閑 話 苦悩

 それはいつものように執務室で公務を行っている最中のことだった。

 執務室に据えられている柱時計を確認するともうそろそろ昼時という頃、クリフォード公爵領における領内各所から上がってきた報告書を一通り見終えて「今日の昼食の献立は何か?」と考えていると、当家に父の代から仕えている執事長が血相を変えて入室してきた。


 いつもならどんな要件であっても必ず入室の許可を得るこの執事長が儂の許可を得ることもなく、いきなり部屋に入ってきたのを見て「何か良からぬことが起きたのだろうか?」と儂は無意識に身構える。



「失礼いたします! 旦那様、大変でございます!

 お嬢様が……アナスタシアお嬢様が魔物に攫われました!!」


「……は?」



 この時、儂は目の前の老執事長が何を言っているのか分からなかった。

 ただひとつわかるのは目の前の執事長が冗談を言えるような性格ではなかったということだけだ。


 頭が理解する前に体が既に細かく震え始めており、儂の視野は極度に狭くなっていっているのが分かる。儂の目の前で何かを叫ぶ執事長の声が聞こえるが、その声が遠くから聞こえてくるような気がしたが、「何か言おう。 何か指示を出さなくては」と思い椅子から立ち上がるが、足が震えて力が入らず儂はそのまま転倒してしまった。



「旦那様!? しっかりしてください!!」


「な、なん、何が……? わ、わ、儂っ……儂は……!?」



 執事長が儂を助け起こそうとするが、足に力が入らず床に座り込む形になってしまう。



「旦那様っ!? おい、誰かある? 誰でもよい、旦那様を至急寝室へ……!」



 執事長の声を聞きながら儂は気を失った。





 ◆






 …………寝室に運ばれた儂はいつも寝ている寝台の上で目を覚ました。

 寝室には執事長の他に当家の侍女長、そして妻のヒルダが控えていたが、一体どれほど眠っていたのだろうか?体が極度に重く感じる。



「あなた、目が覚めたのね?」


「ん? うむ……」


「旦那様、お加減は?」


「うむ。 心配ない、大丈夫だ。

 ところで、アナスタシアは……?」


「お嬢様は現在、辺境警備軍が捜索中でございます。

 先程、辺境警備軍から派遣されてきた兵に話を伺ったのですが、お嬢様の護衛を務めていた武官たちは一人を除いて全滅したとのことです……」


「全滅……」



 儂も妻も言葉が出なかった。

 長女のアナスタシアは幼いころから魔法に秀でており、娘の希望もあって帝都の魔法学校に入学した。全寮制であったため普段は側仕えの者はおらず、今回学校の冬休みを利用して我が家に帰省するという旨の手紙を娘が送ってきたために選りすぐりの護衛と世話係の者達を付けていたというのに……その護衛が壊滅とはにわかに信じられなかった。



「む、娘は……アナスタシアはどうなったのです?」



 儂の妻、ヒルダが執事長に娘の安否を聞くが彼は静かに首を横に振った。



「そんな……」



 口元を抑え、顔面を文字通り蒼白にして震える妻を見るだけで心が痛い。

 儂も執事長に娘の安否を聞くのが怖いが、これ以上妻への負担を避けるためにも儂が直接聞かなければいけない。



「アナスタシアは……死んだのか?」


「いえ、分かりません。

 生き残った武官は公爵家に仕える騎士であるウィル騎士家の長男で名前をグリースというのですが、辺境警備軍の事情聴取ではお嬢様一行がオーガに攫われた段階ではアナスタシアお嬢様はまだ生きていたとのことです……」


「オ、オーガ? あなたぁ……!!」



 娘を攫ったという魔物の名前を聞いて妻は崩れ落ちた。

 儂もこの部屋にいるのが妻だけであったら、この事態に絶望し神を嘆き泣き叫んでいたことだろう。


 しかし心の何処かで冷静なもう一人の自分が儂に疑問を投げかけてくる。

 何故、オーガごときに我が公爵領でも優秀な騎士たちが壊滅したのだろうか?


 このような事態を想定して騎士達武官以外にも腕利きの魔法使いも同行させていたのだ。相手が軍隊でもない限り、そこら辺の野盗や魔物程度など返り討ちに出来るほどの腕利きを付けていたというのに……!



「報告ではお嬢様の一行を襲ったオーガは“障壁持ち”で大型の個体だったということです」


「なっ!?」


 儂は言葉が出なかった。魔法障壁を展開できるような魔物など例え辺境でも探そうと思って出くわすのは容易ではない。しかも殆どの場合、魔物が展開する魔法障壁は一部の例外を除いてそこまで強力ではなかったはずなのだが?


 それが護衛の壊滅という結果を見るにそのオーガの持つ魔法障壁はよほど強力だったのだろう。護衛についていた魔法使いは二人であったが、そのどちらも帝国軍で長年軍務に就いていた歴戦の魔法使いであり、実戦経験も魔力も並みの魔法使い以上の能力を有していたのだ。それを……



「討伐隊はどうなっているのだ? というか、そもそも誰の領地で襲われたのだ?」



 報告でオーガが障壁持ちであると判明している以上、辺境警備軍もおいそれとオーガを討伐するわけにもいかないだろうことは公爵である儂にもわかる。下手に部隊を投入すれば返り討ちに会うのは想像に難くない。


 以前、クリフォード公爵家の寄子の一人であったギルモア男爵の領地に侵入した障壁持ちのハッグも相当強力な魔力障壁を有していた。



(あれは確か公爵家と男爵家の騎士と義勇民兵隊に山岳警備隊の兵を合わせて総勢一個大隊で山狩りをしたのだったか……)



 儂も男爵と一緒に部隊の陣頭指揮を執っていたのであの時のことはよく覚えている。

 そのときは騎士と兵五人を殺され、魔法使い二人が重軽傷を負った。

 恐らくアナスタシアを襲ったのはあのハッグと同程度か、それ以上の魔物だろうと察しが付く。同時に娘の生存は絶望的ということも……



「お嬢様は公爵領に隣接しているグラシン伯爵様の領地にて襲われたそうです。

 生き残った騎士は若手の騎士でウィル家の長男坊ですが、彼が辺境警備軍の事情聴取で話した内容ではお嬢様一行が街道を通過中に突如右側からオーガが雄叫びをあげて突進してきたとのことです」



 執事長は辺境警備軍の武官から娘が襲われたときの状況を詳細に聞き出していた。

 横合いから突進してきたオーガは楯となった騎士の騎馬二騎を軽々と弾き飛ばし、娘の乗る馬車を横転させた。


 騎士と魔法使いはオーガへの攻撃と娘の救出で二手に分かれたが、鉄のように固く厚い皮膚と魔法障壁を持つオーガに敵うわけもなく次々に殺されていった。救出に回ったウィル家の長男を含む騎士たちもオーガに挑んだがやはり致命傷を負わせられずに逆に殺されたしまったらしい。


 ウィル家の長男が生き残ったのは馬車に閉じ込められた娘が全滅する前に一刻も早く救援を呼ぶようにと逃げる指示を出したからだという。最後まで判断に迷ってオーガと戦っていたウィル家の長男は娘の再三の指示で泣く泣くその場を離脱し、たまたま付近を通りがかった隊商に助けを求めてこの事件が発覚した。


 彼は隊商の護衛と共に現場に戻ったが既にオーガの姿は見当たらず、残っていたのは人も馬もいなくなった横転した状態の馬車とオーガの巨大な足跡だけだったという……



「すぐにギルドに使いを出せ!

 娘の救出依頼を冒険者へ提示してもらうのだ。

 報酬は言い値で構わん!

 それと使い魔で依頼書をグラシン伯爵領のギルド支部へ運ばせるのだ!

 費用はこちらで払うと言え!」


「はっ! かしこまりました!!」


「いいか、オーガなんぞどうでもよい。 娘の救出が最優先だ!

 それを忘れずにギルドへ伝えるのだ!!」


「かしこまりました!

 わたくしがギルドへ直接赴いてギルドの支部長へ伝えます!!」


「たのんだぞ……!」



 執事長は直ちに寝室を出て行った。

 暫くすると馬車が屋敷から出ていく音が聞こえてきた。

 


(これでいい。 軍の討伐部隊を待っていては娘は食い殺されてしまう……!)



 ならば支払われる報酬の額に敏感な冒険者のほうが動きは速いであろうと儂は考えた。

 しかしこの時、儂も執事長も突然の悲報に気が動転して肝心なことをすっぽりと忘れ、ギルドにそのことを伝え忘れていた。





 娘を攫ったオーガが強力なシールド持ちの魔物であることを……






 ◆






 ギルドに娘の救出依頼を出して既に二日が過ぎていた。

 その間も儂は公爵領の公務を続けていたが、何をどうやって仕事をしていたのかは覚えていない。


 妻のヒルダも公爵領にやってくるご婦人方の相手をしているが婦人方が帰ると気力が切れて倒れこむ始末だ。儂は以前、魔物に攫われたり殺されたりした部下や領民と話したことがあったが彼らの心痛がここまでとは思ってもみなかった。


 相手が人間であるならば復讐や裁判で下手人を裁くことも可能であるが、魔物では討伐以外で復讐する手立てがない。しかも自分でとどめを刺せないとあれば、やり場のない怒りは燻りつづけるだろう……


 しかし、心の傷はヒルダのほうが儂よりも深いだろう。

 ヒルダはアナスタシアを含め三人の子を出産したがアナスタシア以外は既に亡くなっている。一人目の男の子は出産した次の日の朝には息を引き取り、二人目は女の子であったが二歳の時に流行り病に罹り亡くなっている。三人目として生まれてきてくれたアナスタシアだけが儂らの最後の希望であった。



(なのになぜ娘や妻がこんな目に……)



 儂も妻もそして娘も何一つ大帝国の公爵家として後ろ指差されることも無く真面目に生きて来たというのに、この仕打ちは酷過ぎるのではないか?


 もちろん公爵という地位であるということは儂らの知らないところで恨みを買うということは日常茶飯事だ。中には完全な逆恨みもあるが、ここまで酷い目に合うということは無いのではないかと思う。


 ここ二日間は自問自答で自分を責める日々だ。娘の帰省を知らせる手紙に安易に了承を出すべきでなかったということから、こんなことになるのならば魔法学校に通わせるべきではなかったということまで……


 こんなことをしても娘が帰ってくるということが無いということは頭でわかっていても、体が動かない。

 毒でも飲んだかのように体が動かないのだ。



(いっそのこと儂も妻も娘の元に……)



 チラッとそのような思いが頭をよぎる。



(いかんいかん! 儂は公爵なのだ。

 儂が死んでしまったら部下や領民はどうなるのだ)


「誰か娘を……アナスタシアを返してくれ……!!」



 そんなつぶやきを漏らしたそのときだった。



「失礼します。 旦那様っ!

 たった今、お嬢様が無事救出されたとの報告がギルドから届きました!!」



 儂は執事長からその知らせを聞いた瞬間、殆ど無意識に部屋を飛び出していた。

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