第13話 疲労

「じゃあ、言い方を変えようか。 坊ちゃんは神の類だろう?」



 ヨランダさんの口からその言葉が出た瞬間、俺は膝の上に置いていた自動小銃を構えながら勢いよく立ち上がった。


 そして正面のテーブルをヨランダさんごと蹴り飛ばす。

 AK-74Mのセイフティレバーをセミオートの位置まで下げ、銃を傾けてコッキングハンドルを引き初弾を装填する。


 AK独特の装填音が響いたのと同時にテーブルが床に激突し、老婆も椅子ごと床に倒れる。

 突然のことに驚いている彼女に向けて銃をポイントし、レーザーデバイスから照射された赤いレーザー光の点が顔に灯ると同時に射撃した。


 “バンッバンッバンッ!!”と銃声が3発響き、銃弾が老婆の顔に命中する。

 鼻・顎・左頬に命中した5.45mmワルシャワパクト弾は、老婆の後頭部から抜けてその威力を余すことなく発揮して顎を顔面を粉砕し、歯と骨と血と肉を床や壁に飛び散らせる。


 そして俺は、物言わぬ顔が判別出来ないくらいに破壊されて、正視に耐えない状態になった老婆だった死体を見下ろしていた。






 ◇◇






 なんてことになることはなく、俺は額に汗を滲ませながら椅子に座ったままぎこちない笑みを浮かべていた。


 緊張から右手の親指がずっと銃のセレクターの表面をなぞっている

 何か反論を言わないといけないと頭の中で考えていても、いざ口を開こうと思うと適当な言い訳が出る自信がない。



「カマかけるために当てずっぽうで言ったんだけど、図星だったのかい……」


「え? 当てずっぽう?」


「いやねぇ、坊っちゃんから金貨を貰った時に手から伝わって来た魔力に何か別の力が混じっているみたいだったからねぇ。

 それを知りたくて、ここに来るように昨日言ったんだよ」


「そうですか……」


(マジぃ……)



 まさかいきなり「あなたは神ですか?」なんて言われるなんて思ってもみなかったから、思いっきり狼狽したのが相手に伝わってしまった。

 しかし、俺はまだ自分の言葉として認めた訳ではないから、まだセーフだと思いたい。



「で、どうなんだい? 坊っちゃんは本当に神様の類なのかい?

 それとも別の“何者”なのかねぇ……」


(うーむ……ここは素直に認めたほうが良いのか、それともテキトーにはぐらかしておいたほうが得策なのか? 判断に迷うなあ……)

 

「ええっとぉ……なんと言うか、まあ自分は神の類じゃないですYO?」


「坊っちゃん、嘘つくのならもうちょっとマシな態度で言いなさいね。

 それじゃあ逆に肯定しているようなもんだよ……」


「うっ…」


(こりゃあ、ダメだわ。

 オラ、図星突かれたら誤魔化せる自信がねえだ……)


「まあ、当てずっぽうで言ったあたしが言うのもなんだけど、驚いたねぇ。

 まさか本当に坊っちゃんが人間種じゃないとはねぇ……」


「いや、あのそれは……」


「坊っちゃん、今さら誤魔化すことは無しだよ?

 アタシは別に坊っちゃんをどうこうしようと思っているわけじゃないんだ。

 ただ、坊っちゃんとお近付きになりたいだけなんだよ」


「それはまた何で?」


「坊っちゃんは知らないかもしれないが、この大陸には“神”と名の付く存在は沢山いるんだよ。

 だが、それの殆どが人が作り出したまやかしでね。

 かく言うあたしも、以前はその“神”という存在に全てを掛けてた時期があったんだが、それが幻であったことに気付いちまってねぇ。

 あの時は、自ら命を絶とうかと思うくらいに悩んだもんさ……」


「はあ……?」


(そういえば、このヨランダさんは何処ぞの宗教組織に属していたんだっけか?)


「未だ若くて何もかも疑わずに純粋に物事を信じていたあたしにとって、神様はこの世界を生きる唯一の拠り所であり、希望だった。

 そして、その希望を信じて毎日沢山の人々を救って来た。

 文字通り、命懸けでね……」


「命懸け……」


「そうさ。 でもそれも、最悪の形で裏切られることになったけどねぇ。

 あたしが救えた筈の命が失われていくんだ。

 教団への喜捨やお布施が足りないという理由だけでね……」


「あー、もしかしてと言うか……もしかしなくてもそれは」



 異世界ファンタジーによくある、典型的な宗教組織の腐敗というヤツではないだろうか?



「坊っちゃんが言わんとしていることは分かるよ。

 そうさ、よく聞く教団の腐敗って奴さ。

 組織内の権力闘争と贈収賄に暗殺、何でもござれの腐敗が当時のエルフィス聖教会の中に蔓延しててねぇ。

 あたしは、ウィルティア公国のシリアン辺境教会で助祭を務めていたんだけど、ちょっとした軋轢があったのさ……」



 ヨランダさんの話が長くなったので、要約すると次のような感じになるらしい。

 本人曰く、シリアン辺境教会で助祭として教会を纏め上げていたところに、左遷されてきた中年の司祭が来たという。


 最初は大人しかったそうだが、1年くらい経った辺りから信者に多額の喜捨やお布施を要求し始め、教団がボランティアで行っていた軽傷患者に対する無償治療に金を要求し始めたというのだ。


 しかも、質が悪いことにそのことを噂として自ら街に広め、金を持った貴族や商人たちにのみ治癒魔法や薬の処方を行い、低所得者層は門前払いにしていたという。


 ヨランダさんはそれに対し、同僚の助祭や部下と共に抗議したそうだが一向に聞き入れてもらえなかった。

 教団本部にも抗議文を送ったそうなのだが、当時の教団上層部は新しい教皇の下で人事の刷新を行っている真っ最中だったらしい。


 そのため「辺境の教会の人事はもうちょっと待ってくれ」と本部から言われたのだとか。

 それから約1年後に問題の司祭は教団内部に新設された宗教警察組織『特別高等監察部』に逮捕されたらしいのだが、地域住民からの信頼をすっかり失ったシリアン辺境教会は信仰熱心な信者さえも寄り付かなくなったそうだ。



「信仰が深ければ深いほど、教団に対する落胆した時の心の傷は深かっただろうねぇ……」



 とはヨランダさんの言だ。

 そして、誰も寄り付かなくなったシリアン辺境教会は運営資金の面から立ち行かなくなり、ヨランダさん達は“司祭の暴走を止められなかった”という理由で別の辺境の教会に左遷という形で飛ばされることになったそうだ。


 そしてヨランダさんはそんなエルフィス聖教会に失望し、破門覚悟で上層部に辺境での診療所の開設を申し出たところ、『シグマ大帝国の帝都で診療所を開設するのならやっても良し』と言われてここで診療所を開設したとのことらしい。


 ち因みに、このような問題は各地の辺境の教会で起こっており、当時のエルフィス聖教会や他の宗教組織内部でも大問題になっていたそうだ。



「上はあたしたちの告発と抗議の声を聞いていながら、問題の司祭を逮捕することへの対応が遅れたことに一定の罪悪感はあったらしくてねぇ。

 それと併せて、治癒魔法が使える司祭や助祭が各地の教会から何人もいなくなることに危機感を覚えたみたいでね?

 あたしのと似たような要望を出した者には、診療所や小さな教会の開設に特別に許可を出したのさ。

 しかし、上もちゃっかりしたもんで、開設や建設に掛る諸費用はぎりぎり足りるか足りないかぐらいの費用しか出さなかったんだよ。

 『残りの費用は自分達で捻出するように』と言って、あたし達が途中で計画の手を止めないように手を打ってたのさ……」



 そのためヨランダさんは必死になってお金を貯めて、教団が出す分の費用と合わせてなんとかこの建物を作り、診療所の運営を開始したとのことだ。日本であれば、救命診療で診療費の未払いなどが発生すると、治療に使った薬品や包帯などは病院からの持ち出しになる。


 しかしここでは、薬はほぼ使わず治癒魔法を使うのでそこまで費用はかからないものの、ヨランダさん本人の体力を削ることになるので、患者が多いと本人がぶっ倒れることが時々あるそうだ。なぜそこまでするのかと聞きたいところだが、聞いたところで俺には理解できるはずもないので聞かないことにした。



「ここを運営して老若男女様々な種族の者達と言葉を交わすことがあったけど、最終的に命の危機に陥った者が縋るのは神様じゃなかった。

 あたしであり、あたしの使う治癒魔法だった。

 じゃあ、あたしは何に縋って生きていけばいいんだい?

 信じていたものに裏切られて、あたしの掛けた治癒魔法でも生きることができなかった者たちの無念と残された家族や仲間たちの悔しい気持ちを見て、あたしは何に縋ってこの気持ちを解放すればいいんだい!?」



 この時には、ヨランダさんはボロボロと涙を流して崩れ落ちていた。

 結局、このお婆さんは信じていたものに裏切られて生きる希望や夢がない状態で今日まで生きてきたが、怪我や病気で苦しんでいる人々を見て見ぬ振りができない性格だったから一人で診療所を運営して多くの人々を助けていたということだ。


 しかし、家族も居らず心の拠り所が無くて日々のストレスが溜まって軽い鬱状態に陥りかけていたところに、俺と接触して手から感じ取った魔力以外の力から推察して俺が神の類じゃないかと思ったらしい。



「仮に私が神様だったとして、私をどうするつもりだったんですか?」


「別に坊っちゃんを崇め奉ろうと思ったわけじゃないよ。

 もし神様が現実にいるのなら、この世界はまだ捨てた物じゃないって再確認したかっただけなのさ……」


「はあ……」


(そう言われても、正直俺は困るんですが?)



 大体、この世界に来る時にあの2柱が本物の神様か疑った挙句、神様の末席に位置することになった俺としては神様としての威厳もクソも無いと思うのだが?


 それに手が触れた時に魔力以外の力が流れ込んで来たと言っていたが、俺は意識してやったわけでもないし、今ここで神様の御業を見せろと言われても出来ないし、そんな術も知らない。


 と、そんな時だった。

 コートのポケットに入れていたモバイル端末の振動音が鳴ったのは。


 室内に“ブーッ! ブーッ! ブーッ!”と音が響く。

 屋外の騒がしい場所であれば、喧騒で振動音が掻き消されるのだろうが薪が燃える音くらいしか聞こえない静かな室内では、逆にこの振動音が大きく聞こえる。

 当然、この音はヨランダさんの耳にも入っており……



「な、なんだい? この気味の悪い音は……」


「あー、これは呼び出しの合図ですよ」


「呼び出し……かい?」


「ええ、ちょっと失礼しますね」



 そう言って俺はリビングから出て行き、玄関へと移動した。






 ◇






 コートのポケットからモバイル端末を出すと、着信を示す光が点滅している。

 着信履歴を見ると案の定“神” と表示されていた。


 にしても、このタイミングで連絡して来るとはなんとも間が悪い。

 噂すれば影とは言えなくもないが、何故にこのタイミングで連絡して来るのだろうか?


 この状況でこれなのだから多分その内、見つかったらマズいピンチな時に連絡して来そうで怖い。

 そんなことを考えながら、着信履歴から折り返しで電話をする。



『こら、孝司! わしが電話入れとるのだから、とっとと出んか!

 一体、何をしておるんじゃ? 何か? もしかしてナニをしておったのか!?』


「いやいや! さすがに何時も直ぐに出れるとは限りませんよ!

 それに何故、“下”の方に振るんですか?

 あなたの頭の中には、下ネタという概念が存在しっ放しなんですか!?」


(もうヤダ、このエロ神様!

 絶対にこの神、俺が絶対絶命のピンチの時に電話して来るよこれは!)


『しょうがないであろう? 

 どこに下ネタという概念が存在しない退屈極まりない世界などあるか?

 いや無い!』



 いや、そんな語気を強くして言われても……



「ところで、いったい何の用ですか?

 まさか、本当に下ネタを言いたくて電話してきたんじゃないでしょうね?」


(もしそうなら、このアドレスを着信拒否に設定するぞ!)

 

『勿論、ちゃんと用があって連絡を入れたんじゃ。

 この前、お主が報告してきた例の日本人達の件に関してじゃよ』


「ああ〜っ、あの件ですね! で、何か解りましたか?」


『うむ。 お主が撮影していた宿帳の画像データを御神みかみに渡して調べさせたところ、宿帳に記載されていた6人の日本人は全員この世界の魔導師に召喚されていることが判明した。

 召喚した者の正体は魔導師であること以外は一切不明じゃ。

 何故、彼らを召喚したのかの目的も不明じゃな。

 地球では彼ら6人が突如消えて大騒ぎになっておる』


(う〜ん。

 予想通り、召喚されちゃった系だったか)



 しかし、大騒ぎになっているとはどういうことだろう?



「何故、彼らが居なくなって大騒ぎになっているんですか?

 普通、この手の異世界召喚って大体の場合、未解決の行方不明事件になるのはわかります。

 その後、地方のローカルな事件として終わるんじゃないんですか?」


『それが、そうはなっておらんのじゃ。

 召喚された6人はそれぞれ別々の都道府県から召喚されておるので、お互いに面識は無いのじゃが、召喚魔法で消える瞬間をテレビ局のカメラやスマホのカメラで撮られてたり、目撃者がいたりしてのう。

 現代の神隠しとして、世界中で動画が再生されまくって大問題になっておる。

 日本では警察庁と管轄の都道府県警察本部を中心に行方不明者の捜査しておるが、これといった手掛かりが無いから見つかるわけが無いからのう。

 かの国などは拉致被害者の件と違って、今回の行方不明の事件には関わっていないといち早く声明を発表しておる』


「そんなことになっているんですか?」


『うむ。 特にテレビ局の取材中に消えたのが一番インパクトがあったようでの……』



 因みにどんな消え方をしたのかをイーシアさんに聞いたところ、天気予報の強風の取材中に街中の女子高生を写すという街頭撮影をしていたところ、自転車に乗っていた女子高生が何の前触れも無く突然自転車ごと消えたらしい。


 他にも学校の昼休みにSNSへのアップロードを目的とした自撮り中に後ろにいたクラスメイトが突如消えたり、職員室で教師に注意を受けていた男子生徒が教師達の目の前で突然消えたりだとか、自作自演とは思えない状況で消えたのだという。



『おかげで“次は誰が消えるのか?”と大騒ぎじゃよ。

 特に中高校生の子供を持つ親達はパニックになっておるし、ネット上ではお祭り状態じゃ。

 先程、夕方の記者会見で官房長官が平静を保つよう声明を発表したが、意味を成しておらんな。

 お主の報告でわしも御神も初めて知ったが、はっきり言って後の祭りじゃった。

 もっと早くに知っていれば、相応の対応も出来たんじゃがなぁ。

 孝司のように召喚された6人に関係する記憶や記録を地球上から消してしまうということも考えたが、イレギュラーな異世界被召喚者を必ず日本に戻す必要があるからのう……』



 何だかなんか嫌な予感がするのだが?



『……で、じゃ。 御神と協議して、お主に彼らを日本に戻すようにしてもらうことにした』


「ああ〜っ、やっぱりぃ……」


『やっぱりとは何じゃ? 仕方がないであろう。

 このまま放っておくと、それこそ本当に異世界崩壊の危機じゃ。

 しかも、地球側から無理やり日本人が連れてこられたおかげで、わしと御神の世界の接点にごく僅かながら、ノイズが発生しておる。

 幸い大きな問題になってはおらぬが、放っておいて良いものではないぞ?』


「分かりましたよ。

 で、タイムリミットはあるんですか?」


『タイムリミットは2年じゃ。

 それ以上時間が掛かると、世界の接点がおかしくなって色々と不味い……』


(何だ、結構時間があるじゃないか。 てっきり、1ヶ月かそこらと思っていたぞ?

 ん? ちょっと今、おかしいことに気付いたんだが?)


「イーシアさん。 ちょっと、お聞きしたいんですが?」


『何じゃ?』


「私がこの世界ウルに来たのは数日前ですが、例の6人は少なくとも数ヶ月以上前にこの世界に来ていたんですよね?

 何か時間の経過がおかしくないですか?

 彼らが消えたことで日本はおろか世界中で大騒ぎになっているのなら、何故私はその事を知らなかったんですか?」



 そうなのだ。

 俺がこの異世界に来たのが数日前で、例の高校生6人はそれより前にこの世界に召喚されている。

 官房長官が記者会見するくらいの大騒ぎなら、日本にいた俺が知らないはずがない。

 明らかに時間の経過がおかしい。



『それは孝司がわしの自宅でだらだらと過ごしていたのが原因じゃ。

 神が住む空間と地球の時間経過は異なるでの。

 本来なら、お主に説明をしてそっちの世界に直ぐに行かせるところを、お主がわしらの言うことを信じずに長々と家に居たのと、持ち込む武器のリストを作っていたのが原因じゃぞ?』


「うっ……! でも、日本人が召喚されたのは私の責任ではありませんよ?」


『まあ、それは仕方がないの。 

 しかし、お主がもっと早くそっちの世界に行っておったら、場合によっては彼らの召喚を阻止できた可能性はあるぞ?』


「でも、そんなこと言ったら、堂々巡りになりませんかね?」


『じゃから、責任問題は発生せぬ。

 問題はお主に例の日本人たちを無事に送り返してもらうだけじゃ』


(う~ん、どうやって送り返すんよ?)


「それなんですが、どうやって送り返すんですか?

 まさか、切符渡して船に乗って世界の端に行ったり、地球と通じているピンク色の扉とかモヤを通って帰るんですか?」


『そんな面倒なことするわけなかろう。 説明してやるから、よく聞くのじゃぞ?』


「はい」


『まず、召喚魔法か転移魔法に長けた魔法使いを探して協力を仰ぐ』


「はいはい」


『協力が得られたら、次に召喚された6人の高校生を探す』


「はいはい……」


『発見したら、暴れられないように全員をボコボコにして黙らせた上で拘束する』


「えっ?」


『魔法陣を敷設したら、その上に6人を置く。 で、用意ができたら、わしに連絡を入れる』


「はあ……?」


『わしが地球への道を開くから、その隙に協力してくれている魔法使いが彼らを魔法で送り出す。

 以上じゃ。 どうじゃ、簡単であろう?』


「いやいや、いやいや! めっちゃ難しいじゃないですか!?

 大体、ボコボコにするとか魔法使いに協力してもらうとか、何ですかそれ!?」


『いやあ、ボコボコにするというのはシャレじゃよ。

 彼らが地球に帰りたいと思っていれば、言わなくても向こうから進んでやって来るじゃろう?』


(ええ~っ!?

 もし高校生達が帰りたくないって言ったらどうするの? それに魔法使いって何?)


「あの~? 高校生達は別にいいとして、魔法使いって何ですか?

 イーシアさんの神通力で返すんじゃないんですか?」


『うむ。

 わしが直接返すことも考えたんじゃが、そうなるとわしの力が高校生達に入ってしまって地球に戻った時にどんな力が付与されているか分からんから、止めてくださいと御神に言われてな。

 じゃから、わしはあくまで空間の接点に開いてる穴を広げるサポートに回って、送り出すのはそちらの世界の魔法使いにしてもらわないといけないのじゃ』


 要するに、異世界から地球への逆チートが掛ると面倒だから無理というわけだ。

 でも確か、転移魔法とかって失われたいにしえの魔法って誰か言ってたような気がするのだが?

 何か、嫌な予感がプンプンする。



「一つ聞いておきたいんですが、協力してもらう魔法使いって誰でも良かったりします?」


『そんな訳なかろう。

 最低でもベテランの魔法使い以上の魔力と召喚か転移魔法の知識を持つ者が必要じゃ。

 宮廷魔術士程度であれば、大丈夫ではないかの?』


「そんなの無理に決まってるでしょうが!! アンタ、馬鹿か!?

 異世界に来たばかりの人間が、どうやって宮廷魔術士に協力を仰げるんだよ!!」


(わかった。 今、わかったよ!!

 世界が崩壊の危機に晒されようとしているのは、この神のせいだ!)



 この雑な性格なら、この世界が崩壊の危機に至っても不思議じゃない。

 本当に面倒なことに巻き込まれてしまったと、俺は内心頭を抱えていた。



「坊っちゃん、さっきからどうしたんだい?

 話し声が聞こえたけど、そこに誰か居るのかい?」



 リビングのほうからヨランダさんが声を掛けてきた。

 俺が大声を上げたことを心配して様子を見に来ようとしているようだ。



「ああっ……大丈夫ですよ、直ぐにそちらに戻ります」


「そうかい? そっちは冷えるから、早く戻って来な」


「は~い……」


『ん? 孝司、お主以外に誰かいるのかえ?』


「ああ、いや……ちょっと今、他人の家に来てまして」


『彼女か? それとも、ムフフな関係だけの女か!?』


「んなの、いませんよ! あんたの頭の中にはピンクなことしかないんですか!?」


『冗談じゃ、冗談。 ではとりあえず、明日の朝また連絡するでな』


「ああっ、ちょっと待ってください」


『なんじゃ?』


「ちょっと、あなたに救って欲しい迷える子羊がいるんですが……」


『なんじゃ?』


 

 ちょうど良い。

 いつもこのいい加減な神様に翻弄されているのだから、たまには俺の役に立ってもらうとしよう。

 俺はモバイル端末とは別にノートPCをストレージから出しながらニヤニヤとほくそ笑んでいた。






 ◇






「いやあ~、すみません。 ちょっと、取り込んでました」



 営業スマイルを浮かべながら、俺は両手でノートPCを抱えて戻って来た。



「さっきからどうしたんだい? 玄関のほうで何か独り言を喋っていたようだけど……」


「いやいや、ちょっとあるお方と話していましてね?

 で、その方がヨランダさんと『お話ししたい』と言うので連れて来ました」


「連れて来たって、誰をだい? どこにもいないようだけど……?」


「ここいにいますよ」



 そう言って、俺はノートPCテーブルの上に置く。

 画面に映っているのは勿論、下ネタ大好きな神様ことイーシアさんである。

 ヨランダさんが不思議そうな顔をして画面を覗き込んだ途端、彼女は目を覆って倒れこんだ……



「ひぃぃーーッ!? 目が!? 目がぁ!!」


「ええっ!? 何で!?」



 驚く俺の前ではヨランダさんが目を抑えたまま、のた打ち回っている。

 しきりに「目が見えないっ!」と叫んでいるがどうしたのだろうか?



『ああ、しまったわぁ。 わしとしたことが、うっかりしておったわい……』


「またあなたは何かしたんですか!?」


『先ずはこの老婆の目を戻すのが先じゃ。

 孝司、まずパソコンの画面設定から、フィルター機能を“ON”にするのじゃ』


「はあ……? 画面設定、画面設定っと……お? これですか?」



 従来のパソコンと同じ操作でコントロールパネルからディスプレイの個人設定に行くと、従来のパソコンにはない“フィルター”という項目が現れた。



『そうじゃ。 それを機能させんと彼女の目を元に戻せんのでな』



 イーシアさんの指示通りに“フィルター”をONにしたが、ノートPCの画面には変化がない。

 この機能で一体何の変化があるのだろうか?



『良し。 では彼女の目を元に戻すぞい。 孝司、パソコンの画面を彼女の方へ向けるのじゃ』


「はいはい」



 イーシアさんに言われるまま、俺はヨランダさんにノートPCの画面を向ける。



『…………良し。 もう大丈夫じゃ。 ヨランダとやら、目を開けてみるがよい』


「う……あ……ああっ、見える……目が元に戻ったのかい?

 え? 何だいこれは!? 物が、物がはっきり見えるよ……!?

 どうしてだい!? 一体、何が起きたんだい!?」


『うむ。 元に戻すのもアレじゃから、視力を強化してやったぞい。

 そこら辺を歩いている子供や若者より視力は良くなったろうて』


(凄え……)



 画面をヨランダさんに向けただけで、特別何かしたようには見えなかったのに一瞬で視力を補正どころか強化したらしい。



「坊っちゃん! 一体何が起きたんだい? 

 目が焼けるように熱くなったかと思ったら、急に目が良く見えるようになったんだよ!?

 坊ちゃんが治癒魔法か何か掛けたのかい?」


 

 ヨランダさんは俺の手を取り、ブンブンと上下に振って喜びを全身で表している。

 どうやら彼女は俺が治癒魔法か何かで視力を回復させたと勘違いしているようだ。



「喜んでいるところすみません。

 ヨランダさんの視力を回復させたのは、私ではなく彼女ですよ」



 そう言って俺はノートPCの画面に映るイーシアさんを指し示す。



 「彼女? 彼女って、この絵のことかい?」



 どうやらヨランダさんは画面に映し出されているイーシアさんを絵と勘違いしているようだ。

 イーシアさんはイーシアさんで、まるで静止画像のように微動だにしないでいる。



「それにしてもこの絵は凄く精緻だねぇ。 

 この描かれている女の人も神々しくて、美しいじゃないのさ。

 あたしは未だかつて、こんな美人な女性は見たことが無いよ……」


『…………ぶわぁっ!!』


「ぎゃああああァァァァーーーーッ!!!!…………」


『アハハハッ!!』


「アンタ、何やっとんのじゃあ!? コラァー!!」


(やりやがった! このエロ神、やりやがった!!)



 液晶画面のことなんて知る由もないヨランダさんが顔を画面に近づけた途端、イーシアさんは大きな声とベロベロバーで彼女を脅かしたのだ。



『いやあ、すまんすまん。

 やっぱりここは、お約束通りに脅かすのがセオリーというもんじゃろ?』


「脅かすにしても、もう少し考えろよ!! ヨランダさん、気絶しちゃっただろうが!!」


『……ありゃ?』


「“ありゃ?”じゃねえでしょうがぁ!?」


『すまんすまん。 ヨランダとやら、起きるのじゃ』



 イーシアさんが指をパチリと鳴らすと気絶していたヨランダさんが目を開けた。



「……はっ? さっきのは、一体何だったんだい? 絵が動いたような気がしたんだけど……」


『気のせいではないぞ、ヨランダよ』


「ひいいぃぃーーーっ!!?? 絵が動いておる!! しかも、あ……あたしの名前を呼んだよ!?」


「あ~、ヨランダさん。 彼女は怪しい者ではありません。

 彼女こそ、この世界を作った神様なんですよ」


「か、神様だって……?」


「そうです」


『そうじゃよ』


「こ、この人が神様?」



 やはりと言うか、ヨランダさんはし信じられないって顔している。

 かく言う俺も本当にイーシアさんが本当に神様かと疑うときがあるから、初対面のヨランダさんは言わずもがなだ。



「は……初めまして、神様。 

 わたくしの名は、ヨランダと申し上げます。

 街の診療所を運営している、しがない治癒魔術師でございます。

 姓の無い平民の身でありながら、神の御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ奉りあげまする」


『うむ。

 ヨランダとやら丁寧な挨拶、礼を申す。

 わしの名はイーシアという。

 孝司の言う通り、この世界の神じゃ』

 

(あれぇ~?

 何か疑いの目をしていたのに、イーシアさんを神と認めてお互いにすんなりと自己紹介しているよ!?)


「あ、あのヨランダ……さん?

 何故にイーシアさんが神様かどうかを疑わないんですか?」


「坊っちゃん、私はもともとは助祭だったんだよ?

 曲がりなりにも、神様を祀る仕事についていたものが神様の力を感じ取れなくてどうするのさ?」


「え? じゃあ、最初の信じられないって顔をしていたのは?」


「そんなこと思ってもいないさ。 

 ただ、何故、あたしなんかの所に神様が御降臨されたのか、不思議に思っていただけさ」


「はあ……」


「それよりも、坊っちゃん!!

 何で、神様の御名を気安く呼んでいるんだい!?

 それにさっき、神様のことをあんた呼ばわりしていただろう!?

 そんな失礼なことしてたら、神罰が下るよ!!」


『そうじゃぞ、孝司』



 突然、ヨランダさんが怒り出した。

 それにイーシアさんが歩調を合わせてくる。



「あの、落ち着いてください。

 ヨランダさん、これには色々と訳がありましてね……」


「訳があろうとなかろうと、坊っちゃんも私と同じ人間種ならとんでもない失礼を犯しているんだよ!!

 場所が場所なら、即刻処刑されても当然な態度をあんたは神様相手にとっていることになるんだ!!

 下手したら、あたし達人間種全体に天罰が下ってもおかしくないんだからね!?」



 なんだかヨランダさんが勝手にヒートアップし始めた。

 顔が真っ赤になって、もの凄い剣幕で捲し立ててくる。



『あ~、ヨランダ殿。

 孝司は元々は人間じゃったし見た目も普通の人間と何ら変わらんが、こう見えても神の末席に位置しとるんじゃ。

 神としては何の権限も無いが、これでもれっきとしたわしら神の仲間なのじゃ』


「えっ? ま、まさか……」


『ついでに言えば、孝司はこの世界に居た人間ではない。

 この世界とは全く別の世界から、わしともう一柱の神がこの世界に連れてきたのじゃ』


「……ええっ!?」



 老人には似つかわしくない、気が抜けた声を出して俺を凝視する。

 その顔には、何か腑に落ちない様子の気持ちがありありと見て取れた。



「信じられないと思うかもしれませんが、それも当然のことだと思いますよ。

 自分でも、まだ夢を見ているんじゃないかと思うことが時々ありましてね?

 私のことは、今まで通りに呼んでもらってかまいませんので。

 ただ、かしこまった呼び方はやめてくださいね?」


『わしも名前で呼んでもらってかまわんぞ?』


「はい。 畏まりました……」



 まあ、そうは言ってもいきなりタメ口なんて聞けるはずもない。

 特に元聖職者ならば当然である。



「あの、ところでイーシア……様は何故、絵の中に閉じ込められているのですか?

 もしかして、なにか呪いのようなものを受けて……」


『これはの、仕方がないことなのじゃ。

 わしが素のままでこの世界ウルに現出すると、色々と不都合があるのじゃよ。

 まあ具体的に言えば、そちらの世界に立っているだけでも天変地異が起きかねんし、

 クシャミひとつ、咳ひとつで大地が割れたり、いくつかの国が容易に消滅しかねんのじゃ……』


「え? そうなんですか?」



 こう言ったのは俺だ。

 実はイーシアさんにヨランダさんを協力者に引き込むために「直接会ってくれ」と頼んだのだが、断られてしまったのだ。


 てっきり、この世界の人間と神が直接会うのはマズイとかそんな理由で断っているものと思っていたのだが、どうやら違ったようで通信を介して俺と話すのではなく、この世界に来て直接指示を出せば早いものをと思っていたのだが、それをしなかったのはインフルエンザによる体調不良や面倒くさいと言った理由ではなかったらしい。



『うむ。

 基本的に何の事前準備も無しに神が地上に降りれば、降りた先の世界に多大な被害を与えてしまうことが多々ある。

 御神でさえ、直接地球には降りれんのじゃ。

 降りる際には力が極限に制限された分身体や端末体でないといかんのじゃ。

 まあ、それであってもその世界の者達から見たら、完全に規格外の肉体になるのじゃがな……』


「へえ。 じゃあなんで、貴女と初めてあった時に地球は無事だったんですか?」


『それはわし自身が結界を張って、さらに御神が結界と防護壁を重ね掛けしていたからじゃ。

 もし素でいたとしたら、孝司はわしと出会った瞬間に一瞬で蒸発していたじゃろうし、そうでなくてもわしが咳き込んだ影響で震度12の大地震のひとつくらいは起こっていたと思うぞ?』


(うっわ、怖っ!! まるで、歩く戦略核兵器だな……)


「じゃあ、坊っちゃんもくしゃみひとつで……」



 イーシアさんと俺の会話を聞いていたヨランダさんが青褪めた顔で俺を見る。

 その顔には恐怖しかない。



『ヨランダよ、それは大丈夫じゃ。

 孝司は確かに神の末席としてわしらの仲間になったが、生命と魂の存在を除けば肉体的には普通の人間とほぼ変わらん。

 少なくとも、この大陸が蒸発するようなことにはならんから安心せい』



 そう言われて明らかに安堵するヨランダさん。

 しかし、俺の身体がこの世界の人間達と変わらないというのは嘘だ。


 この世界に来るときに俺の体は簡単に死なないように色々と弄られている。

 それにこの神様の性格から考えて、俺に黙って変な機能や力をこっそり付与しているだろうことは容易に想像できた。



『ところでヨランダよ。

 わしが何でお主の前に姿を現しているのか、内心不思議に思っておるじゃろう?』



 イーシアさんがそろそろと思ったのか、本題をヨランダさんに切り出してきた。



「え? は、はい。 思っております」


『それはの、お主にわしらの協力者になって欲しいのじゃ……』


「協力者……ですか?」


『そうじゃ。 実はの……』



 イーシアさんは、この世界の崩壊の予兆を調査させるために俺を寄越したこと。

 この世界に地球から日本人が6人、強制的に召喚されたことと、それが原因でイーシアさんと御神さんの世界の接点に異常を及ぼし、放っておくと2年後にはこの世界と地球が崩壊してしまうことを説明した。



「そ、そんなことが……」



 イーシアさんから一通りの説明を受けたヨランダさんは慌てふためいて、顔からは完全に血の気が引いていたが、それは人間として当然の反応だった。


 神様から『この世界が近いうち崩壊するかも』と言われて平気な顔ができる者はそうはいないだろう。


 

『それで今、優先してやるべきことは、この世界に無理矢理召喚された日本人の少年少女を探し出して元の世界に帰すことなのじゃ。

 しかしながら、わしが直接帰すことは適わんでの。

 この世界の腕の立つ魔法使いの協力が不可欠になるのじゃが、孝司はこの世界に来てまだ間もない。

 そこでヨランダ、お主の伝手で名のある魔法使いに協力してもらうよう話を通してもらえんか?』


「そんな大それたこと、わたくしどもには荷が重過ぎる思いがするのですが?

 それに、わたくしにはそのような名のある魔法使いの知り合いはいません」


『では、皇室関係者ではどうかの?

 確かお主は、現皇帝の妻である皇后たっての強い思いで、生まれてきた皇太子を取り上げたのであろう?

 ということは、少なくとも皇帝とその家族とお主は知り合いと言って差し支えなかろう。

 どうじゃ?』


「それは……」



 イーシアの言葉を聞いてヨランダさんは何か言おうとしたらしいが、相手が神であるというのを思い出して中々言い出せないような雰囲気になっている。



『 まっ、そうは言ってもお主とてわしの言うことだからと、はいそうですかと言えるわけがないのは最初から承知しておる。

 仮に協力してくれたとして、わしのお願いだからと皇室関係者に言っても、お主の信用を落とすだけじゃろう……』



 まあ、自分の息子の出産を手伝ってくれた助産師さんが久しぶりに会いに来たと思ったら、いきなり神様に言われて腕の立つ魔法使いを探してると言われても皇帝や皇后も戸惑うだけだろうし、相手が相手だけに信用を失ったときにはこの国にいられない可能性もあるので、それはそれで当然の反応をヨランダさんは示しているわけだが……それはそれ、イーシアさんもそんなことはハナから承知している。



『ということで、お主を味方に引き込むために少々強引ではあるが、分かりやすい神の奇跡というものを用意することにした。

 ということでヨランダよ、受け取るのじゃ』



 そう言って、イーシアさんが“パチン”と指を鳴らした瞬間だった。

 “ブチッ!”っと何かが千切れる音が聞こえたと同時にヨランダさんが一瞬で若返ったのである。


 白髪混じりだったくすんだ金髪は、シャンプーのテレビCMに出演するモデル顔負けのキューティクルを持つ光り輝く金髪になり、皺混じりの顔や皮膚は白くシミひとつない瑞々しいものに変わり、顔も面影だけだった美人で彫りの深い顔立ちが急速に若返って行く。


 体も背は曲がっていなかったとはいえ、身長は少し伸びて肩も張って胸も着ている服を押し上げている。と言うか、胸が大きくなって服のボタンの糸が切れて、今にも服の合わせ目から零れ落ちそうな勢いだ。


 年齢としては20代半ばだろうか?

 女盛りと言わんばかりに、フェロモンがムンムンと立ち上っている。


 イーシアさんの姿がノートPCに映っているので、こう言ってはなんだが人間であるヨランダさんは彼女を比べると残念なことに見劣りする状態だ。しかし、これは神様と比べてということであって、この容姿であれば道行く男共の目を引くことは間違いないだろう。


 因みに若返ったヨランダさんを見て美人とは思っても、欲情まではしない。

 やはり、中身がお婆さんだったいうのが原因だろう。


 男の性で彼女の大きな胸に目は行くが、どこぞの全身義体化して若作りしているロシアな婆さんのような状態なので、股間はうんともすんとも言わない。



「なんか、体が軽くなったような気がするんだけど気のせいかしら?」



 いつもの『~ねぇ』ではなく、喋り方まで若返ったようだ。

 声にも張りがあり、すこし高めの声が出ている。



『孝司、鏡で彼女の今の姿を見せてやるのじゃ』


「はいはい」



 そう言われて俺はストレージから姿見を出してヨランダさんの前に置いた。



『ヨランダよ、自分の姿をよく見るのじゃ』


「こんな歪みのない大きな鏡、初めて見ました。

 で、この映っている人は誰なのかしら?

 若いころの私にそっくりなんだけど?」


「ヨランダさん本人ですよ」


「へ?」


「イーシアさんが力を使ってあなたを若返らせたんです」


「…………うそ?」


『本当じゃ』


「…………………………ええーーーーーーっ!!!???」



 まあ、こんなリアクションになるだろう。

 ヨランダさんは暫く若返った自分の顔と体を凝視していたが、突然ムンク顔負けの驚きようで飛び上がった。



「ええっ? えっ!? ええ~っ……? うっそ、私本当に若返っちゃったの!?」



 この後、俺とイーシアさんは「うそうそうそうそ……」と鏡を見ながら、ブツブツと呟き続けているヨランダさんを落ち着かせて彼女を若返らせた趣旨を説明した。


 因みに彼女を若返らせるという提案は俺によるものだ。

 リビングに戻る前にイーシアさんに聞いたところ、この世界の魔法では人間を含めた全ての種族で大幅な肉体の若返りを行うことは不可能であるらしく、できたとしてもせいぜい1〜2歳ほどしか若返らせられないという。


 今、ヨランダさんにやったようにあからさまに肉体が若返るのはそれこそ神の御業でしかありえず、もちろん今までイーシアさんがこの世界の人間を若返らせたことは一度もないので、文字通り“世界初”である。

 しかも…………



『ヨランダよ。 

 実はの……お主を若返らせる少し前になるんじゃが、お主がまだ所属していることになっているエルフィス聖教会といったかの?

 そこにわしが神託というものを出しておいてやったぞ。』


「え? し、神託でございますか……」


『うむ。 

 わしも初めて神託を下したのじゃが、なかなか面白かったぞ!

 大聖堂にいた偉そうな神官どもと信徒たちの頭の中に直接わしの声を響かせてやったのじゃ。

 そしたら、信徒たちの前で偉そうな顔をして説法をしておった神官どもが右往左往した挙句、青い顔して平伏して聞き入ってたのじゃからな。

 思わず調子に乗って、サービスしてしまったわい!』


(ん? 今、サービスとか言ったか?)


「初めての神託……」


『ん? どうしたのじゃ、ヨランダよ』


「あの……イーシア様は初めて神託を下したのでありますか?」


『うむ。 わしは嘘はついておらんぞい』



 そう言った瞬間、ヨランダさんが号泣し始めた。



「あれ? ヨランダさん、何故に泣いてるんですか?」


「だ、だって! イーシア様は初めて神託を下さったと……!」


「そうらしいですね。 それが何か問題でも?」


「実は……」



 聞くところによると、今までにもエルフィス聖教会や他の宗教組織において神託が下った例が幾つかあったそうなのだが、先ほどイーシアさんが言ったことを聞いて、今までの神託が全て嘘だったことに深い悲しみを覚えたという。

 っというか、本当に神託を騙った詐欺が現実にあるなんて驚きなのだが?



(そう言えば、イーシアさんは“サービスしてやった”と言っていたが、何かやらかさなかっただろうな?)


「ところで、イーシアさん。 さっき言ってた、“サービス”ってなんです?」


『簡単なことじゃよ。

 神託を下した後に大聖堂のど真ん中に立派な剣をぶっ刺してやったのじゃ。

 “この性剣をヌける者こそ、神が認めた真の憂者なり!!”っとな。

 まあ、お主以外にヌけるモノは例外なくオらんのじゃがな」


「あんた何やっとんのじゃあァァァァァァッ!!

 しかも、字が違ぁぁぁぁァァァァう!!」


(勇者なのにヌけたら憂うって、どんな猥褻な剣だよ!?)


『まあまあ、そう怒らんでもよいではないか……』


「怒るに決まってるでしょうがァ!

 どうしてあんたは、余計なことをしてくれやがるんですかっ!?」


(こりゃあ、ダメだぁ……)


『まあ、ともあれ。

 ヨランダよ、神託は済んでおるから、明日からお主はちと大変じゃろうが頑張るんじゃぞ』


「あの? それは一体、どういう……?」


『うむ。

 教皇や神官どもにはお主の長年の功績に報いて、これからもお主が健やかな人生を歩んでいけるように神の力で若返らせたと言っておいたぞい。

 それと、お主の名誉の回復とお主に必要以上に干渉しないことと、危害を加えないようにと言いつけておいた。

 一応、このことはこの国の皇帝たちにも同時に伝えておいた』



 見る見るうちにヨランダさんの顔が青くなっていく。

 遂には唇や手足が細かく震えだしているのが、目に見えて分かる。



「そんな……」


『というわけでじゃ、お主の元には明日から様々な者たちが訪ねてくるであろう。

 皇帝からも何かしらの接触があるはずじゃから、その時に先ほど言った名のある魔法使いを用意してもらうか、知り合いになっていてくれるかの?

 時が来たら、孝司の方から連絡が来るじゃろうて』



 そう言って画面の中のイーシアさんは俺にある物をヨランダさんに渡すよう目配せをする。



「はい、ヨランダさん。 受け取ってください」



 そう言って俺が渡したのは、子供用のスマートフォンだ。

 例の幾つかの連絡先にしか電話やメールしかできないシンプルな機種である。



「これは……?」


「これはスマートフォンと言って、遠くの人間と連絡ができる装置ですよ。

 まあ、魔道具と言ったほうがヨランダさんには、しっくりきますかね?」


「これ、魔道具なのかい?」


「ええ、と言っても俺とイーシアさんとしか連絡できませんけど」



 この後、1時間ほどスマートフォンの使い方を教えて俺とイーシアさんとで実演で通話をしてみたが、壁の向こう側にいる俺と話せることを知ってヨランダさんは凄く驚いていた。

 再度、ヨランダさんにお願いする役割を説明してから、俺はヨランダさんの家を跡にした。






 ◇





 

『これで良かったのか、孝司?』



 イーシアさんが俺に確認をしてきた。

 今、俺はモバイル端末を片手に通話しながら、暗くなった通りを自分が宿泊している宿に向けて歩いているのだが、ヨランダさんの家にいる間、外では雪が降っていたらしく昨日と同じくらいの雪が積もっている。



「ええ。 ありがとうございました。

 これで何か動きが出てくると思うんで、あとはヨランダさんからの連絡待ちですね」


『ふうむ……しかし、そう上手くいくのかのう?』


「大丈夫じゃないですか? 

 例の召喚された高校生達にしろ、転生した元日本人にしろ目に見える形で神様が表に出て来たのなら、直接的または間接的にヨランダさんと接触を図ろうとするでしょう。

 それに、貴女が神託を下した以上、教団も彼女に害をなしたりすることはしないんじゃないんですか?

 教団の利益のために利用しようとする可能性は大いにありますが、そうなればなったでその状況を逆利用させてもらうまでですよ……」



 そのためにも、この神様にヨランダさん用の連絡手段を用意してもらったのだ。



「仮に召喚された高校生達の心のどこかに日本に帰りたいという気持ちがあれば、嫌でもヨランダさんの元を訪れると思いますよ?

 何たって唯一、神様との接点を持っているのはヨランダさんだけですからね。

 特に彼らはイーシアさんでも御神さんでもなく、この世界の住人によって拉致も同然に引っ張られて来たんですから。

 人間の魔法で別の世界の人間を召喚可能ならば、神様なら自分達を元の世界に帰してくれるなんて朝飯前と考えるはずです」



 そう。

 考えてみれば、召喚された高校生達はこの神様の意向ではなく、この世界の人間の都合によって強制的に連れて来られたのだ。ということは元日本人の転生者達のように御神さんはおろか、イーシアさんとも顔を合わせていないのである。


 このような状態では尚のこと、今見ぬ神様に一か八かで会って日本に帰りたいと訴えてもおかしくはない。

 勿論、日本という社会の中での生活に嫌気が差して帰りたくないという者もいるだろうが、幸いなことに召喚された高校生6人は出身がバラバラだ。


 これが友人同士だとかクラスメイト同士だとかだったら、意志の結束が固くて召喚された責務を果たすまでは帰らないとか考えてヨランダさんの元を訪れることをしない可能性もあるが、出身がバラバラの子供達ならば、1人か2人が元の世界に帰りたいと考えて単独で来る可能性もあるのだ。



『まさか召喚された者達も、孝司によって網が張られているとは夢にも思わぬであろうな』



 確かに彼らはヨランダさんと俺が裏で繋がっているとは夢にも思ってないだろう。

 というか、俺が彼らの存在を知らなかったのだ。

 その逆もまた然りである。



『無事、彼らに指輪を着けさせられることが出来れば良いがのう……』


「そうですねえ」



 実はヨランダさんにはスマートフォンとは別にある品物を渡しておいた。

 それがイーシアさんの言っていた指輪である。


 この指輪はイーシアさん特製の指輪で、見た目はシンプルな金属の輪っかだ。

 色は銀色で、光を反射しにくいように表面は艶消し仕上げである。

 この指輪は嵌めた者の指のサイズによって形状は多少変化するが、基本的な形状はそのままで一度つけるとイーシアさん以外に外せない。


 しかも、指に嵌めるとその感覚を一切感じさせないフィット感を発揮する逸品である。

 勿論、神様が作った神器なので竜であっても破壊は不可能だ。

 実はこの指輪、漫画や映画でよく見る発信機と同じ位置発信機能が付与されており、地底だろうが深海だろうが溶岩の中にいてもどこに居ようが必ず位置を特定できる。


 とある小学生達が天上世界でたまたま貰った記念用の指輪を指に嵌めたが最後、取れなくなっってしまった上に位置を特定されて逃げられなくなったあの指輪と一緒である。


 また、指輪の機能として、指に嵌めている本人のバイタルチェックや会話も今通話に使っているモバイル端末で確認可能だ。これをヨランダさんに渡しておいて、例の高校生達が訪ねてきたら適当な理由をでっち上げて指に嵌めてもらうのだ。


 本当は彼等を拘束した後にとっとと日本に帰した方が手っ取り早いのだが、高校生達を召喚した者の目的と正体が分からない以上、彼らを日本に返した後でまた新たな召喚魔法を実行されたくはない。

 新たな被召喚者を生まないためにも、根本的な原因を刈り取っておく必要があるのだ。


 そのためにも、ヨランダさんを通じて高校生達に指輪を嵌めさせなければならない。

 幸いにも時間的余裕はまだあるので、彼等を泳がせて指輪の盗聴機能を使い、召喚者の目的を解明することにした。



「それにしても、イーシアさんや御神さんの方で召喚魔法を行った目的と召喚者の正体を調べられないというのは、誤算でしたね」


『そうじゃな。

 てっきりわしも直ぐに調べられると思っておったら、まさか出来ないとは正直驚いたわい……』



 そうなのだ。

 実はこの指輪作戦実行も、召喚者の素性と目的が解らなかったというのが最大の理由なのである。

 イーシアさんが地球に発生した召喚門から魔力を逆探知して調べたのだが、召喚を行った者の正体がようとして分からず仕舞いだったのだ。


 イーシアさんと御神さんは、これを異世界崩壊の予兆のひとつとして捉えているようだが、こんな状態では次の召喚魔法が行われても調べる手立てが無いに等しいので、こちらとしては非常に不安である。


 一応、召喚者が判明次第、イーシアさんが介入して召喚魔法を実行出来ないようにしてくれるらしいのだが、その対象となる人物を探し出す苦労を考えると頭が痛い。



『孝司。 

 相手の素性が解らぬとはいえ、6人の高校生を纏めて同時に召喚出来る魔法を使えるということは、その魔法使いは相当な使い手のはずじゃ。

 どんな目的のもとで召喚魔法を使ったのかは今のところ不明じゃが、決して相手を甘く見るでないぞ?

 特に騎士が護衛をしていたらしいということは、下手をすると国単位で召喚魔法を実行した可能性もあるからの。

 幾らお主が神の末席に就いたとはいえ、その力を振るうには経験値が圧倒的に足りん。

 もし、何か分かったら直ぐにわしか御神に連絡するのじゃぞ、よいな?』


「分かってますよ。 私もバカじゃありませんから」


『うむ。 では、わしはこれにて失礼するぞい。

 孝司よ、くれぐれも注意するのじゃぞ』


「了解しました」



 そう言ってイーシアさんとの通話が終了した。






 ◇






 宿に戻って食堂に入ると配膳をしていた女将さんと会った。

 どうやら例の女性は2階の部屋に移されたらしい。



「今ちょうど様子を見に行くところだったんだけど、一緒に来るかい?」



 そう言われたので、女将さんについて行くことにする。

 階段を登って2階のフロアに着くと、女将さんは一番手前の部屋の扉の前に立った。

 どうやらこの部屋にいるようだ。



「あたしだけど、入るよ。 いいかい?」


「……はい」



 女将さんが声を掛けると、中から弱々しい声が返って来る。

 そのまま女将さんは部屋に入るので、俺も続いて部屋の中に入った。

 電灯のない部屋にはランタンが灯されており、暖炉がないにもかかわらず暖かい。



「ちょっと、様子を見に来たよ。 あとお見舞いの人が来てるよ」


「お見舞い……?」


「昼間に話した、あんたを助けた人さ……」



 そう言って女将さんは、後ろに立っていた俺を紹介した。

 ベッドで横になっていた女性が起き上がり、俺を見上げる。



「こんばんは。 はじめまして」


「こんばんは。 あなたが、私を……助けてくれたの?」


「ええ、まあ……助けたというか、見つけたというか?」


「何、言ってるんだい。 タカシさんが見つけなかったら、この女性はここにいないよ?」


「いや、まあ……」


「?」



 女将さんの言ったことを聞いて、彼女が俺の顔を真っ直ぐ見つめる。

 赤い。本当に真っ赤な瞳が俺を見つめていた。



「いや、女将さんから聞いているとは思いますが、昨日の夜、宿に戻るときに毒矢が刺さって大量の出血で倒れている貴女を偶然発見しましてね?

 この宿の旦那さんと息子さんと一緒にこの宿に運び込んで、治癒魔法を使える人に毒矢を除去してもらってから治療していただいたんですよ」


「ええ。 女将さんから聞いているわ。

 あの危険極まりない毒矢から私を守ってくれたそうね。

 礼を言うわ」


「いえ、どうも。

 自己紹介が遅れましたが、私の名前は孝司 榎本と申します」


「わたしはアゼレア・クローチェ。

 見たまんまだけど、魔族よ。 よろしくね」



 彼女が手を差し出してきたので俺はそのまま握手した。

 握り返してくる彼女の手はヒンヤリとしていて、その力はか弱い。



「ところで、あなたに聞きたいのだけど。

 私はこの宿の近くの路上に倒れていたところをあなたに助けてもらったって、女将さんに言われたのだけれど?」


「ええ。 そうですよ。

 まあ、助けたのは私一人ではなく、こちらの女将さん含めて数人ですがね?」


「ここはシグマ大帝国なのよね?」


「そうですね。 貴女はこの国に住んでいるんですか?」


「違うわ。 私が住んでいたのは魔王領。

 ここは大陸の北に位置する内陸国だけれど、私の住む魔王領は大陸西側の沿岸部よ……」


(は? 何ですと?)


「でも、貴女は間違いなくこの宿の近くの路上に倒れていましたよ?

 雪に覆われそうになりながら、矢が刺さった状態で私が発見したんですが……」

 

「そう……」


「一体何があったんです?

 実は元魔王軍出身の冒険者の方が言っていたんですが、40式装毒矢ですっけ?

 何でも、魔王軍の精鋭部隊くらいしか使っていない、凶悪な毒矢が刺さっていたそうじゃないですか。

 もしかして魔王軍に追われているんですか?」


「そんなことっ! あるわけないでしょう!?

 何で私が……ううっ!」


「無理すると体に障りますよ! って、言わんこっちゃない……」



 いきなり勢いよく起き上がったのは良いが、具合が悪くなったのか直ぐにベッドに倒れこんだ。



「ううっ……血が足りないわ。 力が入らないし、フラフラする……」


「貧血ですか? ちゃんと食べ物口に入れたんですか?」


「それが気持ち悪いって言って、水しか飲まなかったのよ……」



 俺が女将さんに聞いたら女将さんは神妙そうなな顔で言った。



「だからですよ。 水しか飲んでいないのなら、そりゃあ血が足りなくなりますわ」


「食べ物を。 食べ物を持って来て……」


「血が足りないわ。 何か食べ物を……」


「そんなこと言ったって……お、お粥とかですか?」


「何でも良いわ、ジャンジャン持って来て……」


「どうすれば……?」


「わたしがなんとかするわ!」



 俺が困っていると、女将さんはそう言い残して部屋を出て行った。






 ◇





 20分後。

 俺の目の前でテーブルの上に置かれた大量の食べ物が消えていく。

 もちろん、消しているのはアゼレアの形の良い口である。


 ソーセージや塩漬けのハムや肉、野菜の酢漬けやチーズ、骨付きの巨大な焼いただけの牛肉が見る見る内に削れていくのだ。



「こらこら! もうちょっと落ち着いて食べなさいって!

 胃が受け付けませんよ?」


「ングング……プハァ~! うるさいわねぇ!

 チマチマ食べていても血が作られるわけないでしょう!?」



 ワインを飲み干しながら俺に食ってかかるもんだから、酒臭い息が鼻につくんですが……



「ガフッ! モグモグモグモグ!」



 アゼリアはテーブルに残っていた男の拳ほどもあるチーズの塊を一気に口に入れると、味わう暇もなく食べ尽くした。



「ふう~っ! 美味しかったわ。 私、ちょっと寝るから」


「え!?」



 言うが早いか、彼女はベッドに戻りそのまま寝息を立て始めた。

 部屋の中響くのは、規則正しい彼女の寝息のみ。



「せめて歯ぐらいは磨きましょうよ……」






 ◇






 俺は食事の後片づけのためにテーブルの上に残っている皿や残飯の骨などを木のトレーに載せて、1階にある食堂の厨房に向かう。



「何だかなあ……」



 まあ、元気になって来ているみたいだから良いものの、それにしても凄い食いっぷりだった。



「すいません。 お皿とかの食器を持ってきたんですけど……」


「は~い。 そこに置いといて」



 厨房から出て来たのは、この宿の女将さんの息子のゾアフ君だった。



「ああ、タカシさん」


「こんばんは。 ゾアフ君」


「どうでした? 彼女の様子は?」


「ああ、すごい食欲だった。

 目の前で食べ物の山がどんどん無くなっていく様は衝撃だった……」


「そりゃあすげえ。 あんな美人さんが、あれだけの量をねえ……」


「俺もびっくりだよ」


「そしたら、タカシさん。 何も食べてないんじゃないの?

 オレ、てっきり一緒に食べてたもんだと思ってたよ」


「いや、全部彼女一人で食べたんだよ。

 まあ確かに、帰ってきてから何も食べてないね……」


「じゃあ、夕飯作るから食べて行ってよ。

 お代はいいからさ。 ちなみに今日の夕食の献立は鶏の蒸し焼きと野菜の煮込みスープだよ」


「そう。 じゃあ、お言葉に甘えていただこうかな」


「わかった。 じゃあ、ちょっと待ってて」



 ゾアフ君は俺からトレーを受け取ると、そのまま厨房の奥に向かっていった。

 俺は、食堂の適当な場所に座り夕食が運ばれて来るのを待つ。



「おまたせしました~!」


「ああ、ありがとう」



 運ばれてきたのは先に言われていた通り、鶏の蒸し焼きと野菜のスープだ。

 スープはポトフ風で鶏の蒸し焼きはどことなく中華料理っぽい。



「じゃあ、ごゆっくり」



 そう言ってゾアフ君は厨房に戻っていった。

 それを見送ってから、俺はストレージからペットボトル入りの烏龍茶を取り出す。


 食事はとてもおいしかった。

 ポトフっぽいスープは薄味だが、野菜の旨味がしっかりと出ており量も十分で申し分ない。


 鶏の蒸し焼きは骨まで軟らかく、別の皿についてきているピリ辛のたれを漬けて食べるとすごくイイ。

 日本の調味料や食材がふんだんに入る場所で作ったら、十分通用しうる味を秘めている。



「彼、将来良い料理人になったりしてな……」



 そんなことを想像しながら、同時に俺はアゼレアという女性のことを考えていた。

 赤い目を持つ高位の魔族。


 彼女はいったい何者なのか?

 どうして沿岸部の魔王領に居た彼女が内陸国のシグマ大帝国の路上に倒れていたのか?

 なんであの物騒な毒矢が刺さっていたのか等々……聞きたいことは沢山ある。



「何か……こちらの役に立つ情報とかがあれば良いんだがなあ」



 まあ、とりあえず彼女が次に起きた時に聞いてみよう。

 先ずは目の前の食事を堪能しようではないか。


 俺は頭の中から余計なことを一旦追い出して食事に専念することにした。

 このあと、アゼレア自身の口からこの大陸を揺るがす大事件を聞くことになるのは、約3時間後のことであった。

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