っていただくことになれば、彼に今まで掛かった諸費用をお支払いしなくてはいけません。

 しかし、先ほども申した通り本部からは経費の削減が通達されておりまして。

 果たして本部がその費用をタカシさんに支払っていただけるものか……」



 わざとらしい口調で淡々と話すベアトリーチェ。

 それを聞いた彼らは苦虫を100匹ほど噛み潰したような顔になっている。


 今回の事件が発生したのは奇しくもシグマ側の領土であってバルトではない。

 それなのに自分達の捜査の都合で聖エルフィス教会を勝手に巻き込んで乗合護衛中断の費用を負担してくださいでは教会は絶対に了承しないだろう。


 かと言ってこの案件を自分たちの上司に報告しようにも連絡は馬を使った通信手段しかなく、時間が大幅に遅れる。


 仮にシグマ側が費用を全額負担するという決定を下せば良いが、もし却下された場合は彼女らの予定を大幅に遅らせたという理由で協会本部と彼女たちからシグマ側に正式な抗議が行くと彼らの立場も不味くなるだろう。


 しかも、ベアトリーチェはただの高司祭ではなく、教皇直属の教会特高官という教会内でも非常に重要な役職の人間であるため、下手すると教皇直々に抗議してくる可能性もある。


 因みにここで補足だが『聖エルフィス教会は』バレット大陸最大の宗教組織であり、信徒の数も他の宗教組織と比べても雲泥の差があるのだ。


 元々、この宗教組織は冒険者たちに信奉されてきた神リーシアを主神とした宗教であり、現在でも冒険者や傭兵、狩人や軍人の多数が信仰している。


 なぜリーシアという神が冒険者や傭兵を中心に信仰されているのかというと、この世界ができたとき地上は不毛の大地で作物も何も育たない上に強大な魔物が跋扈し、人々はただただ怯えて暮らすしかなかった。これを嘆いた神リーシアは人々に魔物を駆逐する術と武器を与え、人間や獣人、亜人たちの先頭に自ら立って強大な魔物共を討ち払い、人々に安寧をもたらしたという神話が残されているからだ。


 その後も神リーシアは他の神々を引き連れ不毛の地に植物や作物、海や川に生き物を育むだけではなく、それらの術を人々に伝えたという話が他の神々の神話にも度々登場しているのである。


 これらの神話によって神リーシアは戦いと救いの神と崇められ、命の危険が伴う冒険者や傭兵、軍人たちに人気が高く他にも狩人や一部の魔法使いにも信仰されているが、ファンタジー小説によく登場する国を持つ巨大宗教組織や他国の王や重臣を傀儡にして好き勝手するような腐敗した宗教組織ではない。


 もちろん各国に対する影響力は絶大だが、戒律はそこまで厳しいわけではないし、地球のどこぞの宗教のように他の宗教を一切認めず、勝手に戒律を解釈した挙句自爆テロや宗派間や派閥の対立紛争を飽きることなく行い、食べ物や嗜好品の類、祈りの時間や作法や性別にも厳しい制限を求めた挙句、フラストレーションをため込んで暴発するような宗教ではない。


 そのため基本的に緩いというか好き勝手する者が多い冒険者や傭兵に信仰する者が多いのも、このあるようでない戒律のお陰なのだ――――勿論、教会を運営する司祭や神官には一定のルールが存在する。


 話を元に戻すが、ベアトリーチェの言葉を聞いて返答に窮したシグマ側の将校たちの隙を見てアゼレアは俺を強引に引っ張って馬車の中に押し込んだ。それを見たベアトリーチェは彼らから自分たちの身分証をアゼレアの分も一緒にちゃっかり回収し、



「もし私達に抗議されるんでしたら、教皇猊下宛に正式に抗議文をお送りくださいませ」



 と言って彼女らも馬車の中へと乗り込む。



「ま、待ていっ!!」


「逃がすな! 取り押さえろ!!」



 シグマ側の将校達がそう言うと、展開していた騎士と兵士達が一斉にこちらの馬車へと殺到した。



「面倒くさいわね……!!」



 そう言って唯一馬車に乗り込まず外に居たアゼレアが、馬車から少し離れ右足を上げ勢いよく地面に打ち付ける。



「ぬおっ!?」


「何だ!?」


「地面が揺れる!?」



 “ズドン!!”とまるで巨大な岩石の塊が地面に落ちたときのような衝撃と轟音が周囲を襲う。

 余りの衝撃に軍馬である筈の曳き馬2頭も驚いて鳴き声を漏らす。


 驚いて俺も馬車から顔を覗かせるとアゼレアの周りには深さ数十cmのクレーターが出来ており、アゼレアは帝都の宿で俺を締め上げたときのようなもの凄い獰猛な顔を浮かべていた。



「あなた達がその気なら私は構わないのだけれど、やるからには私を殺すつもりでかかってきなさい。

 その代わり、あなた達も向こうの広場で死んでいるゴブリン達と同じように一人残らず皆殺しよ?」



 そう言って腰に吊っていた旧日本軍の九八式陸軍軍刀を抜くアゼレア。

 軍刀を抜くと同時にアゼレアの赤金色の目が妖しく光り始め、本人の足元を中心に血の様に赤い魔法陣が展開し始める。


 しかも魔法陣は彼女の足元だけではなく、アゼレアを取り囲むように展開していた騎士や兵士の足元にも展開し始めたのだ。



「なっ!?」


「何だこの魔法陣は!?」



 突如、自分達の足元に展開した魔法陣に兵士らは驚き、魔法陣から逃れるために慌てて場所を変えるが、魔法陣は意思があるように移動した兵士達の足元に現れる。


 よく見ると、騎馬に乗っている騎士や騎兵にも魔法陣が展開しているが、その魔法陣は騎馬の足元ではなく騎乗している彼らの頭上に展開していた。


 しかし、シレイラがいる方向を見ると、彼女と護衛のウィルティアの兵達の足元には魔法陣が展開していないようだ。



「な、何をする気だ!?」



 先程怒鳴っていたシグマ側の将校が額に脂汗をかき、顔を蒼褪めさせながらアゼレアへ質問する。



「何って決まっているじゃない。

 あなた達を効率よく処分するための魔法陣を起動したのよ」


「なにぃ……」


「私の得意は血液を媒介または触媒とした魔法。

 もちろん他の魔法も使えるけど、こういう状況下では血液を利用した魔法の方が効率よく大勢の敵を殲滅できるのよ。

 例えば人間の穴という穴から血を勢いよく吹き出させる。

 他にも体内の血液を逆流させたり、血を沸騰させたりと色々できるのよ?」



 それを聞いた兵士達は顔を一気に青くする。

 恐らくアゼレアが言ったことを想像したのか、顔が土気色になり思わず吐きそうになっている若い兵士もいた。



「ふ、ふざけるな!!

 そんなことをすればどうなるか分かっているのか!?」


「別にどうなろうと知ったことではないわ。

 大体、私達は今回の騒動の鎮圧に一役買ったのにこともあろうか孝司を事情聴取という名目で事実上拘束するなんて信じられないわ。

 そもそもシグマ大帝国の部隊は騒動が収まってから来たではないの。

 あなた達に長々とここに拘束される筋合いなんてないわ。

 もし、私達に非があって力づくで拘束するのなら私を倒してからにしなさい。

 それとも魔王領やベアトリーチェ達の上司に抗議する?」


「うぐ……!」


 そうして両者にらみ合いを続けていたその時だった。

 彼女の左斜め後方にいたシグマ側の兵士の1人がアゼレアがに向かって、弩弓から矢を発射したのだ。


 “ブンッ!”という風を切る微かな音と共に居並ぶ兵士たちの間を縫うように飛翔した矢はアゼレアの首に突き刺さるかと思われた。しかし、アゼレアは自分に矢が当たる直前で振り向き、軍刀を持っていない左手で飛翔して来た矢を掴むと目にも留まらぬ速さで矢が飛んだ来た方角へ投擲する。



「ぎゃあっ!!」



 まさか自分の放った矢が投げ返されるとは思っていなかった弓兵はその無防備な左肩に矢を受け、悲鳴を上げて倒れ、地面を転げ回る。しかも、投げ返された矢は射った本人の肩を貫通し、後ろに控えていた兵士の右肩に深々と突き刺さっていたのだ。



「がああああぁぁぁぁ――――ッ!!!!」


「おい動くな!! 早く止血を!!」


「衛生士! 早く来てくれ!!」



 アゼレアから投げ返された矢をもろに受けた兵士二人に駆け付ける仲間の兵士達。

 しかし、アゼレアの現出させた魔法陣は容赦なく彼らを補足していた。

 そんな彼らには気にも留めず、アゼレアは何事もなかったかのように正面の将校達へと向き直る。



「あんな盗賊や暗殺者紛いの卑怯な手を使うなんて、あなた達それでもこの国の治安を預かる者としての誇りがあるのかしら?」



 そう言うと同時に魔法陣が一層赤く輝きだした。



「もういいわ。

 こうしていても時間の無駄だから、あなた達このまま全員死になさい」



 アゼレアの左手が高々を振り上げられるが、恐らくは魔法が作動する仕掛けなのだろう。あの左手が振り下ろされるた瞬間、ここにいる数百名の兵士たちの命が終わる。



「待て!!」



 そして戦術級の魔法が作動するかと思われた瞬間、それを止める凛とした声が広場に響き、全員の目が声の持ち主へと集中する。



「殿下……」



 彼女の傍に控えていた彼女の臣下であるアズナート侯爵が何か言おうと口を開きかけたが、シレイラはそれを手で制する。



「もう良いだろう。 彼らは職務に忠実に従って行動しているのだ。

 それ以上は殺り過ぎになるぞ?」



 相手の姿を認めたアゼレアは振り上げていた腕をゆっくりと下すと同時に魔法陣が消え、ホッとしたのか兵士の何人かが脂汗を拭っていた。シレイラはそのまま立ち尽くしている兵士達の間を縫うように歩いて行き、アゼレアの下までやって来る。



「お久しぶりですね。

 ウィルティア公国第一公女、シレイラ・マクファーレン殿下」


「お互いにな。 アゼレア殿」



 どうやら2人は知り合いのようだ。

 心なしかアゼレアの纏っていた殺気が和らいだような気がする。

 馬車から先程の状況を見守っていた俺は2人の下へと駆け寄った。



「あの……二人はお知り合いで?」


「無論だ。

 我がウィルティアと魔王領は国土が離れてはいるが、それなりに親交があってな。

 魔王領は漁業と畜産業が盛んではあるが貿易立国でもある故、隣の大陸から輸入される香辛料や魔王領産の塩や砂糖などを我が国は輸入しているのだ」


「なるほど」



 それに納得したのか、シレイラの話を聞いていたシグマ側の兵士達も俺と同じように頷いていた。



「それにしても殿下は大きくなられたわね。

 最後に会ったときはこれ位だったのに……懐かしいわ」



 そう言いながら自分の腰位の位置に手を当てるアゼレア。

 その顔はどこか孫の幼いころを思い出すおばあちゃんのようだった。



「懐かしいな。

 アゼレア殿に最後に会ったのは私が八歳の頃だったか。

 あれからもう十年も経つのだな。

 貴殿もあの時と比べて少し印象が変わったようだが……?」


「まあ、最近色々ありまして……」



 そう言ってチラリと俺を見るアゼレア。

 それを見て納得したのか、シレイラは「成程……」と言って頷いていたが、俺は見逃さなかった。


 彼女が微かに自分の唇を噛み締め、両手を拳の状態にしていたことを。


 

「ところで殿下?

 私達はバルトに向けて出発しようと思うのですが、殿下達は如何なされるのですか?」


「私はまだ今回の後始末をせねばならん。

 恐らく今回の騒ぎは我が国の『貴族派』の連中が関与していると私は考えている。

 ハッキリした物証はないが……な?」


「そんな殿下に一つお伝えしておきたいことがあります。

 少しお耳を貸していただいてもよろしいですか?」


「何だ?」



 そう言ってシレイラに何か耳打ちするアゼレア。

 絶世の美女と美少女が顔を寄せ合って何か話す様はそれだけで淫靡な感じで、その様子を見ていた若い兵士が腰を屈めている


 しかし、本人達はいたって真面目で、アゼレアから話を聞いていたシレイラは表情がどんどん険しくなっていった。



「それは誠か?」


「はい。 公女殿下」


「わかった。 教えてくれて感謝する。

 後は私の方で何とかしよう」


「お願いいたします」


「これは貴殿に借りができたこということかな?」


「私はそうは思っていませんが、どう捉えようとそれは殿下の自由です」


「……感謝する」



 そう言ってアゼレアから離れたシレイラは踵を返し、自分が聴取を受けていたテントまで戻り、先程のシグマ大帝国の将校へ話し掛ける。



「今回の事件についてであるが、あの者達は巻き込まれただけで無関係だ。

 開放してはくれぬか?」


「何ですと!?」


「すまぬ。 この通りだ」



 そう言ってシレイラは自分を聴取していた将校らに頭を下げる。

 この行動には彼女の家臣や武官、兵士らだけではなくシグマ側もギョッとした感じで驚いていた。


 当然だろう。他国とはいえ、一国の指導者の娘が頭を下げているのだ。

 もし、彼女の行為を無下にしようものなら、アゼレアやベアトリーチェ達とは別の意味で外交問題に発展するのは必至だろう。



「もう良いのではないかね、ガルド中尉?」



 今までことの成り行きを見守っていた年嵩の将校がガルドと呼ばれた若い将校に話しかける。



「ス、ストラテス少佐?」


「今までの遣り取りを見ていたが、これ以上意地を張ると我が国の国益を損なう可能性が非常に高い。

 ここは、公女殿下のご意思を酌んで彼らを解放したまえ。

 事情聴取なら他の冒険者や傭兵達から取れば十分だろう?」


「しかし、あの男の持つ武器は先頃の事件で……」


「ならば何だ!

 君の言う事件は帝都で起きた事件であり、ここの事件とは無関係ではないか!

 大体、帝都で発生した事件は帝都治安警察軍と情報省と内務省で合同捜査本部が設置されて捜査が進んでおるというではないか。

 憲兵隊から出向して来ているとはいえ、今の君は辺境警備軍の人間だぞ!

 あの事件に“思うところ”がって躍起になるのは分かるが、時と場所と相手を弁えたまえ!

 君はこの件で発生するかもしれない我が国の外交的失点と人的被害の責任を負えるのか!?」



 ガルドという中尉に怒鳴るストラテスと呼ばれた少佐はシレイラとアゼレアを見ながら彼を叱り飛ばす。


 無理もない。

 もし、ここでガルド中尉がシレイラのお願いを無視して俺たちを拘束しようものなら、アゼレアはシグマ側の兵達を文字通り叩き潰すだろう。


 そうなれば魔物の襲撃どころではない。


 それに、彼らの話を聞いているとガルド中尉はどうやらあの通り魔と同じ憲兵隊からの出向らしい。

 確かあの憲兵だった通り魔は父親が憲兵隊のお偉いさんだったはずだから、俺を捕まえて憲兵隊に戻って出世しようとか大方そんなことを目論んでいたのだろう。


 そうでなければ、一冒険者である俺にあそこまで執着しないはずだ。

 ストラテス少佐から怒られたガルド中尉はそのまま項垂れて黙りこくってしまい、それを見た少佐はシレイラに向き合い頭を下げた。



「お見苦しい所をお見せしました、公女殿下。

 殿下の仰る通り、彼らはこの事件とは無関係であると本官は考えていますので、即刻彼らを解放いたします」


「な! 正気ですか!?」


「君は黙っていたまえ! 口を出すな!!」



 ガルド中尉が止めようとするが、ストラテス少佐に怒鳴られて口をつぐむ。



「ご配慮いただき、かたじけない」



 再び頭を下げるシレイラを見てストラテスは慌てた様子で「頭をお上げください」と言うと、彼はこちらに歩いて来た。



「本件の責任者であるシグマ大帝国辺境警備軍少佐のストラテス・ガートンです。

 皆様にはご迷惑をお掛けしました」


「魔王軍北部方面軍少佐のアゼレア・クローチェです。

 少佐殿にはご迷惑をお掛けしました」


 敬礼して自分達の非礼を詫びるストラテス少佐に対して、アゼレアはいつもの砕けた調子ではなく、軍人口調で返答する。



「今回は部下が彼とその仲間に対し、ご迷惑をお掛けしました。

 こちらとしてもシレイラ殿下のご申告通り、彼は本件に巻き込まれただけで無関係であると認識しております。

 どうぞこのままお通りください」


「ご配慮感謝します。 ところでアレは如何なさいますか?」



 そう言って先程矢が刺さり、治癒魔法士に手当てを受けている2名の兵士の姿があった。


 

「アレに関してはこちらの管理不行き届きです。

 本来であれば戦闘時以外、上官の命令無しでは武器の使用は自己防衛のみに限定されているのですが、彼は貴女様に対し警告無視で矢を射るという暴挙を犯しました。

 後は我々の方で対処しますので問題ありません。

 巻き添えを食ったもう一人も治癒魔法で回復しているようなので、ここはひとまず……」



 不問にするということらしい。



「分かりました。

 少佐のようなお方がここにいて我々としても助かりました。

 長居するのも悪いので、これで失礼させていただきます。

 孝司、行きましょう」


「あ、うん。 すいません。 

 何だか自分の所為で、少佐さんにご迷惑お掛けして申し訳ありませんでした」


「いえ、元はと言えば“色々”と我々の不行き届きが積み重なった所為です。

 “今回も”申し訳ありませんでした」


「い、いえ……」



 俺は目の前のストラテス少佐に深く一礼して馬車に戻る。

 ストラテス少佐の俺を見る目は終始穏やかだった。



「スミス、いいわよ。 出発して!」



 最後に馬車に乗車したアゼレアは御者台にいたスミスさんに合図を出す。



「まったく、漸くかよ。 どうなる事になるかとヒヤヒヤしたぜ」



 不満を漏らしつつ馬車を発車させるスミスさん。

 俺は女性陣に俺を言ってから車内から御者台に移る。


 テントの前を通り過ぎるとき例の若い中尉は終始俺を睨み付けていたが、シレイラ公女は何か言いたそうな顔をしていたのが気になった。











 広場から街道に出て暫くして誰も追ってこないことを確認し、俺もスミスさんも警戒を解く。



「誰も追って来なかったようだな?」


「みたいですね……」


「「ふう〜っ!」」


「いや〜さっきは本当にどうなることかと思ったぜ。

 アゼレア嬢ちゃんが放置されていた荷車を燃えた瓦礫に蹴りの一発で吹っ飛ばしてブチ抜いた時も驚いたが、お前さんのいる所に馬車を進めたら、シグマの兵隊に囲まれている上にあの凶悪な魔法陣が連中の足下に展開しているのを見たときは正直ゾッとしたぞ……」


「あの凶悪な魔法って、向こうの広場では一体何が起きてたんですが?」


「お前さんのほうと同じだよ。

 武装したゴブリンの群れと殺し合いさ。

 と言っても、タカシが仕留めたっていうオークはこっちには出てこなかったがな?」


「じゃあやっぱり、あの娘が言ったように『貴族派』っていう連中が仕掛けたテロってことなのかなあ?」


「テロって何だ?」


「え?

 ああ、テロっていうのはテロリズムと言って、政治的な目的で暗殺や破壊活動を表す言葉ですよ」


「ふ〜ん。

 そういやあの娘って、あそこに居たウィルティアの姫さんのことか?」


「ええ。

 どうやら国内にいる貴族達の一部に命を狙われているようで」


「難儀だよなあ〜王族っていうのも。

 そりゃあそうとあの姫さん、お前に惚れてんじゃねえのか?」



 そう言いつつ、左肘で俺の右腕を突つくスミスさん。



「あ、気付いてました?」


「そりゃあ、あんだけチラチラお前さんの方を見ていたんだからな。

 少なくとも悪い感情は持ってないように俺には思えたぜ?

 しかも、別れる時すごく名残惜しそうにしてたしな」


「うーむ……」


「タカシは背中を向けてたから気付いていなかったと思うが、お前さんが馬車に乗り込む時にあの姫さん寂しそうな顔して周りに見えないように小さく手を振っていたんだぜ」


「えっ!?」


「大変だなあ〜? モテる男はよぉ〜?」


「ハハ…………」


「一体、あの姫さんに何をしたんだ?」


「いや、別に何も。

 ただ落ち込んでいた彼女に温かい飲み物と甘いものをあげて、愚痴っていうか話を聞いてあげていただけですよ?」


(落ち着かせるためにあげたのは、市販のインタントのココアとバームクーヘンなんだけどね。

 あ、しまった。 

 ココアの粉が入っている缶を公女様から回収していなかった!)


「案外、お前さんのそういうお人好しなところが忘れられなくて、国から逃げ出して単身追いかけて来たりしてな」


「まさかそんなこと……」


(まさか本当に追いかけて来るなんてハーレムものの小説や漫画みたいなことにならないよね……?

 もしそうなったら、俺は公女様を誑かした不届き者として指名手配になっちまうよ!)



 俺もスミスさんもまさかこの時の会話がフラグになるとは、この時は夢にも思ってなかったのである。


 この後、俺達は順調に街道を進んで無事国境に辿り着き、シグマ側で出国手続きを行い、バルト側で入国手続きを終え、俺達一行は無事にバルト永世中立王国に入国を果たしたのだった。

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