第37話 策謀

 バルト永世中立王国の郊外を走る馬車があった。

 馬車は結構な速度を出して走っており、並走する騎馬四騎と後続の馬車一輌もほぼ同じ速度で走行する。



「何をモタモタしている! もっと速く走るんだ! 走れ走れ走れ!!」


「し、しかし、これ以上速度を出すと曳き馬に負担が……!

 それに車軸が耐え切れずに破損する恐れがあります!!」


「っち! クソが!!」



 馬車を操る御者の悲痛な訴えに対し速度を出すように指示を出した男――――茶色い髪を短く刈り込んだ端整な顔をしつつも何処か軽薄な印象がある青年――――現在のデリフェル商会会頭を任されているリヒテール子爵家の長男、デュポン・リヒテールは舌打ちする。


 事の発端は一時間ほど前、得意先のとある侯爵家の当主へと商品・・を配達してそのまま商品の説明と雑談をしていた時のことだった。


 そろそろ初老という年齢に近づきつつあるのに、くすみ一つない豊かな銀髪を後ろに撫で付け、立派に整えられた口髭を持ち、如何にも貴族という威厳を放つ商会の上得意の顧客である侯爵と今後入荷予定の奴隷について話していたところ、突然客間の窓硝子を突き破って鳥型使い魔が侵入して来たのだ。



「何事か!? 誰かある! 出あえ!」



 突然の闖入者に侯爵は声を荒げ、客間の外の廊下で待機していた武官達を呼ぶ。



「閣下、ご無事ですか!?」


「儂は大丈夫だ! それよりも魔物が侵入して来たぞ!!

 急いで駆逐を……」


「大丈夫です。 これは魔物ではありません。

 当商会が雇っている魔導士が放った連絡用の使い魔のようです」



 正体不明の、しかも全身真っ黒で赤く光る目を持つ不吉な鳥を見て魔物の襲撃と思った侯爵は部屋に飛び込んできた武官に使い魔の排除を指示しようとしたが、デュポンの冷静な物言いを受けて抜剣しようとした武官達の行動を手で制した。


 使い魔はそのままデュポンの傍まで飛んで行き、彼の前の机に降り立つと彼の顔を正面から見据える。


 それを見たデュポンは使い魔と視線を合わせるようにして自身も顔を真っ直ぐに使い魔を見ると、彼の頭の中に使い魔から魔法によって連絡事項を記した思考が流れ込んできた。



「……な、何だと!?」



 突如、声を荒げながら勢い良く立ち上がったデュポンに対し、正面に座っていた侯爵は何があったのかと驚いた顔で彼の顔を覗き込む。



「どうしたのかね? そんなに驚いた顔をして」


「失礼しました、侯爵殿。

 先程、使い魔から連絡を受けたのですが、どうやら我が商会が国軍警務隊と聖騎士団からなる合同部隊から強制捜査の執行が行われるという報告がありました……」


「な、何だと!? そ、それは不味いぞ……!

 万が一、君の商会が強制捜査を受ける羽目になったら、君だけではなく儂や他の者達も不味いことになるではないか!!」


「この報告が来たということは、恐らく連中は私が商会を留守にする機会を狙っていたのでしょう。

 私の予定を事前に知っている者は極僅かですが、もしかしたら部下の中に国軍警務隊や聖騎士団の連中に通じている裏切者がいる可能性もありますね。

 申し訳ありませんが、侯爵殿。

 私は急ぎ商会へ戻ろうかと思います」


「うむ。

 して、もし連中が既に強制捜査へと着手していたらどうするのかね?」


「その時は勿論、連中を潰すまでです。

 私の顧客は国軍や教会上層部内にもいますからね」


「そうか。

 くれぐれも証拠が残らぬようにな?」


「もちろんです。

 私もこんなところで転ぶわけにはいきません。 全力でこの危機を回避して見せます故」


「うむ……!

 何だったら、儂の部下を貸しても良いぞ?」


「お気持ちは嬉しいですが、これしきの障害は自分達だけで片付けようと思います。

 侯爵殿のお手を煩わせるまでもありません」


「…………分かった。 上手くいくことを祈っておるよ」


「ありがとうございます。 速やかにコトを収めて御覧に入れます」



 侯爵は暫くの間デュポンの目を見つめていたが、彼の強い意思が揺らぐことがないことを認めると引き下がるり、そのままデュポンは己の部下と共に退室して行った。






 ◆






「体調は如何ですか? 寒かったりしません?」


「ええ、大丈夫です。

 私達魔族はこう見えても結構頑丈なんですよ。


「そうなんですか?」


「そうですよ。

 じゃないと淫魔族は薄着にはなりませんし、魔女族も冬の寒い空を飛んだりなんてできませんから」


「確かに……言われてみれば、そうですね」



 馬車の中に女性特有のクスクスとした笑い声が響く。

 場所はバルト永世中立国の郊外にある街道から少し外れた住宅街裏手側の一角。


 とある住宅の裏庭にひっそりと駐車している馬車の中には一人の男と二人の女座っていた。

 全員共に若く、男は馬車の後方出入り口の陣取って時折外を見回していたが、女二人はそんな彼にお構いなしに世間話に興じている。



「エリアーナさんは魔王領の出身なんですよね?」


「ええ、そうです。 エフリーさんはどちらの出身なんですか?」


「私はダルクフール法国の出身ですわ。

 一応、聖エルフィス教会で神官をしています」


「神官ですか、凄いですね!

 以前、母から聞いたことがあります。

 聖エルフィス教会の神官を志す人の中には修練の一環として、数年間冒険者や賞金稼ぎになって徳を積む者もいると……」


「はい。 まさに私がそれですよ。

 私の場合、ギルド所属の冒険者としてセマが率いるクラン『流浪の風』の一員として活動しています。

 冒険者としての外部活動期間は三年間です」


「三年間ですか?」


「ええ。 三年です」



 聖エルフィス教会内で働く教会員は教会に加入した場合、幾つかあるが大まかに神官・僧兵・聖騎士の内三つのどれかを選ばないといけない。


 神官は主に組織内での施設管理に教会運営などを主にし、最も数が多く男女割合もほぼ半々といったところだ。


 対して僧兵は地球で言うところの軍隊に当たる。

 といっても男ばかりのムサイ野郎共の集団ではなくちゃんと女性もいるが、どちらかと言うと男性が多い。


 僧兵団は軍隊としての側面が強く、他の宗教組織との交戦や教会を排斥しようとする国家の軍との戦闘及び防衛を主任務にしている――――と言っても、バレット大陸内での大規模な宗教戦争はここ最近は全く発生していない上に聖エルフィス教会の評判は一部を除き、そこまで悪くないので僧兵団の規模は経費削減の大号令のもと年々縮小してきている。


 聖騎士団は僧兵部隊と比べると男女比はほぼ半々といったところで、入団した年によって男女比率に若干のバラつきがあるのと、僧兵団と違って教会特別高等監察局が独自に保有する軍事組織ではあるが、とある事件・・・・・を機に最近では軍隊というよりは警察組織の側面が強くなり、教会特高官に代わって教会内の治安維持が主任務なっていた。


 因みに聖エルフィス教会特別高等監察官は適材適所の実力主義を基本としているので、神官庁・僧兵団・聖騎士団から広く人材を集め、時には外部からも優秀な人材を登用することもあるが、これは単に腕っ節だけではなく、税や法、流通などにも明るい者が必要になるためだからだ。


 これは特別高等監察局が教皇直属の機関であり、聖騎士団では難しい教会上層部の不正行為の摘発任務が広範囲かつ多岐に渡るためである。日本で言えば警察庁と公安調査庁、国税庁、検察庁、公正取引委員会、厚生労働省などを合体させたような組織で局員の人数は秘匿されている。





 ――――閑話休題





 では聖エルフィス教会の神官であるエフリーが冒険者クラン『流浪の風』の一員として活動しているのかというと、これが神官としての修練の一環であるからだ。


 聖エルフィス教会に限らず各宗教組織の神官はそれぞれの宗教が信仰する神に仕え、教会の運営と施設の管理を司っている場合が殆どで教会が保有する武装組織としての人員は僧兵や宗教騎士によって構成されている。


 それでは教会内での武装組織以外の組織員を構成しているのは誰かというとそれは神官だ。


 神官の職務内容は僧兵や宗教騎士と比べてとても広く、極端な例で言えば、便所掃除や施設周辺の掃き掃除も神官の役目である――――勿論、人数が少ない辺境の教会施設になると僧兵や宗教騎士、教会にお祈りに来る信徒なども施設の管理運営に関わる場合もあったりする。


 基本的に神官は教会という非常に狭い世界で職務を遂行するので、国家の軍隊や治安組織、騎士団に領軍など外部組織との交流がある僧兵や宗教騎士と違い、信徒との交流を除けば一般社会と交流する機会が極端に少なく、思考が凝り固まって視野狭窄になることがしばしば見受けられる。


 聖エルフィス教会の場合、一般社会と隔絶された神官や僧兵、聖騎士の一部が組織内で汚職やひどい虐めを行なっていた苦い経験があるため、問題を解消する目的で教会本部が中心となって一般社会との交流を積極的に推奨しているのだ。


 その一環として神官個人の能力毎に様々な修練課程を設けており、エフリーが現役の神官でありながら冒険者として活動しているのも教会の外部修練課程の一環であるからだ。


 これは聖エルフィス教会だけではなく、今日こんにちの各宗教組織では普通に行われている修練のひとつであり、ギルドの冒険者登録名簿を見れば現役の宗教組織の神官が冒険者として登録・活動している例は掃いて捨てるほど多く見受けられるのが現状である。


 しかし全ての神官が修練として冒険者登録を行う訳ではなく、教会と何らかの繋がりがある商会や商店、市中の食堂にパン屋、他にも城や砦などで使用人として数年間働く。

 珍しいところだと、郵便物を運ぶ飛脚として汗を流す神官もいたりする。


 これらの修練課程は最短で一年ほどで、最長になると五年以上も自分が所属する教会の外で活動している神官もおり、その殆どが後に教会へ何らかの貢献を行なって組織内で順調に出世しているのが現状だ。


 中には神官の職を辞して修練先で再就職という形で新たな職に就く者もいるが、元神官が働いているということで教会と何らかの繋がりができるので、教会組織としては神官の再就職そのものには賛成の態度を表明している。





 ――――話を戻そう





 エフリーはエリアーナに己が神官でありながら、冒険者として活動してきたことをざっくばらんに面白おかしく話している。


 エフリー自身は奴隷として攫われて祖国から離れた地で一人きりで不安なエリアーナを励ましたい気持ちで自分の冒険者としての経験を話しているのだが、どうやらその効果はあったらしく、不安でいっぱいだったエリアーナの暗い雰囲気が徐々に明るくなっていくのが目に見えて分かった。


 エフリーとしても自分の話を食い入るように聞いてくれて時には口に手を当てて驚き、時にはクスクスと笑う彼女の表情を見ていると修練として冒険者を選んで良かったと内心思っていた。


 今の冒険者は昔と違い、ギルドが再編されたこともあり以前よりもその活動の幅が広がるようになる。


 それは命を落とす可能性も当然高くなるのだが、冒険者の多くはその可能性に対して一昔前ならば兎も角、現在のギルドの冒険者に対する制度を見るにあまり不安に感じている者は少ない。


 再編前の冒険者ギルドの時代であったら冒険者は死ねばそこまでで、何らかの事件や事故に巻き込まれて死亡してもそれはあくまで当事者である冒険者自身の責任で終わってしまっていたのだが、新しいギルドの下では先ず原因究明の調査に始まり、組合員や職員が関わった事故や事件に対して様々な調査が厳正且つ徹底的に行われるのだ。


 これは犯罪や事故、汚職の抑止の為にもギルドの冒険者科に関わらずそれ以外の各科共に重要視されており、調査や処理を行う専門の部署も存在し、それ相応の権限も有している。


 次に保険及び共済関係。

 これも以前のギルドでは考えられなかった制度だ。再編前のギルドの時代でも死亡保険や傷害保険は存在していたが、あくまで冒険者自らが個人的に外部の保険屋に赴いて掛ける保険であり、ギルド内部にこれらの保険・共済関係は存在していなかった。


 当時のギルドは加入している組合員に対して仕事を斡旋してその仲介した手数料を貰うだけの組織であり、後のことは殆ど関知しないというのが普通だったのである。


 しかし、時代が変わりギルドが再編・統合されるとギルド内部に保険制度を設けるべきとの声が組織の内外から多くなり、任意ではあるがギルド独自の共済制度が発足することとなった。


 これによりギルドに加入している者は冒険者だけではなく魔法使いや商人、船乗り、そしてギルド職員なども怪我や病気に罹った時に一定額の支払い請求を行うことができるようになり、死亡率が格段に下がるに至る。


 勿論、各科によって共済の加入額や口数は違ってくるが、『転ばぬ先の杖』というフレーズを合言葉に共済の加入者数は年々増加傾向にあるのも事実だ。


 また、共済には幾つかのプランがあり、掛け金は高くはなるが損害賠償や死亡後遺族に支払われる死亡保険金などがオプションとして存在しているので、一家の大黒柱である父親がギルド職員や組合員として活動し共済に加入していれば万が一、何かあったとしても家族に保険金やお見舞金が支払わる仕組みが整っているので、安心して仕事が出来るようになっている。


 このように現在のギルドでは職員や組合員に対して傷病、事件・事故に対する救済制度が整備されてきているのでエフリーのみならず、他の冒険者や魔法使いたちも安心して依頼を受けることが出来るし、個人の戦闘力が低い者が大多数である商人や海の上で働くために陸よりも遥かに危険度の高い船乗り達も、もしもの時に備えてギルド共済に加入している者が多い。


 勿論、救済制度が整っているとそれを目当てに有象無象の者達がギルドに加入しようと大挙して押しかけてくる可能性がるので、職員の採用や組合員の加入には一部の例外を除いて厳格な審査や試験、教習などが義務付けられている。


 エフリーが所属しているセマ率いるクラン『流浪の風』は全員がギルドの共済に加入している。


 共済金は月一でギルドの窓口で支払う形になるが、『流浪の風』はそこそこ名の知れたクランであり、それなりに高額依頼もこなしているので一般の冒険者クランにありがちな“冒険の資金繰りに苦慮”することも少なく、その上、教会からの依頼でエフリーをメンバーに迎えているので教会から一定額の補助金という名の迷惑料も支払われていた。


 現代の冒険者や魔法使い、一部の商人や農家などは背後にパトロンが付いていることもままある。


 それはどこかの国家や領主、王族や貴族に宗教組織、規模の大きい商会と様々だが、信頼性の高い組織や団体であればあるほど、それらをパトロンとしているクランにはわざわざ指名付きで様々な高額依頼が舞い込んでくる上に、依頼を持ち込んでくる相手もしっかりした身分を持っている者が多いのが現状だ。


 『流浪の風』の場合、聖エルフィス教会の神官であるエフリーがクランのメンバーとして活動しているので対外的に見た場合、クラン『流浪の風』は聖エルフィス教会がパトロンとして背後に控えているのと同義なので非常に信頼性の高い冒険者クランと思われている。


 クランのリーダーであるセマ自身は聖エルフィス教会の信徒ではないが、エフリーをクランのメンバーとして受け入れているしているお陰で教会関連の依頼はもちろん、聖エルフィス教会に入信している貴族や領主達からの依頼も舞い込んでくるし、信徒であるギルド職員から“同じ教会の神官が居るから”という理由で条件の良い依頼を回してもらうことも多い。



「三年というと私達魔族の感覚からは短く感じますけど、人族のエフリーさんから見たら三年という期間は長く感じるのではないですか?」


「そうですね。

 でも、クランのメンバーになったからといってずうっと冒険者の活動をしないといけないという訳ではないんですよ。

 時間があれば近隣の教会でお祈りもできますし。

 教会組織からの依頼を遂行中であれば、私だけではなくクランのメンバーも教会の関連施設で休むこともできますから良い事ばかりなんです」


「へぇー、凄いですね!」



 アリアーナは魔王領に住まう淫魔族の中級貴族の娘として生まれてこのかた、魔王領からは出たことがない。


 社会一般の知識としてギルドや冒険者の存在や仕事内容は知っているが、実際に本物の冒険者でもあるエフリーからギルドの仕組みや冒険者としての活動、神官としての役割を聞いて冒険活劇のお伽話を聞いて目をキラキラと輝かせる幼い少女の如く期待に満ちた目でエフリーのことを見ていた。


 それからもエフリーは今まで経験してきた神官としての苦労話や冒険者の話を物語仕立てでエリアーナに話す。時折、護衛として外を見張っているアジルバが自分の話に相槌を打っているが、話をするのはあくまでエリアーナに対してなのでこの時エフリーは彼のことは眼中になかった。






 ◆






「何だ貴様らは? 俺が誰だか知らないわけじゃないよなぁ?」



 住宅街に面した街道で他人を見下した偉そうな声が通りに響く。

 場所はバルト永世中立王国の郊外に位置する平民が多く住む住宅街である。

 その住宅街の中を走る街道上では非常に物騒な恰好をした二つの集団が睨み合っていた。


 片方はリヒテール子爵家長男にしてデリフェル商会会頭であるデュポン・リヒテール率いる商会の面々、もう一方はこの国の軍隊である国軍と思われる兵士の一個小隊。


 彼らデリフェル商会の者達は急ぎ商会へ戻る途中、国軍の検問に引っ掛かっていた。

 しかし……



「おい! 俺の顔は知ってるな?

 俺の胸三寸でお前らの首が文字通り飛ぶことになるんだぞ?」


『………………』



 彼の目の前に展開する兵士達は皆一様に押し黙ったままだった。


 人数は小隊規模だったが、何時設置したのか早朝この道を通った時には存在していなかった馬防柵が設置されて街道を封鎖し、馬車や馬、人の往来を阻害している。馬防柵は見た目にも非常に頑丈そうな造りで強引に突破することは賢明とは言えない。



「おい! 黙ってないで何か言ったらどうだ?

 その顔に付いている口は飾りか?

 それとも俺様の顔を見て怖くなったのかなぁ?」


「「ぷッ……!」」



 デュポンの挑発ともとれる物言いに彼の護衛役である冒険者や傭兵達が思わず吹き出す。

 しかし、国軍の兵士らは石像のように表情を変えず、口を一切開こうとしなかった。



『……………………』



 この時デュポン達は気付くべきだった。

 目の前の国軍の兵士たちが醸し出す独特の雰囲気に気を取られ、自分たち以外に他の馬車や通行人らが全くいないこと。


 周囲の建物のほぼ全てが出入り口を固く閉ざし、窓の鎧戸を下ろしたり、中が見えないように窓ガラスに布の覆いを施していることを。


 平民ならば、いや平民であるからこそ、自分達が長年住むいつもの街の雰囲気ガラリと変わっていることに住民達は敏感に反応していた。





 ――――平和な街の雰囲気が得体の知れない恐怖に塗り潰されていることを……





「いい加減よお、何か言ったらどうだ?

 何も無いのなら、このまま通ることになるぞ?」



 挑発するように話すデュポンに合わせるように彼の護衛達が下馬し、兵士らに近寄りながら腰に吊った剣の柄に手をかけて威嚇する。


 護衛達の顔はニヤニヤと笑っているが、目は笑ってはいない。

 デュポンが命じればそのまま兵士達に斬りかかりそうな雰囲気だ。

 そして、そんな彼らを見て隊長格と思われる兵士の一人が静かに口を開いた。



「殺れ」



 その瞬間、口を開くことなく立っていた兵士達が流れるような動作で剣を抜き放ち、槍を持つ者は音も無く得物を水平に構えて襲い掛かって来た。


 デュポンの護衛達はその動きを見て応戦すべく自分達も同じように抜剣する。

 しかし、彼らの動きは兵士らの動きに対して一瞬遅れてしまう。

 そしてそれは決定的な遅れとなってしまった。



「……うげぇっ!!」


「ぶほっ!!」


「ッぎゃあ!?」



 次々に斬り伏せられていく護衛達。

 馬上にいた者は槍で革鎧ごと胸を貫かれ、剣で応戦しようとしたものは首を刎ねられたり、剣を持った手を肘から切り落とされた後、革鎧の繋目から短剣を差し込まれて心臓を貫かれる。


 生きているのはデュポンと御者の二人だけ。

 時間にして十数秒の内に起きた惨劇は鮮やかというほか言いようのないものであった。



「くそっ!! 貴様らは一体何なんだ!?

 俺達にこんなことしてタダで済むと思うなよ!!

 魔を司る神よ、我に力を与えたまえ!! 火焔弾!!」



 目の前の惨劇に驚きつつも今までの経験でこのような修羅場に慣れているのか、ガタガタと怯える御者を尻目にデュポンは早口で炎の攻撃魔法の呪文を詠唱する。


 すると詠唱が終わるが早いか彼の目の前、約一メートル前方の空間に直径約五十センチほどの炎の球が具現化した。



「燃え尽きろッ!!」



 デュポンが叫ぶとともに炎の球が薄い煙の尾を引きながら音も無く高速で滑空する。

 目標は兵の指揮官と思われる男。


 自分に向かって攻撃魔法が放たれると予め予想していたのか、男は自身に飛来する火焔弾を避けようとする素振りを見せずにその場に立ったままだった。



「ッハハ!」



 滑空する火焔弾は古参の弓兵が射る矢よりも速い速度で指揮官の男へ向けて飛来して行ったが、万が一避けられてとしても火焔弾は爆散し、周囲に炎の雨が降り注ぐように設定されている。

 そうなれば致命傷にはならずとも相手の動きをある程度封じることが出来る筈だ。



(如何な屈強な兵士でも己に燃え移った炎を消さずにはいられまい!)



 自分を燃やす炎を消している間だけでも一人戦闘から脱落するだけで戦いはずっと楽になる。

 一番良いのは己を焼かんとする炎を消すために雪が降り積もっている道の上を転げまわったり、仲間の兵士が戦闘から離れて消火を手伝うのが一番の理想ではあるが。


 しかし、彼は失念していた。

 自身に放たれた攻撃魔法を前に逃げずにその場に踏みとどまっている場合、相手が何らかの対抗手段があるからこそ逃げないのだということを……



「……っば、何ィ!?」



 デュポンにとって目の前で起きた光景は予想外の出来事だった。

 火焔弾はあわや指揮官の男に直撃すると思われたが、その直前で男の部下である兵が間に割って入り装備していた盾を構える。


 前方に向かって構えた盾によって防がれた炎の塊とでも言うべき火焔弾は、盾はおろか兵士を燃やし尽くすこともなく瞬く間に霧散してしまったのだ。


 まさか己が創り出した火焔弾が煙も出さずに無効化されるとは思わなかったのだろう。

 デュポンはポカンと口を開けて呆然としたままである。

 しかし、それは致命的で取り返しのつかない瞬間でもあった。



「………………っご!! あ?」



 自分の腹、正確には左脇腹付近にチクリとした痛みが走った瞬間、下腹部に猛烈な熱を感じて顔を下に向けると、ちょうど臍の少し右下辺りから血に塗れた槍の穂先が顔を覗かせているではないか。



(さ、刺された!?

 なぜ? ああ、腹から槍が……槍が突き出ている!!)


「う、うあ…………ブホッ!」



 無意識に突き込まれた槍を押し返そうとするが自分の腕は言うことを聞かずにダラリと垂れ下がったままだった。それどころか口と鼻の穴から血が吹き出してきて満足に呼吸をすることが叶わなくなる。


 その間にも刺された箇所からは血がダラダラと流れ出しており、色鮮やかだった赤い血に途中から色の濃い赤黒い血液が混じり噴き出してきた。


 唐突に体から槍が引き抜かれると支えを失ったデュポンの体は馬車の荷台から転がり落ちるように雪が積もった地面へと音もなく落下した。



「ま、待て! …………ぎゃあ!!」



 自分の隣にいたことで唯一災難から逃れていた御者の悲痛な声と断末魔が聞こえたが、それもすぐに収まり辺りを静寂が支配する。



「制圧完了しました」


「ご苦労」



 薄れ逝く意識の中、己の血で赤く染まっていく石畳と雪しか見えない視界ではあるが耳だけはハッキリと周囲の音を拾っていた。


 その耳に男たちの声が聞こえてくる。

 何処か聞こえ方に違和感があるのは、一定範囲外にいる者に自分達の声を盗み聞きされないために何らかの魔道具を使っているためだろう。



「死体と馬車は如何しましょう?」


「後始末は後続の魔導士がいる班に任せて我々は先を急ぐ。

 我々の目的はあくまで商会を含むあらゆるモノの隠滅だ。

 この男を処分した今、ここに留まり続ける理由は無い」


「はっ! 了解しました!」


「班長、目撃者は如何しますか?」


「捨て置け。

 目撃者である近隣住民がいくら領主や役人に訴え出ようとも、ここで起きたコトは全て無かったことになっているし、我々はここに来ていない」


「はっ!」



 デュポンは氷のように冷たい地面の上で己を始末せんと襲い掛かって来た兵士らの会話を聞いて、彼らが国軍警務隊の所属ではないことに内心驚愕し、そして後悔していた。



(迂闊だった。

 冷静に考えれば奴らの装備は国軍警務隊のソレとは全く違っていたのに。

 何で最初に気付かなかったのか……)



 通常、国軍警務隊は軍隊とはいえ、この国の治安機関の一角を担っている。


 その国軍警務隊がそこらへんの盗賊ならまだしも、デリフェル商会のような国内外で手広く違法奴隷の売買を行う犯罪組織の首魁を背後関係も洗わずに一刀両断するのはどう考えてもおかしい。


 普通に考えれば護衛や御者は兎も角、商会の会頭であるデュポンは殺さずに捕らえて厳しい尋問を加えて商会と繋がっている人物や顧客の情報を徹底的に聞き出そうとするだろう。


 しかし、奴らは事前警告も無しに突然斬り掛かって来た。

 そして斬りかかっ来た兵士らの鎧には一様に所属や階級を示す徽章は無く、金属鎧は国軍警務隊の者達が着用する官給品の鎧とは僅かに形状が違っている。


 何時ぞや商品を届けた際に聞いたことがあった。

 あれは確か元国軍の予算決済部門の上級士官だった騎士爵位の客と他愛のない世間話をしていたときだったと思う。





『君は聞いたことがあるかい?

 国軍には表には出せない国や軍の汚れ仕事を秘密裏に担う部隊があるというのを?』


 いや、知らない。

 裏の世界にいるとそんな部隊や機関があるらしいというのは噂として聞いたことがあるが、あくまで噂程度でそんな連中を見た奴は一人もいない。


『そりゃあそうだろう。

 そんな物騒な奴らに襲われれば生き残るのは皆無に等しいし、運良く生き残っても殆ど連中は何処へと逃亡して雲隠れしてしまうからなぁ』


 そう言うアンタはその部隊を見たことがあるのか?


『いや、見たことはないな。

 だが、在職中にそれらしき書類は見たことがある。

 どんな秘密部隊でも装備や予算は必要だからな。

 勿論、そういう秘匿性の高い部署や部隊に関係する書類も部外秘に指定されていて、一般の軍人や軍属の目には入らない。

 だがな……』


 何だ?

 勿体ぶらずに言えよ。


『時折、何らかの手違いか偽装かは分からないが、一般部隊の書類に混じって出所が判らない書類が回って来ることがあるんだ。

 偶々、本当に偶々だったんだが実際に見たんだ。

 今まで眉唾程度でしかなかった部隊名をな。

 後にも先にもあの部隊名を見たのはそれっきりだった。

 で、その部隊名は…………』





(あの部隊名……もし、こいつらがあの部隊だったとしたら?

 クソ!

 俺達が奴隷をいくら売り捌いても国から一切お咎めを受けなかったのは、単に子爵家の後ろ盾を恐れていたのではなくこういうこと・・・・・・だったのか……)



 既に視界は暗くなり、遂には耳も聞こえなくなり感じられるのは鼻腔から嫌でも入ってくる己の生臭い血の匂いだけの中、デュポンは今までの上手く行き過ぎていた自分の商売を思い出し、自分達が何処かの誰かの掌の上で踊らされていたことに今更ながら気付いて思考の奥底でせせら笑う。



(結局、権力を良いように使っていたのは俺たちではなく、奴ら・・のほうだったか。

 …………先に地獄で待ってるぞ、サディアス)



 バルト永世中立王国の貴族家の一つであるリヒテール子爵家の長男として生まれ、国の権力者達と結びついて密かに違法奴隷売買を商っていたデリフェル商会の若き会頭として裏の世界では、それなりに名の知れた存在になりつつあったデュポン・リヒテール。

 彼の意識は永遠に目覚めることはなかった。

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