閑 話 最期
一年ほど前から[デリフェル商会]に雇われている二級冒険者の『チャック」はその日、唐突に人生の終焉が訪れることとなった。
彼は商会の建物裏手の奴隷搬入用の出入り口とその脇にある通用口の警備を担当していたが、警備とは言ってもこの商会に喧嘩を売るようなゴロツキや盗賊は皆無で、偶にモグリのチンピラがみかじめ料目当てに脅しに来る程度だ。
少なくともこの商会の警備を任されている雇われの傭兵や冒険者達にとって、恐れるに足らない相手であるので追い払う程度で済む場合が多い。
それでも逆らう輩は“誠意溢れる話し合い”で最終的に解決するが、それでも済まない場合は近くの路地裏で永遠に冷たくなってもらうか、一生見つからない行方不明者になる場合が多い。
因みに、雇われている者達の前歴は様々で冒険者や傭兵にどこぞの没落した元騎士や元軍人がなどが多く、逆に元犯罪者や盗賊などは少数派だ。表向きは魔王領から仕入れた穀物や香辛料、反物などを商っている商会だが雇われている者達の人相を見てもこのデリフェル商会がただの商会であるはずがない。
この商会の本業は奴隷の売買、即ち人身売買である。
今日も売れ残り間近と言われていた淫魔族の奴隷が売れたとかで、大番頭の『テラビータ』が上機嫌に鼻歌交じりで通路を歩いているのを見た。
「あ~あ! あの淫魔は“処分”にはならなかったか……
っかぁー! 残念だなあっ、オイ!」
チャックと一緒に裏手通用門の警備担当の傭兵出身の『ディック』が酒を飲みつつ、今日売れていった奴隷に対して文句を垂れながら残念がっている。そろそろ昼飯時といった時間帯に彼は一足先に持参してきた弁当を広げて酒を飲み、隣の元騎士で剣客の『ガスク』と話し込んでいた。
「そう言うな。
奴隷が売れれば商会は潤い、我々にも報酬として還元されるのだから悪い話ではあるまい?」
「分かってねえな、旦那は!
あれだけの女をタダで抱ける機会が来ると思っていたのによぉ……誰だよ、あの女を買って行った奴は!?」
ディックが悪態をついているが、横にいるガスクは特に反応することなく黙ったままだ。
デリフェル商会では雇われている男達の福利厚生の一環として売れ残った女を払い下げることが偶にあるが、これは男だけの商会においてある程度の鬱憤や欲望を解消してやるためと、街で娼婦などにうつつを抜かさないようにするための措置だった。
意外なことだが、このデリフェル商会には敵が多い。
同業他社である奴隷商の他に治安機関である[バルト国軍警務隊]やこの辺りを縄張りにする規模の大きい盗賊集団、果ては商会を手中に収めようと画策する貴族達などなど。
こういった連中は商会の者達が男だけで構成されていることに目を付けて、女を使って工作を仕掛けようとする。具体的に言えば、娼婦や女冒険者を使って商会内部の情報を集めたり、寝返るように工作を施すのだ。
そういった裏工作を防止するためにも定期的に女を宛がう必要があるため、『処分』という名目で売れ残った奴隷を雇われている男どもに払い下げることがあるのだが、売れ残りとはいえ、そこは貴族にも売ることを考慮して仕入れた奴隷達。
容姿は美しく生娘ということもあり、そこら辺に転がっている娼婦や女冒険者などとは比べ物にならないほどの美しさと価値を持っている。
しかも、タダ同然で好きに抱けるのだ。
男というのは悲しい生物で、そんなコトがあると思えばどんなことがあっても我慢する野郎が多い。
だが、商会の者ならば誰でも彼でも売れ残りの奴隷を抱かせてくれるというわけではなく、娼館や外の女と噂がある者は候補から除外される。
「まあ、次に期待するしかねえかあ……」
そう言いながら少しだけ元気なく呟くディック。
ここで「今日の夜辺り娼館にでも行くかあ」と言わないのは、ある意味で報酬に忠実な傭兵ならではとも言えるだろう。
まあ確かに、あの淫魔を犯せなくなったことは正直がっかりではある。
娼館であれば貴族でもないと相手をさせてくれない上物の女をタダで犯せる機会を逸したのだ。
チャックは複数の男に輪姦されているのを見ておっ勃つ変態だったが、この商会ではむしろ“普通”へ分類されていた。
本当かどうかわからないが、先程買われて行ったという淫魔を抱けないことに対して嘆いていたディックは女の顔を殴りながら犯すのが趣味で、隣のガスクは幼女を切り刻みながら犯すのが好きという噂を聞いたことがある。
商会の大番頭のテラビータは女の首を絞めながら犯るのが好きで、何度か女を窒息死させた経験があると仲間内で噂が立ったこともある。ある意味、自分達の欲望を娼館や普通の女では満たせない犯罪者紛いの野郎どもが集まっているのがデリフェル商会だった。
チャックはディックが静かになったのを見計らって、今朝ここに出勤する途中で購入していたパンとチーズを包んでいた風呂敷を解いて机の上に広げる。
飯を食う時くらいはせめて静かに食べたいというのが彼の信条であり、ディックが静かになるまで待っていたのだ。それは剣客のガスクも同じらしく、チャックの行動に合わせるようにどこかで購入して来たらしい弁当を机の上に置く。
警備という仕事の性格上、普通は交代で食事を摂るべきまのだが、通用門の警備と言っても外に出て立番に徹するわけではなく、基本的に建物の中にある扉横の控室で待機して来客があれば上役に取り次ぐのが主な業務なので、それで言えば通用門の警備はチャックや一緒にいるディックやガスクらにとっては適当に時間を潰すなどして飯を食うだけの楽な仕事の筈だった。
しかし彼らは忘れていた。
この代わり映えしない仕事が日常となって久しいがために仕方がないことかもしれないが、万が一襲撃などがあった場合、彼らがいの一番に危険に晒されるということを……
――――“ゴンッ! ゴンッ!”
と、鋼鉄で作られた分厚く重い扉を叩く音が聞こえ、扉脇に存在する待機室に詰めている三人の内、比較的扉の近くで酒精の弱い酒を飲んでいたディックが不機嫌そうに立ち上がり扉へと向かう。
「ああん!?」
チャック達二人が見守る中、ディックが不機嫌そうに扉に備え付けられている覗き窓の蓋を開けて外を見ると直ぐ近くに女の顔が見える。外から物を差し入れることも考慮して幅広に作られている覗き窓から見えたのは、目の色から見て魔族と思われる女が外を見ているディックに向かって扇情的な笑みを浮かべている光景だった。
「あ?」
「どうしたんだ?」
怪訝そうに外を見ていたディックに対してすぐ傍に控えている二人の内、チャックが声を掛ける。
「いや、女がいるんだよ。 それもすげえ上物の女が……」
「はあ?」
チャックは一瞬、ディックが言っている意味が分からなかった。
この商会に女が来ることなど奴隷以外では有り得ないことだ。
偶に男娼向けの少年を仕入れたときに貴族のご夫人辺りが来ることもあったが、『すげえ上物の女』に当て嵌まる女など終ぞ見たことなかった。
「ここは商売女が来るところじゃねえぞ。 何しに来た?」
『あら、そうなの?
おかしいわねえ、確かテラビータとかいう男の人に呼ばれて来たのだけれど……良かったら、呼ばれた経緯を説明するから、扉を開けてくれないかしら?』
追っ払おうとしたディックの声に答えた女の声を聞いた瞬間、脳髄まで痺れるような感覚が走る。それはチャックだけではなく、女と直接向かい合っているディックや様子を見守っていたガスクも一緒だったようで、二人揃ってゴクリと唾を飲む音が聞こえてきた。
もし、これが市井の何処にでもいる普通の男だったなら、完全に油断して相手の身分も確認せず即座に扉を開けていただろうが、ここに居るのはそれなりに修羅場を潜った経験がある者ばかりだ。なので幸いにもそんな初歩的にして致命的な失態を犯すようなことにはならなかった。
「テラビータさんが女を?
ふむ……直ぐに確認して来るから、そこで待ってな。
確認が取れたら扉を開けてやるよ」
『それはしなくていいわ。 扉は“こちらで勝手に開ける”から』
「あが……ッ!?」
そして鼻っ柱を掴まれたディックはそのまま扉へと引き寄せられ、扉に縫い留められるにして女の手に捕らえられる。
どんな力が働いているのか想像もつかないが、男の手とは違って嫋やかとも言える女の手は傍から見ても力が込められているようには見えないのに、傭兵であるディックがその手から逃れようとどんなに抵抗してもビクともしないでいた。
「グギギギギギギ…………ッ!!??」
呻き声を出しながら必死に抵抗するディックを他所に、突然のことに驚いて一部始終をポカンとした表情で見ていたチャックとガスクらを前に次の瞬間、あり得ない光景が出現する。
「うぼっ!?」
突如として“ガギィンッ!!”という鉄の扉に何か硬いものが叩きつけられるような音が響いた直後、扉に縫い留められたようにして身動きが取れなかったディックの腰辺りから一振りの剣が生えていた。
「なっ!?」
それを見たチャックは驚きのあまりまともに声が出せずにいた。
鉄の扉ごと……そしてディックが着用し、普段から頑丈だと自慢していた甲虫の鎧ごとその持ち主を貫いた剣は、よく見ると彼の肝臓付近を刺し貫いており、貫かれた箇所からは大量の血が溢れ出して板張りの床を汚し始めているではないか。
未だに刺し貫かれたままのディックは“ビクンッ! ビクンッ!”と痙攣を始めており、医者でも治癒魔法士でもない素人のチャックから見ても彼がもう既に『ダメ』だと判断できた。
――――剣が分厚い鉄の扉を貫通できるなど普通の常識ではあり得ない
チャックは「扉の外に得体の知れない何かがいるのではないか?」という得体の知れない恐怖で身体が凍りついて咄嗟に動くことが出来ないでいた。
「くそっ!!」
経験の差かそれとも元騎士だったという身分がそうさせたのか、チャックが正気に戻るよりも早く立ち直ったガスクが愛剣を抜剣しながら刺された同僚を救わんとして扉に近付く。
彼の行動が扉越しに見えたのかガスクが扉に近寄るよりも早く、ディックを貫いていた剣が逃げるようにして扉の外へと引き戻されて行った。
「待て!」
“ギギギギーーーーッ!!”という硬い金属同士が擦れる不快な音を立てながら扉の外へと引き戻されて行った剣が見えなくなると、支えを失ったディックの体が“ドサッ!”と音を立てて床に倒れ伏す。
無駄だと思いながらも扉の前の床に広がっていく血の海に沈む彼の安否を確認していたガスクは、未だに黙ってこの状況を見ていたチャックに苛立った様子で指示を飛ばそうとするが、このときガスクは目の前の惨状に気を取られて周囲の状況を確認するのをすっかり忘れていた。
覗き窓を利用して扉の前で同僚の容態を確認している彼を、外からジッと見つめている“赤金色”の目があることを……
「おい! 何を呆けている!?
敵襲だ!! 早くテラビータ様にこの事態を報…………」
ガスクは此の期に及んでもまだ動けずにいるチャックに最後まで指示を飛ばすことは叶わなかった。
突如“ドガンッ!!”という、まるで大型の馬車が城の城壁にぶち当たるような轟音が響いた瞬間、若干『くの字』に折れ曲がった鉄の扉がガスク目掛けて物凄い速度で飛翔し、彼を押し出すように通路の奥へと連れて行ってしまったのだ。
扉と一緒に飛ばされて行ったガスクは通路の突き当たりにある石壁と吹き飛んで来た扉に挟まれて一瞬のうちに押し潰されてしまう。教会や時計台に設置されている大きな鐘が鳴るときのような“ゴーン!!”という衝撃音が通路に響くと同時に、卵が割れる音を大きくしたような“グシャッ!!”という音がチャックの耳を打つ。
叫び声すら碌に出すことも叶わずに吹き飛んで行ったガスクの軌跡を追うように恐る恐る震えながら通路の奥を見ると、石壁にめり込むようにして変形した鉄の扉と壁の境目にはそれぞれ金属の鎧を装着していた二本の腕と足が見える。
力無くダラリと垂れ下がった腕や足からは血が少しづつポタポタとゆっくり滴り、鎧はひしゃげて熱で炙られた飴細工のようにグニャリと変形していた。
「ひっ!?」
このときチャックは一目散に逃げ出して自分の上役やテラビータにこの事態を報告するべきだった。何故なら扉が通路の奥へと吹き飛んで行ったということは今、商会の裏手通用口は完全に無防備の状態だったからだ。
「ご、あ……!?」
扉が本来存在していたところに気配を感じて振り返ると、直後に自分の下腹部に熱を感じた。
何かと思い、視線を下に向けるとそこには己の腹に剣が突き刺さっているのを彼は目の当たりにする。
「あ、ああ……ああああああっ…………!?」
無意識の内に自分の腹に刺さっている剣を手で引き抜こうとするが、思うように腕に力が入らない。
それどころか足が震え始めて体がフラつき、季節は冬だというのにそれ以上の寒さを感じる。
「ぐ、ぐぎぎぎ……!」
寒さのためか顎が震えて上下の歯がガチガチと打ち鳴らされるのを煩わしく感じながら、チャックは必死に顔を正面に向ける。
――――恐らく自分はここで死ぬ
腹に剣が刺さっているのだ。
足には何か温かいものがズボンを濡らしている感触があるが、これは自分の腹から流れ出している血なのだろう。
この状況では今から自力で近くの教会に駆け込むこともできないし、そもそもここは街の外れにあるのだ。治癒魔法が使える司祭が常駐する街中心部の教会まで辿り着くのに徒歩で三十分くらい掛かる。
仮にここから教会へ向かっても途中で野垂れ死ぬだけだろう。
というか、自分達を襲った相手がこちらをみすみす見逃すとは考え難いので、ならば最後に己に引導を渡しに来た悪魔の顔を見てから死んでやろうと思い、チャックは必死に正面を見た。
どんな厳つい野郎なのか?
国軍警務隊かどこかの貴族に雇われた傭兵か?
それとも自分と同じ冒険者なのだろうか?
「あ…………」
そう思いながら正面を向いたチャックの目に映ったのは、今まで見たこともないほどに美しい妙齢の女だった。
赤金色の瞳と薄い紫色の髪に白い肌、血のように紅い濡れた唇にどんな娼婦をも凌駕する妖艶な雰囲気で、どうやら自分を地獄へと迎えに来たのは死神でも悪魔でもなく天使、それもこれから死ぬのを後悔させるほどの美しい堕天使だ。
「き、綺麗……だ……な…………」
その言葉を最後にチャックの視界は暗転する。
目は見えなくなったが、薄れ行く意識の中で自分の腹から剣が引き抜かれて支えを失った己の体が床に倒れ込む感じが伝わって来た。
「中の様子はどう? アゼレア」
「一人生きている奴がいたけれど、無力化したから問題ないわ」
「そう。 じゃあ、出入り口周辺は大丈夫?」
「ええ」
「ということらしいので、入りましょうか」
「そ、そうですね……!
わ……我々が先に中へ入らせて貰って、エノモト殿とクローチェ大尉殿は我々の援護を受け持って貰えますか?」
「了解しました」
「孝司の援護は私が受け持つわ。 では、突入!」
耳に入ってきた堕天使の言葉を最後にチャックの意識は永遠に戻ることはなかった。
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