第14話 旅

「寒い……」



 空は雲一つない晴れ間なのに、鼻腔に入ってくる空気はとても冷たい。

 俺は馬車の御者台で寒さのあまり鼻を啜っていた。

 すると俺の隣に座っている男が声を掛けてくる。



「タカシは寒いのが苦手なのか?」



 一緒に御者台に座り、俺の隣で引き馬の手綱を捌いているのはアゼレアの怪我の治療の時に知り合った元魔王軍出身の冒険者であるスミスさんだ。



「いやあ~どちらかというと暑いほうが苦手なんですよねぇ。

 ただ、こうやってずっと寒さに晒されていたら堪りませんよ……」


「ならば、後ろに移ってもらってもかまわんぞ?」


「そういうわけにもいきませんよ。

 もしな何か異変が起きたら大変ですから、見張りが必要でしょう?」


「まあな」



 以前と比べても砕けた口調で話してくれているということは、ある程度はこちらのことを信用している証なのだろうか?


 ともあれ、ここは周囲には何もない平野。

 あるのは前方に続く轍の跡がある少々ぬかるんだ土道だけで、左右は薄っすらと雪が積もった雪原になっている。


 春になると、ここら辺一帯は緑の草原に覆われて気持ちの良い風が吹くのだと言うが、今のところ周囲には真っ白い景色が延々と続いていた。何もないということは、襲撃されたとき相手の発見が容易ということであるのだが、こちらの馬車も襲撃者からは丸見えの状態だ。


 特に丈夫で分厚い幌に覆われた大きな馬2頭仕立ての大型馬車はかなり目立つ。

 肉眼では外から中が見えないとはいえ、透視の魔法で見られたら男に混じって女性が数人いるのが分かることだろう。


 野盗の類から見たら、この馬車は格好の獲物に映っているはずである。

 だからこそ、見張りが必要なのだ。


 見張りは出発前に取り決めた約束で、俺とスミスさんとその仲間で順番に務めることになった。

 今は俺の番というわけでこの御者台に座っている。


 座っている俺の膝の上には一丁の長い銃が置かれていた。

 ロシア製セミオートマチック狙撃銃SVDMという、地球の旧東側を代表する狙撃銃のひとつであるドラグノフスナイパーライフルを改良強化したSVDシリーズの最新モディファイバージョン。


 従来のSVDやSVDSと比べて、より肉厚の銃身とハンドガード内に放熱用のバレルジャケットを装備し、ズーム機能付きの大型スコープと頑丈な二脚が標準装着されて重量が嵩んでいるこの銃は、試射した時に7.62mm×54R弾という反動の強い弾薬を使用する割には撃ち味が非常にマイルドで、命中精度も意外なほど良かった。


 そういうこともあり、何も無い平原で野盗など距離が開いている状態で接敵した場合、アサルトライフルより有効射程距離が長くて命中精度が幾分高いこの銃はうってつけだ。


 野盗というと粗野で統制がなされていないイメージがあると思う。

 実は言うと俺も野盗に対してはそんなイメージと偏見を持っていた。





 髭もじゃで酒をかっ喰らいながら剣を振るい、捕らえた女や子供は片っ端から犯して殺して捨てる





 そんな18禁アダルト小説のお馴染み敵キャラのような低俗な野盗もいるにはいるのだが、スミスさんから聞いたところ最近は軍人や傭兵崩れのような者達が集まっている賊の集団が存在しているらしい。


 兵士と同じような軍装と統制を持ち、周到に立案された作戦でもって隊商を軍隊のように襲うのだという。

 そういう連中の中には、現役バリバリの弓兵すら裸足で逃げ出すほどの腕を持つ者もいるのだとか?


 このようなだだっ広い場所でそのような弓の名手に狙われたらひとたまりも無い。

 特に騎馬で突撃しつつ、弓や魔法で援護するような戦術で襲われた場合、真っ先に弓兵や魔法使いを潰されないと、突撃に気を取られている隙にこちらが殺られてしまう。


 そのためにも大量の銃弾をばら撒くような機関銃ではなく、一発必中で射殺できる狙撃銃が必要になる。

 相手が手練れの弓使いや魔法使いだと初弾が外れた場合、向こうは移動後即応戦してこちらを無力化しようとするであろうから、一発一発を手動装填するボルトアクションではなく、素早い次弾装填を行えるセミオートマチックの狙撃銃が必要なのだ。



「周りに人影は見えるか?」


「いやあ……見えませんね。 左の雪原に兎が一匹いるくらいですか?」



 地球に居たころからサバゲーで愛用していた軍用双眼鏡で周囲を観察してみたが、レンズに映るのは見渡す限り白い色だけである。

 俺達を見つけて慌てて逃げてい白い兎の一羽を除けば、動くものは全くない。



「そうか。 それにしても、タカシが持って来たその双眼鏡というものは便利だよなあ。

 おかげで俺達も見張りのときは助かっているぜ」


「それはどうも」



 もうすでに銃やらなんやらの道具の力を知っているスミスさんは今更ながら、そんな感想を漏らす。



「ところで、あとどれくらいで次の街に着きますか?

 そろそろ、女性陣から不満が出てきそうな雰囲気なんですけど……」


「あと半日と言ったところだな。 少なくとも、夕方までには街に入れる。

 次の街はイケータっていう大きな町で、宿は幾つかあるからちゃんと休めるはずだぞ」


「イケータねぇ……」



 シグマ大帝国の帝都『ベルサ』を出発して早1週間。

 途中立ち寄った街は帝都の近くにも関わらず、小さな宿が3件しかないという寂しい状況でしかも満室だったためにこの1週間は野宿だった。


 グレアムさんのアドバイスで予め購入しておいた暖房用の魔法石があったおかげで凍えることはなかったが、全員馬車の荷台で雑魚寝という状況になってしまったために寝るときは背中が痛くて堪らない。


 不満を言う者は一人もいなかったが、やはり体は正直なもので確実に疲労が溜まっているのが全員の言動で分かる。バルト永世中立王国へは帝都ベルサから馬車で急いで進んでも約1カ月くらい掛かる距離にあるため、旅はまだまだ始まったばかりだ。


 思い返せば、俺がこの異世界に来て約1カ月半が経過しようとしているが、その間に様々なことが起こっていた。






 ◇






 魔王領。

 それは、バレット大陸の西岸に位置する魔族の国である。

 名前のとおり『魔王』と呼ばれる魔族がこの国を統治しているのが最大の特徴だ。


 “領”とついているが、その大きさは地球の感覚から見てもかなり大きく、国土面積はインドと同じくらいの広さを誇る。


 因みにバレット大陸で一番大きな国土を誇っているのはシグマ大帝国で、面積はロシア連邦とカザフスタンを合わせたくらいの大きさだ。


 この『ウル』という星が地球の約1.2倍の大きさとはいえ、かなりスケールがデカい。

 ウルには一番大きな大陸であるバレット大陸の他に、ほぼ同じ面積のキャリバー大陸とコード大陸があるが、この『三大大陸』を筆頭にヘカート大陸やバルカン諸島、ミストラル諸島などから構成されている。


 詳しくは調べてはいないが、これらの大陸や島々には大小さまざまな国が存在しており、現在進行形で国家間で戦争をしている国も幾つかあるらしい。


 魔王領もそんな戦争をしている国のひとつであり、俺とアゼレアという超絶美人の女魔族が最終的に目指しているのがこの魔王領である。


 アゼレアが目覚めてから約2週間、彼女はヨランダさんから絶対安静という判断のもと、ずうっと宿の一室で静養していた。


 実は彼女はあの豪快な食事の後、すやすやと気持ちよさそうに寝ていたのだが、俺との話が終わった後で突如として三日三晩の高熱にうなされて一週間ほどベッドから起き上がれない状態が続き、俺と宿の女将さんとで代わる代わる看病して、俺がちょっとやらかしたことで全快したのだが、回復するや否や「魔王領に戻る!」と言い出したのだ。


 だが、回復の知らせを聞いて駆け付けたヨランダさん(若返って帝都中の有名人になっていた)は直ぐに退院の判断は下さずに1週間は外を出歩かず、とにかく体力の回復を図るように指示を出した。



「まだ熱が下がったというだけよ。

 今はとにかく、よく食べて体を本調子に持って行きなさいさいな。

 今のこの国の季節は冬よ。

 魔王領に戻るにしても寒い冬の中、不用意に外に出たらせっかく回復した体に負担が掛かるわ」



 ということで、アゼレアは渋々ヨランダさんの指示にに従い、暫く静養することにした。

 因みに俺はこの時、アゼレアに魔王領まで同行させて欲しいと自分から願い出るに至る。


 魔王領の位置を地図アプリで確認したところ、魔王領の隣がバルト永世中立王国だったことが判明したからだ。そのため俺は例の召喚された日本人高校生の消息を辿るためと、興味本位で彼女に付いていくことに決めたのである。


 幸いなことにアゼレアは俺の申し出を快諾してくれた。

 彼女は彼女で己の身ひとつで魔王領に戻らねばならないために、旅の資金や装備の面から言っても厳しい現実が控えていた。


 そこに人間種の男とはいえ、資金が潤沢な者が同行させて欲しいと言って来たのだから、彼女にとってはまさに渡りに船だったのだろう。


 そして彼女はヨランダさんの言いつけどおりに静養することに決め、俺はその期間を利用してギルドにて冒険者に必要な知識と技術をグレアムさんから学んでいた。


 それはもう、手取り足取り様々なことを朝から夜まで教えてもらっていたのだ。

 基本的な魔物の種類の見分け方から対処法や習性は勿論、薬草や毒草の判別の仕方に始まり山や森の中の歩き方に迷宮での注意点。


 他の冒険者や商人、役人との交渉の仕方や馬車の扱い方、乗馬に馬の面倒の見方など一通り学ぶことが出来た。


 特にこの馬関連は本当に助かる内容で、自動車に慣れきった現代日本人にとって、馬という動物を使った交通・運搬手段に慣れている者などそういるものではない。


 一応、イーシアさんにお願いしてこの世界に原付と自転車を持ってこさせてもらってはいるが、タイヤでは走破不可能な荒野などにおいて馬を使わないという手はないだろう。


 そういうこともあり、これから先々利用することになるであろう馬車の操縦と乗馬は毎日必ず教え込んでもらったお陰で、講習最終日までには危なげながら一人でもなんとか扱えるまでにはなった。


 あとは地道に経験を積んでいく他無い。

 それから、紆余曲折を経て冒険者としてのイロハをグレアムさんからみっちりと叩き込まれた俺は最後の試験を受けて晴れて冒険者となった……と言いたいのだが、実際には色々なすったもんだの末にようやく冒険者になれたと言ったほうがいい。


 特に野外での実地訓練は文字通り死にかけた。

 グレアムさんと一緒に冬の山の中でレンジャー訓練の真似事のようなことをする羽目になったのだ。

 唯一、陸自のレンジャー訓練と違うのは戦闘状況を想定しての訓練ではなかったというだけで、自活訓練は熾烈を極めた。


 生きたままの兎や鶏を絞めて調理したり、葉っぱに夜露を集めて水を飲んだりと精神的に痛めつけられたのである。


 特に生き物を殺して生命をいただくという行為は、連日行なわされて非常に辛かった。

 初日は夜寝るときに寝袋に包まれたまま、殺した兎や鶏の顔を思い出してしまい、動物たちに謝りながら号泣しまくったし、次の日は朝起きたらまた生き物を狩って1日の糧を得るという行為を行わなければならず、生存術訓練は精神的に辛い出来事の連続だった。


 果たして冒険者にこんな訓練が必要なのかとグレアムさんに聞いたところ……



「そんな必要あるわけないだろう。 でも、お前さんをどこに出しても恥ずかしくない一人前の冒険者にするには、こうしたほうが一番手っ取り早いからな」



 と言われてしまった。

 ちなみにどこに出しても恥ずかしくないのかと聞いたら、「そりゃあ、軍隊とかだろう?」という答えが返ってきたのだが。どうにもグレアムさん的には最近の冒険者たちが魔道具に頼りきりになり、軟弱思考になってきているのでここらでひとつ流れを変えたいと思っていたところ、俺の冒険者講習の話を聞いて面倒を見ることを引き受けたらしい。


 で、俺がこの実地訓練について来れるようならば、他の冒険者達にも訓練を施そうとグレアムさんとギルドの冒険者科とで画策してるっぽい。


 

「最近は自分の剣すら満足に研げない、ゆとり冒険者が急増していてな?

 一昔前ならば、冬山の野営程度で命を落としちまうような冒険者なんて一人もいなかった。

 ところが今はどうだ?

 普通の野営であっても下位の魔物に襲われて餌になるような阿呆が出る始末だ」


「だからって、私をあそこまでしごき倒さなくてもいいでしょう?

 どんだけ辛い思いしたと思っているんですか?」


「まあまあ、いいじゃねーか。

 一人山の中に篭ったり、戦争に巻き込まれでもしたら、嫌でも自分で食料を調達する羽目になるんだぞ?

 そのときになって、目の前にいる兎を見ながら腹空かせて後悔しても遅いぜ」



 グレアムさんはギルド内にレンジャー部隊でも作ろうとしているのだろうか?

 ちょっと冒険者として目指しているところが違うような気がする。


 この後、ギルド本部で急遽戦闘実技試験の日程を言い渡されてその準備に追われてしまうことになり、この件はそのままうやむやになってしまった。


 何故、予定されていなかった戦闘実技の予定が組まれたのかグレアムさんに質問したところ、グレアムさんの話を聞いたギルド・シグマ大帝国本部長が興味を示したために、戦闘実技の試験を入れざるを得なかったという。



「グレアムさん、あなたはここの本部長に何を話したんですか?」


「いや、大したことは言っていないつもりだぞ?

 ただ、タカシは相当見込みがあって、不思議な武器を使うと言っただけだな」


「ええ~っ!?」


(何でそんな変なことをギルドの本部長に言っちゃうのかなあ?

 そりゃあ、本部長が見たことも無い武器を使った戦闘実技を見たくなるのは職業柄当然だよッ!)


「はあ……グレアムさん、参考までに聞いておきたいんですがその戦闘実技って、どんな内容なんです?

 まさか生身の人間と戦うわけではないですよね?」


「まさか。

 ベテランの冒険者や魔法使いならばともかく、新人相手にそんな怖いことするわけないだろう?

 お前さんが闘う相手は、泥人形だよ」


「泥人形?」



 なんでも新人の冒険者は戦闘の経験云々を問わず、先ずは泥人形と戦うのがセオリーらしい。

 これはここのギルドだけではなく、全てのギルド共通のものであるらしく、安全性を考慮してのことだという。


 因みに『泥人形』というのは、魔法科のギルド職員が土魔法を操って作られた粘土状のマネキンのようなもので、大きさや土の固さスピードなどはギルドで統一された規格で作成されるらしい。



「通常ならば、対戦人数と同じ数で揃えた泥人形と戦ってもらうんだが、今回お前さんは単独で戦うことになるし、得体の知れない武器ってことで今回は都合三体の泥人形と対戦してもらうことになった」


「え!? 何でまた……」


「良いじゃねえか。

 これで勝ったら、お前さん特別に五級からじゃなく四級から冒険者始められるんだ。

 オレが本部長に掛け合って直々に許可貰ったんだぞ。

 しかもここシグマ大帝国本部は、バルトの統括本部の次に規模が大きいギルドだからな。

 そこの本部長が認めたってことは、他のギルド本部の人間は誰も文句をつけることができねえ」


「わかりました。 じゃあ、受けてみますよ。

 まさか死には……しませんよね?」


「安心しろ。 泥人形は完全な丸腰だ。

 さすがに殴られれば怪我くらいはするだろうが、試験には医療士も同席するし。

 怪我したらその場で治療してくれるよ」


(何だか試験に挑む前から不安になってきた……)



 この2日後に本部の建物裏手の訓練場で関係者一同が見守る中、試験が行われたのだが、結果から言ったら戦闘実技の試験は文句無しの合格と言うか、誰も文句を差し挟む余地なんて無かった。


 試験当日に俺が選んだ武器は、予め用意していたKS-23ショットガン。

 例の対空機関砲の砲身を流用したと言われている、旧ソ連製の大口径の散弾銃だ。


 土魔法の魔導師が作り出した泥人形は、それぞれ高さが250センチと180センチ、そして90センチの3体だった。


 250センチの泥人形はオークで180センチは人間、90センチはゴブリンをイメージしていたようで、パワーとスピード、それに土の強度もそれに準じた仕様になっており、ルールは相手の攻撃を躱しつつ、泥人形を無力化することだった。


 泥人形は生き物と違い、痛覚や恐怖心などと言ったものが無いので、俺はまずショットガンで泥人形の足を吹き飛ばすことにし、そのまま銃を発砲する。KS-23から撃ち出された散弾の威力は凄まじく、泥人形の接近を許すことなく次々に人間の膝に相当する部分を吹き飛ばした。


 装弾数が少ないKS-23は直ぐに弾切れをおこし、ポンプアクションであるため装弾に時間がかかるのが難点であったが、初撃で泥人形の足を吹き飛ばせたのは僥倖だったと思う。


 しかし、そこは痛覚も恐怖心も無い泥人形達。

 倒れた後も残った両腕と残りの足を使い、三脚型のロボットのような動きで迫って来たのはさすがに不気味だった。


 俺は別に用意していたPKP汎用機関銃を掃射して、文字通りのハチの巣にして泥人形を完全に無力化したのだが、戦闘実技の試験終了の直後、安全な場所から見ていたグレアムさんやギルドの本部長は顎が落ちんばかりの表情を浮かべたまま呆然と立ち尽くしていた。


 面白半分で見学に来ていたスミスさんを筆頭とした冒険者や魔法使い達も皆似たり寄ったりの表情で、中にはあからさまに恐怖で怯えている者さえも出る始末だ。


 その後、試験を一通り終えた俺はグレアムさんとの約束通りに4級の冒険者としてギルドに登録されたのだが、あの戦闘実技を見ていた冒険者たちから噂が広まったのか、それぞれのクランへの勧誘が引きも切らなかった。


 中には隊商の護衛として雇いたいと商人や商会などからの誘いもあったほどで、駆け出しの新人冒険者を高待遇で雇いたいと言われたときは耳を疑ってしまったほどだ。


 俺はアゼレアと魔王領に行かなければならないし、その前にバルトに立ち寄って例の日本人高校生の情報収集もしておきたいので冒険者の資格を取ればこの国には用はない。


 ということで俺はバルト方面に行く隊商の護衛以来がないかを調べていたのだが、これがなかなか見つからなかった。冒険者科だけではなく同じギルドの建物に入っている商工科にも調べてもらったのだが、今の季節だとバルト方面に向かう隊商や乗合馬車などは雪の影響もあり殆どストップしている状態なのだという。


 一応、宿の女将さんやグレアムさんにも聞いてみたのだが、冬のこの季節は個人でもない限り馬車の運航は殆ど無いだろうとのことだった。

 


「金貨をポンッと出せるようなタカシの財力なら、馬車を買って目的地に向かったほうが早くないか?」



 と言ったのは、以前知り合った冒険者のスミスさんである。

 彼らもバルト方面に向かう馬車が軒並み無いため、このシグマ大帝国の帝都ベルサにて足止めを食らっている最中であった。



「簡単に言いますけど、男と女のたった2人での長旅は危険じゃないですか?」



 最初は俺も馬車を買ってと思っていたが漫画でもあるまいし、たった2人では野盗の集団に出くわしたら危険過ぎる。俺一人ならば原付でのんびりと向かって、いざとなれば機関砲やロケット砲で相手に打撃を与えて敵が混乱している隙に逃げることも可能だが、知り合って間もない女性を連れてはそれも不可能だ。



「ならば、オレたちをバルトまで乗せて行ってくれないか?

 馬車の代金を出してもらえれば、俺たちは雇われなくてもそれでいい」


「それで、道中あなた達に襲われないという保証はありますか?」


「ならば、ギルドに依頼を出してくれないか?

 馬車の購入費用と経費はタカシ持ちにして、護衛任務は依頼料が発生しない乗合護衛という形で」



 乗合護衛とはその目的地まで行きたい冒険者や魔法使いを無料で運んであげる代わりに、運ぶ側と荷物を護衛するということらしい。


 基本的に護衛される側は荷物や人を運ぶわけだが荷台や客車に空きがあったり、帰りの便のときに空になることもある。そういう時にスペースを埋める代わりに護衛の人間を乗せるわけだ。

 特に長距離の旅や移動時にはこの乗合護衛をよく見かけるのだという。


 冒険者や魔法使い達にとっては旅費の節約もできて助かるので、他国に移動する際や里帰りする際によく活用しているらしい。特に道中の経費が雇い主負担ならば、スミスさんたちだけではなく他の冒険者たちも手を挙げる可能性が高いとのこと。



「わかりました。 じゃあ、早速ギルドに依頼を出してきます」


「おう。 たのむぜ」


 そう言って俺は宿を出てギルドに向かった。






 ◇






 その後、ギルドで依頼を出した俺は馬屋に行き、馬車と曳き馬をセットで購入した。

 俺は馬車や曳き馬の見立てをやったことがないのでスミスさんに付き添ってもらって選んだ。


 曳き馬は軍の輜重しちょう部隊で輸送任務にも使われているという大型の種類の馬を2頭、車軸に板バネを装備した新型の幌付き荷馬車を金貨15枚で購入することになった。



「金貨15枚って金額をポンッと出せるお前さんの財力も凄いが……ちと、馬車と曳き馬がデカくないか?」


「大丈夫じゃないですか? 馬車が大きいのは居住性を考えてのことですし。

 馬力のある大型の馬ならば、いざという時は速く走れるでしょう?」


「そりゃあ、そうだが……」



 そう、スミスさんが言うように俺がセットで購入した馬車も曳き馬もそれなりにデカい。

 購入した馬は地球で見る標準的な競走馬の約1.5倍ほどあり、見た目も全身が筋肉の塊のような引き締まってガッチリとした体格で、黒い体毛と目つきのおかげで非常に威圧感がある。


 馬車も俺とアゼレア、スミスさん達3人の計5人が乗車してもかなり余裕があるが、これは襲撃などの緊急時に口径14.5mmの重機関銃やRPG-29などの長い砲身を持つ対戦車兵器や重火器を車内で扱うぴ易くするためである。


 もちろん発射時の爆風のバックブラストがあるので、対戦車兵器を車内で操作することはないが危険地帯などを通る際は予め用意しておく必要がある。その時に狭い車内では取り回しに難があるので、大きな馬の体格に合わせて馬車も大型のものを購入することにした次第だ。



「馬の世話とかはスミスさんできますか?」


「これでも元軍人だからな。 問題ない」


「頼りにしてますよ」


「オレに任せっきりにならずに、タカシもちゃんと覚えるんだぞ?」


「ええ。 色々教えてくださいね」






 ◇






 出発当日は朝から馬屋において食料や荷物の積み込みで大わらわだった。

 結局バルトに向かうメンバーは、俺とアゼレア、スミスさん達の冒険者クラン3人の他に女性が2人加わることとなった。



「まさか、聖エルフィス教会の高司祭様と聖騎士様が加わることになるとはなあ……」



 こう呟いたのは乗合護衛として旅に同道するスミスさんである。

 目の前には、高司祭の修道服を着たグラマラスなおっとり系金髪美人と如何にも騎士でございと言う軽装鎧の格好をした赤い髪のクール系美女だ。

 足元の石畳には彼女たちの荷物を詰め込んでいると思われる布袋が2つ置かれている。



「でも、乗合護衛の依頼を出せと言ったのはスミスさんでしょう?」


「そりゃあ、そうだが……」


「あのすみません、なんだか押しかけてしまったみたいで……」



 そう言って金髪の高司祭さんが申し訳なさそうに声を掛けてきた。



「ああ、いや大丈夫ですよ。 お気になさらず……」


「最近は教会も経費節約のため、移動には乗合馬車を使うようにと通達が出ているのだ。

 すまんな……」



 こう言ったのは隣のクール系の女性騎士だ。

 彼女は隣の女性司祭の護衛らしい。



「しかし、何でまた女性2人でバルトに行かれるんですか?

 差し支えなければ、教えていただけたりとかします?」


「うむ。 我々は聖エルフィス教会の特別高等監察局に所属している。

 今回、中央からの命令でバルト総本山に戻ることになったのだ」


「うげっ!? よりにもよって、教会特高官かよ……」


「何です? その教会特高官って?」


「お前さん知らないのか? 教会特高官ってのはな……」



 スミスさん曰く、『教会特高官』こと『聖エルフィス教会・特別高等監察官』というのは教会内の警察官と検察官を合わせたような役職で、教会内でも絶大な権力を持っているらしい。


 彼女らが所属する『特別高等監察局』は教皇直轄の組織であり、局の最高責任者である局長は教皇自らが兼任しており、バレット大陸に存在する最大宗教組織である聖エルフィス教会が管理する全ての教会とその下部組織に対して強制捜査兼と逮捕権を有しているという。


 局内に聖エルフィス騎士団という軍事組織を擁し、教会内の犯罪や不正に目を光らせている。

 ちなみに不死者と呼ばれるいわゆるゾンビや死霊と言われる幽霊などの討伐も教会特高官と聖騎士団の職務のひとつである。



「そんな人達なら、護衛として最適じゃないですか。

 何故、そんな嫌そうな顔を?」


「何だ、お前さん知らないのか? カレンディルの虐殺を……」



『カレンディルの虐殺』とは教会特高官の悪名を世に知らしめる発端として有名になった事件らしい。

 事件は今から約5年ほど前、ウィルティア公国のカレンディル地方に存在していた教会でそれは起こった。


 当時、カレンディル辺境教会では表向きは孤児院を経営していたのだが、その実裏では孤児を使った人身売買と児童売春がカレンディル地方の領主を含めた貴族達や豪商らを相手に秘密裏に行われていたそうだ。


 当時は噂レベルであったが、事の真相を調査しようと中央から教会特高官が派遣されたのだが、派遣されて数日後にこの特高官が殺害されるという事件が起こった。


 特高官は美しい妙齢の女性司祭だったが、発見時、遺体は全裸にされ川に無残にも遺棄されていた。

 検死解剖の結果、複数の者に激しく強姦・拷問された形跡があり、胃の中から本人が生前密かに自ら飲み込んでいたと思われる指輪が発見されるに至る。


 調査の結果、それはカレンディル地方の領主が普段から身に着けていた指輪であり、女性特高官の遺体が見つかった後、領主がその指輪を身に着けていないことが判明し、これを知った当時の教皇は直属の部下が惨たらしく殺されたことに激怒し、ウィルティア公王を呼び出して激しく叱責したのだという。


 そして教皇はウィルティア公国黙認の下、聖騎士団に出撃を命じた。

 聖騎士団はウィルティア地方の主要な街道を封鎖の後、進撃を開始。


 泡を食って慌てて許しを請うために屋敷から投降して来た領主とその家族を捕縛し、激しい拷問を加えて特高官殺害とカレンディル辺境教会孤児院の売春に加担した者の素性を徹底的に洗い出した。


 そして、加担した貴族や商人、教会関係者を家族や使用人ごと捕縛し全員を近くの馬小屋に押し込め、油を撒いて生きたまま馬小屋ごと焼き払ったのだという。



「中にはまだ乳離れしていない無実の赤子もいたそうだ。

 母親の必死の助けにも耳を貸さずに、家族と一緒に焼き殺したらしい……」



 これを期にそれまで余り目立つ存在ではなかった教会特高官と聖騎士団は、一気にバレット大陸中にその悪名を知らしめることになったのだという。



「うーむ……」



 そんな恐ろしいことをするような人達には見えないのだが?



「……事実ですか?」



 俺は目の前の高司祭に思わず質問してしまった。



「事実です」


「付け加えさせてもらえれば、アレは我々の先輩方が行った悪行だ。

 言い訳するようなことはしたくないのだが、アレは我々の間でもやり過ぎだという意見が大勢を占め、指示を出した当時の教皇猊下は教会を引責破門されている」


「えっとぉ、貴女方は当時……」


「私たちは、二人とも三年前に任官されたばかりだ。

 事件当時は教会の訓練施設で猛勉強の真っ最中だった」


(ほっ。 良かった、事件の当事者じゃなくて)



「なら、いいんじゃないですか? スミスさん」


「まあ、雇い主のタカシさえ良ければオレは構わんが……」


「では、気を取り直して自己紹介から行きましょうか。

 今回、ギルドを通して乗合護衛の依頼を出させてもらった孝司 榎本と申します。

 一応新人ですが4級の冒険者です」


「オレは二級冒険者のスミスだ。

 仲間はあとから来るんで、その時に紹介する」


「私は聖エルフィス教会・聖騎士団護衛騎士のカルロッタ・ヨルムだ。

 こちらは特別高等監察官のベアトリーチェ・ガルディアン殿だ」


「ベアトリーチェです。 今回はお世話になります」



 クール系美女と握手し、紹介されたおっとり系美女がぺこりと挨拶をする。

 礼をした瞬間、修道服を押し上げているけしからん胸がブルンと揺れるのが目に入った。



「一応確認ですが。 

 今回、乗合護衛で依頼を出しましたけど、護衛の依頼料は出ませんがよろしいのですか?」


「ええ、大丈夫ですよ。 先程、カルロッタが言ったように教会では経費削減のため、緊急時を除いて通常の業務では乗合馬車の利用が推奨されていまして。

 今回の乗合護衛は必要経費が全てそちら持ちなので、こちらとしても非常に助かります」


「どこの世界も経費削減って、大変ですよね?」


「そうですね……」



 俺が言ったことに何か通じるものがあったのか、お互いに苦笑しあう。



「ところで、スミス殿のお仲間はまだなのか?

 急かすつもりはないが、そろそろ出発したほうが良くないか?」


「そうですねぇ。 もうそろそろ来ると思うんですが……

 ああ、噂をすれば影ですね。 ほら、来ましたよ」



 そう言って俺が彼女達の後ろを見るとちょうど来たところだった。



「待たせたわね、タカシ」



 声に反応して女性2人が振り返ると、2人とも思わず息を飲んだ。

 彼女たちが見たのは、皮の軽鎧と防具を着込み腰に見たこともない剣を下げた赤金色の目を持つ魔族の女だった。



「上級……魔族?」



 騎士であるカルロッタが思わず呟いた。

 聖エルフィス教会には様々な種族の信徒が在籍しているし、今どき魔族の信徒も珍しくはない。


 新しい教会本部のあるバルト永世中立王国は冒険者とギルド主体の国だが、隣国が魔王領と接しているということもあり、魔族の往来も盛んだ。


 しかし、赤金色という珍しい目を持つ高位の上級魔族をバルト本国で見ることはまずない上に、この遠く離れたシグマ大帝国の帝都ベルサでは、魔族さえ見かけることは稀である。


 この国では魔族に対する偏見はそれほどでもないが、それでも赤金色の目を持つ魔族はかなり目立つ。

 それが人間種を遥かに超える絶世の美女であれば尚更だ。

 現に道行く人々や馬屋の従業員も驚いた顔で目の前の女魔族の顔を見つめている。



「ああ。 どうですアゼレアさん、調子は?」


「ええ、お陰様で快調そのものよ。

 貴方の“おかげ”で魔力も以前より強くなったみたいだし、体が軽く感じるわ」


「そりゃあ良かった」


「エ……エノモト殿、彼女はエノモト殿の知り合いか?」


「ええ。 ちょっと、“色々”あって知り合うことになりましてね」


「色々とは?」


「まあ、それは出発してからお話ししますよ。

 スミスさんのお仲間も来たみたいですし、早くいきましょう」


「う、うむ……」


「そうですね。 ここで話していたら、日が暮れてしまいますわ」


「そういうこと。 さあ、とっとと出発するわよ!」


 こうして俺とアゼレア一行はシグマ大帝国の帝都ベルサから一路、バルト永世中立国に向けて出発した。






 ◇






「魔王領から飛ばされて来た?」


「そう。

 逃げる際に転送用の魔法陣に入ったんだけど、それを敵の魔導士に妨害されてここまで飛ばされて来たの……」



 ここはシグマ大帝国の帝都ベルサの西側の門から出て暫く進んだ所の街道である。

 左右は雪が積もっているが所々に雪が盛り上がっているところがあり、スミスさん曰く、あの雪が盛り上がっているところは今こそ雪が積もって見えないが、道の左右に広がっている農場を区分けしている石垣なのだという。


 後ろの幌が展張されている荷台の中では、御者台に居る俺とスミスさんを除いた全員がアゼレアの話を聞いていた。



「転送用の魔法陣ということは、魔王領では転移魔法が今でも使われているんですか?」


「物流に影響を与えるほどではないけれど、今でも残されている少数の転移魔法の魔法陣が稼働中よ。

 主に魔王陛下やそのご家族、一部の閣僚の緊急避難用に限定されて使われているわ。

 と言っても、転送できる範囲は魔王領とバルトのほんの一部にしか転送できないんだけどね……」


「それでも凄いですわ!

 まさか失われていたと思われていた転移魔法の技術が残っていたなんて……」



 こう言ったのは、おっとり系美女こと高司祭のベアトリーチェだ。

 自身も治癒魔法を含めた幾つかの魔法を使えるエキスパートらしく、転移魔法の話が出てからというもの、ことあるごとにアゼレアに質問をしていた。


 ちなみにこの話は俺も詳しいことを事前に聞いて、イーシアさんに裏どりをしてもらっている。

 最初は、異世界の戦記物語によくある『魔族の侵略戦争』という感じで話を聞いていたのだが、これがちょっと複雑な内容だったのだ。


 話はアゼレアがもの凄い勢いで食べ物を喰い尽くしたときから3時間後くらいにまで遡る。






 ◇





 

「あれ!? 聞いた話では、魔王領は内戦中って聞きましたけど?」


「それは間違いよ。 私たちは侵略を受けたのよ、ルガー王国にね……」



 それは今から約2カ月ほど前のことだったいう。

 大魔海と呼ばれる大西洋ほどの大きさの海洋性魔物が多数生息する海から灰色の見たことも無い軍艦の艦隊が湾内に侵入して来て、空からは大型の鳥や竜に乗った魔族が飛来してきたのだという。



「彼らはそれぞれルガー王国の海軍と空軍だったわ。

 我が国の主要な港を瞬く間に制圧して、陛下に対し降伏するように使者を送ってきた……」



 ルガー王国とはアゼレアから聞いたところ、大魔海を隔てたところにあるキャリバー大陸に位置するもう一つの魔族の国であるという。


 ルガー王国は人と魔族が混在している魔王領と違い、元々は魔族のみで構成されている国で古くからアゼレアの住む魔王領とは互いに交易で共に栄えてきた国だっただけに、今回の事前通告なしの突然の侵攻は魔王領の国民にとってまさに寝耳に水の状態だった。



「幾つかの港湾施設は破壊されたけど、多数の死者が出なかったのは不幸中の幸いだったわね」


「で、そのあとはどうなったんです?」


「ルガー王国軍から派遣されて来た使者は、陛下に会って直接我々の王の言葉を伝えたいと言ってきたわ……」



 沿岸国であり貿易大国である魔王領は主に輸出入で稼いでいる。

 綿花や絹、香辛料に魔法石などその取引品目は多く、バレット大陸西岸でも特に大きい港と倉庫街をいくつも抱える魔王領にとって港湾部を占領されるということは死活問題だった。



「陛下は敵の使者からルガー王の降伏勧告をお聞きになって、即日降伏文書に調印されたわ……」


「え!? 即日!?」



 魔王は閣僚の反対を押し切り、降伏文書に調印した後に軍へ武装解除の命令を出し、その後すぐに進駐してきたルガー王国軍の指揮下に入るよう命令を下した。



「なんで魔王さんは言い方は悪いですが、そんな国を売るような真似を?」


「最初から、そういう筋書きだったのよ。

 いえ、違うわね……“最初は”と言ったほうがいいわね」


「筋書き?」



 アゼレアが言うには、この侵攻は最初から魔王領とルガー王国が行った猿芝居だったのだという。

 ルガー王国はキャリバー大陸に存在する小さな魔族の国にすぎなかったのだが、魔王軍には劣るものの訓練された軍隊を持ち、その精強さは内外に知られていた。


 今代のルガー王は、自身も強力な魔術を扱える魔族でありながら戦略家としても大変優秀であり、特に新開発の兵器を用いた画期的かつ変化に富んだ作戦で周辺国を次々に平定し領土を拡大していったという。


 人間種で構成されている国々も自国領に組み込み、もはや“王国”ではなく“帝国”と言ったほうが良いくらいの規模になっており、キャリバー大陸でも2番目に大きい国に成長した。


 近年は、同化政策をとっており魔族のみで構成されていた軍や官庁に優秀な人間種を取り込み、魔族と人間の間での結婚や出産を奨励し、補助金や助成金を出すという政策も打ち出している。


 おかげで年々国力が上がり、ついに海を隔てた隣の大陸にまで手を伸ばしてきた。

 しかしこれは事前にルガー王国の王から魔王領へと内々に出されていた提案なのだという。



「あとから分かったことなんだけど、ルガー王国は急速に肥大化していったことに比例して軍も大きな力を持つようになっていたわ。

 いくらルガー王自身が強力な魔法を使える魔族であったとしても、力づくで軍や官僚組織を従えるのは無理が生じ始めていた。

 あとは……分かるでしょう?」



 要するにルガー王は増長する軍や国内の強硬派貴族の暴走を抑えるためにも、他大陸への進出が急務だったというわけである。



「私が調べたところ、ルガー王から陛下に密書が届いたのは今から約一年ほど前になるわ。

 ルガー王は信頼の置ける軍の部隊を編成して、我が国の主要な港を攻撃するから、こちらは攻撃があり次第即座に撤退、使者が訪れたら降伏勧告に従って軍を武装解除し、指示に従って欲しいと懇願してきたわ」


「で、魔王さんはそれを受け入れたと?」


「ええ、兵の練度では我が国の軍はルガー王国軍を遥かに凌いでいたわ。

 しかし兵員の数、保有兵器の数では向こうが圧倒していた。

 戦争になれば、最初は善戦していたとしても敵の物量には次第に歯が立たなくなるのは誰の目にも明らかだったわ。

 だから陛下は領民の生命を第一に考えて、閣僚や軍の幹部と相談して秘密裏に指示に従う旨を向こうに回答したと言われている」



 結果として1年後、密書の内容通りにルガー王国軍が攻めてきて港を制圧。

 魔王は降伏勧告に応じ、魔王軍は武装解除させられた。

 しかしこのあと齟齬が生じ始めたのだという。


 ルガー王国軍が進駐後、魔王領の治安維持という名目で元魔王軍には再軍備が施されて新生魔王軍が復活、進駐していたルガー王国軍は一部の部隊を残し段階的に撤収、魔王領はルガー王国と和平条約を結び形だけの傘下入りで丸く収まるはずだったのだという。


 これが魔王とルガー王が予め取り決めていた内容であった。

 しかし、ここで思わぬ横槍が入ることになる。



「当のルガー王が反逆罪で逮捕されて、翌日処刑されてしまったのよ……」


「ええーッ!?」



 そうなのだ。

 実はルガー王が魔王領を訪れて魔王と会談し、本国に戻った直後に逮捕・処刑されてしまったのである。

 その後、段階的に数を減らすはずだったルガー王国軍は本国から続々と兵力を送り続け、武装解除されて兵員だけ残っていた魔王軍は本当の意味で解体されてしまったのだという。



「陛下は本来ならばそのまま公務を続けられる筈だったのが、そのまま軟禁されてしまったわ。

 しかし、最近の話では陛下は自力で脱出してそのまま行方を眩ましてしまわれたそうよ……」

 

(行方不明ねぇ……)



 もしかしたら魔王自身、謀らずとも国を売ってしまい、みすみす敵を自国に呼び込んでしまったがために自責の念に囚われてしまったのかもしれない。



(下手したら、外患誘致だもんな。

 普通なら囚われていたとはいえ、部下や領民の前に出るのは躊躇われるよなあ。

 そりゃあ、逃げたくもなるか?)


「しかし、ルガー王は何故処刑されてしまったのですか?

 しかも逮捕された翌日に処刑って……」


「ルガー王自身も訳が分からなかったと思うわ。

 まさか自分の肉親、それも弟に殺されるなんて夢にも思わなかったでしょうね……」



 そう言って、唇を噛み締めるアゼレア。

 よほど悔しいのか、唇には薄っすらと赤い血が滲んでいる。


 魔王とルガー王の密約、それに横槍を入れたのはルガー王の実の弟であり、ルガー王が絶大な信頼を置いていた王弟アルゲンであった。


 王弟アルゲンは処刑されたルガー王、フェルディナンド・ルガー九世の実の弟であり、ルガー王国軍総参謀長の地位にあり正にルガー王国軍を王から預かる立場であったのだが、実は近年のルガー王国軍の強さは何も王自身の魔族としての強さと国家指導者としてのカリスマ性だけで成し得た物ではなかったらしい。


 ルガー王国軍に続々と配備される新型の軍艦や各種攻城兵器、新理論の魔導兵器などは全てこの王弟アルゲンが設計・開発を指揮したもので、これらの新兵器群と王弟が立案した戦術の下、兄のフェルディナンドが国家外交戦略と共同歩調を取ることで戦争を勝利に導いていた。


 しかし、アゼレアが伝え聞いたところによると約1年半ほど前から、ルガー王と王弟の不仲説が流れるようになり、その噂を裏付けるようにルガー王国軍の勢いにも陰りが見え始める。


 戦争とは軍が主体ではあるが、軍の強さだけで勝敗が決まるわけではない。

 軍を支える外交や他の国家機関、国民の協力が合わさって初めて戦争を勝利に導ける道が開けるのだ。


 ところが軍は王弟が、それ以外の面をルガー王が二人三脚で支えて初めてルガー王国の体制を維持できていたのに、そこに亀裂が入れば言わずもがなである。


 周辺諸国の指導者達も馬鹿ではないし、国が無くなること=自分たちが死ぬことに繋がりかねないので、ルガー王国国内に不穏な空気が流れ出したことを敏感に察知し、次々に対策の手を打つようになってきた。


 おかげでここ一年ほどは目立った戦果を挙げることはなく、かつての勢いを知る軍の将兵や国民たちは不満を募らせていき、そのような中で立案されたのが『他大陸侵攻論』である。


 どこの誰が立案したのかは不明だが、これを王弟に提案し彼を焚きつけたのだ。

 自分の軍師としての才能を信じて疑わなかった王弟アルゲンは自分なりの解釈を付け加え他大陸侵攻の取っ掛かりとして『魔王領侵攻計画』をルガー王フェルディナンドに上奏、当時軍や国民の不満を抑えるのに苦労していたフェルディナンドは、表面上は王弟に賛成の意を示したとされている。


 そしてフェルディナンドは自身と同じ魔族であり、以前から外交の場で数度顔を合わせて親しくなっていた魔王に半ば泣きつくような形で密書を送った。


 しかしフェルディナンドにとって失敗だったのは、このころから王弟アルゲンは兄の不審な行動を感じ取り、兄の側近にスパイを送り込んだり、軍の権限を悪用し兄の親書や密書の類を片っ端から密かに検閲させていたのである。


 そのため、兄と魔王の密約は王弟の知るところとなり、彼は密書を証拠として保管し、魔王領侵攻と同時に根回し済みだった王国議会に密書を提出。


 ルガー王は欠席のまま全会一致で国家反逆罪と国民背信罪で罷免。

 本人のいない間に王位を剥奪され、魔王との会談から帰って来たルガー王を軍港で拘束。

 即日裁判の下に結審、翌日の夕刻には公開処刑されたらしい。



「ということは、今ルガー王国の実権を握っているのは……」


「王弟アルゲンということになるわね。

 ルガー王国は以前にもまして、強大な軍事国家として再び周辺諸国を飲み込み始めたらしいわ」


(うーむ……これはあれか?

 ルガー王国は、軍事優先の独裁政権になってしまったということなのだろうか?)


「アゼレアさん、魔王領は今……」


「魔王領は現在、解体された軍の部隊を各地の地方領主たちが自領の私兵部隊に取り込んで各地でルガー王国軍に対して抵抗中よ。

 幸いなことに幾つかの領主配下の私軍は武装解除を免れたし、今はバルトや周辺国からの武器援助もあって兵力は持ち直しているわ」


「なるほど」



 最近はギルドを通して冒険者や傭兵、魔導師達の応援を集めているのだという。

 また、魔王領に隣接する国々も軍事顧問という名目で少数ではあるが、秘密裏に部隊を派遣しており、特に目覚ましい戦果を挙げているのが、遠くウィルティア公国から密かに派遣された公国公認の『勇者』達であるという。


 この勇者たちは人間種の少年少女6人で構成されており、それぞれが強大な魔法や魔導兵器、召喚獣などを用いて一騎当千の働きを見せており、先の戦闘では人族を含めた様々な種族で構成されたルガー王国軍の正規軍2個師団を壊滅に追い込んだのだという。



「私はクローチェ大公家の娘として父の子飼いの私兵部隊2個中隊を率いて一緒に戦っていたのだけれど、彼らの戦いぶりは戦慄を覚えるくらいに苛烈であり、鮮やかだったわ……」



 そう言ってその時の光景を思い出しているのか、目を閉じて口元にかすかな笑みを浮かべるアゼレア。

 対してその顔を見る俺は複雑な気分だった。



「……………………マジで?」



 その少年少女6人というのは、間違いなく例の召喚された日本人高校生たちではないだろうか?






 ◇






「はあ~っ……」


「どうした、タカシ? 盛大に溜め息なんかついて」


「ああ、いや何でもありません……」



 あの時のアゼレアとの会話を思い出して俺は陰鬱な気分だった。

 もちろん原因は、例の高校生たちのことである。


 アゼレアとの会話は彼女が高熱を出して寝込んでしまったがためにさらに詳しい情報は聞けずじまいだったのだが、彼らと顔を合わせたグレアムさんに聞いてみたところ、グレアムさんが元傭兵仲間から情報を集めてくれた。


 それによると件の高校生たちは、ギルドにて全員冒険者の最高ランクである『勇者』の資格を一発で取得したらしい。


 これはギルドでも前代未聞のことであり、バルト国内ではこの話で持ちきりなのだという。

 春になりバルトとシグマでの往来が盛んになれば、シグマ大帝国内でも話題になるだろうとのことだ。


 しかし俺は一抹の不安を抱えることとなった。

 アゼレアからの話では高校生たちの武力は魔王領、ひいてはバレット大陸の安寧のためには必要不可欠だ。


 しかし放っておけば、この世界そのものが消滅の危機にさらされる。

 かといってさっさと彼らを地球に帰したとすれば、ルガー王国の『他大陸侵攻論』のおかげでこの大陸や他の大陸で日本の戦国時代のような乱世が訪れた場合、それこそ異世界の調査に支障をきたす。



「うわ~すんげえ面倒臭い……」



 この世界には元日本人がチート能力を授かって沢山転生しているんだから、彼らがラノベの主人公のように活躍してくれれば問題ないのだが、何事もそう上手く事が運ぶことなどあり得ない。



「はあ……」


「なんか勝手に悩んでいるところすまんが、タカシ。

 ほら、見えて来たぞ」


「え、何がです?」


「あれが今日、俺達が滞在する街だ」



 そう言ってスミスさんが指を指し示す先には、帝都ベルサで見た大きな門とは違う一回り小さな門が見えてきた。






 ◇






「ほう? これがイケータという街ですか?」


 警備兵の検問を問題なくパスして門を潜った先には、如何にもな中世の街並みが広がっていた。

 ここもシグマ大帝国の国内なのだが、帝都ベルサとは街並みがまるっきり異なっている。


 まず目に付くのは、帝都の建物の殆どの窓にガラスが用いられていてのに対し、ここでは木製の鎧戸が多く、ガラスを使った窓は見える範囲で数件しかない。


 また帝都と比べて木造の建物のほうが多い上に屋根の傾斜もこちらのほうが角度が浅く、道も石畳ではなく踏み固められた土で、街路灯も所々にポツポツと立っている程度だ。



「へえ~。 これがイケータの街並みなのね」



 そう言って馬車の車内から顔をニュッと出して呟いたのは、赤金色の目が特徴的な女魔族のアゼレアだ。香水なんて着けていないはずなのに、なんだか甘い香りがフワッと鼻をくすぐるのは気のせいだろうか?



「ところで、今日は宿に泊まれるの?」


「ああ。

 この街は交通の要所にあって、比較的規模の大きい街の部類に入るから、宿は複数ある。

 多分泊まれるだろう?」



 もうちょっと中心部まで行けば宿が見えてくるとスミスさんが言うので暫く馬車を進めると、正面に大きめの宿が見えてきた。



「ちょっと、ここで待ってろ」



 空室を確認しにスミスさんが御者台から降りて宿の中に入って行く。

 そして数分で出て来た。



「大丈夫だ。

 部屋の空きには余裕があるらしいから、ひとまず裏の厩に馬車を持っていこう」


「わかりました」



 馬車を厩に持って行き、引き馬の大きさに驚いていた専門の従業員に任せた後、宿に入る。



「部屋割りだが、まずタカシとアゼレアで一部屋。

 俺のクランで一部屋。 そちらのお嬢さん方で一部屋でいいか?」


「えッ!? いやあ、それ「かまわないわよ」……え!?」


「お嬢さん方は?」


「ええ。 大丈夫ですよ」


「うむ。 問題ない」


「それでは、こちらが皆様方それぞれのお部屋の鍵になります。

 無くされると、一つにつき銀貨十枚を請求させて貰わなければいけなくなりますので、くれぐれも無くされないようお願いいたします」



 宿の従業員が俺、スミスさん、ベアトリーチェに鍵を1本ずつ渡していく。

 日本のサムターン錠の鍵と違い、ゴツくて黒い鋼鉄製の鍵だった。



「夕食はあちらの時計で一時間後ほどになります。

 その際は、あちらの食堂にお集まりくださいますようお願いいたします」



 そう言って従業員が食堂の出入り口横に置いてある大きな置時計を指す。


 

(なるほど、この世界にも時計台以外に屋内設置型の24時間表記の機械式時計があるのか……)



 時計の文字盤が漢数字で表示されているお陰でえらく和のテイストたっぷりな時計を見ながら、自分の腕時計とあの置時計に時間の誤差がほぼないことをチラッと確認しておく。



「じゃあ皆さん、一度部屋に行きましょうか」



 スポンサーは俺であるため、あくまで俺が仕切らないといけない。

 俺の号令で皆がそれぞれの部屋に向かって行く中、俺とアゼレアだけが宿のフロントに残った。



「どうしたの、タカシ。 部屋に行かないの?」


「いやいや! アゼレアこそ良いんですか? 男と部屋が一緒なんて」


「何か問題があって? 私、こう見えても魔王領では戦争中、男の部下や配下たちと一緒に戦場で雑魚寝していたから大丈夫だし平気よ?」


「それは、そうでしょう。 だれも、上官を襲う軍人なんていませんって。

 いや、2人っきりですよ? わし、男なんじゃよ?」


「大丈夫よ。 私、アナタのこと信用しているし。

 もし、私を襲うのだったら看病しているときに幾らでも機会はあったでしょう?」


「それはそうですが……」


「じゃあ、早いこと部屋に行きましょう!

 私、早く部屋に言ってゆっくりしたいのよ」


「わかりました……」






 ◇






 部屋は快適そのものだった。

 魔法を使った空調設備によって部屋の室温は快適な温度に保たれているため、外の寒さなんて全く感じさせない。


 照明もどんな仕掛けなのか部屋全体をボンヤリと照らし出しており、ベッドは少し硬めだが綿のマットが敷いてある。



「なかなか、快適な部屋じゃない!」



 そう言って腰の略刀帯に装着している剣吊帯に接続していた軍刀を外し、ブーツを脱いでベッドに寝転がるアゼレア。


 彼女が動く度に不思議な甘い香りがするのは、気のせいであろうか?



「貴族のご令嬢から見ても、良い部屋ですか?」


「ええ! 当家は私や父を含め、そこまで贅沢をするような性格じゃなかったし家具や調度品はご先祖様から引き継いだものをずっと使っていたから、家具の良し悪しなんてあまり分からないけれど、良いんじゃないの?」



 そう言ってベッドに仰向けになったまま、顔だけこちらに向けているアゼレア。

 俺は彼女の顔ではなく革鎧を外して仰向けになってもなお形を保っている、そのけしからん2つの大きな胸の膨らみに目が行く。


 それに気づいた彼女はニヤリと笑い、目を細めまるで俺を誘惑するかのように妖艶な笑みを作り、先程まではしゃいでいた子供っぽかった雰囲気を一瞬にして変えてしまった。


 するとどうだろう?

 先程まで香っていた甘い花のような香りが一層強くなったような気がしたと思ったら、彼女の元に行こうとフラフラと歩き出したのだ


 

(あれえ!? 一体どうしたの、俺の身体は!)


「……っは!? え!? どうしたの、俺!!」


「あらぁ……正気に戻ったのね?」


「一体、何をしたんですか!? 貴女は?」


「別に何もしていないわ。

 ただ、無意識に貴方が私に魅了されてしまったのよ」


「魅了っ!?」


「言ってなかったかしら? 私は吸血族と淫魔族の間に生まれたっていうのはもう知っているでしょう?

 淫魔族はその気になれば、相手を見ただけで異性を魅了できるのよ」


「聞いてませんよ、そんなこと……」


「そうだったかしら?

 まあ以前のわたしなら、今よりも魔力は半分だったから無意識に他人を魅了してしまうことはなかったわ。

 でも、あなたのおかげで魔力が増えたことに比例して淫魔族のチカラだけではなく吸血族としてのチカラも大きくなってしまったみたいね。

 ちょっと気を回すと、さっきみたいに魅了させてしまうみたい」


(うーむ、魔力が強くなると他人を無意識に魅了してしまうとか淫魔族恐るべし……)



 言われてみれば、このアゼレアという魔族と知り合ってから約1カ月近くなるのに戦争の話ばかり聞いて、肝心の彼女の詳しいことはあまり聞いていなかったことを思い出した。



「そういえば、貴女の種族や出身地などは教えてもらいましたが、それ以外のことは途中ゴタゴタしていて聞いていませんでしたね。

 許せる範囲で良いので、お聞かせ願えませんか?」


「あなたには命も助けてもらったし、この旅のことも含めて様々な面で援助してもらっているから、喜んで話させてもらうわ」



 夕食までの間、アゼレアの身の上話を聞くことが出来た。

 アゼレアは魔王領北部のタブリックという地方を収めている大公家の次女で、今年で212歳になり、人間種の年齢換算では21歳になる。


 父は魔王領でも屈指の実力者である吸血族の族長であり、魔王軍北部方面軍総監を務めている生粋の武人なのだという。


 母は先代淫魔族族長の娘であったが、女性しか生まれない淫魔族の地位を向上させようと考えていた族長は、当時未だ独身でありながら魔王軍で多大なる武功を挙げた父親の下に正妻として嫁に出されたのだが、父が母に一目惚れしてしまい側室は一度もとっていないとのこと。


 魔王領では他種族間での婚姻を奨励しており、純血を守っている種族は闇の妖精族や堕天使族を含め数えるくらいしかないのだが、最近では族長やその親族クラスでもない限り個人の結婚に関してはそこまで厳しくはなく、純潔を守っている種族であっても他種族と結ばれる機会は多く、一時期低迷していた少子化に関しても人間種が魔王領で暮らすようになって出生率が上がり始めているらしい。



「父がガチガチの軍人ってこともあって私も魔王軍に所属しているわ。

 まあ、専ら父の下で北部方面軍の兵站部門を仕切っているんだけれどね」



 ちなみに魔王軍での彼女の階級は父親の影響もあり少佐なのだという。

 っていうか、魔王軍の少佐が一介の新人冒険者と行動を共にしても問題ないのだろうか?



「そう言えば、魔王領が内戦中っていうのはなんでそう言われるようになったんですか?

 とある噂ではその内戦のおかげで難民が増えているって聞きましたが?」



「まず内戦ということだけれど。

 これは西部方面軍の部隊から離反者や脱走兵が続出して敵側に寝返ったことが大きいわね。

 敵に寝返った同胞たちが元の軍装のまま先鋒を務めているから、それを見た我が国の味方に付いている各国の軍事顧問団が誤解したのではないかしら?」



 以前、アゼレアの身体に突き刺さっていた『四〇式装毒矢』だが、これはその元西部方面軍所属だった兵士の誰かが武器庫から持ち出したものではないかとアゼレアは疑っているらしい。


 アゼレアは矢を受けた当時、友人だった中央方面軍総監である竜族族長の長女と一緒にいたところを襲撃された。


 竜族の別荘の屋敷に設置されていた緊急避難用の転送魔法陣で友人を先に逃がした後、本人も逃げようとしたのだが矢を射られてしまった上に、敵の魔導士に転送魔法術式の起動を妨害されて本来の目的地とは別のシグマ大帝国に飛ばされてしまった。


 難民に関しては、魔王領に最近移住した人間種や種族的に戦闘に向いていない種族の者たちが逃げているのではないかとのことだが、その中には病気や高齢で魔王軍や治安機関を離れた者も含まれているので、全員が戦闘に弱いということではないらしい。



「魔王領に戻ったら戦闘に参加するんですか?」


「本来なら軍人としてはそうしないといけないと思うんだけれど、まずはバルトに避難している母や妹、姉夫婦が心配だから、まずはバルトに行って安否を確認したいわ。

 未だ戦場で戦っているであろう父は殺しても死ぬような方ではないから、心配してはいないけれど……」


「なら先ずはバルトに行かないといけませんね。

 バルトの何処にいるのかは分かるんですか?」


「それは、心配いらないわ。

 今回の戦争のように、有事の際は転送魔法で使用人とその家族含めて全員バルト西部のリヨンっていう街に避難できるようにしてあるの。

 リヨンの領主である伯爵夫婦と当家は家族ぐるみの付き合いがあって、もしもどちらかに何かあればその時は相手側の所に避難出来るようにしているのよ」


(じゃあ心配はないか……)



 例の高校生たちのことは気掛かりだが、スミスさん達を降した後はそのリヨンという街に向かうことにしよう。



「では、バルトのギルド統括本部に立ち寄ってからリヨンに向かってもよろしいですか?」


「かまわないわよ」



 とその時、コンコンとドアを叩く音に続いて女性の声が聞こえてきた。



「取り込み中失礼する。

 夕食の用意ができたようだぞ?」



 この声はカルロッタさんのようだ。

 どうやら、親切に夕飯ができたことを知らせに来てくれたらしい。



「は~い! 今、行きます。

 夕飯の支度ができたようですね。 行きましょうか?」


「ええ! どんな食事が出るのか楽しみね」



 そう言ってアゼレアは俺より先に部屋のドアを開けて階下へと下りて行った。






 ◇






 食堂は非常に賑わっていた。

 宿に来たときは食堂は閑散としていた気がしたが、今は座る場所がないぐらい人がたくさんいる。

 この世界には煙草がないので煙くなくて助かる代わりに酒の匂いがすごい。


 俺たち7人が揃うと、すぐに食事が運ばれてきた。

 運ばれてきたのはデカい牛肉がごろごろと入ったシチューだ。

 これに大麦を使った硬めのパンと葡萄酒が付く。


 この世界の葡萄酒は地球の赤ワインと比べて琥珀色をしており、製造過程で鉛が溶け出すことはないので安心して飲める。もちろん地球のそれと比べて雑味が若干あるが、それも異世界の味のひとつだろう。



(それにしても、こうやって見るとクセが強うそうな人ばかりだなあ……)



 俺と一緒に食卓を囲っているのは7人。

 右から順にアゼレア、カルロッタ、ベアトリーチェ、ズラックさんにロレンゾさん、そしてスミスさんが俺の左に座る。


 ズラックさんとロレンゾさんはスミスさんと一緒に仕事を共にしている冒険者仲間で、2人とも手練れの2級冒険者である。


 スミスさんが元魔王軍の兵士だったことはもうご存知かと思うが、この2人も『元』が付く。

 ズラックさんはケルトという南方の小国で山岳歩兵の連隊長だった人物で、スキンヘッドに口ひげが特徴的で寡黙な人物だ。


 四六時中ムスッとした表情のため誤解されやすいが、実はすごい親切な人で見た目が怖いのと大きな剣を背に背負っていることが多いので子供や女性は彼を避けることが多い。


 元山岳歩兵ということもあって、弓矢の扱いに習熟しておりその腕はそこら辺のベテラン弓兵より上なのだというが、実はこの強面のおっさんには、美人の奥さんと2人の娘さんがいることが判明している。


 もう1人のロレンゾさんはダルクフール法国というこの大陸では4番目に大きい国の出身で、冒険者になる前は魔法学校で教官をしていたそうのだが、その前は同国軍の魔法旅団に所属していたらしい。


 細面ではあるが、彼は金髪碧眼のイケメンであり魔法使いたちが好んで着用するというローブ外套を着ている。


 

「ところでエノモト殿、例の話は考えてくれたであろうか?」



 黙々とシチューを食べていたら、カルロッタが声を掛けてきた。

 俺は彼女の問い掛けに対して申し訳なさそうな表情でそれに答える。



「あ~、もうちょっと待っていただいてもよろしいですかね?」


「大丈夫だ。 わたしも無理を言っているという自覚はある」



 そう言いつつ、彼女は己の隣に座り美味しそうに料理に舌鼓を打つアゼレアの持つある物を一瞥する。

 彼女が俺に問いかけてきたのは、アゼレアがテーブルに立てかけている軍刀のことだ。


 実はカルロッタはアゼレアが腰に避けている軍刀を痛く気に入ってしまい、ことあるごとに俺に「購入させてくれないか?」と聞いてくるのである。


 ちなみに一口に軍刀と言ってもその種類が多くてややこしいのだが、アゼレアに渡した軍刀は『九八式陸軍軍刀』という日本刀で、拵の全長は99センチ、刀身の長さは68センチ、元重9ミリ、先重7ミリ、南満陸軍造兵廠本廠で生産された興亜一心刀、いわゆる満鉄刀身のため刃紋はない。


 全体の重量は2.1キログラムと陸軍軍刀としては重量級の部類に入り、鍔は貴重な透かし彫りのタイプで製造番号が打刻してあり分厚く重厚である。


 鞘は鉄製で第二次世界大戦時の日本陸軍国防色で仕上げられており、これに合わせてアゼレアには、大日本帝国陸軍の略刀帯と呼ばれる革製のベルトを軍刀と一緒にセットで渡した。


 軍刀としても、日本刀としても頑丈な刀身を誇るこの陸軍軍刀は地球の神様を経由して用意された代物であるため、本来の軍刀と違い絶対に折れず錆びて朽ち果てることは決してない。


 勿論、刃こぼれもしない上に俺が使っている銃器たちの銃弾と同じで魔法または魔法によって作られたあらゆる防御をも容易く切り裂く。


 これは、チートパワーを与えられたてこの世界に転生した元日本人たちが行使する魔法や魔導具、魔王のようなバケモノが展開する超強力な魔法防御も意味を成さない。


 この軍刀と他、幾つかの銃器以外の装備をアゼレアに与えるにあたってはこの世界のエロ神もといイーシアさんに許可は取ってある。


 しかし、カルロッタに関してはあのエロ神様の許可待ちの状態だ。

 といっても彼女は聖エルフィス教会独自の武装組織であるエルフィス聖騎士団に所属しているため、この物騒な軍刀をおいそれと手渡すわけには行かないだろう。


 というわけで現在は、彼女からの軍刀に対するラブコールをのらりくらりとかわし続けている状態だ。

 カルロッタは純粋な剣士であるが、任務によっては魔法を使う司祭や神官を捕まえることもあるため、魔法戦闘でも壊れることがない剣を探していたのだという。


 そんなところに鎧程度の鉄板であれば、紙にように容易く切り裂くチートな刃物を見れば欲しくなるのは当然というものだ。


 ちなみにこの軍刀をもらった当初、アゼレアは古くなって穴が空いている寸胴の鍋を試し斬りしているのだが、本人の魔法剣士としての技量も相まって見事に真っ二つにした。


 しかも水平斬りで横方向に斬ったにも関わらず、鍋は上下に分かれて斬り裂かれてしまい、鍋の切り口は非常に滑らかで、軍刀の刀身には擦り傷ひとつなかった。


 対してカルロッタが帯剣しているのは、直線的な刀身を持つ如何にもな西洋の剣であるブロードソードと呼ばれるタイプの剣で、女性が扱うためか全体的に細身に作られている。

 一度だけ持たせてもらったが、アゼレアの軍刀と比べて軽い印象を受けた。



「エノモト殿には関係のない話かもしれないが、騎士にとって自分の命を預けることができる剣を見つけるということは中々容易なことではない。

 私はアゼレア殿が使っているグントウという剣を見て触って、この剣こそが私の探していた剣であると確信したのだ。

 この旅が終わるまでの間に是非とも答えを聞かせて欲しい!」



 そう言って興奮気味に話すカルロッタ。

 それを見たベアトリーチェは食事をしながら苦笑していた。



「ごめんなさい、タカシさん。

 カルロッタも悪気があって言っているつもりはないのですのよ?

 ただちょっと剣のこととなると、途端に周りが見えなくなってしまうことがあるのですわ……」



(いやそれは剣士というか、騎士としてはどうなんですかね?

 周りが見えなくなってしまっては流石にまずいでしょう……)



 俺は喉元まで出掛かった言葉をかろうじて飲み込んだ。



「ところでずっと気になっていたんですが、ベアトリーチェさんたちは冬の交通事情が悪い中にも関わらず、何故、教会に戻るんですか?」


「うふふ。 それは秘密です」


「あ、やっぱりですか?」


(そりゃあ、そうか。

 教会特高官っていう宗教警察みたいな仕事をしているんだから普通は話さないし、話せないよねぇ……)


「と言いたいところですが、恐らくすぐに噂として広がると思うので、今ここで少しお話しさせていただきたいと思いますわ」


「いいのかよ!?」


「事の発端は約一か月ほど前に遡ります。

 私たちが神にお仕えする聖エルフィス教会の総本山、要するに総本部になりますが……その大聖堂でとある出来事が起こったのです」


「ほう。 なんだいそりゃ?」



 ベアトリーチェの言ったことに反応したのは俺ではなく、隣に座っていたスミスさんだった。



「実は、その時大聖堂には司祭と神官、そして敬虔な信徒二百人が詰めていました。

 そこに突然、全員の頭の中に声が響いたのです……」


「声……」


「ええ、声です。

 どういった内容かまでは分かりかねますが、私が伝え聞いているところでは年端もいかない少女とも妙齢の女性とも老婆ともつかない声だったということですわ。

 その声が聞こえなくなった直後に大聖堂の中央部に剣が突き刺さっていたらしいのです……」


「剣ねぇ……」



 そう言ってスミスさんは己の顎を撫でながら首を傾げている。

 スミスさんの仲間であるズラックさんとロレンゾさんも何か考えるような顔つきになっていた。


 俺はというと、終始ベアトリーチェとスミスさんの2人を不思議そうな顔をして交互に見るようなことをしていた。で、そんなことをしながら心の中では終始あのエロ神様に悪態をついているという状態に陥っていたのだ。



(あんのエロ神ィ! やっぱり碌なことしてねえ!

 しかも、この流れは廻りまわって俺に不幸が降りかかるパターンとかじゃねえだろうな!?)



「ベアトリーチェ殿は教会特高官という職務を遂行されている傍ら、古代魔法の研究や神話や伝説の検証等も専門的に行っておられるのです。

 その知識は教会内でも指折りの知識を有しているため、今回の件を解明するために教皇猊下直々に招聘されたという次第なのですよ」


「へえ? こう言っちゃなんだが、学者さんの側面も持っているとは意外だな」


「よく言われますわ」


「…………」


(うーむ?

 これは下手すると、ヨランダさんのときのように俺の正体が彼女にバレるとかにならないよね?)



 俺は内心、穏やかではなかった。

 例の性剣もとい聖剣を解析するためにこの女性はバルトに戻るんだろうが、もしアゼレアの軍刀と教会の床に突き刺さっている剣について彼女に何かしらの関連性を疑われると不味い。



(今更ながらアゼレアから軍刀を取り上げる真似なんてできないし……どうしたものか。

 とりあえず、カルロッタには軍刀を渡すことは出来んな。

 あのエロ神様にも責任の一端は大いにあるから、そこら辺を上手くやってもらうしかないか……)


「あの……ちょっとよろしいですか?」



 突然、ロレンゾさんが手を挙げて話に入ってきた。



「どうした、ロレンゾ?」


「実は先程の話を聞いてちょっとお願いしたいことがあるんですが。

 僕をベアトリーチェさんの仕事に参加させてもらえませんか?」


「は? 何言ってるんだ、お前」


「スミスも僕がダルクフール特別魔法学校で教鞭を執っていたことは知っているだろう?

 僕の専門は魔法具の解析と開発。

 魔法の技術屋としてその剣を一目見ておきたいんだ」


「だからといって部外者がそうホイホイと協力させてもらうことなんてできないだろう?」


「ダルクフール特別魔法学校と言えば、この大陸でも指折りの魔法学校ですわね……

 ロレンゾさんは学校では何を教えられていたんですか?」


「教壇では主に魔法理論の組み立てと、魔法具の神話性理論を主に教えていました。

 学校では教官一人一人に研究室が与えられていて、そこでは先ほど言った魔法具の解析と開発をしていまして。

 主に迷宮から出てきた古代魔法具の解析や復元、王室が購入した魔法具や魔導石などの保守整備。

 あとは軍に居た時の付き合いで、知り合いの魔法兵の装備の修理に軍からの依頼で魔法兵器の開発にも少し関わっていました」



 「もし疑われるのなら、ギルドか母国に問い合わせてもらえれば良い」と彼は最後に付け加えた。



「そうですわね……確かに疑うわけではありませんが、それほどの経歴をお持ちで尚且つそれを証明できる確たる証拠を上に提示できれば、もしかしたら許可が得られるかもしれませんわ。

 教会の者だけではなく第三者からの意見もいずれ必要になると思いますし。

 幸いにも教会総本山はギルド統括本部と同じバルトにありますから、そちらで証明書類をご用意いただければ、それを持ってわたくしから上に話を通してみたいと思います」


「よろしくお願いします」



 このあとはお互いの仕事や出身地について当たり障りのない話をした後、皆んな自然に部屋に戻っって行った。






 ◇






「中々美味しかったわね。 夕食」


「そうですね」


「それにしてもベアトリーチェが話している間、貴方の目の泳ぎっぷりと言ったらなかったわね。

 カルロッタがあなたのことを訝しんでいたわよ?」



 実はアゼレアには俺の正体が神様の仲間であることは旅の出発前にバレている。

 きっかけは俺がアゼレアを宿で看病しているとき、彼女は高熱を出して休んでいたのだが、俺が彼女に早く全快してもらおうと、とある栄養ドリンクを飲ませたのが原因だった。


 飲ませた栄養ドリンクは第二類医薬品に分類されている、外箱がゴールドの派手な見た目が特徴的な1本数千円するという高価格帯の栄養ドリンク。


 地球に居たころは値段が高くて手が出なかったが、神様が用意してくれる物品のリストに入れることで容易に手に入れることが出来たが、これを飲ませたところ、アゼレアはベッドの上で病的なほどに震え始め、膨大な魔力が放出されて部屋の中だというのに台風のような暴風が吹き荒れた。


 暴風は数秒で収まったが、もの凄い量の汗をかいたあと体に変化が起きる。

 少し身長が伸びてそれに合わせるように体が以前にも増してボンキュッボーン!なカラダになり、ボブカットだった髪も肩に掛るくらいに伸びた。


 それだけではない。

 血のように赤かった双眸が赤金色に変化したのだ。


 俺はステータスチェックが出来るチートなラノベ主人公ではないので外見の変化しか分からないが、アゼレア本人曰く魔力が段違いに上昇したらしい。


 後から聞いて知ったのだが、この世界少なくともバレット大陸では飲んだ者の外見や魔力に影響を及ぼすほどの魔法薬は存在しないと言われ、そのため己の変化に驚いた彼女によって締め上げられた俺はあっさりと白状させられた。


 女相手に情けないと思われるかもしれないが、般若顔負けの形相と殺気に人間をはるかに超える物凄い腕力で締め上げられれば、普通の一般人なら白状せざるを得ない。


 で、そのあとヨランダさんのときのように俺はこの世界のエロ神ことイーシアさんに彼女を紹介して協力者になってもらったという次第である。



「軍刀だったかしら? しばらく旅を一緒のする仲間の中に魔法解析に長けてる者がいるんじゃカルロッタにおいそれとこの剣を渡すわけにはいかないんじゃないの?」



 そう言いながら、略刀帯の吊り還から軍刀を外すアゼレア。

 彼女の装着する軍刀やその他の装備品も言ってみれば、協力者になってもらった時の対価として用意した物だ。


 軍刀は彼女が自由に選べるように旧陸軍の九四式、九五式、九八式、通称三式と言われている陸軍軍刀の他に旧海軍の太刀型と言われる海軍軍刀も用意していたのだが、最終的に彼女が選択したのは既にご存知の『九八式陸軍軍刀』で、まだ当時の日本に余力があった頃に作られた初期型である。


 他には大阪の西成暴動や千葉県成田闘争時代の旧型防護衣を着用していた日本警察機動隊の隊員の腕に装着されていた『防護手Ⅱ型』と言われる籠手にアルミ合金製の3段式伸縮警棒とアルミ合金製の手錠。


 そして、俺も愛用しているβチタン合金製の折り畳みナイフにステンレス製の大型ツールナイフ。

 他にもスペクトラとケブラーの複合繊維を用いた防刃ベストと防刃手袋、米軍が使っていた戦車兵用コンバットブーツを用意した。


 女性物の服は男である俺にはコーディネートは無理なので、イーシアさんにお願いして動き易く寒い冬でも体温を維持できる日本製の服を用意してもらった。


 おかげで彼女の服装は本人のスタイルと魔族という外見もあってかなり目立つ。

 彼女は日本の職人が仕立てた欧米人向けの輸出用ジーンズがすっかり気に入ったようで、イーシアさんから複数のジーンズをプレゼントされてからというものの、就寝時以外は常に履いている。


 一緒に並んでみても、同じように日本製の服を着ている俺よりアゼレアの方に目が行くだろう。

 彼女が宿にチェックインするまでの間、胸部に着けていた革鎧は旅の出発前に帝都ベルサの武器店で購入した物だ。


 寒いので漫画のヒロインみたいに肌の露出は少ないが、絶世の美人だから許しちゃおう。



「明日は何時にこの街を出発するのかしら?」


「スミスさん達と話したんですが、まずはこの街で水や食料、幾つかの日用品を買いこまなければいけないので昼食を摂ってからの出発になりますね。

 何か欲しいものはありますか?」


「特にないわね」


「じゃあ、やることも無いですしさっさと寝ますか」


「何言っているの貴方。

 吸血族との混血とはいえ、淫魔族を前にして寝るっていうの?

 抱くの間違いじゃないの?」


「わはははははーーっ!! なら、いただきま~す!」


「きゃー♡」


「って、飛び掛かると思いました?」


「うん」

 

「んなことするわけないでしょ! 

 私も長生きしたいので、吸血族の族長の娘であるあなたを襲ったら殺されてしまいますよ!」



 そう。

 ヘタレと言われてしまっても仕方がないことであるが、俺はまだ彼女に手を出していない。

 淫魔族ということでそれはもう手取り足取りすんごいことがベッドの上で繰り広げられると内心ワクワクしていたのだが、いつかコトに及ぼうと思いそれとなく淫魔族の話を聞いていたら何と彼女は処女だったのである。


 何でラノベのヒロインのテンプレみたいに処女なのかと俺は内心嘆いたが、それならそれでブチ破ってやると意気込んでいた俺に追い打ちをかけるように彼女はこう言い放った。



「私の父は吸血族の族長であり吸血族にとっては必須の血液を媒体とした魔術を使うのだけれど、基本的に吸血族は血液の扱いに関しては魔族一で、血液で他人の健康状態を知ることが出来るの」



 どういうことかというと、他人の血液に触れたり舐めたりすることで相手がどんな病気にかかっているのかやちょっとした身体の変化をも見抜くのだという。


 そのため、魔王領の吸血族の中には代々医者を務めている一族もおり、彼女の父も魔王軍北部方面軍総監でありながら軍医としての資格も持っている。


 しかも、族長ともなれば彼女の血液に触れなくても、握手しただけで処女を喪失したかどうかくらい瞬時に見抜けるだろうということだ。


 ではここでまともな父親が久方ぶりに会った可愛い愛娘が突然処女を失っていたとしたらどうだろう?

 しかも相手がどこの馬の骨ともしれない男だったとしたら?

 愛娘が行き遅れでない限り十中八九相手をぶち殺すこと必至である。



(娘関連で怒り狂った父親ほど手を焼くものはないよなあ……)



 ということで、俺は美味しそうな体を目の前にして蛇の生殺し状態なのだ。

 相手が半ば合意しているだけに尚更つらい。


 ならその直前までヤルことヤッっておけよという意見もあるだろうが、淫魔族の色香を前にそのあとの本番へと及ばないという保証はどこにもない。

 ちくしょうめ!!



「さてと、じゃあ俺は下の洗面所で歯を磨いてくるので、それまでの間に着替えておいてくださいね?」


「は~い」



 歯ブラシと歯磨き粉、それに琺瑯製のカップを持って部屋を出て階下の洗面所に向かう。

 俺も彼女も寝るときはパジャマに着替えて寝る。


 もともと彼女は実家で夜寝るときはトーガのような寝間着で寝ていたのだが、俺の寝るときに来ていたパジャマに興味を示し、試しに着せてみたところすっかり気に入ってしまい、夕食を食べた後は直ぐにパジャマに着替えて朝までずっとパジャマ姿でいるのだ。さすがに馬車の中で夜寝るときはパジャマに着替えることはしないが……


 俺が洗面所で歯を磨いている間に彼女はパジャマに着替えて寝る準備をし、彼女が交代で洗面所に行ったら今度は俺が着替えて寝る準備をする。

 朝も同じようにして互いに準備をするのだ。



「さてと今日は久しぶりにベッドでゆっくり寝れるな……」



 イーシアさんに体を弄られてから疲労は殆ど蓄積しない体になったが、それでもベッドでゆっくり眠れるというのは精神的にありがたい。

 俺でこう思うのだから、他の人達はその気持ちはもっと大きいことだろう。



「それにしても、順調すぎるほど順調に旅が進んでいるなあ。

 てっきり盗賊やモンスターの類に襲われるんじゃないかと内心冷や冷やしていたんだけど……」



 階段を下りながら俺は今までの旅の道程を思い起こす。

 荷台の中で寝泊まりしつつ、日中はのんびりと道を進む馬車。

 具合が悪く者もおらず、日中は世間話をして一日が過ぎ、夜になれば野営をして、夕食を摂った後は交代で見張りをして寝て朝を迎える。


 地球に居たころは、どこに出かけるにしても雨に振られることが多い雨男体質であったが、この世界では天候にも恵めれて、旅に出てからは吹雪や暴風雨などに曝されることは無く、旅に出て1週間目でやっとこさこのイケータという街で休息を取ることが出来た。


 野郎だけの旅ならそこまで気を使う必要のないのだろうが、女性が同道しているともなれば話は別だ。


 別にフェミニストを気取る気はないが、こちらに対して有効的な態度の美女に対してはついつい優しくしてしまうのが男の性という悲しい現実がある。もちろん下心が無いと言えば嘘になるが、ノクターンのような展開になることはそこまであまり期待してはいない。



「明日の天気が良ければ、昼ごろにはこの街ともおさらばか……何事も無く目的地に着ければそれで良いのだがねぇ?」



 しかしそうも言っていられないのがこの異世界の都合である。

 俺はこのとき自分がフラグを立ててしまったことに気付かぬまま、夜を過ごすことになった。


 翌日も快晴の下、意気揚々と街を出発した俺達一行はこの旅で初めてのトラブルに見舞われることになるのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る