閑 話 不穏

「はあ……」

 


 雪が降りしきる冬、大理石で作られた長く広い廊下で一人の青年が肩を落とし、溜め息をつきながらトボトボと歩いていた。



「そこまで嘆息されなくてもよろしいのではないですか?」



 青年の後ろを付き従う女性が口を開く。

 その口調は、前を歩く青年の心の内を知っているかのような口調だ。


 

「しかしなあ、ヒルダ。 あれは……」


「みなまで言われなくても何を仰りたいのかこのヒルダ、心得ております」


「……はあ~」



 またもやため息をつく青年。

 よほど嫌なことがあったのかその足取りは重く、肩を落として腕をブラブラとさせて広い廊下を右へ左へと蛇行してゆっくりと進んでいく。



「しゃんとして歩いて下さいませ。 衛兵達の士気が下がりますよ」


「そうは言ってもなあ。

 今の俺はビシッとするのは不可能だよ。 主に心理的な要因で……」


「では、午後の公務はお休みになられますか?」


「休むことなんてできるか。

 特にこの後、重要な話があると親父から言われているんだ。

 聞かないわけにもいかないだろう……」


「では、もっと姿勢を正して早く歩いてくださいませ殿下。 

 陛下は既に執務室で殿下を待っていておいでですよ?」


「わかってるよ。 でもなあ……」


「でも、ではありません」


「はぁ~い……」



 そう言われて姿勢を正し、歩くスピードを速める殿下と呼ばれた青年。

 皇太子『エルク・フォン・シグマ』は、シグマ大帝国の現皇帝である『アルト・ルゥ・シグマ』の実の息子だ。


 美しい顔立ちの青年であった。年の頃は二十四歳。

 長くもなく、さりとて短すぎることもなく整えられた艶とボリュームのある金髪に透き通るような碧い瞳が印象的である。


 肌も内陸部の大帝国人特有の白い肌で、顔にはシミひとつない。

 高い鼻と彫りの深い顔立ちで、まるで国一番の彫刻家が作り上げたかのような容姿だ。


 細面で見ようによっては弱々しい感じがしてきそうだが、青年からは非常に力強い印象が伝わってくる。


 それは、彼が普段からこの国の近衛騎士団長から直々に、剣技を含めた戦うための術を教え込まれて鍛え上げられているだけではない。口では説明しがたい、何か特別な力のようなものが伝わってくるのだ。


 しかし、そこには恐ろしい雰囲気は微塵もなく、あるのは優しさだけ。

 この独特な雰囲気こそが老若男女問わず、大帝国中の国民から親しまれている数ある理由の一つだ。


 ヒルダは侍女としてこの皇宮において彼に仕えてかれこれ七年になるが、贔屓目を除いても貴族の子弟達に彼のような者はいないと確信している。


 勿論、貴族の子弟にも彼を凌ぐ容姿を持つ者など数多いるのだが、美しさと力強さを併せ持ち、高貴な身でありながら、何者にも等しく接することのできる気さくさを併せ持つ者はそういないであろう。


 

「殿下、そんなにヨランダ様の件が衝撃的だったのですか?」


「当たり前だろう……!

 出産時、母から俺を取り上げた女性が突如若返ってしまうとか……ありえんだろう?」


「それはそうですが……」


「大体、神の御意志か何か知らぬが、何故に若返るんだ?

 確かに彼女には俺達皇族や貴族連中も病や怪我で世話になっているし、市井の者達の中にも命を救われた者は多数いるだろう。

 しかしだ、神がその功績に報いるのならば、何か別の形でも良かったと思うのだがなあ……」


「言われてみればそうですね」


「彼女、下手したらお前より若返っていたんじゃないのか?」



 そう言って、ヒルダを一瞥するエルク。

 『ヒルダ・ドーム』はエルク付きの侍女ではあるが、元々は貴族出身の女性である。


 年齢はエルクより三つほど年上であり、肩まで掛かる銀髪をシニョンにして纏めており、エルクと同じ碧い瞳に長い睫毛、ともすれば冷たい印象を持たれがちな顔立ちだった。


 白い肌に右目の少し下にある泣き黒子が印象的で、どこか艶のある雰囲気でその仕草にエルクの心拍数が上がったことなど一度や二度ではない。均整のとれた、しかし出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるその肢体を我が物にしようと思った男は多いだろう。


 身長が180センチを優に超すエルクより頭ひとつ分小さいヒルダは、実はこう見えて一児の母である。


 元々、伯爵家当主である父親の意向で皇帝に忠誠を誓う意味もあり、奉公という形で皇宮に出されていたヒルダであったが、たまたま皇宮に参上していた宰相から見合い話を持ち掛けられて、その宰相の次男坊と結婚したのが四年前だ。


 辺境で伯爵の地位に就き、大農場を自ら経営して管理する名領主として名を馳せていたヒルダの父親はこの見合いにすぐに応じたのだという。当時、エルクはそのことを心から祝福し、ヒルダを通じて知り合った彼女の夫であり現宰相の次男であるサイラスは気の置けない友人となった。



「さあ? それはどうでしょうか」



 エルクの問いに惚けて返すヒルダ。

 彼女はヨランダの若返った姿を見て驚きこそしたが、女性として悔しがっているフシは無い。


 常に皇宮に参上し、エルクの御目通りを願う貴族の娘達は常に自身の美を気にしている。

 ヒルダも一人の女性として自分より遥かに年上の女性が自分より下の年齢に若返り、さらに美しくなっているとあっては内心面白くないのでは?と思っていたのだが、それはエルクの思い過ごしだったようだ。



「殿下、もうすぐ陛下の執務室です。 そろそろ……」


「ああ。 分かっている」



 そう言って私語を止め、口元をキュッと引き締めるエルク。

 執務室にいるのが、皇帝である父や侍従長だけであればそこまで気を遣う必要もないのだが、室内に閣僚や賓客が同席している可能性もあるので、ここに入るときは気を付けなければいけない。


 出入り口を見張っている近衛兵にヒルダがエルクが到着したことを伝えると、近衛兵の一人が己が立っている横の机に置いてある呼び鈴を四回鳴らす。すると中から侍従が顔を出し、エルクとヒルダの姿を確認しすぐに扉を閉じる。


 皇帝に皇太子が来たことを告げて入室の許可を取ってきた侍従は控え室から出て来ると、手に持っていた丸い石のような物をエルクに渡す。



「“コレ”を俺に渡すということは……」


「はい。 陛下より重大なお話があるようです」


「そうか……」



 それを聞いてドンヨリとした表情を浮かべるエルク。

 彼が手に持っている石のような物体は正式名称を『対象限定会話器』という魔導具である。


 何故“魔道具”ではなく、“魔導具”なのかと言うと、この石はとある魔導士が魔法石の研究中に偶然発見したもので、元はただの魔法石だからだ。


 この石は同じ石を持っている者のみと秘密の会話することが出来るが、持っていない者はその声を聞き取れないという性質を持っている。しかも、対になる同じ魔力の対象限定会話器でないと秘密の会話は成立せず、別の石を持っていても盗み聴きは出来ない。


 仮に目の前数センチで話をしていたとしても、同じ魔力の石を持っていないものは話はおろか、息づかいさえも聞き取れないのだ。


 しかし、話をしている者同士の視線や口の動き、身振り手振りでどんな会話しているのかを推測するのは可能なので、主に密室での会話に使用される場合が多い。


 この石を使用するときは大体に於いて国政や国家安全保障などに関する重要な案件であるという場合が多く、それを思うとエルクの気分は重い。国政や国防に関する話となると関係機関の閣僚や官僚も出席していることだろうし、コレを使うときは往々にしてキナ臭い話題が多いのだ。



「一体、どんな話を聞かされることになるのやら……」


「それでは、私は外でお待ちしています」


「ああ。 すまないな」


 こういう話のときは侍女であるヒルダや侍従長は部屋から出て行き、残るのは皇帝と閣僚、他はエルクのような皇室関係者のみ入室が許される。話の内容如何によっては、関係者以外が聞くと帝国の法により処罰される恐れもあるのだ。


 しかし、皇族や閣僚の身の安全のためとはいえ、常に側に控えており、かつ話を聞いてしまう恐れがある護衛を遠ざけるわけにはいかない。


 そのためにも、エルクが手に持っている対象限定消音会話石のような魔導具が必要なのである。

 警護の者と侍従が常に待機している控え室を通り、皇帝執務室の大きな扉の前に立ち扉を四回叩く。



「陛下、エルクです。 入りますよ?」


「うむ。 入れ」

 

 室内から皇帝の入室を了承する声が聞こえた。

 今から自分の父親である皇帝陛下から、どんな重要な話を聞かされることになるのかとウンザリしつつ、エルクは皇帝執務室へ入室する。






 ◆






 エルクが室内に入ると、皇帝以外の者達が全員起立して出迎える。

 正面の鉄のように硬いことで有名なトールという木から切り出された分厚い木材を用いた巨大な執務机の向こうに自分の父親である皇帝が座り、机の手前に配された応接用の椅子と机には錚々たる面々が揃っていた。


 帝国軍総参謀長に内務大臣に外務大臣と帝国情報省長官。

 他にも、国土管理室長や帝国軍魔法兵団長、国境警備隊総長に帝都治安警察軍将軍などなど。

 大凡、シグマ大帝国の国家安全保障の一端を担う者達のトップが集まっていた。



(これは……何かとんでもない事態が発生したかな?)



 エルクが内心そう思うのも無理からぬことであった。

 通常、皇帝の執務室にこのような面々がこんなに揃うことはなどまずない。


 内務大臣や外務大臣がここに参上することは皇帝の公務の都合上あり得ることなのだが、それ以外の面々が雁首揃えてここにいるのを見た記憶はエルクには無い。


 特に閲兵式などの季節でもないのに、皇帝に謁見する機会が殆どない国境警備隊や帝都治安警察軍の長がここに居ること自体とても珍しいのだ。そして、彼らが一様に気難しい顔をしていることを悟ったエルクの気分は益々ダダ下がりになる。



「よし。 皆、揃ったな?

 例の石は全員に行き渡っておるか?」



 シグマ大帝国現皇帝『アルト・ルゥ・シグマ』が重々しく口を開き、エルクを始め室内に居る者達を見渡して全員の手に対象限定会話器が握られているのを確認する。



「……うむ。

 これより皇室会議を始める。

 皆に予め伝えておくが、今回の会議は余が非公式に開いたものであり、公式な記録には残らぬ。

 なので、これから行われる会議は各個人の良識でもって己の中に留めておいて欲しい。

 故に正式な守秘義務を求める宣誓書の提出も求めぬ…………良いな?」


『はっ!!』


「うむ。

 では、立ち話も何であるから全員、先ずは着席しよう。

 エルクを除けば余もお主等もいい歳こいたおっさんだからのぅ。

 立ったままの会議は流石に身体に堪えるわい」



 皇帝の言葉にエルクを含めた全員が笑い、緊張感が満ちていた部屋の空気が若干弛緩する。



「さて……皆をここに呼んだのは他でもない。

 実はウィルティア公国で革命が起きた」



 全員が着席したことを確認した皇帝は開口一番、とんでもない爆弾を会議の場に投下した。






 ◆





 

「ふむ。 まあ皆が驚くのも無理はない。

 余も報告を受けたのはつい三時間ほど前じゃからな」



 そう言って肩を竦めたアルト皇帝はある人物の方を見て静かに頷く。



「ここからは私がご説明致します。

 昨日未明、と言っても日付が変わったので二日ほど前の未明になりますが、ウィルティアの『公都オスロ』において大規模な革命事案が発生しました。

 これに対し、ウィルティア公国近衛騎士団及び公都防衛隊が鎮圧に動きましたが、自らを革命軍と称する武装集団が公都周辺に続々と姿を現しました。

 革命軍は公都オスロに繋がる一帯の主要街道を封鎖して公都を完全に包囲し、程なくして進撃を開始。

 治安部隊側と革命軍側との間で若干の小競り合いはありましたが、国民への被害を憂慮した公王の指示により最終的に近衛騎士団と公都防衛隊は降伏し、革命軍により武装解除させられました」


『…………………………』


「近衛騎士団と公都防衛隊の降伏により、軍務省を始めとした各省庁は制圧され公城はほぼ無血開城。

 武装集団はそのまま城内へと突入し、側近らと共に投降して来た『公王アスパル』と『公妃マリエッティ』を拘束して現在に至っています」



 帝国情報省長官は一同に対して現状上がってきている情報を報告し終えると、質問はあるかとばかりにグルリと全員の顔を見回した。既に同様の報告を受けていた皇帝を除き、皇太子以下全員が唖然とした表情をしている。



「長官殿にお尋ねしたい。

 確かウィルティア公王にはそれぞれ二人の公子こうし公女こうじょがいたと思うが、現在はどうなっているのだ?」



 先ず立ち直ったのは帝国軍総参謀長である。

 子沢山で知られ、帝国軍の幹部にも自分の息子や孫が在籍していることで有名な彼は軍人というよりは、他人の子供であっても心配をする善良な人の親として、情報省長官にウィルティア公王の子息達の動向を訪ねていた。



「公子と公女達の動向についてですが、先ず第一公子は公王・公妃らと共に公城内の何処かに軟禁されていると思われます。

 第二公子及び第一公女と第二公女は国外遊説中だったため、難を逃れています」


「そうか……」


「因みに第一公女、第二公女は我が国とバルトの国境を越えて、現在はバルト側に入国しているのが国境警備隊の兵らによって確認されています」


「うむ。

 確かに長官殿の仰られた通りですな。

 公女殿下らの越境を再確認するように要請されたときは一体何事かと思いましたが、こういうことでしたか……」



 水を向けられた国境警備隊総長は一人納得した顔つきで情報省長官の返答に同意し、それを聞いた帝国軍総参謀長は公子と公女達が一先ずは死んでいないということにホッとした様子で着席する。



「現在、ウィルティア公国内では目立った戦闘は発生しておらず、国民は取り敢えず平静を装っています。

 が、革命軍から発布された戒厳令と街道の封鎖で物資や人の滞りが生じ始めており、内戦のなるのではと危機感を抱いたウィルティアの一部国民や商人、現地に滞在している冒険者や同国に派遣されている各国の武官、文官などが避難の準備を始めている模様です。

 公都オスロから逃れて来た避難民が我が国の国境に接するのは、恐らく本日の夕方頃と推定されます」


「長官殿、革命軍の規模や所属はどうなっているのでしょうか?」


「革命軍の素性についてですが、彼らはウィルティア四大上位貴族の内の二つである『フォスター侯爵』と『フェリペ侯爵』率いる領軍と公国軍第一、第二及び第四軍団であることが先頃判明しました。

 先に述べた、これら二つの領軍と公国軍三個軍団を主力にフォスター、フェリペ両侯爵傘下の中堅貴族が率いる領軍及び私兵部隊に加え、傭兵や冒険者、退役軍人を中心とした一般領民が民兵としてこれらに追随している形になっています。

 また、革命軍に参加している傭兵や冒険者らはギルド未加入の者が大半を占めているものと推察されます」


「首謀者の見当はついているのですかな?」


「はい。

 首謀者はフォスター侯爵で間違いはないかと情報省では睨んでいます。

 元々、『アスパル・マクファーレン公王』は領軍を持つ貴族の力が大きくなるのを警戒して中央集権化を積極的に推進していました。

 しかし、これを良く思わない派閥として古参貴族が寄り集まって組織した『貴族派』の中でも強硬派筆頭として有名なフォスター侯爵がこの革命行動を推し進めていたとの情報を我が省は掴んでいます」



 「要するに反乱か……」と情報省長官に質問した帝都治安警察将軍『アルフレッド・グスタフ』は呟く。


 帝都の治安を預かる帝都治安警察軍は反乱や革命といった言葉には非常に敏感だ。

 何せこの帝都ベルサには目の前の皇帝と皇太子を含めたシグマ大帝国の皇族とその血に連なる者達の他、諸外国の大使や文官・武官らが暮らしている場所であるため、反乱や革命といった事案が発生すると否が応でもここは戦場になる。


 敏感になるなという方が無理であった。



「因みに公国四大上位貴族の内、『ラースター侯爵家』と『ジョージア侯爵家』は『この革命事案には一切関与していない』という声明を発表し、現在は配下の各貴族家達と共に領軍を動員して各領内の守りを固めている真っ最中です。

 また、公国軍第三、第五、第六軍団は兵を非常呼集して即応体制を取りつつありますが、今のところは取り敢えず静観を決め込んでいる模様で、国境を警備している軍の部隊は依然として目立った動きを見せていません」


「それにしても近衛騎士団と公都防衛隊が武装解除とは……実際のところ被害はどれほど出たのですか?

 先ほど長官殿はと言いましたが、ほぼと言うことは絶対に血が流れていないということではないのでしょう?」


「仰られる通りです。 殿下。

 近衛騎士団と公都防衛隊の一部では革命軍からの降伏勧告に対して抵抗を続ける部隊があり、十数名の死傷者が出ているという報告も上がって来ております。

 それと、もう一つ懸念事項があります……」


「懸念事項?」


「はい。

 まだ裏が取れてないため未確認の段階ではありますが、ウィルティア公国と国境の一部を接している[ダルクフール法国]が『国境沿いに兵力を集結させつつある』という情報がギルド経由で我が省に入って来ています」


「ダルクフール法国か……」


「左様です。  殿下」



 情報省長官の口から出たダルクフールという国名を聞いてエルクはウンザリした表情を浮かべるが、それは彼だけではなく、父親である皇帝や他の者達も似たり寄ったりの表情になっており、事態がより複雑な問題に発展していることを思わせた。


 元々ウィルティア公国は『ウィルティア地方』という名前で、かつてはシグマ大帝国の一部だった。

 しかし、約四百年ほど前にシグマ大帝国から分離・独立して『ウィルティア公国』として出発しているのだが、建国当初からウィルティア公国は問題続きだったのである。


 シグマ大帝国はバレット大陸最大の国土を誇る大国で、最盛期は現在の約一.五倍ほどの国土を有していたが、さすがに国土面積が広すぎて大帝国中央の目が行き届かない場所が複数あった。


 当初はこれら中央の目が行き届かない場所に総督府や辺境統治機構を置いて何とか管理していたのだが、それでも完璧とは言い難く、監督するの役人らと地元商人らとの癒着や物資の横流し、そしてこれら役人の腐敗に不満を持つ農民の一揆=反乱などが頻発していたのである。


 そして時を同じくして、バレット大陸のとある国で『黒腐病』という凶悪な病原菌が戦争に用いられ、当該国周辺の国々にこの黒腐病が流入する危険性が高まったとき、当時のシグマ大帝国の指導者達はこれをきっかけに総督府、辺境統治機構を置いていたこれら地方や辺境の内、戦略的・経済的に国家運営に支障の無い箇所を中心に独立させて手放すことに決めたのだった。


 これによりシグマ大帝国は国土安全保障に割いていた莫大な予算や人員を街道や貯水池、各都市の上下水道などの整備に回すことが可能になる。その甲斐もあって低迷気味だった国内の経済活動にも活気が戻り、当時の者達は『汗と笑顔の祭り』という名称が後に付けられることになる経済バブルを謳歌した。


 一方でシグマ大帝国から分離・独立を果たした各地方や辺境は規模の大小はあれ、正式な国として新しい歴史を出発することになったのだが、すべての国が順調に滑り出せた訳では無いようで、問題を内に抱えて出発することになった幾つかの国の中にはウィルティア公国も含まれていた。


 ウィルティア公国はその名前からも判るように王族では無く、ウィルティア地方を治めていた辺境の公爵が国のトップに就く形で出発した国である。そのため王国や帝国ではなく、『公国』と名乗っているのだが、建国当初から公王家の者が不可解な死を遂げる謎の事件が発生し、国内の治安は中々回復せずに荒れた時代が続くことになった。


 これにストップを掛けたのが現公王とその妻マリエッティである。

 マリエッティはダルクフール法国王室の出身で前法王の実の娘であり、前法王夫妻の五人いる子供達のうち二番目に生まれた娘だ。


 当時、公王家で連続で発生していた不審死を懸念し、己の妻となった女性が不幸になることを恐れて一切の縁談を断っていた若りし頃の公王アスパル・マクファーレンであったが、ダルクフール法王家の再三の縁談申し込みと、「この機会を絶対に逃してはいけない!」と意気込む臣下達の説得にとうとうアスパルは折れたのだった。

 

 しかし、これが結果的に彼を救うことになる。


 紆余曲折を経て婚約まで漕ぎ着けたアスパルとマリエッティは国内外から盛大な祝福を受け、婚姻の際にはマリエッティの出身国であるダルクフール法国は元より、シグマ大帝国などの大国のほか[バルト永世中立王国]、[カリメート都市国家連合]などの中堅国家だけではなく、魔王領や各種族が統治する獣人・亜人国家からも王族が出席した。


 因みに魔王領からは魔王は出席しなかったものの、祝電を贈り、代わりに魔女族と堕天使族の族長が出席しているが、これはダルクフール法国の王族の血に魔族――――ぶっちゃけて言えば魔女族大公家の血が入っているからであり、しかもダルクフール法国王家に嫁いだ本人が未だに同国内で隠居生活をしているためだったからだ。


 そのため魔女族大公家は当然の行為としてアスパルとマリエッティの結婚式に出席したし、魔女族とは切っても切れない関係にある堕天使族の大公家も喜んで一緒に列席している。


 では何故、マリエッティがウィルティア公王家に嫁いだことが公王アスパルを救ったのかというと、それはマリエッティ自身の能力にあった。


 彼女を含めダルクフール法国王家には魔女族大公家――――要するに魔女族族長の血が少なからず入っているのだが、これはマリエッティから遡って三代前、彼女から見れば前法王である父の祖母が魔女族大公家の出身である。


 そしてそれは普通の人間種である他国の王族と比べてかなりのアドバンテージとなった。


 ダルクフール法国は国名に『法』という文字が入るが、これは『魔法』の法を表す言葉であり、同国が魔法主体の国家であることを意味している。これは国民の過半数が大なり小なり、何らかの魔法技術を行使できるという人間種主体の国家ではあり得ない状況を呈しているのだった。


 もし仮に魔法を使えない国民でも迫害や差別を受けることは殆ど無く、大半は魔導具や魔道具といった魔法関連の製品作りに関わっており、中には魔力を一切持っていないにもかかわらず、魔導石や魔法仗の製造や加工で国に仕官する魔法使い達から絶大な支持を受ける職人もいたりする。


 また国家の暴力装置たる軍隊においても、用いられる武力は魔法が主体であり、剣ではなく魔法仗、矢の代わりに魔導弾といった感じで本来であれば人間種主体の軍にとって虎の子である魔導兵団に相当する部隊が一般部隊として扱われているのだ――――勿論、騎兵や歩兵、弓兵等の兵科もキチンと存在しており、指揮官の殆どが魔法ないし魔導武具の扱いに習熟し、魔力特性の低い一般の兵卒にも何らかの魔導武具が貸与されている。


 このような魔法を主体として発展を遂げてきたダルクフール法国ではあるが、当然の如く、この国の王族には高い魔力特性が自然と要求されるのは仕方がないことであった。仮にそうでなくとも、ダルクフール法国の王族が受ける教養として魔法の知識は並みの魔法使いよりもずっと上であり、国によっては『師』や『先生』、『導師』と呼ばれてもおかしくないくらいの知識を成人までに身につける。


 そしてマリエッティから遡って三代前に魔女族大公家の血が入ったことでダルクフール法国王家の魔法に関する力は人間種では上から数えたほうが早いくらいに高い魔力特性を得ることになり、この魔力特性は当然マリエッティにも受け継がれたのだが、彼女の魔力は中堅の魔女にも匹敵するほど高く、それに加えて身体能力も通常の人間種に比べると格段に優れていた。


 王族の特権として魔法理論の教育は宮廷魔術師団長から、魔法の扱いは魔女族である曽祖母から手解きを受けた。肉体を用いた徒手格闘と武具の扱いは近衛騎士団長から容赦無い指導と扱きを受け、彼女は己が授かった才能をメキメキと向上させて行くことになる。


 王族でありながら魔法だけではなく剣や弓を含むあらゆる武具を使いこなし、公王アスパルと結婚する直前には当時ダルクフールでは最強の使い手と言われていた師匠でもある魔槍使いの近衛騎士団長を愛用の剣で挑み、自身はかすり傷一つ負わずに彼女は短時間で勝利に至った。


 この勝負は騎士団長が手加減した訳でも、ましてや彼の体調が優れなかった訳でもなく、マリエッティの体に流れる魔女族の血と本人の血反吐を吐くような努力の賜物であり、どちらか片方が欠けていたら近衛騎士団長には勝つどころか触れることも出来なかっただろうと後に彼女はそう述懐している。


 そんな歩く人間兵器ともいえるマリエッティがウィルティア公王アスパルと結婚したのは若干二十歳、公王アスパルは十八歳だった。公王アスパルより二歳年上だったマリエッティは普通の家庭であれば、姉さん女房になりがちな関係を王族として受けた教育で持って見事に公王アスパルを立てた家庭を彼と共に築いた。


 しかし、マリエッティとの婚姻で公王アスパルを救ったのは、そんな何処でも聞くような円満な夫婦生活などではない。マリエッティが真に彼を救ったと言われるのは、やはり彼女の持つ人間種としては強大な武力と魔力によるものであったのだ。


 実は建国当初から続いていたウィルティア公国王家の者達の不可解な死因は、密かに暗殺の憂き目に遭っていたのでは?と国民の間ではまことしやかに噂されているくらい連続で亡くなっており、ある時は謎の病に侵され、ある時は食事中に倒れたり、またある時は外遊中の事故死などなど……殆どの者達が老衰に至る前に不自然な死を遂げているのだった。

 

 かくいう公王アスパルの父母も諸外国を外遊中に落石で馬車ごと押し潰されて亡くなっている。


 そのため当時ウィルティア国民の間では公王・公妃両親の死によって王位に就いたばかりのアスパルもそう遠くない内に不幸な事故死を遂げるだろう……と早速噂される始末であった。

 それがマリエッティと結婚したことで全てが変わる。


 実はマリエッティはこのウィルティア公王家の者達が連続して不幸な死を遂げていることを婚約前から疑問に思っており、ダルクフール法王家も同意見であった。ダルクフール法王家はマリエッティとアスパルが婚約したことを機に、密かに自国の諜報機関を使って独自に歴代のウィルティア公王家不審死の調査を始めた。





 ――――ウィルティア公国内に居ては判らないことも外から見れば判ることもある。





 そんな気概で事件の調査を始めたダルクフール法国の諜報機関である『枢密院』は程なくして、とある貴族に行き当たった。



「フォスター侯爵家か……」



 息子のエルクがダルクフール法国の名前を聞いた瞬間、苦虫を噛み潰したような顔になったのを見て父親であるアルト皇帝はボソリと先に挙がったウィルティア公国の貴族の名前を口ずさむ。



「フォスター侯爵家はとうとう本性を隠すことを辞めたようだな?

 そうであろう、フェリオ長官?」


「仰る通りです。 陛下。

 アスパル公王の中央集権化政策の真の目的はフォスター侯爵家の弱体化を狙っていたということは公然の秘密と言っても差し支えないものでしたので。

 公王家の行動に危機感を覚えたフォスター侯爵が先手を打ったとも考えられます」



 フェリオと呼ばれた情報省長官である『フェリオ・ウェッソン』は皇帝の質問に対し首肯する。


 実は当時の帝国情報省の前身である帝国情報庁でも早い時期から歴代ウィルティア公王家の連続不審死の真相を調査していた。そして過程で行き着いた答えがフォスター侯爵家である。





 ――――フォスター侯爵家





 かの侯爵家はウィルティア公国建国時から存在していた古参貴族の内の一つで、その源流はシグマ大帝国のフォスター伯爵家から始まっている。


 元々フォスター伯爵家は当時のウィルティア地方の端、現在のウィルティア公国と隣国リグレシア皇国との国境付近を領地として治めていた貴族家でウィルティア地方とリグレシア皇国の国境通行税以外には大した収入は無く、あるといえば養蜂で得た蜂蜜をリグレシアに輸出して手に入る外貨くらいだった。


 しかし、ウィルティア地方が公国となって程なくしてフォスター伯爵家は巨万の富を得ることになる。


 この世界に転生した元日本人技術者がもたらした地下資源調査技術と掘削技術のお陰で、地中深く存在していた高純度の魔法鉱石が調査及び採掘が可能になり、自領の直ぐ隣のリグレシア皇国を含め、魔法鉱石を必要とする国に輸出が出来るようになったのだ。


 フォスター伯爵領から産出される魔法鉱石は殆どの魔法媒体に使えるほど用途が広く、また純度が高いこともあり、魔法の研究用に使用されることもあり、個人用というよりは研究機関や魔法学園、軍隊などの公的機関に販売されている。変わったところでは極少数が高位魔法使いの魔法仗の起動触媒の石として使われていたりした。


 また同時期にフォスター伯爵領とは反対側のジョージア伯爵領からも『蓄光石』なる特殊な魔法鉱石が採掘されるようになり、これらを公国の特産品として大々的に輸出がされるようになると、ウィルティア公国の経済は次第に好調になり始めたのである。


 因みに『蓄光石』とは文字通り外部から得られた光を石の内部に取り込んで蓄積して発光する特殊な魔法鉱石のことで、これと同じような魔法鉱石として『自発光石じはっこうせき』というものがある。前者は光量が少なくなってきたら外に出して太陽光線を一定時間浴びれば光量が回復するのに対して、『自発光石』は内部に蓄えられた光が無くなればただの石になるという欠点があった。


 そのため、繰り返し何度も使える蓄光石は自発光石よりも貴重とされ、各国の王宮や高級貴族の屋敷などで使われており、太陽の光を蓄えさせる為に晴れた日は中庭などで石の日光浴が行われていたりするのだが、勿論、盗難を警戒して兵士が付きっきりで警備をしている。


 これら各種魔法鉱石の輸出により経済が好調になり始めたウィルティア公国であったが、同時に鉱脈を持つフォスター、ジョージア両伯爵家の財政もシグマ大帝国時代と比べて段違いに良くなり、国内の経済活動と雇用に多大な貢献を行ったということでフォスター及びジョージア両伯爵家の家格は引き上げられて侯爵となった。


 しかし、このときからフォスター侯爵家はジョージア侯爵家とは正反対の道を歩き始める。具体的には次代の侯爵家の者達から歯車が狂い始めたのだ。

 

 ジョージア侯爵家はシグマ大帝国時代から公王家になる前のウィルティア地方を統治するマクファーレン公爵家とは領地が隣同士だったこともあり家ぐるみで仲が良く、ジョージア伯爵家からマクファーレン公爵家に輿入れしたこともある。


 その為、ウィルティア地方が公国となった後でも両家の付き合いは相変わらず良好で、ジョージア伯爵家が侯爵家へと家格が引き上げられてもそれは変わらなかったのだ。


 対してフォスター侯爵家は違った。


 シグマ大帝国時代、フォスター伯爵家はマクファーレン公爵家の領地からは距離が遠かったこともあり、両家の当主は帝都ベルサの皇帝の居城で行われる園遊会くらいでしか顔を合わせる機会が無く、繋がりは殆ど無いと言っても良いだろう。


 別にこれは不思議なことでもなんでも無い。

 通信技術や移動手段が現代の地球ほど発達していない異世界『ウル』では名前や噂だけは知っていても実際に顔を合わせて会ったことはおろか、手紙のやり取りすらしたことがないという貴族も多く、シグマ大帝国のような国土が広い国になるとその傾向は顕著だ。


 これはマクファーレン公爵家とフォスター伯爵家も同じで、両家の当主が皇城の園遊会場の立食中に初めてお互い顔を合わせた、というのが始まりである。


 では何故、公爵家から公王家となった歴代マクファーレン公王家の者達が次々に事故死して行った過程でフォスター侯爵家の名前が挙がるようになったのか?


 それは単なる偶然と不幸が重なっている。


 まず歴代マクファーレン公王家の者たちの内、何人かは実際の病変によって死亡しているのだ。

 元々公王家の者達は何の因果か心臓の弱い者が多く、初代公王から三代目までは食事中や就寝中に本物の心臓発作で亡くなっているのだが、死亡時のタイミングが悪くて見る者によっては毒殺か呪殺で亡くなったようにも見えたことが不味かった。


 現在の『ウル』であれば魔法技術と検死技術の進歩によって、余程巧妙に仕組まれた偽装工作を除いて死因も大凡判明するが、四百年も前であればそのような詳しい死因の調査など不可能で国がいくら箝口令を敷いたとしても人の口に戸は立てられないため、様々な憶測を経て公王家の死因が広がって行くことになる。


 しかし、ある時を境に公王家の者達が病気以外で不可解な死を遂げ始めたのだ。





 ――――階段を踏み外して転げ落ちた挙句、首の骨を折って亡くなった者。


 ――――食事中に毒殺される者。


 ――――就寝中に眠るようにして亡くなった者。


 ――――馬車での移動中に崖崩れによって、巨大な岩で馬車ごと押し潰されて死ぬ者。





 他にも公王やその家族の他、彼らの血縁者が様々な死を遂げて散っているのだが、これらの中には暗殺を行った実行犯が実際に捕まって激しい尋問の末に暗殺を主導した人間の名前が挙がった。



「実際のところ、当時のウィルティア公王家不審死の件にはフォスター侯爵家はどれくらい関与していたのだ?」


「当時の我が省が調べた結果、少なくとも八人の死には間違いなく関与しています。

 初代フォスター侯爵家当主は温厚かつ実直な人柄で、周辺貴族にも初代当主を慕う者は大勢いましたが、問題は二代目の当主――――初代当主の実子たる長男が人格的に難有りな人物でして……」



 皇帝の問い掛けに対して情報省長官は歯切れ悪く回答する。

 それもその筈で、フォスター侯爵家の二代目当主たるレグマイア・フォスターは感情の起伏が激しいことで有名だった当主であり、しかも欲深く嫉妬心を剥き出しにする性格の持ち主だった。



「ですが、王家に匹敵するほどの莫大な富を利用して自領の周辺貴族を従え、公国内においてその権勢を広げつつあったフォスター侯爵家であっても、他国に対しては圧力が効かなかったようです。

 現にマリエッティ公妃とその後ろ盾であるダルクフール法国に対しては、手を出すことが出来なかったようですね」



 公王アスパルがマリエッティと婚姻し、彼女が公城で一緒に暮らすようになると公王家とフォスター侯爵家一派との暗闘は一時期、水面下で激しさを増すようになったが、マリエッティの参戦により状況が一変し結果として勝利を収めることとなる。


 マリエッティはダルクフールが公城内に密かに潜入させていた同国の諜報機関である枢密院麾下の工作員と共同して公王アスパルを守り、更には自分の夫を殺そうと暗躍するフォスター侯爵家が雇った殺し屋を捕らえて尋問を行い依頼主を突き止めようと躍起になったのだ。


 しかし、複数の仲介人を介して行われた暗殺計画は確たる証拠を掴むには至らなかった。


 因みに、この時点で公王家とフォスター侯爵家の長年に渡る対立のきっかけを作った侯爵家二代目当主であるレグマイアは既に老衰で死亡しており、公王家と暗闘を繰り広げていたのは五代目当主のスティーブ・フォスターである。


 王家に喧嘩を売り、暗殺まで仕掛けていた張本人が暗殺ではなく老衰で死ぬというのはおかしいと思う者は多いが、フォスター侯爵家の貴族領があるのはウィルティア公国の端っこであるため公都から来る者と地元の人間との見分けは容易であった。


 フォスター侯爵領の者達は自分達の暮らしを豊かにしてくれた侯爵家に対して忠誠を誓っており、住民同士の結束が強く、余所者が居たりするとそれとなく住民達によって監視されてしまう。


 これは公都から派遣されてきた役人や兵士だけではなく、商売や依頼でやって来た商人、冒険者らも同じであり、地元出身の者でない限り温かく迎えられることはなかった。


 そのためフォスター侯爵を亡き者にしようとする公王家が派遣した暗殺者は侯爵領に容易に近付けず、また地元に馴染むことが出来ずに、中には侯爵領で商売を行う地元の商人の娘と結婚し、娘婿として長年侯爵領で暮らして隙を伺っていた暗殺者もいたが、最終的には侯爵暗殺に失敗している。


 逆に公王達が暮らす公都オスロは国内だけではなく、他国の者達も入り乱れる都市であったため、侯爵家から差し向けられる暗殺者の潜入は容易であり、公王アスパルと公妃マリエッティの暗殺は判明しているだけで四回も発生しているのだ。



「それにしても、二代目の侯爵家当主が以降代々の侯爵家の者達が公王家に反感を持つように仕向けるとはな。

 まさに狂っているとしか言いようがないのう?

 しかもフォスター侯爵家の後ろ盾というか、糸を引いているのはリグレシアなのだろう?」


「まったくもって仰る通りです。 陛下。

 時の公王も、まさかリグレシア皇国がフォスター侯爵家と公王家の対立を煽っていたなど、誰も想像出来なかったに違いありません。

 しかも、それが原因で次代の公王家と侯爵家が未だに対立していくなど……夢にも思わなかったことでしょう」



 皇帝の嘆きに対して情報省長官であるフェリオは賛同するかの如く肩を竦めながら、公王家と侯爵家の対立のきっかけとなった原因について言及する。

 すると二人の会話に対して疑問の声が上がった。



「ウェッソン長官、リグレシア皇国が糸を引いていたとはどういうことでしょうか?」


「おお、そういえばエルクは知らなかったのだな。

 実はの、当時の公王であった『フィリップ・マクファーレン』と侯爵家当主だった『レグマイア・フォスター』との対立の原因になった当初の切っ掛けは異世界からやって来た一人の少女が原因でのう……」


「異世界からやって来た少女……ですか?」


「はい。

 当時の記録によれば黒髪黒目で我々よりやや色が濃い肌を持ち、同じ言語を話していたらしいです。

 特徴的で非常に見目麗しい容姿の少女であったと言われており、この少女を巡って公王家と侯爵家は内乱一歩寸前まで追い込まれています」


「長官の言ったことに付け加える形になるが、後の調査で判明した内容によると、当時この騒動を利用して公王家と侯爵家の対立を裏で煽っていたのが公国と国境を接しているリグレシア皇国ではないかと指摘されておったのじゃ」


「では、今回のウィルティアでの革命事案は……」


「十中八九、リグレシアが何らかの形で裏で糸を引いとる可能性も否定出来んのう?」



 アルト皇帝は自分の息子が懸念していることに対して馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに肩を竦めた。






 ◆






「ふう……!

 それにしても、面倒なことになったなぁ。

 革命か…………」



 緊急の非公式会議が終わり、エルクは自分の執務室に戻っていた。

 関係機関の初期段階での情報共有は終了し、各機関の長達はこれから情報収集に徹することだろう。


 恐らく今日の夜には官庁街は蜂の巣を突いたような騒ぎになる。


 今後、各機関の下部組織の長やこの国のギルド本部長も交えた公式の会議が開かれ、ウィルティア公国の革命事案はこの国の国民が広く周知する出来事になる。


 まあ、その前に我が国やダルクフールに避難して来た商人や冒険者らによって民間レベルで情報が一気に広まることだろう。



「日本から来た少女にリグレシア皇国か……」





 ――――まさか同郷の人間がかなり前にこの世界へと来ていたとは驚いた。





 エルクはよく手入れされた革張りの椅子にどっかりと深く座り、日本から召喚された少女のことと今回発生したウィルティア公国の革命について考えを巡らせていた。



(ウィルティアはどうも国内で問題が発生すると、異世界の人間を召喚して問題解決を図ろうとする悪い癖があるな。

 いや、ウィルティアと言うよりかは『フォスター侯爵家が』と言ったほうが適切なのか?)



 建国から百年ほど過ぎた当時のウィルティア公国はここずうっと歴代公王の死亡という暗い話題が続き、これに拍車を掛けるように国内の経済は低成長が当たり前になりつつあった。


 一方、地下資源を採掘して輸出を行うフォスター侯爵領とジョージア侯爵領は共に安定した経済基盤を築いて着々と自領のインフラ整備を行い、領内に限って言えばプチバブルの状況が長年続いて領民の生活水準はかなり向上している。


 そのため、フォスター及びジョージアら両貴族領には隣接する貴族領を管理する中堅貴族たちがお零れに預ろうと昼夜関係なく使者を送り、時には貴族家の当主自ら直接交渉に臨む場面も多く見られた。


 ジョージア侯爵家は地道に自領と寄子の貴族領の発展に努めたが、フォスター侯爵家当主は別のことを考えるようになったのだ。





 ――――王位の簒奪である。





 公国という名の通り、ウィルティアは王族ではなく貴族が源流となった国である。


 シグマ大帝国のように皇族や王族が国を統治してきた国ではなく、貴族が治めていた貴族領とその周辺地域が分離・独立しているの上に建国からそこまで時間が過ぎていないのも、当時の侯爵家当主が王位簒奪の考えに至ったのではないかとエルクは考えていた。



「まあ、膨大な富を得れば禄でもないことを考える奴が出てくるのは、地球もこの世界も一緒か……」



 しかも、それを煽る奴が直ぐ傍にいるとなればのもしょうがない事なのかとエルクは一人執務室内で嘆息する。



「リグレシア皇国……か」



 シグマ大帝国と同じく古くからこの大陸に存在する国の一つではあるが、シグマ大帝国が広大な国土を持ち、『大帝国』というラノベであれば如何にも悪役っぽい名前を戴いているのに反して、この国は歴史上何処の国にも侵攻したことがない平和な巨大農業大国だ。


 元々、幾つかの中堅・小国家がお互いの利益と相互防衛を目的に寄り集まり、いつの間にか一つの国として成り立って来たのがシグマ大帝国の根幹である。


 それに対し、リグレシア皇国は元々は小国でありながら軍事力で周辺国を幾つか併合して成り立っており、国土はウィルティア公国とほぼ同等ながら、幾つかの植民地=属国を持ち、そこから富を吸い上げて繁栄を謳歌している正真正銘の覇権国家だ。


 実は当時のシグマ大帝国もリグレシア皇国の脅威にさらされており、兵力こそシグマ大帝国の方が多いが、リグレシアの持つ精強な軍隊は魔法こそダルクフール法国に一歩及ばないものの、統率が取れていて当時としては最新式の魔導兵器を幾つも開発・配備していた。


 国土が広すぎて国土防衛にザルな地域を抱えていたシグマ大帝国は度々リグレシア皇国の挑発的な軍事行動を受けていたが、その地域が独立前のウィルティア地方であり、リグレシアとの間に緩衝地帯を欲していたシグマ側は他の辺境地方と共に分離・独立を承認しするに至る。





 ――――あの覇権国家が純度の高い魔法鉱石や自発光石を産出する隣国のことを放って置く筈がない。





「恐らく中国と同じように百年単位でウィルティアを堕とす気なんだろうなあ……」



 中国が日本を堕とすために百年計画で日本国内部から役人や政治家、企業の重役達を侵食して行ったように、リグレシアもフォスター侯爵家を手始めに長い時間を掛けて徐々に搦め手で侵食して行ったに違いない。


 自ら武力侵攻を行わないのは戦争で鉱山で使う労働力が失われると、ウィルティアの友好国である魔王領やシグマ大帝国の軍事介入を嫌ってのことだろう。恐らく、ウィルティアの革命という名の反乱にもリグレシアの兵達が紛れている可能性が非常に高い。



「まったく、嫌な国だな。

 親父はリグレシアへの牽制としてウィルティアとの国境沿いに軍を差し向けるだろうが、これが反乱軍を刺激するようなことにならなければ良いのだがな。

 あとは……」



 机の上に置かれた地球のものよりは粗末な作りの地図を見ながら、エルクはさらに溜息をつく。

 そしてそのまま地図から視線を隣に向けるが、その時、部屋の扉をノックする音が響いた。



「殿下、お呼びでしょうか?」


「ああ。 入ってくれ」


「失礼します」



 部屋の主の了解を得て入室して来たのは背の高い男だった。

 身長は約190センチほど、太い首と広い肩幅にガッシリしている体にはやや不釣り合いな文官服、優しげな顔つきではあるが相手の一挙手一投足を見逃さない視線は見る者が見れば彼が油断ならない人物であると思うだろう。


 

「早速だが報告を聞きたいのだが……」


「はっ!

 殿下が探している者と思われる人物はバルトの国境を越え、現在は同国王都に到着している模様です」


「そうか。

 で、一緒に行動していた者達は?」



「まず冒険者三人ですが、彼らは『要対ヨウタイ』(『要追跡対象人物』の略)と別れた後はギルド統括本部近くの宿に泊まり、日々依頼を請け負っているようです。

 また、聖エルフィス教会の神官と聖騎士の二人組は『要対』と分かれ教会本部へと向かいました。

 監視を続行することも考えましたが、相手に隙が無く監視の継続は困難です」


「わかった。

 女魔族の方はどうだ?」


「はっ。

 女魔族は『要対』と依然行動を共にしています。

 ただ……」



 それまで淡々とエルクの質問に答えていた男の顔が曇り、苦虫を嚙み潰したような表情になる。



「どうした? 君が口ごもるなんて珍しいな」


「その……例の女魔族なのですが、どうも我々の監視に気が付いているフシがありまして……」


「ほう?

 この大陸でも有数の諜報組織を抱える我々シグマ大帝国の監視の目に気付いていると?」


「いえ、違うのです。

 気付いていないとも気付いているとも判断がつかないのです。

 監視を行っている我々に対して何らかの行動や警告がないので……」


「ふうむ……ということは気付かれていないということなのか?」


「分かりません。

 一応、気付かれているという前提で監視の継続を行っていますが、相手が相手なので迂闊に手出しができません……」


「だろうな。

 人間と魔族では基礎能力からして彼らには大きく引き離されている。

 ましてやそれが上級魔族であればな?

 しかし……」



 女魔族の意図が読めない。

 監視に気付いていないのならばそれで構わないのだが、仮に気付かれているとしたら何らかのアクションを起こしても良いだろうに。



「取り敢えず監視は継続だが、こちらからは絶対に手を出さないように。

 それと報告は何も無くても逐一行うようにな。

 ご苦労様、下がって大丈夫だよ」


「はっ! 失礼します」



 男が静かに退室して扉が締められるとエルクは椅子に座り直す。



「ふう。 大丈夫かな?」



 部屋から出て行った男と今もこの瞬間、『要対』と監視しているであろう者達の身を案じるエルク。


 先程まで話していた男は身分上は自分の秘書官ということになっているが、彼はエルク子飼いの諜報員兼護衛役である。元シグマ大帝国軍の情報将校で帝国情報省軍に引き抜かれた後、帝国情報省本部勤務の分析官まで上り詰めた諜報のエキスパートだ。


 上司がやらかした失態を被せられて左遷され、辺境の出先機関で連絡員として活動していたところ、辺境の視察で偶々エルクの案内役を任じられた際に彼の経歴を知った自分が己の直属の部下として迎え入れるべくそのまま帝都に連れ帰って来た。


 今では配下に帝国情報省勤務時代の伝手で集めた数十人の部下を抱え、自分の欲する情報を集めてくるちょっとした規模の諜報組織を束ねる長として働いてくれているが、そんな彼でも今回の件では苦戦を強いられているようだ。


 相手は魔族。


 しかも吸血族大公家の令嬢で魔王軍の現役将校で魔王領でも有数の武力の持主。

 仮に監視がバレれば魔王領との国際問題に発展しかねないし、下手をすると子飼いの部下達が消息不明になる可能性もある危険な相手。


 そんな化け物が行動を共にしている状態で『要対』を監視するのはさぞかし神経をすり減らすことだろう。しかも、こちらの監視に気が付いているかもしれないという微妙な状況である。



「まさか……こちらの監視に気付いていながらわざと泳がせているとか?」



 そんな筈はないとエルクは気を取り直す。

 部下達はさっきの彼も含めて長年、各機関が抱えている情報・諜報部門の第一線で活躍して来た諜報のプロばかりで、中には暗殺や誘拐、破壊工作の任に長年就いていた者もそれなりにいる。


 仮に監視がバレたとしても、彼らなら上手くやることだろうと信じているのだ。



「それにしても上級魔族か。

 教会以上に厄介な存在が一緒にいるとはな……」



 そう言いながら、彼は机の上に置かれた一枚の紙に目を通す。

 机の上に置かれた地図の隣には一枚の藁半紙があり、何かの絵が描かれていた。


 模写するために実物よりも大きく描かれているが、詳細に書かれた


 色こそ付いていないが、細い筒は途中から絞りが施されて先端はより細くなっている。

 俗にいうボトルネックという加工だ。



「遺留品を模写する前に消えてしまったから、記憶が定かな内に関係者全員で絵を描いた……か」


 この絵の他にもいくつか記憶を頼りに描き出されたものが存在しているが、この絵が一番上手く描けているとエルクは評価していた。



「しかし、コレが消えてしまったのに対しては消えなかったんだな?」



 そう言いながら彼は立ち上がり絵から背後の執務室の壁へと視線と移す。

 壁にはハンガーを引っ掛けるための突起が幾つか並び、そこには木製のハンガーに掛けられた服が提げられている。


 一つは寒い城内を移動する際に己の身体を冷やさないように、この国でも一流の職人達の手によって仕立てられた豪奢なコート。皇族としての威厳を保ちつつ、それであって嫌味に見えない程度に華美な装飾が施されたコートは一般庶民であれば家族を一年養えるほどの金額を掛けて作られている。


 

「はは、やはり日本製だな。

 縫製は正確無比という言葉に尽きるし、俺専用に仕立てられたコートよりも軽くて暖かいなんて」



 自嘲するような言葉と共に己の為だけに仕立てられたコートの隣には同じように木製のハンガーに掛けられたコートが吊られている。黒く、一見すると地味に見えるフードか付いたコートは見る者が見れば驚くような精緻な縫製に目を見張ることだろう。



「まさかダッフルコートをこの世界で見ることになるなんてな……」



 目の前に提げらているコート。

 それは自分が前世で生きていた日本では冬になると当たり前のように見掛けることが出来たダッフルコートだった。



「まあ、コートだけなら余り危機感は覚えなかったんだがな……」



 ダッフルコートから再び机の絵を見つめる。

 本来であればこの世界では存在していないはずのモノ。


 前世の記憶を持ったままの己が地球で得た知識とこの国の技術者を総動員しても作れなかったモノが藁半紙には描かれていた。



「ライフル弾か……」






 ◇






 シグマ大帝国の帝都ベルサ。

 そのベルサにて威容を誇る巨大な城である皇城『マリウクス』。


 皇帝を始めとした皇族が住まう城の一角に皇太子エルク・フォン・シグマの執務室はある。



「……………………」



 そして部屋の主はおろか、城を護る兵士や魔導士達にさえ気付かれることなく、気配を殺して静かに窓の外から室内を覗く一匹の生き物がいた。


 窓の縁に上下逆さまにぶら下がり、黒い体毛に赤い目、兎のような大きな耳。



「……………………」



 部屋の主が退室して明かりが消えると、その生き物は雪がちらつく曇天の空へと静かに飛び立つ。


 高度を取り、暫く飛行すると生き物の目の前に青く輝く魔法陣が出現し、生き物は躊躇することなくその魔法陣の中へと進んで行く。



「………………!!!!!!」



 魔法陣に生き物がすっぽりと入った瞬間、“ドンッ!!”という衝撃音と共に生き物は瞬間的に加速して青く光る魔法の軌跡を残して飛び去った。

 目指すは己の主が待つバルトの街。


 もし、渡り鳥がそれを見たらさぞかし驚いたことだろう。


 竜以外で山脈を越えるほどの高度で飛べる者がいたこと、彼らを越える速度で飛翔することが出来る生き物がいたという事実に。


 一匹の“蝙蝠”が山脈を越えて行った事実を知る者は主たる『彼女』を除いて誰もいない。

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