第35話 突入(2)
――――ドンッ!! ドンッ!!
通路の向こう側から爆発音が2回連続して響く。
建物の中だからなのか、それとも炸薬の量が多かったからなのかは分からないが、以前ゴブリン共に対して使用したチェコ製手榴弾よりも鼓膜と腹の底にズシッと来るような大きな炸裂音だった。
直後に埃を伴った灰色の生暖かい空気がこちら側にムワッとやってくるのが視界の端に入る。
「…………アゼレア、大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。 全く問題ないわ」
床に伏せたまま、顔だけを右隣に向けてアゼレアの様子を確認するが、彼女は俺の問い掛けに対して答えると直ぐに立ち上がり、己に付いた埃を払うこともせずに曲がり角の向こう側、デリフェル商会正面出入り口を確認する。
「……どうやら上手くいったようね」
「どれどれ……?」
アゼレアと共に俺が見たのは未だ埃が漂う中、床に倒れ伏している複数の人間の死体だった。
以前、シグマ大帝国において犯罪者紛いの憲兵に対して使用した旧ソ連製のPOM-2散布対人地雷と違い、腕や首が吹き飛んでいる死体はなさそうだが、代わりに手榴弾が炸裂した際に飛散した破片によって露出している肉体が破壊された死体が複数ある。
自動小銃を油断なく構えながら近付いて行くと、よりはっきりとその惨状を見ることになった。
金属鎧や籠手を装着している部位はそれほどでもないが、露出している手は指が千切れ飛び、顔面には複数の破片が突き刺さって鼻や耳が削ぎ落された死体が幾つもある。
他にも眼球や額に刺さった破片によって顔面が著しく破壊されていたり、爆発時に口を開けていたせいで顎が吹き飛ばされて舌がだらりと垂れ下がっている死体もあったが、呻き声なとは一切聞こえないことから、全員がほぼ即死状態だったのだろうと思われた。
「凄い威力ね。
手の平に収まるほどの大きさの爆弾が爆発しただけで、ここまで凄惨な死体が出来上がるなんて」
床にしゃがみ込み、破片によって傷つけられた死体を検めているアゼレアは眉一つ動かすことなく手榴弾の威力を目の当たりにし、感心した様子でそんな感想を漏らす。
「まあ、これだけ狭い空間で爆発すれば、こんな惨状になるのは当然だとおもうよ?
普通は『破片手榴弾』ではなく、『攻撃用手榴弾』っていう主に爆風で敵を加害する手榴弾を使うのだけれどね……」
通常、地球の軍隊ではこのような建物内の狭い空間では、爆発時に発生する爆風を用いて敵兵を殺傷する攻撃用手榴弾を使用するのが一般的だ。破片を周囲に無差別にばら撒く破片手榴弾を建物内で使用した場合、飛び散った破片で味方を巻き込む恐れがあるので屋内で使われることは少ない。
しかし、俺はそんな破片手榴弾をよりにもよって2個使うという暴挙に出た。
その理由としてはこの世界では兵士にしろ冒険者にしろ、身体を守るための防具と言えば硬い革鎧や金属鎧、盾などが一般的であるため『爆風を用いる攻撃用手榴弾だけでは威力不足になるのでは?』という懸念からである。
敵に手榴弾から発生した爆風を魔法や防具で凌がれて反撃に転じられると厄介な状況に陥るため、相手を確実に殺傷することを目的に破片手榴弾を選択したのだが、その考えは間違ってはいなかったようだ。
「むう……」
自分が作り出したこの状況下でさすがに吐くことはないが、やはりこの光景は良いものとは言えない。
手榴弾が炸裂したことによる火薬のにおいと生臭い血の匂い、それと埃の混じった空気が鼻腔を刺激し気分は最悪、気分的には船酔い一歩手前のような感じだ。
「扉は……やはり変形しているようね」
爆発時に爆風で変形したのだろう。
アゼレアの視線の先には僅かながらくの字に変形し、手榴弾の破片で表面が傷ついた鋼鉄製の扉がドア枠に張り付くようにして立っているが、素人目に見ても容易に撤去できないことが分かる。
(これではラージさん達、治安機関の人間が建物に入れないかもしれないな……)
「うーむ……どうしようかこれ?」
「どうしようもこうしようも、扉を撤去するしかないでしょうね」
「どうやって? また扉を蹴り飛ばすの?」
そうなったら外にいるラージさん達に吹き飛ばされた扉が飛来して危険ではないだろうか?
「そんなことしないわ。 こうするの……っよッと!」
そう言いながら変形した扉に手を掛けたアゼレアは、まるで重い荷物をロッカーから引っ張り出すような要領で扉を手前に引っ張り、そのまま持ち上げる。
(ええぇぇぇぇーーーーっ!!??)
内心驚く俺を他所に、彼女は取り外した扉をそのまま右へとスライドさせて壁に立て掛けた。
「ふう! これでいいかしらね?」
「う、うん……いいんじゃない?」
(毎度毎度、アゼレアの怪力には驚かされるけど、魔族ってのは皆こういう馬鹿力の持ち主なのかな?)
正直言って、アゼレアを含めた魔族達がこの大陸の人間国家と敵対していなくて本当に良かったと思う。
もし彼女とどこかの段階で戦うことになっていたら、銃器だけで対抗できていたかどうか怪しいものだ。下手をすればイーシアさんに頭を下げてでも、この世界に戦車を投入しなくてはいけなかったかもしれない。
それほどまでに、アゼレアの戦闘力は俺の目から見ても異質なものに尽きる。
「そこにいるのはエノモト殿とクローチェ少佐殿ですかな?」
不意に聞き覚えのある声が外から聞こえてきたのでそちらに顔を向けると、そこには剣を持つラージさんら国軍警務隊の面々が注意深く周囲を警戒しながらこちらへ歩いて来るところだった。よく見ると、少し後ろにはマルフィーザさん率いる聖エルフィス騎士団の姿もある。
「ああ、ラージさん。 外の制圧は終わったんですか?」
「ええ。
外にいた商会の者達は剣以外、大した武器を持っていなかったので魔導弾だけで容易に制圧できました。
連中の中に魔法使いがいなかったのは幸いでしたな」
ラージさんは俺の顔を真っ直ぐ見て話しているが、彼の後ろに続く同僚や部下は手榴弾によって爆殺された傭兵や冒険者達の死体をしかめっ面で見下ろしていた。殺害方法を詳しく聞かれたくなかった俺は彼らに質問の機会を与えないようにしつつ、さっさとこの場を後にするべく、ラージさんに引き続き依頼を遂行する旨を伝える。
「では、私とアゼレアはこのまま中へ戻って引き続き奴隷と第二公女の捜索を続けますね」
「了解しました。
我々は出入り口を封鎖して敵の逃走を防ぎます。
お二人ともご武運を……!」
「はい」
ラージさんらの敬礼に対して無言で敬礼を返しているアゼレアを伴い、そのまま元来た道を戻り、俺はセマたち冒険者グループが向かった通路へと歩を進めた。
◆
冒険者達と合流するためにデリフェル商会の奥へと戻って行った孝司とアゼレアを見送ったラージら国軍警務隊の面々は、足元に倒れている複数の死体を検めていた。
「准尉、そっちの遺体はどうだ?」
「酷いものです。
黒焦げの死体は見当たりませんでしたが、代わりに顔や手足が著しく破壊された死体が目立ちますね。
どうやったらこんな惨いことが出来るのか……これだから冒険者は加減を知らなくて困る」
ラージは自分の部下が孝司ら冒険者に悪態をついているのを黙って聞いていた。
確かに冒険者の中には加減を知らずに殺り過ぎるきらいのある者もいる。
それこそ下手をすると犯罪行為スレスレの行為を行う者もいたりして、その法的処理に苦労することも過去には何度かあった。
「そう言うな。
ギルドが正式に承認した依頼で報酬が出るとはいえ、本来ならば我々、国の人間だけで当たるべき事案であるのに彼らには命を懸けて関わって貰っているんだ」
「……すいません」
「しかし、この惨状は魔導弾による攻撃ですかね?
それにしては黒焦げになっていたり、激しい火傷を負った遺体が見当たりませんが……?」
准尉の側でしゃがみ込んで遺体を検分していた軍曹がラージに質問する。
彼の質問にラージはその疑問はもっともだと頷く。
通常、投擲魔導弾による攻撃では魔導弾が破裂した際に発生する爆炎で体を焼かれるか、爆風で吹き飛ばされてしまうかのどちらかだ。前者であれば大なり小なり何らかの火傷を負い、後者ならば爆心地に近ければ近いほど腕や脚、運が悪ければ首から上が爆風で千切れ飛ぶ。
しかし、ここにある遺体はそのどれもにも該当しない。
現場を見るに何らかの爆発物が炸裂したのは明白なのだが、どのような武器が使われたのかが全く見当も付かない。
遺体はどれも露出している手足や顔面が激しく傷ついている
着込んでいる鎧や所持していた武器にも細かく深いキズが見られることから、何か鋭利な破片が周囲に四方八方へと飛び散ったのが判るが、それは遺体だけではなく現場の床や天井、扉や壁面にも見ることができた。
(これだけの殺傷力だ。
もしかすると、我々が所持している魔導弾とはまた違った爆発物が使われたのかもしれないな……)
そう思いながら彼が周囲を見回しているときだった。
孝司らが引き返していった通路の床で、外から射し込んだ陽光に何かが反射して光ったような気がした。
「どうされましたか? 少尉」
訝しんでいるラージの顔を見た部下の軍曹が彼に話し掛けるが、彼はそれを無視して先ほど光った何かに向かって通路を歩いて行く。
「ん?」
通路奥の突き当たりより少し手前で彼はしゃがみ込んで何かを拾い上げた。
「これは?」
ラージが拾い上げたのは銀色に輝く金属で出来た何かだった。
長さとしては目測で十センチより少し長いくらいで、先端から数センチのところが二箇所曲げられている。
「食器……ではないな」
食事に使う匙かとも思ったが、よく見ると先端に何かを引っ掛けるための返しが施されている。
「剣? いや、鎧の部品か?」
何にせよ不思議な形状をしている金属に興味が湧いたラージは警務隊本部に持ち帰って専門の部署で分析してもらおうと思い、拾い上げた金属を持って立ち上がろうとした時だった。
「えっ!? き、消えて行く!?」
突如、ラージの掌に載っていた金属片が少しづつ消え始めたのだ。
「ま、待て!! 消えるな、消えるんじゃない!!」
焦るラージの願いを無視するが如く、彼が拾い上げた金属片はその存在をどんどん薄くしていき、最後には消えて無くなってしまう。慌てた彼は自身の手を触ったり周囲を見回すが、周囲にはそれらしき金属片は見当らなかった。
「少尉、如何なさいましたか?」
「うん? ああ、いや……何でもない」
彼の行動を不思議に思った部下が声を掛けてくるが、彼らにどう説明すれば良いのか判断に迷ったラージは結局何もなかったことにした。
「さ、死体のことは後回しにして、商会の連中が逃亡しないように監視と警備を行うぞ。
聖騎士団の方には裏に回ってもらうようにお願いしてくれるか?」
「はっ! 了解しました!」
背を向けて外に出る部下達の後ろ姿を見送りながら出入り口に向けて通路を歩いて行くラージは、ふと振り返って先ほど拾った金属片が落ちていた通路の奥を見やる。
(あれは一体? 幻覚? いや、そんな筈がない……)
実際にこの手で触った感触がきちんと残っているのに、幻覚ということはあり得ない。
しかし、あの金属片は忽然と姿を消してしまった。
これは一体どういうことなのか?
(何か……我々の知らない何かがあそこにはあった。
これは、ことによると詳しく調べる必要があるかもしれないな……)
彼は職業柄、魔法を使用した犯罪の捜査を行ったこともあるし、物体を跡形も無く消すことが出来る魔法をこの目で実際に見たことがある。
しかし、それは魔法使い本人が対象物に直接魔法を行使した場合だけであって、落ちている物が自然に消える現象など今まで見たことも聞いたこともなかった。それに物体を消滅させる魔法はかなり高度な魔法であり、かなりの魔力を消費すると国軍警務隊所属の魔法使いから聞いたことがある。
(何らかの魔法的な仕掛けが施されていたのか?
それとも
目的は判らないが、何れにしても消えて無くなるということは何かしらのやましい事情があるということに変わりはないだろう。そうでなければ、あのような魔法的な仕掛けを施したりしない筈だ。
(誰かどのような目的で施したのかは判らないが、絶対に突き止めて見せるぞ……!)
ラージは一人、密かに心の中で固く決意するのだった。
◇
アゼレアの蹴りによって敵ごと吹き飛ばされて壁にめり込んでしまった金属製の扉の前を通り過ぎると、通路上に誰かが倒れているのを発見した。
「……どうやらセマ達に殺られた商会の者らしいわね」
慎重に近寄って検めてみると、赤い血溜まりの中にうつ伏せで倒れ込んでいるのは商会に雇われた傭兵のようだった。
黒っぽい金属製の軽鎧を着込み右手には剣を持っている。首筋にどす黒い血がべったりと付着しているところを見ると、どうやら首に受けた傷が致命傷になって死んだらしい。
商会の建物内部に突入した冒険者メンバーの中で刃物の類いを所持している者は限られるので、大方セマかムシルか、はたまたマイラベル辺りに斬りつけられたのだろう。何れにしても容赦のない一撃だ。
「まだ向こうでは戦闘が続いているらしいわね?」
「……みたいだね」
アゼレアの言う通り、奥の通路からは剣と剣が打ち鳴らされる金属音が頻繁に聞こえて来る。
時折カメラのフラッシュのような光の瞬きが見えるのは誰かが魔法を使っているのだろうか?
取り敢えず、俺とアゼレアは奥の通路へと急ぐために走った。
「孝司。
味方とはいえ、戦闘で興奮している彼らに不用意に近づくと敵に間違えられて斬りつけられる恐れがあるから、私が先に行くわ」
「了解」
アゼレアの指示に従い、彼女に先行してもらう。
するとこちらの気配を感じたのか、グループの後方にて状況の推移を見守っていた神官のアルティーナが振り返る。
「誰かと思ったら貴方がたでしたか。
姿が見えなくなっていたので、心配しましたよ?」
「すいません。
ちょっと別件で商会の正面出入り口の方に行っていたもので。
ところで、状況はどうなっていますか?」
「現在、この建物の上階に行くための階段を巡ってアル達と敵が殺り合っています。
でも場所が場所だけに、敵味方共に一人ずつと斬り合うという膠着状態に陥っているわ。
今の所、アル達にこれといって被害は出ていないけれど……」
「なるほど」
アルティーナの話を聞きながらその場でジャンプして前方を見ると、確かに階段を巡って敵と戦っているセマやアルトリウス君ら達冒険達の後ろ姿がチラッと見えた。
全身金属鎧を着込んでいるお陰で防御力が一際高い元辺境騎士のマイラベルを先頭に、セマやムシルが彼女の脇を固めて敵と斬り結んでいる。
場所が幅2m程しかない階段の昇り口であるため、敵味方お互いに1人または2人での戦闘に陥っている。時折、彼らの後ろに位置しているリリーが敵に対し矢を射ようと弓を構えるが、敵と味方の距離が近過ぎるために狙いを付けられないでいた。
「こりゃあ、銃を発砲するのは危険だな。
敵味方が入り乱れて誤射の危険性がある。
どうにかして撃てれば……って、ん? ええぇぇ?」
と、その時、マイラベル達と斬り結んでいた最前列の敵であるガタイの良い傭兵っぽい男が突如姿勢を崩し、階段から転げ落ちていった。その様子を見ていたすぐ後ろの敵も全身を硬直させて階段から落ちて行く。
「一体、何があったんだ?」
突如として味方の2人が階段から滑り落ちて行ったことで敵は泡を食って退却を始めた。マイラベル達が階段を登って来られないように、1人が牽制としてレンガや木製の椅子を階下に投げ込んでいる内に階段を登りきった所へ盾や机を積み上げてバリケードを築いている。
マイラベル達はと言うと、無闇に突撃するような真似をせずに一度階段の手前まで退いて動けずにいる敵を盾にして態勢を整え始めた。すると状況を見守っていた神官のアルティーナがそそくさとアルトリウス君達がいる方向に向けて歩いて行く。
彼女は肩から提げていた革製の鞄から水が入った皮袋をアルトリウス君やマイラベルに渡す。
よく見るとリリーもアルティーナと同じようにセマやムシルに水が入った皮袋を渡していた。
アルティーナは彼らが水を飲んでいる間に戦っていた4人の怪我の有無を素早く確認し、軽傷を負っていたらしいセマとムシルの傷を治癒魔法で瞬く間に治療する。
(やっぱり、ソコソコ名が知られている冒険者達だけあって連携が取れている。
今日初めて会った筈なのに、セマやムシルに躊躇無く治癒魔法を掛けているアルティーナも流石だな……)
素人目に見ても俺やアゼレアは必要ないのではないかと思うくらい見事な連携だ。
戦闘にしろその後のケアにしろ、正直言ってここで俺とアゼレアが帰っても何の問題もないのではないだろうか?
「ねえ、アゼレア。
俺達このまま帰っても良いんじゃないのかな?」
「そうねえ、確かに今の状況を見ると私達は
でもね、孝司。
いずれ貴方が持つ武器が必要になる場面がやって来るわ。
それまでの辛抱よ」
「そうかなあ……?」
「そうよ」
まあ、軍人のアゼレアが言うのだから確かなのだろう。
エアガンを振り回すサバゲーと違い、こと本物の殺し合いに関しては彼女の方がエキスパートなのだから。
(しかし、セマやムシル、リリー達の前で銃を撃つのは気が引けるなあ……)
異世界で彼らと初めて知り合った際、所持していた自動小銃を武器ではなく削岩機と言って誤魔化していただけにいざ彼らに銃が武器だと知られたら信用を失わないか心配だ。
やっぱり、ここは先に素直に謝って説明していたほうが得策だろうか?
(アルトリウス君たちのクランにはミサイル含めて銃が武器であることはオーガの一件で知られているから良いけれど、セマ達のクランには……って、ん?)
どうやってセマ達にあの時の事と銃のことを謝って、どう説明したものかと悩んでいたときだった。
「すいません、榎本さん。
少し手伝って欲しいことがあって……」
アルトリウス君が申し訳なさそうな顔で俺に声を掛けてきた。
◇
「なるほど。
アルトリウス君が
「ええ、そうです。
あの積み上げられたバリケードの向こうに一体何人の敵がいるのか判りません。
もし複数の敵がいる場合、矢では一斉に制圧することは難しいです。
僕のルーンのお札もこの狭い場所では飛ばしても、相手に切り落とされる可能性が非常に高いので……」
「まあ確かに、この状況では銃の方が圧倒的に有利だねえ」
「本当ならば、バリケードごと魔法で吹き飛ばした方が手っ取り早いですけど、それだと階段も破壊してしまう恐れがあるので。
一番良いのは敵だけを制圧出来れば良いのですが……」
アルトリウス君の提案は前方の階段上に机や盾などを積み上げることで築かれたバリケードを彼のルーン魔法で物理的に消滅させた直後、間髪入れずに俺が銃弾を相手に撃ち込むというものだ。
確かにアルトリウス君の言う通り、複数の敵にちまちまと矢を射ち込むのは手間だし、弓を所持しているのはリリーだけなので相手が2人以上いると制圧は難しいだろう。
この建物は4階建てなので踊り場にいる敵が2階から3階へ昇る階段の陰に身を隠されると矢は当たらない。ならば、攻撃魔法や俺の持つ爆発物や擲弾などでバリケードごと敵を吹き飛ばしたほうが手っ取り早いのだが、階段が木製であるため下手をするとアルトリウス君の言う通り階段そのものを破壊してしまう。
建物を破壊するのならばそれでも良いが、俺達の目的は囚われている奴隷の救出とこの商会の建物の何処かにいるであろうウィルティア公国の第二公女を探し出すことなので、上階へ行くための階段を破壊してしまうのは非常に不味いことになる。
「取り敢えず試してみようか?
君のルーン魔法だけど、あのバリケードを綺麗に消せるのかい?」
この世界に来て今のところこの目で見た魔法といえば、ヨランダさんの治癒魔法とアルトリウス君や冒険者らがオーガやゴブリンに向けて行った爆裂系の攻撃魔法くらいしかない。
そのため魔法で物体を綺麗さっぱり消せる魔法など本当に使えるのかと半信半疑で尋ねたのだが、アルトリウス君は自信満々で答えた。
「心配無用です。
生物は対象外ですけど、以前入った迷宮で進路を妨害していた巨大な岩を跡形も無く消したことがあるんで大丈夫です」
そう言いながら岩の大きさを示すように両腕を広げて「こんなに大きかったんですよ」と話すアルトリウス君の表情を見ていると、冗談を言っているようには思えないので、一先ず俺は彼の話を信じることにした。
「じゃあ、敵の増援が来ない内にやってしまおうか?」
「では、我々は一旦退がるとしよう。
どんな方法で敵を制圧するのかは知りませんが、もしもの時は我々が前に出て敵を牽制、突撃します」
セマはそう言いながら、ムシルとリリーを後ろへと退がらせて自身も後退する。
アルトリウス君もマイラベルとアルティーナを退がらせた。
「一応、敵が反撃してくることを想定してルーン魔法で防御用の魔法障壁を展開させます。
魔法障壁は相手の攻撃を弾きますが、こちらからの攻撃は通しますので安心して銃を撃って下さい」
「分かった」
アルトリウス君が外套の中へと右手を入れ、腰に提げているポーチからルーン魔法のお札を選んで取り出した一枚を俺の一歩前の床に置くと『防御障壁』と書かれていた文字が光って瞬時に魔法が発動し、薄い膜のようなものが床から天井へと一面に展開した。
「ほお~っ!!」
(うわ、何だこれ?)
展開されている魔法障壁は透明なのに、どこか違和感が伝わってくる。
これはピンと張られた皺の無いサランラップや綺麗に拭きあげられた透明なガラスを見ている感じだ。
パッと見は透明で何も無いように見えるけど、近付いてよく見ると光の反射などで違和感を覚えるのに似ている。前方に人差し指を突き出すと、ゼリーに指を突っ込んだ時のようなヌルッとした感触が指先へ微かに伝わってきた。
「魔法障壁の展開が完了しました。
これで敵の放つ矢や石、攻撃魔法をある程度まで防ぐことが出来ます」
「
何やら不安な言い方だ。
“ある程度まで”ということは、
「はい。 ある程度までです。
矢のような飛び道具は対魔法処理されている場合を除いて殆ど防ぐことが出来ます。
攻撃魔法も魔法障壁を張った術者を越える魔力を持った魔法使いが相手ですと、場合にもよると思うんですけど、下手すると障壁を一瞬で突破されることもあります」
「へえー、そういうものなんだ」
まあ、アルトリウス君の魔力がどれくらい強いのかは分からないけれど、さっき外で見た『麻痺』のお札を商会の見張りに対して使用した時の手際と魔法の即効性を見ても大丈夫だろう。
ここはアルトリウス君のルーン魔法を信じて俺に出来ることをするまでだ。
ということで俺は薬室に初弾を装填したままになっているフィンランド製RK62M3自動小銃の安全装置を解除してセレクターの位置をセミオートの所まで持っていく。
「よし。 何時でも良いよ、アルトリウス君」
「わかりました」
そう言って俺が銃を構えているのを確認したアルトリウス君は再び腰のポーチからルーン魔法のお札を取り出し、バリケードが築かれている階段に向けてお札を放った。
お札はヒラヒラと波打つようなことはせず、紙飛行機のように目標へ向けて一直線に飛翔する。
バリケードにお札が貼り付いた瞬間、淡い光が瞬いたと思ったら一瞬の内に積み重ねられていた盾や椅子、机などが音も無く消失した。
消え去ったバリケードの向こうには如何にも戦争慣れしていると言わんばかりの屈強な男が5人ほどたむろしていた。その内の一人は完全に油断していたのか、階段横の壁に剣を立てかけて座り込んでいるのが見える。
「何っ!? どうやっ…………」
1人が慌てたように此方に何か言おうとしていたが、それを遮るように銃声が鳴り響く。
“バンッ!! バンッ!! バンッ!! バンッ!!”っとかなり大きな銃声が連続して鳴り響き、それと共に銃口の先からマズルフラッシュが銃声の数の分瞬いた。
ダットサイトを用いて出来るだけ体の中心付近を狙って発射された7.62mm×39 ワルシャワパクト弾は男達の胸部や脇腹、時には鎖骨や肩に命中した。
映画などと違い、悲鳴すら上げずに銃弾を浴びた手前から順に倒れて行く屈強な男達。
発射された銃弾が10発を超えたあたりで、自動小銃のセレクターをフルオートに変更してまだ倒れていない奥の2人に向けて軍用ライフル弾をシャワーの如く浴びせ撃つ。
AK独特の形状を持つボルトキャリアーが猛烈な勢いで前後運動する度に排莢口から発射ガスの煤で汚れた薬莢がそれぞれ一定且つバラバラな方向へと飛んで行き、壁にチリンチリンと音を立てながら当たって跳ね返り床へと落ちる。
発射サイクルがAK-74Mより多少遅いものの、5.45mm×39弾より反動の強い7.62mm×39弾をフルオートで射撃したため、少しばかり銃口が跳ね上がってしまった。
そのため少しだけ上へ逸れた弾丸は2人の男の首や顎、顔面に命中する。
頸動脈を切り裂かれ首から噴水のようにピューピューと吹き出す血液、下顎を破壊されて肉がへばり付いた頬骨や歯が辺りに飛び散った。
額に銃弾が命中して貫通したのか、後頭部が吹き飛び中身の脳漿と共に頭皮が付着した頭蓋骨が背後の壁へと飛んで行く。男達が床に倒れ伏すかどうかというタイミングで30連発バナナ型弾倉内の銃弾が尽き、ボルトキャリアーが閉鎖状態で“ガチンッ!!”と停止した。
俺を中心に周囲には発射ガスが燃焼したことで発生した青白い煙が漂い、静寂が支配する。
聞こえるのは人の息遣いと銃身から微かに聞こえてくる熱による軋むような音のみで、俺は残っているかもしれない敵の反撃を想定して空になった自動小銃の弾倉を何食わぬ顔で交換した。
弾倉を給填し、RK62M3のコッキングハンドルを引いて離すと、スプリングの力でボルトキャリアーが勢いよく前進して初弾が薬室に装填されてボルトが薬室を閉鎖し、直後に銃を再び構えて前方の階段を警戒するが、動く者の気配や物音は聞こえず静寂だけがこの場を支配し続ける。
しかし、それに我慢出来なくなったのか突如大きな声が響く。
もちろん、その声の主は冒険者クラン『流浪の風』のお転婆メンバーであるリリーだ。
「ちょ、ちょっと何澄ました顔してるのよエノッチ!!
あ、あれ、あれは一体何なのよ!?」
少しばかり声が震えているのは俺の気のせいではないのだろう。
俺の顔と構えている銃、そして突如出現した前方の惨状に対してリリーの視線が何回も行ったり来たりしている。
それはリリーだけではなくセマやムシル、果てはクラン『早春の息吹』のメンバー達もほぼ同じ様な状態に陥っており、銃の使用を提案してきたアルトリウス君さえ銃の威力を目の当たりにして口をポカンと開けている始末で、唯一、アゼレアだけがニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「これが俺の持つ『銃』という武器の威力だよ。
火薬の力で矢を遥かに超える高速でこの金属の弾丸を発射、飛翔した弾丸が相手に突き刺さって骨や筋肉を粉砕し引き裂いて殺傷する武器。
人間が着用する金属鎧や兜、木の板なんてものともせずに貫通し敵を加害する。
そんな恐るべき威力を持つ携帯武器が、この『銃』達の特徴なんだ」
リリーにそう言いつつ、チェストリグのマガジンポーチから予備弾倉を1個取り出して地球で世界一、多くの人々を殺しまくった弾丸を見せる。
樹脂製バナナ型弾倉の最上部から姿を覗かせる7.62mm×39弾。
防錆のためにラッカー塗装された鉄製の薬莢と銅のジャケットで覆われた弾頭が魔道具で作られた室内灯の光を鈍く妖しく反射させる。
掌に収まるほどに小さい破壊と死の権化はリリー達の目にどう映ったのかは判らないが、彼女らは顔を青褪めさせて息を呑んだ。
「確かあたし達がエノッチと初めて出会ったとき、肩から提げていたアレをエノッチは確か武器ではなく『削岩機』とか言っていたわよね?」
「あの時はシグマ大帝国の帝都に入城する前だったし、銃についてアレコレと詮索されたくなかったから嘘を言っていたんだ。 ごめんね?」
「確かにそんな武器を所持していたとすれば、帝都に入城するのは難しかったでしょうな。
俺達に嘘を言ってまで誤魔化すのはわかるような気がします」
「そうなの?」
「え? う、うん、まあ……ね」
何故か俺から視線を逸らして黙り込んだままのセマの隣でうんうんと頷きながらサブリーダーのムシルが訳知り顔で話し、それを聞いたリリーが確認するように尋ねてくるが、俺は別にシグマ大帝国に入れないからではなく銃という武器の存在が噂で広がり、シグマ大帝国の治安機関や軍の上層部、国の指導者層に悪用されるのを恐れただけだ。
まあ、向こうが勝手に納得しているのならばそのままにしておこう。
「孝司、悠長に話し込んでいる暇はないわよ。
敵の増援が来ない内に上に行かないと、囚われている娘達が証拠隠滅で処分されかねないわよ?」
「そうだね。 じゃあ早速、上に行くとしようか?」
アゼレアに促されて俺を含めた冒険者グループは移動を開始した。
銃の威力に驚いていたセマやアルトリウス君らも気を取り直して態勢を整えて前へ出る。
抜け駆けするような形で走って行き、一番乗りで階段に取り付いたリリーは弓に矢を番えて階段上の踊り場を睨みつけるように警戒しているが、固まったように動かない。
「どうした?」
じっとして動かないリリーを見て不審に思ったリーダーのセマが彼女の背後につき、何があったのかと尋ねる。
「さっきまで明るかったのに、今は暗くなってしまった狭い階段……セマならどう攻める?」
どうやらリリーは踊り場が薄暗いことを警戒しているようだ。
言われてみれば、敵がバリケードを構築する前は踊り場も階段も明るかったのに、バリケード撤去後は暗くなっている。
この商会内は何らかの魔道具によって通路が明るく照らされ、雪が降るような寒い冬にも関わらず暖かい環境が整えられていた。
しかし、この階段の周囲だけ薄暗く室温も幾分寒いような気がするので、もしかしたら商会の誰かが階段にバリケードを築いた後にわざと光を放つ魔道具の作動を停止させたか破壊したのだろう。
因みに、リリーから階段の攻略について尋ねられたセマはほんの少しの間逡巡していたが、考えが纏まったのか彼女に指示を出す。
「よし、時差で行こう」
「じゃあ、あたしが先発するわ!」
「俺が先に行く。
リリーの弓では咄嗟の接近戦になった場合、不利だ」
そう言って逸るリリーを宥めつつ、セマが彼女の前に出て踊り場にいるかもしれない敵を警戒しながらゆっくりと慎重に階段を昇って行く。
と、その時だった。
踊り場から何
――――“コンッ! コンッ! コンッ!”
っと、それぞれ音を立てながら落ちて来た
音を立て階段を落ちて来る
◆
突如、上の階から跳ねるようにして落ちて来た二個の臨界直前の投擲魔導弾を見たセマとリリーは予想外の事態に混乱し、咄嗟に反応できずにいた。
それはそうだ。
銃器や爆薬などが普及していないこの世界では、こういう状況下だと普通物陰に潜んでいた敵が突如剣で斬りかかって来るとか、暗がりから矢を射ってくる場合が殆どであり、それ以外だと魔法使いなどが奇襲という形で攻撃魔法を放ってくることなどが挙げられる。
もちろん投擲魔導弾を使ってくるという可能性も十分考えられるが、相手は軍隊ではなく奴隷を売買する犯罪組織。ましてや使い捨てとはいえ、軍隊にとっても高価な投擲魔導弾を装備していて、尚且つそれをこんなところで躊躇なく使用してくるとは思いもよらなかったのだ。
そのためセマとリリーは後方で警戒していたアルトリウスらと違い、完全に動くのが遅れてしまった。
アルトリウスが傍にいる仲間達を守るために咄嗟の判断でルーン魔法による魔法障壁を展開し終えた時には、投擲魔導弾は既に臨界まであと2~3秒という状態へと迫っていたのだ。
状況を理解し、退避行動を取ろうとしていたセマとリリーは突如としてバランスを崩して後ろへと倒れる。
セマとリリーの目にはまるでスローモーションのように、ゆっくりと階段上を跳ねながらこちらへと迫って来る赤く光り輝く二個の投擲魔導弾が映っていた。
しかし、それを見ていた二人の視界が一転して、代わりに建物の天井が彼らの目に映り込む。
抗いがたい強い力で襟首を掴まれたセマとリリーは強引に後ろへと引き倒され、そのままの勢いでアルトリウスが展開している魔法障壁の中へと問答無用に投げ飛ばされたのである。
咄嗟に彼らを受け止めたムシルとマイラベルの二人であったが、セマとリリーを投げ飛ばした力が強すぎて彼らは力を相殺できずにそのまま四人共々床へと倒れ込む。
そんな中、セマがムシルをクッションにして倒れながら視界の端に捉えたのは、腰に吊っていた軍刀を一瞬で抜刀し、自身へ迫って来る投擲魔導弾に斬りかかるアゼレアの後ろ姿だった。
◆
――――“ドドォォォォンッ!!!!”
まるで至近距離で雷が落ちたと錯覚するような轟音が連続して鳴り響く。
耳を手で覆って塞いでいたにもかかわらず、これほど大きな音が響くとは予想もしていなかったデリフェル商会の大番頭であるテラビータは、投擲魔導弾が爆発した際に木製の階段が焼き焦げて発生した煙に顔を顰めながら、隠れていた三階へと続く階段から顔を覗かせる。
「おお……!」
階下は未だに煙が充満しており、少し目が沁みるが、それ以上に彼はこの惨状を見て満足していた。
一階に降りるための階段は半分ほど魔導弾の爆発に吹き飛ばされてはいるが、壁へ直付けされていた部分は無事だである。
これなら人間の一人くらい階段を上り下りするくらいは可能だろう。
テラビータは階段の踊り場で物言わぬ躯となった部下だった者達を見るが、彼の目には憐憫の感情などこれっぽっちもなく、あるのは手駒が減ったというくらいの思いしかない。
(ふん!
どいつもこいつも役に立たんな。
普段はやれ警務隊如き俺一人で片付けられるとかデカいことをほざいているくせに、いざとなるとこのざまだ!)
彼は傍目には商会に雇われているとはいえ、部下である傭兵や冒険者らと親しげに会話こそしてはいるが、内心は彼らのことを嫌い、単なる使い捨ての駒としか見ていなかった。
それは死体となった彼らを見ても変わりはなく、可哀そうだとか惨いなどの感情は一切持ち合わせていない。そのため彼らの死体を検めたり、その惨状の異常さに違和感を覚えるようなことは全くなかった。
テラビータは階下の状況を見ようと警戒感を抱くことなく踊り場から姿を現し、身を乗り出す。
未だ煙は晴れないが、物音ひとつ呻き声さえも聞こえないところを見ると、階下に居た侵入者達は恐らく全滅かそれに近い被害を被ったのだろう。
もし生き残っていたとしてもあれほどの爆発だ。タダでは済むはずはない。
残党は外回りから帰って来る予定の部下達と共にゆっくりと始末すれば良いだろう。
そう思い、さらに身を乗り出したその時だった。
漂う煙の中から一条の赤く細い光が差し込んできて、テラビータの左肩に掛かったかと思った瞬間、先程の魔導弾に劣るものの、耳がつんざく程の轟音が二回響く。
同時にテラビータは後ろに突き飛ばされるほどの衝撃を左肩に受けて、もんどり打って床へと倒れる羽目になってしまう。
「ぐおおォォォォーーーー!!??」
床へ倒れ込んで数秒後に襲って来た激しい痛みを感じて叫び声を上げながら左肩へと目を向けると、痛みを感じる箇所から大量の血が滲んでいた。
(な、何が起きたんだ!?
魔法!? いや、弓矢による狙撃か!?)
思わず右手で傷口を押さえるが、矢が刺さっているようなことはなく、それどころか血が止めどなく溢れて来て押さえている箇所がドクドクと脈打っている感触が右手に伝わってくる。
「んぐぅぅっ!!
と、とにがぐ、ごごがら離れなげれば…………!!」
あまりの痛みと出血に呂律が回らなくなり始めていたテラビータは、朦朧としながらも痛みを堪えてこの場から逃げる決断をする。
何をされたのかは判らないが、少なくとも敵が渾身の一撃を放って来たのではないことだけは分かる。早くこの場から立ち去らなければ敵は壊れかけとはいえ、人間一人であれば十分に行き来することが可能な状態の階段を昇って来て自分を捕らえることだろう。
いや、下手をすれば殺される可能性だってあるのだ
自分は下にいた奴らを殺すつもりで投擲魔導弾を使ったのだから、殺されない方がどうかしている。
取り敢えず、ここから逃げて商会から大番頭用に割り当てられている自室に逃げ込めればどうにかなるはずだ。部屋には商会の伝手で購入した王族御用達の治癒魔法薬があるり、流石に切断された腕や足を治癒出来るほどの効力はないが、それでもアレさえ飲めばこんな傷、たちまちの内に癒える筈である。
あとは機会を見てこの建物から逃げ出せればそれで良い。
こんなこともあろうかと今まで得た金はこの建物ではなく、自分しか知らない場所に溜め込んである。
既に充分すぎるほどの金をこの商会で稼がせて貰ったし、もう潮時だろう。
いつかは来ると思っていた国軍警務隊による強制執行。
テラビータ自身は商会の正式な構成員ではあるが、別にこの組織には何らしがらみも愛着もないのでヤバくなったらとっとと逃げて、また新しい別の組織に潜り込んで儲けられればそれで良い。
そう割り切っていたからこそ今が潮時なのだ。
商会や元締めのデュポンを守るために自身の生命を捧げるつもりなど毛頭ない。常々、そう考えていたテラビータは襲い掛かる激しい痛みに度々意識が飛びそうになるのを堪えて渾身の力を振り絞って立ち上がる。
しかし、運命は彼に味方することはなかった。
ギシギシと階下から階段が軋む音が聞こえ、何者かがテラビータのいる踊り場へとやって来ているのだ。
(くっ! やはり昇って来たか! 何か武器は!?)
テラビータは商会に雇われている傭兵や冒険者らと違い、荒事には長けていない。
彼は没落した元貴族の次男坊で、昔家庭教師から習った読み書きと算術を武器に裏社会を暗躍する組織の金庫番や番頭、頭目や元締めの補佐として活躍しここまでのし上がって来た男だった。
彼にとっての剣とは羽ペンであり、金である。
これらを縦横に用いて身を守って来たのだ。
今さら剣を取っても身を守る術など、たかが知れている。
傷を負い肉体的にも精神的にも追い詰められていた彼は、死体となっている冒険者の男から剣を拾い上げて構えた。
未だ薄っすらと埃が舞っているこの状況でなら、もしかしたら相手の虚をついて殺せるかもしれない。そう思い、敵が昇って来る方向へと右手で構えている剣の切っ先を向ける。
しかし、現れた相手を見てテラビータは内心、声にならない悲鳴をあげてしまう。
悠々とした足取りで階段を昇って来たのは国軍警務隊の兵士でも聖騎士団の騎士でも冒険者でもなく、赤金色の双眸を爛々と輝かせて不敵な笑みを浮かべた女魔族だった。
「ヒッ!?」
予想外の存在の登場に文字通り声にならない悲鳴を現在進行形であげ続けるテラビータを他所に、女魔族はゆっくりとした口調で自身の前に立つテラビータへ話し掛ける。
「あなたの贈り物は頭の上で爆破したわ」
獰猛な笑みを浮かべ、大の大人が縋って許しを請うどころか気絶してもおかしくないほどの殺気をぶつけられ、テラビータはまるで金縛りに遭ったかの如く声も出せずにその場から動けなくなってしまう。
「仮に最大効果域で爆発したとしてもよ?
防護魔法将兵を展開した上級魔族を、たった二個の投擲魔導弾で殺れる訳ないでしょうに。
舐めているのかし……らッ!!」
そう言って女魔族は動くことも叶わずに立ち尽くしているテラビータの左足の甲に、右手で持っていた剣を一瞬で逆手に持ち替えて何の躊躇なく突き刺したのだ。
「え? うぐ、ぐあ…………!?
ギャアアァァァァァァーーーーーーッ!!!!!!!」
床に剣で縫い止められて倒れることも叶わないテラビータの胸倉を左手で掴んだ女魔族は、魔物さえも即刻逃げ出すほどの殺気を浴びせつつ、彼の耳元に口を寄せて確実に死を伴った吐息を吹き掛けながらこう言った。
「安心しなさい。
私達、魔族の同胞を奴隷として売買していたあなたをこれ以上傷付ける気は毛頭ないわ。
ただ、私の質問に答えてくれればそれで良いのよ?
私の言っていること理解出来たかしら?」
女魔族から発せられた問答無用の要求に対し、テラビータは激しく何度も頷いた。
「結構。
ああ、でもごめんなさい。
前言撤回するわ。
やっぱり今後、魔族を奴隷として捕らえたらどうなるのかという見せしめにする為にも、あなたを痛め付けながら尋問することにするわね」
それを聞いたテラビータはホッとしていた表情から一転して、恐怖に打ち震え青褪めた顔になる。
彼の怯える顔を見て満足げに笑みを浮かべる女魔族は、テラビータの足元に不気味に光る赤い魔法陣を展開させた。
「これであなたの血液を含めた身体機能は私の支配下にあるわ。
例え幾ら斬りつけられようが骨を砕かれようが、出血や脳に送られる痛覚は最低限に絞ることが出来るようになった」
「な、なっ!?」
「さて、始めましょうか。
…………簡単に死んじゃダメよ?」
数瞬後、建物内に響き渡る凡そ人間の発するものとは思えない悲鳴と断末魔を耳にした者達は恐怖し、何事かとその場に向かった先には、本来ならばこの世の存在してはいけない本物の地獄絵図を目にすることとなったのであった。
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