第15話 魔物
“貴族の娘がオーガに攫われた”
逗留していた街のギルドにそんな話が舞い込んできたのは昨日の夕刻頃だった。
ここは大陸一大きな国であるシグマ大帝国の田舎町で、近くに鉱山がある以外、これといった観光資源も娯楽も無い街ではこの話題で持ちきりだ。
「誰かオーガに攫われた哀れな貴族の令嬢を救おうという勇敢な者はいないか?
攫われたのは、あのメンデルを治めるクリフォード公爵家のご令嬢だ。
救い出せば恩賞は思いのままだそうだぞ?」
「ならば僕たちが請け合おう!」
そう言って名乗りを上げた僕たちのクランは既に使われなくなって久しい廃坑へと続く山道をひたすら上っていた。
「……しかし、アルの無茶ぶりには毎回呆れますね」
「うるさいなあ……」
後ろからこちらにわざと聞こえるように文句を垂れているのは、魔法使いのエルモア。
「まあまあ、それがアルの良いところですわ。
無計画で無秩序、それでもって最後の最後で何故か上手く纏まるのが素晴らしいではありませんか!」
ニコニコとこちらを貶しているのか褒めているのか分からない調子で話を合わせているのは、神官のアルティーナ。
「で、今回のオーガは強いんだろうな?
早く行かないと他の冒険者にオーガが討ち取られてしまうぞ。
そうなったら、私の相手がいなくなってしまう!」
「オーガのことより女の子の安否を心配してよ。 マイラベル」
普通なら同性として攫われた女の子のことを心配しなくてはいけないところを心配どころか気にかけてもいないのは、騎士のマイラベル。
「ご主人様、もしものときはこのエルネが援護しますニャ。
だからご主人様は心置きなく戦ってくださいニャ!」
こう言って僕に唯一優しい声を掛けてくれるのは、獣人で黒猫族のエルネ。
後ろを見ると、すぐ側まで寄ってきていたエルネが“フンス!”と鼻息も荒々しく気合を入れつつ可愛い仕草でこちらを見返してくる。
「ありがとう。 エルネ」
笑顔で礼を返すと、エルネは顔を赤くしつつもじもじと体をくねらせる。
「そ、そんな礼なんてとんでもないですニャ。
エルネはただ、ご主人様が心配なだけですニャ……」
「いや、僕をいつも心配してくれるのはお前だけだからね。
彼女たちの頭の中は、オーガをどうやって料理しようかしか考えてないだろうし」
「ひどいですね。 アル」
「まったくだ。
私はオーガを料理したいのではない、騎士としてオーガと早く戦ってみたいだけだ!」
「同じでしょうが、この戦闘狂ッ!」
まったく、なんでこんなクラン作っちゃったのかなぁ?
この世界に来てからもう18年が経つけど、未だに自分が長い長~い夢の中にいるんじゃないかと錯覚を起こしそうになるが……本当にこれは夢なのではないだろうか?
(でも、前いた世界ではこんなこと絶対にありえないと思っていたんだよね……)
『世界に行って、人生をやり直したいと思いませんか?』
今でも鮮明に思い出せるあの光景。
僕は18年前、この世界に生まれる前のことを思い出していた。
◆
「……ん、ここは?」
確かトラックに撥ねられて、救急車で病院に搬送されていたはずじゃなかったっけ?
僕の視界に飛び込んできたのは慌ただしい様子で治療を行う医師でも看護士でもなく、今まで見たことも無いような美しい女性だった。
「ここは、私たち神が住まう空間です」
「……あなたは?」
「申し遅れました。 私は地球とその世界を管理している神で
「神様……ですか?」
そう言われて改めて周囲を見回すと、そこは病院の救命救急センターではなく、ぼんやりと柔らかい光に包まれた空間で、何もない上に声以外の音が聞こえないのに圧迫感も無く、安らぎを覚える不思議な空間に僕は横たわっていた。
「確か僕は病院に運び込まれたはずじゃあ……」
けたたましく耳に鳴り響く救急車のサイレンとボンヤリと視界に映る救急車の車内、僕を何回も覗き込んでくる救急隊員。
救急車が止まったかと思うと、流れるように色んな天井が視界に映っては過ぎ去って行った。
救急車の天井からどこかの玄関、廊下の天井、ドアが開いたかと思うとどこかの部屋の天井が映り、その次は眩しいくらいのライトが僕を照らす。
水色の手術服とマスクをした人達が返り血を幾つも浴びながら何かをしているところで僕自身の記憶は途切れている。
「あ……」
そうだ、思い出したのだ。
あの光景が本物ならば、僕はもう既に死んでいるのだろう。
「田中
あなたは残念ながら先ほど病院で脳死……死亡が確認されました。
享年13歳です。 お悔やみ申し上げます」
(そうだ、僕は死んだんだ……)
「…………」
「取り乱したりしないのですね」
「いや、何というか……」
正直なところ死んだという実感が湧いてこないのだ。
今こうして神と名乗った女性と話をしているけど、体は透けていない足は両方とも揃っているかと思えば、体中どこにも痛みはない上にトラックに撥ねられるその時まで来ていた服はそのまま。
死んだというより、生きたままここに連れてこられたと言われたほうがしっくりくると思う。
「唐突ですが、あなたには二つの選択肢が用意されています。
一つはこのまま輪廻転生として地球で新しくまた人間として生まれ変わる。
二つ目は、とある異世界でこれも同じ人間として生まれ変わるかです」
「え? いや、ちょっと待ってください。
その前に死んだ人は全てこの選択肢が与えられているのですか?」
「いいえ、これはごく限られた人のみです。
さらに言えば、日本人だけと言ったほうが適当でしょうか」
「はあ……」
「あなたは13歳という若さにもかかわらず、生まれついての糖尿病という病と戦いつつ人生を諦めず両親とともに平穏に過ごしてきました。
これは、そのご褒美と言っても良いでしょう」
たったそれでけでこんなところに来たというのだろうか?
それならば、僕なんかよりもっと重篤な病に苦しんでいる人は数えきれないほどいるのではないのか?
なぜ僕なのだろう?
心の中で疑問に思ったことを口に出しそうになったけど、せっかくのチャンスを不意にしたくないという思いと、多分聞いても詳しくは教えてくれないだろうという雰囲気を感じ取った僕は聞くことを諦めた。
「すいません。 あなた方人間にも都合があるように、私たち神にも色々な都合があるのです」
「教えてください。
もし、地球で生まれ変われるとして、その場合はま日本人に生まれ変わるのですか?
それとも、別の人種に生まれるのですか?」
「それに関しては、はっきりとした答えを用意することはできません。
あなたの魂が地球に降りる際に、まだ魂が宿っていない胎児に入ることになりますが、今まで人生で得た記憶や経験は一切消去されて新しい魂となって生まれ変わります」
「では、異世界の場合は?」
「これも地球の場合と同じになります。
はっきり言えるのは、どこかの誰かの人間の子供として生まれ変わります。
ただし、地球の場合と違って記憶の消去はあなたの任意で行われます。
もし、前世からの記憶を引き継ぐ場合、生まれてから5年のタイムリミットを経て地球での記憶が徐々に甦ると思ってください」
まるで病院のベッドの上で好んで読んでいた小説の主人公そのものである。
「もう一つ、あなたが異世界にて生まれ変われる選択肢が与えられている理由の一つに『魔力の種』という存在があります」
「魔力の種ですか?」
「そうです。
地球には魔素が殆どないため役に立つことはない魔力の種ですが、異世界ではこの魔力の種は非常に重要なファクターになります。
あなたの体の中には強力な魔力の種が内包されています」
「もし異世界で生まれ変わったとすれば……僕はどうなります?」
「幼少時に怪我や病気、場所によっては戦乱に巻き込まれず順調に成長を果たせば、強大な魔法を使いこなせるようになるでしょう。
少なくとも地球人に生まれ変わるよりは比較的幸せになれるはずです」
「生まれてくるときの僕の性別は? 病気になったりとかはしますか?」
「あなたが特に変更を望まない限りは男性になりますね。
少なくとも、先天的な難病は患わない完全な健康体として生まれてきます」
「では、最後に一つだけ。 僕が死んだあと、両親はどうしていますか?」
(あれ? 僕の目から視線を外したぞ……)
まさか、僕が死んだことで父さん母さん揃って人生を悲観して自殺とかしたのだろうか?
最悪の可能性が僕の頭を過ぎった。
「なんで顔を背けたんですか? 言いにくいことでもあるんですか?」
「え? いやあ、その……なんというか」
(何か、先程まで真剣な顔つきだったのに明らかにオロオロとコミカルに狼狽し始めた?
というか、こちらのほうがこの神様の素のような気がしてきて凄く可愛いです……!)
「神様、大丈夫ですよ。
病気のおかげで今まで碌な人生じゃなかったんです。
今更、不幸なことの一つや二つ程度で僕のメンタルはビクともしません!」
「そ、そうですか? では、あなたのご両親に関してですが……」
「はい」
「あなたのご両親ですが……あなたが死んだことで生き生きとしています」
「…………はい?」
「ですから、その……あなたを撥ねたトラックが所属していた大手運送会社から賠償金と慰謝料をいただいたご両親は、あなたの病気で気兼ねして行けなかった海外旅行にいったり、焼肉屋でビールと焼き肉を美味しそうに食べたりしています……」
「え、嘘でしょ!?
例えば一日中泣いてばかりだとか、ドキュメント番組とかで見るように僕の部屋に入り浸って昔の記憶を懐かしんだりとかは?」
「確かにそれもしていましたが、多分吹っ切れたのでしょうね。
今は親戚や職場の同僚の方の前では悲しそうな素振りを見せてこそいますが、プライベートでは今までの分を取り戻そうとしているかのように、旅行や娯楽に楽しみを見出していま」
「あの……」
「はい?」
「僕、地球に未練が一切無くなったので、異世界で生まれ変わります。
今度こそ、幸せになりたいです!」
「では、あなたには特別に裕福な家庭に生まれることが出来るように、向こうの世界の神様に伝えておきますね」
「はい! お願いします」
◆
(で、今に至るんだよな……)
僕が転生した世界はこの『ウル』っていう異世界だった。
バレット大陸でも有数の大国の1つに数えられる『ウィルティア公国』という国の公爵家の三男として僕は生まれた。
この世界での僕の名前は『アルトリウス・ジョージア』。
ジョージア家はウィルティア公国公王家所縁の名のある由緒正しいお貴族様の家だった。
テレビもスマートフォンも無い世界ではあるけれど、裕福度で言えば日本で生きていた時とは比べ物にならないほどの大金持ちだった。
公爵家の三男坊として何不自由なく育てられた僕は、地球の神様が言っていた通りに5歳になると徐々に前世の記憶、日本人だったころの記憶を思い出していた。
1年も経つと完全に記憶を取り戻し、同時に『魔力の種』も成長し始めた。
自分で言うのも何だけれど、それまでも聡明な神童として持て囃されていた僕の子供としての人生は目紛しく変わり始める。
この世界では魔法使いや一部の学者などでしか使われない計算や簡単な古代語と言われる英語の読み書き、空間理解力などを日常的に使い始めたことで、この国の上流階級の者達の間では僕はすっかり有名人になっていた。
これに関しては高校の先生をしていた地球での両親に感謝だ。
おかげで7歳になった頃には、気が付けば僕が家庭教師や使用人に計算や英語の読み書きを教える立場になってしままうなんていう逆転現象が起きていた。
そんな時、たまたま公爵家に遊びに来ていたこの世界でのお父の友人である公国軍魔法師団長が、僕の魔法使いとしての資質に惚れ込んで公国軍士官学校への入学を強く勧めてきたのだ。
通常、士官学校幼年過程への入学は10歳からだが、魔法師団長からの推薦と入学試験時の成績が満点であったため、8歳からの入学という公国士官学校前代未聞の事態となった。
学校での暮らしは充実そのもので、この世界の父親の下で公国貴族として暮らすのも中々面白かったが、士官学校での生活はそれ以上に面白い。
言い方は悪いけれど、日本の小中学校以上に充実していたと思う。
友達にも恵まれ、休みがちだった日本の学校ではあり得なかった親しい女の子の友達だって沢山できた。
日常的には日本に居たころにテレビで見た自衛隊の入隊生活とあまり変わらなかった。
朝早く起きて国歌斉唱の後、国旗掲揚。
日中は日本の学校で教わるのとほぼ同じように、計算や語学、歴史の勉強。
これに軍隊特有の軍事教練と魔法実習が加わる。
これらの過程で各分野の教官たちが公国軍の上層部と相談して各学生たちの資質を見極めていく。
正直きつかったけど、頑張ったおかげで僕には魔法師団長様の見極め通りに魔法師団への道が待っていたらしい。
魔法師団とは文字通り魔導士官が所属する部隊なんだけど、公国軍に限らず、各国の軍では魔法使いは貴重な人材であるので、軍での待遇は良いとのことだ。
では、そんな僕がなんで冒険者をしているのかというと、これも立派な仕事だからだ。
実はどこをどうやったらこのような状況になったのかは知らないけれど、本来士官学校を卒業して晴れて魔法師団の士官になるはずだったところに変な話が舞い込んだ。
ウィルティア公国は隣のシグマ大帝国と違って専門の情報機関を持っていなかった。
いや、正確には独立した情報機関を持っていないと言ったほうほうが良い。
今までは、国内外の情報収集活動は公国軍の『情報収集隊』という部隊が専門的に行ってきたけど、機関が軍に所属しているため、軍にとってマズイ情報は公王様には全くと言ってよいほど上がってはいなかった。
だから5年前、聖エルフィス教会が犯した『カレンディルの虐殺』っていう事件では、公国は完全に後手に回ることになる。
あまり知られていないことだが、当時の事件には公国軍の高級将校数人が加担していた。
というか、教会特高官を捕縛したのはこの将校子飼いの部下達が実行したことだと聞いている。
このことを公王様が知ったのは事件発覚から数日後のことで、教会特高官の捜査の過程で発覚した。
公王様が軍の上層部に慌てて問い質したところ、情報は情報収集隊を統括する将軍一人によって完全に握り潰されていて、他の将軍たちも全く関知していなかったとのことだ。
このことを知った公王様は軍に対する警告も含めて教会の意向通りに、聖エルフィス騎士団の進撃を黙認したと言われており、これを機に軍に対し批判的な貴族や閣僚たちから不満が噴出したらしい。
「軍だけに国家安全保障上の情報収集を任せるのは間違いであるっ!!」
こう言ったのは誰であったか覚えてはいないけど、これをきっかけに軍から独立した情報機関の設立を望む声は大きくなって行く。
今までも情報戦ではシグマ大帝国の帝国情報省に大きく遅れを取っていたので、尚のこと専門の情報機関設立は国家の安全保障にとって急務な課題に発展して行った。
そして4年前に『公国情報院』っていう情報機関が設立されて、16歳で士官学校を卒業した僕はここに半ば無理やりスカウトされたんのだ。
しかもスカウトしたのは公王様本人で、士官学校に直々に乗り込んできて僕を誘ってきた。
設立の経緯上、軍と仲が悪いと言われている情報院へ行くということは当然、魔法師団への道は閉ざされる形となる。
でも、公王様直々にスカウトされれば断れるはずもなく、公王家と僕のところの公爵家は血の繋がりもあるので公王様が出て来た時点でどうにもならなかった。
そういうことで僕は情報院の人間として、そして語学に秀でている才能を買われて国外担当の
その一環として密偵が身分を隠しやすい冒険者へと身を投じることとなった。
ある時は密偵、ある時はギルドの冒険者として。
◆
「今、自分は幸せか?」と聞かれたら素直に幸せだと僕は答えるだろう。
先天的な難病も無いし、裕福な家庭に生まれて来れただけでも幸せというものだ。
日本に居た頃はどこか窮屈な感じもあったけど、ここにはそんなものはない。
もちろん裕福ではなく貧しい家庭に生まれていればどうなっていたかは分からないし、少なくともそれはそれで楽しいのかなって思うけど、それ以上にこの世界には僕にとって楽しさに満ち満ちていた。
情報院の密偵として早2年が過ぎているけれど、今のところ冒険者としての活動が多い。
情報院に入庁と同時に冒険者登録をしているから、冒険者としての年月も同じく2年が経過している。
一応、本国との連絡は取っているけど、今のところこれといった指令は届いていない。
(もしかして、忘れられちゃっているのかな……?)
ギルドに登録している預金口座には情報院から毎月のお給料は入っているし、今回のように依頼をこなせば依頼料もしっかり入金されるけど、もともと僕にはこれといった趣味がないし、装備と宿泊費や食費といった諸経費以外に今のところ使う当てがないので口座の金額は増えるばかりだ。
「もうすぐオーガの巣穴かな?」
「うん。 風に乗って血の匂いが強くなってきた……」
今回、貴族の令嬢を攫ったオーガは既に廃鉱になった鉱山を根城にしている。
多分、冬の積雪の影響で山に食べるものが少なくなって、生きるために人里まで下りてきたと思うけれど、油断は禁物だ。
ただ単にオーガを殲滅するというだけなら、巣穴に居るところを生き埋めにするか火を放って内部を蒸し焼きにし、酸欠に追い込めば良い。
でも、攫われた人間を救出するとなれば難易度は格段に上がる。
それはオーガを仕留めるよりも優先的に人質を安全に救出しなければいけないし、今回のように依頼主が貴族で人質がその家族の場合、遺体さえも回収しなければいけないからだ。
「もうすでにオーガに喰われてました。 すみません」では依頼達成にならないし、依頼してきた貴族の人も納得しないだろう。
下手をすると、報告を聞いた依頼主である貴族の父親の理不尽な怒りを買うかもしれないのだ。
「まだ生きていれば良いけど……」
さすがに血の匂いが濃くなって来て心配になったのか、騎士のマイラベルがポツリと呟いた。
「聞いた話だと、オーガは既に死んでいた護衛や馬の死体も持って帰ったってことだから、運が良ければ昨日の今日でまだ食われずに生きている可能性もあるね。
ただ、明日になると分からないけれど……」
以前、ギルドの人に見せてもらった魔物図鑑の解説ではオーガは食人鬼とも呼ばれ、人を好んで食らう非常に危険な魔物って書いてあった。
身長は大きいもので3メートルを軽く超える個体も確認されていて、頑丈な骨と皮膚を持っており、生半可な槍や弓は受け付けない。
また足も馬のように速く、知能の高い個体によっては棍棒などを武器にしているオーガもいるとのことだ。
一度獲物を食らうと、数日間は何も食べなくても行動できるなど過酷な環境を生きる術を持っており、もし今回攫った貴族の女の子より先に護衛や馬の死体を食べているとしたらまだ女の子は無事な可能性が高い。
事態は一刻を争う。
ギルドの話では既に地元の領主様の騎士団と辺境警備軍で討伐隊が編成されているということだけど、部隊の投入は速くても明日の昼。
どう見ても遅すぎる。
それならば言い値で払うという報酬と共に領主様と何がしかの繋がりを持てれば、公国情報院での活動にも役に立つ。
しかも相手はシグマ大帝国でも帝都に次いで二番目に多きい商業都市メンデルを治めるクリフォード侯公爵家だ。
繋がりを持っておいて損になることは決してないと思う。
それを見込んで他の冒険者やクランの人達が二の足を踏む中、僕は依頼を引き受けたのだ。
「この依頼が上手く行ったら、しばらくは楽できるね。
その時は、バルトに行って冒険者会議にでも参加しよう」
「でも大丈夫でしょうか?
相手はオーガとはいえ、要するに人質をとっているような状況ではありませんか」
「それは深く考えるときりがないよ、アルティーナ。
僕たちはクランを結成して一年と少しだけど、今まで地竜やゴブリンの群れを仕留めて来たじゃないか」
「まあ、確かに今までわたしたちはこれといった事故なくやってこれましたからね……」
僕たちのクランは僕以外全員が女の子だけど、全員が2級または3級の冒険者や魔法使いで、僕もこう見えて2級冒険者だ。
この世界に生まれてくるときに付与された能力として、僕は目で見た相手の大まかな力を色で判定することが出来る能力を持っている。
これはどういう仕組みかは分からないけど、相手の魔力や戦闘力を何かしらの方法で評価しているらしく、赤色が鮮やかであればあるほど力が強いとみなされるすごく便利な能力だ。
それを使うと僕は赤でマイラベルはオレンジ、他は黄色だ。
クランの構成は前衛が騎士のマイラベルと元非合法奴隷でトレジャーハンターのエルネ。
この2人が獲物の足止めと注意を引きつけている間に僕とエルモアが攻撃魔法を放ち獲物を仕留め、もしメンバーに何かあれば、神官のアルティーナが治癒魔法と祈りで傷を癒してくれる。
まるで冒険ファンタジー小説に出てくる布陣そのものだけど、今のところなんだかんだと上手くやれているのはみんなのおかげだ。
もし公国情報院を辞めることになれば、冒険者としてやって行くのもありかなと最近は思うようになってきた。
「さあ、無駄話はここまでだ。 いよいよ血の匂いが凄くなってきた。
全員周囲を警戒してね。 敵はオーガ1匹とは限らないよ?」
「それでは、風の防御魔法を全員に付与しますわ。
皆さん、少しだけジッとしていてくださいね?」
そう言ってアルティーナがブツブツと日本語ではない魔法術式の呪文を唱える。
するとメンバー全員の周りに微かに風が舞う。
アルティーナが展開したこの風の防御魔法は、主に戦闘時に発生する砂埃や破片から目や体を守るためのもので、拳大ほどの大きさの石くらいまでなら完全に防いでくれる。
戦闘時には何が起こるか分からないため、予め打てる手は打っておくのが基本だ。
「終わりました」
「よし。 皆んな、前進だよ!」
このあと僕たちはオーガが潜んでいる廃坑に侵入し、攫われた貴族令嬢を救出し華麗に街のギルドへと凱旋するはずだった。
◆
「逃げて! 逃げて! マイラベル、メイドさんを落っことさないでよ!!」
「言われなくても承知してる!!」
「ちょっと、あのオーガめっちゃ強いんですけどっ!?」
「そんなこと言ってる暇あったら、逃げて!
こっちは人質抱えて走ってのに、何で手ぶらのエルモアが遅いんだよ!?」
「知りませんわよっ!」
『グォォォォォォ!!!!!!』
「ご主人様っ! オーガがもの凄い勢いで走ってきますニャ!」
「わかってる! エルネ、絶対に捕まるな! 捕まったら喰われるよ!」
「ハイですニャ!」
僕たちはオリンピック選手も真っ青なスピードで全力疾走し、元来た道を下っていた。
それもこれも、オーガから攫われた貴族の女の子を救出する際に気絶していたメイドさんが叫び声を盛大に上げたからだった。
最初は上手くいっていた。
巨大な廃坑の中を確認すると、ちょうど奥に掘り出した鉄鉱石を貯めておくためと思われる広い空間にオーガはいたのだが、腹が一杯だったなのか盛大に鼾をかいて寝ている傍らに、囚われた女の子とお付のメイドさんが肩を寄せ合うようにして気絶していた。
よく見ると2人とも足を折られているらしく、両足とも普通であればありえない方向に折れ曲がっていて見ているだけで痛々しい。
犠牲者達の返り血を浴びているのか、元は仕立ての良い高級品と思われるドレスはどす黒く変色している。
寝ているオーガを挟んで向かい側には、これまでの犠牲者のものと思われる人骨の破片や衣服、オーガのものと思われる人骨交じりの糞などが散らばっており、その規模からして犠牲者はかなりの数に上りそうだった。
僕たちはオーガに物音と匂いを悟られないように消音と消臭の魔法を使用し、オーガが寝ている隙に廃坑に忍び込み、無事に2人を確保した。
2人とも幸いなことに足が折れているだけで命に別状はなさそうだったのだが、この時僕たちは一つのミスを犯した。
それは囚われていた2人を強制的に眠らせる魔法を使わなかったことだ。
気絶しているので大丈夫かと思い、メイドさんを担ぎ上げようとしたところ折れた足の痛みにメイドさんが絶叫したのである。
おかげで僕たちは悲鳴を上げる2人を魔法で強制的に寝らせて僕と騎士のマイラベルとで担ぎ上げて廃坑を脱出したんだけど、当然のように獲物を盗られて怒り狂ったオーガが追いかけてきた。
しかも計算外なことに、オーガは平均的な個体よりもずっと大きかった。
恐らく身長は5メートル以上、体重も1トンは超えるであろうサイズだ。
よくよく考えれば、ここは最盛期には大帝国でも一二を争う鉱山帯。
もちろん、土の魔法使いによって開けられた坑道もそれなりに大きい。
そんなところに長年棲みつき、人知れず数多の人間や動物を喰らってきた魔物が大きく成長しないはずがない。
しかも運が悪いことにこのオーガは大きい上に“
障壁持ちというのは魔力が高い魔物に時折見られる現象で、魔物本人の意思とは関係なく発現する天然の魔法障壁のことだ。
この魔法障壁は魔力が高ければそれに比例して障壁の強度も上がり、下手な攻撃魔法単発では打ち破ることが出来ず、何人かの魔法使いの連続攻撃でやっと破れる代物である。
しかもこのオーガ自身の皮膚も相当固いらしく、重装歩兵の正面装甲すら突き破ることが出来るマイラベルの槍の攻撃でもビクともしなかった。
多分、この気絶している女の子の護衛が全滅したのはこの障壁の所為だ。
メンデルの領主様の娘ともなれば、お付の護衛もかなりの精鋭だった筈だし、魔導士の護衛も絶対にいたはずである。
それが為す術も無く壊滅したのもこの強力なシールドの所為に他ならない。
なんせ僕のルーン魔法による攻撃やエルモアの爆裂魔法を喰らってもケロリとしているのだ。
普通のオーガやトロルであれば、上半身が綺麗に吹き飛んでいる。
恐らく、地元の領主様の騎士団や辺境警備軍が直ぐに捜索隊を出さずに討伐部隊の編成に時間を掛けていたのも、この魔法障壁の存在を知っていたからだと思う。
そしてもう一つの問題が新たに発生しようとしていた。
今のところ鉱山に通じる狭い道を下っているためオーガもスピードを出せないけど、開けたところに出られたら非常にマズイ。
通常のオーガでも本気を出せば馬に追いつけるほどのスピードを出せるのに、こんなに体が大きく歩幅も大きいこのオーガの脚力ならばあっという間に追いつかれてしまうのだ。
「このまま逃げ切ったとして街に戻れば、匂いでこのオーガを街に案内してしまう!
そうなったらゴジラどころの騒ぎじゃない!!」
「どうするんだ、アル!!」
「ここで仕留めるしかない!!」
「しかし奴は、障壁持ちだぞ!
あれは、完全武装の軍隊か充分な装備と経験を持つ2級以上の熟練冒険者達が集団で相手にするような化け物だ!」
「じゃあ、どうすればいいんだよ!?」
「アル! マズイわ!! 広いところに出るわよ!」
僕とマイラベルが走りながら言い合いしている間にエルモアが割って入ってきた。
「マズイ! 皆、それぞれバラバラの方向に逃げるんだ!」
そう言って薄く雪が積もっている鉱山の入り口に出た俺たちは散り散りになって逃げる。
『グゥォォォォォォ!!!!!!』
「うわあぁぁぁァァァああああ!!!!!!
やっぱり、こっちに来るのかぁぁぁぁぁァァァァァ!!!!」
予想通りで安心半分、絶望半分でヤケクソに叫びながらこちらに向かってくるオーガから全速力で逃げる。
しかも気絶しているとはいえ、女の子を担いで雪原の上を走っているのだ。
オーガとの距離は見る見る内に狭まってくる。
「ええい! もうっ!!」
急ブレーキして、女の子を担いだまま、こちらに向かってくるオーガと向き合う。
今から放つ火炎系のルーン攻撃魔法にありったけの魔力を込める。
下手をすると仲間さえも巻き添えを喰らう可能性があるが、このままでは全滅だ。
それならばいっそ勝負に出たほうが良い。
「うわーん!
僕はただ幸せになりたいだけなのに、これじゃあ前世以上に不幸じゃないかっ!!」
文句を言いつつ、触媒にルーンの魔力を流し込み術式を起動させる。
野生の本能で魔力を感じ取ったのか、オーガはさらに走るスピードを増してこちらに突撃してきた。
勝負は一瞬で決まる。
泣いても笑ってもこれが最初で最後だ。
そう思いルーン魔法を行使しようしたその時、オーガが何かの気配を感じ取ったのか足を止めて左を向いた瞬間、巨大なオーガの上半身が左から飛来してきたモノによって大爆発した。
◆
強烈な爆風が襲い掛かり、僕はそのまま後ろに引っくり返った。
防刃と耐衝撃の防護魔法を重ね掛けしているにもかかわらず、それらの防御壁を貫いて破片が高速で飛来してきたので慌てて女の子を庇って伏せる。
伏せた瞬間、背中の軽鎧に破片か何かが当たる感触があった。
あとコンマ数秒伏せるのが遅かったら、破片で大怪我をしていたかもしれない。
(な……何が起きたの!?)
急いで起き上がって正面を見ると、上半身を吹き飛ばされて残ったオーガの下半身が右方向へと倒れようとしているところだった。
空からは爆発の時に飛び散ったと思われるオーガの焼け焦げた肉片が炎を纏ったまま落下してくる。
辺りには生き物特有の肉が焼け、髪の毛が焦げるときのような嫌な匂いと、石油か何かの油や花火とかの火薬が焼ける臭いが充満していた。
一応庇った女の子を見るとまだ気絶しているけど、幸いにも怪我はしていないようだ。
(良かった。 無事だ……)
この女の子の救出こそが今回の依頼の最優先事項だったから、あとは僕のルーン魔法かアルティーナの治癒魔法で怪我を直せば問題ない。
「それにしても、さっきの爆発は……」
女の子を抱えて改めて辺りを確認すると、周囲に飛び散っている焼け焦げたオーガの肉片に交じって違和感のある物体が落ちていた。
「これはなんだろう?」
落ちていたのは金属でできた何かの部品のようだった。
銀色の直径20センチくらいの円形に幾つもの穴が開いており、中央には黒い突起が付いている。そしてその部品には今にも剥がれ落ちそうな三角形の薄い金属の板が付いている。
(まるでロケットか何かの部品のようだ……)
一瞬、脳裏にそんな考えが浮かんだが頭を振ってその考えを打ち消す。
ここは異世界であって地球はない。
そう思いながら仲間がこちらに駆け寄ってくるのも構わずに辺りを見ると、異世界にはありえない金属の部品らしきものが焼け焦げ変形しながらも幾つも転がっている。
(ええっ、これはどういうこと!?)
「アル、大丈夫か!?」
「ご主人様、お怪我はありませんかニャ!?」
「令嬢は無事でしょうね!?」
「凄い爆発だったわね……」
駆け寄ってきたクランのメンバーが口々に無事を確認してくる。
しかし、僕はそんなことは全く耳に入っていなかった。
「僕も女の子も大丈夫だよ。 それより目の前のオーガは一体誰が倒したの?」
「へ? アルが魔法で吹き飛ばしたんじゃないの?」
「そんなわけないでしょう! オーガの死体を見てよ。
肉片や破片が右側に集中しているし、残った下半身も右に倒れているでしょう。
僕が攻撃したのなら、僕から向かって後ろに肉片が飛び散って下半身も後ろに倒れているはずじゃないか!」
「じゃあ、一体誰がオーガを?」
「知らないよ。 皆は何か見ていなかったの?」
僕の問い掛けにエルモアが代表して答える。
「私たちからは、オーガが突然爆発したように見えたわ。
てっきり、あなたがルーン魔法を使ってオーガを爆砕したものとばかり……」
どうやら一瞬のことだったため、全員、僕がオーガを仕留めたと思ったらしい。
まあとりあえず、これで危機は脱した。
誰が助けてくれたにしろ、オーガだけ仕留めてこちらを攻撃してこないということは、この助けた女の子の横取りとかではなさそうだ。
そんなときだった。
突然、聞いたことも無い女の人の声が聞こえてきたのは。
「あなたたち、大丈夫かしら?」
バッ!という効果音そのままに僕を含めたクランの全員が後ろを振り返る。
僕は視線の先にいた声の主を見て直感的に
(あ、僕たち死んだ……)
と、思った。
目の前にいたのはさっき吹き飛んだオーガ以上に危ない雰囲気を持つ、赤金色の目を持つ長身の女性魔族だったからだ。
◆
「あなた達、大丈夫かしら?」
目の前の赤金色の目を持つ絶世の美女と言って差し支えない女性魔族が心配そうにこちらに声を掛けてきた。
「あ、貴女は誰ですか?」
答えるより先に疑問のほうが自分の口から出る。
「わたしはアゼレア。 魔王軍に所属しているわ。
訳あって今は旅をしているところなんだけれど……」
「ま、魔王軍っ!?」
こう言ってあからさまに狼狽しているのは神官のアルティーナだ。
彼女の出身地はバレット大陸西岸の魔王領とは反対側の大陸東岸に位置するカリメート交易都市国家連合の出身であるため、魔族に対する知識には若干の偏りがある。
彼女が信仰する『水の神 リオナ』は大陸東岸の沿岸国の殆どで信仰されているが、反対側の沿岸国である魔王領では信仰されている宗教は個人レベルでバラバラであるため国家・宗教レベルでの繋がりが皆無に等しい。
しかも大陸東岸のバラスト海では海の魔族とでもいうべき
魔族に対する恐怖心からか、握っている魔法杖に力を込めるアルティーナの暴発を制止するために、僕はそっと彼女の手へ自分の手を添える。
「アル……?」
「ダメだよ。 魔王軍と言えば、この大陸でもかなり高い練度で有名な軍隊だ。
そこら辺の賊に身を堕とした魔族と違って手練れの軍人が揃ってる……」
それに……と言おうとしたところで僕は口から出そうになった言葉を飲み込む。
それもこれもアルティーナをこれ以上恐慌状態にしないための配慮だった。
公国情報院で働くうちに知ったことだが、極一部の魔族には赤い目を持つ者がいる。
その赤い目を持つ者は魔王の近親者か高位の上級魔族である可能性が高い。
事実、目の前の魔族の目の色は赤は赤でも、見たことも聞いたことも無い赤金色。
僕も魔族の全てを知っているとは言わないけれど、少なくとも魔王でないにしても魔王級の魔族であることには間違いない。
事実、僕の目に映る魔力の色はルーン魔法というチートな力を付与された僕以上に赤い。
因みにどれくらい赤いのかというと、僕の色が消防車のボディのように赤いのに対し、この魔族の色はまさに血のように赤い。
恐らくここで正面切って戦ったとしても全滅だと思う。
僕はルーン魔法で運よく生き残れたとしても、僕以外は確実に全員殺される。
そしてもう一つ、気になるのがこの魔族の格好だ。
(まるで地球の服をそのまま着ているみたいな恰好だ……)
魔族とはいえ、女性で長身の絶世の美女というのも驚きだけど、そのメリハリの効いた抜群のプロポーションを包む服の様式に僕は驚いていた。
黒い革製のブーツに濃いネイビーブルーのジーンズ。
綿のシャツの上に胸甲を装着し、厚いウール地のコートを羽織っている。
服だけ見れば胸甲以外は東京辺りならば自然な感じだけど、この異世界においてはその正確無比な服の縫製と共に異様に尽きるそのファッション。
これだけでも十分驚きなのに、それ以上に驚愕なのがこの魔族が腰に下げている剣だ。
(日本刀!?)
そう。
この魔族が腰に下げているのは、日本人ならばテレビの時代劇ドラマで一回は見たことがある日本刀を吊っていたのだ。
しかも……
(刀だけ別個に魔力を判定できるなんて!!)
この世界で生きてきて、今までありえなかった事態に僕は直面していた。
驚いたことに、目の前の魔族とは別に日本刀だけで魔力を保有しているのが見えるのだ。
今までも魔力を後付けで付与された武器や、製造段階で内部に魔力を封入された武器など様々な魔導具を沢山見てきたけれど、僕の目に魔力の色が現れることはなかった。
しかし、この日本刀からは魔力の色がハッキリと見える。
しかも色は……
(黒ってなんなの!?
これは赤すぎて黒いってこと? それとも最初から真っ黒ってことなの!?)
明らかにあの日本刀は危ない。
妖刀や魔剣の類がこの世界に存在しているのは聞いたことがあるけど、あれはそれ以上に危険だ。
恐らく、あの魔族の力と日本刀で襲い掛かられたらひとたまりもないだろう。
先程までは生き残れるかもしれない言っていたが、あれは嘘になってしまった。
そして、正面に立つ魔族の視線が僕の抱えている女の子に注がれる。
「あなたがその腕に抱えている娘が、クリフォード公爵家の娘であるアナスタシアね?」
「そうだけど……」
「怪我をしているわね。 手当は?」
「これからするところだけど……」
「そう。 さっきも言ったけど、私は旅をしているの。
もしよかったら、メンデルまで一緒に行かない?」
「え?」
「実は私はあなたたちを助けるために馬車から一人飛び出して来てしまったのだけど、すぐ近くに一緒に旅をしている仲間の馬車が待機しているの。
私から馬車の持ち主に話を通すから、一緒にその娘の父親が待つメンデルまで行かない?」
「助けに来た?」
「そうよ」
そう言って彼女が指し示す先には、大型の馬車が待機しているのが遠目に小さく見える。
「あれに乗ってきたの?」
と言いつつよく見ると馬車のある方角から一筋の足跡がこちらに伸びている。
多分、この魔族が走ってきた足跡なんだろうけど、雪が深く積もった雪原にも拘らず、重い雪を力で強引にかき分けて除雪車でも通ったかのような感じになっている。
まあ、これを見ると本当に押っ取り刀で駆け付けて来てくれてたのが分かる。
恐らく遠目にあの大きい魔法障壁持ちのオーガとの戦闘を見ているにも拘らず、助けに来たということはオーガを倒せる自信があってのことなのか?
(まあ事実、倒してしまったわけだしね……)
「どうする? 依頼は完了したことだし、直接この娘を親御さんに引き渡す?」
俺は仲間全員の顔を見て反応を伺う。
「わたしはオーガが倒されてしまった以上、昨日まで逗留していた街に未練はないな」
「不安はありますが、大丈夫ですわ……」
「ま、早くその娘を親御さんに帰して依頼を完了させたほうが良いでしょうし……」
「ご主人様の意見に従いますニャ!」
「決まりだね」
まあ、クラン全員の荷物は僕の空間魔法によっていつも持ち歩いているので、昨日まで逗留していた街に戻らないといけないわけではないし、依頼達成の報告も次の街のギルド支所で行うか、ルーン魔法で作成した使い魔を連絡に出せば良いかな。
「では、お言葉に甘えてメンデルまでお願いします。
僕の名前はアルトリウス・ジョージア。
ギルド所属の2級冒険者でクラン『早春の息吹』のリーダーを務めてます」
そう言って僕はギルド発行の身分証明書を提示する。
「アゼレア・クローチェ、魔王軍北部方面軍所属で階級は少佐よ。
呼びはアゼレアで結構よ。 よろしくね」
アゼレアと名乗った魔族は、こちらへお返しにと魔王軍の身分証を提示した。
(魔王軍の身分証なんて初めて見たけど、まさか本当に本物の魔王軍だったなんて……しかも階級が少佐とか、これってバリバリの現役将校じゃないか!)
「じゃあ僕のこともアルトリウスと呼んでもらって構わない」
こうして僕たちは暫くの間メンデルまでの道中、アゼレアさんたちの厄介になることになった。
◆
上半身が跡形も無く吹き飛んだオーガの死体からは魔石の回収は出来なかった。
(まああれだけの爆発だったし、魔石ごと吹き飛ばされたんだろうなぁ……)
ギルドからの依頼はこのクリフォード侯爵家令嬢の救出であるため、依頼未完了にはならないので問題はない。
アゼレアさんの先導で馬車へと戻ると、旅に同行しているという男女が顔を見せた。
いずれも魔族であるアゼレアさんには劣るが、人間としては全員手練れの者達ばかりだった。
冒険者としてベテランの雰囲気を漂わせている男3人は中々の戦闘力で、いずれも一つ一つの動作がスマートで隙がない。
彼ら3人は冒険者にはよくある乗合護衛で同道しているらしいのだが、リーダー格のおじさんは実家にいるときに見た公国騎士団長と同じくらいの戦闘力を有していた。
残りの男性2人も負けず劣らすの強さだ。
他にもアゼレアさんを除く2人の女性にも驚いた。
(聖エルフィス教会の聖騎士様に教会特高官だって!?)
さすがにこれには僕も驚いた。
聖エルフィス教会の関係者が乗合馬車に乗って移動するのは知っていたけど、まさか冒険者が利用する乗合護衛で馬車に乗っているとは思わなかった。
彼女たちの戦闘力もなかなか高い。
女性冒険者としては、そこそこ強いレベルにある辺境伯付だった騎士のマイラベルと比べても格段に強い。
しかも、護衛の聖騎士様を連れているこの戦闘とは一見無縁そうな雰囲気を持つ、おっとり系美女の教会特高官のほうが護衛する聖騎士様より強いとか何の冗談なのだろうか?
(何、この一行?
本当はこのアゼレアさんが率いている魔王軍の秘密偽装偵察部隊とかじゃないのかな!?)
明らかに戦力過剰な集団である。
「あら? ねえ、カルロッタ。 タカシは何処に行ったの?」
「『アゼレアが戻って来る前に』と言って向こうの茂みに行きましたよ……」
「ああ、なるほど」
どうやらもう1人連れがいるらしい。
カルロッタと名乗った聖騎士様の言い方と方角からしてトイレにでも行ったのだろうか?
それにしても“タカシ”とは日本人っぽい名前だ。
まあ、転生直前に地球の神様から聞いた話では、その口ぶりから僕以外にも不特定多数と思われる日本人がこの異世界に僕同様に生まれ変わって生活しているらしいから、彼ら彼女らを親に持つ子や孫が日本人っぽい名前を付けられることが稀にある。
以前、“タロウ”とか“ヨウコ”などといった名前を持つ冒険者や魔法使いと会う機会があったけど、中身も外側も純粋なる『この世界』の住人だった。
「いやあ、すみませんねぇ。 ちょっと、待たせてしまいましたか? アゼレア」
馬車の向こう側から明らかに若い男性の声が聞こえてきた。
先ほどのタカシと呼ばれた連れの人が戻ってきたのだろう。
「ちょうど良かったわ、タカシ。
さっきオーガに襲われてた冒険者達なんだけど、一緒にメンデルまで来るって。
攫われてたアナスタシア嬢も足に怪我をしていたけど、無事よ」
「そりゃあ、よかった。 で、彼らは?」
「馬車の向こうよ」
そう言ってアゼレアさんに案内されて来た連れを見た瞬間、僕は思わず叫び声をあげそうになったけど、なんとか堪えることが出来た。一瞬でポーカーフェイスになれたのも、自分で自分を褒めてやりたいくらいだった。
「いやあ、どうも! 危なかったですね、皆さん」
そう言って笑顔で馬車の陰から姿を現したのは若干彫が深い顔立ちではあるけど、黒髪黒目の正真正銘純粋な日本人の姿だった。
◇
「……なんだありゃ?」
「客車か?」
それは宿泊していた街を出た翌日の昼前のことだ。
夜の見張り番を終わり、馬車の中で寝ていたら御者台のほうから緊張感漂う声が聞こえてきた。
「ふわぁ……どうかしましたか?」
欠伸をし、涙が滲んだ目を擦りながら俺は垂れ幕を掻き分け、御者台に座る2人へと声を掛ける。
「ほら、前方を見てみろ」
スミスさんが指を指すほうを見ると遠くに何かが見える。
貸している双眼鏡を渡して貰ってもう一度見ると、道から外れたところに馬車が横転しているのが見えた。
「事故ですかね? 見たところ、馬車が2台横転しているように見えるんですが?」
「そのようだな……」
俺から双眼鏡を渡されたズラックさんが同じように前方の馬車を観察して同意する。
「馬車の事故については経験がないんですが、ギルドでは用心して近づけって言われてましたけど?」
「そうだな。
野盗どもの罠って可能性もあるから、もう少し近づいたら馬車を止めて俺とロレンゾで様子を見て来る。
ズラックとタカシはここで待っていて、いざとなれば援護してもらわなきゃならんから、用意しておいてくれ。
あと、お嬢さん方にも一応知らせておいてくれるか?」
「わかった」
「わかりました」
「良し。 おい、ロレンゾ! 聞いていた通りだ、行くぞ!」
「はいはい……」
いつの間に外に出ていたのか、既に馬車から下車していたロレンゾさんは右手に長さ150センチほどの先端に磨きこまれた赤い魔法石を嵌めた木製の魔法杖を持ち、スミスさんと一緒に馬車のほうに歩いていく。
女性陣へ前方に馬車が横転していることを伝えた俺は、御者台に出てズラックさんと一緒に警戒をする。
「後ろの警戒はどうだ?」
「カルロッタさん達が見張ってくれています」
俺は御者台の上で膝撃ちの姿勢をとり、SVDM狙撃銃に初弾を装填してスコープを覗き込む。
スコープのレティクルには馬車に向けて歩いていく2人の背中が見えている。
視界を僅かに外して横を見るとズラックさんも同じように双眼鏡を覗いており、手には弓を持って周囲を警戒していた。
現場に辿りついた2人は馬車とその周辺を隈なく調べているが、やがて安全を確認したのか、こちらに合図を送るとズラックさんが馬車を動かす。
「どうだった?」
馬車を止めると同時にズラックさんが2人に声を掛ける。
「どうやら魔物かその類に襲われたようだな……」
「それは本当ですか?」
馬車が停車すると同時に後ろから降りてきたのだろう。
聖騎士のカルロッタがスミスさん達のほうに駆け寄っていくが、彼女に続くようにベアトリーチェとアゼレアも一緒に駆けて行く。
「野盗ならわざわざ馬車を横転させて放置なんてことはしないはずだ。
捕えた者は男なら殺すか奴隷として闇市場に売り捌くだろうからな。
女子供の場合は慰み者にされるのが常だが、馬車は壊れていない限りは自分たちが使うか転売しようとするだろう。
それに、ここら辺は辺境警備軍の管轄の筈だが、ここに馬車を放置したままなら直ぐに地元の住民に通報されるし……そうなると追跡を受ける可能性もあるから、放置するにしてもどこかに隠そうとするだろう?」
「なるほど……」
「どうも見たところ馬車は二台だけですが、他に護衛の騎馬が同行していた可能性がありますね。
この大きさの馬車は基本曳き馬二頭で構成されていますが、ここまでの道のりには少なくとも9頭分の馬の蹄が確認できます」
地面を見ながらロレンゾさんは自分の考えを言う。
確かに地面を見ると幾つかの馬と人間の足跡がある。
「この足跡はオーガか?」
しゃがんで地面を調べていたカルロッタさんがある一点の場所を指し示しながらスミスさんに問い掛ける。
カルロッタさんの指し示す先には、巨大な人間のような足跡が複数残っていた。
「そのようだな。 しかし、足跡がかなりデカい上に複数だな。
もしかしたら
「もしスミスの言う通りオーガの番だった場合、護衛の騎馬程度では歯が立ちませんね。
馬がないということは、馬ごと持って帰った可能性が高いです。
襲われた割には流れている血が少ない」
「これはどうすれば?」
魔物との遭遇では、目撃者は基本的に街道や近隣の住民の安全のため地元の領主や騎士団、または軍隊やギルドに通報する義務があると帝都のギルド本部で学んだ。
しかし、ここは昨日泊まったイケータから馬車で1日の距離がある上に連絡用に使える馬は無い。
「決まっている。
最寄りのギルドや教会、領主に通報してこの馬車を襲った魔物を討伐してもらわねばならん。
もし、連れ去らわれた者たちが無事なのなら救出もしなければならんな」
俺の問い掛けに真っ先に反応したのは聖騎士のカルロッタだ。
「しかし、仮に襲ったのがオーガだったとして……連れ去られた奴がまだ生きていると思うか?」
「ううむ……」
スミスさんにこう言われて呻くカルロッタ。
(確かオーガは捕えた生き物を食べるんだっけか?)
野生動物の殆どが冬眠しているため、オーガにとっては食糧難になっている筈だろうから、捕えられた者達が生きているとは考え難い。
第一、この馬車が襲撃されてどれほどの時間が経過しているか分からないのだ。
まあ救出は兎も角、通報くらいはしていたほうが良いだろう。
あとは武器の用意くらいはしておいたほうが無難だろうか?
「ん? なんだ、あれは」
スミスさんが俺達の後ろを見ながら呟いた。
気になって後ろを振り返ると、数騎の騎馬の集団がこちらへと接近してくるところだった。
「大丈夫です。 あれは辺境警備軍の騎兵ですわ」
軍刀に手を添えて構えをとっていたアゼレアを窘めるようにベアトリーチェが制止する。
「どうどう! む……貴様らは何者だ?」
騎兵の集団の内、先頭にいた隊長らしき兵士がこちらに近付いて誰何してきた。
「俺達はギルドの冒険者だよ。
バルトに行くために乗合護衛で旅をしているところだ」
「ふむ……会って早々すまないが、身分証の提示を良いだろうか?」
そう言われて全員が身分証を提示した。
因みにアゼレアの身分証は魔王軍のものだが、シグマ大帝国に飛ばされてきたときには身分証を所持していなかったため、同じものをイーシアさんに作ってもらって携帯している。
「ん? こ、これは教会の聖騎士殿に特高官殿でありましたか……!
失礼いたしました。
む……こちらは魔王軍の少佐殿でありますか。
なぜ魔王軍のお方が魔王領から遠く離れたこんな辺境の地に?」
カルロッタとベアトリーチェ、それにアゼレアが教会や軍の所属であると判った瞬間、目の前の兵士の態度があからさまに変わったが、やはりただのギルド冒険者より大きな公的組織に属している者は信用が高いということか。
「私達も彼らと一緒にバルトに行く途中だったのです。
ところが先程、この現場に遭遇した次第ですわ」
女性陣を代表してベアトリーチェが兵士の質問に答える。
「そうでしたか。
我々はオーガに襲われたという通報を地元の領主から受け、この現場へと向かった次第であります」
「やはりオーガでしたか……」
「はい。 生き残りがたまたま通りがかった隊商に助けを求めて発覚しました。
現在、領主配下の騎士団と我々辺境警備軍とで討伐と救出部隊の編成を急いでいるところであります」
「ちょっと待て! 今、救出と言ったか!?」
それまでベアトリーチェと兵士の会話を聞いていたカルロッタが顔色を変えて兵士に尋ねる。
「はい。 実はオーガに要人とその側仕えの者が連れ去らわれてしまったのです……」
「その要人は誰か分かっているのか?」
カルロッタの質問に対し兵士が言うには、連れ去られたのは今から俺たちがイケータから次に向かう街であるシグマ大帝国の中でも、帝都の次に規模が大きい大都市メンデルを収めているクリフォード公爵家の長女アナスタシアだという。
彼女は帝都の魔法学校にその魔法の才能を見込まれて入学していたのだが、冬休みを利用して実家に帰るところを運悪くオーガに襲われたというのだ。
ちょっと人間の生活圏を外れれば、野生動物や魔物が平気で徘徊するこの世界ではこれらの生き物の活動が少なくなる冬の時期に移動するのは寒さや雪と言ったデメリットはあるにはあるが、護衛をつけて野盗の襲撃さえ気をつけていれば、貴族のお嬢様が安全に移動するのは確かに理にかなっている。
しかし、野生動物や魔物がいなくなるのは確かに安全にはなるであろうが、その全てが活動を停止するわけではない。
逆に獲物が少なくなったがために、普段なら山奥にしか生息していない大型の魔物が人里まで下りて来たりして、まず襲ってこないような領域においても狩りの対象範囲に入ってくることがある。
今回はそんなケースに当たるらしい。
何日も獲物にありつけず腹を空かせたオーガの目には、騎馬と馬車で構成された集団が格好の獲物に映ったことだろう。
「生き残りの話では、オーガは大型の個体で一匹とのことです。
護衛は生き残った若手の騎士一人を除いて全滅、死体は馬と公爵令嬢ごとオーガに持ち去られてしまいました……」
「で、その公爵令嬢は生きているのか?」
「わかりません……襲撃されたのは昨日の夕方とのことですが、生き残りが言うには公爵令嬢は少なくとも襲撃が終わった時にはまだ生きていたとのことであります」
「そうか……」
そう言ってカルロッタは黙り込む。
恐らく先程のスミスさんとのやり取りを思い出したのだろう。
オーガは別名、食人鬼と言われる凶暴な魔物である。
ギルドで教わった知識では、オーガは肉食で主に野外では鹿や狼と言った野生動物を狩って生きているが人間の肉が大好物で人間と他の野生動物が一緒にいる場合、率先して人間を襲い喰らうのだという。
番ではないというのが唯一の救いだが、いずれ食べられてしまうという結果は変わらない。
「五体満足で生きているのか、それともすでに死体であとは喰われるだけなのか……ま、いずれにしても地獄だな」
そういってスミスさんは肩を竦める。
「我々としては生きていてほしいものですな。
なんせクリフォード公爵閣下は皇帝陛下に連なる血筋のお方ですので……」
そう言う兵士の顔は苦虫を噛み潰したような表情になっている。
突然舞い込んできた厄介ごとに頭を痛めているのだろう。
他の兵士達の表情も皆似たり寄ったりだ。
「ま、生きているのか死んでいるのかは分からんが俺たちの関わることじゃないな。
タカシ、あと四日程進めばメンデルに着く。
オーガがうろついてるんじゃ暗くなると危険だ。
途中の宿場町まで行って、そこで宿泊しよう」
「わかりました」
「なっ!? 貴様、正気か?
もしかしたら生きているかもしれない人間がいるというのに、このまま黙って旅を続けるというのか!」
スミスさんの言うことに激しく突っかかるカルロッタ。
どうやら聖騎士という立場上、スミスさんの薄情ともとれる発言に対し異議があるようだ。
「お前こそ正気か?
お前さんは今何をしていて、誰に雇われているんだ?
俺達は無料でバルトまで運んでもらう代わりに、タカシとアゼレアを守る義務があるんだ。
依頼料こそ発生していないが、既にタカシは馬車の代金や昨日泊まった宿の宿泊料に俺達の食費とか諸々の経費を負担しているんだぞ?
お前さんがどうしてもオーガを討伐して生きているのか死んでいるのかすら分からない会ったことも無い奴を助けたいというのなら、タカシがお前さんのために払った代金を返上しないと筋が通らないだろう?」
「うっ……」
そう。
確かにスミスさんの言うことは正しい。
ここでカルロッタがオーガを討伐に向かったところでギルドから依頼料が入ることも無ければ、何かしらの見返りがあるわけではない。
オーガを退治したらもしかしたら、攫われた公爵令嬢の父親か地元領主などから何かしらのお礼もあるかもしれないが、それも本当にあるかわからない。
なにせ目の前の兵士たちもこちらに討伐してくれとお願いしてきてはいないのだ。
というか、カルロッタが申し出ても断られるだけだろう。
部外者が首を突っ込んできて、それを許可する立場に彼らはいないのだ。
それどころか、下手に関わらせて何かあるとそのあとの責任問題が面倒になるだけなので、彼らはカルロッタの申し出を決して自分たちの判断だけで了承しないだろうことは明白だ。
ただ凶悪なオーガを討ち取ったという事実とカルロッタの正義感が満たされるだけだろう。
「確かにスミスさんの言う通りですね。
私たちの目的は安全にバルトへと行くことですし、皆さんには皆さんの予定というものもあるでしょう。
カルロッタさん、ここは地元の治安機関に任せて先を急ぎましょう」
「……わかった」
「良し。 じゃあ、俺たちは先を急ぐんでこれで失礼させてもらうぜ。
一応、次に差し掛かった街か村にはこのことを伝えておく」
「わかりました。 では、皆さんお気をつけて」
俺達は馬車に乗り、兵士たちに見送られながらオーガ襲撃の現場を後にした。
◇
夕方、運良く途中の村に立ち寄ることが出来た。
街と呼ぶには小さい規模の村には宿は無いらしく、俺たちは村長に先ほどの事件を話したら村の中に馬車を止めて夜を明かして良いということだったので、村長の厚意に甘えることにした。
因みにここまでの道中、イケータの宿で一泊した時以外に風呂には入っていない。
イケータには公衆浴場が用意されており、日本の銭湯とプールを足したような感じの風呂でゆっくりと旅の垢を落とすことが出来たが、ここでは無理だった。
実はこういうときのために『浄化魔法』というものが存在している。
ベアトリーチェとロレンゾさんの浄化魔法のおかげで、旅の間は全員体を清潔に保つことが出来たのはありがたかった。
浄化魔法で綺麗になった俺は、馬車の中で明日に備えてストレージから武器を出しているところだ。
「何をしているのかしら?」
既にストレージという空間収納魔法を目の当たりにしているアゼレアが俺に質問してきた。
ごそごそと何かをしている俺の行動が気になったらしい。
「今日のオーガの件が気になりましてね。 ちょっと明日に備えて武器の用意をしているんですよ」
「武器?」
「ええ。 まあ見ていてください」
そう言って俺が取り出したのは、ロシア製の歩兵携帯型の対戦車兵器である『RPG-7V2』と『RPG-29』だ。
例のオーガがどれほどの大きさなのかは分からないが、重量70トンを軽く超える米軍やイスラエル国防軍の主力戦車を撃破できる対戦車兵器であれば間違いなくオーガを仕留めることが出来るだろう。
ということで、この2門の対戦車兵器の出番というわけだ。
片や紛争地や局地戦で長年使われ続けていて相応の実績を持つ兵器であり、片や中東で最近その存在感を増しつつある兵器である。
「なんか変な形の武器ね。 武器っていうより、鉄でできた筒……なのかしら?」
「この筒は弾頭を発射するための砲、要するに本体ですね。
これを……ん、よいしょっと!
こんなふうに肩に担いで、この砲口から弾頭を目標に向けて発射します」
アゼレアの前でRPG-7V2を肩に担いで構えをとる。
もちろん弾頭は装填されていない。
RPG-7V2もRPG-29も帝都ベルサを出発する前に木箱から出して準備をしていたので、それぞれの砲身には既に最新の光学照準器であるPGO-7V3スコープが装着されており、RPG-7V2にはPGO-7V3と一緒にUP-7Vメカニカルサイトもセットで装着されている。
「ちょっと、持たせてもらっても良いかしら?」
「どうぞ」
そういってアゼレアの右肩へとRPG-7V2の砲身を乗っける。
「右手をこちらのグリップに、左手をこちらの後方のグリップを握ってください。
握ったら、このスコープを覗いてみてください」
「こうかしら? うわぁ、凄いわね! 何か、視界に文字みたいなのが見えるわ!」
「それがレティクルって言って、それを戦車……じゃなかったオーガなどの大型の魔物に照準を合わせます。
で、右手の人差し指をここのトリガーに添えて引けば弾頭が発射されます」
既にハンマーは起こしてあるので、アゼレアがトリガーを引くと“カチン”とハンマーが落ちる。
「へえ……! これがあれば、オーガを倒せるの?」
「まあ、弾頭が上手く命中すれば、オーガと言わずそれよりも大きい魔物やお城の城壁とかにも穴をあけることは可能だと思いますよ?」
「そんなに威力があるのか?」
俺とアゼレアの話を黙って聞いていたカルロッタが話し掛けてきた。
この兵器の威力を聞いて驚いた顔をしている。
「ええ。
この兵器は元々は戦車の装甲……ええとぉ、鉄とかでできた分厚い板をぶち抜くために作られた兵器なんですよ。
他にも幾つかの弾頭が用意されていて、鋭い破片を周囲にばら撒いて歩兵を加害したり、建物を爆風で吹き飛ばすこともできます」
そう言って、RPG-7V2用の対戦車タンデム弾頭とサーモバリック弾頭、RPG-29用の対戦車タンデム弾頭を用意する。
「それは凄いな……」
驚き半分、疑い半分といった感じの彼女はこの弾頭の威力を今ひとつ理解できていないようだ。
まあそれも仕方がないことだろう。
俺でさえ、対戦車兵器というものを触る機会は陸上自衛隊の駐屯地祭くらいでしかない。
それがこの異世界でとはいえ、動画投稿サイトでしか見たことがないロシア製のRPGシリーズを撃てるとは夢にも思わなかった。
彼女たちが見守る中、俺は2つの対戦車兵器に弾頭を装填する。
RPG-7V2は砲口から、RPG-29は砲身後部からそれぞれ対戦車タンデム弾頭を装填する。
安全装置が掛っていることを確認したら、これらは馬車の隅っこに立てかけて置いて倒れないように革ベルトで固定する。
次に歩兵運用が可能な対戦車ミサイルと地対空ミサイルも準備をしておくとにした。
ストレージから出したのはロシア製の『9M133FM-3 コルネット-EM』と中国製『HJ-8H』対戦車ミサイル、ロシア製『9K333 Verba』に中国製『FN-16』携帯型地対空ミサイルだ。
いずれのミサイルも紛争地で戦闘車両や航空機を撃破した実績がある兵器達である。
ミサイルを準備する理由はもちろんオーガ対策だが、異世界に渡ってドラゴンとドンパチしたどこぞの陸上自衛隊の偵察小隊のようにオーガ以上に大型で強い魔物と遭遇しないとも限らないので、RPGと違って目標を追尾出来る誘導兵器を用意しておくに越したことはない。
三脚を用いる対戦車ミサイルと肩に担ぐタイプの携帯地対空ミサイルの数々を見て、ベアトリーチェやスミスさんたちもこちらの作業をジッと観察している。
「なんだか物々しい気配を感じるのですが、コレは魔導具か何かですか?」
兵器の放つただならぬ雰囲気に何かを感じ取ったのか、ロレンゾさんがコルネット–EMをまじまじと見ながら質問を投げかける。
「うーん、魔導具ではないんですがねぇ……
まあ、こちらの感覚で例えれば魔導兵器と言っても過言ではないですね。
私がいた
「ほう?
ではこれは、魔導兵器としてどんな特徴があるんです?」
魔導兵器と聞いて俄然興味が湧いたのか、ロレンゾさんが更に質問を重ねて来た。
「こちらの三脚に載っている2つは、オーガや更に大きい魔物や建物を一撃で破壊できる能力を持っています。
で、こちらの細長い筒状のものは空を飛ぶもの、例えば飛竜などを撃ち落とす能力を有してます。
どれも1〜2人で運用可能です」
それを聞いたロレンゾさん以下全員が絶句する。
まあ当たり前だろう。
ギルドで教えてもらったオーガを安全に倒す手段としては、前衛が3人に援護役として魔法使いと弓使いがそれぞれ1人ずつ必要になる。
しかしこれは平均的な大きさのオーガであり、より大きい個体だとこの2倍の人数が必要になってくる。
それをこの対戦車兵器を使えば、1人もしくは2人でオーガを超える大型の魔物も倒せるとあれば驚きもするだろう。
「確かタカシさんはニホンからやって来たんですよね。
ニホンにはこんな魔導兵器がゴロゴロしているんですか?
もし売って貰えるのなら、購入させてもらいたいですね」
「すいません、これは売り物じゃないんです。
これらはとあるお方に用意していただいた兵器になるんですが、転売は禁じられているんですよ。
それに売ったとしても、金貨がどれだけ必要になるのか見当もつきませんしねぇ……」
「ロレンゾ、諦めろ。
お前さんの魔法に対する好奇心と探究心には恐れ入るが、“ソレ”に手を出すのだけはやめておけ。
おれも軍人、傭兵、冒険者と渡り歩いて長年命のやり取りを幾つも経験して来たが、明らかに“ソレ”はタカシが何時も持っている“ジュウ”以上にヤバイ気配が尋常じゃないほどビンビンする」
「確かにスミスの言う通りだな。
その魔導兵器は見た目の雰囲気も気配もそこらで見る武器とは明らかに違う。
火傷して取り返しがつかなくなる前に手を引いておいたほうが身のためだぞ?」
「…………分かった」
2人の仲間にこう言われてロレンゾさんは渋々といった感じで引き下がった。
しかし現代人の俺からは何も分からないが、この誘導兵器達はそんなにヤバイ雰囲気を持っているのだろうか?
見た感じ、兵器としての迫力はあるが、機関砲や重機関銃と違って見た目は太い筒状の形をしているからそこまで禍々しい感じはしないと思うのだが?
「それにしてもタカシさんの空間収納魔法はいつ見ても凄いですわね。
わたくしも仕事柄、空間収納魔法が使える者は何人か心当たりはありますが、タカシさんのように色々な物を収納できる方は初めて見ましたわ……」
「確かに。
エノモト殿の持つ魔道具も凄いが、それらを幾つも収納できる能力を持つ空間収納魔法はもっと凄いな。
失礼だが、エノモト殿は冒険者などではなく、その魔法を生かしてギルドの商工科で商人や貿易商として商会を始めたほうが良いのではないか?」
「まあ、今はやらないといけないことがありますので、それが終わったら商人もやってみたいとは思いますけどね。
しかし今は、冒険者として色んなことをしてみたいです」
この日はこのまま、全員魔法で暖かく保たれている馬車の車内で仲良く雑魚寝だ。
野外とはいえ、人里離れた場所ではなく村の中ということもあり、見張りはせずにロレンゾさんとベアトリーチェ2人が魔法結界を張るだけで済んだ。
ここまで来ると既に寝る位置のポジションもほぼ決まってきており、馬車後部の入り口付近はズラックさんとロレンゾさん。
先頭の御者台側にスミスさんとカルロッタ、ベアトリーチェ、アゼレアに俺という感じで川の字型に並んで寝ることになりつつあった。
現在は就寝直前ということもあり、全員が思い思いに明日に備えて装備の点検や地図の確認を行っているところだった。
因みにカルロッタとベアトリーチェは村長に井戸とトイレを借りに行っており、ここにはいない。
◇
「……それで、どうなされるおつもりですか?」
「決まっていますわ。 暫くは彼と行動を共にするつもりです」
ここは夜営の許可を出した村長の自宅の一室だ。
村長は敬虔な聖エルフィス教会の信徒であり、こちらが何も言わないうちから是非ここに泊まってくれと彼女らに話を持ち掛けて来た。
さすがに旅の間だけとはいえ、雇い主であるタカシを差し置いて自分達だけで泊まることはできないので丁重に断ったが、代わりに少し話をするためにこの部屋を借りることにした。
もちろん盗み聞きを防ぐためにこの部屋には、ベアトリーチェの手によって防音の魔法が一時的に施されている。
「しかし、我々が向かうのは教会本部であり、彼らが向かう目的地とは別方向になります。
バルトに着いたら彼らとは別れなければならなくなりますが?」
「そこはなんとかなるでしょう。
幸いにも彼の傍にいる魔族は祖国が戦争中です。
それに協力すると言えば、彼女もこちら側についてくれるはずですわ。
どうやら彼は彼女のためにこの旅をしている節がありますし……」
「しかし、何故エノモト殿に固執されるのですか?
確かに彼は存在自体が不思議の一言に尽きますが……」
一番最初に会った時からカルロッタの目には『タカシ エノモト』という男は奇異に映っていた。
物腰は常に低くて丁寧に尽きる。
自分とそう変わらないであろう年齢と外観にも拘わらず、十歳は年上と思わせるような感じがしてくるのだ。
また、彼が着ている服や持ち物にも違和感はある。
縫製が異様なほどしっかりした服に、ジュウという見えない矢を発射する武器。
大型の馬車と引き馬を一括で購入できるほどの財力。
そして彼と行動を共にする魔王軍所属の高位上級魔族。
どれをとっても不可解としか言いようがない。
彼と一緒にいる冒険者達は男であるためか武器のほうに目が行くようだが、元々は商人の娘だったカルロッタには武器以外の持ち物に興味が行った。
例えばタカシがよく着ている『ダッフルコート』なる呼び名の外套だが、これ一つでこの国の平均的な庶民の約一年分の生活費に相当するのではないかというほど生地と縫製が立派過ぎるのだ。
あの財力も併せて、最初会ったときは彼のことをどこぞの貴族の息子がお忍びで旅行しようとしているのでは?と思ったほどだ。
それをいくら魔王領の大公家の娘とはいえ、魔族にも服や剣を何の見返りも無く与えるというその感覚も我々の常識からはかけ離れている。
「確かに彼の存在は不可思議ですわね。
しかし、私が注目しているのは、彼の魔力なのです」
「魔力……ですか?」
「ええ。 そうですわ」
カルロッタの実家は聖エルフィス教会に食料品を納入する出入りの大店だった。
そのため彼の持ち物にその異常さを見出したが、ベアトリーチェは彼の魔力に注目した。
ベアトリーチェ・ガルディアン。
聖エルフィス教会にて数々の役職を歴任したジョン・ガルディアン大司教の一人娘であり、生粋の聖職者の家系に生まれた美しい女性である。
初対面の者は司祭服の上からでもわかるほど豊満な姿態とおっとりした外見に騙されがちになるが、教会特高官という職に就いているため洞察力と観察力は中々に鋭く、その雰囲気に騙されて悪事を暴かれた教会関係者は決して少なくなかった。
また身体能力も優れており、その外見からは想像もつかないほどの剣の腕を持ち、不死者や死霊の類いを討伐したことも一回や二回ではない。
正直言って魔法の才能も併せて護衛役の聖騎士であるカルロッタより強いのだ。
そのためカルロッタは護衛というより、彼女に絡んでくる酔っ払いやゴロツキなどのトラブルから守る露払い的な役割が多い。
地球、特に海外では、徒手格闘であればそこら辺の軍人や警察官より遥かに強いチャンピオン級の格闘家が高い依頼料まで払ってボディーガードを雇っている例が多いが、これはその格闘家に喧嘩を売って打ち負かして有名になりたいという粗暴で愚かな人間がいたりするからである。
もちろんその格闘家本人はそんなチンピラ相手に負けることはないが、怪我をさせれば一大事だ。
チャンピオン級の格闘家は、その肉体自身が銃やナイフと同じ立派な武器として裁判の場で判断される場合がある。
一般人同士であれば正当防衛になるところが逆に過剰防衛となり、下手をすると殺人未遂に問われる場合もあり、示談金や賠償金も高額になりメディアも連日面白おかしく報道する。
本来なら格闘家に喧嘩を売ったアホのほうが悪いのに、逆に身を守った格闘家が断罪されることが海外の司法の場では度々ある。
そんなトラブルから自分の身と人生と家族を守るために、海外の格闘家は本来自分より弱いはずの護衛を高い依頼料を支払ってまで雇っているのである。
ベアトリーチェとカルロッタの関係はこれに近い。
この大陸全ての国々や人々が聖エルフィス教会を好意的に捉えているわけではない。
中には敵意を持っている者も少なからず存在する。
そんな存在にいちいち教会特高官が付き合う必要はない。
特にベアトリーチェは聖職者の貴族とも言える家柄の出だ。
本当であれば、護衛はあと5人位いてもおかしくない。
まあ、彼女は信頼している者以外を護衛に就かせる気はないようだが?
そんな彼女は魔法への知識も明るい。
というか、こちらの方が本業だ。
生まれつき異常に高かった魔力はさらに増え、本人の才能ともいうべきその能力で教皇しか扱えない?魔法を除き、教会の神聖魔法の殆どを使いこなせる。
その彼女が会ったばかりの何処の馬の骨とも知れない男に興味を示すのだから、エノモトという男の魔力はどれほど高いのだろうか?
「エノモト殿は魔法使いには見えませんが?」
エノモトは今まで不思議な魔道具を使いこなしているところはこれまでの旅の過程で度々目撃しているが、本人が空間収納以外で魔法を使っているのは見たことがない。
またカルロッタは仕事上、魔法についての知識はあっても魔力もなければ魔法も使えないため、他人の魔力については全く分からないのだ。
「私もタカシさんが魔法使いだとは言っていません。
ただ、彼から漏れ出る魔力の質が普通の魔法使いのそれと比べて、違和感があるように感じるのです」
「違和感……ですか?」
「ええ、違和感です。 口に出して説明するのは難しいですが……」
ベアトリーチェはカルロッタには敢えて言わないでいるが、タカシの持つ武器やアゼレアの持つ剣にも違和感を覚えていた。
こちらに関してはもっと明確で、非常に危険な匂いがするのだ。
例えて言えば、アンデッドの中でも非常に危険なリッチという不死者の亡霊のような気配を時々感じる。
しかし、それはあくまで危険性を例えているだけであり、力そのものには神聖魔法さえ超える強力な安心感のようなものもあった。
これらの正体を突き止めるためにも、今暫くは彼らに何としてでもくっ付いて行く必要がある。
本当はこの旅の道中、タカシの持つ武器が使われる場面にどこかで遭遇出来れば良いのだが…………
◇
あるわけないだろう思っていたオーガによる村への襲撃は遂になかった。
こういう時、主人公が辺境の村や街で夜を過ごしていると魔物や賊の集団に襲われるというイベントが発生したりするものだが、そういうことは一切無く平和そのものであったのは重畳だろう。
この村で購入するものは全く無いが、泊めてくれたお礼に水を安全に運べるポリカーボネート製の水缶を10個程この村に進呈した。
最初使い方が解らずに訝しんでいた村長も、水缶の使い方を知ると手が痛くなるほど握手しながら感謝していた。
朝早くにも関わらず、村長と村人総出で見送られて村を出発した。
そして街道をメンデルに向けて馬車を進める。
順調に行けば3日後くらいには着けるらしい。
「昨日地図を見ながら考えていたんだが……恐らく地形的に例のオーガが潜んでいると思われるのは、さっきの村から北西に進んだ所にあるこの廃鉱山だな。
あそこはこの国でも当時かなりの規模を持つ鉱山だったから、オーガが隠れられそうな廃坑が幾つか存在する。
多分、今もここを根城にしている可能性が高いな。
どうもさっきの村と鉱山の間には谷があるみたいだから、直接的に襲われる心配はないんだろう」
「じゃあ、このまま進めばオーガの縄張りからは抜けられそうですか?」
「まあ、今日一日馬車を走らせれば大丈夫だろ?
こっちにはお前さんの持つミサイルとかいう魔導兵器もあるが、万が一っていう可能性もあるからな。
戦わないのならそれに越したことはねえよ」
「そうですね」
俺達は時折休憩を挟みつつも、そのままノンストップで馬車を進めた。
◇
時刻は俺の腕時計でそろそろ午前10時を指そうとしていた。
何も無く森の中を走る道を穏やかに進んでいたその時、突然アゼレアが立ち上がり、馬車後部の垂れ幕を開けて周囲を見回し始めたのである。
「どうしました?」
「しっ! 黙って」
「?」
彼女は真剣な表情で聞き耳を立てて周囲を警戒している。
「済まないのだけれど、ちょっと馬車を止めてきてもらえるかしら」
「え? それはまた、何で……」
「早くっ!!」
「はいはい!」
俺は彼女の指示通りに馬車を操るスミスさんと見張りのロレンゾさんに言って馬車を止めさせる。
途中、ズラックさんが「どうした?」と尋ねてきたが返答できなかった。
馬車を止めさせ、後ろに戻るとスミスさん達も馬車から降りてやって来た。
既に武器を携えて周囲を警戒している。
「一体全体、どうしたって言うんだ? いきなり馬車止めろだなんて」
「いや、いきなりアゼレアが立ち上がって……」
俺に聞かれても困る。
その質問はアゼレアに聞いて欲しいところだ。
「叫び声が聞こえたのよ。 しかも複数の声よ」
「叫び声……ですか?」
「ふうむ…………何も聞こえんが?」
アゼレアは魔族、特に吸血族の族長の娘ということもあり視覚・嗅覚・聴覚は人間はもとより、並みの魔族より鋭いと以前本人が言っていたので、もしかしたら少し離れている場所の音を捉えているのかもしれない。
もしそうなら、俺やスミスさんのような人間には聞き分けることは不可能だろう。
「アゼレア、その叫び声はどこから聞こえてきましたか?」
「方角的に馬車から見て右側の方からよ」
「となると、例のオーガがいる可能性がある鉱山の方向だな……」
スミスさんがそう言ったとき、遠くから何かが爆発するような音が聞こえてきた。
「この音は?」
「私には、はっきり聞こえたわ。 音が重なっていて一回に聞こえたけれど、爆発音は実質二回よ」
「ってことは、崖崩れの音とかじゃないだろうな。 十中八九、魔法による爆発だな」
「ということは、例の地元領主と辺境警備軍の合同討伐が始まったんですかね?」
「まあ、そうじゃねえか? もう少し進んだら、広いところに出ると思う。
そうしたら、鉱山の方角が見えるようになるぜ」
「じゃあ、そこまで進んでみましょうか?
双眼鏡より倍率の高い望遠鏡とかもあるので、良く見えると思いますよ」
そう言って、馬車を走らせると森を抜けて道の左右が開けた場所に出た。
どこも薄っすらと雪が積もっている。
「開けたところに出ましたよ。 アゼレア」
「ありがとう。 ……ん? ねえ、ちょっと見て孝司! オーガがいるわ!」
「ええっ!?」
彼女に言われて慌てて馬車の外に出る。
双眼鏡で探すといた。
ここから見てもはっきりわかるくらい巨大なオーガが走っている。
距離にして約1kmくらいの距離にもかかわらず、大きく見えるということは間近で見た場合どれほどの大きさというのだろうか?
そしてアゼレアがとんでもないことを叫んだ。
「大変! 人間達がオーガに追われているわ!!」
「なんだって!?」
そういってカルロッタは俺から双眼鏡を奪い取ってオーガを見る。
俺もSVDM狙撃銃のスコープをズームさせてみると、複数の男女がオーガに追われているのを確認できた。
「どうする!?」
「どうすると言われても……」
カルロッタはこちらを振り返って聞いてくるが、俺たちの馬車とオーガの間には広い雪原が広がっている。今から雪を掻き分けて急行したとしても、オーガから逃げているあの集団を助けるのは難しいだろう。
もちろん、馬車なんて入っていけないし、距離があるので大きな音を出したとしても興奮しているオーガの気を引けるかはわからない。
よく見ると逃げているのは冒険者達のようで、鎧を着た者が槍で突いたり斬り付けたりしているが、オーガの皮膚が固いのか、中々ダメージを与えられずにいる。
魔法での攻撃も加えているようだが、どういう仕組みなのか全ての攻撃魔法がオーガの手前で爆発し、オーガに攻撃魔法が届いていない。
「なんと、あのオーガは
別に出していた射撃観測用の望遠鏡を覗いていたズラックさんが珍しく慌てた口調で驚いている。
スミスさんに聞いたところ『障壁持ち』とは魔法障壁の一種で、魔物の中にはあのようにシールドを持つ魔物が時々現れるらしい。
シールド自体は普通は冒険者程度の魔導師でも破ることは可能らしいのだが、稀に魔物自身の魔力が高い場合、並みの魔導師5〜6人程度では破れないシールドも存在しているのだという。
「早く助けないと、彼らは殺されるぞ!!」
(うーむ……まさかここで対戦車ミサイルを使うことになるとは)
もう少し距離が近ければRPG-7かRPG-29で仕留めることもできただろうが、これだけ距離が開いているとなれば、誘導装置のない弾頭の命中精度は格段に落ちる。
しかも、オーガは走って移動中だ。
となれば目標を追尾できるミサイルのほうが適任だろう。
「……よし!」
そう言って俺は対戦車ミサイルの発射準備を始める。
準備と言ってもミサイルと発射装置、誘導装置の準備は昨日の内に終わらせているので、予備のミサイルが入っているランチャーを出して、目標をロックオンするだけだ。
俺はストレージからロシア製対戦車ミサイル『9M133FM-3 コルネット-EM』を取り出して地面に据える。
誘導装置の電源を入れると微かに“キュウゥゥゥゥン”という機械音を出してミサイル発射準備がたちまちの内に整う。
「今から、ミサイルを発射します!
危険なので離れていてください。 間違ってもランチャーの後ろには立たないように!」
全員に警告を送り、周囲の安全確認を行う。
するとアゼレアの姿だけ見当たらない。
「あれ? アゼレアは!?」
「彼女なら、彼らを助けるとか言って凄い勢いで飛び出していきましたわ」
俺の質問にベアトリーチェが答える。
照準装置を覗くと、視界の隅に除雪車かブルドーザーのように雪を掻き分けながらもの凄いスピードで進むアゼレアの姿が映る。
「ええーっ!? 何で一言、言ってくれないかなあ!!
おおーい、アゼレアっ!!
ミサイルを発射するから頭上に注意しろよ!! 間違ってもジャンプなんかするなよォー!!」
(まったく! 何で勝手な行動するのかね!!)
俺は照準をこちらに側面を曝しているオーガへと合わせる。
幸いにもオーガはこちらに気付くことなく、正面の魔法使いに集中しているようだ。
ランチャーの向きを発射台に付いている2つのハンドルを回して修正する。
安全装置を解除し、発射台下の側面にある発射レバーを銃のトリガーを引く要領で一度引いて戻す。
すると筒型のランチャーから“バシュッ!!”という音と共にミサイルが飛び出す。
ランチャーから1メートルほど飛び出したミサイルのロケットモーターが作動し、“シュバァァァァーーーー!!!!”と薄い煙の尾を引きながらミサイルが飛翔して行く。
ミサイルは映画やアニメのように真っ直ぐ進むのではなく、此方から見てオレンジ色の光を灯しながらユラユラとその軌道を修正しながらオーガへと静かに迫っていく。
ミサイル後部の噴射口中央には誘導装置から放たれる誘導波受光装置があり、ここと誘導装置間で情報をやり取りして目標に迫って行った。
ミサイル本体は回転しつつ、ユラユラとまるで蜂のように飛んでいるが、確実にオーガへ向かって行くその様は生き物のようだ。照準装置から目を離してチラッと周囲を見るとスミスさん以下全員が食い入るようにしてミサイルの軌跡を追っていた。
もの凄い勢いで走るアゼレアを追い越したミサイルはそのままオーガに突入し着弾する。
一瞬、炎が見えて黒い煙が上がったかと思うと“ドンッ!!”という爆発音が遅れて響いてきた。
煙が無くなり、オーガを無事撃破出来たことを確認した俺は、次に向けて新しいランチャーに交換しておく。
「おいっ、エノモト殿!!
巨大な槍のようなものが鳥のようにオーガの元へ飛んで行ったかと思うと、一瞬でオーガを仕留めてしまったぞ!!
しかもあの魔法使いたちが手こずっていたオーガのシールドを易々と突破してだ!!
これは、一体何なのだ!?」
「何なのだと言っても、アレがミサイルという兵器の特徴ですよ。
昨日も言ったように、オーガやそれを超える魔物を撃破できる威力がこのミサイルにはあるんです」
「……貴殿は個人でこのような兵器を複数所有しているのか?」
「まあ、そこらへんはお答えできません……すみませんね」
「ロレンゾ殿ではないが、もし良ければこのミサイルを我々聖騎士団に売ってもらえないであろうか?
我々の魔物討伐のためにも是非……」
「ああっ! 自分ちょっとトイレに行きたくなってきました!
ちょっと、向こうの茂みに行ってきます!」
カルロッタの目がおかしかったので俺はミサイルをストレージに戻して、急いでその場を離脱した。
◇
そろそろカルロッタも頭が冷えた頃合いだと思い、俺は馬車に戻ることにした。
馬車に戻るとちょうどアゼレアが戻ってきているのが目に映る。
「いやあ、すみませんねぇ。 ちょっと、待たせてしまいましたか? アゼレア」
我ながら少しわざとらしいかもしれないが、あのままカルロッタに絡まれていると面倒になりそうだったので仕方がない。カルロッタも興奮が冷めたのか俺と視線が合ったと思ったら、目で謝ってきた。
「ちょうど良かったわ、タカシ。
さっきオーガに襲われてた冒険者達なんだけど、一緒にメンデルまで来るって。
攫われてたアナスタシア嬢も足に怪我をしていたけど、無事よ」
アゼレアからそう言われて安心と同時に、何で別の冒険者達が被害者と共にくっ付いてくる話になっているのかと問い詰めたかったが、馬車にはまだ余裕があるし大丈夫だろうと結論付ける。
「そりゃあ、良かった。 で、彼らは?」
「馬車の向こうよ」
どうやら、車内ではなく外にて待機しているらしい。
まあ、彼らもあんな化け物に追い回されたのだ、かなり疲労していることだろう。
もし何だったら、エナジードリンクでも飲ませたほうが良いだろうか?
「いやあ、どうも! 危なかったですね、皆さん」
笑顔で挨拶しつつ向かった先にいたのは、全員子供と言って差し支えない年齢の男女ばかりだった。
やはりオーガに追い回されて相当疲労しているようだ。
「助けてくれてありがとうございます。 僕の名前はアルトリウス・ジョージア。
ギルド所属の2級冒険者でクラン『早春の息吹』のリーダーを務めています」
そう言って挨拶してきたのは育ちが良さそうな銀髪の少年だった。
ロレンゾさんと同じように魔法使い用の
彼が抱き上げているのが例の攫われたというクリフォード公爵家の令嬢だろうか?
「私はこの旅の雇い主のタカシエノモトだよ。
同じギルドの冒険者でまだ新人の4級だけどよろしくね!」
彼が娘さんを抱き上げていないほうの手で握手を求めて来たので、そのまま彼の手を握る。
「じゃあ、早速だけど出発しようか。 話は馬車の中で聞かせてもらおうかな?」
そして馬車は何事もなかったかのように動き出した。
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