第16話 恋慕

 オーガを撃破してから2日が経ち、馬車が進む方角に街が見えてきた。



「あれがメンデルだ。

 大きな運河に面しているが、この国でも帝都に次いで2番目に大きい街でな、あの街は元々ここから見える東門とバルト方面に抜ける南門の所に大きな運河が通っている。

 その運河を天然の堀として外敵から街を守る役目を持っているんだ」


「確かに、城門の手前に堀を兼ねたような感じの運河に大きな石橋が掛かっているのが見えますね」


「ああ。

 南門を抜けて暫く南下すると、後は山脈に囲まれた深い森の中を走る街道しかない。

 途中には小さな村や集落がポツポツと存在する程度で、他には何も無いからな。

 仮にバルト方面から敵が侵攻して来たとしても、北の大山脈から南の海にかけて大陸東西を二分するように巨大な運河が行く手を阻むから道順的に、この街を通らざるを得ない。

 だから敵さんは、この街を落とさない限りはシグマ大帝国奥深くへ進撃することが出来ないんだ」


「なるほど……」



 双眼鏡で確認していた俺にスミスさんがメンデルについて解説してくれている。

 俺達の後ろでは、馬車に相乗りする格好で乗り込んでいたアルトリウス君率いる冒険者クラン『早春の息吹』のメンバーが荷物の確認をしているところだった。



「皆、準備は出来た?」


「わたしは大丈夫だ」


「準備完了よ」


「準備できたわ」


「大丈夫ですニャ!」



 アルトリウス君の呼びかけに対して女の子達4人がそれぞれに返事をする。

 彼らは俺達の乗る馬車から降りてここからは別れてメンデルに入城するとのことだ。


 今ここにはオーガに攫われた公爵令嬢のアナスタシアとお付の侍女はいない。

 実は、アルトリウス君が鳥型の使い魔で依頼を受けたギルドの支部に令嬢救出の報告をしたところ、次の村にあったギルド支所から職員が派遣されて来て令嬢を保護したからだった。

 恐らくは今頃、父親の元に戻っていることだろう。


 オーガに捕らわれ、足を折られた後に目の前で馬車の護衛を務めていた武官や御者が死体とはいえ、バラバラにされながら喰われていったのだ。

 その地獄絵図のような衝撃は計り知れない。


 侍女ともども心に深い傷を負っていた令嬢は震えっぱなしで悲鳴を上げこそすれ、終始喋ることは一切無く、俺達としてもそんな精神的に錯乱した人間をどう扱ってよいのか困っていたので、ギルドの職員が報告を受けてから半日で駆け付けてくれたのは助かった。


 彼女としても見ず知らずの他人よりも、見知った顔の家族や家臣達の方が精神的に安心できるだろうから、ギルドの職員は最高のタイミングで迎えに来てくれたと思う。


 そういうことで、俺とアゼレア含む一行とアルトリウス君のメンバーは何事も無く無事にメンデルへと辿りつけたが、ここからは俺達と彼らとは完全に別行動となる。


 俺達はメンデルで水や食料を補給した後は1日逗留してから街を後にするが、彼らは令嬢の父親であるクリフォード公爵家当主と面会しなければならないとのことだ。

 何でも、娘を助けてくれたことと、オーガを退治してくれた礼と依頼料を支払いたいということらしい。


 現在ギルドではオーガを倒したのは俺ではなくアルトリウス君ということになっている。

 これはギルドの職員が帰り際、こっそりギルド職員達に“お礼”を渡してオーガを倒した者の名前を俺ではなくアルトリウス君ということで処理してもらったからだ。


 お陰で今頃、ギルドや冒険者の間では魔法障壁持ちのオーガを少数で倒した冒険者クランということで彼らは有名人になっていることだろう。


 ギルド職員が直接報告したことで信憑性は増すだろうし、オーガを倒した方法についてもアルトリウス君たちは『対戦車ミサイル』という存在を説明できないであろうから、彼らが否定したとしても謙遜にしかとられないと思う。


 あとは周囲が勝手に判断することだ。


 因みにスミスさん達と旅をするようになって彼らの性格を鑑みるにミサイルの件を自らバラすようなことはしないとは思うが、念のため口止めしといてもらうようにお願いしてある。


 あとは念のため、アルトリウス君達と関係のないように振る舞って別々に城門を潜れば問題ないだろう。


 仮に『早春の息吹』のメンバーの誰かからミサイルの話が漏れて公爵が興味を示したとしても、この国の治安機関は貴族お抱えの私兵部隊と違い、貴族の私情を挟んだ要請であっても大帝国の正式な指示がなければ動けないとスミスさんから聞いたので、メンデルを出れば公爵の私兵以外に追われることは無いと思う。


 もちろん如何に精鋭の領軍騎士団であっても、俺の持つ銃器やアゼレアの敵ではないので私兵が追って来ても対処は充分可能だ。



「では、僕たちはここで失礼します。 短い間でしたが、お世話になりました」



 リーダーのアルトリウス君が代表して別れの挨拶をしてペコリと頭を下げる。

 貴族出身のボンボンだけあって礼儀は完璧だ。


 彼に倣って後ろに立っている4人の女の子たちも遅れて頭を下げるが、2日間という短い間にも関わらず道中は非常に賑やかだった。


 女子率が上がってスミスさん達オッサン組は若干居心地が悪そうにしていたが、俺としては華やかで心地良かった。


 シャンプーも無いのに女の子ってなんであんなイイ匂いがするのだろうか?

 おかげでこの2日間は俺にとってガンオイルの匂いと女の子の良い匂いで鼻がヒクヒクしっぱなしだった。


 俺自身は女子の輪に入ることは無かったがアゼレアやベアトリーチェ、カルロッタも彼女らとの話に花が咲いて非常に楽しそうだったのを覚えているが、ここまで何の問題も無く無事にメンデルへと辿りつけて本当に良かった。



「いやあ、ここまで無事に来れてお互い本当に良かったよ。

 君達はここが目的地なのかい?」


「いえ、僕たちは報酬を受け取った後はバルトへと向かいます。

 本当はあちこち行ってみるつもりだったんですけど、今回の報酬額が大きいのでバルトの冒険者会議で装備を整えようと思って」


「奇遇だな。 俺達もバルトの冒険者会議に参加しようって口だ。

 もしかしたら、向こうでまた会うかもな」


「本当ですか! スミスさん達とまた会えるのを楽しみにしています。

 孝司さんは……」


「俺とアゼレアの最終目的地は魔王領だからね。

 スミスさんやベアトリーチェさん達をバルトで降ろしたあと、ちょっと寄り道して魔王領に行くから会えるかどうか……」


「そうですか!」


(あれぇ?

 言葉とは裏腹になんだかホッとしてないかいかな? 何故?)


「では、孝司さん、アゼレアさん、皆さん、大変お世話になりました。

 またどこかで会えることを祈っています」


「うん。 道中気を付けてね」


「またどこかで会いましょう」



 彼らはもう一度礼をしてから城門に向かって行った。

 徒歩で街に入る場合、城門内側の警備区画で持ち物のチェックがあるらしくそのまま橋を渡れるそうなのだが、馬車の場合、橋を渡る手前の区画でチェックを受けるようになっている。


 これは爆発物などを積んだテロを警戒しているためだという。

 ベアトリーチェに教えてもらうまでは知らなかったのだが、ここ最近になって黒色火薬が普及し始めたおかげで魔導弾以外の爆弾が容易に製造できるようになり、国の支配体制に反対する集団や組織による破壊活動が発生するようになったとのことだ。


 このためメンデルのような街と外を繋ぐ大きな橋を有しているような場合、馬車などに爆弾を乗せたいわゆる『車爆弾』のようなもので住民達の生活を支えている重要な橋を破壊されないように、橋を渡る馬車は予め橋の手前で検問を受けないといけないらしい。


 ということで彼らと別れた俺達は他の馬車に混じって検問の順番を待つことになった。

 30分ほどで順番が回ってきて荷馬車の車内や車体下部を検索された後、身分証と手荷物のチェックを受けて橋を渡ることが出来た。






 ◇






「ほお? これは凄いですね……」



 先程、スミスさんが言っていた巨大な運河に掛かる橋を渡り、城門を潜って街に入るとそこは帝都ベルサとはまるっきり違う雰囲気を漂わせている街だった。


 いや、違う国と言ったほうが良いのだろうか?

 兵士や役人が身に着けている装備や制服等は殆ど一緒だが、街中を行き来する人々の格好や服装、建物の建築様式などが全く違う。


 帝都では降り積もった雪を落としやすくするためか角度のついた瓦屋根が多かったが、ここメンデルでは平たい屋根が多く、瓦を用いた屋根以外にトタンのような薄い鉄板を使った屋根がちらほらと散見される。


 他にも窓ガラスが多かった帝都の建物に比べて、ここでは鎧戸のみを用いている家屋が見えている範囲で半分ほど占めており、建材も石造りよりも木造や漆喰のようなものが多い。


 しかし、帝都と比べて貧相な雰囲気という印象は全く無い。

 道行く人々の服装も分厚くゆったりとした服装ではなく、スラッとした服装が多く色使いも華やかだ。



(確かにどこか違う国を思わせるなぁ。 でも、ここはシグマ大帝国内なんだよね?)


「久しぶりにこの街に来たけれど、ずいぶん変ってしまったものね。

 昔はここまで発展していなかったのに……」



 馬車から一緒に街並みを眺めていたアゼレアがポツリと感想を漏らす。

 興味本位で「昔とは?」と聞いたところ「九十年ほど前よ」という答えが返ってきた。



「あの時は、さっき渡った運河も橋桁も、もう少し狭かったのよ。

 橋なんて石造りではなくて木造だったしね。

 建物の高さだって二階建てが多かったし、道だってこういう風に石畳ではなく土道だったわ」



 そりゃあ90年も昔だったら今とはかなり違ってることだろう。

 というか、当時彼女と出会った普通の人間は殆ど死んでいるのではないだろうか?



「ほおー? 当時のメンデルはそんな感じだったのか。

 いやぁ、やはり魔族は長命な種族が多いだけあって俺達人間種と『昔』の感覚が違うな……」



 アゼレアの感想を聞いていたスミスさんが若干驚いているような感じで言っているが、皆も同じような表情を浮かべている。


 90年前と言えば、俺も含めてここにいる者たちはアゼレアを除いて細胞レベルで誕生していない。

 彼女の年齢が軽く200歳を超えているということは、彼女の両親や魔王などの魔族達の年齢は一体いくつになるのだろうか?



「この先の十字路を右に行くと『当時』泊まった宿があるのだけど……まだ営業しているのかしら?」


「いやいやいや、さすがに普通の宿でそんなに長く営業している宿は無いんじゃない?

 日本の京都じゃあるまいし……」


「あったわ。 あの宿よ」


「えっ!?」



 彼女が指差す先には、木製の看板に達筆な字で『どうしてやろうか亭』という文字が力強く書かれていた。もちろん、日本語でだ。



「な、何だ? あの名前の宿は……?」


「もの凄くけったいな名前でしょう?

 私も当時、姉や大公家の武官や文官達とアレを見たときはびっくりしたわ。

 ああいう変わった名前を掲げている宿なんて他にないから、覚えていたのよ。

 まだ営業していて良かったわ!

 看板は新しいのに変わっているけれど……」



 俺やスミスさん達の視線の先には『どうしてやろうか亭』という看板を掲げた大きな、しかし瀟洒な宿がデーンと鎮座している。


 5階建てで、漆喰を用いて作られいる木造のそれは長い年月を経て独特の風格を醸し出しており、トタンやガルバリウム鋼鈑ような鉄板で作られた屋根が多い中、日本の寺社仏閣等に使われることが多い本葺き瓦が使われている。


 屋根も他の建物と違い角度が付いており、そこだけ見れば日本の寺院とそれほど差は無い。

 あるとすれば、赤い釉薬が瓦に塗られていることくらいだろうか?


 よく見るとこの宿だけ全ての窓にガラスが使われている。

 アゼレアやベアトリーチェを除く俺たちが宿を見上げていると、ちょうど宿の玄関から出て来た獣人の男性がこちらに気付いて声を掛けてきた。



「いらっしゃいませ。

 当宿の厩舎番を仰せつかっている者でございます。

 こちらに何かご用でしょうか?」


「あ、いや。 ええと……」


「実は、今日泊まる宿を探していたの。

 昔泊まった宿がまだあったから、懐かしくて見ていたのよ」



 俺が言い籠っていると、アゼレアがフォローするように宿の従業員に答えた。



「そうでございましたか。

 その節はご利用いただき、誠にありがとうございます。

 上級魔族の方がこの宿をご利用されていたとは光栄でございます。

 宿を探しているようですが、もうどこか宿泊先をお決めになられているのでしょうか?」


「いいえ、まだよ。

 でも、ここがまだ営業していてよかったわ。

 ねえ、タカシ? ここに泊まらない?」


「え? この宿に?」


(うーん、俺の一存でこの宿に決めても良いのだろうか?)


「えっとぉ、皆さんはここの宿で良いですか?」



 後ろを見ると、スミスさんやベアトリーチェもアゼレアと宿の人間のやり取りを見ていたようだが、俺が目を合わせると全員構わないというふうに頷いた。



「私は構いませんわ。

 以前この宿に泊まりましたが、とても良い宿でしたわよ。

 名前は変ですが……」


「私もベアトリーチェ様と同意見であります。

 確かに名前は変ですが……」


「おれ達三人も構わないぞ。

 名前は変だがな……」


「はあ、そうですか。

 じゃあ、すみません。

 男性4人と女性3人の計7人の宿泊は可能ですか?」


「畏まりました。 少々お待ちください。

 この宿の宿泊担当に聞いてまいります」



 そう言って厩舎番の獣人は元来た道を戻って宿の中へと入って行ったが、すぐに戻ってきた。



「お待たせしました。

 ちょうど朝に何組かのお客様が出立されたので、部屋には十分な空きがあります」


「わかりました。 では、お世話になります」



 そう言って俺は馬車を移動させるために馬車に戻ろうとすると、厩舎番の獣人が代わりに馬車を移動してくれるらしい。



「私どものほうで馬車は移動させますが、荷物はいかがなさいますか?」


「荷物はそこまで多くないと思うのでこちらで降ろしますよ。

 スミスさん聞いての通りです。

 馬車はこの方が代わりに移動してくれるそうですよ」


「おう分かった。 じゃあ、お願いするぜ。

 荷物はそう大した量じゃねえから直ぐに移動可能だ」


「わかりました。 じゃあ、すみません。

 馬車の移動お願いします」


「はい。 お任せ下さい」



 俺達は馬車から主要な荷物を持って馬車から降りて宿の中へと入っって行った。






 ◇






 宿の中は外観の大きさ通りかなり広かった。

 雰囲気としては田舎にあった木造校舎の小学校を髣髴とさせるが、学校にはない高級感が漂っている。


 磨き上げられた木製の床や階段はピカピカで、魔法を用いた照明により室内は柔らかな光に満ちており、使い込まれているが、よく手入れが施されている調度品はくたびれ具合と気品が妙にマッチしていて、独特の雰囲気を醸し出しているお陰で地球でも十分に通用する宿だと思う。



「いらっしゃいませ。

 当宿の主、ロンメルでございます。

 以前、当宿をご利用いただいたと厩舎番より聞き及んでおります。

 またご利用いただき、誠にありがとうございます」



 宿に入ると、何人かの従業員を従えたオーナーが直々に我々を出迎えた。

 オーナーは驚くことに人間ではなく、角が生えた鬼の種族で、つくづくこの世界が地球ではない別の星なのだと思わせる。


 ちなみに鬼とは言っても、この前吹き飛ばしたオーガのような魔物ではないことはその目に湛えられた知性から見てもよく判った。青い肌と2メートルそこそこの筋骨逞しい体つきが特徴的だが、穏やかな顔つきで威圧感は一切ない。



「鬼人族がこの宿の主人だったのね。

 以前は人間種だった記憶があるけれど」


「わたくしが以前泊まった時は既にこの方が主を務めてましたわ」



 宿の主人の姿を見て当時の記憶を辿るようにアゼレアが感想を漏らすと、ベアトリーチェがそれに応える。



「この宿は今年で創業九十二年になりますが、既に経営者は私どもで三代目でございます。

 初代と二代目は人間種でありましたが、私めが先代のご息女と結婚し娘婿として迎えられてからは、こうして当宿の舵取りを任されております。

 失礼ですが、魔族のお方は何時頃当宿をご利用くださいましたかな?」


「九十年ほど前よ」


「そうでございましたか。

 では、この宿が創業してまだ間もないころにいらしたのですね。

 その節はご利用いただき、誠にありがとうございます」


「こちらこそ、当時はお世話になったわ。 ありがとう」

 

「それでは、宿帳へのご記入をお願いします」



 宿帳の記入は俺から順番に1人ずつ代わり番こに記入していった。

 既に以前泊まった宿でやったことなので、今回はスムーズに記入できたと思う。



「それにしても、人間種の方で目と髪がここまで黒いお方は珍しいですね」



 俺の容姿を見ながらロンメルと名乗った宿のオーナーがポツリと言う。



「そうですか?」


「ええ。

 殆どの人間種の方は私どもの妻や娘と同じように金や銀、茶の髪の方が多いですからね。

 魔法使いや貴族、神官様などの方の中には青や赤の髪の方もいますが、黒髪の方は皆無と言ってよいほど見掛けません」


「へえ?」



 なるほど。

 帝都のグレアムさんが例の召喚された高校生たちのことをよく覚えていたのは、単に魔力の大きさだけじゃなく髪の色とか容姿も関係していたのかもしれない。



「それにしても、この宿の名前はすごいですね」


「そうですな。

 こちらに宿泊されるお客様からは、よく変な名前と言われますよ」


「あ、やっぱりそうですか?」


「ええ。

 この宿の名前は元々創業者である初代が命名したのですが、当宿を末永く覚えていただくために敢えてあのような名前にしたと聞き及んでいます」


「そうなんですか? なるほど……」


「それではお部屋割りですが、どのようにいたしましょうか?」


「じゃあ、私とタカシで一部屋。 ベアトリーチェとカルロッタで一部屋。

 スミスたち三人で一部屋の三部屋お願いできるかしら?」


「畏まりました。 それでは、それぞれ大きめのお部屋を三部屋お取り致します。

 宿泊日数は如何いたしますか?」


「一日でお願いするわ。 出立時刻は……」


「ギルドの物資補給所にて水や食料の積み込みをしなきゃならんから、遅めに見積もって明日の昼過ぎくらいの出立で頼む」


「って言ってるからそれでお願い」


「畏まりました。 それでは、こちらが皆様それぞれのお部屋の鍵になります。

 宿泊料金は前金制になりますが、よろしいでしょうか?」


「はい、大丈夫です」


「それではお会計金額ですが、金貨1枚になります」


「はい。 じゃあ、金貨1枚丁度ですね」


「確かに金貨一枚お預かりしました。

 改めてご宿泊いただき、誠にありがとうございます。

 これ、皆様をお部屋へご案内しなさい」



 ロンメルさんが手を“パンパンッ!”と鳴らすと、控えていた従業員達が一行の荷物を持って部屋へと案内するが、種族は様々で人間種に鬼人族、猫耳や犬耳といった獣人の若い男女から構成されている。


 それぞれが持っている剣や弓といった武器類の持ち込みに関しては特に何も言われていないので、大丈夫なのだろう。誰一人武器を見て眉を顰める者はいなかった。



「お客様のお部屋はこちらでございます」



 女性の犬耳獣人の方に案内されたのは3階の部屋だった。

 重厚な木製の扉を開いた先には日本の平均的な規模のビジネスホテルのダブルより少し広い部屋があり、綿のクッションが敷かれたベッドが2つ並んでいる。


 水道管や下水管が整備されていない世界なのでトイレや風呂が設けられていない分、余計に広く感じ、ベッド以外には物書き用の机やソファーが用意されているが、それ以外の調度品は無い。


 当たり前だが、テレビやエアコンも無いため地球から来た俺としては少々殺風景に感じる。



「広くてなかなか綺麗な部屋じゃない!」


「ありがとうございます。

 お手洗いと大浴場は当宿の一階に用意されておりますので、ご利用の際は申し訳ありませんが一階までご足労願います。

 大浴場のご利用は午後七時までとなっておりますので、ご注意ください。

 その他、当宿の従業員に何か御用の場合はそちらの伝声管をお使いくださいませ」



 従業員が指し示す先の壁際には金属で作られたラッパ状の管が床から生えていた。

 というか、現代人でも伝声管なんて普通の生活では見る機会は殆ど無いのですごく新鮮に見える。



「わかりました。 ありがとうございます」


「それでは、ごゆるりとおくつろぎ下さい」



 そう言って、俺は彼女にチップとして銀貨一枚を渡し犬耳女性は礼を言いつつ部屋を出て行った。

 それを見たアゼレアは扉が閉まった瞬間、ニンマリと笑ってこちらをゆっくりと振り向き…………



(あ、なんか嫌な予感……)


「じゃあ早速、ヤリましょうか!」



 と言って荷物を放り出して案の定こちらに飛び掛かってきたのだった。






 ◆

 ◆


 




 『どうしてやろうか亭』の主であるロンメルは、今日この宿に泊まることになった先程の一行のことを思い出していた。



(上級魔族に聖エルフィス教会の高司祭と聖騎士に冒険者か……)



 面白い組み合わせの客が来たなと彼は考えていた。

 宿を経営する者の癖と言っては何だが、彼は宿泊客の人相や服装や言動を観察しその人となりを想像するのが好きだった。


 宿の経営に携わるまで趣味らしい趣味を持っていなかったため、先代から仕事中の暇つぶしにでもと教えられたこの想像がいつしか彼の趣味となっており、もちろん彼の勝手な想像で口にも出さないので誰もそんな想像をされているなんてわからない。


 また、想像していた内容と現実の人間模様が一致した時は自分の勘が正しかったことに密かに喜んでいたりする。


 先程部屋に向かった一行はここ最近では特に興味深い。

 冒険者が一緒にいるということは恐らく乗合護衛で一緒に旅をしているのだろうが、魔族や教会関係者が同道しているのは初めて見た。



(一体そこにどんな出来事があったのだろうか……)



 まず、あの黒髪黒目の人間種の男のことを想像する。

 年の頃は二十代半ばだが物腰が非常に落ち着いていて柔らかく、着ている服の洋装は見たこともないものだったが生地と縫製がかなりしっかりしていた。


 彼は冒険者ということだったが、あの言動や身なりからからすると冒険者というより商人と言ったほうがシックリくるので、もしかしたら何処かの豪商の次男坊か三男坊かもしれない。


 彼が乗合護衛の雇い主ということだったが、金貨を躊躇いなくポンと出す気前の良さは好感を持てた。厩舎番から聞いた話では大型の軍馬と人が乗れるように改造された大きめの荷馬車も彼の所有物だという。


 これらを聞くと、やはりどこかの商家の次男か三男あたりが趣味で冒険者ごっこをしているのかもしれないと想像を掻き立てられる。


 次に彼と話をしていた男達だ。

 彼らも冒険者ということだったが、黒髪の男とは同じクランではないらしい。


 特にリーダー格の男は人間種としてはかなりの長身で冒険者らしからぬ動きをしていたが、恐らく元は傭兵か軍人あたりなのだろう。それと彼の仲間という禿頭の弓持ちの冒険者と分厚く特徴的な外套を着込んだ魔法使い。この三人は中々の手練れと見た。


 宿の主人ロンメルは結婚する前は帝国各地の国境を警備する国境警備隊所属の元兵士だったが、彼の経験上あの3人はここ最近ではあまり見ないタイプの冒険者だ。


 装備も良く手入れが成されていて長年使い込まれているのは一目でわかったし、一見威圧感があり近寄り難そうだが実際には物腰は柔らかい。


 普通、生粋の冒険者辺りならガヤガヤとうるさく品位に欠ける者も多いし、中には何が気に食わないのか無駄に周囲を威嚇する者もいる。特に最近は遊んでばかりいた下級貴族の次男坊以下の者たちが職にあぶれて冒険者になる場合が多いからその傾向が顕著だ。


 あと、聖エルフィス教会の高司祭と聖騎士。

 この街は帝都に次ぐ規模の街であるため街中には高司祭が歩いているということは決して珍しことではない。


 しかし、この街にいる高司祭は男女問わず全員が優に五十歳を超えた者達ばかりだ。あのような妙齢の女性、しかもあんな美人は見たことが無かった。


 女性の聖騎士が護衛として付いているということは新たにこの街の教会に赴任してきたとは考えにくく、赴任してきたのなら普通は教会の宿舎に直行するだろうし、わざわざ冒険者と一緒に宿に泊まることは無い筈だ。ということは彼女らは明日出立ということも考えて向かう先はバルトの教会本部だろう。


 だが、高司祭が聖騎士に護衛されて本部に行くなど今まで聞いたことも見たことも無く、うちの宿に泊まったことがある高司祭もいたが全員、高司祭の世話役と思われる助祭や下級神官を従えているだけで護衛らしい護衛の姿は無かった。果たしてあの若い女性司祭は教会内ではどんな立場にあるのだろうか?


 そして今回一番驚いたのが、黒髪の男と一緒にいた女魔族だ。

 この街にも魔族は暮らしている。


 帝都と比べて冒険者の国と言われるバルト永世中立王国や魔族たちの国である魔王領から比較的近く、ある意味国境の街でもあるため魔族も一定数が住んでいるが、赤金色の目を持つ上級魔族などシグマ大帝国ではまずお目に掛れない。


 普通、上級魔族は下位の魔族を纏め上げる貴族でもあるため魔王領から出てくることは非常に稀だ。それこそ、魔王の国外遊説のときくらいしか見る機会がないのだが、なぜ上級魔族が共を従えずに単独で人間種の男と一緒にいるのだろうか?



(アゼレア・クローチェ。 姓があるということは紛れもなく貴族階級の魔族に違いない。

 しかし、クローチェという名前はどこかで聞いた覚えがあるのだが……)



 しかし名前が思い出せない。

 何か重要な意味があったと思うのだが、大帝国の貴族の家名と違い魔族の家名など普段の宿の経営とは無関係なため直ぐには思い出せないでいた。



「うーむ……おい、チコ。 クローチェという魔族の家名を聞いたことがあるか?」



 後ろの書棚で宿帳の整理の少年が手を止めてロンメルの方へと振り返る。



「なんですか、ロンメルさん?」



 チコと呼ばれた少年はどうしたのかとロンメルの顔を見る。

 彼は魔王領で暮らしていた人間種の少年で今年で十五歳になるが、この宿で働く他の人間種や獣人族、妖精族の少年や少女たちと同じで素直で屈託がなく真面目である点は一緒だ。


 彼はこの宿の従業員の誰よりも非常に聡明で記憶力が良く、チコならばあの魔族の名前を知っているのではと思い、ロンメルは聞いてみることにしたのである。



「クローチェという魔族の家名を聞いたことはあるか?

 恐らく、魔王領の貴族とは思うんだが……」


「クローチェと言えば、魔王領では有名な吸血族大公家の名前ですよ。

 魔王領には幾つかの種族の魔族が住んでいますが、竜族・吸血族・悪魔族・堕天使族・魔女族・人魚族が昔からそれぞれの種族や近縁の種族を纏め上げています。

 大公家は六氏族の族長に与えられている貴族の称号で、その影響力は魔王領では絶大です」


「何だと……!?」



 何故ロンメルが狼狽しているのか分からないまま、チコは言葉を続ける。



「因みにそれぞれの大公家は魔王軍の七つある内、六つの軍を受け持っています。

 兵員の数で一番規模が大きいのは悪魔族の西部方面軍ですが、龍の持つ強大な魔法とそれに伴う大規模攻撃を得意とする龍族率いる中央方面軍。

 浸透戦術と非対象戦闘を行う吸血族の北部方面軍。

 有翼種族による航空戦力を駆使しての制圧戦闘を行う南部方面軍。

 魔法戦闘全般を得意とする魔女族の東部方面軍。

 水龍族と共に水中戦を得意としている人魚族の海軍。

 あと、この他に魔王直轄の本国中央予備軍があります。

 クローチェ大公家は吸血族なので、族長は北部方面軍総監を務めているはずですよ」



 ロンメルはこれを聞いてチコに黙って先程の宿帳を見せた。

 そこには流れるような綺麗な字でアゼレア・クローチェという名前が書いてある。



「アゼレア・クローチェ。 これは、クローチェ大公家の次女の名前ですよ。

 長女は確かリドビアという名前でしたね。

 というか、何故宿帳にこの名前が書かれているのですか?」


「さっきこの宿に泊まりに来た女性魔族が書いていったものだ」


「ロンメルさん。 その人どんな感じの魔族でした?」


「人間種の女性と比べて背が高くて、薄紫の髪で目が覚めるような凄い美人だったな。

 あとは瞳の色が赤金色で腰に見たことがない剣を下げていたが……」


「僕が魔王領で見たアゼレア様とは特徴が若干違いますね。

 アゼレア様は魔王領でも一二を争う美貌と魔族の中でも数少ない赤い瞳と持つ武闘派の上級魔族として有名な方でしたが……」


「では、あの女魔族は上級魔族の名前をかたっているということか?」


「わかりません。

 魔王領の貴族は漏れなく上級魔族ですけど、彼らは貴族意識が人間種の貴族ほど高くないので、公式行事以外では平民にとってとても近しい存在なのです。

 しかし、だからと言って貴族の家名を騙って人を騙すようなことをすれば相応の処罰を受けます」


「では本物なのか?」



 チコの言うことにロンメルはますます訳が分からなくなった。

 人間種の貴族はその殆どがどこか偉そうな言動を取ることが多いのだが、魔王領の貴族階級の魔族は違うのだという。


 魔族は外見こそ人間種に近い者も多いが、種族的には全くの別になるので文化や習慣に多少の違いがあるのは認める。鬼人族であるロンメルでさえ、人間種の妻と時々種族的な習慣の違いで喧嘩したり口論になったりすることがあるのだ。


 しかし、いくら魔王領の貴族連中が庶民と近しい存在とはいえチコの言う通り貴族の名前で他人を騙せば罪に問われるだろう。


 人間種でも国によっては貴族の裁量で無礼打ちが許されているところがあるのだが、魔王領の法が軽いとも思えない。大公家の姓が魔王領にそう幾つも転がっているとは考えられないので、同姓同名という言葉は浮かんでこなかった。



「さあ、どうでしょう。

 僕は奥の事務所で朝からずっと帳簿の整理をしていたのでその方を見ていないので何とも言えませんけど、アゼレア様の名前を語っていた方は御付きの武官などは従えていたのですか?」


「いや、武官はいなかったな。 一緒に冒険者や教会の高司祭などはいたが?」


「すいません。 なおさら分からなくなりました。

 実物を見ないと、その方が誰なのか答えようがないです」


「そうか……」


「ただ、その方が本物にしろ偽物にしろ普通のお客様と同じように接していたほうが良いと思います。

 これだけ大きな宿を経営しているロンメルさんが他国とはいえ、大公家の名前を知らないのは問題ですけど、それを表に出してしまうと相手を不快にさせてしまう可能性が非常に高いです。

 その女性の方は大公家や魔王領について何か言っていましたか?」


「いや、特に何も言っていないな……」


「仮に本物の大公家のご令嬢だった場合、冒険者を従えているというのはおかしな話ですが、もしかしたらお忍びで旅行されているのかもしれません。

 その場合、派手におもてなしするのはかえって失礼に当たるかもです。

 相手が何か言ってくるまで、お忍びで旅行をしているのだと判断していたことにした方が良いかと思います」


「わかった」


「もし偽物なら、そのままにしていたほうが無難ですね。

 下手に首を突っ込むと面倒なことになるかもしれませんし……」


「そうだな。 じゃあ、あとでお前さんに顔を見てもらうとして、応対は通常で構わないな?」


「はい。 そのほうが無難かと思います」


「わかった、ありがとう。

 それにしてもチコは本当によく頭が回るなあ。

 これはもうおれは引退して、お前さんに宿を任せた方が良さそうだ!」



 自分が褒められていることに気恥ずかしさを覚えたのか、人間種の少年は顔を若干赤らめてはにかんだ笑顔を浮かべていた。






 ◇






 俺の上である意味で1匹のケダモノが荒い息を吐いていた。

 赤金色の瞳を文字通り爛々と輝かせてこちらを見下ろしており、興奮しているのか口からは熱い煙のような息を“フシュルルルルーーーーッ!!”と吐いている。


 熱く、しかしほんのりと甘い息が鼻にかかり脳髄が震えて全身の筋肉が蕩けるように弛緩していく。



(う、動けんっ!!)


「さあ! 覚悟は良いかしらぁ?」


「か、覚悟ってなに?」


「それはもうヤル覚悟よぉ!」


(マジですか!! とうとう俺もこの美女とめくるめく極楽の世界に!?)



 別に童貞というわけではないが、ヤル気になっている絶世の美女を目の前にして興奮しない男はいないだろう。


 頭の中では今俺にのしかかり、自分の腰をグリグリと押し付けてくるアゼレアとベッドの上でアダルト小説も真っ青なシッポリグッチョリの展開が次々に封切られて脳内劇場で高速自動上映されて行く。



「よっしゃああああああっ!! アゼレア、何時でもバッチ来ーい!」


「イクわよぉ!」


「応っ!!」



 そう言って俺は顔を近づけてくるアゼレアを思い切り抱きしめると、自分の胸板に適度な弾力と温かさを持つ双丘だ押し付けられると股間はますますいきり勃った。


 彼女はまず俺の首筋に顔を埋めて首筋を舐め始める。

 すると、人間の女性では感じることのなかった甘美な快感がズドンと脳天に突き刺さった。



「うお……!」


(すっげぇ……今、一瞬イキそうになったぞ!)



 もうここまで来ればアゼレアの父親のことなどどうでもよくなる。

 この展開を逃すまいと、俺の首筋をペロペロと愛撫するアゼレアの髪に鼻を埋めて彼女の匂いを胸いっぱいに吸い込む。



(ああ、いい匂いだなあ。 この匂いだけでイってしまいそうだ)


「アゼレア、首筋はもういいからこっちに顔を向けてくれないかな?」



 彼女の顔が見たい。

 そう思っていった俺の言葉を彼女は聞く耳を持たないとばかりに、一心不乱に右側の首筋をひとしきり舐めまくっている。



(なんか、こうも一所懸命に首筋を舐められると彼女が犬に見えてくるなあ……)



 しかし、健全な日本男児たる俺もこうも股間がいきり勃っているとさすがに我慢の限界だ。強引にこちらを向かせようと肩を掴んで一旦首筋から離させようとしたが、ものすごい力で離れようとしない。



(もしかして、勢いで襲ったけどいざとなると恥ずかしいのかな?)



 そう思い彼女の好きにさせようと暫く放っておいたのだが、一向に顔を上げようとしない。



(どうしたんだろう? あ、そういえばアゼレアは淫魔族と吸血族のハーフだったんだっけ?)



 ふとそんなことを考え、「吸血族って血を好むんだっけか?」と思いだした俺の顔は一気に青くなり、嫌な汗がブワッと背中に染み出す。



「おい、アゼレア! 一旦、俺から離れて……」



 そう言った瞬間、俺の首筋に激痛が走った。



「あいたあああぁぁぁァァァーーーーーーッ!!!!!!」


(痛えぇーーっ!!)


「痛たたたたたっ!! おい、アゼレア!! 痛い痛い!! お前、何やってるのよ!?」



 必死に彼女の首根っこ掴んで引き離そうとするが全く歯が立たない。

 しかも、彼女の口から“チュウチュウ!”と何かを激しく吸っている音が聞こえてくる。



「おいっ!? アゼレア、君は俺の血を吸っているのか!?」


(何でここでリアル吸血鬼始めちゃうのよ!?  普通ここは淫魔のほうでしょ!)



 とその時、ドタドタと部屋の外が騒がしくなった。



「ん?」


「エノモト殿、アゼレア殿、大丈夫か!?」



 荒々しくドアを開けて部屋に突入して来たのは聖騎士のカルロッタだ。

 部屋でゆっくりしていたのか鎧は着込んでいなかったが、右手には剣が握られている。



「あ、カルッタか? 助かった、アゼレアを引き剥がしてくれ!!」


「え? 何で?」


「何でって……この状態を見て変だとは思わないのか!?」


「うむ。 変というか凄くいやらしい感じはするな……」


「いやらしいって……カルロッタ、お前さん何か激しい誤解をしているよ!!」



 アゼレアに押さえつけられて天井しか見れないのでカルロッタがどんな顔をしているのか分からないが、声の雰囲気からして呆れているような感じが伝わってくる。


 このとき俺は知らなかったが、カルロッタからはアゼレアが俺に覆いかぶさり抱き着いているように見えていたという。しかも、俺が抵抗した所為でアゼレアの足の間に俺の膝が入りこみ足が絡み合ってひどく淫靡な感じだったらしい。


 しかも、俺の首筋に顔を埋めているアゼレアから“チュパチュパ”とぬめった水音が聞こえ、俺の股間にギシギシとベッドが軋むほど腰を押し付けてながら小刻みに震えているものだから、カルロッタはひどくバツが悪かったという。



「その、なんだ……すまん!」



 そう言ってドアが閉まる音が聞こえた。



「ああっ!? カルロッタ、違うんだこれは!! 俺は血を吸われているんだよおぉぉぉぉぉぉ!!」



 まるで浮気現場を押さえられた挙句、踵を返して部屋から立ち去る交際相手に釈明をする情けない浮気男のように悲鳴を上げた俺は、結局アゼレアが満足するまでそのまま血を吸われ続けたのだった。






 ◇






『あははははは! それは災難だったのう、孝司よ!』



 ノートパソコンの画面の中で美女が腹を抱えて笑い転げている。

 もちろん笑っているのは、この世界の神様であるイーシアさんだ。



「災難とかじゃないですよ! 本当に死ぬかと思ったんですから……」


『阿呆。 末席とはいえ、神の端くれであるお主がそれしきのことで死ぬわけなかろうが』


「でも、正直言って立てなかったんですけど……」


『暫くすれば自然と回復するて。 態々、儂を呼ぶ必要はなかったぞ?』



 そう言われても血を吸われまくるなんて初めてなのだから、そんなの分かるわけない。



「ま、次からは緊急でもない限り、自然に回復するのを待ちますよ。

 因みにこんな状態になったら、どれくらいの時間で回復できるんですか?」


『まあ、失血多量の場合でも傷が小さければ、ものの10分以内で回復するじゃろうて』


「そうですか……」



 カルロッタが部屋を出て行った後、俺は10分近く血を吸われ続けた。


 アゼレアは俺の血を散々吸って満足したのか、血を吸ったときの顔はまさに恍惚の表情そのもので暫くはうっとりとしてベットの上で余韻に浸っていたのだが、暫くすると正気に戻ったのか普段の凛々しい彼女には似つかわしくないほどオドオドと狼狽し、顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりしていた。


 が、その後気まずくなったのか、謝りながらすごい勢いで部屋を出て逃げて行ってしまう。

 アゼレアが部屋を出て行った後、俺は身体を回復してもらうためにイーシアさんに回線を繋いで神通力で身体を元の状態に戻してもらった。



『いやはや、それにしても惜しかったのう。

 アゼレアが孝司にのしかかったときは思わず儂も録画することを忘れて見入ってしまったが、いざコトに及ぶかと思ったら血を吸い始めるとは……ガッカリじゃよ』


「アンタ、見とったんかい!?」


『当たり前じゃろう。

 そんな面白いコト見るなというのが間違いじゃ!』


(ずうっと見ているくらいなら、血を吸い始めた段階で止めてよ!

 こっちは血を吸いまくられて目眩はするわ、頭は痛いわ、身体が痺れて動けないわで大変だったんだからね!)



 しかも、血を吸った本人は逃亡するわでどうにもならなかったのだから。



「お願いですから、次からは見ていたら止めてくださいよ?

 さすがに私も予告なしで血を吸われ続けるのは正直キツイです……」


『何を言うか。

 魔族とはいえ、美女に血を吸ってもらえるなど男にとっては正にご褒美じゃろうが!

 孝司、お主もお主じゃ。

 せっかく、あれほどの女子がわざわざ躰を密着させておるんじゃ、乳や尻を揉みしだくくらいせんか!』


「アホですか!?

 人生初めての吸血行為にそんな余裕ありませんよ!」


『ほお? ということは、余裕があったら揉みしだいとるということなのかのぉ?』


「んなこと言ってませんよ! 何を言ってるんですか、あなたは?」


『何って、ナニに決まっとるであろうが!』


「ああ、もう! アレでナニはもういいです!

 助けてくれてありがとうございました!

 また何かあったら報告しますのでっ!!」


『あ!? 孝司、ちょっと待……』



 “ブツン!”と音が聞こえてきそうなほどの勢いでノートパソコンのキーを叩いてイーシアさんとの接続を切る。



「まったく! あの神様は本当に欲求不満なのかね……?」



 ここ最近、あの神様とは下ネタ関係の話ばかりで真面目な話をした記憶がない。

 一応、雇い主(?)なのだから、しっかりして欲しいものだ。



「本当にこの世界は崩壊の危機に向かっているのかな?」



 ああもふざけた会話ばかりだと、本当に危機が迫っているのか疑問に思えてくる。



「それにしてもアゼレアは遅いなあ……どこに行っちゃったんだろう?」



 彼女が出て行ってしばらく経つが戻ってこない。

 部屋を見渡すと軍刀が壁に立てかけてあるし、籠手や警棒が入っているホルダーも机の上に置いてあるということは今の彼女は丸腰なわけだが、魔王クラスの魔族に危害を加えられるものはそうはいないだろうから、身の危険に関してはそこまで心配していない。


 しかし、いつまで待っても帰ってこないというのはさすがに気になる。



「……いないな」



 扉を開け廊下を確認するが、漫画のように部屋に入りづらくて廊下に蹲っている様子もない。


「何処に行ったのかね?」



 とその時、ちょうど部屋の前を女性の従業員が通り掛かった。

 先程部屋を案内してくれた従業員とは別の女性だったが、彼女に尋ねてみることにする。



「すいません。 ちょっとよろしいですかね?」


「はい、お客様。 何か御用でしょうか?」


「この女性見掛けませんでした? 私の連れなんですが……」



 そう言って以前、モバイル端末で撮影していたアゼレア画像を女性従業員に見せる。



「うわー! 何ですか、この精緻な絵は!? お客様がお描きになったのですか?」


「いや、描いたというかまあ……似たようなもんです。

 じゃなくて、この女性を見掛けませんでした?」


「あ、すいません。 

 その絵がまるで人がそのまま閉じ込められたと思うくらい綺麗でビックリしてしまって。

 確かに、このお方は見掛けました。

 今は一階の女性用共同浴場にいらっしゃるはずです」


「共同浴場?」


(なんでそんなところに? 別に血で汚れているようには見えなかったけど……)


「はい。 何か焦った様子で、ものすごい勢いで入っていきましたけど」


「分かりました。 ありがとうございます」


「いえ」



 そのまま部屋に戻ろうとして部屋にアゼレアの着替えを含めた彼女の荷物がそのままなのを見て、俺は慌てて廊下に出て行き、先程の従業員を呼び止めた。



「すいません。 ちょっとお願いしたいことがあるのですが……」


「はい?」



 一度部屋に戻り、ストレージからアゼレアの入浴セットを取り出して女性従業員に渡す。

 バスタオルと体を洗うためのタオル、その上に置かれている大きめの檜の風呂桶に入っているのは自然分解型のシャンプーやリンス、石鹸に乳液や化粧水、それと手鏡や日本剃刀と綿棒、整髪用の椿油などが詰まっている。


 あとは、アゼレアがベッドに放り投げていた着替えの入っている布袋を女性従業員に渡す。

 勿論、チップとして銀貨2枚を添えてだ。



「これを先程見せた絵の女性に渡して貰えませんか?」


「わかりました。 責任持ってお渡ししますね」



 チップを貰って女性従業員は満面の笑顔で俺からの用件を請け負ってくれた。



「ふう。 さてと……アゼレアが帰って来るまでの間、新しい銃を出しておくか」



 部屋に戻りストレージから新たな木箱を取り出す。

 ストレージから出て来たのは銃器が収められているいつものオリーブグリーンに塗装された木箱だ。

 他にも弾薬や弾倉が入っている木箱もそれぞれ2つずつ取り出した。



「やっぱり、新しい銃を木箱から出すときは緊張するなあ。

 このドキドキって、通販で注文した商品がようやく来た時のドキドキに似ているよ」



 それぞれ別々の木箱から取り出した銃器は当たり前だが、どちらも東欧製の銃器だ。

 一つはポーランド製の自動小銃WZ96 Berylベリル、もう一つはチェコ製自動小銃CZ-806 BREN2ブレン2 A1。


 どちらも5.56mm×45 NATOナトー弾を標準使用するポーランド軍とチェコ軍の現用自動小銃である。



「おお~! これがベリルとブレン2かぁ……」



 片方はAK自動小銃の流れを汲む銃、もう片方は旧共産圏の銃器デザインから大きく脱却した銃だ。


 ポーランドとチェコ。

 旧共産圏時代、そして冷戦終結後も優れた銃器を作り続けている国の自動小銃だけあってデザインも質感も非常に良い。 



「ムホッ! どちらも大きく綺麗な工場で最新の工作機械を用いて作られているから、何処もかしこもキッチリカッチリ出来ているなあ。

 こりゃあ、ぶっ放すのが楽しみだなあ〜」


「さっきから何をニヤついているの?」


「うお!?」



 突然耳元に甘い息とともに声を掛けられ、床に座っていた俺は死ぬほど驚いた。



「なななななな、な……ア、アゼレア!? い、いつの間に戻って来てたの!?」


「何時って、貴方が木箱を開け始めたくらいからよ?」


(うへえ。 そんな前から部屋にいたのかよ。

 ドアを開けた音なんて全く聞こえなかったぞ?)


「まったく……戻ってるなら戻ってるって教えてよ。

 もしこの銃のどちらかに弾を装填してたら、驚いてぶっ放してたよ……」


「ごめんなさい。

 タカシが凄く嬉しそうな顔で銃をイジっていたから、声を掛けづらかったのよ」



 そう言いつつアゼレアは俺の背中にしなだれ掛かる様にして抱きついた瞬間、俺は“ビキッ!”っと硬直する。背中に服越しだが柔らかく、しかししっかりとした温かい弾力が“ムニュウ”と押し付けられているのが分かった。


 俺の首に腕が回されると、まるで捕まえた獲物を逃さないとばかりにキツく締まってきて、それに比例して背中に当たる豊かな双丘の感触が心臓の鼓動と共にハッキリと伝わってくる。

 首に回された腕を見ると、どうやら彼女が着ているのは宿での夜の就寝時に愛用しているパジャマらしい。



(どうりで普段のスキンシップ以上に胸の感触がダイレクトに伝わってくるわけだ……って、そうじゃない!!)

 


 両手に本物の自動小銃。

 背中に絶世の美女と柔らかな甘い感触。


 ガンマニアとして男として……いや漢としてこの状況は望むべくもない状況であるが、横目で腕時計を確認すると時間的にもうそろそろ夕食の時間帯で、このままだと恐らく誰かが迎えに来る可能性が高い。

 来るとしたらスミスさんかカルロッタか、はたまたベアトリーチェか……



「ウヒッ!?」



 “ピチャア”と右耳にアゼレアの舌が当たり“ペロペロォ”と舐めあげられる。

 さすがは吸血鬼と淫魔のハーフ。


 舐められただけで人間とは比較にならないほどの気持ちよさだ。

 一瞬で俺の性欲に火が灯り、激しく燃え上り始める。



「ちょ、ちょ、ちょ……ちょっとアゼレアさん!?」


「さっきはごめんなさい。

 通常、吸血鬼は普段血を吸わなくても普通に生活できるの。

 特に私は淫魔族との混血だから吸血行為に対する習性は本来なら高くないはずなのに。

 でもね……以前貴方が私に飲ませてくれた精力剤のおかげで少し前から変なのよ」


(精力剤? ああ、例の栄養ドリンクの事か)


「へ、変? 何がどのように変なの?」


「自分でも分かりすぎるほど魔力が上がったわ。

 それに伴って外見も多少変化した……これは貴方も分かるでしょう?」


「ええ、まあ……」



 確かに例の栄養ドリンクを俺が飲ませたおかげでアゼレアの外観は変化した。

 背は若干伸び、髪も少し伸びたし、赤かった瞳は赤金色に変化して全体の雰囲気も少し鋭くなったと思う。


 俺はファンタジー小説の主人公のように魔力やステータスといったものが見えるわけではないが、確かに何かが違う気がする。



「でね、魔力以外にも変化があったの」


「なんですかそれは?」


「血」


「血?」


「そう血よ。 いえ、違うわね……体液が無性に欲しくなる時があるの」


「体液?」



 体液と聞いて普通は血液を想像するが、彼女は淫魔の血が通っている。

 吸血鬼は血液、そして淫魔が欲する体液と言うと……



「気付いたみたいね。 そう“コレ”よ」



 そう言って俺の股間をジーンズの上から触れるか触れないかで撫でるアゼレア。

 俺に背後から抱きついたまま、横から顔を出してこちらを向く。


 薄紫色の髪は既に乾いているようだが、風呂に入ったおかげで血行が良くなったのか、頬が上気して普段以上に色っぽい。



「今まではベアトリーチェやスミス達と馬車で移動していたから昼夜問わず一緒だったけど、宿に移って貴方と二人きりになっていると我慢できなくなってきたの。

 ねえ、タカシ。

 私が何故貴方の血を吸った後、浴場に向かったかわかる?」


「い、いや……」


「下着がね汚れてしまったの。

 貴方の血を吸って体がかつてないほど昂ぶって私の“ココ”がとても切なくなったの……」



 そう言って自分の下腹部をパジャマの上から撫でるアゼレア。



(こ、これは……誘われているのだろうか? いや間違いなく誘われているな……)



 しかし、一つだけ気になる部分がある。



「な、なあアゼレア。 先に聞いておきたい事があるんだが、ちょっといいかい?」


「なあに?」


(うひっ!? こちらの耳に熱い息を吹きかけるのはやめてよ!

 うわわわっ!

 耳の穴に舌を挿し込まないで!!)


「ど、どうしてアゼレアは俺にこんなことをするのかなぁって思って。

 俺より格好良くて強い男なんて世の中にゴマンといるでしょ?」



 背中を猛烈な勢いで駆け上がるゾクゾクとした快楽に耐えつつ彼女に尋ねる。



「そうねえ……最初は貴方のことは私の命を助けてくれた恩人としか思っていなかったわ。

 でもね、なんて言うのかしら?

 貴方と一緒にいると落ち着くし、さり気ない親切にグッとくるものがあるのよ。

 先程も私が何も持たずにお風呂に駆け込んだ後に宿の従業員に着替えを渡して持って来させたでしょう?

 ああいう優しさに惹かれるのよ」


「ああ……なるほど」


「それに今まではクローチェ大公家の次女として気を張って生きて来たけど、貴方にはそんなことは必要ない。

 仲の良い侍女や信頼できる部下にもある程度の所までは心を開けるけど私は大公家の娘。

 嫁いで行った姉に代わり将来の大公家を引っ張っていくには、例え家族同然の家臣の前であっても弱みになる振る舞いは慎まなければならないわ。

 でもこの世界に何のしがらみも無いあなたの前ではそんなことは必要ない。

 神様の前で虚勢張っても意味がないわ。

 逆を言えば、貴方の前でなら本当の自分を曝け出せる」



 そこには大公家の令嬢でも魔王のような強大な力を持つ上級魔族としての姿は無く、一人の女の子としてのアゼレアの姿があったような気がした。

 実年齢でいえば俺よりも遥かに長い時を過ごし、精神的にも大人な筈のアゼレアが小さく見える。



「タカシ、貴方はもしかして私の命を救ってくれたから私が惚れたとでも思ってた?」


「あ、いや……う〜ん、思ってました」


「こう見えても私は魔王軍の将校よ?

 あの時以上の危機に見舞われたこともあるし、死にかけた事だって一度や二度ではないわ。

 私が大公家の娘ということや魔族であるということで線引きせずに優しくしてくれる貴方に惚れたのよ」


「そうか。 ありがとう」


「タカシはどうなの? 私のこと好き?」


「ごめん。 最初助けた時から一目惚れだった。

 というか、容姿から性格から俺の好みどストライクで気が気じゃなかった」


「嬉しい」



 そう言った瞬間、アゼレアは俺の顔を右に向かせ口付けしてきた。



「ウムっ……!!」



 今まで経験したことのない激しいキスだった。

 舌が挿し込まれ、唇を貪られ人間では不可能な甘い唾液が口の中に流し込まれる。


 キスをしている間にも俺の劣情を刺激してくるアゼレアの目は完全に情欲に熟れきっていた。

 俺は自動小銃を床に置き、一度姿勢を変えてアゼレアに向き直り、今度はこちらからキスをして彼女を強く抱き締める。

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