第11話 ギルド

「気持ち悪い……」



 吐き気と頭痛が交互に襲ってきておまけに寒気もする。

 ここは[シグマ大帝国]の帝都『ベルサ』で、そのベルサに数多ある宿の一つである『金の斧』の一室だ。


 俺はその部屋のベッドに横たわっていた。

 石油ストーブで温められた部屋は寒い外とは違って快適そのもの。

 現代日本の家屋と違いって断熱処理が施されていない窓や壁からはヒンヤリとした冷気が伝わってくるが、この石油ストーブのおかげでそこまで寒さは感じられない。


 しかしそんな暖かな部屋の中で俺は体調を崩してガタガタと震えていた。

 いや、正確には精神的なダメージがそのまま体に現れて寝込んでいると言ったほうが適切な表現だ。


 別に風邪を引いたというわけではない。

 この世界に来るときに神様であるイーシアさんに体を弄られて各種感染症やアレルギー対策を施されたのだから風邪に罹るというのはないと思う。

 では、何故体調が悪いのか?





 理由は簡単だ。

 生まれて初めての殺人。

 人をこの手で殺めたのだ。





 もちろん人を殺したくて殺したわけではない。

 自分自身が殺されそうになったので正当防衛で殺したのだ。

 その証拠に床には今回の事件で凶器となった銃器のPKSN機関銃が転がっている。


 この世界の住人を恐らく初めて殺した銃だ。

 フィードトレイ左側には実包を引き抜かれて空になったベルトリンクがぶら下がっている。

 このPKSNに限らず、7.62mm×54R ワルシャワパクト弾を使用する旧共産圏陣営の機関銃はFN MAGのようなNATO加盟諸国の機関銃達とは違ってベルトリンクがそれぞれ分離・排出されることなく、結合された状態のままレジスターのレシートのごとく機関銃本体から排出される仕組みになっている。


 そのため実弾を引き抜かれて空になったベルトリンクの数を数えることで一体何発の銃弾を消費したのかを確認することができるのだが、それが俺にとって更なる精神的ダメージを与えていた。ベッドから見るだけでざっと14~5発くらいの空になったベルトリンクが見えているのだが、要するにそれだけの数の銃弾を自分を殺そうとした人間に撃ち込んだのだ。


 あの時のことは忘れたくても忘れられないほどに今も鮮明に覚えている。

 自分の前を酔っぱらって歩いている女性に正面から無言で近づいて女性の腹部を剣でいきなり刺し貫いた男。


 その場面を運悪く目撃してしまった俺を口封じしようとでも思ったのか、気持ち悪い笑顔を浮かべて刺し殺した女性の血に濡れた剣を俺に見せつけるようにしながらもの凄い速さで俺に襲いかかって来たのである。半分無意識、半ば焦るような気持ちで機関銃のコッキングレバーを引いて銃を構えた時には相手はもう目の前に迫って来ており、こちらの顔に向けて剣の切っ先を突き出す直前だった。


 その場から急いで逃げ出し、距離にして約10メートルくらい間合いを取ってから慌てながらも機関銃に装着していたフラッシュライトを相手の顔めがけて点灯。

 男の目がライトの光で眩んで怯んでいる隙に機関銃を射撃した。


 スコープのレティクル内に相手の体が入るか入らないかという中途半端なところで射撃を開始したため数発の銃弾が外れてしまったが、幸いにも銃弾の一部が頭部に命中して男は即死する。

 おかげで反撃を食らうことはなかったが、代わりにとても凄惨な死体が出来上がってしまった。


 右目のすぐ上部付近に命中した弾丸は右側頭部を吹き飛ばし、脳が外にごっそりと飛び出して命中時の衝撃で右の眼球もどこかに飛んで行ってしまった。頭皮の一部には砕けた頭蓋骨の破片がこびりついてプラプラとしておりもの凄く気持ち悪く、左腕の肘あたりに命中した弾丸は肘から先の腕を引きちぎり、鎧を貫通し胸部に突入した弾丸もその威力を余すところなく発揮して大量の血と肉片と金属鎧とチェインメイルの破片を辺りに飛び散らせた。


 石畳は死体から流れ出した大量の血液で汚く染め上げられてまさに正視に耐えられない惨状と化す。

 この時、俺は産まれて初めて人間の体から止めどなく流れ出る大量の血を目撃することとなった。


 小学生の時に学校の教室で同級生が突如鼻血を大量に出した時の血とはまったく異なる、綺麗な赤と汚い黒が入り混じった血液にその血液の表面に浮かぶ、油のような膜。むせるを通り越して、吐き気を催す臭いが燃焼した火薬の匂いとともに自分の周囲に立ち込めて思わず本当に吐きかけた。


 実はこのとき、自分の中に状況を冷静に見つめて判断している別の自分がいたように思う。

 酒の席で飲みすぎた時に体はフラフラなのに、頭の中では妙にハッキリと事態を考えているときと同じような現象が自分の中で発生していた。



(ここで吐くな!

 もし吐いたら、自分の痕跡を残すことになるぞ!)



 と、そんな別人のように聞こえる自分の声が頭の中で何度も響いた。

 もしあの声が聞こえてこなかったら俺は盛大に吐いていたことだろう。

 そしてそれとは別俺が気持ち悪いと思うのはあの死体の惨状以外にもう一つ理由がある。


 それは手応てごたえだ。

 弓道やアーチェリー、本物の銃を使用するクレー射撃や猟、エアガンでサバイバルゲームなどをやったことがある人ならわかると思うが、的や目標に矢や弾が当たると何かしらの手応えを感じることがあると思う。


 特に自分の目で己が放った物が目標に命中した瞬間が分かるときなどは、『当たった』という事実と共にその手応えが一際強く感じられるが、この手応えが今回の事件でもはっきりと感じ取ることができた。


 エアガンと違って本物の機関銃が発砲時に手と腕と体に伝えてくる反動とマズルフラッシュ。これと一緒に視覚情報として脳に送られてくる、弾丸が男に命中する様子とその手応え。

 はっきり言って今でもあの生々しい感触がよみがえってくる。


 恐らく今この瞬間にも地球むこうがわの何処かで繰り広げられているであろう紛争に銃撃戦。

 動画やテレビでは毎度のように繰り返されている紛争やテロで本物の銃をエアガンのように扱ってバカスカ撃ちあっている奴らの気が知れない。


 この世界に来るときには「本物の銃が撃ちまくれるなんて超ラッキー♪」なんて軽い気持ちでいたが、実際に自分が撃ち殺した相手の死体を見るとそんな気分が文字通り吹き飛んでしまった。


 しかし、これだけは断言出来る。

 俺を殺そうとしたあの男を射殺したことについてはまったく後悔していない。

 あのとき撃ち殺していなければ俺はとっくの昔に死んでいただろうし、他にも被害者が増えていたかもしれないのだから逆に撃ち殺して良かったと思う。


 ただ、覚悟していたとはいえ人生で初めての殺人という行為がこの世界に来て1日も経たずに、しかも突然やってきたことへの戸惑いと命中時の手応えと出来上がった死体がとても気持ち悪かった。


 今思えばあの男を殺すことなく捕えることは可能だったと思う。

 なんせ、この宿を出る前に機関銃と共に音響閃光手榴弾と信号弾拳銃をストレージから出して準備していたのだ。


 やり方次第では生きたまま捕えられたとは思うが、サバイバルゲームなどとは違って相手の動きが予想以上に早くて構えていた機関銃以外の武器を選ぶ余裕なんて俺には無かったし、人生初の殺し合いで上手く間合いが取れなかったというのもある。


 それに何よりあの男が捕えられた後、本人の口から俺が持っている武器と俺自身の存在がこの国の司法機関に漏れることを俺は無意識の内に警戒していたように思う。


 だからあの男を殺した。

 半分は新たな被害書を生まないため、もう半分は口封じの一環として。


 しかし、俺はいつまでもベッドの上でこのままグロッキー状態になっているわけにもいかない。

 この世界に銃器を持ち込んだ以上、人を殺す可能性は遅かれ早かれ何らかの形で訪れていたと思うし、場合によっては女性や老人、子供を手にかける必要が出てこないとも限らない。


 

(少なくとも、初めての殺人が正当防衛だっただけマシだったと思う事にしよう……)



 そう考えなければ正直言ってやってられない。



「はあ……落ち着くまでもう少しベッドで横になっているか」






 ◇






「……んう?」



 いつの間にか寝むっていたようだ。

 机の上に置いている時計を見ると時刻は午後1時を少し過ぎたくらい。

 寝てしまう前に最後に腕時計を見たときは確か午前10時半過ぎくらいだったから、時間経過としては2時間以上寝ていたらしい。



「ふぁ〜あ〜んぁ〜……」



 なんだか夢を見ていたような気がするが思い出せない。

 しかし何故か先程までの嫌悪感が嘘のように無くなって気分爽快で良い感じだ。

 いったいどうしたというのだろうか?



「なんだか昨日より身体が軽くなったような感じがするけど、気のせいかなぁ?」



 まあ何はともあれ吐き気が無くなったのはありがたい。

 時計では昼を過ぎた時間であることから、外も昼時かそれに近い時間帯だろう。

 実際、窓から射し込む太陽の光を見るとそれっぽい。



「とりあえず昼飯を食うとするか……」



 気分が良くなったこともあり腹が減った。



(先ずは昼食だな)



 昼食を食べてから今日1日の予定を考えるとしよう。

 部屋の床に転がしていたPKSN機関銃と手榴弾が入っているショルダーバッグをひとまずストレージに放り込み、代わりにポーランド製の短機関銃『WZ63』を取り出してスリングを右肩に提げる。

 部屋を出るときに一応誰かが部屋を見張っていないかを確認してから俺は部屋をあとにした。



「そう言えば、口の中が気持ち悪いなあ……」



 宿の階段を下りるときに昨日今日と歯を磨いていないことに気付いた。

 さすがに口の中がネチャネチャして気持ち悪い。

 このまま昼食を食べると食べ物と一緒に口腔内に繁殖した雑菌まで食べてしまうことになるので歯を磨く必要があるのだが、よくよく考えるとトイレに行った記憶が無いことに気付いた。



「……何で今の今まで便意を感じなかったんだろう?」


(っていうか、よく漏らさなかったなぁ)



 とりあえず宿の受付で洗面所とトイレの場所を聞いて出すものを出そう。






 ◇






 洗面所とトイレは一階の廊下の奥の突き当たりにあった。

 洗面台は石の削り出しで小学校の流しのように横に長い造りで、一度に5人まで使用できるみたいだ。

 雰囲気的には日本の昭和感満載でなんだか懐かしい感じがする。


 先に溜まっていた何某を出してしまいたいのでトイレに行く。

 木製の扉を開けて個室に入ると意外にも中は清潔に保たれている。

 トイレは当たり前だがぼっとん式で、しかも驚くべきことに陶製の便器である。


 てっきり木製の便器か壺、もしくはオマルのようなものか昔の中国のような“ニーハオトイレ”方式で用を足さなければいけないのではと考えていたので、陶製の白い便器を見たときは一瞬ここが異世界であることを忘れてしまったほどだ。


 陶製の便器の形は田舎のおばあちゃんの家にあるようなぼっとん用の白い和式便器で日本にあるソレとほぼ変わらず、違いといえばメーカーの刻印がないことくらいか?

 ぼっとん式ではあるが、臭いはあまり感じない。

 この国の季節が冬であることも関係しているのかはわからないが、鼻が落ちる心配がないのは正直言って助かる。

 





 ◇






「ふう! あー出た出た」



 おかげで気分爽快、腹がとても軽く感じられる。

 あとは歯磨きと洗顔をして朝食にありつくとしよう。


 トイレを出る前にストレージから歯ブラシと歯磨き粉、琺瑯のカップと洗面器、ポンプ式の洗顔フォームとタオルにメンズ用のフェイスローションを出して用意を整えトイレをあとにし、先程見た洗面台に向かうと先客がいた。


 身長180センチを優に超える大柄なゴツイおっさんが歯磨きをしていた。

 後ろから見ても肩幅が広く、首もがっしりとしていて腕も太くて見ただけで強そうな雰囲気を漂わせている。


 洗面台の前に立つと先客のおっさんが会釈してきたのでこちらも会釈して返す。

 ちなみに歯を磨く前にこのおっさんの歯磨きを観察していたのだが、布片を人差し指に巻きつけて歯を何度も拭うようにして歯を磨いている。


 拭い終わった布は洗面台の傍らに置いてある、蓋つきの陶製のゴミ箱に捨てていた。

 そのあとは洗面台の上にある焼酎サーバーのような蛇口がついた陶製の壺から木製のカップに水を注いでうがいをし、そのまま壺から流れ出る水で軽く顔を洗って終わり。


 このおっさんの歯磨きと洗顔だけでは一概には言えないが、どうやらあれがこの世界での一般的な朝の支度のようだ。


 おっさんが立ち去ったのを確認して歯磨きと洗顔を開始する。

 途中、支度に来た若い20代前半くらいの冒険者風の男が驚いた顔で俺の歯磨きと洗顔の一部始終を見ていたが、我関せずで作業を終わらせて洗面所から立ち去った。


 洗面所から直接食堂に向って朝食をいただくことにする。

 ちなみにこの時の献立は蒸かした大ぶりのジャガイモにバター、分厚いハムとハード系のパンに紅茶のような飲み物。


 バターは当たり前だが自家製である。

 この宿で初めての食事だったが簡素ながら中々に美味だった。

 朝食をいただいて食堂でまったりとした時間を過ごしてしていると、ダッフルコートのポケットに忍ばせていたモバイル端末が突如振動し始めた。


 こっそりと確認すると着信履歴に『神』とある。

 一瞬どちらの神かと思ったが、恐らくこの世界の神様ことイーシアさんからだろう。

 足早に部屋に戻って着信履歴から掛け直すと直ぐにイーシアさんが電話口に出た。



『おお。 まだ寝とったか?』


「いえ、もう起きてましたよ。

 宿の食堂で朝飯食っていたので電話に出られなかっただけです」


『そうか、食事中であったか。 邪魔して悪かったのう』


「いえ、大丈夫ですけど。 ところで何かご用ですか?

 昨日は宿の確保や入国手続きなどで探索は行っていないのですが……」


『いや、そのことではない。

 ただのう、初めての異世界転移で体の不調を起こしてないか心配になってな。

 ちょっと気になったので電話してみたのじゃ。

 どうじゃ? 異世界は?』


「うーん、別に不調はないですね。

 ただ、ちょっとした事件に巻き込まれましたが……」


『事件? なんじゃそれは?』


「えっとですねぇ……」



 俺は昨日の夜に起きたことを全て洗いざらい話した。

 向こうの宿屋の宿泊台帳に記載があった日本人の名前の件から俺が通り魔に殺されそうになった件まで全てを話した。


 相手は神様なので隠し事をしても意味が無いし、 何よりあの事件を誰かに相談したかった気持ちが強かったのでイーシアさんが連絡して来たことは内心嬉しかった。


 イーシアさんは舌が上手く回らず早口になりがちな俺の話を遮ること無く静かに聞いてくれていた。

 この時俺の額には大量の脂汗が浮かんでいて、俺の話が終わると一言静かにこう言ったのだ。



『よくやったの』と。


 

 これに対して俺は拍子抜けしていた。

 イーシアさんの世界の人間を人口密集地である市街地で機関銃を発砲し相手を射殺したので、てっきり怒られるものと思っていたからだ。



「え、よくやったって……いいんですか?

 あなたの世界の人間を殺したんですよ?」


『それがどうしたと言うのじゃ?

 わしは仮にもウルの神じゃ。

 儂の世界の人間それも殺人犯ごときを殺害したからといって、お主に懲罰を加えるような小さな器は持ち合わせておらんわい!

 それどころか、そんな人間を排除した上に生き残って戻って来たのじゃ。

 お主を責められる者はわしを含めて誰もおらん』


「はあ……?」


『孝司』


「はい?」


『よく生き残ったの……』


「あ……ありがとうございます」


(やばい、泣きそう)


『泣きそうになっておるか? んん~?』


「ぶっ!? そ、そんなことありませんよ!」


『ははは!

 まあ、ふざけるのはそれくらいにして。

 それにしても地球からこの世界に複数の日本人が転移して来た可能性があるとはのう……』


「ええ。

 自分も宿屋の主人から聞いた時は聞き間違えかと耳を疑いましたよ。

 この世界に地球の人間が転移して来ることって、よくあるんですか?」


『そんなことあるわけなかろう。

 この世界にいる人間、まあ日本人だけしかおらんわけじゃが……

 お主を含めて、わしら神の手引きでやって来ておるんじゃ。

 この世界の人間が地球の人間を呼び寄せるなど、聞いたことが無いぞ』


「すいません。 そんなこと言われても、自分が知るわけ無いでしょう?

 と言うか、自分が報告するまで知らなかったんですか?」



 俺、この世界に来てまだ1週も経ってないのだが?

 と言うか、まだ3日も経っていないのだ。



 『うむ。 知らんかった!』


「いやいや、そんなことを威張られても……」



 この神様は本当に大丈夫なのだろうか?

 神様って皆こんなに無責任な存在なのか甚だ疑問である。



(よく今までに|この世界(ウル)が滅びなかった よなぁ……)


「それで自分はどうすれば良いのですか?

 こう言うのは何ですが、貴女の指示の下に動いたほうが良いのでしょうか?

 それとも自分の意思で動いたほうが良いのか考えあぐねているのです」


『ふうむ……それについては調査を委託している手前、余程の事態に直面しない限りはお主の好きにすれば良い。

 崩壊と言っても、今日明日にでもというわけでもなく始まってもないからの。

 あくまでその予兆をお主が地道に探し出して、わしに報告するのが仕事じゃからのう。

 時間はたっぷりとあるでな、まあそう気張らずに楽に構えておれば良い』


「分かりました…」


『一応、例の転移または召喚と思しき日本人については、わしの方から|御神(みかみ)に問い合わせておくでな。

 お主は、お主で好きに動くのが良かろう』


「了解しました。 何かあったら、連絡します」


『うむ。 ああ、そう言えば、お主に伝えておくべき事が一つあったの』


「何でしょう?」


『お主の存在がただの人間から、わしの眷属に変わっておった』


「…………は?」



 眷属にって、どういうことだろうか?

 もしかして、巨大な斧とか鎌などを武器として使用している所謂、“亜神”とかいう存在になったということ?



『じゃからな? お主の身分というか存在が、わしら神の眷属になっておるのじゃよ』


「……何で?」


『う~む……

 可能性としては、わしが生きているお主と接触したことが原因と思うのじゃがな?』


「いやいやいやいや!

 なんでそんなことで眷属入りになるんですか?

 と言うか、眷属って何ですか?

 自分もイーシアさん達と同じ神様になってしまったということですか?」


『うむ、そういうことになるの。

 正確には神の末席に位置していると言ったほうが良いかの?

 まあ、末席と言ってもお主に神としての権限も何も無いわけじゃが。

 本来ならば、あの場でササッとわしの世界ウルに降ろしてしまう筈だったんだがのう。

 ほれ、お主をわしの家に招き入れて茶を出そうとしたときにお主が途中で淹れるのを代わったじゃろう?

 あの時にわしの神力が若干入ってな』


「……で、神になってたと?」


『いや、それくらいで神にはならん。

 そのあとでわしらがお主に神であるという証拠を示すためとして、わしらが見て来た地球の歴史を見せる作業でわしと御神がお主の手をそれぞれ握って、神力を身体と精神に直接流したであろ?

 あとのときの出来事が原因らしいの』


「らしいのって……」


『通常であれば生きている人間はおろか、亡くなった者の魂魄に対してもあのような事はしないのじゃがな。

 お主がわしらの存在が神であるということを中々信じなかったものだからのう……

 手っ取り早く信じさせるためとはいえ、直接神の力をそれも神二柱が何の触媒も介さずに一気に注ぎ込んだのじゃ。

 あれで何の変化も無い方が不思議じゃからなぁ……まあ、しょうがあるまい?』



 何といういい加減な話だろう。

 そもそも後輩とはいえ、この神以上にしっかりしているように見えた御神さんもそうなるって気づかなかったのだろうか?


 

「はあ……でも、どうせアレでしょ?

 お約束の不老不死になったとか、そんなことになっているんでしょ?」


『まあの。 それで言えば、眷属というよりは立派な神じゃな。

 何の権限もないがの……』



 やはり、定番の不老不死になっていたのか。

 でも、そう言われても体には何の変化もないようだが?

 


(どこか変わったのかな?)



 一応、取り出した手鏡で顔を見てみるが、何の変化も感じられない。

 また頭髪も金髪や銀髪、灰や白っぽくなっていることもなく、至って普通の黒髪である。



「でも、不老不死になったということは、死ねないということですよね?

 仮に捕えられて生きたまま埋められるとか、体をバラバラにされるとかしても死なないということにでしょうか?」



 もしそうなったらハッキリ言って洒落にならない。

 コンクリートのようなもので体を固められて海の中にドボンとか、生きたまま内臓をモンスターとかに喰われ続けるとかになったらどうすれば良いのだろう?

 どこぞの亜神様や禍ツ神みたいになったら正直堪らない。



『安心せい。 仮にお主がそんな事態に陥っても、すぐに助けてやるわい。

 さっきも言ったように、忙しいわしに代わってお主に調査を委託しとるんじゃ。

 これから定期的にお主の様子は確認するしの。

 援護はちゃんとするつもりじゃから、お主はそんなネガティブなことを考えずに調査に励むんじゃぞ。

 良いな?』


「了解しましたよ……」



 というか、忙しいならそもそもこんなに長話をすることなどないと思うのだが?



(定期的に俺の様子を確認するだって?)



 プライバシーもヘッタクレもない話である。

 もし俺がトイレに入っていたり、どこぞの女性とアッチッチなコトに及んでいる状況を見られたら、別の意味で死になくなってしまう。



「プライバシーは尊重してくれるんですよね……?」


『安心せい。 女子と乳繰り合っているところだけ録画して、あとは見て見ぬふりをしてやるわい』


「だから、それをすんなって言ってるですよぉ!」


 (もうやだ、このエロ神様!)


 絶倫とか乳繰り合いとか、もうちょっとオブラートに包んで話すなり工夫して欲しい。



『ムハハハ! ほんと、お主をからかうとオモシロイのう。

 さてと、わしもそろそろ話を切り上げて仕事に戻らねばいかんのでな。

 これで失礼するぞい?

 ああ、あとな孝司。

 お主の神としての権限はないに等しいが、腐っても神は神じゃ。

 魔法は鍛錬を積めば使えるし、神の末席とはいえ、その力は人間やエルフと比べれば桁違いじゃ。

 ウルでお主にかなう者は誰もおらん……と思う。

 神であるわしが言うのじゃから、多分本当じゃぞ?

 であるからしてな? くれぐれも慢心がないようにの。

 お主の仕事は調査であって、世界の平和でも征服でもないからの。

 くれぐれも、そこを履き違える出ないぞ?

 あと、銃を持っているからと嬉々として現地の戦争に参戦しないようにの』


「わかりました。 気を付けます……」


『うむ。 して、この後はどうするのじゃ?』


「そうですねぇ……まあ、この国の滞在期間の問題とかもありますんで、とりあえずは異世界の定番であるギルドに行って登録も兼ねて情報収集に行こうと思います」


『そうか。 

 ああ、一つ言い忘れておったが、お主の力は魔力ではなく神力、所謂神通力という区分けになるでの。

 多分、お主からそのうち質問があると思うから、先に答えておくがな。

 先程聞いた出入国時の真偽判定や魔力の検査があっても、問題なく検問をすり抜けられるようになっておるから、心配せずとも良いぞ。

 力もよほど詳しく調べられない限り、偽装された平凡な数値や魔力しか出てこんから安心せい』


「了解しました」



 これで一応、無駄な厄介ごとに巻き込まれずに済むそうである。



『では、孝司くれぐれも気を付けるのじゃぞ

 またその内、連絡するでな』


「はい。 何かあったら、こちらから連絡しますよ」


『うむ』




 さてと、イーシアさんとの通話も終わったことだし、さっき言ったようにギルドに行ってみるとしますかねぇ。

 俺はストレージから、Mpi-AKS-74N自動小銃と予備のマガジンが入っているショルダーバッグを取り出して外出の準備を整える。

 服装は昨日のままだが、一応下着と靴下は替えておくことにした。


 それと、もうちょっと銃を増やしておくか。

 今のところ、拳銃はMP-443、短機関銃はWZ63、小銃はMpi-AKS-74Nで機関銃はPKSNしか出していない。


 これに信号弾拳銃と各種手榴弾が加わるのだが、市街地を歩いて回るのであればこれだけでも充分な感じだが、やはりガンマニアとしては色んな銃を見て触りたい気持ちがある。



「時刻はこの腕時計で、午後3時を過ぎたくらいか……」


(うーむ。

 暗くならないうちにチャチャッと銃を出して、ギルドに向かうか……)



 ということで、俺はいくつかの新しい銃を出してからギルドに行くコトに決めて、早速作業に移ることにした。






 ◇






 というわけで俺は新たにストレージから取り出した最新型のAK-74Mの点検を行った上で部屋を出る。

 念の為、扉を半開きの状態で顔だけを出して廊下に怪しい人物がいないかを確認してから部屋を出た。扉の鍵がしっかり施錠されているのを確信してから階段を下ると、フロントには昨日チェックインした時に見かけた女将さんが立っていた。



「こんにちは。 今から出かけるの?」

 

「はい。 実は今からギルドに行こうと思うんですが、目的地にはどう行けば良いでしょうか?」


「それは簡単よ。 

 ここから右に出てひたすら道に沿って行けば、次第に先帝陛下の銅像が建ってる十字路が見えてくるから、そこから左に曲がって川に掛かっている橋を越えれば、すぐに大きい建物が見えてくるわ。

 その建物がギルドよ。

 看板も出てるから、すぐにわかると思うわよ?」


「わかりました。 ありがとうございます」


「気を付けて行ってらっしゃい。

 昨日の夜、通り魔に若い娘さんが刺し殺されたとかで街中は大騒ぎになっているから、暗くなる前に帰ってくるのよ。

 あなた身なりが良いから、通り魔じゃなくても追剥ぎとかに会わないようにね?」


「ありがとうございます。 因みにお聞きしますが、その通り魔はどこに現れたんですか?」


「ああ、あなたが今から向かう途中のところに現れたそうよ。

 ここから、少し歩いて行った所かしら?

 あたしは昨日の夜は寝てたからわからなかったけどね。

 朝、うちに泊まってる若い商人さんに聞いたら通り魔も一緒に死んでいたらしいわよ?」


(すいません。 殺したの俺です……)


「え? どういうことです?」


「あたしも人伝ひとづてに聞いただけだから、詳しくは知らないんだけどね。

 なんでも、もの凄い残忍な方法で殺されていたらしいわよ?」


「へ、へえ……どんな風にです?」


「死体を見たっていうお客さんに聞いたら、頭がグチャグチャにされていて、左腕が肘から先の部分が引きちぎられていたそうよ?」


「怖いですね。 犯人はもう捕まったんですか?」


「それがね、まだ捕まってないのよ……」


「ええっ? それは怖いなぁ……」


「そうよねぇ……しかも、その殺されてた通り魔ってのがとんでもない奴だったのよ」


「え? とんでもない奴ですか?」



(え、なに? とんでもない奴って……)



 俺は一体誰を殺したっていうのだろうか?

 女将さんは俺の耳に口を近づけてヒソヒソと小声でそのとんでもない奴の正体を教えてくれた。



「それがね……通り魔ってのが、現役の憲兵だったらしいのよ」


「え……」


(は? なんですと? 憲兵?)


「それは本当ですか?」


「本当らしいわよ。 憲兵の鎧を着ていたって。

 私も見間違えか、駆け付けた憲兵さんが巻き添えで通り魔に殺されたんじゃないかって聞いたんだけど、どうもそうじゃないらしいのよ?

 知り合いの治安警察軍の兵士さんに聞いたら、死んでいた憲兵さんの剣と殺された娘さんの傷口が一致したんですって……」


「そうですか……」


(マジかよ。 俺、憲兵を撃ち殺しちゃったの?)



 自分で殺っておきながらドン引きである。

 しかし、女将さんは俺の心情など御構い無しに壊れたラジオのように自分が得た情報を話していた。



「でね? 今朝方、ものすごい剣幕で憲兵がうちに来て怪しい奴が泊まってないか調べに来たのよ。

 うちにそんな怖い人が泊まってる筈ないのにね。

 怪しい奴はいませんって言ったら、憲兵さんたちは念のためと言って食堂や便所を調べたらすぐに帰って行ったわ」



 ケタケタと笑う女将さんだが、まさか憲兵を殺した張本人が自分の目の前に立っているなど、夢にも思っていないだろう。

 


「じゃあ何故、憲兵隊はその通り魔だった憲兵を殺したやつを探してるんです?

 通り魔がいなくなって平和になったんじゃないんですか?」


「それがね、殺された憲兵ってのが憲兵隊のお偉いさんの息子だったらしいのよ。

 なんでも長男だか次男だったとかって、治安警察軍の兵士さんが言っていたわ。

 あとは、アレよ。

 このまま憲兵を殺した奴を野放しにしていると、憲兵隊の沽券プライドに関わるってのもあるらしいわ。

 あと見回りに来た憲兵さんは、『俺たちヒラの憲兵にも、やっと出世できる絶好の機会が巡ってきた!』とか言っていたわね。

 殺した奴を捕まえてお偉いさんに取り立ててもらおうと思って、憲兵さんたちは血眼になって探しまくっているわ」


「そうなんですか……」

 

(うわあ、面倒なことになったなあ。 どうしよう?)



 このままギルドに行かず、さっさと出国して逃げたほうが良いのだろうか?

 


(でも、昨日の今日で出国したら絶対に怪しまれるよね?)



 下手をすると、国に追われるラノベの主人公のように憲兵隊とかから追っ手を差し向けられる可能性もある。



(よし、決めた!

 今からギルドに行って冒険者登録が煩雑になりそうならば、明日にでもこの国を出て例の日本人の学生が行ったと思しきバルト永世中立王国っていう国に行こう)



 幸いにもこの世界には防犯カメラもインターネットも無線機さえも無いので、俺の犯行だとばれたとしても直ぐに手配が回るとは考えられにくいから、大丈夫だろう。



「でもまあ、通り魔は死んでるんだから街はもう大丈夫だと思いたいけどね。

 でも、あなたは追剥ぎに十分気を付けるのよ。

 私が見たところ、あなたあまり強そうな印象がないから心配だわ……」


「大丈夫ですよ。 こう見えても、逃げ足だけは自信がありますから。

 もし何かあったら、逃げて逃げまくって兵士を呼びますよ」


「そうね。 そのほうが良い選択だわ。

 逆上して逆に殺されるなんて話をよく聞くから、逃げるほうが正解かもしれないわね……」


「そうですよ。 じゃあ、行ってきます。

 夕飯は、また外で食べてくると思いますんで、よろしくお願いします」


「わかったわ。 行ってらっしゃい」


「行ってきます」






 ◇






 宿を出て女将さんの言う通りの道順で進んでいると、道々に憲兵と思われる兵士達が立っており、通行人に目を光らせているのが目立つが、よく見ると憲兵と思われる兵士達と昨日の通り魔の着ていた鎧が同じであることを思い出した。


 こうしてみると、本当に昨日の通り魔が本物の憲兵であることがよくわかる。

 銃弾が当たって変形していたとはいえ、あの通り魔が着ていたものと全く同じ鎧と剣を装備しているのだ。


 また憲兵以外にも、色と形状が違う鎧を着込んでいる兵士もちらほらと散見される。

 部署が違うのかそれとも所属組織そのものが違うのかは判らないが、いずれにしてもこの国の治安機関所属の兵士には違いない。


 幸いにも兵士たちは、俺の姿を一瞥こそしたがすぐに視線を逸らし、また別の通行人に目を向ける。

 どうやら、この姿格好について兵士たちの注意を引くようなことはないようだ。


 ダッフルコートやジーンズなど、この世界では普及していないであろう服を着ているのにマークされることがないというのは、正直ホッとしたが、仮に迷彩服や戦闘服を着用していた場合、一体どうなっていたのだろう?

 やっぱり、速攻マークされていたのだろうか?


 

「あそこが例の現場か……」


 昨日の事件の現場が近づいてくるにつれて、兵士達の人数が格段に増えていく。

 よく見ると現場の傍には、昨日の夜に歩いた時には気付かなかった木製のベンチが存在しており、そのベンチがあった場所の近くに見える黒い染みが、恐らくあの通り魔に刺殺された女性の血の跡だろう。


 そこから10メートル程先には、さらに大きいな黒い染みが残っていた。

 あの場所こそ、俺が人生で初めて人を殺した場所である。


 でもって、この世界で初めて銃器が使用されてた場所でもあるのだが、そこに差し掛かるとき俺は平静を保ちつつ、たまたま通り掛かった何も知らないただの通行人のように、この状況に対して怪訝な顔をしつつ、血の跡を見ながら通り過ぎる。


 もちろん、これは警備中の兵士達に怪しまれないようにするための行動である。

 幸いなことに、兵士達は誰一人としてこちらに対して注意を払うことはなく、お陰で現場を無事に通り過ぎることが出来た。






 ◇






 現場を通過して暫く歩いていると、宿の女将さんが教えてくれた例の先帝陛下と呼ばれる銅像が建っている大きな十字路が見えてきた。

 銅像は正確な大きさはよくわからないが、目測で約5メートル程はあるだろうか?


 像の下にある台座も合わせると、結構高さがあって大きい。

 銅像は長剣を地面に刺し、両手は刺した剣の柄頭のところに置いて顔と目線は真っ直ぐに正面を向いている。


 豊かな口ひげを蓄え、前髪は後ろに撫で付けるようにしており、服装はどちらかというと異世界ものの小説などによく見るイメージの王族というより、明治時代の政治家か実業家を彷彿させるような格好だ。


 そんな恰好であるものだから、持っている剣が何となく不相応な印象を受ける。

 顔つきは彫りが深い西洋人風の造詣で、良い歳の取り方を示す皺が表現されており、厳しさの中に優しさが同居している感じだ。


 台座に近付くと、そこには金属の銘板が貼られていて、文字が彫り込まれているのが確認できた。





“第八代皇帝 フォード・エウ・シグマ 公暦九二五年〜一〇〇六年 公暦九九五年退位”





 銘板の内容から察するにこのフォードという名前の皇帝は81歳まで生きていて、亡くなる10年前に皇帝の地位を退いたということになるのだろうか?



(……ふ〜ん)



 一体、何年ほど皇帝をしていたかはわからないが、地球のように医療が発達していないこの世界では人間としては結構な長生きではないだろうか?まあ、この世界にはエルフもいるようなので、果たしてこの人がこの世界の感覚で本当に長生きだったのかはわからない。


 銅像の前を横切り十字路を左に曲がると、すぐに橋が見えて来た。

 橋は石造りの幅7メートルほどで、どことなく東京の日本橋を彷彿させる造りだ。


 当たり前だが、アスファルトではなく石畳の舗装で、橋の両端と中央付近に街路灯が設置されている。

 街路灯は今まで歩いてきた道に設置されていたものと違い、精緻な彫刻と装飾が施されており、橋の中央付近まで歩いて来て川から異臭が無いことに気付き足を止めて川を見ると、意外にも川の水質は綺麗だった。


 ゴミもほとんど浮いてなく、水質も見た限りではテレビでよく見たヨーロッパの同じ規模の川と比べても格段に綺麗で、川底や水の中を優雅に泳ぐこの世界の魚の姿もはっきりと確認出来る。


 泳いでいる魚をしばらく観察したあと、橋を渡ってさらに歩を進めた。

 橋を渡りきったこの地域では、兵士達の姿は見渡した限りでは確認出来ない。

 どうやら警備は、事件が起きた対岸の地域に集中しているようだ。


 自分を見張っている者がいないことを確認して、携行していたキャンバス生地のドロップケースからAK-74Mを取り出して3ポイントスリングを肩に掛ける。

 銃の各部に以上が無いことを確認して少し歩くと、前方に大きな建物が見えてきた。


 煉瓦と石を組み合わせた重厚な建物は4階建の高さで、1階にある窓のすべてに侵入者防止のためと思われる鉄格子が嵌め込まれている。


 全体的な造りとしては、東京の某大学構内に存在する電話交換所に近いが、あちらが2階建なのに対し、こちらは4階建で幅も奥行きも段違いに大きい上に所々に石が使われているので重厚な雰囲気がより増しているように見受けられた。


 建物に入る前に玄関周りを見てみると扉の上部にある庇の下には木製の看板が掛けてあり、日本語で『ギルド シグマ大帝国本部』と力強い字で書いてあって、扉を右横には





『一階 冒険科・魔法科

 二階 商工科・農林科

 三階 情報科・会議室

 四階 大会議室・本部長室』





 と表記されている。

 セマさんから聞いていたギルドの6つの科の内、『海事科』だけが無いのはこの国が内陸部にあるからだろう。


 扉を開けて中に入ると室内は建物同様に広く、木製のカウンターがL字型に配置されてその前には幾つかの椅子が並んでおり、窓際の通路には同じく木製のベンチが幾つか設置されていて、左端の奥に階段がある。

 雰囲気としては役所というより、銀行に近い印象を受けた。


 カウンター内には木製の机が並んでいて、性別や種族がばらばらな職員達が仕事をしているが、彼らの働いている場所の上にある天井からは木の板が紐でぶら下がっており、それぞれ受付や会計、相談、登録などの文字が書いてある。



「こんにちは。 何か用かい?」



 俺が室内を見回していると受付の職員が声をかけてきた。

 異世界ファンタジーの小説だとギルドの受付は女性である場合が多いのだが、残念ながら俺に声をかけてきたのは男性の職員だ。



「えっとぉ……冒険者のことについてお話を聞きたくて」


「そうか。 じゃあ、冒険者登録についてお尋ねということでいいのかな?」


「あ、はい……」


「それなら、あそこの『登録』という看板が下がっている窓口へ行ってくれ。

 担当の職員が対応するから」


「はい……」


(う〜む……ちょっと、拍子抜けだったなぁ)



 てっきり柄の悪い冒険者がこちらの頭の天辺から爪先まで全身舐めるように観察してきたり、職員の対応が酷く不快だったりするものだと思っていたのだが、そんなことは一切無かった。


 先程の男性職員の指示通りに窓口に行くと、そこには女性の職員が待っていたが、こちらは期待通りの美人な職員だ。

 しかも、ただの美人ではなく彼女の種族は何とエルフだった。


 

(うわ! 本物のエルフだ!)



 初めてエルフを見た俺は興奮していた。

 少しザラつき感はあるが、透き通るような金髪と白い肌と長い笹型の耳が堪らなく興奮を誘う。



「エルフぅ!?」


「え……? ひっ!?」


(しもた、驚かせちった!)


「お嬢さん、驚かせて申し訳ない。

 よかったら、お詫びに夕食をご馳走しますよ」


「え?」


「いかがですか? 美人なお嬢さん」


「ぷ! 何ですか、それ?

 もしかして、口説いているんですか?」


「もちろん、口説いてますよ。

 いかがですか? お嬢さんさえ良ければ自宅まで、いや布団の中まで送りますよ?」


「結構ですよ。 私こう見えても結婚しているので。

 それに年齢は三百歳を超えてますから、お嬢さんではなくお姉さんになりますし……」


「ありゃ? そうなんですか、それは残念」


(本当に残念だよ、こん畜生!)



 しかし、まさか結婚していたとは。

 予想外の答えに俺は軽く絶望し、この金髪巨乳の美人をゲットしたリア充野郎を呪っていた。



(射殺するぞ! クソッタレ!!)



 だが、三百歳超えのエルフと結婚したということは、寿命の関係で人間では無い可能性が高い。

 まあ不可抗力とはいえ、俺も人間辞める羽目になったので人のことを言えないが……



「実は冒険者登録について尋ねたら、受付の男性からこちらの窓口を案内されたんですけど」


「あ、はい。 冒険者登録はこちらの窓口が担当です。

 冒険者登録をご希望ですか?」


「はい。

 と言うか、登録の前に手続きから冒険者についてまで色々とお聞きしたいと思いまして……」


「なるほど。

 それでは、説明させていただきたいと思いますので、そちらの椅子にお掛け下さい。

 あ、申し遅れましたが、私の名前はシルフと申します」


「自分は孝司 榎本と申します。

 よろしくお願いします」



 椅子には背もたれがあるので、俺は肩から提げていた自動小銃を膝の上に置いて席に座る。



「タカシさんですね。 こちらこそ、よろしくお願いします。

 それでは早速、冒険者について説明をさせていただきたいと思います。

 その前にタカシさんは冒険者について、どれくらいの知識をお持ちですか?」


「知識ですか?」


「はい」


(うーん……知識と言われても、俺が知っている冒険者って小説やアニメで知った知識しかないんだが)



 それを言っても大丈夫なのだろうか?



(見当違いで笑われるのならまだしも、怒られたらどうしよう?

 でも、何も言わないのはマズいよなあ……)


「えっとぉ……自分が知っているのは依頼で魔物を駆除したり、商人の馬車を盗賊などから守ったりとかですかね?

 あとは、ダンジョン……いや、迷宮とかで財宝を探したりとかですか?」


「なるほど。

 確かにタカシさんが言っている冒険者の知識は、少し古いみたいですね。

 それは五十年以上前の冒険者の活動になります。

 今の冒険者の中にも、タカシさんが仰ったような活動を続けている者もいますが、現在の冒険者の活動は幅広く多岐に渡ります」


「と言いますと?」


「タカシさんは、現在のギルドが再編されて今に至っていることはご存知ですか?」


「はい」


(有難くセマさんに聞きました)


「それならば話が早いですね。

 ギルドが再編統合されたことによって、冒険者ギルドも傭兵ギルドと統合されました。

 それによって冒険者の活動に傭兵としての業務が追加されるようになり、魔獣などの有害動物や魔物などの駆除、簡単な護衛依頼の他に各国政府軍の支援や災害復興、治安機関が常駐しない街での警備活動や大規模商隊護衛、身辺警護などの依頼も請け負うようになりました。

 また、先ほど仰っていた財宝探索などは迷宮が殆ど攻略されてしまい、一部の迷宮を除いて財宝の類は殆ど残っていませんね」


「へえ……」



 聞いた限りではこの世界の冒険者は地球のPMCーーーー民間軍事会社の社員のような事もしているらしい。


 

(それにしても、ダンジョンってもう攻略し尽くされているのか……)



 ということはダンジョン探索においてどこか訳ありの奴隷を購入する時のすったもんだのトラブルやパーティーの結成、奴隷のためにダンジョン用の装備を店で買い揃えるイベントも無いということだ。



(少し残念だな……)



 高い値段で吹っ掛けてくる奴隷商に対し、可愛い女の子の奴隷を金貨で一括購入してドヤ顔晒したり、購入した奴隷を解放してやると言ったら、「ご主人様に恩を返します〜」とかで一晩中ベッドで組んず解れつの展開は儚くも潰えてしまったわけである。



(現実は厳しいなあ……)



「現在、迷宮での攻略では発掘調査とその事前準備が主な依頼になっています。

 例えば、調査団が安全な発掘調査を行うために迷宮内に巣食う魔物の完全排除と罠の解除にそれらのー撤去、また古い魔法書の捜索に旧魔法技術が使われている魔導具や魔法回路の回収などですね。

 時折、未だ見つかっていない隠し部屋や宝物庫などが見つかり、財宝など出てくる場合もありますが、それでもやはり稀であると言わざるを得ません……」


「なるほど…」


「因みに現在の冒険者には、ある程度の魔法の知識や計算、最低限の文字の読み書きに交渉能力などが求められるので、ギルドでは冒険者登録の際に事前に実地を含む適性試験を受けていただいて、その後に行われる本試験に合格した者だけが冒険者として登録することが出来るようになっています。

 各個人の能力によっては適性試験の結果は大きく変わりますが、結果次第では本試験を受験する時に免除になる項目もありますので、必ずしも一から十まで全ての試験を受ける必要はありません」


「へえ……試験があるんですか?」



 これは意外である。

 セマさんからは「誰でも彼でも冒険者になれる訳ではない」と聞いてはいたが、幾つかの適性試験を突破してさらに本試験に合格しないと冒険者登録が出来ないとは予想していなかった。


 てっきり、入国審査の時に受けた真偽判定+体力と魔力の数値検査や戦闘能力の有無を調べたあとは登録の手数料を支払って終わりと思っていたのだが……



「そうです。

 聞いたことがあるかもしれませんが、少し前までは冒険者登録は誰でも出来ました。

 ですが、各国のギルドで様々な問題が発生したため、現在はギルドの統廃合に伴い、事前に適性試験を受けることと、それに合格した者のみが本試験を受験する決まり変更されました。

 もちろん、ギルド認定の冒険者として登録をしなくても冒険者を名乗ることは可能です。

 各国の法律にも『冒険者稼業を営む場合、必ずギルドに登録しないといけない』という法はありません。

 しかし、依頼者側から一定の信頼を得られて尚且つ入国審査での身分保証や滞在期間延長など、ギルドの援護があることを考慮して、ギルド認定冒険者の登録を目指される方は非常に多いですね。

 因みにギルドには冒険科以外に魔法科や商工科などがありますが、殆どの方は冒険者登録を目指す方と同じで、顧客からの信頼を考えてギルドに登録されようとする魔術士や商人さん達が多いのが実情です」


「そうですか。

 では、自分も登録をしたいので手続きをお願いできますか?」



 別に依頼を真面目にこなすつもりはないが、出入国や滞在期間の問題はこの先もずっと付いてまわるだろうから、可能ならば今のうちに登録を目指しておいたほうが無難だと思う。



「分かりました。 

 それではまず、この国の入国許可証と貴方様の出身国の身分証を提示していただけますか?」


「はい」


(やっぱりきた。

 写真入りの免許証を見せると、また騒ぎになるんだろうなあ。

 多分、宿や入国審査の時のようにどうやって写真を描いたのだとか材質は何だとか色々質問攻めに遭うんだよ……)



 そんなことを思いながら、俺は免許証と許可証をダッフルコートのポケットから出してシルフさんに提示した。



「はい、どうぞ」


「はい。 それでは確認させていただきますね」


(さあ、騒がれるぞ〜どうやって、質問攻めを切り抜けるか……)


「はい、確認しました。 榎本 孝司さんですね?

 こちら、身分証と入国許可証をお返しします」


(あれ?)



 意外にも、すんなりと免許証が返って来た。

 てっきり、他の職員を巻き込んで騒がれるものだと思っていただけに、肩透かしを食らった気分である。

 


「それでは身分確認も終わりましたので、冒険者登録の為の適性試験の手続きに入ります。

 先ずは、最低限の文字を理解されているかを確認しますので、これから【あ】から【ん】 までの文字を平仮名と片仮名でこちらの紙に書き出して下さい。

 それが終わりましたら隣のところに【一】から【十】までの数字を漢数字で書き出してください」


「分かりました」



 シルフさんに言われるがままに、俺は平仮名と片仮名を渡された藁半紙と筆ペンを使って全て書き出す。

 使い慣れていない羽根ペンを使うので、それぞれの文字の所々に多少インクが滲んでしまったが、まあ仕方がない。



「…………終わりました。 はい、どうぞ」


「はい、ありがとうございます」



 藁半紙を受け取ったシルフさんは確認もそこそこに、次のステップに移ろうとしていた。

 先ほどと同じ様に何も書かれていない藁半紙を渡される。



「それでは文字の読み書きの確認が取れましたので、次に登録のための適性試験の申し込みを行います。

 こちらの紙にタカシさんのお名前と性別に生年月日と年齢、出身国名と職業を書いてください。

 タカシさんは今どちらの宿に宿泊中ですか?」


「“金の斧”という宿に泊まってますね」


「では、宿の名前も一緒にご記入ください」


「はあ……」



 ということで、シルフさんに言われたことを次々と書き出していく。

 生年月日はシルフさんにこの世界の標準的な年月日を聞いて、そこから自分の年齢を逆算して書いた。

 出身国は入国審査の時と同じように正直に『日本』と書く。

 職業はこの世界にホームセンターという店はないだろうから『無職』と書いておいた。



「書き終わりました」


「はい、ありがとうございます。

 では、こちらの紙と先ほどの文字を書いていただいた紙をお預かりして、申請の手続きを行います。

 あと申請には保証金と手数料として銀貨10枚が必要となりますが、現金はお持ちですか?」


「はい。 あります」



 そう言って俺は財布を取り出す。

 相手に財布の中身が見えないように注意して銀貨を10枚取り出す。


 しかし、銀貨を取り出す時に金貨が財布の一番上に来ていたので、邪魔だからと無意識に金貨を3枚ほど、つい日本のコンビニや商店のカウンターで会計のときに邪魔なコインやお札を一時的に財布から出すのと同じ感覚で置いてしまったのだ。


 

「はい、銀貨十枚です」


「………………」



 と言って俺がシルフさんに銀貨を出したときには、当のシルフさんは目をこれでもかと見開いて目の前に置かれた金貨を凝視していた。



「あ……やば!」



 それに気づいて俺は慌てて金貨を財布に戻したのだが、時すでに遅し。

 隣の窓口の職員や長椅子に座っていた冒険者の男たちがシルフさんと同じような顔をして、金貨を見つめていたのだ。



「はい、シルフさん銀貨10枚ですよ! シルフさん!?」


「あ……ああ~、はいはい! そ、それでは保証金と手数料の銀貨10枚、確かにお預かりします。

 えっと、仮に適性試験を通過出来ない場合でもこちらのお金はお返しできませんので、あらかじめご了承ください」


「はい、わかりました。

 それでは、よろしくお願いします」


「それでは、冒険者登録の申請はこれにて終了です。

 最後に今後の予定ですが、適性試験は明日のお昼過ぎから実施されますので、必ず明日の昼にはこちらの窓口にお越しください。

 なお遅刻した場合、理由の一切に関わらず試験には参加出来ませんし、不合格扱いとさせてもらいますので、充分ご注意ください。

 その場合、手数料・保証金ともにお返しできません」


「わかりました」


(早く終わってくれよ。 周囲の視線が滅茶苦茶怖い!)


「明日、こちらには身分証と入国許可証を必ずお持ちください。

 お忘れになった場合、適性試験を受けることはできません。

 筆記用具はこちらでご用意いたしますので、お持ちにならなくて結構です」


「わかりました。 それでは失礼します……!」


「はい、ありがとうございました……」



 シルフさんの気が抜けたような声を聞きながら席を立った俺は、そそくさと出入口のほうへと向かう。

 途中、黙って俺を見る職員や冒険者の視線がすごく痛かったが、逃げるようにギルドを出た俺は元来た道を辿って橋に向い、橋桁の中央まで小走りで来てそこで立ち止まり深呼吸する。



「すぅ~……はぁ~」



 危ない危ない。

 日本にいたころと同じ感覚で高額貨幣を出してしまった。

 これはっきり言って、あの場で襲われなかったのが不思議なくらいであるが、一応後ろを振り返って誰も尾行してきていないことを確認する。



「……大丈夫か?」



 幸い誰も後を着けて来ていないようだ。

 いちで米を買うためにうっかり砂金を見せて、追い剥ぎに尾行されるアカシカに乗った青年のようにはなっていない。

 そのことに安心して辺りを見回すと、周囲はもう暗くなり始めている。

 


「こりゃあ、早めに宿に戻るか。 本当は腹が減っているんだけど……」



 やはり、帰りに何処かに寄って夕食を食べたほう良いにだろうか?



(でも、本当に尾行されていないとは限らないもんなぁ……)


「早く帰ろう」



 安全を優先して俺は帰宅の途に就くことに決め、足早に宿を目指した。






 ◇






「……………………おかしい」



 現在、俺は元来た道を外れて別の道を歩いている。

 勿論、迷わないようにイーシアさんから渡されたモバイル端末の地図アプリを起動して歩いているので、道に迷うことはない。というかこの地図アプリは、脇道から更に枝分かれしている細い路地までもを網羅している。

 


(こういうところは、さすが神といったところか……)



 それはともかくとして、先程から何か妙な感じだ。

 後ろを振り返ると誰もいないのだが、何か変な雰囲気ををビンビンと感じる。


 一応、尾行を警戒して手鏡を使って後ろを確認したが、誰も追って来てはいない。

 建物のガラスに反射する映り込みを利用して後ろを確認してはいるが、本当に何も問題はないように見える。



「何だ、この感じは?」



 今歩いているこの真っ直ぐな路地は左右が石造りの建物に挟まており、道幅は2メートル程しかない。

 もうすでに大通りから外れて10分ほど歩いているが、誰ともすれ違わないことに違和感を覚える。

 


(やっぱり、何かがおかしい……)



 辺りはすっかり暗くなって、路地の所々に設置されている街路灯の光と建物の窓から漏れる光が道をボンヤリと照らし出している。

 


「うーん……」


 何か知らないが、何となく嫌な予感がする。

 一応、AK-74M自動小銃のマガジンを一度外して異常がないことを確認して再び銃に装着した後、セイフティを解除してフルオートの位置に持っていき、コッキングレバーを引いてチャンバーに初弾を装填する。


 次に太腿のサイホルスターに入れているMP-443自動式拳銃を取り出して、AK-74Mと同じようにマガジンを確認してスライドを引き初弾を装填してセイフティを掛けてホルスターに戻す。


 ダットサイトのレンズキャップを外し、AK-74Mのストックを展開してマガジンが入っているショルダーバッグのファスナーを開けて銃を構えながら俺は道を進んで行く。


 街路灯のおかげで周囲はおぼろげながらも一応は明るいので、銃に装着されているフラッシュライトはまだ点灯させていないが、これは昨日の経験を活かしてのことである。


 ライトという光源が無いこの世界では、暗闇から突如として自分の顔を目がけて点灯されたフラッシュライトの生み出す強烈な光はかなり眩しい筈だ。相手の目が慣れてくれば意味はなくなるが、初撃で相手の目を眩ませることができれば優位に立てる。


 未だに自分は、昨日の事件でしか銃を撃っていない実銃ド素人である。

 ならば卑怯だろうがなんだろうが、ライトの光で相手が怯んで動けない間に大量の銃弾を撃ち込んで無力化するに限るだろう。


 さすがに今日の朝のように人を撃ち殺したという行為に対して、罪悪感に打ちひしがれることは多分ないとは思うが、一応、覚悟は決めておかねばならない。

 相手を撃ち殺すかもしれない覚悟を。


 と、その時だった。

 銃を構えたまま細い道を進んでいると、前方から黒い何かが突進して来たのである。



「……うおッ!?」



 思わず自動小銃を発砲する。

 細い路地に5.45mm弾の銃声が響き渡った。



「ギャン!!」



 銃弾が命中して倒れながらこちらに滑り込んできたのは体の大きな黒い犬と思われる動物だった。

 いや、よく見ると牙が地球の犬より大きく体長は2メートル以上もある。

 銃口で犬のような動物の体をつついてみるが、眉間と首筋に銃弾が命中しているためか相手は既に即死状態だった。



「なんじゃ、こりゃあ……」


(気持ち悪い……)



 昨日は人間を撃って、今日は正体不明の動物を撃つとかこの世界物騒過ぎる。

 一度、深呼吸して耳を澄ませると左右の建物の中が騒がしい。

 恐らく銃声と俺の叫び声を聞きつけたのだろう。


 中から大声とドタバタする音が聞こえてくる。

 とそんなことを気にかけていると、今度は後ろから何かが駆けてくる足音が聞こえてきた。


 犬が石畳を走るときに足の爪が地面を叩くような“チャッチャッチャッ!”という音が複数聞こえて来たと持ったら、例の体の大きな犬と思しき獣が3匹、大きな口を開けつつデカい牙を見せつけるようにして目の前に迫ってきたのだ!


 

「ひいぃぃっ!?」



 フルオート射撃で先頭の1匹目とすぐ後ろの2匹目を運良く仕留められたが、最後尾の3匹目はこともあろうかその場から飛び上がって、こちら目がけて突っ込んで来た!



(何で飛んでいるんだよ!!)


 勿論、狙いはこちらの首か顔面だろう。

 そう思ったからこそ、俺は悲鳴を上げながら咄嗟に伏せた。


 無事やり過ごすことができた俺は、そのまま通り過ぎていく獣目がけて射撃するが銃弾を数発撃ったところでマガジン内の残弾が切れてしまった。



(やばい……)



 恐らく、今撃った銃弾は獣の尻には当たっていない。

 直ぐに回頭して此方に突っ込んでくるだろう。


 俺は空になったマガジンを捨て、慌ててショルダーバッグから予備のマガジンを取り出して銃に装着し、銃を傾けるようにして左手でコッキングレバーを引いて銃弾を装填し再び銃を構える。

 すると、予想通りあの獣がさっきより速いスピードで突っ込んで来たのだ!


 

「くそっ!」



 トリガーを引く直前、獣は横っ飛びに建物の壁を利用して上へと蹴り飛び、左斜め上のかなり高い位置から、こちらに目掛けて落ちるようにして襲いかかって来た!


 

「げっ!?」



 もう無茶苦茶に銃を撃ちまくった。

 バースト射撃や照準とかそんなものクソ食らえと言わんばかりにトリガーを引きっぱなしにして、とにかく目標に向かって闇雲に銃を撃った。



「ギャウン!?」



 ドンッと、まるで土嚢袋が走行中のトラックの荷台から激しく落ちるような音が路地に響いた。

 落下した獣を恐る恐る見ると肩と首、そして腹に銃弾が命中したのか横になり血を流しながらも起き上がろうと、もがいている。


 顔を覗き込むとその顔は地球の犬とは比べようがないほど凶悪な顔つきをしている。

 全体的にはシェパードを連想させる体つきなのだが、顔は土佐犬をもっとゴツくして牙を大きくさせたような感じで、甘噛みであっても間違いなく大怪我をすることだろう。

 そして今にもこちらに襲い掛からんとばかりに睨み付けている。



「…………」



 空になったAK-74Mのマガジンを新しいものと交換し、セレクターをセミオートへと変更して犬のような獣に近づき、倒れている獣の左側頭部に銃口を合わせて銃弾を1発撃つ。


 バン!という鋭い発砲音と共に動かなくなった獣を見た後、銃を構えて辺りを警戒する。

 5分ほど銃を構えたまま警戒していたが、何も起きないことを確認して銃に取り付けてあるフラッシュライトを点灯し、改めて周囲を確認する。


 巨大な黒い体毛を持つ犬のような正体不明の獣の死骸。

 その獣から流れ出す血で汚された建物に挟まれた狭い道は、咽かえるような獣特有の血の臭さで溢れかえっていた。



「うっ……」



 昨日とは別の意味で吐きたくなる気持ちを抑えながらも、捨てたマガジン2個を回収した俺はその場を離れようとした。



「あ、そうだ。 写真……」



 この獣が何なのかを調べるために、一応デジカメで現場と獣の死骸を撮影することにした。

 イーシアさん辺りに報告書と一緒に提出すれば、すぐに答えを教えてくれるだろう。

 そう考えながらデジカメのシャッターを切ると、フラッシュが数回焚かれて現場を瞬間的に明るく照らし出す。



「ん?」


(気のせいか?)



 一瞬、建物の陰から誰かが見ていたような気がしたのだが、見間違いだろうか?

 そう思っていると、遠くから笛を吹く音が聞こえてきたが、何回も吹いているところを見ると、恐らくこの国の治安部隊の警笛だろう。


 確実に警笛の音が近付いて来ている気がする。

 このままここにいると面倒なことになるのは目に見えているので、俺は急いでこの場を去ることにした。


 相手はこの街を知り尽くしている治安部隊の兵士達。

 モバイル端末の地図アプリは道案内はしてくれるものの、逃げ方までは教えてくれない。

 果たして無事に宿へ辿りつけるかは分からないが、とにかく逃げるとしよう。

 一応、命の危機は脱したが今度は逃走劇だ。

 


「もしかしてこんなことが一生続くのかねぇ?」



 本来これは神様から委託された調査の筈なのだがいつの間にというか、異世界に来て2日目で訳が分からない獣に襲われているのだが、これってどういうことなのだろう?

 そんなことを思いながら俺は、人間に見つかって追われる地球のご家庭の嫌われ者である黒い虫の如く、街中を逃げ回ることになるのだった。

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