第12話 邂逅

“ピイィーーーー! ピイィーーーー! ピイィーーーー!”



 夜の帝都に警笛がそこかしこで響き渡り、男たちの怒号と足音がこだまする。

 さながら時代劇ドラマに出てくる町方の捕り物のようだった。



「はあ、はあ、はあ、はあ…… ッハアァ~!」



(くそっ!! どこもかしこも封鎖と検問で逃げ道が見つからない!

 マジで、俺を捕まえようとしていやがる!)



 俺はかれこれ15分ほど、このシグマ大帝国の帝都ベルサの路地裏を走り回っている。

 暗闇の中から突如襲い掛かってきた大きな黒い犬のような獣を撃ち殺したあと、銃声と騒ぎを聞きつけて駆け付けてきたと思われるこの国の兵士に追いかけられていた。


 イーシアさんから貰ったモバイル端末の地図アプリを使い、目に付きにくい路地を選んで足を進めているのだが次第に追いつめられているっぽい状況なのだ。今のところ直接追いかけられたり、顔を見られるという事態には陥っていないが、治安部隊の兵士と会敵するのも最早時間の問題だろう。


 小説とかならば、大抵の主人公は魔法を使うことができて眩惑の魔法で追っての目を欺いたり、開錠の魔法で建物の中に入って兵士をやり過ごしたりするのだろうが、生憎と俺にはそんな便利な魔法を使える術が無い。


 一応、この世界にピッキング用のキットをフルセットで持ち込んではいる。

 ホームセンターで働いていたお陰で南京錠やかんぬき錠にシリンダー錠のような一般的に使われている殆どの鍵の構造は知っているし、機械さえあれば合鍵だって作れるのだ。


 しかし、ピッキングに関しては知識も技術もほぼ無いに等しいから、映画のように数秒で開けるにはそれなりの経験を積んで行かなければ不可能である。


 勿論、立ちはだかる兵士に対し実弾を発砲して倒せば強行突破も可能だろう。

 しかし、俺は何も悪いことはしていないし、捜索に駆り出されている兵士も職務で俺を追い掛け回しているだけなのだから、相手を傷つけたり殺したりすることは出来ない。


 

「こんなことなら、AK-74を出したときにKS-23も一緒に準備しておくべきだったよなぁ……」



 欧米の軍や警察で使われている定番の口径12ゲージのショットガンよりも遥かに口径が大きいロシア製の軍用散弾銃『KS-23』ライアットショットガン。


 あの銃に使われている暴徒鎮圧用の非殺傷ゴム弾であれば、鎧を着込んだ兵士でも一発でノックアウトさせることができただろう。


 板金鎧を着ているため、至近距離で発砲しても体には衝撃のみが走って骨折などの怪我を負う心配もないだろうから、追われることも想定してショットガンを準備しておくべきだったことを逃げながら俺は激しく後悔していた。

 


「……ん?」



 3メートル先のT字路を左に曲がろうとしたところ、前方の角から街路灯の光に映し出された人影が見えていることに気付いた俺は呼吸を少なくし、足音を殺して慎重に歩みを進めて建物の陰から手鏡を差し出して向こう側の状況を確認する。


 すると生活用水に使っていると思われる屋根付きの井戸があり、その周りでこの国の兵士が4人ほど立っていた。それぞれ同じデザインの金属鎧を着込み、4人中3人が手に長さ約2メートルほどの槍を持ち腰に剣を一振り携えていて、残りの1人が槍の代わりに丸い楯を持っているが、耳を澄ませてみると4人とも井戸を囲んで何やら話し込んでいるようだ。



「しっかし、一体全体何が起こっているのかね?

 魔王領で内戦が起きて、戦争難民がこの国にも押し寄せて来て大変なのになあ〜」


「ああ、入国審査の連中が難民が流入しているおかげで、入国審査や交易品の検査が煩雑になって大変ってボヤいていたっけな。

 入国を希望する難民が門の外にまで長蛇の列を成しているらしい」


「俺が聞いた話では、魔王領から遠く離れたガーランド王国にも難民が流入してるんだってな?」


「らしいな。

 今の所、魔王領から流入している難民の多くは裕福層が多いから国も受け入れているんだろ?」


「ああ、国境警備隊の話じゃ難民には一般の貴族階級以外に軍閥貴族が多いらしいからな。

 難民が持ってる財産もだが、 基本逃げてくる奴らの殆んどが魔力が高く、政治や経済について知識や経験が豊富な奴も多いからな。

 何とかして自国の軍や経済界に組み込みたいんだろ?」


「魔王領は国家・種族単位で金持ちな国だからなぁ。

 国境付近じゃあ難民を狙って賊が暗躍してるらしいが、難民の魔力が高い上に戦闘能力が高い奴も混じっているから殆んどの場合、返り討ちにあっている。

 だから賊も、魔族の戦争難民に紛れている他国の経済移民を狙わざるを得ない状況らしい」


「確か魔族の殆どはバルトに亡命しているんだってな?」


「一部を除いてそうらしいな。

 バルトは中立国だから相手が魔族であっても種族差別は殆どないらしいし、ギルドの統括本部があるお陰で色んな種族達の坩堝になっているから、居心地が良いんだろうよ」


「この国に来てる難民の中に魔族はいるのか?」


「魔族の内戦と亡命騒ぎに乗じてやって来た他国の経済移民が殆どだよ」


「あー、やだやだ。

 もう少しして春になって収穫の日雇いで懐が温かくなったら、連中はとっとと次の国に移る腹積りだぜ?

 今は大人しいが、その内問題を引き起こして俺たちの仕事は増えるだろうし……経済移民って、本当に碌な奴らじゃねえ!」


「まあ移ろう民って書いて“移民”だからなぁ。

 ある意味、特定の国や国家に帰属しない遊牧民の連中より面倒だよな……」



 こっそり聞き耳を立てて聞いていたところ、どうやら魔族の国で内戦が起きているらしい。

 しかし、この世界で戦争難民や経済難民なんて言葉を聞くとは思わなかった。

 聞いた感じだと、地球の中東周辺で流行っている移民問題とは若干違うみたいだが?



「まあ俺は連中が面倒ごと起こさずにしていれば、仕事が忙しくならんから構わんけどね?

 確か魔族には美人な女魔族が多いんだろう?

 バルトなんかに行かずに、こっちに来れば良いのになあ〜」


「知るかよ。 それより、ちゃんと周りを警戒しろよ」


「なんだよ? 例の事件を気にしているのか?

 そこまでピリピリしなくても大丈夫だよ」


「そうか? 何でも、この付近で例の事件のときに聞こえてたっていう音が確認されたらしいぞ?

 それでも大丈夫って言えるのか?」


「音? 音ってなんだよ?」


「知らないのかよ? なら、優しい俺様が教えてやるとするか。

 昨夜、ミルズの阿呆が誰かに殺されたのは知ってるだろう?」


「おお、その件か」


「あの阿呆が死亡したと思われる時間帯に、現場周辺に住んでいる住人達が雷が連続で轟くような音を聞いているんだよ」


「へぇ~? そんな音が聞こえてたとはねぇ……」


「で、ちょっと前にこの近くの住人から通報があったんだよ。

 “雷のような音が路地裏で何回も響いた”ってな」


「そういう事。

 それで上は、その音を鳴らした人間がミルズをぶっ殺した犯人が立てている音じゃないかと疑っていて、こうやって俺達を巡回と検問に動員したってことだそうだ」


「ああ。 そういや、ミルズの親父さんてたしか……」


「元第四憲兵大隊の隊長で、今は中央憲兵隊第一方面部の本部長殿だ」



 宿の女将さんが言っていた通り、撃ち殺したのは憲兵隊のお偉いさんの息子だったらしい。

 本当に面倒な相手を撃ち殺してしまったことを知った俺は気が重くなってその場に座り込んだ。



「そうだったな。 でも、犯人は不幸だよな。

 ミルズの正体があの通り魔だったとはいえ、殺した相手が悪かったぜ。

 捕まったら、四六時中拷問にかけられて最後は病死扱いになるんじゃないのか?」


「まあ、聞いた限りでは親父さんは怒り心頭らしいから、多分そうなるだろうな……」


(え?

 何、俺ってもしかして詰んでる?

 不本意ながら神様の仲間入りしてチートに近い存在になりながら、死亡確定?)


「確か、ミルズを殺した奴を逮捕したら出世できるんだよな?」


「それはあくまで噂程度の憶測だがな。

 まあ、それでも逮捕したら似たような取り計らいをしてもらうことは可能なんじゃないか?

 実際にミルズを殺った奴をぶっ殺せば、給料上げるとか言っていたらしいぜ?

 第一方面部長殿は」


「なら、話は早いな。 正当防衛ってことで、いつものようにぶっ殺しちまおうぜ!」


(ん? なんだ、いつものようにって……?)


「阿呆、こんなところで言うなよ……  誰が聞いてるかわからないだろう?」


「大丈夫だって。 俺たち憲兵と一般人風情、どっちの言い分が正しいかは上が判断するだろう?

 仮に聞かれていても、他人の会話を記録できる魔道具を普通の人間が持ってることなんてねえよ」


「それはそうだが……」


「ああ~、また犯りてえなあ。 覚えてるか、半年前の」


「ああ、覚えてるとも」


「俺も」


「しっかりと記憶してるさ」


「まさか、俺たちに道案内を頼むとは馬鹿な女だったよなあ。

 いくら敵国ではないとはいえ、俺たちの口車に乗ってのこのこと付いてくるんだからよお」


「確かに、あれは笑えたな。 まあ、自分たちが本物の憲兵だから安心したのかもしれんが……」


「だからって、あれは不用心すぎだろう?

 俺、空き家に行くまでの間に興奮しちまって、股間が濡れ濡れになって臭いでばれないかと冷や冷やものだったぜ」


「おかげで最初は、お前が独り占めして大変だったな。

 お前のせいで女が壊れてしまって、楽しくなかった。

 反応が無くて、温かいだけのただの人形のようだったぞ?」


「すまねえな。 まあ、もうそろそろほとぼりが覚めるころだから、その時は俺は最後でいいぜ?」


「まったくだ。 齢十四とはいえ、上玉の女子を壊した挙句に死体を解体して犬に喰わせるとはな。

 本当なら娼館にでも売れば、多少の小遣いにでもなったというのに……まったく、惜しいことをした」


「けけっ! 反省してるよ」


(…………………………)



 この時、俺は気分が一気に悪くなっていた。

 気分を害したとかそんなものではない。


 最初、話を聞いて怒り心頭になった俺を路地から飛び出させるための作り話かと思ったのだが、鏡越しに憲兵隊員の顔を見たらその顔は醜悪な笑顔になっていて、直感的に話していることが本当なのだと感じ取れた。


 彼らの話ではほとぼりが覚めたらと言っていが、とういうことは憲兵隊で問題になっていたのだろう。

 しかし、中学生くらいの女の子を乱暴し殺した憲兵隊員達を特定できる段階まで進んでいないように思われる。


 ということは、俺がここで見聞きしたことを忘れて彼らに見つからずに逃げおおせた場合、彼らの犠牲になる女の子が再び出てくる可能性が高いことを示している。

 


(これは駄目だ)



 今のところ、鏡で見えている範囲には4人の憲兵隊員以外に伏兵らしき人影も民間人もいないようだ。

 ならば、このまま路地から出て行って彼らを銃撃して射殺し、強行突破を図っても良いだろう。


 彼らを断罪しようという気持ちはない。

 ただ、銃で撃ち殺してもさしたる抵抗が無くなったということだけだ。


 しかし、何か釈然としない。

 心のどこかにわざわざ自身を危険にさらしてまで、彼らを銃で殺す必要があるのかという気持ちがあるのだ。



(ここで、こうやって悩んでいる間にも包囲網は狭くなっているし。

 でも、銃撃で複数の人間を果たして一斉に仕留めることができるのか?)



 半分犯罪者とはいえ、相手は訓練された憲兵である。

 また、井戸とその手前にいる盾を持った兵士それぞれが遮蔽物になり、一番奥にいる兵士に銃弾が届かなかった場合は非常に厄介だ。


 一撃で仕留め損なった場合、体勢を整えて接近戦で応戦してきたり警笛で応援を呼ぶ可能性がある。

 どうにかして全員を井戸から離れさせて、なおかつ自分の身を晒さずに全員を一瞬で完全に撃破できる手段はないものか。


 頭の中にある武器リストから、この状況に最適な武器を探し出そうとするが、果たしてそんな便利な武器があっただろうか?



(ああ〜あった、あった。 ぴったりの兵器が)



 俺は一度路地の奥に引っ込み、ストレージからオリーブグリーンに塗られた四角い発泡スチロール製の箱を取り出した。


 箱は上下を粘着テープでガッチリと固定してあり、それなりに重い。

 大きな音を出さないように注意しながら粘着テープを剥がして、箱の蓋を開ける。


 箱を開けると中には、箱と同じ色のオリーブグリーンに塗られた金属製の円筒状の缶詰めのような物体と、それを差し込むためと思われる筒の半分ほどの長さのプラスチック樹脂で作られている筒状の容器がそれぞれ4つずつ入っている。


 プラスチック製の容器には縦に切り込みがあり、先端にはカセットコンロのボンベの保護キャップのような赤いキャップが付いており、缶詰めのような長い筒状の金属の物体は、片面はフラットだがもう片面は凹んでいて、黒いプラスチック製の接続部品が見えていた。


 日本にいた頃に見たインターネットの動画を思い出しながら、接続部をプラスチック製の容器に差し込み合体させる。プラスチック製の容器の内径と金属の筒の外径がほぼ一緒のため、ちょっと入れ辛いが力を入れてねじ込むと“カポッ”っという音とともに金属の筒が半分ほどまで入り込む。


 試しに金属の筒を引き出そうとするが、プラスチック製の容器に円形のクリップが輪留めとしてきつく巻きつけてあるため、ちょっと固くて引き出しにくい。


 同じ要領で残り3つの金属の筒とプラスチックの容器を合体させる。

 出来上がった4つの筒状の兵器の内、2つを残して箱と一緒にストレージに片付けて先ほどまでいた場所に戻り、もう一度手鏡で確認すると先ほどの憲兵達4人はまだ井戸のところにいるのが確認できた。


 もう一度、伏兵がいないことを確認し、手に持っている筒状の兵器の先端にある赤いキャップをペットボトルの蓋を開ける要領で捻ってキャップを外すと白い突起が姿を現し、先端には細い紐が付いているのでコレを引っ張るとスルスルと出てきて、およそ20センチほど引っ張って紐が抜き終わるか終わらないくらいで“ポフッ!!”という音とともに白い煙が出始める。


 ちなみに紐は、何の抵抗も引っかかりもなく抜き取ることができた。

 俺は路地から自身の身体が露出しないように注意しつつ、いまだ白煙を漂わせている筒をアンダースローの要領で石畳の上を転がって行くようなような感じで憲兵達に向かって投擲する。


 投擲した直後、石畳に筒が当たったと思われる“コンッ”という音が聞こえたのだろう。

 憲兵の誰かが「何だ?」と言った声が聞こえた。


 手鏡で確認すると、憲兵達の少し手前に転がった筒は数秒間小さな白煙を上げていたが、突如“パンッ!!”と火薬が発火する小さな音が聞こえてプラスチックの容器とそれに合体していた金属の筒が分離し、金属の筒の中身が姿を現す。


 分離した容器と外装の筒は吹き飛んで建物の壁に当たり、“パコンッ”と安っぽい音がした。

 姿を現した本体の側面には11個の穴が空いている羽のようなものが付いていて、次の瞬間にはまた火薬が発火する“パンッ!!”という音が鳴ったかと思うと倒れていた筒の中身が地面に対し直立する。


 どうやら側面に備わっていた穴の開いた6枚の羽のようなものが火薬とスプリングの力で放射状に展開し、自立しているようだ。


 そして、自立したと同時に火薬が発火する音が聞こえ、自立している中身の頭頂部の黒い部品が破裂し、4本の細い糸が中身を中心に12時・3時・6時・9時のそれぞれ4つの方向に飛んで行く。糸はここからでは手鏡で見ているため正確な長さはわからないが、目測で2メートル以上は伸びているだろうか?



 憲兵4人は目の前で発生した不可思議な状況をよく理解できずにポカンとしていたが、一人が思い出したかのように3人に目配せをして自立しているソレに向かってゆっくりと近づいていき、先頭の彼を援護するかのように残りの憲兵達も井戸を離れて槍や楯を構えてジリジリと近づいて行った。



「な……なんだアレは?」


「さあ……」


「よくわからんが、オレはあんなもの初めて見たぞ?」


「魔道具か?」



 一様に自立している物体を訝しげに見ながら近付く。



「何だこりゃ? 糸?」



 と、こちらから見て3番目の槍を構えている憲兵が自身の足元の石畳に這っているいる細い糸を発見し、手で持ち上げてみる。


 感触を確認しながら糸が伸びている先を見て、糸の先端が自立している物体に繋がっているのをみた憲兵がそのまま糸をグッと引っ張っているのが見えたため、俺は慌てて手鏡を引っ込めて身を伏せた次の瞬間、角の向こうからもの凄い爆発音が聞こえ、熱風が自分のいる場所までやってきたのである。


 起き上がった俺は手鏡を路地の角から突き出して爆発現場の様子を確認するが、まだ煙が立ち込めているお陰で状況が全く判らないので銃を構えつつ路地から出る。


 爆発音を聞きつけた他の憲兵が来ないうちに、早くここから立ち去るために歩みを進めるが、爆心地の傍を通るとき、俺は自分がやったことを目の当たりにし立ち眩みを起こしそうになった。


 倒れている憲兵の内、爆心地近くにいた憲兵の遺体はボロボロになっており、爆風で槍を持っていた右腕が千切れ飛び、胸甲は大きく凹んで無数の破片が鎧に突き刺さっていて、頭部は被っていた兜ごと何処かに吹き飛んでしまっている。


 彼の直ぐ後ろにいた2人目の憲兵も兜は爆風で飛ばされ、顔面は衝撃波と破片で大きく抉れて顔の判別がつかない有様だ。


 3人目と4人目の憲兵はさすがに体のパーツは吹き飛んではいないが、爆発時に周囲にまき散らされた鋭利な破片で顔面や露出している身体の部分が大きく傷ついている。


 周囲はは爆発時に飛び散った破片と熱風によって左右の建物の窓ガラスは軒並み割れており、外壁には一部焦げた跡がある。他にも肉片と思しき焦げたよくわからいものや飛び散った血液に、爆風で傾いた井戸の屋根などが目について、歩くたびに砕けた石畳の破片を踏む音がやけに大きく聞こえる。



「うわ……! この感触、なんか嫌なものを踏んだ気が……?」



 ゴリっとした感触が足に伝わってきたので、自分の足元を見ると千切れとんだ指を踏んでいたのが目に入って思わず酸っぱいものが食道を逆流して来た。



「うっ……!?」


(あぶねぇ!? 危うく吐くところだった!!)



 足早に爆発現場を離れようと歩いていると、不意に足元から呻き声が聞こえてきので下を見ると、爆心地から一番遠いところで盾を持っていた憲兵が苦しんでいた。


 どうやら持っていた盾で咄嗟に爆風を防ぐことはできたようだが、防ぐのが一瞬遅れたのか首には爆発時に飛んできた破片が突き刺さっているようで止め処なく血が噴き出しており、他にも左目や左頬にも破片が刺さっているのが確認出来た。



「ああっ……! あ〜あうあぁ〜……」



 憲兵は飛んで来た破片が声帯を傷つけているのか上手く声を出せずに呻きつつ、左手で首を抑えて傷付いた右手をこちらに差し伸ばしている。


 果たして、助けを求めているのか、それとも俺を捕まえようとしているのかは分からないが、文字通り血だらけになっている彼は見たところ20代前半の年齢といったところだろうか?

 兜がずれて血に濡れた短い金髪が少僅かに見えている。



「…………ごめんね」



 一言だけ言って謝り、構えていた自動小銃の照準を彼の額に合わせてセミオートで射撃する。

 銃声が1発響き、こちらに伸ばしていた手がコトリと落ちていく。



「ふう……逃げるか」



 若い憲兵を楽にしてあげた俺は足早に虐殺の場となってしまった所から、文字通り逃げた。






 ◇






 数分後、俺は路地から脱出して大通りを歩いていた。

 その後、幸運にも憲兵や他の治安部隊の兵士と発見されることはなかったが、やはりあの爆発のせいか獣を撃ち殺した時以上の警笛がそこかしこで鳴っていたにもかかわらず、不思議と他の憲兵とすれ違うこともなかった。


 

「…………うっ!? おえ〜っ!!」



 歩いているといきなり吐き気が襲いかかってきて、道の脇に思いっきり吐いてしまう。

 しかし、胃に中は空っぽなので出てくるのは少量の胃液のみなので、逆に胃が締まってキツい。



「はあ、はあ……くそっ! やっぱり、きついなあ……」



 予想外の威力に、俺は自分の左手に持っているソレを見て眉間に皺を寄せつつ呟いた。



「コレを使うことで大変なことになることは覚悟していたが、人間がコレで死ぬことが動画と違ってあんなに気持ち悪いことだったとは。

 やっぱり、生で見るのと画面を通して見るのとでは全然違うなあ……」



 そう思うと、手に持っているコレがものすごく重く感じる。



「やっぱ、地雷を使わずに素直に銃で撃ちころしていれば良かったのかねぇ?」



 俺がさっき憲兵4人の殺害に使ったのは、手榴弾のような投擲型の爆発物ではなく対人地雷だ。

 正式名称はPOM-2ポム2散布対人地雷という名前で、1980年代に当時のソビエトで開発された兵器である。


 この対人地雷、設置されると自立しブービートラップ用の糸を張るという驚くべき構造を持つ兵器なのだ。


 ちなみに地雷という兵器は主に地面に埋めておいて、そこを通り掛かった人間や車輌が踏むと爆発し足や車輪を吹き飛ばす恐ろしい兵器なのだが、この兵器は主に『対人地雷』と『対戦車地雷』に大別され、この他に三脚等に載せて、一定の方向のみに破片を飛ばして人や車輌を撃破する『指向性散弾』と言う名前の地雷もある。


 最近は対ヘリコプター地雷なる兵器も登場しているが、地雷と言えば上記の3つを思い浮かべることが多いだろう。


 よくテレビや新聞等で地雷が悪魔の兵器と言われるのは、敵味方問わず殺傷する危険性が高いからであるが、地雷の本当に恐ろしいところはそこではない。


 敵味方問わず殺傷する兵器で言えば化学兵器なども存在しているし、使用する人間次第で兵器は頼もしい味方にも悪魔にもなる。


 地雷の最も恐ろしいところは、設置して長期間放置されてもたいていの場合、起爆装置が生きていることで、特に最近の地雷は一部を除いて腐食や劣化を防ぐ目的で金属製ではなく、非金属製のプラスチックを用いた物、金属探知機や地雷探知機から発見されないように非磁性・消磁処理されたものがある。


 中には、探知機の出す磁気やレーダーに反応して自分から爆発する地雷もあり、一部の特殊なモデルを除けば、地雷は設置が簡便なため何処に設置・埋設したのかが分かりにくく、たとえ味方の地雷であったとしても、設置を担当した者が詳細な記録を取っていなかったり、何らかの理由で死亡したりすると設置場所が直ぐに分からなくなるのだ。


 しかも、設置にはコストや時間はそこまで掛からないが除去しようと思うと、相応のコストや時間に装備、従事する人員の安全確保が必要になる。


 さて、では『散布型地雷』なる兵器とはどのような兵器なのか?


 まず地雷と言えば、土の中に埋められ通りがかった人間や車輌を撃破しようと、ヒッソリと土の中で待ち構えているイメージがあると思う。


 戦争映画などを見ていると、部隊が草原や森の中を行軍している場面で突如爆発が起こり、仲間の兵士が足を吹き飛ばされてそれを見た戦友が生死を確認しようと新たな地雷を警戒しつつ、負傷した仲間に近づこうとする。


 すると、そうこうしているうちに 爆発音を聞きつけた敵がやって来る。

 こんなシーンを見たことがある人もいるだろう。


 事実、このような感じで地雷は埋められ、通り掛かる哀れな被害者を今か今かと待ち受けている場合が多い。


 しかし、地雷を広範囲の地面に多数埋めるとなればそれなりの人員が必要になる上に、味方が自軍の敷設した地雷の餌食にならないように埋設場所を綿密に検討する必要がある。

 そのためか、地雷は攻撃型というよりは防御型の兵器に分類されているのだ。


 侵攻してくる敵の予想進撃路に地雷を設置し、敵の行動を制限したり、味方の撤退を助けるために地雷を使って敵軍の足止めをするなどなど。


 このような使い方をするためにも、あちこちに適当に埋めれば良いというわけではなく、敵軍の予想進路に埋めるということは敵の偵察部隊や偵察機に発見される恐れもあるため、短時間で効率的かつムラなく広範囲に埋める必要がある。


 そのため、各国の軍隊には地雷設置用の専用装備が存在しており、日本の陸上自衛隊だと『83式地雷敷設装置』というトラックや装甲車などで牽引しつつ、自動で各種地雷を地面に埋める装置がある。


 これは地面を一定の深さで掘り返しつつ、その中にベルトコンベアで送られてきた地雷を埋める仕組みだ。

 人間が地雷を埋めるより安全にかつ迅速に地雷を敷設することが可能である。


 しかし、戦況によっては敵軍が予想以上のスピードで侵攻してくる場合もあり、そのような状況では周到に地雷を敷設するのはかなり危険を伴う。


 そこで、素早く敷設できる地雷として登場するのが『散布型地雷』だ。

 この散布型地雷にも『対戦車型』と『対人型』の2種類があり、ヘリコプターやロケットランチャー型の射出装置、大型のロケット兵器などに乗せて主に空中から投下・散布する。


 この場合、地雷は地面の中に埋められるようなことにはならず、地上に露出した形で設置される。

 なら地雷の姿が見えているのだから早々に撤去すればいいと思うかもしれないが、これがそうもいかない理由があるのだ。


 この散布型地雷は地上に露出して設置されて被発見率が高い代わりに、通常の埋設型の地雷と違い様々な仕掛けを持っている。


 例えば地面から離すと爆発、傾けると爆発、人が近づくと爆発して広範囲に破片をばらまくなどなど。

 また散布型の地雷は、全高が人間の膝以下の高さに抑えられている場合が多いため、草むらなどに散布されると直ぐに所在が分からなくなるという特徴がある。


 他にも地雷を埋めにくいジャングルなどの密林に散布型地雷が投下される場合もあり、このような場所に仕掛けられると素人ではまず発見できないだろう。


 では、POM-2散布対人地雷とはどのようにして敵に危害を加えるのか?


 もともと、この地雷はヘリコプターに装備される『VSM-1空中地雷散布装置』、トラックなどの車両に搭載できる多連装ロケットランチャー型の『UMZ地雷散布装置』などにより射出されて、地面の上に露出した状態で設置されるタイプの対人地雷である。


 敷設方法はUMZ地雷散布装置で行う場合は『KPOM-2』という金属製キャニスターにPOM-2地雷が4個収納され、地雷散布装置に装填されたキャニスターが空中へと射出されて、あらかじめ設定された高度に到達するとキャニスターから分離し、地上へ広範囲にばら撒かれる。


 兵士が自分の手で投擲・設置する場合、『BDS』とよばれるプラスチック製のカセットにPOM-2を接続し、カセット先端の紐を引っ張ると火薬の力でカセットに接続された外装の金属筒ごと地雷本体から勢いよく外れ、本体に備えられている6枚の羽が火薬とスプリングの力で瞬時に自動展開し強制的に自立したあと、弾頭部に予め仕込まれている触糸と呼ばれる黄色っぽい細い糸が、これまた火薬の力を使って本体を中心にそれぞれ4つの方向へ約4メートルほど飛ばされて、地雷が活性化する。


 活性化された状態であっても、この触糸はちょっと触れた程度では起爆信管は作動しないが、一定以上の力で引っ張られると安全装置が解除されて即座に起爆、周囲の人間を加害するのだ。


 爆発時の破片の有効殺傷範囲は地雷を中心に直径約16メートル前後と大きく、対人地雷としては一般的な感圧起爆式地雷ように踏んだ本人だけを殺傷するのではなく、触糸に触れた者と周囲にいる人間さえも加害対象として狙いを定めているという凶悪な地雷だ。


 このような仕組みになっているのは理由があり、短期間で広範囲の面積をカバーして敵を撃破するためであるのだが、この触糸は石畳やアスファルトのような舗装された道の上では発見が容易だが、密林や草原などではよほど注意しないと見落としてしまう可能性が高い。

 

 もし、地雷を見た憲兵が不審に思って中々近づいて来なかったり、応援を呼ばれたらかなり危なかった。

 そうなっていた場合、自分自身が自ら仕掛けた地雷の触糸に引っかからないように気を付けながら、戦闘を行わなければならなかったので、かなり苦戦を強いられていた可能性は高い。

 

「さて、今どこにいるんだっけ?

 もうすっかり陽も落ちているし、雪がちらつき始めているから早めに宿に戻らないと凍えてしまうぞ


 ダッフルコートのポケットからモバイル端末を取り出して地図アプリで確認すると、意外にも宿の近くまで来ていたようで、ここから直線距離で320メートルくらい離れているというルート表示が出ているが、漫画やアニメだとここで気を抜いた途端、予想外のトラブルに巻き込まれるパターンが多いので、警戒を怠らないようにして進んで行った。






 ◇





 

「降雪の勢いが強くなってきたなあ……こりゃあ、早く宿に着かないとまずいな」

 

 黙々と宿に向かって歩いていると、前方に誰か倒れているのが見えた。

 一瞬、凍死した誰かの死体かと思ったが、よく見ると僅かに動いているので生きているようだ。



「やれやれ……酔っ払いか、あれは?」



 確か昨日の夜に憲兵の通り魔に殺されたのは、若い女性の酔っ払いだった。

 地図を見るとここら辺は幾つかの酒場も点在しているそうだから、あれも多分酔い潰れて倒れている飲兵衛か?


 昨日の今日で通り魔もいなくなったから、調子に乗って飲みすぎたのだろう。

 雪が薄っすらと積もってしまっているが、もぞもぞと微妙に動いてるから怪我をしていそうには見えない。



「もし、可愛い女の子だったら、今度こそお持ち帰りしようかなっと!」



 そう思って喜び勇んで倒れている人のところに駆け寄って行く。



 最初はおっさんかとも思ったが、近づいて行くと丸みを帯びた細いシルエットで女性っぽい感じがする。

 これで女の子じゃなく、線の細い男だったら許さないと言いたいところだが、人が倒れているのは間違いないので、念のため声を掛けてみることにした。



「もしもし? 生きてますか〜」


「……………………」



 軽い感じで声を掛けてみるが、反応がない。



(あれ? さっきと違って、動いてないな……もしかして、死んでる?)


「お〜い? もしもし? 生きてるかい」



 仰向けで倒れている誰かさんを抱き起こして雪を払うと、やっぱり女性だった。

 しかもすごい美人で、地球では絶対あり得ない透き通るような薄紫色の髪をボブカットにして薔薇っぽい花をモチーフにした髪飾りをしている。


 年齢は20代前半といったところだろうか?

 雪を払ってあげると青白いツルッツルの肌とドレスが現れたが、肌が青白いのはこの寒さのためだろう。本来はもっと血色が良いと思うのだが、ドレスを着ているのと、この寒さのおかげで体温はかなり冷たい。


 一応、鼻のところに手を置くと息をしているのが確認出来たので、死んではいないようだが意識は無いようで小刻みに震えている。


 それにしても、この寒い中ドレスである。

 黒を基調にしたドレスで所々にレースがあしらわれており、スカートは長くもなく短くもなく、スッキリとした印象のドレスである。


 しかし、何故に胸甲を着けているのだろう?

 それに手を見ると手甲も着けており、傍には細身の剣が落ちている上に革製のロングブーツを履いてるところを見ると、まるでドレスを着て戦闘をしていたかのような印象だ。


 スタイルは胸甲のおかげで分かりにくいが多分巨乳だろう。

 腰は程良くくびれており、若干大きめのお尻にスラッとした長く肉付きの良い脚を持っている。


 身長は地面に倒れているとはいえ高く見えるが、約170センチくらいだろうか?

 ハッキリ言って今すぐむしゃぶりつきたくなる体つきなのだが、その体から何と矢が2本生えているのを見た俺は思わず大きな声を上げてしまった。



「ええっ〜!? おいおいおいおい、おいぃぃーー!?」



 よく見ると矢が刺さっている左肩と右太腿の周辺はベッタリと血に染まっている。

 太い血管を傷付けたのだろうか?

 大量の出血があるのに、彼女が来ている漆黒のドレスのせいで全く分からなかった。



(というか、何故矢どころか血にさえ気付かなかった?)



 もしかして、人や動物を殺したおかげで感覚が狂っているのだろうか?

 焦った俺はポケットからモバイル端末を取り出すが、あることに気づいた。



「と、とりあえず救急車を……って、この世界に救急車なんて無いじゃん!」



 ここは外国でもなければ地球ですらない。

 正真正銘のいせかいなのだ。

 思わずモバイル端末を出してしまった自分が情け無かった。



(どうしよう? どうやって、助けを呼べば……)



「おい、おいアンタ! 返事をしろ!! 自分の名前が分かるか? 喋れるか!?」


「う…………」


(駄目だ)



 一回呻いたきりで、まともな返事が無い。 どうすれば良いのだろう?

 


(ん? 矢ってことは、この女性は襲われたということか?)



 ということは、襲った奴が近くにいるということだ。



「くっ……」



 思わず自動小銃を構えて周囲を警戒する。

 フラッシュライトも点灯し、彼女を襲ったと思われる暴漢やさっきの犬のような獣が血の匂いを嗅ぎつけて、そこまで来ていないか警戒した。



(どうやって助ければ良いんだ?)



 銃を構えながら必死に考える。

 救急車も救命外来も無い世界だ。

 イーシアさんと話したとき、確か治癒魔法があったと聞いたが、ということは病気や怪我を治せるのは、医者ではなく魔導士や魔術士の類だろう。


 ファンタジー物語のアニメや小説では怪我を治すのは教会の神官が定番ではあるが、この世界の神官がこんな暗い時間に訪ねても彼女を治療してくれるのだろうか?


 

(その前に彼女は何者なんだ?)



 考えれば考えるほど、思考がまとまらない。

 ふと周りの建物を見ると、どこも明かりが漏れておらず暗くなっていることに気付いた。



「もしかして……誰もいないのか?」



 そんなことはないだろう。

 もし、誰かいるのなら助けてもらえないか、そうでなくても治療出来る場所を教えてもらえるかもしれない。そう考えた俺はすぐに周囲の建物数軒に対し、手当たり次第で声を掛けて回った。



「すいませーん! 誰か居ませんか!? 女の人が血だらけで表に倒れているんです!

 助けてください! お願いしまーす!!」



 “ドンドン!!”と激しく扉を叩いて大声で呼びかけたが、どの建物も全く反応が返ってこなかった。

 何軒かは中に人が居るような感じがするのだが、全くの無反応である。まさか、さっき無数に響いていた憲兵隊の警笛の影響で、みんな外出を止めて家の鍵を固く閉ざしてしまっているのだろうか?


 こうしている間にも彼女が死に近付いて行っているのが医療のど素人である俺にも肌で分かる。

 どうすれば、どうすればいいんだ?



(ああっ! もう!!)


「ええい! おい、アンタ! 今から宿に戻って人を呼んで来るから、それまで死ぬなよ!?

 いいな!? 絶対に死ぬなよ!!」



 一瞬、彼女が頷いたように見えたが多分錯覚だろう。



「直ぐに戻ってくるから、死ぬなよ!? 頑張るんだぞ!!」



 このとき咄嗟に人を呼んでくるという選択をしたのは、後から思い出してもはっきり言って奇跡だったと思う。下手したらパニックに陥って右往左往した挙句、瀕死の彼女を本当に死なせていた可能性が高かった。


 俺は全速力で宿に戻った。

 誰かに銃を見られるとか憲兵に職質を受けるなど、そんなことは全く考えずに「彼女を助けなければ!」そういう思いで走っていた。


 宿には直ぐに着いた。

 元々、宿に戻る途中の道にあの女性が倒れていたので、そこまで距離が無かったことが幸いしたのだろう。



「よっしゃ、着いたぞ。 ふう〜っ。 よし!」


 一度、深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから宿の扉を開けて中へ入る。

 外と違い、宿の中は明るくて暖かかい。



「あらぁ? お帰りなさい。 追い剝ぎには会わなかったようね?」


「ああ、女将さん。 ただいま、戻りました。

 ええ、おかげさまで生きて帰って来ることが出来ましたよ」


「そのようね。 ところで、夕飯は外で食べて来たの?

 生憎なんだけれど、さっき食事の提供が終わってしまって残り物しか出せないんだけど……」


「お気遣いありがとうございます。 って、それどころじゃないんです!

 実は外に怪我をした女性が倒れていて、今にも死にそうな状態なんですよ!」


「なんですって!? まさか……例の通り魔!?」

 

「いや、違うと思います。 体に矢が2本刺さっていたので。

 じゃなくて! 誰か男の人を呼んでもらえますか!? 

 自分だけじゃ運べないので、手を貸して欲しいんです!」


「分かったわ! 主人と息子を呼んでくるから、待ってて!

 あんたー!? ちょっと、あんたぁー!!」



 女将さんは奥に一旦引っ込んで、旦那さんたちを呼びに行って直ぐに戻って来た。

 寝中だったのだろう。

 パジャマのような寝巻きの上にコートを羽織った旦那さんと若い男性がバタバタと直ぐに出てきた。



「矢が刺さった女の人だって!? どこにいるんだ!?」


「前の通りを左に出て、暫く歩いたところに倒れています!

 左肩と右の太腿にそれぞれ1本ずつ矢が刺さっていて、もの凄い量の血が……」


「わかった! 俺と息子で運ぶから、悪いがお客さんも付いてきてくれるか!」


「はい!」


「おい、親父! これで人運べるか!?」



 そう言って大きな木の板を持って奥から出て来たのは、この旦那さんの息子なのだという。

 親子関係を問い質さずとも顔を見れば、家族であることが直ぐにわかるくらい髪型以外そっくりである。



「ああ、それでいいぞ。 じゃあお客さん、その女の人の所へ案内してくれ!」


「分かりました! こちらです!」



 俺は宿の主人とその息子を伴って、先程の女性の所へ急いで戻った。



「しかし、何だって矢を射られてたのかね? 確か通り魔は死んだ筈なんだろう?

 まさか新手の通り魔なのか!?」



 宿の主人の息子である今年で19歳になる『ゾアフ』君が俺に話し掛ける。

 名前は宿を出る直前にお互いに自己紹介したのだが、聞いたところ彼には『ミッチェル』という2歳年下の妹がいて、昨日宿に着いたときに受付にいた女の子がその妹さんらしい。


 で、前を歩いている宿の主人が『ラーグ』さんという名前で、年齢は52歳。宿で留守番している女将さんが『ルピーア』さんがラーグさんより3歳下とのことだ。


 それはともかく、ゾアフ君が俺に通り魔のことを聞いてきたのはもしかしたら存在するかもしれない新手の通り魔の襲撃を恐れてのことだろう。


 前回出現した憲兵の通り魔は剣を得物にしていたが、今回は矢だ。

 もし本当に彼の言う通り、あの女性を傷付けたのが新手の通り魔や快楽殺人者だった場合、ちょっとばかり厄介な状況である。


 下手をすると、押っ取り刀で救助にやってきた俺達を襲うためにあの女性をわざと生かしていた可能性もあるからだ。


 矢の一番恐ろしいところは銃器と違って、矢を射る時の音がほぼ聞こえない点にある。

 もちろん側に居れば、羽が空気を切る音などが聞こえなくもないが、距離が開けば開くほど射られたほうは音が聞こえない。


 狙撃銃による長距離狙撃のように発射音が後から聞こえるということもなく、気付いたら自分の体に矢が生えているなんてことになりかねないのだが、それならばあの時既に俺の体のどこかに矢が射られていてもおかしくない状況だったと思う。

 だが……



「新手の通り魔かどうかは分かりませんが、私たちが襲撃されて2次被害を出す恐れはないと思いますよ」


「何故、そんなことが言えるんだね?」


「彼女はドレスの上に胸甲を着用して腕に手甲を嵌めて、傍には剣が落ちてました」


「胸甲に手甲? 剣が落ちていただって?」



 こう聞いてきたのはラーグさんだ。



「ええ。 この国の女性は礼服ドレス姿で剣を持つことはありますか?」


「そんなことあるわけ無いだろう?

 にしても、そんな格好をしていたということは……その女性は誰かと闘っていたということかね?」


「さあ? そこまでは分かり兼ねますが。

 ただ、通り魔が他人を襲う場合、抵抗されたり返り討ちに遭うことを恐れて丸腰の人間を選ぶと思うんですよね」


「確かにな。 この前まで起きていた通り魔事件でも被害者達全員が武器を持っていなかった。

 通り魔にしろ、追い剝ぎにしろ、いくら相手が女でも剣で武装してる者を襲うほど間抜けではないか……」


「親父、無駄話も大概にしとけよ。

 あれじゃねえか? あの雪が盛り上がっている部分が例の怪我してるっていう女の所か?」

 

「ああ、そうです。 あれです」



 話している間に俺達はあの女性の元へと戻って来た。

 降雪量が多くなってきたので女性が雪に埋もれてしまっていないか心配だったが、少し雪が積もっているだけのようだ。

 雪をどけ、ゾアフ君が生死を確認すると幸いなことにまだ生きているとのことだった。


 

「こりゃあ、ひでえ。 一体誰がこんな惨いことを……」


「すごく美しい女性だが、これでは折角の美人が台無しだな……」



 ラーグさん親子が口々に女性の状態を見て感想を言うが、確かにこれは惨い。

 しかも、さっき見た時より出血が酷くなっているようだ。

 そして追い討ちを掛けるように雪の降りかたが本格的に吹雪のようになってきた。



「よし! では、ゾアフとタカシさん二人で彼女をその板に載せてくれ。

 私では腰が抜けてしまうからね」


「わかりました。 じゃあゾアフ君は足のほうを持って、俺はこのまま抱き上げるから!

 矢が刺さっているから、慎重に一気に載せるよ?」


「おう! じゃあ、いっせーの!!」


「いち、にの……さんっ!!」



 自分のコートに血が付着するのも御構い無しに、彼女を横抱きにしてゾアフ君と一緒に木の板に載せる。

“ポス!”っという音と共に無事女性を板に載せることに成功し、すぐさまストレージからこっそり出していた厚いウール地の灰色のロングコートで全身を覆う。


「私が先導するから、ゾアフとタカシさんは私を見失わないようについて来てくれ。

 では、行くぞ!」


「おう!」


「はい!」



 板ごと女性を持ち上げると、意外にも軽く感じた。

 もちろんゾアフ君と一緒に持ち上げているということもあるが、イーシアさんに体を弄られる前の状態でなければ、仮に彼女を持ち上げられても体力不足で直ぐに根を上げていたことだろう。



(これはイーシアさんに感謝しないといけないなあ……)



 カンテラを持ったラーグさんの先導のもと宿へと急ぐが、顔に雪が張り付いて来て視界が悪い。

 ゾアフ君が前方で俺が後方に位置して彼女を運んでいるのだが、自分の前半身は雪がこびり付いて黒いダッフルコートが白くなっている。



「前が見えにくいな……」



 コートで多少の寒さは凌いでいるしイーシアさんに体を弄られて環境適応力が向上しているとはいえ、これだけ雪を浴び続けていればさすがに前が見えづらくなる。

 寒くなくとも顔が霜焼けにならないか心配だ。



「もうすぐ着くぞ! 二人とも頑張れ!」


「ところで、この女性はどこの部屋に運ぶんですか?」


「この傷では二階には運べないだろうから、一階の従業員用の仮眠室に運ぶよ。

 ただし、広い食堂で治療してからだ」


「治療って?」


「うちのミッチェルが産婆さんばあさんを呼びに行っているはずだから、産婆さんに傷口の治療と回復をしてもらう」



 産ばあさんって誰なのだろう?


 

「着いたぞ! そのまま食堂に行って、大机の上に板ごと乗せるんだ!」


「おう!」


「了解です!」



 ラーグさんが宿の扉を開けっ放しにしてくれているので、俺とゾアフ君はそのまま宿へと入る。

 宿の中は助けに出る時より暖かくなっており、急いで食堂に入るとそこには女将さんと娘のミッチェルちゃん以外に背の低いお婆さんがいた。

 他にも傭兵のような屈強な男たちが3人と冒険者と思われる女性が2人ほどいるのが確認できる。



「さあ、2人とも! こっちの机に乗せて頂戴っ!」



 女将さんに指示されて女性が乗せられている板をテーブルに乗せる。

 すると、直ぐに女性陣が総出で彼女に駆け寄りコートをどけて雪を払い落とし、濡れた体を布で拭いていき、体を拭き終わると傍らで待機していた例の屈強な3人の男が隣のテーブルに彼女を軽々と移す。



「こりゃあ、ひでぇな……」


「まったくだ。 一体何があったんだ?」



 口々に彼女の状態を見て話し合う男達。

 果たして彼らは何者なのだろうか?



「あの、女将さん……彼らは?」


「ん? ああ! あの人達はうちに宿泊しているお客さん達よ。

 私達が食堂で受け入れの準備してたら、声を掛けられてね?

 話したら、協力してくれるって……」


「そうなんですか……」


(ありがたいなあ)


「そりゃそうとあんた達! 先ずは着替えてきな!

 そのままじゃあ、風邪引いちまうよ!

 こっちの暖炉は使用中だから、向こう受付のところにある暖炉に行って体拭いて温まってきなさいな!

 ほら、アンタも!」



 そう言われて俺とラーグさん親子は一旦食堂を出て、受付の傍にある暖炉の方に行って身体を拭いて着替えをする。怪我をしている女性が気にならないこともなかったが、治癒魔法も使えない自分が行っても足手纏いになると思い、割り切って着替えることにしたのだが、この時は濡れた体を乾かしたい一心だったとはいえ、ラーグ親子の前で思わずストレージを展開してしまった。



「タ、タカシさんは収納魔法が使えるのかい……?」


「すげえ……!」



 2人とも完全にメガテン、いや目が点になっている。



「2人とも凄い驚きようですけど、収納魔法ってそんなに凄いんですか?」


「凄いってもんじゃねえよ、タカシさん!

 収納魔法はごく一部の魔術師しか使えない高位の魔法なんだぜ!?」



「そうとも。

 わたしは宿の経営者として今まで様々な魔法使い達を見てきたが、収納魔法は噂話程度に聞いていただけで、実物を見るのは初めてだよ」


「はあ?」


(やっぱり、そうそう見るものじゃないのか。

 これはストレージを展開するときは周囲を警戒しないといけないな……)



 内心そう思いながら、着替えとタオルを出して体を拭いて着替える。

 2人を見ると毛羽立った布で体を拭いているが、地球のタオルと違って吸湿性はあまり良くないようだ。


 いくら暖炉の前にいるからといって、このままぐずぐずと体を拭いていると体温が下がって風邪を引いてしまうので、ラーグさん親子にもタオルを渡して体を拭いてもらうことにした。

 因みに彼らへ渡したのは、タオルの概念を変えると言われている吸湿性に優れた今治タオルである。



「ほお~? これはイイな」


「柔らけぇのにみるみる水を吸っていくな。 なあ、タカシさん。

 この布オレにくれないか?」


「別にいいよ。

 そのタオルは硬水で洗ってもゴワゴワにならないように作られてる海外輸出仕様だからね」


「ん? ご、ごわごわ?」


「ああ、要するに水で洗ってそのまま乾かしても柔らかいままってことだよ」


「ふ~ん」



 頭や顔を拭いて装備を解き、傍にあった衝立の陰に行って着ていた服や下着を脱いで新しい服に着替える。

 下はさっきまで履いていたものと同じ断熱素材を織り込んだ藍色のジーンズとボクサーパンツに靴下、上は同じ断熱素材のTシャツ、赤を基調にしたフリース素材のチェック柄のシャツにカシミアの黒いVネックのセーターをチョイスした。


 装備はそのまま着けて、ローカットのブーツも濡れていたので同じものをストレージから出して履く。

 女性の血が付いている黒いダッフルコートはあとで洗おうと思っていたのだが、ゾアフ君が欲しがったので何も考えずにそのままあげてしまった。


 「血が付いているけどいいの?」と聞くと、後で綺麗に洗ってから着るのだそうだ。

 新しく出した黒のダッフルコートを着込んで、自動小銃を肩から提げる。

 マガジンが入っていたショルダーバッグは室内では邪魔なのでストレージに片づけ、代わりに予備マガジン2本をコートの左ポケットに、破片手榴弾1個を安全ピンが外れないようにして右ポケットに入れて着替え完了だ。


 そして、着替えが終わって一息ついた俺達3人が食堂に戻って例の女性の元に行くと、そこには息を呑む光景が広がっていた。






 ◇






 扉を開けるとそこは血生臭い光景が広がっていた。

 着替えているときに声が聞こえてこなかったので、もしかしてもう手遅れだったのかと思っていたのだがそうではなく、単にこの宿の防音性が意外に高かったのと、叫けんだ拍子に舌を噛み切らないために女性の口へ猿轡を噛ましていたから大声が聞こえなかっただったのである。


 

「しっかりと押さえているんじゃぞ! もう少しで一本目が抜けるからの!!」


「くそっ! すっげえ力だ! おい、全員で押さえ付けるんだ!

 おれらだけじゃ力が足りねえ!!」


「暴れないで! お願いだから、暴れないで!」


「良いな!? 最後、一気に抜くでな! いっせーの!!」


「んうぅぅーーーーーーーーーーっ!!??」


(えっとぉ……?)


「な、何してるんでしょうね?」


「さあ……」


「むう……」



 俺が聞くと、2人とも呆然とした様子で食堂内で繰り広げられている行為を見ている

 とその時、偶然こちらを振り向いた女性冒険者が俺達に怒鳴り散らした。



「そこ! なに野郎三人で仲良くこっちを見ているのよ!?

 一刻を争うんだから、こっちに来て早く手伝いなさいっ!!」


「はい……」



 言われるままに、もそもそと血だらけのテーブルへ行き、バタつく女性の足を押さえ込む。

 筋力が増しているので抑え込むことに苦は感じないし、スカートの中が見えるのは良いのだが目の前の光景が現実離れしていた。


 全員で彼女を押さえつけている横で多分、『産婆さん』と呼ばれている老婆が中世風の服の上から来ている白い貫頭衣を血で赤く汚しながら、木槌を振り下ろして刺さった矢の尻を垂直に叩いているのが目に入る。


 木槌が振り下ろされる度に“コンコン!”という音が響いているが、よく見ると力任せではなく慎重に矢を叩いているのがわかった。女性は木槌を叩く音が響く度に押さえつけられている頭を振り乱そうとし、体を足を腕を痛みから逃げたい一心で必死に動かそうとする。

 そして……



「ふぃ〜! 漸く、一本目が抜けたねえ……」



 そう言って老婆が隣のテーブルに抜けた矢を静かに置くが、その老婆の皺だらけ手と矢も女性の血で赤く染まっていた。



「さて、じゃあ抜けたとこの処置を開始するよ。

 あんた、よく頑張ったねぇ。 じゃが、未だ道半ばだ。

 今からね、今抜いたところの傷を塞いでから二本目の矢を引き抜くよ。

 いいかい頑張るんだよ!?」


「フーーッ! フーーッ!」



 女性は息を荒くしながらも、一応は頷いた。

 生きていたのは良かったが、今は出血で顔は青白くなり、目の下には疲労で濃いクマができてしまっている上に猿轡を噛み締めすぎて口からは血が滲んでおり、その様子は美人な顔立ちであるだけに余計痛々しい。



「良し! 術を掛けるから、皆んな一旦彼女から離れておくれ」



 そう言われて、彼女を押さえつけていた全員が女性から離れる。

 俺も含めみんなの服は、多かれ少なかれ女性の血で真っ赤に染まっていた。



「じゃあ、術を掛けるよ。

 全ての生命を司る万物の神、エルフィスよ。

 私にその力をお貸しください。

 神の力を行使する私をお赦しください。

 血を肉を傷を病を穢れを洗い流し清め、彼女をお救いください……」



 目の前で繰り広げられる治癒魔法の儀式。

 産まれて初めて見るそれは、神々しかった。


 老婆を中心に床にアニメで見るような幾何学模様の魔法陣が青く浮かび上がってゆっくりと回転し、治癒魔法を行使する老婆自身もぼんやりと白く輝き始め、宿の食堂が高輝度LEDライトなどと比較にならないほどに明るくなる。


 普通ならば目を覆うくらいの光量なのに、全然眩しくない不思議な光が食堂を覆う。

 周りを見ると俺だけではなく、ラーグさん一家に治療を手伝っている5人の男女も老婆を注視しており、暫くすると女性の傷口に変化が起きた。


 矢が抜けたところの傷口がぼんやりと青く光り始めると同時に傷口周辺の血液が消滅し、やがて光が消えていくと傷口がすっかり塞がって綺麗な皮膚だけが残る。肉が裂け、矢を引き抜いた時に出てきていた筋肉の一部も見えておらず、本当に数分前まで矢が刺さっていたとは思えないほどだ。



「これ外科医が見たら、卒倒しそうなほど有り得ない光景なんだろうなぁ……」



 思わず口に出して呟いてしまうが、本当にすごい魔法である。

 アニメだと本当にそれこそ治癒された患部が何にもないように描かれるが、こうやって現実のものとして見ると、凄いを通り越して本当に有り得ないと思ってしまう。


 イーシアさんの話では死人は蘇生できないし、治癒魔法にも幾つかの制約あると聞いていたのだが、それを除いても有り得ない。


 多分、この治癒魔法を修得して地球に戻ったら……世界中から怪我を治して欲しいという患者が引きも切れないほど訪れて来て術者は疲労困憊になり、1週間と持たずに過労死することだろう。



「ふう! じゃあ二本目の矢を抜くよ。

 いいかい、娘さん。 今から、二本目の矢を抜くからね!?

 もう少しだから、頑張るんだよ!

 終わったら、直ぐに治癒魔法を使うからね!?」



 老婆がそう言うと、女性はコクリと頷いて目をきつく閉じる。

 これから襲いかかって来る激痛を覚悟したようだ。


 

「よし、みんなもう少しだけ付き合っておくれ。

 二本目は足のほうだ。

 下手すると、アタシが蹴り飛ばされるからしっかりと押さえつけておくれよ?」



 そう言って、俺を含めてみんなで女性をさっきよりも強く押さえつける。



「じゃあ……いくよ!」



 そう言って血に染まって赤くなった木槌を持った老婆が今一度、女性の顔を見る。

 女性が目を固く閉じて、覚悟を決めている様子を確認した老婆は木槌を小さく振りかぶった。




 


 ◇






 2回目の治療は約20分ほどで終わった。

 しかし、俺にとっては2時間くらい掛かったような気がする。


 多分、女性にとっては永遠というべきくらいの時間だったことだろう。

 その女性は老婆の魔法で強制的に眠らされ、俺を含めて野郎共は全員食堂の外に出されている。


 女性陣が彼女を部屋に移すために体を拭き清めているためだ。

 横を見るとゾアフ君は口をだらしなく開けて受付カウンターの壁にもたれ座り込んで寝ており、食堂の前に他の男性陣は自室に戻っているようだ。


 俺も服がまた血で汚れてしまったので先程まで自室に戻って着替えたり、装備を整えたりしていた。

 服装はついさっきまで着ていたものと同じだが、メインの銃はロシア製AK-74Mからポーランド製のWz63サブマシンガンに切り替えている。

 ストレージからエナジードリンクを出して飲むと、ようやく一息つけた感じがして心が落ち着いた。


 

「それにしても、あの女性は何者なんだろう?」


「あの女は魔族だぜ。 気付かなかったのかい?」


「えっ?」



 座ったまま声が聞こえてきた方向へ顔を向けると、治療に参加していた3人の男性の内の1人が階段から降りて来るところだった。



「わざわざ立たなくていい。 そのまま座ってろよ」


「はあ……?」



 俺が立ち上がろうとするのを制し、彼は座っている俺のところに来て傍に置いてあった木製の椅子を引き寄せて正面に座った。



(あれ? この人確か朝のときに洗面所で歯を磨いていたあの男の人じゃないか?)



 さっきは女性を押さえつけるのに夢中で気付かなかったが、間違いない。



「彼女は魔族なんですか?」


「ああ。 お前さんは見なかったのか? あの女の目を見て」


「すいません。 足を押さえる役だったんで、顔はよく見ていないんです」


「そうか。 なら教えといてやろう、あの女の瞳の色は赤だった。

 人間やエルフ族には、あんな真っ赤な目を持つ奴は絶対にいない。

 これは魔族と他種族との混血にも存在しないものでな。

 人魚族や蛇女族のような魔物系の種族にも、赤い瞳を持つ種族は存在しないんだ」


「へぇ〜、そうなんですか? あれ?

 でも、この宿に泊まりに来る途中に髪の毛が真っ青な女の子と話す機会があったんですが、髪の色とかは関係ないんですか?」


「髪の色は先祖代々の遺伝や魔力の種類で異なるから、あまり関係はないな。

 しかし、瞳の色は別だ。

 人間、エルフ族、魔族を除くその他の種族に多いのは茶色系や青色系、緑色系が多い。

 逆に赤や金、銀色などは魔族にしか見られない色だ。

 しかも、赤い瞳を持つ者はごく一部の高位上級魔族にしか存在しない」


「……え? じゃあ、瞳が赤いっていう彼女は……」


「魔族の王族、いわゆる魔王かその近親者の可能性があるな」


(マジですか?

 俺、最近ファンタジー小説とかで流行りの魔王様系と接触しちゃったってことなのか?

 どうしよう!?)


「あの……大丈夫なんですか?」


「何がだ?」


「いやだって、彼女は危険じゃないですか?

 もし彼女が目を覚ましたら……」



 俺達、この宿ごとバラバラにされたりしないのだろうか?

 俺は思わず右肩に提げている短機関銃のピストルグリップを強く握り締めていた。



「お前さんが考えてるのは良くわかるぞ。

 あれだろ? 俺達が彼女に皆殺しにされないか……だろう?」


「え? ええ、まあ……」


「この大陸では魔族と人間は一緒に暮らしているんだ。

 他の大陸のことは知らないがな……」


「そうなんですか?」


「ああ。 お前さんどうも身なりや言動からして、この大陸の人間っぽくなかったからな。

 あの女が魔族であることを知って驚かないようにと思ってな。 こうして教えに来たんだよ」


「はあ? ありがとうございます」


「まあ、そういうことだ。 お前さん、えーとぉ……」


「ああ、すいません。 自己紹介がまだでしたよね。

 孝司榎本と申します。 日本から来ました。

 どうぞ、お見知りおきを」


「オレはスミスだ。 

 さっき一緒にいた相棒と共に冒険者稼業をやってる。 よろしくな」


「冒険者ですか? 私は今日ギルドで冒険者登録の申請書を出してきたばかりなんですよ。

 もし、私が冒険者になったらそちらが先輩になるということですかね?」


「ほう? そうなのか?

 そりゃあ楽しみだな。

 まあ俺は冒険者って言っても傭兵や護衛専門なんだが、まあよろしくな。 後輩」


「こちらこそ、よろしくお願いします。 先輩」


(やっぱり、荒事専門の人だったのか)



 だが、こうやって話してみると悪い人ではなさそうだ。

 顔は若干厳ついが……



「……何か、変なこと考えてないか?」


「いえいえ。 そんなことありませんよ」


「そうか。

 まあとにかく、あの女が目を覚ました途端襲ってくるってことはないと思うぞ? 多分な……」


「多分ですか?」


「ああ、あの女がどうしてあんな状態になったのかは分からないがな?

 ただ、あれだけ怪我を負っているんだ。

 傷が塞がったとはいえ、流れて行った血は戻って来ねえ。

 暫くは血が不足して歩くのもおぼつかないんじゃないのか?」


「そう言えば傷で思い出したんですが、あの老婆は刺さった矢を引き抜こうとせずに木槌で叩いて押し出していましたよね?

 あれは何か理由があるんですか?」



 これは治療の光景を見てずっと疑問に思っていたことである。

 刺さった矢を引き抜こうとしなかったのが気がかりだったのだ。


 仮やじりに返しが付いていたとして、引き抜くのが困難だから叩いて押し出す。

 これはまあ分からないでもない。


 しかし、それならば刺さりっぱなしの矢を半分くらいまで切断すればもっと早く処置が済んだはずだ。

 何故、矢を切らなかったのか?

 この疑問がずっと引っ掛かっていたのだ。



「それはな、あの矢が魔王軍の『四〇式装毒矢よんまるしきそうどくや』だったからだ」


「ん? なんですか? そう毒矢?」


「ああ、そうだ。 装毒矢。

 魔王軍が開発した恐るべき毒矢さ……」


「うん? ちょっと待ってくださいよ。 毒矢なら、彼女はなぜ死んでいないんですか?

 普通、毒矢ならば刺さったら即死とは言わなくても、傷口から毒が回って死ぬんじゃ……?」


「まあ、あれが普通の毒矢ならばあの女魔族は死んでいただろうな。

 だが、あの矢はそこらへんにあるただの矢じゃねえ」


「と、言うと?」


「あの四〇式装毒矢は刺さった本人よりも、そいつを手当てする仲間を殺すことに重きを置いた矢でな。

 あの矢の中は空洞になっていて、中には素手でちょっと触っただけでも直ぐに死んでしまうような強力な毒が仕込まれているんだ……」


「矢の中にですか?」


「ああ。 どうやっているのかはわからんが、毒液に圧力を掛けて充填されているらしくてな?

 矢を切断したり折ったりすると毒液が勢いよく噴き出して、矢が刺さっている本人はおろか治療をしている周囲の者にも毒液が降りかかって死に至る仕組みになっているのさ。

 ただ、あの毒矢は扱いが難しい武器でな。

 矢を装備している当の魔王軍でも、行軍中や射る時に矢が折れたりして射手や周囲の者が死ぬなどといった取り扱い中の事故が頻発したとかで、現在は一部の精鋭部隊を除いて使用が禁止されているらしい……」


「なるほど……」



 確かに扱いを注意しないと自分の武器で死んでしまうような毒矢だ。

 しかし、矢を射られた相手だけではなく、それを治療しようとする者まで殺害しようと考えるとは、その毒矢を考案した奴は中々の性格である。


 第二次世界大戦中、我らが日本軍は戦闘の際に敵軍の衛生兵や軍医を優先的に狙うようにと狙撃兵や機関銃手に指示していたという話があるが、これは傷付いた敵兵が手当を受けてすぐさま戦場に復帰することを妨害させるためと、戦場のさらに後方へと兵士を後送させる手間を敵軍に強いるためだったと言われている。


 もし、スミスさんが言っていたようにあの毒矢もそれに近い考えを持って設計されているのだとしたら、魔王軍の中にかなりの戦術家がいるのではと推察出来る。



「すいません、ひとつお聞きしたいんですが。

 素人の私が口を挟むべきことではないと思いますが、何で治療をするときに矢を貫通させているんですか?

 そのまま引き抜いても良さそうな感じがしますが?」


「基本的に魔王軍で使用されている矢の鏃は、鋭い返しが付いているんだ。

 しかも、矢を引き抜こうとすると、鏃が矢から分離して体の中に残る構造になっている。

 四〇式装毒矢も同じ構造で、鏃が外れると毒液が出てくるようになっている。

 だから、あの毒矢を安全に除去するためには、あの老婆が行なっていたように木槌で叩いて貫通させて体の外に出すしか方法はないのさ。

 まあ、本人は気が狂うような激痛だったかもしれんがな?

 だが、下手に引き抜くと鏃が矢から外れてしまう。

 そうなるとあとはどうなるかわかるだろう?」


(うーむ、死ぬということですか……)



 しかし、このスミスさんは詳しい。

 やっぱり、冒険者とはいえ傭兵稼業をやっていると武器に詳しくなるのだろうか?



「スミスさんは武器に詳しいようですけど、やっぱり冒険者をしていると自然とそういうこと武器関係にも詳しくなるんですか?」


「ん? いや、詳しいも何も俺は元魔王軍だからな……」


「はあ!?」



 思わず口から出た驚きの声が周囲に響き渡った。






 ◇






(スミスさんが魔王軍にいた?)



 俺は思わず右肩に吊っていたWz63サブマシンガンのスライドの突起を太ももに押し当ててスライドを射撃可能位置まで後退させ、安全装置を左手の親指を動かして解除し、銃を射撃可能状態へと移行させた。


 そして、そのままWz63を構えてスミスさんに狙いをつける。

 まだストックやバーチカルグリップを展開していないが、この手が届きそうな距離ならば狙いを外すことはまずないだろう。


 装填している9mm×18マカロフ弾には、マッシュルーム状のスチールコア鉄芯が内蔵されているので、2枚重ねをした機動隊のジュラルミン製の大楯もぶち抜ける。


 加えて、神様チートパワーで魔法防御も無効化出来るのだから仮にこのスミスさんが上級魔族であったとしても、この距離からフルオートで発射された無数の銃弾を避けることなど、不可能なはずだ。



「おいおい、何だソレは?

 見たことがない武器だが、そんなモノを俺に向けなくても安全だ。

 さっき、『元』って言っただろう?

 それにオレは人間種であって、魔族種ではないぞ」


「そうなんですか?」


(本当に?

 っていうか、人間が魔王軍に入ることなんて出来るのだろうか?)


「本当だとも。 疑うようなら、ギルドで真偽判定の検査を受けてもいい。

 何なら、俺の相棒をここに連れてきて聞いてみるといいぞ?

 まあ仮に、俺が魔族であったとしても、お前さんを襲う理由はないがな……」


「……………………」


「どうする? もし信じられないのなら、この場で俺を殺してみろよ?

 まあそうなったら、お前さんは人間殺しとして一生追われる身になるがな」


「……わかりました。 スミスさんを信じますよ」



 そう言って俺は銃口を下ろした。

 その後も、スミスさんが襲ってくることはなかったので、Wz63からマガジン弾倉を引き抜き、スライドを前進させてマガジンを挿し直して安全装置を元に戻す。



「ふう……信じてもらって良かったぜ。

 ソイツをこっちに向けられてる間、得体の知れない恐怖が襲って来たぞ?

 タカシ、ソイツは一体どういう武器なんだい?」


「これですか? これは『銃』という武器でしてね。

 金属で作られた弾を火薬を使って高速で飛ばして、敵を撃ち殺す物です」


「ん、何だ? じゅう? 玉? カヤク?」


「まあ、細かく説明すると分厚い本になってしまうので、後で詳しく説明しますよ」


「そうか」


「ところでさっき元魔王軍と言っていましたが、もしかしてさっきの産婆さんがやっていた矢の除去方法は……」



 俺はスミスさんが銃に興味を示す前に話題を変えるように喋りかけた。



「ああ、オレの指示だ。

 あの婆さんがいきなり鋸で矢を切ろうとしていたから、慌てて止めたぜ……」



 その場面を思い出したのか、スミスさんは若干青ざめた表情でその時のことを語る。



「でもよく、あの矢が毒矢だって気付きましたね?」


「ああ。 四〇式装毒矢は中に毒液を充填するために矢の軸が通常の物より若干太くなっていてな。

 魔王軍で使われている他の殆どの型式の矢は羽根が白いのに対し、アレは紅羽鳥あかばねどりの赤い羽根を使用していてな、誰が見ても一目で見分けられるようになっているんだ」


「そうなんですか。 じゃあ、あの時矢が折れたり切られてたりしていたら……」


「全員あの世行きだ。 あの毒液は揮発性が高いのも特徴でな。

 狭い部屋の中だと揮発した毒霧を吸い込んで室内にいる奴は絶対に死ぬ。

 仮に毒霧を吸い込まなくても、皮膚に付着しただけでも即棺桶行きさ。

 ちなみに毒霧が付着した物品を触っても棺桶行きだ」


「怖っ!」



 ただ単に毒液を周囲にばら撒くだけでは飽き足らず、毒ガスも発生させるなどジュネーブ条約なんか糞食らえと言わんばかりの正真正銘の化学兵器である。しかも、毒ガスが皮膚に曝露したら死亡するということは、神経剤や糜爛びらん剤系のガスである疑いが残る。



(誰だよ!? そんな物騒な毒矢と毒液を考えた阿呆は!?)


「それにしても、あの女性がここに運ばれて来るまでの間、よく毒矢が折れませんでしたね」


「オレもそれは思った。

 毒矢とはいえ、射る弓は通常のそれと同じやつを使うから、人間が射られてれば身体を貫通して射出口から鏃が顔を出していてもおかしくない筈なんだが、やっぱりそこは魔族なんだろうな。

 矢の先端が刺さっているだけだったのは、流石に驚きだったよ。

 本来ならば、倒れ込んだ時に身体を貫通しているであろう矢の先端が地面に触れて折れてしまい、毒液が噴き出していても不思議ではなかったんだがなあ。

 そうじゃなくてもタカシ達が矢を切ったり引き抜いたりして、四人とも揃って棺桶行きになっても不思議ではなかった。

 本当に奇跡と言っても良いくらい、運が良かったよなぁ〜」



 確かに言われてみると、奇跡のような偶然だ。

 仮に俺があの女性を発見しなかったら、あの女性は死んでいただろうし。

 その後も例の毒矢の所為で、無関係の人間が沢山死んでいたかもしれないのだ。



「言われてみると、その通りですね……」


「だろう? 本当に運が良かったよ」


(神様パワーってやつなのかねぇ……?)



 一瞬だけ、脳裏に美しいけれど下ネタが大好きな神様の顔が浮かんだが……俺は即座に打ち消した。



「ところで、スミスさんは元魔王軍って言ってましたが、魔王軍は人間も軍に入ることが許されているんですか?」



 これは正直、不思議に思う。

 ファンタジーでは魔族の軍に人間は入れず、常に人間と対峙している場合が多く、時折魔王の側近や魔族の軍に人間が仲間として入っている場合があるが、大抵の場合魔法で洗脳されていたり、迫害されて人類を恨んでいるとかそんな碌でもない理由が多いのだが?


 

「オレは元々、バルトの生まれでな。

 親が二人とも揃いも揃って冒険者稼業をやっていたんだ。

 そうなると自然と親の背中を見て育つから、物心ついた時には冒険者を志すようになっていたよ。

 まあ、両親は冒険者ではなくギルドの職員として栄達して欲しかったようだがな?」


「はあ?

 しかし、冒険者と魔王軍がどう関係するんですか?」


「魔王領は名前の通り、魔族の王である魔王を長に据えた国だ。

 一昔前は領民の殆どは魔族だったが、最近は人間も暮らしているんだ。

 魔族は基本的に不老長寿の種族が多いから、子供が出来難い。

 長い目で見ると、魔王領の領民の数は増えないから税収も減るし、戦争になった時に数で勝る人間種の国々に押される可能性もあるからってことで、少し前に人間種も領民になれるように政策が変わったんだ」


「はあ……?」


「で、ただ単に人間種が領民になれるってだけじゃ、魔族を怖がって誰も来ないから魔王領は領民になった者には税を五年間免除するということと、子供の教育支援をするっていう項目を付け加えたんだ。

 勿論、魔王領に向こう十年は住み続けるっていう約束付きだがな?

 それで、親は餓鬼だったオレを連れて魔王領に移住したってわけさ。

 そのあと両親は冒険者稼業から足を洗って、冒険者時代の経験と伝手を使って商売を始めたよ」


「へえ。 因みに、御両親はどんな商売をされているんですか?」


「魔王領産の陶磁器の販売さ。

 魔王領は陶磁器と刃物の一大生産地でな。

 刃物は昔から有名だったんだが、陶磁器は出来は良いのにまだまだ無名に近い状態だったんだ」


(ほう? 刃物と陶磁器とは、まるで日本のような国だなぁ……)


「魔族はその大半が長寿命の種族だ。

 だから職人芸と言われる技術の習熟度は、人間種のそれとは比べ物にならないほど高度だ。

 なんせ百年単位で物作りをしているんだからな」


「確かにそれは凄いですね」


「だろう?

 人間種の国の貴族達の中には、そういった職人にぞっこんになっているって奴も少なくない」


(まあ、そういう変わり者の貴族達がいてもおかしくはないわなぁ……)



 日本の職人でさえ、あれだけの技術を持っている人がいるのだから、それと同じような技術を100年、200年と磨いている魔族の職人の腕は確かに凄いだろうと思う。



(多分、現代日本の職人から見ても達人を通り越して『神』と言っても差し支えないような職人がいるんだろうなあ……)


「陶磁器も一緒でな? ただ、刃物は刀剣類で各国の軍に輸出されたり、当時の傭兵や冒険者達がこぞって購入していたからとっくに有名になっていたんだが、陶磁器は魔王領が人間種を大々的に受け入れるようになって有名になったんだ。

 その時、うちの親はその流れに乗って冒険者時代に築いた各国の商人と連絡を取り合って陶磁器の輸出を始めたってことさ」


「ご両親は先見の明があったんですね」


「そういうことになるんだろうな今を自分を考えると。

 おかげでオレは学校に行けたし、親の手伝いをしていたおかげで文字の読み書きには困らなかったしな。

 オレはそのまま魔王領で育って、十五歳から魔王軍に入った。

 いや、入らされたと言ったほうがいいな。

 本当は冒険者になりたかったが、親から軍に入るように無理強いされてな。

 いつの間にか冒険者時代のコネまで使って、採用まで決められてたよ……」


「なるほど。 でも何で『元』魔王軍なんですか?

 冒険者をしなくても、軍で食べて行くことは出来たんじゃないですか?」


「魔王軍は当時、人間種の採用には任期制を導入していてな。

 慢性的な兵員不足に悩んでいた魔王軍は積極的に人間種を迎え入れることを考えたんだが、当時、魔王軍の中にいた少なくない数の保守派が『人間種が軍内で数を増して権力を握ると脅威である!』とか何とか言って、国防省側に任期制度の導入を迫ったと当時言われてたっけなあ。

 オレは十年制を選んだが、ほかに五年と十五年制があったと思う。

 任期が切れて魔王軍を辞めた俺は、すぐにギルドに加入して冒険者になったよ。

 聞いたところによると、任期制度は最近廃止されたようだがな。

 魔王軍での軍隊経験のおかげで、さほど苦労せずに冒険者を始められたのは良かったがね?」


「へえ。 魔王軍って聞くと何だか怖いイメージがあるんですが、慢性的な兵員不足って聞くと魔王軍も大変なんだなって思います」



 話を聞くと、何だか魔王軍が自衛隊のような組織に思えてくるのだが、「もしかして魔王軍を作った魔族の中に元自衛官や元大日本帝国軍の転生者とかいないよね?」って思えてしまう。



「まあ、ここ最近はどこの国も働き手不足だから……っと」



 スミスさんが話している途中に食堂の扉が開いて女将さんが出てきた。

 俺はまだ隣で眠りこけているゾアフ君を起こさないようにして立ち上がる。



「ふう。 漸く終わったよ」


「どうです? 彼女の容態は」


「血が抜けとるから、しばらくは安静にしておくのと、とにかく食べて血を作ることかのう」



 女将さんの代わりに例の産婆と呼ばれていた老婆が食堂から出てきて俺の質問に答えた。

 産婆さんもおかみさん達と同様、着替えをしたようで今は血が付いていた白い貫頭衣を脱いで茶色いローブを羽織っている。


 産婆さんは見た感じ、年齢70歳ほどだろうか?

 身長160センチくらいで皺が目立つものの、肉付きも肌の血色も良く腰も曲がっておらず、しっかりした足取りで背中まで伸びている白い髪を首の後ろあたりで紐で結んでいる。


 これでつばの広い帽子に木の杖を持っていれば老獪な魔法使いそのものといった雰囲気で、若かった頃は相当美人だったのではないかと思われる容貌だ。



「じゃあ、彼女はどうするんですか?」


「アタシのところでは預かれないから、多分この宿で面倒を見ることになるね」


「はあ? 連れてきた私が言うのも何ですが、先ほどの治療代や宿代はどうなるんでしょうか?」



 冷静になって考えてみると、彼女は魔族でこの世界は異世界だ。

 多分、ドレスに防具という格好では身分証なんて持ってないだろうし、そもそも彼女がどこの誰かも分からない。


 仮に身元が判明しても、治療代やこの宿の宿泊料金を払ってくれるのか保証がないし、保証できるだけの財力があるのかさえも不明だ。


 それに慌てていたとはいえ、食堂で治療をしたために食堂内の1区画分が血で汚れてしまっている上に、木製のテーブル2つに同じく木製の椅子が3脚ほど血で染まっていた。床も血で染まっているが、木製なのでコンクリートやタイル敷きの床のように拭き取ればそれで終わりというわけにはいかないだろう。



「まあ、アタシの治癒魔法については治療費を払えん者にも施すことがあるから、別に金を貰わなくても問題は無いけどねぇ。

 宿のほうは……どうなんだい?」



 そう言って、産婆さんは女将さんの方に視線を合わせた。



「そうねえ。 でも、助けた人にお金を請求するっていうのはちょっとねえ。

 彼女がどうしてあんなことになっていたのかは気になるけれど、助けなくても良かったのにこっちが勝手に助けたってことになっていた場合が怖いのよね。

 もしそうなら、なおのことお金の話なんて言えないし……」


(うーむ、難しい問題だなぁ……)



 言われてみれば確かに、彼女から見たらこちらは勝手に救った側だ。

 彼女の方から救いを求めてきたわけではない。


 もしかしたら、あのまま死なせてあげたほうが良かったと思われる結果があったとしても不思議ではないのだ。例えば、決闘か何かで名誉の死を遂げる筈だったなどがそれに当たりだろう。


 とりあえずここは、俺が治療費やら宿代にその他諸々の費用を立て替えておいたほうが、お互いに余計な波風を立てずに良いのかもしれない。



「あのー、もし良かったら私が費用をお支払いしても大丈夫ですか?」


「ええっ!? タカシさんがかい?」


「ええ。 元はと言えば、私が彼女を発見したのがきっかけです。

 こう言っては何ですが、例の毒矢であなた方を危険に晒した負い目もありますし……」


「そんな、負い目なんて……」


「それは止めときな、坊や。

 坊やの故郷ではどうなのか知らないが、この国では目の前に傷ついている者がいれば助けるのが普通なんだよ。

 そこに金銭が介在する余地なんて無いよ?」


「でも、そう言っても現実問題として宿代や汚れた食堂の掃除代が発生しているんです。

 もし、仮に彼女が費用を払えなかったらどうなるんです?」


「その時はその時よ。 後ろの彼に聞いたら、彼女は高位の上級魔族なんでしょう?

 殺されなかっただけでも良かったって思うだけよ……」


「そうだねぇ……」



 こりゃあ、いくら話しても堂々巡りだな。

 俺がイメージしていた異世界人と違って、この人達は人が良過ぎる。

 異世界の住人って、もっとお金に厳しいイメージがあったのだが、もしかしたらそこまで心が狭くないのかもしれない。



「とりあえず、ここは私が諸費用をお支払いしますよ。

 スミスさんの言う通りに彼女が高位の魔族なら、後からでも費用を払って貰えそうですし」



 そう言って俺はストレージを展開して例のがま口財布を取り出した。


 

「空間収納魔法……!?」



 後ろでスミスさんが息を呑む気配がしたが、俺は当然という雰囲気で財布を開けてお金を取り出す。

 女将さんも産婆さんも驚いた顔をしているが、構わず女将さん達にお金を渡した。



「すいません。 彼女の費用を立て替えということで、受け取ってくださいね」


「そうかい? 本当にすまないねえ。

 じゃあ、ありがたく受け取っておくよ……って、こんなにかい!?」


「こりゃあ、驚いたねぇ。 むう……!?」」


「こんな額ありえねえよ……」



 なぜ女将さん達が驚いているのか?

 まあ仕方がない、俺が渡したお金は金貨だったからだ。


 女将さんに7枚。

 産婆さんに2枚。

 スミスさんに同じく3枚の金貨をそれぞれ渡した。


 ちなみにこれ、何も金銭感覚がおかしいからではない。

 あのスミスさんから聞いた凶悪な毒矢の除去と治療に対する迷惑料である。

 いくら知らなくて必死だったとはいえ、地球で言えば神経剤や糜爛系の化学兵器に相当する毒矢の除去をさせてしまう結果になったのだ。


 しかも、一歩間違えばこの宿自体が汚染され、他の宿泊客諸共全滅する可能性もあったのだから、これくらいの額を支払わせてもらってもバチは当たらないだろうという判断である。



「……こ、これは本物なのかい?」


「ええ、正真正銘の本物ですよ」


「坊やが坊ちゃんになっちまったねぇ……」


「タカシは何処ぞの貴族かなんかなのか?」


「うーん、貴族ではないんですがね。

 ただ、とあるやんごとなきお方から仕事を請け負うことになって、その際に色々と……ね?」


「なんか聞かないほうが良さそうだな」


「そのほうが私としても助かりますね。

 さっき、スミスさんに向けたヤツが火を噴くなんて事にはしたくないんで……」



 そう言って、スミスさんの目をじっと見る。

 元魔王軍の冒険者はそれだけで分かったのか、無言で微かに首を縦に振った。



「なるほどねぇ。 じゃあ折角だし、坊ちゃんの気が変わらなうちに貰っておくとするよ。

 おかげで、春の収穫期以降も余裕のある生活が出来そうだ」


「そう言っていただると、こちらも助かりますね」


「でも、なんだってうちが七枚も貰うんだい? 一枚でも充分過ぎるのに……」


「ああ、6枚のうち2枚はさっきの治療の時にいた2人組の女性に渡してください。

 彼女達はもう部屋に戻っちゃったんでしょう?」


「ええ。 明日の昼前にはここを出るって言っていたから、多分もう寝てるわね」


「なら、宿を出るときにでも渡しておいてください。

 ただ、絶対に口外しないようにと言っといてもらってもいいですか?」


「分かったわ。 ちゃんと伝えておく」


「お願いします。 残りの5枚は女将さん達にです。

 1人1枚ずつで、ご家族分の4枚と残り1枚は掃除代と汚れた床板や椅子の交換費用ですよ」


「ふう……金貨五枚あればしばらく営業しなくても余裕で食っていけるわ。

 部屋で馬鹿みたいに寝てる旦那が知ったら、別に意味で腰を抜かしそうだよ。

 じゃあ、この金貨は大切に使わせてもらうことにするよ」


「オレの三枚も相棒達と一枚ずつ分けろってことか?」


「そういうことです。 ネコババしないで、ちゃんと分けてくださいよ」


「大丈夫だよ。 そんなことしたら、オレが埋められちまうよ。

 しかし、こりゃあ空から龍の鱗だなぁ」


「なんですそれ?」


「知らないのか? 思いがけないお宝を手に入れたときとかに使う例えだよ」


「へえ」



 棚からぼた餅みたいに、この世界にはこの世界なりの例えが存在するのだろう。

 それにしても、龍の鱗とは不思議な例えだ。

 こういう例えがあるということは、異世界のテンプレ通りに龍の鱗は貴重なのだろう。



「おかげで俺も良い装備を整えることが出来そうだ。

 ありがとうな。 タカシ」


「礼ならいいですよ。 ただ、絶対に口外しないでくださいね?」


「分かってるよ。 俺だってまだ死にたくない」


「ははっ! ところで、彼女はどうします?

 ずうっと、食堂で寝かせておくのは無理でしょう?」


「二階と三階に部屋がそれぞれ一部屋ずつ空いてるから、どちらかに入ってもらうことになるわね」


「じゃあ、食堂や洗面所に近い2階のほうが良いですね。 看病は誰がするんです?」


「あたしか娘がしたほうが良いと思うわ。

 あれだったら、タカシさんにも手伝ってもらえれば助かるけれど?」


「え? 私ですか?」


「そう。 うちの旦那は助兵衛だし、息子もあんな美人を四六時中看病してたんじゃ、おかしくなって仕事に集中出来なさそうだしねえ……」


「ああ。 ただ、私は明日の昼くらいにはギルドに行って冒険者登録の適正試験や説明を受けないといけないのですが……」


「大丈夫よ。 何も付きっきりで看病して欲しいわけじゃないから。

 ただ、あたし達も宿の仕事をほっぽらかしにはできないから、忙しいときに代わりで看病して欲しいの」


「わかりました」


「さてと。

 悪いがオレも明日、ギルドに顔を出すことになっているから寝かせてもらうぜ?

 タカシも試験やら何やらがあるのなら早く寝たほうが良いぞ?」


「あ、はい。 でも、片付けは……」


「大丈夫よ! こっちはこっちで、何とかするから。

 それより、そっちのお客さんが言ったように早く寝なさいな」


「でも、彼女は……」


「彼女は旦那と馬鹿息子に運ばせるから安心しなさい。

 それより寝過ごしちまうよ? いいのかい?」


「どれ、雪も落ち着いてきたし。 アタシも帰るとしようかねぇ」


「大丈夫ですか? こんな暗い中歩いても?」


「大丈夫だよ。 そういえば、坊ちゃん。

 まだ名前をちゃんと聞いてなかったね?」


「孝司榎本です。 よろしくお願いします」


「アタシはヨランダって言うんだ。 よろしくね、坊ちゃん。

 そうそう。 明日ギルドが終わったら、アタシのところに来な。

 ちょっと、 坊ちゃんと話したいことがあるからね」


「はあ? わかりました」


(一体、何を話すんだ?)


「じゃあ、待ってるからね。 ちゃんと、来るんだよ?

 場所は女将に聞きな」


「わかりました。 今日は色々とありがとうございました」


「礼なんていいさ。 困ったときはお互い様さ。 じゃあ、失礼するよ」



 そう言って産婆さんことヨランダさんは帰って行った。



「ふう。 じゃあ女将さん、お言葉に甘えてお先に部屋に戻らせてもらいますね」


「ちゃんと寝るんだよ?」


「はい」



 俺はスミスさんと一緒に階段を登って行く。

 ちなみにスミスさん達の部屋は3階だから、俺の部屋の1つ上の階だ。



「オレ達は朝から行くが、タカシは遅めに宿を出るのか?」


「そうですね。 ゆっくりして、彼女の様子を見てからギルドに行こうと思います」


「そうか。 じゃあ、夕方くらいまで試験があるようならギルドで会えるかもしれないな」


「スミスさんはギルドに何をしに行くんです?」


「オレ達は冬の畑に出没するゴブリンの狩りに行くんだ。

 奴ら冬の森に獲物が少なくなると昼間に人間の畑を荒らして、春に収穫される予定の作物のなんかを掘り返して食べちまうんだ。

 放っておくと、そこの区画の畑が全滅する上に地面が穴ポコだらけになって、作付けが出来なくなっちまう。

 しかも、時折肉を求めて畑の近くに住んでる農家の家を襲って、人間種の子供とかを攫って喰っちまうこともあって危険なんだよ」



 なんだかゴブリンが猪のような存在になっているのが笑える。

 ただ、猪は喰うために子供を攫うような真似はしないから、ゴブリンのほうがかなり凶悪だが……



「3人で行くんですか?」


「いや、今回依頼を受けた田畑の面積が広いから、オレと相棒達のクラン以外に複数のクランが参加する」


「へえ〜」


「おかげで取り分は少なくなるがな。

 だが、お前さんのおかげで装備も調達できるし、馬車の手配も出来るようになったから予定を早めてバルトに行くことにするよ」


「バルトにですか?」


「ああ、今度バルトの統括本部直々に冒険者クランの大規模交流会議あるんだ。

 今までで最大規模のやつがな。

 そこには玄人中の玄人達が多数集まるから、上手くいけば有名どころのクランと仕事が組める。

 そうじゃなくても色んな情報交換もできるし、貴重な装備なんかも手に入れることができる。

 まあ、要するに冒険者のお祭りだな」


「それは楽しそうですね〜!」


「ああ、凄いぞ〜! なんたって、大陸中の冒険者の約半数以上が集まるからなぁ!

 前は伝説中の伝説と言われていた冒険者王が来て盛り上がったし、そうでなくてもドワーフの職人集団が剣や鎧なんかを売りに来るし、移動娼館や物見小屋に素材屋なんかもこの時にがっつり稼ごうと大陸各地から集まって来る」


「へえ〜! そんなに稼げるんですか?」


「ああ。 バルトまでの旅費や人件費とかの諸経費を差し引いても左団扇らしいからな。

 まあ、帰りは野盗なんかの襲撃を警戒しなけりゃいかんが……」


「まあ、そりゃあそうでしょうね」



 交流会議前は金を持ってやって来る冒険者、終了後はたんまり稼いだ商人達を襲えるのだから野盗達も張り切ることだろう。



「そう言えばちょっと小耳に挟んだんですが、勇者認定試験って知ってますか?」


「ああ、知ってるぞ。 冒険者の最高位等級のことだろう?」


「そうです。 で、その勇者認定試験っていつ頃実施されるんですか?」


「確か交流会議と一緒に開催される筈だぞ。

 ただ、あの認定試験は完全非公開だから、交流会議の目玉には全くなっていないがな。

 逆に実技試験が公開されている一級や二級の試験がもっとも注目を集めてるなあ」


「へえ……」


「もしかしてタカシは勇者に興味があるのか?」


「え? いえいえ、ちょっと聞いただけですよ。

 勇者なんて言葉なかなか聞きませんから、気になって……」


「そうか? まあ、冒険者になろうって思っているお前さんにはまだ縁遠い存在だよ。

 いや、それはこのオレも同じか。

 とにかく勇者認定を受けた冒険者なんて、居るだけで貴重な存在だよ。

 交流会議にはそういった連中も来るから、見るだけでも何かしら学ぶところはあるだろうなぁ。

 装備はおろか、身のこなしが違うんだよなあ〜」



 なんだか居るだけでありがたい存在って、それこそ神様みたいだ。

 まあどの業界にも神と崇められる技術者や職人が居るものだが、それと同じなのだろうか?



「そんなに凄いなら是非とも会ってみたいですね。

 まあ、私はギルドに行くのが目下の課題ですが……」


「そう言えばそうだったな。

 じゃあタカシ、オレはもう寝るから。

 お前さんもちゃんと寝るんだぞ?

 まあ、お前さんなら適性試験なんてちょちょいのちょいで終わらせそうだけどな?

 だが油断するなよ?

 適性試験でも、戦闘の実技と生存術の実技はしっかり勉強しないと足下を掬われかねないからな。

 さっき言った二つの試験で不合格になる受験者も多いから気をつけるんだぞ」


「ご忠告ありがとうございます。 気をつけますね」


「おう。 じゃあ、おやすみ。 ちゃんと寝るんだぞ」


「おやすみなさい。 色々とありがとうございました」



 俺とスミスさんは階段の踊り場で別れてそれぞれの部屋に向かう。

 部屋に入るとさすがに寒い。

 廊下はほんのりと暖かかったのに対し、部屋の中は寒いのは1階の暖炉の排気の構造上、廊下は温められても各階の部屋の中までは無理なようだ。



「さみぃ〜!」



 すぐさまストーブを点火して部屋を暖める。

 寝る前にトイレと歯磨きと洗顔をするために1階に降りたが、部屋に戻る時に受付を見たらラーグさんが立っていた。


 ちょっとだけ話をしたら、例の魔族の女性は家族用の仮眠室に寝かせてあるらしい。

 明日、もう一度産婆さんことヨランダさんが来て診察を受けてから、空き部屋に移すらしい。

 因みににこの時、俺を見たラーグさんの反応は……



「ありがとう、ありがとう! 本っ当にありがとう!!

 これでうちは当分は安泰だ! 息子や娘に上等な服や物を買ってやれる!

 タカシさん、本当にありがとう! もし良ければ、今からでももっと良い部屋を用意するよ!」



 という感じだった。

 部屋に関しては、今宿泊中の客が追い出される可能性が高かったので、そのままで良いと言っておいた。


 で、俺はラーグさんの“ありがとう攻撃”から逃げるようにして部屋に戻って行ったが、部屋に戻った時にはストーブの熱で部屋はすっかりと暖かくなっており、1階に降りる前にストレージから出しておいた水缶と大型の薬罐やかんに洗面所の水を入れておいたので、薬罐をストーブの上に置く。


 

(これで部屋の中が乾燥しなくて済む)



 厚いウール生地で作られたパジャマに着替えて戸締りを確認した後、枕元に片付けておいた自動小銃をベッドの傍に置いておく。

 時計を見ると時刻は午前2時を指している。

 


「もうこんな時間かあ……」



 明日の、というか今日の昼にギルドに行く予定になっているから朝飯食べる時間と新しい銃器を出す時間を考えると午前9時くらい起きれば良いだろう。

 そう考えた俺はモバイル端末の目覚まし時計の機能をセットして眠りについた。






 ◇






 異世界の宿に似つかわしくない電子音が響き渡る。

 地球で身についていた習慣で目覚まし時計の機能を止めて、30分ほど二度寝してから目が覚めた。


 

「ふぁぁ。 あ〜、よく寝た……」



 ベッドを降りて寝る直前に出しておいた新しい靴下と冬用のスリッパを履いて、直ぐにストーブの灯油ゲージと薬罐の水量を確認し、水缶から薬罐へ水を補給しておく。


 大型の薬罐を選択しておいたので水の量は半分ほど残っていたが、念のため補給しておこう。

 そしてカーディガンを羽織ってWz63を右肩提げ、左手に洗面用具を持って部屋を出た。


 1階の洗面所で歯磨きと洗顔をしてトイレで用を足したら直ぐに部屋へと戻る。

 部屋に戻ったらストレージから出したミネラルウォーターで水分補給をして着替えを行う。


 靴は昨日と同じ物だが、昨日履いていた靴は休ませる必要がるので別のものを出し、コートは昨日とは変わって黒いPコートを選択してジーンズは濃い藍色のものを履き、上はウール地のシャツに厚手のセーターを着る。


 装備は昨日と同じだが、昨日の反省を踏まえてKS-23ショットガンとRGS-50Mグレネードランチャーを準備しておく。これは非致死性の催涙ガス弾や暴徒鎮圧用のゴム弾などを使用出来る銃器を何時でも使えるようにしておくためである。


 昨日はたまたま対人地雷を使っても後悔しないような相手だったから良かったようなものの、次もそうとは限らない。


 俺は好き好んで人を殺しているわけではないし、敵対する相手を問答無用で殺害して行けば何処でどんな恨みを買うか分かったものではないので、ゴム弾や催涙ガス弾を発射出来るショットガンやグレネードランチャーを何時でも使える状態にしておくことは非常に重要である。


 ちなみにこのKS-23はどのような銃なのか?

この散弾銃は旧ソ連製の口径23mmのポンプアクション式軍用ショットガンで、種類としてはスタンダードなショットガンの外見を持つフルサイズのKS-23の他にショートモデルのKS-23M、ブルパップモデルのKS-23Kがある。


 KS-23はストックとハンドガード以外、殆どの金属部品が鋼鉄で作られており非常に頑丈で重い。

 全長は1メートル超で重さは3.85kgとサイズ的にも大きく、映画に出てくるデカくて力強い迫力満点のショットガンそのものといった佇まいを醸し出している。


 このKS-23というショットガンは、アメリカのレミントンM870やイサカM37、モスバーグM590、イタリアのスパス12やベネリM3スーパー90など、映画にも度々出てくるような有名どころのショットガン達よりもはるかに口径が大きいのが特徴だ。


 通常、軍・警察用ショットガンの口径が約18.1mmの12ゲージなのに対し、KS-23が23mmと言うのだから、このショットガンがいかに大口径であるか分かるだろう。しかもこのショットガン、散弾銃としては珍しいライフルドバレルという銃身内に螺旋状のライフリングが刻まれている。


 因みに一般的なショットガンは、基本的にこのライフリングが刻まれていない。

 アメリカ沿岸警備隊に採用されているレミントンM870ポリスマグナムなど一部の公用ショットガンなどに特注でライフルドバレルが装備されている例はあるが、ショットガンの大部分はスムーズボアと呼ばれるライフリングが施されていない滑空銃身を使用したショットガンが多い。


 また日本の場合、ライフルドバレルを装備した散弾銃はライフル扱いになるので、所持許可は下りない。

 ではなぜKS-23にこんな大口径のライフルドバレルが使用されているのか?

 これはもともとKS-23の製造工程に起因している。


 KS-23の使用用途は欧米の軍・警察用ショットガンと同じように暴徒鎮圧や建物への突入作戦時のドアブリーチング用など治安維持作戦に使用されているのは同じだ。


 しかしながらAKアサルトライフルのように大量に配備されるものではないので、製造時のコストを下げる目的でZU-23対空機関砲の検査不合格品の銃身が転用されている。不合格品と言っても機関砲として不合格ということであって、ショットガン用としては充分使用に耐えれる代物だ。


 そのため、ショットガン用の銃身であるにもかかわらずライフリングが刻まれており、使われている元々の銃身が機関砲用の砲身であるため、肉薄の銃身が比較的多いショットガン達の中にあってKS-23は珍しく非常に肉厚な銃身になっている。


 また、様々な弾種が使用出来るショットガンの例に漏れず、KS-23も実に多様な弾薬を使用出来る。

 特にロシア語で“バリケード”と呼ばれる鋼鉄製の弾丸は非常に強力で、軍用トラックの分厚いスチール製のボディは勿論、エンジンブロックさえも破壊できる威力で、至近距離で人間に撃ち込めば身体が文字通りバラバラになってしまう代物である。


 このような強力な弾丸の命中精度を上げるのにもライフルドバレルは一役買っている。

 今回は“ヴォルナR”いう名前のゴム弾を装填することにした。


 このゴム弾は非致死性の弾丸なのだが、口径の大きい銃から発射されるので至近距離では打ちどころが悪いと相手が死んでしまう可能性があるので注意が必要だ。


 KS-23には3発装填出来るので、例のごとく缶詰から出したゴム弾のショットシェルを3発全弾装填しておくが、口径が大きく使う弾も比例して大きくなり威力が高いのは良いことなのだが、弾薬が大きくなったが故に装填数が低くなっているのが玉に傷なところである。


 ショットガンの用意ができたら、次はRGS-50Mグレネードランチャーだ。

 これは名前に“50”という数字が使われている通り、口径50mmのグレネードランチャーである。


 こちらの銃はKS-23や口径37〜40mmクラスのグレネードランチャーなどと違い、バレル内部にライフリングが無いスムーズボアと呼ばれる滑空銃身で、主に催涙ガス弾や暴徒鎮圧用ゴム弾に照明弾、ロープを繋いだ銛などを撃ち出す目的の銃であるため、攻撃用の弾薬は存在しない。


 脱着式の金属製ストックを本体に接続し、銃身下部に付いている折りたたみ式のバーチカルグリップを展開した。


 この銃の作動機構はハンマーを手で引いてコッキングするタイプで、シングルアクションで撃発する。

 そのためAKアサルトライフルによく似た形の安全レバーを押し下げて、突き出しているハンマーレバーを引く。


 すると“カチャンッ”というハンマーを引き切った音が聞こえる。

 トリガーの直ぐ上に位置する安全装置を90度回転させて解除し、ラバー素材が用いられたピストルグリップを握ってトリガーを引くと、ハンマーが前進して“ガチンッ!”という音が響いた。


 作動に異常がないことを確認し、銃本体上部にある装填レバーを右方向に押すと、閂状のピンで銃身を固定していたロックが外れて銃身がスプリングの力で“チャキンッ!”と跳ね上がる。

 銃身内部に傷や異物が入っていないことを確認して、弾薬を装填するとしよう。


 今回、このRGS-50Mには、予め催涙ガス弾を装填しておく。

 仮にこの国の治安部隊に追われたとしても、ガス弾を使えば安全に逃げられるだろう。

 化学物質に免疫の無い異世界の住人に催涙ガス弾を用いれば、大きな効果が期待出来ると思う。


 新しく出した2丁の銃とWz63をストレージに仕舞い、昨日使ったAK-74Mとマガジンポーチを出して肩に提げて出掛ける準備が整ったことを確認し、ストーブの炎を消して部屋を出る。

 今日は遅めの朝食を摂ったら例の魔族の女性の具合を見てから、そのまま外出することにした。




 


 ◇






 一階に下りて食堂に向かうときに受付で女将さんと会った。

 女将さんから聞いたら、あの魔族の女性は目を覚ましたらしい。


 幸いなことにフラついてはいるものの傷が痛むようなことはないようで、例の毒矢が刺さっていた腕と脚は問題無く動かせたらしい。今はまた眠気が襲って来たらしく眠りについているとのことで、ちなみに起きたときにパニックになるようなことはなく、存外落ち着いていたとのことだ。



「てっきり軽い恐慌状態に陥ると思ってましたが、落ち着いているのなら良かったですね」


「そうね。 昨日の傷の治療のことは覚えていたようで、起きて直ぐに礼を言われたわ。

 ただ、顔色はやっぱり良くないかしら。

 血が沢山流れていたから、次起きたら栄養のつくものを沢山食べてもらわないといけないわね」


「今はまだ1階の部屋にいるんですか?」


「ええ。 流石に昨日の今日で動くこともままならない状態だから、仕方ないわ。

 動けるようになったら、2階の空き部屋に移ってもらおうと思っているけれど……」


「そういえば、彼女が何者かは分かりましたか?」


「名前だけ教えてくれたわ。 彼女の名前は『アゼレア』っていう名前らしいわよ」


「アゼレアですか?」


「そう。 それ以外、どこの誰かは身体に力が戻ったら教えるって」


「ふうむ……」



 女将さんときちんと話しているところを見ると、記憶障害とかにはなっていないようだな。

 しかし、名前はともかく身分を教えないのはどうしてだろう?


 

(誰かに狙われているから、答えたくないのか?

 それとも、人間に対して身分を明かすことに抵抗があるとか?)



 何れにしても謎が多い。

 ただ、目を覚ましたときに女将さん達を襲っていないということは、少なくとも敵対する意思はないということかだと思う。


 本当は美人とは是非お近付きになりたいところだが、寝てしまったのなら仕方がない。

 ギルドから帰ってきたときに彼女が起きていたら、会ってみるとしよう。


 それにしても彼女が人を襲うような真似をしなくて本当に良かった。

 もしこれで誰かが襲われでもしたら、彼女を見つけた自分の立つ瀬が無いところだ。



「じゃあ、私も彼女が起きたときに会ってみるとしましょうか。

 ただ、今日はギルドに行かないといけないので、朝食をいただいたらそのままギルドに行ってきますね」


「分かったわ。 まあ、あの様子じゃ暫くは目が覚めないでしょうから、大丈夫だとは思うけどね」


「そうですね。 あ! そう言えば、スミスさん達は?」


「彼らなら朝早くにギルドに行くって言って出て行ったわ。

 依頼を終わらせるのは夕方くらいだから、帰るのは夜になるって言ってたわよ」


「分かりました。 ありがとうございます」



 そのあと例のヨランダさんの家の場所を女将さんに教えてもらってから、食堂に入って朝食をいただく。今日の朝食は分厚くでかいハムステーキとトルティーヤのようなパンに、コンソメっぽいスープとゆで卵と葉野菜だった。


 今日は朝から腹が減っていたのでハムとパンをおかわりして、食後の余韻を楽しんでから宿を出る。

 ギルドに向かって歩いていると昨日の今日で街中はピリピリしているのが肌で分かり、街の至る所に昨日見た憲兵や他の治安部隊に所属していると思われる兵士達が立っていて、道を行き交う市民を厳しい目で見ていた。


 彼らの前を通っても俺を見る目は他の一般人を見るそれと変わらない。

 どうやら俺がマークされているということはなさそうだ。

 そのまま我関せずといった表情のまま歩いてギルドを目指しつつ、誰かが跡をつけて来ていないかを手鏡で確認していたが、誰もついて来てはいない。


 

「ふうむ。 どうやら、大丈夫なのか……な?」



 いつもより早足で歩いたり、ゆっくり歩いたりを繰り返していたが今のところ大丈夫なようだ。

 そうこうしているうちにギルド・シグマ大帝国本部まで来てしまった。


 建物に入る前に念のため後ろを振り向いてみたが、やはり誰もついて来ていない。

 そのことに安心してギルドに入ると、中は冒険者達でごった返しており、依頼を探す者、依頼の達成を報告する者に何かを相談している者、仲間と一緒に椅子に座ってお喋りに興じる者などみんながみんな騒がしくしている。


 本物の冒険者は片手で数えるくらいしか見ていないので、まるでゲームかアニメの世界に迷い込んだような印象を受けるが、よく見ると「どうやって持つの?」と聞きたくなるような巨大な剣や槍を持った者、「それって武器って言うより、板じゃないの?」と言いたくなるようなずんぐりむっくりの剣や戦斧などを持った者が混じっているのに驚いた。


 格好も様々で、ハリウッド映画のファンタジー作品に出てきそうな如何にも冒険者といった格好の者もいれば、顔以外の皮膚の露出を避けて所々に皮鎧や金属鎧を当てている者や「あんた寒く無いの? もしかして、わざと男を誘ってる?」と聞きたくなるような胸元が見えたり、太腿ムッチリさせた服を着ている女冒険者もいる。



(それにしても人数が多いなあ〜)



 数にして30人前後だろうか?

 割合としては男と女が7:3くらいで、この前会ったセマさん達の冒険者クランのように男と女が混じっているグループがあるな。


 彼らを横目に昨日行った『登録』の窓口まで向かうと、昨日お世話になった美人エルフ人妻のシルフさんがいた。他の窓口の職員が忙しいのに対し、シルフさんの部所は暇らしく手持ち無沙汰にしている。



「こんにちは、シルフさん」


「え? あ……こんにちは」


「あれ、どうしたんです? あまり元気がありませんね。 何かあったんですか?」


「いえ、なんでもありません。 そういえば孝司さんは本日、適性試験でしたね。

 試験は3階の会議室で行われますので、向こうの階段を昇って3階へ行ってください。

 会議室には机と席が用意してありますから、着席してお待ちください」


「分かりました」



 シルフさんの案内に従って階段を昇り、3階の会議室へと向かう。

 途中、ローブを羽織った如何にも魔導師というような格好の者とすれ違う。

 彼は俺の顔を見て一瞬驚いたような顔をしていたが、俺が相手の顔を見ると目を逸らして足早に階下へと下りて行った。


 何で驚かれたのかわからないまま俺は3階へと到着し、会議室に辿り着く。

 会議室に入ると椅子と机が1人分用意されており、肩に掛けていた自動小銃はストックを展開し机の右側に立て掛けてから席に着席する。


 1人ポツンと寂しく座っていること約10分。

 内心ドキドキしていると会議室の扉が開いて男の職員らしき人物が入室して来た。

 何故、“職員らしき”という例えなのかと言うと、入室してきた男性が筋骨隆々の厳ついおっさんだったからである。


 しかも、角刈りの銀髪と鋭い目つきのおかげで凄い迫力だ。

 どこぞの伝説の軍人と言っても差し支えない風貌である。



(って、あれ? このおっさん、どこかで見た記憶が……)



 おっさんは俺をギロリと一瞥すると、への字に結んでいた口を緩めてニカッとこちらに笑い掛けた。



「よお、タカシ。 元気そうだなあ」


「ん? あ、グレアムさん!?」



 そう、会議室に入って来たのは誰であろう『馬の蹄亭』の主人であるグレアムさんだ。

 しかし何故、宿の経営者がギルドの会議室に現れたのだろう?



「何でオレがここにいるのか分からないって面をしているな?」


「ええ。 まさしくそうですが……」


「ははっ! 実はな、オレはこのギルド本部で非常勤の教官として働いているんだ」


「そうなんですか!?」


「そうだ。 びっくりしたろ?」


(ええ。 ビックリしましたとも)



「びっくりしましたよ。 どこの世界でも、世間って狭いんですね……」



「ん? “どこの世界でも”……?」


「あ、いや……どこの“業界”でもということですよ」


(危ねえ!

 こういう人ってやたらと勘がいいから、ちょっとした失言から正体がバレることがあるから気を付けないといけないな!)

 

「そうか。 それにしても驚いたぞ?

 まさか、この前会った正体不明のお前が冒険者なんかになろうとしていたなんてな!」


「え、そんなに驚くことですか?」


「ああ。 金貨をポンと置いて行くような財力があるのなら、冒険者なんていう危なっかしい世界に行かなくても、商人でもしていれば食いっぱぐれることもないだろうに」


「いやあ、それはまあこちらにも込み入った事情がありまして。

 詳しくは話せないんで、アレなんですがね?」


「ほう? それは、アレかい?

 この前見せた宿の宿泊台帳に載っていた得体の知れない奴らと関連でもあるのかな?」



 そう言って、机に立て掛けている自動小銃を見て目を細めるグレアムさん。

 この前、宿で見た機関銃と今見た自動小銃を比べて武器が違うことに気づいたようだ。

 あの時も、銃が醸し出す妖しい気配に気づいていたようだから、今のコレ・・を見てさらに疑問を募らせたのだろう。



「無いと言えば嘘になりますね」


「じゃあ、一つだけ聞かせてくれ。

 お前が冒険者になろうとしているのは、誰かに強要されて嫌々なろうとしているのか?

 それとも、お前の意思でなろうとしているのか?」


「冒険者になろうとしているのは自分の意思ですよ。

 ただ、今やってる仕事は『とあるお方』からお願いされたことです。

 最初はちょっと嫌というか驚きでしたが、自分という存在では相手のお願いを断れなかったのと幾つかの恩恵やサポート……いや援護もあったので依頼を受けることになってしまったんです」


「なるほどな。 そのお願いをしたのは誰だい?

 この教官にだけ、こっそり教えてくれないか?」


「すいません。 先ほども言ったように、あまり詳しいことは言えないんですよ。

 教官にご迷惑をお掛けしたくないんで……」



 そう言って口元に笑みを湛えながら、グレアムさんの目を真っ直ぐ見て自動小銃にそっと手を添える。

 それだけで、得心したのか僅かに頷いたグレアムさん。

 お互いに相手の目を瞬きを一切せずに見つめ合う。

 そして…………



「分かった。 俺も初孫を抱き上げたいから、これ以上の詮索は止めておくとしよう。

 じゃあ早速、適性試験を始めるとしようか?」


「ご理解いただけたようで良かったです」


 もし、これ以上質問を受けていたら、マジで銃をぶっ放すわけにもいかないので、どう答えれば良いのか返答に窮していたところだった。


 ちなみにこの後、グレアムさんから適性試験の説明を聞いて試験に移った。

 試験は主に計算と文章の読み書きだ。


 事前に1階の受付で文字と数字の読み書きが出来ることはギルド側は知っているので、その検査をしなくて楽だとグレアムさんは言っていた。


 試験自体の内容は小学校低学年のレベルで正直楽勝だったのだが、数学というか算数の試験で漢数字を用いて答えないといけなかったので、最初戸惑う場面もあったが、試験は約1時間程で終了し、試験結果は当然満点である。


 その後、グレアムさんから午後の予定を聞かれたので夕方までなら大丈夫だと言ったところ、そのまま講習を行うと言われた。


 本当は実技試験も行うはずなのだが、その中でも戦闘試験については本人の権限ですっ飛ばすらしい。

 なんでも、俺が持っている武器=銃器の得体が知れないのでいざ戦闘実技が始まると何が起こるのか分からないので、正直怖いのだそうだ。


 なので、戦闘実技を飛ばす代わりに生存実技をじっくり行うとのこと。

 この生存実技というのは概要をざっくり聞いたところ、地球で言うところのサバイバル技術と同じようなもので野外での山菜やキノコなどの見分け方や狩った動物の捌き方、夜の就寝時の安全確保や糞尿の始末などなどを教官の指導の下で行うらしい。


 この生存実技は講習最終日に仕上げという形で行い、まずは座学と講習から学ばされる流れになるとグレアムさんは言っていた。



「まずはこのギルドという組織の成り立ちからだな。

 これを知らないと、このギルドに所属する資格はねえ。

 ということで、早速始めるぞ……っと、その前に休憩だ。

 俺は便所に行くが、お前はどうする?」


「予め行って来たんで大丈夫ですよ。 ここで、座って待ってます」


「そうか。 じゃあ、ちょっと行って来る」


「ごゆっくりどうぞ〜」



 グレアムさんが出て行ったのを確認して、ストレージから筆記用具とノートと取り出す。

 デジタル機器で記録も撮っておこうと思ったが、不審に思われると面倒なので止めておく。

 待つこと約10分、スッキリした顔でグレアムさんが戻って来た。



「いや〜すまなかったな! 待ったか?」


「いえ、大丈夫ですよ」


「そうか。 よし! じゃあ、始めるか?」


「はい。 よろしくお願いします」



 それから夕方までの約3時間、机を挟んでマンツーマンでの講習というか授業が始まる。

 今日までのギルドの大体の歴史と組織や部署の説明、冒険者の存在や役割と仕事内容に始まり、冒険者のランク階級についての授業が行われた。


 この世界にも黒板があるらしいのだが、高価なためこの会議室には設置されていない。

 そのため、個別指導の塾のような感じで授業は進んで行く。


 疑問に思ったことはその都度質問して教えてもらうという形式で、3時間という短い時間ではあったが、おかげで非常に濃い貴重な時間を過ごすことが出来た。

 そして外のどこかから、どこぞの泥棒と伯爵が闘っていた時計塔の鐘と同じような鐘の音が響いて来る。



「お? もうこんな時間か。 じゃあ、続きはまた明日だな。

 明日は今日の復習と魔法と魔物について講習を行うからだ。

 時間は今日と同じくらいの時間帯に来てくれ、いいな?」


「分かりました。 今日はありがとうございました!」


「そんなに気合い入れて礼なんかしなくていいぞ。 礼を言うのはこっちのほうなんだからな」


「私、グレアムさんに何かしましたっけ?」


「うちの倅に金貨をくれたじゃないか」


「ああ、あれですか……」



 確かに高額通貨である金貨を置いてきたが、置いてきたのはたった1枚だった筈だ。



「タカシがくれたあの金貨のおかげで、倅の嫁さんが罹っていた病気を治せる上にお釣りが来るって、倅が喜んでいたよ。

 おかげで倅の嫁さんと腹の中の初孫も無事生きて行くことが出来そうだ。

 本当にありがとう。 倅に代わって礼を言うよ」


「そんな……アレはただの気紛れで置いただけで、礼を言われるようなもんじゃ」


「いいや、あの金貨のおかげでオレもオレの倅の家族も助かったんだ。

 タカシがこっちの事情を知らずに、あの時あの場所に金貨を置いたのは分かってるが、オレ達にとってはまさに神の助けだった。

 ここで礼を言わなかったら、オレは倅達に向ける顔がねえ……」



 思い出したのかグレアムさんの目には涙が滲んでいたが、俺は敢えて気付かないフリをしていた。

 だって、伝説の軍人のようなおっさんが涙ぐんでいるなんて、間違っても指摘できるものではない。



「じゃあ、息子さんにおめでとうと言っておいてもらってもいいですか?

 直接言うのは私も恥ずかしいので。

 あと、あの金貨は気紛れで置いただけですので、お礼とかは本当に入りませんので」


「分かった、伝えておくよ。

 じゃあ、礼の代わりにオレがお前をどこに出しても恥ずかしくない冒険者にして送り出してやる!

 みっちりと教え込んでやるから、覚悟しとけよ!?」


「はは。 どうぞ、お手柔らかに……」


(やべえ、なんかグレアムさんの熱血やる気スイッチを押してしまったっぽい……)


「じゃ、じゃあ自分はこれで失礼します! また明日」



 そして荷物と装備を纏めて、逃げるようにして会議室を出ようとした俺の背中にグレアムさんが最後にこんな質問をして来た。



「ところで、タカシ。 この前の晩、お前さんが帰ったあとちょっと離れた通りで通り魔が殺されていたらしいが、お前さん何か知らないか?」


「……知らないかと言いますと?」


「いやな?

 通り魔に若い娘さんが殺されていたんだが、その遺体の近くに憲兵の遺体もあったらしいんだ。

 で、警察軍が調べたところ、通り魔はその死んでいた憲兵らしいんだよ。

 ただそれだけなら通り魔がいなくなったってことで良かったんだが、その憲兵は正体不明の武器か魔法か何かによって惨たらしく殺されていたらしいんだなぁ?

 しかも、その憲兵を殺した奴は名乗り出るどころか、見つかってもいないらしい。

 それで気になってとある知り合いに聞いたら、事件が起きた時間帯がちょうどお前さんが帰った時間帯と近かったから気になってな?」



 そう言いつつ、俺の持つ自動小銃に視線を注ぐグレアムさん。

 なんとも言えない時間がほんの数秒間流れた。



「うーん、その時間は真っ直ぐに宿へ帰って寝る準備をしていたと思うんですが。

 っていうか、そんな物騒な事件があの時間に起きていたんですか?

 ここに来るとき、道に沢山の兵隊が立っていてちょっと不思議に思っていたんですが、ようやく疑問が解けましたよ」



 このとき、俺は思わず持っていたAK-74Mのピストルグリップを右手でギュッと持ち、左手はそっとセイフティレバーに手を添えていた。

 もちろん、その行動をグレアムさんは瞬きせずにずっと見ていたが、急にニカッと笑顔になる。



「そうか! いや、ちょっと気になったから聞いただけだよ。

 知らないのならば仕方がないな。

 せっかく帰ろうとしていたのに引き留めて悪かったな!」


「すいません。 お役に立てなくて……」


「こっちこそすまなかった。 じゃあ、明日はまた昼から講習をするから遅れないようにな」


「はい。 では、失礼します」



 お互いに緊張が解けたことで、俺はゆっくりした足取りで会議室を出てそのままギルドを後にする。

 間違っても動揺した雰囲気は表に出さない。

 そして、昨日知り合った産婆ことヨランダさんの住む家へと足を向けた。






 ◇






 ヨランダさんの家は宿泊している宿の方へ戻ってさらに通り過ぎた所にあった。

 距離にして500メートルほど先に行ったところだろうか?


一旦宿に立ち寄って女将さんにヨランダさんについて聞いたところ、彼女は元々『エルフィス聖教会』と言われる宗教組織に所属しており、現役当時は隣国のウィルティア公国で助祭としてだったらしいのだが、赴任してきた新しい司祭とソリが合わず、最終的にヨランダさんが教会を出て行きその後、半独立のような形で今は助産婦さんとして活躍しているらしい。


 助産婦と言っても日本のそれとは違い、医師と同じような処置も魔法を使って行うことがあるらしく、実質的には医者に近い。


 治癒魔法の腕は確かなようで、昨日見た傷の治療から風邪の治療まで本人の治癒魔法で治せるものは何でも治すとのことだ。噂では、この国の現皇太子が産まれたときに取り上げたのは彼女らしい……


 そんなこともあり、上は貴族から下は平民まで様々な種族が身分を問わず受診に訪れているらしく、しかも、お金が無い低所得者層にも差別することなく丁寧な治療を施すため、今では街になくてはならない存在だとか。


 そんなことをしてエルフィス聖教会というところは怒らないのかと俺が女将さんに聞いたところ、大丈夫らしいということだ。


 ちなみに治療費を貰えなくても、後日回復した患者が食べ物や日用品をお金の代わりに持ってくることもよくあるそうで、本人としては何不自由なく1人で気楽に暮らしているらしい。



(知っていれば、もっとちゃんとお礼を言ったのになあ)


「ここがヨランダさんの住む家か……」



 煉瓦と石で造られたこじんまりとしつつも、恐ろしく堅牢そうな家が俺の目の前に立ちはだかる。

 分厚い木で作られた扉には、『本日の診療は終わり』と書かれた木の板が紐でぶら下がっていた。


 地球であればインターホンを鳴らすところだが、この世界にはそんなものは無い。

 玄関周りには呼び鈴らしき物も見当たらない。



「すいませーん! ヨランダさーん! いませんかあ!?」



 扉を“ドンドン”と叩いても反応がない。

 


(うーん……どうすればいいんだこれ? 勝手に入って良いのかねえ?)



 日本では家主の許可無しで無断で入ると住居不法侵入で通報されたりすのだが、この世界ではどうなのだろう?


 入って良いものかどうか悩ましいが、本人が会いたいと言っていたので意を決して扉を開ける。

 まあ、アメリカのようにいきなり銃をぶっ放されるようなことはないだろうが、この世界には魔法があるので油断は禁物である。


 本人は治癒魔法が使えるそうだが、攻撃用魔法の1つや2つ使えたとしても不思議ではない。



「おじゃましま~す……」



 返事がない。

 そのまま玄関に入り、土間を通ってそのまま廊下へと入る。

 この世界の個人宅へ入るのは初めてだが、土間と廊下がそのまま地続きなところを見ると欧米と同じように土足で家に入るようだ。


 廊下を進むとすぐにリビングに出た。

 リビングでは暖炉に火が灯されていて薪が“パチパチ”と燃える音が室内に響く。

 それにしても、暖炉がある個人の家に入るのは生まれて初めてだ。


 学生の頃、スキー旅行に行ったときロッジで初めて暖炉を見たし、今泊まっている宿にも暖炉があるので見慣れているはずなのだが、こうやってまじまじと暖炉の炎を見る機会はなかったので、なんだか落ち着く。



「いらっしゃい。 よく来たねぇ……」



 声を掛けられて振り向くとリビングから通じている別の部屋の出入り口にヨランダさんが立っていた。



「ああ、勝手に入ってすみません。

 一応、声をかけたんですが反応がなかったので、失礼だとは思いましたが入らせてもらいました」


「謝らなくていいさ。 不躾な奴は勝手にズカズカと入ってきて床や絨毯を血で汚した挙句、早く治癒魔法を施せって言う輩もいるからねぇ。

 坊ちゃんはまだましなほうさ……」


「はあ……?」



 どうやら俺が勝手に入ってきたことには怒ってなさそうだ。



「ところで、昨日知り合ったばかりの私に何の用ですか? 何か頼みたいことでもあるんでしょうか?」


「そんなもんじゃないさ。 ちと、坊ちゃんのことが気になってねぇ」


「私がですか?」


「そうさ。 まあ、こんなところで突っ立ったまま話していても腰が痛くなるばかりだから、そこで座って話でもしようじゃないか」



 どうも俺がこの時間帯に来ることを予想していたのか、一度台所と思われる部屋に戻ってお盆にティーセットを載せて戻って来た。


 そしてそのまま、暖炉の近くにあるテーブルと椅子に向かうヨランダさん。

 どうやら俺は、このおばあさんとゆっくりお話をしないといけないらしい。



「どっこらせっと。 ほら、坊ちゃんもこっちに来な。

 そんなところにいたら、風邪に罹って死んじまうよ?」


「はあ? じゃあ、失礼します」



 俺は促されるまま、テーブルを挟んでヨランダさんの正面に座る。

 コートは着たままで、銃は座るときに膝の上に置いた。



「寒かっただろう? お茶でも飲みな。 クレマの葉の茶だから体が温まるよ」


「あ、すいません。 じゃあ、いただきます」



 口の中に薄い生姜のような味が広がる。

 どうもこのお茶は日本でいうところの生姜湯みたいなものなのだろうか?

 味からして恐らく体を温める作用があるのだろう。



「どうだい?」


「うん。 美味しいですね」


「そりゃあ、良かった。

 少し甘みが欲しいのなら、蜂蜜を入れるといいよ。 持って来ようかい?」


「あ、そこまで気を遣わなくても結構ですよ。 私はこのままでも大丈夫なので」


「そうかい」



 そのまま2人とも黙々とお茶を飲む。

 次第にお茶に含まれている成分が効いてきたのか、体がポカポカしてきた。



「ところで、アタシが何で坊ちゃんをここに呼んだのかわかるかい?」


「え? いえ……」


「本当は昨日、あの後坊ちゃんと話してもよかったんだけど、他の誰にも話を聞かれるわけにはいかないからねぇ。

 だから、ここに来てもらったのさ。

 ここには様々な種族――――と言っても人間種が殆どだけど、怪我や子を宿した者が駆け込んでくる。

 昨日のように治癒魔法をかける前に傷口を処置することもあるから、大きな叫び声が漏れないように音を遮断する魔法を掛けることができるのさ……」


「はあ……?」


「で、ここで秘密のお話をする際にも音を遮断する魔法は打ってつけというわけさ。

 今回のようにねぇ……」


「あ、はい……」


(秘密の話?

 このおばあさんと秘密を共有するようなことってあったっけ?)


「あたしが何の話をしたいのかわからないって顔をしているねぇ」


「それはそうですよ。 秘密の話をする理由が思い当りませんからね。

 ……もしかして、例の魔族の女性の話ですか?」



 この人と話すことと言えばあの女性くらいしか思い当たる節がないのだが?



「そのことじゃないさ。 話すのはあんた自身のことについてさ……」


「私ですか?」


(いったい何を?)


「単剣直入に言おうか。 坊ちゃんは人じゃないねぇ?」


「は? 何を言っているんですか? どこからどう見ても人ですよ?」



 心臓の心拍数が跳ね上がって額と背中に汗が滲む。

 果たしてお茶の効果なのか、それとも別の理由からなのか俺には分からない。



「じゃあ、言い方を変えようか。 坊ちゃんは神の類だろう?」



 ヨランダさんの口からその言葉が出た瞬間、俺は膝の上においていた自動小銃を構えながら勢いよく立ち上がった。

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