第32話 商会

「もう逃がしませんわよ、私の未来の旦那様!!」



 俺は目の前で室内にも拘らずスカートを翻し、テーブルを飛び越えるというアニメでしか見たことない一連の動作を行った女の子を唖然として見ていた。



「うわわっ!? ちょ、ちょっとぉ!!」



 そして、それによって上から降って来るようにして抱き着かれることになったアルトリウス君は明らかに狼狽していた。受け止めないとバランスを崩して床か壁に激突しかねないため、彼は女の子を慌てて席から立ち上がり抱き留めるが、その行動に気を良くした女の子は上機嫌で彼へ話しかける。



「アハン! さすがは未来の旦那様。

 私のことを受け入れてくださったのですね!」


「ち、違う……あのままだと君が怪我しそうだったから、受け止めただけだ!」


「まあ、受け止めただなんて……そんなに私のことを想っていてくれてたのですね!」



 明るくなり始めた早朝だというのに、横抱きでアルトリウス君に抱き上げられた女の子は彼の首に両腕を回し、自らアルトリウス君をガッチリとホールドする。



(うむ。

 アルトリウス君には悪いが、傍から見れば砂糖どころか蜂蜜を吐きそうな光景だな……)



 アルトリウス君は嫌そうな表情をしているが、そこは男の子。

 町娘とは違って、如何にもお嬢様然とした公爵令嬢のアナスタシアに抱き着かれ、豊かな双丘が胸板に当たる感触と横抱きにしているお陰で、左手に伝わる太腿の感触に彼の迷惑そうな表情が緩みそうになっている。


 俺を含め、隣にいるアジルバやアルトリウス君と席を共にしていたセマやムシルは二人のやり取りを見て、ニヤニヤと笑いをこらえているような表情になっているが、それに反してアルトリウス君と同じクランのメンバーの女性陣は一人を除き、苦虫を噛み潰したような表情になっていた。


 そして、一番最初に口を開いたのは神官の恰好をしている、確かアルティ―ナと言う名前の女の子が未だアルトリウス君に抱き着いたまま、彼から離れないアナスタシアに抗議の声を上げる。



「な、何しているのよ!?

 あなた、いい加減アルから離れなさいよ!」


「そうですニャ! ご主人様が困っていますニャ!」


「オホホホ!

 何で貴女方に指図を受けないといけないのかしら?

 彼は将来、私の夫になる男性ですのよ。

 ということは、夫と愛を育むのは妻の特権ですわ!」



 猫耳獣人のエルネという少女も怒っているのか、尻尾の毛を逆立出てながらピンッと真っ直ぐに伸ばし、今にも掴みかからん勢いでアルティ―ナの抗議に加わるように同調して文句を言うが、当の文句を言われている本人は気にした様子はない。


 因みに、もう2人のメンバーの内、サブリーダーのマイラベルはこういうことになることを予感していたのかどこか諦めたような感じで、もう1人のエルモアは一部始終をニコニコと見守っているだけだった。



「何、訳の分からないことを言っているのよ貴女は!

 大体、シグマの公爵令嬢なら自分の国で大人しくしていなさいよ!」


「アルティ―ナの言う通りですニャ! ここはバルトですニャ!

 勝手な行動は控えてもらいたいですニャ!」


「フッ……!

 いつ死ぬか分からない人生で、私はあの事件以来自由に生きると決めましたのよ。

 それに、アルトリウス様のご実家は聞けばウィルティア公国のジョージア公爵家というではありませんか。

 となれば隣国とはいえ、我がクリフォード公爵家の婿養子として不足はありませんわ!

 それに、私の父もアルトリウス様と私の結婚に結構本気で乗り気ですのよ?」


「え? うそ!?」



 アナスタシア達のやり取りを黙って見ていたリリーはアルトリウス君の実家がウィルティアの公爵家だと知って驚いているようだった。


 その後も全員が見守る中、彼女らはアルトリウス君を挟んでギャアギャアと騒いでいたのだが、一向に収まる気配がないのを見かねたアゼレアがズンズンと歩いて行って彼女達の間に割って入る。



「いい加減、静かにできないのかしら?

 もうすぐ、国軍警務隊と聖騎士団から派遣されて来た武官が到着する筈よ。

 あなた達は彼らにこの醜態を見せて、彼や自分達の第一印象の評価を貶めるつもりなのかしら?」



 突如、自分達の間に割って入ったアゼレアに対して言い合いを続けていたアナスタシア達の内、アルティ―ナとエルネは怯んだようだが、公爵令嬢であるアナスタシアだけは割って入った彼女へ食って掛かった。



「あなたは一体誰なのかしら?

 彼女達の間に割って入るのは止めてもらいたいのだけれど?

 私の父はシグマ大帝国の三公家の一つ、クリフォード公爵家当主よ。

 この私を怒らせると、後が怖いわよ?」


「貴女達の一向に終わらない罵り合いが目に余るから、割って入ったのよ。

 因みに、私の名前はアゼレア・クローチェ。

 貴女くらいの貴族令嬢なら『魔王領のクローチェ』と言えば、少しは聞き覚えがあるんじゃない?」


「クローチェ?

 魔王領のクローチェ? ん~?

 …………ま、まさか吸血族のクローチェ大公家?」


「そうよ。

 私の父は吸血族大公家当主のオルランド・クローチェ。

 で、私は次女のアゼレア。

 貴女だけが、この場で一番の後ろ盾があるわけじゃないのよ?」


「くっ……!」



 アナスタシアがアゼレアへ何か言おうとしたが、彼女が口を開くことはできなかった。後ろから伸びてきた手がアナスタシアの口を塞ぎ、無理やり黙らせられたのだ。



「むぐ……!?」



 後ろから抑え込まれ手をばたつかせるアナスタシアだが、その抵抗空しく彼女は口を塞がれたまま、抑え込んだ者のされるがままになっていた。



「失礼しました、クローチェ様。

 私はクリフォード公爵家次席武官兼アナスタシア様専属執事のブリジットと申します」


「アゼレアで結構よ。

 色々と聞きたいことがあるけれど、どうやら彼らが着いたようだから、また後で聞かせてもらうわ」


「それでは失礼します」



 アナスタシアを後ろから抑え込んだブリジットと名乗った男装の麗人はアゼレアと言葉を交わし、店の出入り口に新たな来訪者を確認した後、自分が仕えている公爵令嬢をそのまま抱え上げて店内の壁際へと下がって行った。


 どうやらブリジットは執事の格好をしているまんまの女性執事だったようだが、公爵家の次席武官てことは相当強いのだろう。


 いくら男より軽いとはいえ、10代後半のアナスタシアを軽々と苦も無く抱え上げているあたり、俺なんか蹴り一発で日本から火星まで吹き飛びそうな予感がした。


 とはいえ、俺もアゼレアに合わせるようにして視線を店の出入り口へ向ける。

 そこには、いぶし銀に輝く金属鎧を着込んだ4人の男性と赤銅色の金属鎧を着込んだ女性の4人が立っていた。






 ◇






「へえ~ウィルティアのお姫様がねえ……」



 馬車の荷台からリリーの呆れた声が聞こえてきた。

 目的地へ移動中、アジルバの説明を受けていた『流浪の風』のメンバーと『早春の息吹』のメンバーは今回の依頼内容のバックグラウンドを聞いて皆一様に呆れた様子だった。


 俺自身も「公女様がなんでそんなところを通っていたんだ?」とか、「サディアスはなんで公女様を殺さずに連れ去ったんだ?」とか色々と突っ込みたい箇所が満載の事件だ。


 まあ事の真相は当事者以外に知りようがないので、取り敢えず今後のためにもこの事件を収束させようと裏で頑張っている人達を手伝おうと決めたのだが、改めて聞いていると心の何処かにモヤモヤとしたなんとも言えない気持ちが湧いてくる。



「恐らく、あと一時間程で伯爵家に対する強制執行任務を受けた我々警務隊の二個機動大隊が伯爵領へと到着することでしょう」



 こう言ったのはバルト永世中立王国軍警務隊から派遣されて来た警務官のラージ・インサーロ警務少尉だ。

 本来、銀色に輝いていた金属鎧は任務で使い込まれたせいか所々擦れていたり、傷ついたりして独特の輝きを放っている。


 ズラックさんのように頭は禿頭のスキンヘッドで、治安関係者にありがちな隙のない鋭い目つきをしていた。年齢としては40代半ばだが、鍛えているせいか30代後半に見える風貌で腰には使い込まれた長剣と短剣を佩でいる。


 国軍警務隊から派遣されて来た警務官4人の中で彼が一番の年長者かつ責任者であるらしく、残りの3人は20代後半から30代前半くらいの年齢で、准尉が1人と軍曹が2人という構成になっていた。



「伯爵領はそちら国軍警務隊が受け持つのだろうが、商会は我々聖騎士団が事後処理を行う予定だ。

 いるかどうかは分からんが、もし奴隷が囚われていた場合は我々教会側が保護しても構わないだろうか?」



 そして、こちらは聖エルフィス教会聖騎士団から派遣されて来た聖騎士のマルフィーザ・フラクタル衛士長だ。


 聖騎士団と言えば、カルロッタが在籍している聖エルフィス教会独自の軍事組織だが、彼女とは部署が違うらしく、カルロッタが護衛隊所属の騎士なのに対して、マルフィーザは衛士隊所属の騎士になるらしい。


 因みにマルフィーザに教えてもらったところによると、カルロッタの階級は護衛士長補となり、衛士隊の階級的にはマルフィーザの1個下の階級である衛士長補に相当する。


 そんな彼女の年齢は20代後半くらいで、濃い栗色の髪をショートカットに整えられた髪形で少し垂れ目がちではあるが、整った顔は充分に美人と言えるだろう。


 多分、マルフィーザの普段の顔は穏和な表情なのではと思うのだが、今は任務中であるためかキリリとした面持ちだ。残りの3人の女性聖騎士もマルフィーザと同じか少し下の年齢くらいで、衛士長補が1人と衛士が2人という構成になっている。


 警務隊側4人の装備や鎧の形状が微妙に異なっているのに対し、こちらは全員同じ武装に同じ鎧を着込んでいた。


 武装はカルロッタが当初持っていたブロードソードの他に、ショートサイズのレイピアを佩でおり、マルフィーザの補佐役である衛士長補の女性騎士だけ盾を携行している。



「もちろんです。

 大陸各地に広く活動の拠点を持っておられる聖エルフィス教会でしたら、バルト国内でしか活動できない我々国軍警務隊としても、奴隷の保護とその後の処遇は、そちら聖騎士団の皆さんにお願いしたいと思っていました」


 御者台後ろの幌が掛けられた荷台からは、マルフィーザさんの問い掛けに応えるラージさんの声が聞こえてくる。


 まあ、確かに囚われているのがウィルティアのルナ第二公女だけとは限らない。


 デリフェル商会が果たしてどれほどの規模の奴隷売買を行なっているのかは蓋を開けて見ないと、正確には分からない。もしかすると、数百人規模の奴隷売買をしている可能性だってある。


 そして囚われているかもしれない奴隷たちを国許に帰すのは実際問題、かなり骨の折れる行為だ。ラージさんの言ったように国軍警務隊はこのバルト国内でしか活動できないので、国外から連れて来られた奴隷たちを送り帰す術は彼らには無い。


 しかし、聖エルフィス教会ならば、大陸の殆どの国や地域に教会が設置されているので極端な話、物資の輸送や人員の移動時に一緒に送り届けてあげることは可能だろう。



「もし、魔族や近縁の種族が奴隷として囚われていた場合は我々魔王軍が受け持つわ。

 奴隷の件を記した手紙を使い魔を用いて私の父に連絡すれば、直ぐに許可が貰えるはずよ?」


「それは助かります。

 隣国とはいえ、もし魔族が奴隷として囚われていた場合は我々の判断だけで処遇を決定することはできませんので、何かありましたらその時はお願いします。 クローチェ少佐殿」



 彼らの話にアゼレアが割って入る。

 彼女の話では、奴隷として囚われていた魔族を魔王軍が武力を用いて奪還していたと言っていたから、バルト側としては囚われているかもしれない魔族というのは別の意味で頭が痛い存在だろう。


 しかも、今回の作戦任務にギルドの冒険者として参加している者達の中に魔王軍の現役将校、それも大公家の血縁者が混じっていると知った時のラージさんたち国軍警務隊の面々は顔面蒼白となっていた。


 因みにアルトリウス君率いる『早春の息吹』のメンバーは例のアナスタシア公爵令嬢救出の際にアゼレアと知り合って彼女の正体と身分を知っているので、今さら騒ぐような真似はしなかったが、当時精神的に錯乱していたアナスタシアと『流浪の風』のメンバーは彼女が吸血族大公家の娘であることと、魔王軍の現役大尉であることを知ってかなり驚いていた。


 アナスタシアの場合は実家のクリフォード公爵家よりクローチェ吸血族大公家の方が歴史的に見ても人間種国家であるシグマ大帝国が建国するより遥か昔から存在している上に、家格としても段違いに高いので明らかに鼻白んでいた。


 しかし、そんなアナスタシア以上に驚いていたのが『流浪の風』リーダーであるセマだった。



「何でこんなところに『鏖殺姫おうさつひめ』がいるんだ……!?」



 セマが言った『鏖殺姫』とはアゼレアの二つ名であるらしく、彼に詳しく聞いたところアゼレアは戦場において抵抗する敵兵を尽く殺戮してしまうことから、いつの間にか付いた戦場での通り名のようだ。


 二つ名に『姫』という文字が入っているのは、彼女が吸血族大公家の娘=吸血姫という立場であることが関係しているらしい。


 このことをアゼレア本人に聞いてみたところ……



「確かに、そんな二つ名がいつの間にか私に付けられているのは知っているわ。

 でも“鏖殺”とは言っても、誰でも彼でも殺しているわけではないのよ?

 重要な情報を持っているであろう敵の指揮官や捕虜、降伏の意思を示した敵兵や現地住民には襲ってこない限り、決して私から手を出すことはしていないわ」



 ということらしい。

 当のアゼレア自身は己の身体に吸血族の血が入っているので、戦場において得意な血液を媒介とした戦術魔法で敵軍を滅ぼすという戦法が『鏖殺姫』という二つ名が付いた原因だと考えているようだが、それは全くの見当違いだ。


 セマさん曰く『狙撃で射られた矢を素手で投げ返す』とか『首を手刀で切り落とす』、『敵兵の頭を片手で兜ごと握り潰す』や『蹴りの一発で攻城櫓を破壊する』、他にも『たった一人で夜襲を仕掛け、敵歩兵一個連隊を壊滅させた』に『一人で城を攻め滅ぼした』などなど……聞いているだけで身が竦みそうな戦い方が他の魔王軍兵士よりも異常に際立っているのが原因なのだという。



「実家は代々男爵の家系で祖父も父も男爵家当主として領軍を率いて戦場に赴いたことがあります。

 その際に祖父が『鏖殺姫』を見掛けたことがあると言っていましたよ。

 とは言っても、祖父と我が男爵家領軍は幸運にも戦場の後方にて予備兵力として待機していたので『鏖殺姫』と直接対峙することはなかったそうですが、もし戦っていたら自分も含め兄や弟、家臣の家族の何人かは生まれていなかったかもしれません……」



 と、青い顔しながら言う始末だ。

 つくづく、俺はとんでもない女性と付き合っているのだと実感させられた。


 

「よいしょっと。 ……ん、何?」


「いや、何でもないよ。 っと、そうだ……はいコレ」



 後ろの荷台から御者台に移って来たアゼレアの顔をまじまじと見ていたら、こちらの視線に気付いた彼女が不思議そうな顔で見返してきたので、取り敢えず惚けておいて彼女へある物を渡す。



「何これ?」


「サングラスだよ。

 狭い室内で戦闘になった時のことを想定して念のためにね」


「ふう~ん……」



 少し訝しむような声を上げながら、俺から渡されたサングラスを弄るアゼレア。

 本当は出発前に渡しておきたかったのだが、突如アナスタシアが現れるというイレギュラーな展開があり、渡すタイミングを逸してしまったために今渡す羽目になったのだ。


 彼女に渡したサングラスは周囲の明暗にセンサーが反応して自動的にレンズの濃淡を瞬時に調整するシューティンググラスである。これはレンズの素材がポリカーボネートで作られており、散弾銃で使用される鳥撃ち用の『バードショット』と呼ばれる小さい粒の散弾程度ならば防げるほど頑丈で、しかも自動調光機能を併せ持っているため、スポーツやシューティング、それに戦闘と非常に使い勝手が良い。


 これを渡したのは、近接戦闘において戦闘時に生じる破片や血液の飛散などから目を保護するためである。他にも目に向かって飛ばされてくる砂や唾、指による目潰しからも目を守る為でもあるし、目線の運びを敵に読ませない目的も兼ねているのだ。


 特に魔族である彼女の目は人間と違って赤金色とかなり目立つので、目線の運びが悟られやすいのではという俺の勝手な気遣いもある。



「戦闘時に何があるか分からないからね。

 地球では兵士達がこれを眼鏡と同じように顔に装着してキツい陽射しや破片、埃や飛び散る血液などから目を護っていたりしていたよ」


「へえ~?」



 そう言って彼女は自身の顔にシューティンググラスを装着した。

 すると彼女の特徴的な赤金色の目がスモークグレーのレンズに隠れる。


 今朝の天気は冬晴れで青い空が広がっており、朝日が降り注いでいるお陰でシューティンググラスの受光センサーが反応してレンズが最大限の黒色へと変化する。


 スモークグレーのシューティンググラスに目が隠れてしまっているのと、アゼレアが持つ独特の鋭い雰囲気のお陰で少しばかりおっかないが、これで彼女の目線の運びが相手側に悟られる危険性は減ることだろう。



「今は色が黒いけれど、光の加減によって色が薄くなったり濃くなったりする機能がそのサングラスに内蔵されている。

 まあ、暫く掛けていれば目が慣れると思うから、大丈夫だと思うよ」


「そう。 ありがとう」


「っと、あとこれね」


「……これは?」



 礼を言うアゼレアへさらにある物を渡す。

 渡されたのは一本のナイフだ。



「コンバットナイフ。

 まあ、この形状の奴だとトレンチナイフと言ったほうが正確かな?」


「なんかゴツい見た目の小刀ナイフね……」


 アゼレアの手にあるナイフは、以前彼女が路地裏でルークさんに突き付けたプッシュダガーと同じメーカーの物で、全長289mm、刃長162mm、重量413gのドロップポイントの刀身を持つフルタングのナイフだ。


 ドロップポイントという大人しめのデザインのため、刀身だけ見れば平凡な形状のナイフなのだが、特徴的なのはグリップ部分にある。


 グリップには護拳、要するにメリケンサックのような刀身と一体型のナックルガードを装備しており、グリップ後端にはアゼレアの持つプッシュダガーと同じガラスを叩き割るためのガラスブレーカーという突起を装備している。


 因みに、トレンチナイフというのは文字通り、トレンチ=塹壕などの劣悪で狭い空間、または環境で使うことを想定したナイフで格闘戦を意識した作りになっているのが特徴だ。


 地球における現代の戦争では塹壕戦という状況は中々発生しないと思うが、それでも敵兵やテロリストと狭い屋内や空間で戦うことはあるので、それを想定してイタリア陸軍特殊部隊の要請で作られたのが、このナイフだ。


 今回は野外ではなく屋内での戦闘が予想されるので軍刀のような長い武器では取り回しが悪いし、かと言ってプッシュダガーではリーチが足りないので、このサイズのトレンチナイフが最適だと思う。


 ナイフ自体の刃厚が6.3mmなので、格闘戦には充分な強度を持っている。

 このナイフにも神様の力が宿っているので絶対に朽ちることはなく、しかもあらゆる魔法防御を斬り裂く。


 斬り裂ける魔法障壁・防護に例外はなく、極端な話、10万人集まった高位魔法使い達が展開した魔法障壁であっても、このナイフ1本を障壁に突き刺せばたちまちその魔法障壁は霧散してしまう。


 そういう意味で言えば、斬り裂くと言うより無効化すると言ったほうが手取り早い。

 もちろん魔法障壁だけではなく、幽霊やアンデッドなどの不死者にも有効なので、下手したらこのナイフを見た不死者が全力で逃げる可能性もある。


 まあ逆を言えば、これらの武器の性質に気付いた輩がコレ目当てに襲ってくる可能性もあるが、持ち主は神様がお墨付きを与えるくらいに強いゴジラのような存在――――しかも再度強力にパワーアップした――――なので襲って武器を強奪出来るとは到底思えない。



「このナイフの鞘は2種類あってね。

 この腰に下げる奴とこうやって脇に吊るす鞘さ」


 そう言ってアゼレアにナイロン製のショルダータイプのシースを自分の左脇下に当ててナイフを吊った例を見せる。


 このナイフのオプションとして存在しているショルダーシースは左右どちらかの脇の下に提げてナイフを携帯することができる。ナイフは地面に対しグリップを下側にして提げるので、ナイフを留めているバンドを外しリップを握ったまま下にナイフを引き抜くことができるのだ。


 拳銃のショルダーホルスターと違い、トレーナーやボトルネックのセーターの様なボタンが無く、前開きしないタイプの服やコートを着用した状態で上着の裾の中に手を入れれば、ナイフを瞬時に下へ引き抜くことが可能である。



「面白い携帯の仕方ね」


「うん。

 こいつを装備しておけば左腰・右脇・腰の後ろと携帯できるから、状況に応じて適した武器を選択できるようになると思うよ?」


「そうね。

 この孝司からもらった警棒や手錠も確かに良い武器だと思うけれど、私としては軍刀と小刀の方が使いやすく感じるわね」


「じゃあ、警棒と手錠は外してこっちのナイフを使う?」


「ええ。 そうさせてもらうわ」


 そう言ってアゼレアは自分の腰からホルダーごと警棒と手錠を外してこちらへ渡す。

 代わりトレンチナイフの入ったショルダーシースを受け取り、両腕に装着していた機動隊の籠手を外して上着を脱ぐ。


 何回か調整して自分に適したサイズに定まったショルダーシースを着用し、そのまま上着を羽織り再度籠手を装着する。


「うん。

 どこからどう見ても右脇にナイフを吊っているようには見えないね」


「そう?」



 ショルダーシースを着用して自分の肩や脇を見ているアゼレアを見て俺はそんな感想を漏らす。背中も見たが、ショルダーシースのバンドが浮き上がって見えることもないので、一目で第三者が右脇にナイフを提げているとは思わないだろう。



「重くない?」


「全然重くないわ。

 違和感もないし、中々いいと思うわよ」


「そりゃあ良かった」


「お話し中のところ失礼。

 エノモトさん、そろそろリヒテール子爵領に差し掛かります。

 馬車を乗り換えましょう」


「もう着くんですか? 早いですねえ」



 俺とアゼレアの会話に割り込む形でアジルバが御者台の後ろから顔を出して声を掛ける。

 場所は王都テルムから出て暫く進んだ所にある街道上だ。



「いや、まだデリフェル商会に到着するには時間がありますが、子爵領のどこにデュポン配下の目があるか分かりませんので、早めに乗り換えておいた方が良いと思ってですね」


「なるほど、わかりました。

 で、乗り換える予定の馬車は何処ですか?」


「あそこですよ」



 そう言ってアジルバが指し示す先を見ると、幌付きの馬車が街道脇に駐車している。

 大きさは俺が所有する馬車より小さい。


 御者台を除けば、荷台には大人3~4人くらいしか収容できないだろう。

 馬車に繋がれている曳き馬2頭は俺の馬車の曳き馬より一回り以上小さく、本当に馬車を引っ張っていけるのか少し不安だ。


 まあ、この馬車を引っ張っている軍馬2頭が地球の馬と比べても異様に巨大なのもあるかもしれないが……



「あの馬車にはエノモトさんと俺が乗り込みます」


「あれ?

 最初、国軍警務隊の捜査官が乗り込む予定だったんじゃ?」


「いや、そう思ったんですがね。

 国軍警務隊じゃウェブリオ伯爵家経由で顔が割れている可能性もないとは言い切れないんで、念を押して俺が同行しますよ」


「わかりました」



 そう言って、駐車している馬車まで自分の馬車を進めて停車させる。



「エノモトさん、馬車の扱い上手いですね。

 停車するときに振動が殆どありませんでしたよ」


「そうですか?」


「ええ。

 下手糞な奴になると、つんのめって舌を噛みそうになりますからね」


「へえ~」



 そう言いつつ、アゼレアを残して御者台から降りる。

 後ろに声を掛けると、アルトリウス君とマイラベルが姿を現してアゼレアと入れ替わるように御者台に座り、曳き馬の手綱を握る。


 本当は複数の馬車で王都テルムを出発する筈だったのだが、人数が多くなってしまったのと複数台の馬車では目立たないかということで、急遽俺の大型馬車にみんなで乗り込んで出発することになった。


 これは俺の馬車でリヒテール子爵領に向かうこととなった段階で予め決めていたことだが、俺が他の馬車に乗り換えた後でアゼレアが1人で御者をしているとすんごく目立ってしまうので、子爵領に入る前にアルトリウス君らと交代してもらうようにお願いしていたのだ。


 俺とアジルバが乗り込む予定の馬車まで行くと、御者台には冒険者の恰好をした男が1人、手持ち無沙汰に座っていた。



「ご苦労さん」


「おう、アジルバか?

 言われた通りの馬車を用意して待っていたぜ」


「すまないな。 じゃあ、借りて行くよ」


「おう」



 短く言葉を交わし、冒険者の恰好をした男は御者台から降りて代わりにアジルバが席に座る。


「さ、タカシさん。 後ろに乗ってください」


「あ、はい……」



 言われるがままに俺は馬車の後ろに乗り込んだ。



「じゃあ、すぐに迎えが来ると思うから、ここで待っていてくれ」


「わかった。

 まあ、来るのが遅けりゃこっちから歩いて王都に戻るさ」


「すまないな。 戻ったら、何か奢るよ」


「その言葉忘れるなよ?」



 男と笑いながら短く話していたアジルバだったが、俺が乗り込んだのを確認したら直ぐに馬車を発車させる。



「じゃあな。 また後で」


「おう」


「では、タカシさん。 出発しますね」


「はい」



 別れの言葉を告げた後、馬車を発車させたアジルバは後ろに向かって合図をする。

 すると、アルトリウス君が御者を務める馬車もこちらに合わせて動き出す。

 この馬車に元々乗り込んでいた男は街道の端で出発する俺達の馬車を静かに見送っていた。



「一応、確認しておきますが、俺がタカシさんの部下でタカシさんは奴隷を購入しに来た新興貴族の三男ということでお願いします」


「わかりました。 でも、本当に大丈夫ですかね?」


「何とかなりますよ。

 バンナー科長が用意してくれたこの紹介状と偽の身分証があれば心配ありません」


「はあ。 それでもちょっと不安ですよ……」


「まあまあ」



 その後俺はアジルバと最後の確認を行いながらリヒテール子爵領に入った。

 するとアルトリウス君達の馬車は子爵領の街に入って少ししたところで停車する。


 これ以上はくっ付いて移動していると不味いので、俺達が商会から帰ってくるまでの間、彼らは暫く待機となる。アルトリウス君達の馬車が見えなくなって暫くするとアジルバが声を掛けてきた。



「エノモトさん、見えてきましたよ。 あれがデリフェル商会です」



 そう言って顎をしゃくって前方を示すアジルバ。

 彼に従って前を見ると、右手側に建物が見えてきた。



「あれがデリフェル商会……?」


「ええ。 あと、これを渡しておきます」


「これは?」


「タカシさんの仮の身分です。

 あなたはこれからタカシ エノモトという名前ではなく、ショーン・マグナウェルと名乗ってください。

 それと、出来るだけ偉そうな態度をとってくださいね」



 そう言われながら渡された偽の身分証には確かに『ショーン・マグナウェル』と表記されている。

 出身と身分は……シグマ大帝国のマグナウェル侯爵家とある。



「分かりました……」



 そう言って俺は目立つフィンランド製自動小銃RK62M3を一旦ストレージの中へ収める。

 代わりに太腿のホルスターに入れている拳銃を抜いて一度弾倉に不備がないことを確認し、スライドを引いて初弾を薬室に装填して再びホルスターに戻す。


 今回使う拳銃はチェコ製自動拳銃CZ-75フルオートマチックピストル。

 旧ソ連製のスチェッキンAPSやオーストリアのGLOCK18のように単発以外に連発射撃が可能な『マシンピストル』というカテゴリーに属する拳銃だ。


 スライド側面には『CZ75 オートマチック』としか刻印されていないが、海外の銃器サイトでは『CZ-75FA(Full Auto)』と表記されている場合が多い。


 もちろん銃器大国であるアメリカやフィリピンでも一般人の所持は厳しく制限されており、軍・司法機関のみに販売が許されている特殊な拳銃だ。


 今回、俺は貴族の息子として商会内部に入るが、ゴツいアサルトライフルやサブマシンガンを肩から提げるのは不自然なので、目立ちにくい拳銃のみを装備しておく。


 しかし、万が一に備えてフルオート射撃が出来るCZ-75FAを装備しておけば、狭い室内において瞬発的な制圧射撃が可能になる。



「商会の敷地内に入ります」



 アジルバの言葉を受けて幌から少しだけ顔を出して商会の建物を見る。

 3階建てで石造りの如何にも頑丈そうな建物で、明らかに周囲の木造モルタル造りの民家とは一線を画す造りは威圧感があり、商会というより『要塞』と言われた方がシックリくる雰囲気だ。


 商会の前まで馬車を進めると明らかにその異質さが分かる。

 他の民家は1階部分にも窓が存在しているのに対して、この建物の1階には窓が無い上に商会を現す看板がどこにも無い。


 正面を見ると、玄関に当たる部分は大きな木製の扉が左右に開け放たれており、地球の物流会社の倉庫のそれと同じように馬車がバックで入庫できるよう大きな庇が突き出るように設けられている。


 中は倉庫やバックヤードの様相を呈しており、木製の樽や中身がみっちり詰まってパンパンに膨らんだ麻袋などが積み上げられているた。


 また、よく見ると他にも野菜や果物、織物なども沢山見える。

 ここだけ見れば商会や商店とも言えそうだが、そこで働いている男達は皆屈強で目つきは普通の肉体労働者達の目とは異なり、かなり鋭い雰囲気を宿していた。



「では、そこに馬車を止めますね。 “坊っちゃま?”」



 アジルバの口調が先ほどとは違い、急に猫なで声の話し方に変化した。

 ここに来るまでの間に予め説明された内容では、俺は貴族の三男坊ということらしく、アジルバはここからもう貴族のボンボンとそれに付き従う従者という設定で早速演技を始めるつもりらしい。



「うむ」



 あまり偉そうな声だと逆に不自然に見えてしまうので、あくまで自然な感じに応じる。

 アジルバは敷地内の邪魔にならないところに馬車を駐車させ、俺は彼と共に商会の建物に近付いて行く。

 


「すいません。 商品を購入しに来ました」


「あん? 誰だお前は!?」



 荷物を荷馬車に積み込みながら横目でこちらをチラチラと見ていた男にアジルバが話しかける。

 見たところ30代後半、角刈りの燻んだ金髪に服の上からでも分かる盛り上がった筋肉はどう見ても荷物の積み下ろしだけで付いた筋肉とは思えない体格をしている。


 そしてアジルバから話し掛けられた男は何かイラついているのか、粗暴な印象を受けた。



「こちらはシグマ大帝国のマグナウェル侯爵家の御三男、ショーン・マグナウェル様です。

 私めは従者兼護衛のチューダと申します」



 アジルバの自己紹介と共に男がこちらをジロリと見るので、微かに首を動かして大凡自分の考えうる偉そうな表情で会釈する。



「ほーん……で?

 そんなシグマくんだりから態々こんなしがねえ商会に貴族の坊っちゃんが一体、何の用だってんだ?」


「実はこちらの国のライアンス・ソルニック男爵様より紹介状を預かってきておりまして……」



 そう言ってアジルバは懐から1枚の羊皮紙を取り出し、話し掛けた男に対して提示する。



「ほう? ここで待ってな」



 そう言って男は紹介状の内容を見て建物の中へと消えて行った。

 その間に俺はダッフルコートのポケットから眼鏡を取り出し、自分の顔に装着してツルの根元にあるスイッチを押す。


 そして待たされること約10分。

 漸く上役らしき者を連れて先程の男が戻って来た。


 連れてこられたのは20代半ばの若い男で金回りの良さそうな格好をしているが、こいつが商会を仕切っているリヒテール子爵家のデュポンだろうか?



「そちらがソルニック男爵様の紹介状を持って来た者か?」


「へい。 何でもシグマのマグナウェルという貴族の息子のようです」


「分かった。 お前は仕事に戻れ、ここからは私が引き継ごう」


「へい」



 先程までどこかイラついた様子だった男は素直な態度で持ち場に戻って行った。



「お待たせして申し訳ありませんね。

 私は当商会大番頭のテラビータと申します」


「私めはシグマ大帝国マグナウェル侯爵家ショーン様付きの従者兼護衛のチューダと申します。

 こちらはマグナウェル侯爵家御三男のショーン・マグナウェル様です」


「よろしく」



 アジルバから紹介を受けた俺は少しだけ顔を笑みにして短く答える。

 テラビータと名乗った男は少しの間、俺をジッと見つめていたが、俺が挙動不審でないことに納得がいったようで、僅かに首を縦に振った後にこちらに話し掛ける。



「シグマ大帝国のマグナウェル侯爵家とはあまり聞きませんが……失礼ですが、シグマのどこからやって来られたのでしょうか?」


「ご存知ないのも致し方ないことかと。

 マグナウェル侯爵家はシグマの東部地域辺境の振興貴族家でありまして……バルトの国民で存じ上げてる方は少ないかもしれませんね」


「なるほど、辺境のねえ……いや、失礼。

 差し支えなければ、何か身分を示すものを拝見したいのですが?」


「分かりました。 …………これが私めの身分証にございます。

 ショーン坊っちゃま、身分証をお願い出来ますか?」


「ん」



 短く答えながらアジルバの言う通りに偽の身分証を提示する。

 テラビータは交互に2つの身分証を確認すると、得心がいったのか僅かに笑みを込めて話し出す。



「失礼しました。

 何分、最近は官吏が身分を偽って近付いて来ることもありますので……それでは、中へご案内します。

 ソルニック男爵様のご紹介ということはお目当てでいらっしゃったということでよろしいのでしょうか?」


「そうだ。

 最近、シグマ国内でも厳しくなってきてな。

 ここなら飼えると聞いて来たのだ。 もちろん、飼えるよな?」


「はい。 ここでは何ですので、取り敢えず中へどうぞ」


「うむ」



 テラビータの先導で俺とアジルバは建物の中へと向かう。

 荷物の積み下ろしを行う屈強な男達の脇を抜けて奥へと歩を進める。


 奥の壁際には鋼鉄で作られた一枚板の大きな扉があり、テラビータが扉横の丸いボタンを押すとドアの上部にある窓の板が左にスライドし、中からこちらを見つめる2つの目が覗く。



「私だ。 扉を開けろ」


 テラビータがそう言うと、扉がこちらから見て右側にスライドする。

 開いた扉の先には明るい板張りの廊下が一直線に続いており、扉の出入り口付近には先程こちらを見定めていた男を含めて冒険者の格好をした背の高い屈強な男が3人控えていた。



「さあ、どうぞこちらへ。 私の後に付いて来てください」


「はい。 さあ、坊っちゃま。 こちらへ」


「うむ」



 彼に促されるまま、俺とアジルバはとうとうデリフェル商会内部への潜入に成功したのだった。

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