第33話 潜入

「どうぞ、こちらでございます」


「うむ」



 デリフェル商会大番頭テラビータと応接室で紹介状の確認と購入したい“商品”の詳細を聞かれた後、商会の建物内を移動したところにあった厳重に隔離された金属の扉の先には日本の警察署の留置場の様な施設が広がっている。


 地下室の様な暗くジメジメとしたところに閉じ込められているものとばかり予想していたが、まさかこれほど清潔で温かい場所が存在していたとは思わなかった。


 淡い光に照らされた施設内は鉄格子によって四畳半くらいの面積に仕切られた部屋が6つほどあり、その中には女性の奴隷がそれぞれ3~4人ずつ入れられていた。



「全員、人間種なのか?」



 貴族っぽく偉そうに振舞いながら、それぞれの部屋を覗いて行く。

 俺の後をギルド統括本部情報科秘密職員のアジルバが付き従い、さらにその後ろを監視するようにテラビータが続く。



「いえ、人間種の娘は全体の八割ほどで残りの二割は亜人や獣人、魔族などです」


「ほう? 全員、処女なのか?」


「ご安心ください。

 ここにいるのは全員、生娘です。

 お客様が気にしているような性行為は一度も経験していません」



 要するに処女というだけではなく、口や肛門での性体験もないということなのだ。

 俺が処女のことについて質問するとテラビータはニヤニヤとしながら返答していたから、多分俺がここにいる女性たちに対して何を求めているのかを理解したのだろう。


 しかし、その予想は全くの的外れだ、俺のやることはここの女性たちの救出であって強姦ではない。



「下は何歳からいるんだ?」


「今の状態では一番下で人間種の十四歳からです。

 一番上は最近『エルフ』と呼ばれている長耳族で二百五十歳ですね」


「なるほど」



 檻を順々に見て行ったがテラビータの言う通り確かに人間種が多いが、他にも笹状の耳を持つエルフやケモミミを持つ亜人や獣人などが居るが、全員例外なく薄着の貫頭衣を着せられており、座っている姿勢によっては何かが見えそうな状態になっている娘もいた。


 よく見ると全員が首にペットの犬などが身に付ける細身の首輪を嵌められている。


 恐らくあれはファンタジー小説などによくある『隷属の首輪』または『奴隷の首輪』と呼ばれるものだろう。あの手の拘束具は奴隷が逆らったり外そうとしたりすると魔法により自動で首を締めるようになっていたり、購入した者の血を吸わせると持ち主として登録できる機能が備わっていたりする場合が多い。



「ところで、ここはあまり臭くないが、奴隷らの衛生状態はどうなっている?

 購入した後で何かしらの病気になっているのが分かったら、正直堪らないんだが……」


「そこはご安心ください。

 奴隷は三日おきに、こことは別の場所にある施設で入浴させ、排せつに関しては見張り付きではありますが厠できちんと処理させていますよ。

 食事に関しても朝晩二食付きますし、運動不足を防止するために施設内で定期的に運動を施しています。

 まあ、反抗的な奴隷に関しては食事を抜くなどの懲罰を施しますが、監視の者が懲罰として暴行を加えるようなことにはなりません」



 テラビータが言うには、奴隷は長くても一か月以内に売れるそうなので、食事や入浴などは奴隷を高く売るのと商会の信用を得るための必要経費なのだという。


 因みに、ここにいる奴隷達は健康維持=品質維持に努めているため購入価格は他の奴隷商より2~3割ほど高くなっているのだが、客は性奴隷を“すぐ使う”ことが出来るので、多少高くても喜んで買っていくのだという。


 確かにダークファンタジーや18禁小説にありがちな劣悪な環境で拘束されていた性奴隷より、きちんと管理されている清潔な性奴隷の方が売れるだろう。


 極端な話、無数の男に輪姦されてどんな病気に感染しているか分からない女の身体を抱きたがる変態野郎はむしろ少数派だろう。



「ふうむ……もう少しじっくり見ても構わないか?」


「どうぞ」



 テラビータの了承を得て各部屋にいる奴隷達を見て回る。

 中を覗き込むと奴隷として囚われている娘たちは一様に俺とは目を合わせようとはせず、中には顔を手で隠す者もいた。


 しかし、意外にも暴れたりこちらに敵意を向ける奴隷は1人もおらず、それぞれの顔には悲壮感というかどこか諦めたような感じが見られる。



「ん?」



 それぞれの部屋を見て行って最後の部屋を見たときに一番奥にいた娘に何か引っかかるものがあり、テラビータを呼ぶ。



「どうなされました?」


「あの奴隷は?」


「ああ、あれは淫魔族の奴隷ですね。

 本人が言うには百二十八歳ということらしいです」


「ほお? あの奴隷はここに来てどれくらい経つ?」


「当商会に入荷して……恐らく二十三日は経過していますね。

 売れ残りとは言いませんが、早く売れてほしい奴隷ではあります」


(23日か……)



 こう言っては何だが、あれほどの美しさにも拘らずなぜ売れ残りなのか?


 体はアゼレアの方が軍人として鍛えているため豊満ながら筋肉が締まってスラッとした均整の取れたボディであるのに対し、あの淫魔族の女の子は肉感的で如何にも男好きするムッチリとした肢体に肩甲骨くらいまで届くピンク色の髪に日本人女性が憧れるであろう白い肌、そして垂れ目がちで本来ならばポヤヤンとした雰囲気のところ、こちらから視線をそらした時の愁いを帯びた表情がえも言われないエロさを醸し出している。



「こう言っては何だが……これほど上物の性奴隷が何で売れ残っているのだ?」



「淫魔族は確かに魔族の中でも抜きん出て見目麗しい女性が揃っている種族ですが、反面、種族の特性として性行為中に精気を吸い取る傾向があり、性に対して非常に貪欲です。

 顧客の中には興味を示しても『精気を吸い取られては堪らない』と、購入を踏みとどまる方も多くいらっしゃるのですよ」



 確かにアゼレアを基準に考えても彼女は性行為に対してこちらが逃げ出したくなるほど、かなり積極的だ。


 しかし、淫魔族と吸血族のハーフであるアゼレアであっても魂が吸い取られるのではないかと思うほど貪欲で文字通り体を貪られるのに、もしこれが混血ではなく純粋な淫魔族である場合はどうなるのだろう?


 本人の意思に関係なく問答無用で精気を吸い取ろうとするのだろうか?


 まあ、アゼレア自身が高位上級魔族でバリバリの軍人ということもあり、体力も身体能力も桁外れに高いということも関係しているのだろうが、もし彼女が純潔の淫魔族だったと思うとゾッとしない。


 まあ、俺としては性に対して消極的でおざなりな対応を取られるよりかは積極的な女性の方が好きだ。そのほうが興奮するし、相手にも気持ち良くなって欲しいという思いでこちらも頑張ろうという気になる。


 しかし、奴隷に対して常に優位に立っていたいと思う者に関してはそうもいかないのだろう。

 でなければ、あの淫魔族の娘は早々に売れてしまっているはずだ。



「彼女の購入価格は幾らなのだ?」


「淫魔族という希少な性奴隷ではありますが、売れ残っていることを考慮して金貨7枚のところを金貨5枚割引きさせていただこうと思います」


(売れ残りの奴隷とはいえ、この世界での金貨1枚の価値が日本円で約100万円と考えても500万円ほどになるのか……)



 仮にこの商会での奴隷1人当たりの平均相場が300万円前後だったとしても、それをとっかえひっかえ使い潰して頻繁に購入するサディアスって実家が伯爵家とはいえ、どれくらいの資産があるのだろうか?



「フム……よし、あの娘を買おう」


「ありがとうございます」


「え!? ぼ、坊ちゃま?」



 まさか本当に奴隷を買うとは思わなかったのだろう。

 アジルバが慌てる中、俺は奴隷購入の手続きをテラビータに促されるままに進めていく。


 彼も俺が買うと言った以上、気が変わらないうちにと思っているのか監視役の屈強な男に指示して早々に扉を開けて牢屋から彼女を連れ出す。


 淫魔族の娘は視線を下に向けたまま、監視の男によってこちらへ向かって歩かせられて来た。



「良かったな。

 お前、このまま売れ残ったら数日後には処分されるところだったんだぞ?

 さ、こちらがお前のご主人様だ。 ほら、名前を言え」



 彼女の傍に立つテラビータが俺に対し、自己紹介を促すとこちらに視線を向けることなく、弱々しい声で自分の名前を言った。



「エ、エリアーナ・ナーシングです……」


「今日からお前の主人になるショーン・マグナウェルだ。

 ところで、この娘は姓があるということは何処かの国の貴族かその血縁者なのか?」


「お察しの通り、この淫魔は魔王領の貴族家出身でございます。

 ただ、この娘がどういった経緯でここに居るのかは詮索は無用ということでご理解下さいませ」


「俺が後で聞くかもしれないぞ? それも駄目なのか?」


「いえ、代金を支払われた後であれば、それはお客様の自由でございます。

 しかし代金を支払う前はこの娘は当商会の所有物です。

 この意味、分かりますでしょうか?」



 なるほど、奴隷の素性を聞いて客が購入を躊躇わないためか。

 恐らくもう1つは万が一、奴隷の素性を治安機関に知られないようにするためだろうな。


 奴隷を購入すれば売った方だけではなく、買った方も罰を受けるだろうから奴隷を購入前に素性がバレて治安機関にタレ込まれると、何処から奴隷が来たのかというルートが割れる可能性がある。


 しかし、奴隷を買う奴らは多かれ少なかれ叩くと埃が出るような連中が多いし、奴隷を購入した後でタレ込んでも場合によっては通報した方も共犯と見なされて治安機関に捕まる恐れが高くなるから、リスクを負ってまでタレ込む奴はいないし、奴隷商側も既に購入代金が支払われた後だから取りっぱぐれも無いだろう。


 

「分かった。

 では取り敢えず、この奴隷を購入する手続きを進めて貰おうか」


「かしこまりました。

 しかし、手続きとは言いましても、この奴隷の首に嵌めている首輪にお客様の血を一滴ほど垂らすか、魔力を少し注げば奴隷の主人として成立します」


(なるほど。 ファンタジー小説の奴隷購入と流れはほぼ一緒か……)



 しかし、ここで頷けば態々貴族の紹介状まで持ってこの商会にやって来た俺が奴隷購入の初心者であると言っているようなものなので、素直にハイそうですかというわけにはいかない。



「そんなことは知っている。

 俺が言っているのは、この奴隷の代金の支払いと着るものに関してだ。

 まさか、ここまで管理が徹底している奴隷商がこの格好のまま客に引き渡すはずがあるまい?」


「これは失礼致しました。

 ええ、確かに代金の中には連れ帰る途中、奴隷であることを誤魔化すためにも服一着分の料金を加えさせていただいています」


「ではそのように進めてくれ。 これが代金の金貨5枚だ」



 テラビータは俺が財布から金貨5枚を取り出す際にチラッと横目で財布の中身を確認した瞬間、今までキリリとした大番頭の顔から金にだらしない緩んだ表情へと変化したが直ぐに表情を改めた。


 恐らく財布に中に金貨が多数入っていることに気が緩んだのだろうが、俺は敢えてそれには気付かないフリをして彼に金貨を手渡した。



「それでは確かに金貨5枚頂戴いたします。 

 一応、当商会の規則として代金の真贋を確認させていただきますので、こちらで少々お待ちください」



 そう言ってテラビータは部屋を出て行ったが数分で戻って来た。



「先程いただきました金貨は全て本物でした。

 こちらが先ほど申されていました服でございます」



 金貨はそのまま置いて来たのか、代わりに服を持ってテラビータは戻って来た。



「よろしければ、別室にて寝台を用意しておりますので、奴隷を直ぐに“使う”こともできますが?」


「いや、ソレは宿に戻ってから飼い主の登録と共にゆっくりとすることにしよう。

 奴隷の着替えが終わったら、取り敢えず今日はこれで帰るよ」


「分かりました。

 態々、遠いところをお越しいただき誠にありがとうございました。

 また商品がご入用でしたら、いつでも声をお掛けください。

 今度からは紹介状は無用でございます故」


「うむ」



 そう言って受け取った服をエリアーナと名乗った淫魔の女の子に渡す。



「あの、これは……」


「今日から俺がお前の主人だ。 取り敢えずその服に着替えろ」


「えっ? こ、ここで着替えるんですか?」



 服を受け取ったエリアーナは悪い予感に顔を青褪めさせながら戸惑う様にしてこちらへ質問してきた。



「その格好で今更着替えることを躊躇う必要がある?

 何なら俺が手伝ってやろうか?

 それとも……」


「じ、自分で着替えます!」


「フン。

 恥ずかしいなら牢屋の中ででも着替えて来れば良いだろうが」



 一瞬、ハッとした感じで彼女は服を持ったまま、ついさっきまで自分が入っていた檻の中に戻って行った。



(いやあ、良かった良かった。

 もし目の前で着替え始めたらどうしようかと思ったよ……)



 内心こちらが出した助け舟に乗ってくれるか不安だったが、彼女が気づいてくれて良かった。

 エリアーナは素早く着替えたのか、直ぐに牢屋から出て来る。


 彼女が来ているのは綿で紡がれたコルセという中世時代の農民らが好んで着用していた服に似た様式のものを着ていた。


 俺はエリアーナの淫魔族特有というべきなのか、露出の少ない服を着ているのにこちらに伝わって来る淫靡な雰囲気に呑まれそうになりながらも必死に平常心を保つ。



「お、お待たせしました……」


「う、うむ……では行くぞ?」


「はい……」


 

 エリアーナは暗い表情のまま頷いて俺とアジルバの後を追って奴隷達が囚われている拘束施設を出る。


 彼女が着替えて牢から出て来る直前、中から他の女性奴隷達が「頑張って」とか「神様が見守ってくださるから、決して諦めないで」などといった慰めや励ましの言葉をエリアーナに掛けていたが、果たしてこの商会が出来てから今日までの間にここから出ることが出来た奴隷達の何割が幸せになれたのだろう?



(いや、幸せなどないか……)



 如何に良い主人に巡り会えたとしても、突然親兄弟や故郷から引き離され奴隷として何処かの誰かの元へと売られて行く彼女らに本当の幸せなど来る筈もない。



(恐らくエリアーナを連れ帰れば、アゼレアは同胞が奴隷として囚われていたことに対して烈火の如く怒り狂うだろうな……)



 その結果、ここに居る商会の関係者は彼女の手によって皆殺しの憂き目に遭うことだろう。

 


(魔王領でもかなりの武闘派で通っているという彼女のことだから、下手をするとこの商会の建物ごと木っ端微塵に吹っ飛ばしかねないなあ……)


「出来れば建物は残しておいて欲しいねえ……」


「え? 何か仰いましたか、坊ちゃん?」


「ん? あ、いや……何でもない」


(危ねえ!)



 この後のことを考えながら廊下を歩いていたら、つい頭の中で思っていたことが漏れてしまった。

 聞こえていたのはアジルバだけのようで、テラビータの方は……どうやら聞こえてはいないようだ。



「今日は良い買い物が出来た。 ここには“良い商売”を営んでいるな。

 またその内、来るとしよう」


「お褒めの言葉ありがとうございます。

 わたくしどもデリフェル商会従業員一同、ショーン・マグナウェル様の当商会へのまたのお越しを心からお待ちしております」


「うむ、その内また来よう。 その内な……」


(まあ、その時はあんた達の命の保証は出来ない思うけどね……)



 俺とアジルバは馬車に中々乗り込もうとしないエリアーナを無理矢理押し込んでデリフェル商会を後にした。






 ◇






「商会はもう見えなくなりましたか?」


「ええ。 もう大丈夫だと思いますよ」


「周囲にこちらを尾行している奴はいませんか?」


「ちょっと待ってくださいね……」



 アジルバの質問に対し、馬車後部の垂れ幕を少しだけズラして後方及び周囲を確認するが、こちらに注意を払っている者がいないことを確認した俺は怪しい者がいないことをアジルバに伝えた。



「「ふう~っ!!」」



 俺とアジルバはほぼ同時に一息ついて互いに顔を見る。



「いやあ、エノモトさんもやりますねえ。

 まさか奴隷を買うなんて、事前の段取りにもないことをやり始めた時には正直肝が冷えましたよ……!」


「すいません。

 奴隷が入っているそれぞれの牢屋を見た時に予め聞いていたルナ第二公女の人相に合致した女性がいなかったので、内心焦りましてね。

 ただ、あそこに長く囚われている人ならルナ第二公女の姿を見ているんじゃないかと思いまして、急遽奴隷として売られている女性を購入という方法で保護しようと思って……」


「なるほど。

 でも、金貨を何の躊躇もなく取り出したのは驚きました。

 奴の顔見ましたか?

 金貨がジャラジャラ入っているエノモトさんの財布を見て、涎を垂らしそうな顔をしていましたよ?」

 

「まあ、一応は気づいてましたけど敢えて無視しましたよ。

 真面目そうな顔をしてましたが、実際には金の亡者のような男なんでしょうねえ」



 俺の言ったことにアジルバはどこか思うところがあったのか、真剣な顔で頷いていた。



「あ、あの……」


「ん? あ……」



 突然、横合いから掛けられた声に対して顔を向けると、居心地が悪そうな顔でこちらの様子を伺っているエリアーナがいた。



「あ~、すいません。

 ホッとしたら忘れていました。

 ええっと、エリアーナさんでしたっけ?

 どこか怪我してたり、具合悪いところとかありませんか?」


「ええっ……!?」


(ん?

 なんか驚いた顔で俺から距離を取ろうと狭い馬車の中を後退っているけど、どうしたんだろう?)


「エノモトさん、状況を説明しないうちに急に態度を変えると彼女が混乱してしまいますよ?」


「え? ……ああっ、そうか!

 いやあ、すみませんね。

 実は私は貴女を奴隷として購入しに来たんではないんですよ。

 貴女を購入したのは商会の内部事情を把握するための芝居でしてね、我々に少しだけ協力してもらえれば直ぐに解放しますので安心して下さい」


「はあ? あの、その……か、解放って?」



 予想通り、彼女は混乱しているようだ。

 それはそうだろう。


 さっきまで偉そうな態度をしてた奴が急に低い物腰で奴隷として購入された己を解放すると言っているのだ。普通なら混乱して当たり前だし、もしかすると何かの罠なのかと余計に警戒するだろう。


 

「まあ、警戒するのはわかりますけどね。

 でも、これだけは約束します。

 私もそちらの彼も貴女に危害を加える気は毛頭ありませんので、安心して下さい。

 ちなみに私は冒険者の孝司 榎本と申します。

 で、そちらの御者台に座っている方がギルド職員のアジルバさんです」


「どうも、よろしく」


「あ、あの……先ほど聞いた名前と違うみたいですけど?」


「そこからは俺が説明しますよ。

 エノモトさんはギルドから奴隷救出と商会への強制執行を依頼された冒険者でしてね。

 あそこに行ったのも、商会の内部を調べるための潜入捜査ってやつです」


「ええっ!?」



 アジルバは俺がエリアーナに説明している間に馬車を人気のない場所に停車させたようで、御者台からこちらに移って説明に加わる。



「さっき私とアジルバさんの話を聞いていた通り奴隷として囚われていた貴女を商会から購入したのは、あの商会の中で見聞きしたことを聞きたいのと、とある人物を見たことがあるかを確認するためです」


「は、はあ……?」


「本当はエノモトさんが奴隷を購入するっていうのは予定外だったんですがね。

 でもまあ、一ヶ月近く商会に囚われていた貴女があの中で見聞きした内容は違法な奴隷取引を行なっているデリフェル商会の捜査の証拠として貴重な証言になります。

 それで先ず聞きたいことがあるんですが、ウィルティア公国のルナ第二公女の姿をあの商会の中で見かけませんでしたか?」


「え!?」



 アジルバの話を聞いてエリアーナは驚いているようだ。

 自分が商会から購入されたのは奴隷としてではなく、商会の内部を知るためと犯罪の証拠として証言を得るためというのはまあ納得出来るだろうが、「ウィルティアの公女様を見かけませんでしたか?」と質問されてもビックリするだけだろう。


「ちょっと質問を変えましょうか。

 あの商会の大番頭と名乗っていたテラビータという男は、奴隷として囚われている人達に商品としての品質を保つために食事や入浴などを施していると言っていました。

 入浴時にあの牢屋から移動する際、他の奴隷達とは違う女性や変わったものを見ませんでしたか?」


「例えばこんな感じの女性ですよ。 髪の色は…………」



 アジルバがエリアーナにルナ第二公女の人相を伝えると彼女はどこか思うところがあったのか、思案顔で考え始める。恐らくあの商会で自分が今まで見たことを思い出しているのだろう。


 しかし、彼女をよく見ると少しだけ震えていることに俺は気が付いた。どうやら、俺たちのことを怖がって震えているのではなく、この寒さが原因のようだ。


 考えてみれば、彼女が来ているのは綿で紡がれた薄手の服なので寒くて当然である。

 俺はストレージからダウンジャケットと毛布、それに薬缶とカセットコンロを取り出した。



「寒いでしょう? よかったら、これを羽織って下さい」



 そう言って考えているエリアーナにダウンジャケットを着せて上から毛布を掛ける。



「あ、ありがとうございます……」


「いえいえ、今温かい飲み物を用意しますので」



 そう言って薬缶にペットボトルに入った水を張り、カセットコンロの火にかける。

 ストレージから新たにマグカップとインスタントのココアとコーヒーを取り出す。



「あの……自信はありませんが、その……似たような感じの女の人を見たような気がます」


「それは何処でです!? あと何日ほど前に見ましたか?」


「ええっと…………」



 アジルバの質問とそれに答えるエリアーナの話を纏めるとルナ第二公女の人相に似ている女性を見かけたのは10日ほど前のことで、場所は商会の監禁用の牢屋がある隣の入浴施設の脱衣所だったらしい。


 その女性はエリアーナたちより先に入浴を終えていたようで、監視付きのもと着替えて脱衣所を出て行ったようなのだが、脱衣所を出る際に牢屋がある方向とは別の方向へと消えて行ったとのことだ。


 エリアーナがその女性を見たのはそれっきりで、それ以降は彼女を見ていないという。



「私の実家は魔王領淫魔族のナーシング伯爵家ですけど、その女性は凄く綺麗な方で監視の人との会話や物腰など他の奴隷の女性達と違って何処となく気品さが備わっていたのが印象的でした。

 その後、どれかの牢屋に入れられているのかと思ったのですが、何処にも姿が見えなかったので不思議に思っていたんです」


「なるほど。 十日前というのは確かですか?」


「すいません。

 十日前というのは私の体感で言ったことで、本当に十日前なのかと聞かれると自信がないのです。

 あそこは陽の光が全く差さないので……」


「どうぞ、ココアです。

 口に合うか分かりませんが、取り敢えずこれで体を温めて下さい。

 熱いので火傷しないように気をつけて」


「あ、ありがとうございます。 …………美味しい」



 少し甘めのココアの味が口にあったのか、琺瑯のマグカップから一口ココアを口に含んだエリアーナはそれまで緊張で硬くなった顔の表情が和らいで笑顔になる。



「はい、どうぞ」


「ああ、どうも……」



 アジルバにも淹れたインスタントコーヒーの入った琺瑯のマグカップを渡す。



「…………ちょっと苦いですけど、中々美味いですね。

 これはもしかして珈琲ですか?」


「ええ、そうですよ。

 というか、アジルバさんはコーヒーを飲んだことがあるんですか?」


「以前、同僚が大陸南方方面へ異動になった際、送られて来た茶色い豆を潰してお湯で淹れて飲んだことがあります。

 その時飲んだ珈琲は焦げ臭い味と粉っぽい食感で正直美味しいとは思いませんでしたが……」


「ああ、それは既に焙煎されたものを送って来たんでしょうね。

 焙煎された状態の豆はきちんと管理しないと酸化して雑味が出てしまうので。

 あとコーヒー豆は潰すのではなく、細かく挽くのが普通なんですよ。

 それをネルドリップ……要するに細かく挽かれたコーヒーの粉を布の袋に入れてその上からお湯を注いで濾されて出て来た黒い汁をそのまま飲んだり、砂糖や乳を加えて飲むのが一般的なんですけどね」


「そうなんですか?」


「ええ。

 他にもエスプレッソとかサイフォン、水出しやプレスなどがありますが一般的にはネルドリップやドリップといった濾して飲む場合が多いですね。

 まあ今飲んでるのは即席の物なんでお湯をそのまま注いで作るやつなんですが……」


「へえ……」


「ところでアジルバさん、先ほどのエリアーナさんのお話はどう思います?」


「そうですね……恐らく彼女が脱衣所で見た女性は十中八九、ルナ第二公女だと思います。

 ただ、その姿が脱衣所を出て行ったきり見掛けないというのが気になりますね。

 もしかしたら、別の場所に監禁されているのかもしれません」


「ふうむ……その監禁場所が判れば良いのですけれどねえ。

 エリアーナさん、その後は何か変わった様子は……」



 アジルバと公女様の話をした後、エリアーナに話し掛けた俺は彼女の状態を見て話すのを止めた。

 温かいココアを飲み干した彼女は、自分が奴隷として買われたことではないことに安堵して今までの疲れが一気に出たのだろう。


 馬車の床に座って毛布に包まれた状態で眠っていた。



「まあ、この後の話は皆さんと合流した後でゆっくりと聞きますか……」



 俺はエリアーナを起こさないように気をつけながら、彼女の両手に包まれている琺瑯のマグカップを受け取る。既にココアは飲み干されて冷たくなっている筈なのに彼女の体温が伝わっているか、マグカップは温かかった。



「アジルバさん、皆のところに戻りましょう」


「分かりました」



 動き出した馬車の振動で姿勢を崩しそうになっているエリアーナをゆっくりと横にさせた俺は彼女の頭を持ち上げてその下にストレージから出した低反発枕を入れる。


 ガタガタと常に揺れているという眠るのに決して適した環境ではない馬車の中でありながら、安らかな顔でスヤスヤと眠るエリアーナは見ると相当に疲労が蓄積していたのだろうと俺は思う。


 しかし、こんな状態の彼女はまだマシな方なのだろう。

 あの商会から買われて行った者達の中には恐らく死んだ方がマシというような状況に陥った者達も少なからずいる筈だ。いや、もしかしたら今この瞬間にも……



「ったく! デュポンといいサディアスといい、絶対に許さんぞ……!」



 未だ会ったことない2人の外道に対し思わず殺意が湧く。

 もちろん、それもこれもギルド情報科長のルークさんを通じて知り得た事実と出会わなければこんな感情は起きなかっただろうが、知ってしまったからには仕方がない。


 あのテラビータという男の口振りからして他にも奴隷商が存在しているらしいことは分かった。

 しかし、俺にはそれら他の奴隷商を潰せるだけの力も組織力もない。それに関してはこの国の治安機関に期待するしかないだろう。


 取り敢えずは今出来ることとして、デリフェル商会の壊滅と元締めのデュポンとかいうガキんちょを引っ捕らえて国軍警務隊に引き渡す。


 後はサディアスとかいう外道がもし本当に元日本人ならばきっちりとケジメを付けさせよう。



(ただなあ、どうにも別の意味で嫌な予感がするんだよなあ……)



 恐らくあのテラビータ以下、商会で奴隷取引に関わっている奴は皆殺しの憂き目に遭うのは確実だ。

 下手をするとデュポン自身もも殺されると思うし、サディアスも俺が考えている通りの奴だとしたら抹殺しないわけにはいかないだろう。



(あれ? もしかして、これってどう転んでも皆殺しじゃね?)


「まあ、皆殺しでいいかなあ〜」



 思わず口から出た俺の物騒な物言いが耳に入ったのだろう。

 アジルバはビクリと体を震わせた。



「怖っ……」



 ボソッと呟いたアジルバの声が聞こえ来たが、俺は敢えて聞こえていないフリをした。

 まあ、俺が何もしなくても『鏖殺姫』という物騒な二つ名が付いているアゼレアのことだ、奴らは良くて即死か、悪くて八つ裂きか嬲り殺しになるだけだろうから、気にしたところで仕方がない。



「どうなることやら……」



 俺はダッフルコートを脱ぎ、代わりにストレージから取り出したロシア製チェストリグを着用する。

 チェストリグに取り付けられている各ポーチには7.62mm×39ワルシャワパクト弾が装弾されている30連発バナナ型弾倉の他にブルガリア製の各種手榴弾が入れられていた。


 腰のベルトにM1962銃剣が入っているシースを装着し、最後にストレージに仕舞っていたフィンランド製自動小銃RK62Mを取り出して各部に異常が無いかを確認する。



「マガジン良し。

 セイフティ良し、ダットサイトとレーザーデバイス共に異常無し。 銃剣良し……」



 最後に太腿のホルスターに入れているCZ-75FAを確認して各装備の点検を終了する。


 後はアゼレア達と合流してエリアーナから更に詳細を聞き出して作戦を立てれば準備は整うだろう。

 その後に待っているのは人を相手にした血で血を洗う殺し合いだ。


 そして、そんな人生初めての本格的な対人戦に怖くて震えている自分とは別に戦闘を楽しみにしている己がいるのを俺は感じ取っていた。



(もしかして、アゼレアの影響を受けちゃっているのかな?)



 今までの戦いはどちらかと言うとこちら側が襲撃されるという形ばかりで、こちらから仕掛けるという戦いは経験したことはなかった。



(さてさて、どうなることやら……)



 まあ、こちらには頼もしい仲間がいるから、俺は彼らの邪魔にならないように気をつければ大丈夫だろう。



(なんか、初めてサバゲーに参加した時のことを思い出すなあ……)



 恐らくこの後、2時間もしないうちに戦闘が始まるだろう。

 その予感に俺はいつの間にか心を踊らせていた。



「待ってろよ。 ありったけの銃弾をぶち込んでやる……!」



 自動小銃に軍用ライフル弾が満杯になり重たくなっている弾倉を挿入し、弾倉から突き出た小さな突起をマガジンキャッチが受け止めるときの“ガッチンッ”という金属音が静かな馬車の車内に大きく響いた。

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