第29話 統括本部

「確かに目と鼻の先だわなあ……」



 俺とアゼレアの前には巨大な建物が鎮座している。

 ベアトリーチェとカルロッタに見送られて聖エルフィス教会の総本山たる本部を後にし、本日2つ目の行き先としてギルド統括本部へと向かったのだが、場所は教会本部から歩いて2分ほどの距離に統括本部の建物はあった。


 教皇庁の窓から見たときもそれなりの大きい風変わりな建物だとは思っていたが、間近で見るとその大きさより威圧感に圧倒される。


 1~2階までは石造りだが、3~6階まではレンガ造りの地上6階建てのビルはここが本当に異世界なのかと疑ってしまう。どことなく昭和初期の警視庁本部庁舎を思わせる建物は昔の甲子園球場みたいに所々に何かの植物の蔦が這い、外壁の一部を覆っている。


 よく見ると屋上にも蔦が這っているらしく、蔦と共に種類は分からないが木が何本か生えているのが見えた。



「何だか混沌とした建物ね」


「うん。 そうだね……」



 確かにアゼレアの言う通り外観は混沌としている。東京にも屋上庭園を整備したビルなどはあるが、あちらが専門の業者によって美しく保たれているのに対し、こちらは植物の好き勝手にさせているとしか思えない植生だ。


 しかも季節は冬だというのに、植物は枯れることなく元気に生い茂っている。



「まあ兎に角、中へ入ろう。 ここでずっと見ていても始まらないし」


「そうね」



 正面玄関前の石を削り出して作られた7段の階段を上って玄関に入ると、木製のドアと板ガラスを組み合わせて作られた玄関扉右横の石壁には分厚い木の板に『ギルド統括本部』と彫り込まれた力強い文字が威厳を放っている。


 玄関を入ると正面には古い市役所や県庁の建物にありそうな階段が入口に対し横向きに設置されていた。

 階段の前には受付があって女性の人間種の職員と犬耳獣人の男性職員が席に着いたまま談笑しており、他にも受付のフロアに設置されている幾つかの木製ベンチでは冒険者や商人らが座って仕事の話をしているが、建物全体がセントラルヒーティングのように暖かく寒そうにしている者はいない。



「すいません。

 こちらから出頭要請の紙をもらったんですけど……」


「こんにちは。

 ギルド統括本部へようこそ。 出頭要請書の用紙はお持ちですか?」


「はい。 こちらです」


「拝見します。 はいはい。

 それでは貴方様から見て、そちら右手の方にある『冒険者科』の区画へ進んでください。

 窓口の職員に出頭要請書を提示していただければ、担当の職員が対応します」


「わかりました。 ありがとうございます」



 犬耳獣人の男性職員の言う通りに右側のフロアにある冒険者科の窓口へと向かうが、冒険者科のフロアへ入る直前、すれ違った人間種の冒険者がアゼレアの顔を見て“ピュウッ!”と口笛を鳴らす。

 冒険者科の窓口はそれなりに混雑していた。





「先日討ち取られたサイクロプスの遺骸ですが、依頼主から買い取りたいとの申し出がありました」

「わかった。 遺骸全部を持って行くのか?」

「そうです。 もし可能なら魔石も一緒にということでした」



「報酬を貰いに来たんだが?」

「はい。 ではギルドの身分証と依頼書の提示をお願いします」

「ほいほい」

「…………確認しました。

 ゴブリンの巣の駆除ですね。 報酬は銀貨百五十枚です」



「先日、雪解けで魔王領方面へ通じる道が使えるようになりましたよ」

「そりゃあ助かる。 そしたら、この依頼を引き受けたいんだが?」

「はい、エニグマ商会輸送隊の護衛ですね。 では、こちらの書類に記入してください。

 あとは商業科のほうに、こちらの書類の控えを提出して下さい」

「わかった」



「よっ。 何か出物の依頼はあるかい?」

「おおっ、久しぶりだなぁ。 お前さん、遂に復帰するのか?」

「ああ。

 仲間や女房・子供を食わせないといけないからな。 で、何かあるかい?」

「そうさなあ…………お、ちょうどロード伯爵家が出してる盗賊の合同討伐依頼があるぞ」

「盗賊かあ……じゃあ、それでお願いできるか?」

「ああ。 まだ定員には空きがあるから、大丈夫だ」





 うん。

 窓口の雰囲気こそ昭和の役所そのものって感じだけれど、話の内容や窓口にいる者達の恰好はザ・冒険者って感じでワクワクする。


 しかし、統括本部だけあって窓口の数や職員の人数はシグマ対帝国のギルド本部より圧倒的だ。


 窓口や長椅子に座っている冒険者達は如何にもベテランという感じで武器や装備が使い込まれて彼らに馴染んでいるし、ボロボロな恰好をしている者や装備を汚れっ放しにしている者は1人もいないどころか、皆身なりが良く、お洒落である。


 俺の格好はよく裕福な商人の息子などに間違えられたりするが、ここではその格好でも浮いてしまうことはないようで、逆にアゼレアの方が目立っていた。





「おい、あの女見てみろよ」

「あん? うおっ!? 凄え美人だな!」



「背が高えが、イイ体してやがる。 一度でいいから、あんな女を抱いてみてえ」

「全くだな。 魔族とはいえ、イイ女だ」



「あの女、見たことない剣を佩でるな」

「ああ。

 細身だがあの柄と鍔の装飾が良いな。 一体、何処で手に入れたんだ?」



「あの腕に嵌ってる籠手は、ドワーフの武具職人が作ったのかねえ……」

「さあな? だが、使い易そうな作りをしているな」





 周囲から小声でアゼレアに対し野卑た話をする者もいれば、彼女の装備の話をしている者もいるが、そんな声は聞こえていないそぶりで空いている受付に向かい、スミスさんから預かった出頭要請書を見せる。



「少々お待ちください」



 10代後半と思われる若い女性職員が俺が提示した出頭要請書を持って受付の奥にある事務スペースに引っ込み、上役の女性職員を伴ってこちらへと戻って来た。



「タカシ エノモトさんですね? お待たせしました。

 今回、この件を担当させていただくビオ・ダノンと申します」


「孝司 榎本です。 出頭要請が出ているということで、こちらに来ました」


「はい。 間違いなく、こちらから貴方様宛に出頭要請を出しました。

 ここでは何ですので、こちらへお越しください」



 そう言われて彼女に案内されたのは、受付窓口の隅に位置している『相談』という木製の案内板が天井から吊るされている窓口だった。2人がけの席の左右を木製のパーティションで仕切られている専用の窓口が6つほどあり、その内の1つへと通される。



「どうぞ、お座りください。

 あと申し訳ありませんが、規則ですのでお二人がお持ちのギルドの身分証をご提示願えますか?」


「はい」


「私はギルドの身分証は持っていないわよ?」



 そうか。

 アゼレアは軍人であって、冒険者ではからギルドの身分証なんて持っているわけない。



「それではまず、エノモトさんの身分証を確認いたします。

 お連れの方はギルド発行の身分証をお持ちでないとのことですが、以前何処かのギルドで登録などはされていませんか?」


「以前っていうか、七十年ほど前に魔王領に存在していたギルドに任務の都合上、冒険者登録をした覚えはあるわね」


「え? そうなの?」


「そうよ。

 っと言っても、何回か魔物の討伐をしただけで、それ以降は冒険者らしいことは何一つしていないのだけれどね……」


「へえ、知らなかったなあ。

 まさかアゼレアが冒険者をしていた時期があったなんてねえ」


「七十年ほど前ですか。

 因みに、そのギルドはまだ魔王領に存在していますか?」


「ええ。 確かここのギルドと統合された筈よ?」


「それでは、こちらの紙に覚えているだけで結構ですので、当時登録した内容を覚えている範囲でお書き下さい。

 最低でも、お名前と種族、生年月日が必要になります。

 あと魔王領発行の身分証はお持ちですか?」


「あるわよ」


「それでは身分証を確認後、少しお預かりさせていただき、内容を一部書き写しますのでご提示ください」


「はい、どうぞ」


「それでは、こちらの身分証を少しの間お預かりします」



 そう言ってアゼレアから預かった身分証に記載されている内容を書き写し、それと一緒にアゼレアが当時のギルドで登録したと思われる内容を記した紙を預かる。


 するとダノンさんは机に置いてあった呼び鈴を鳴らし、事務作業をしていた職員を呼びつけた。



「何か御用でしょうか? 係長」


「ちょっと下の記録室で、この内容の登録が存在していないか探して来てもらえる?」


「かしこまりました」


「すいません。

 今、部下に貴女様の登録の記録がないか探しにやっていますので、少々お待ち下さい」


「構わないわよ。

 でも、私達魔族と違い、人間種にとってそんな昔の記録なんてあるの?」


「一応、大陸各地の各職種のギルドが統一された際に、それぞれ個別に保管されていた記録をこちらで可能な限り集約し整理・保管していますので、運が良ければ貴女様の記録が出て来る可能性があります。

 もし記録が見つかれば、当時の内容と今のギルド制度に照らし合わせて再登録が可能になりますね」


「へえ、そんなことができるの? すごいわね〜!」


「まあ、運良く当時の記録が残っていればですが……」



 ほお?

 誰だか知らないが、そんな重要かつ面倒な作業を実行していた人がいるとは。


 当時、日本で仕事を放り出してヤミ専従とかくだらないことばかりしていた社会保険庁の有害職員や、年金機構に組織が改編された後でも碌なデータ管理も出来ない無能職員達に、この人達の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいものだ。



「それでは、クローチェさんの記録を部下が探している間にエノモトさんの出頭要請についてお話しさせていただきたいと思いますが、よろしいですか?」


「はい。 お願いします」


「では、今回エノモトさんに出頭要請を出したことについては既にご存知とは思いますが、冒険者等級の昇級についてです」


「はい」


「今回、エノモトさんの冒険者等級が四級から二級へと昇級になりますね。

 ご昇級、おめでとうございます」


(…………は? え、いやどういうこと?

 何故に間の3級をすっ飛ばして一気に2級へと上がっちゃうの!?)



 書類上とかの間違いじゃないのだろうか?



「……等級が2級へと引き上げられるんですか?」


「ええ。 まあ、ギルドの中でも異例ではありますけれど」



 木製の机を挟んで俺の正面に座るダノンさんが淡々と話す。



「あの……自分で言うのもなんですが、私は冒険者になって間もない上に依頼は一度も引き受けていませんよ?」


「それは存じています。

 しかし、ウィルティア公国軍からギルドに対しタカシ エノモトという冒険者が武装した大型のオーク一匹と複数のゴブリンを倒したという報告がありまして。

 他にも未確認ではございますが、同国出身の二級冒険者より魔法障壁持ちのオーガを一撃で仕留めたとの報告が上がってきております」


(ん? 同国出身の2級冒険者?…………あっ、もしかしてアルトリウス君のことか!)



 ウィルティア公国出身の冒険者なんて最近知り合った人の中にいなかったから一瞬分からなかったが、該当する人物は1人しかいない。



「他にもウィルティア公国『シレイラ・マクファーレン』第一公女殿下より貴方様を昇級させて欲しいとの嘆願書がギルド統括本部冒険者科科長宛に届いております。

 他にもウィルティア公国公王及び公妃様のお二人からの連名でウィルティア公国公式という形で感謝状とその品々、あと多額の褒賞金がギルド統括本部宛に届いていますね。

 失礼ですがエノモトさん、貴方は一体何をしたんですか?

 状況から推測するにウィルティア公国の王族のどなたかを危機から救ったらしいというのは何となく予想がつきます。

 しかし、一級冒険者が所属しているクラン宛に王族から感謝の意が示されることが無いとは申しませんが、一冒険者個人に対してこのような感謝の意が国から公式に示されることなど、殆ど前例がありませんよ?」


「え!?

 いやあ、あのその……何なんでしょうね? アハハハハハハ!! …………ハア」


(おい、何だか俺の知らないところで大ごとになってませんか?……っていうか、どうなってるのよこれ)



 俺は女性職員が話した内容を聞いて頭を抱えたくなる思いである。



(どうしてこうなった?)



 俺の頭の中は疑問でいっぱいだった。

 まず何故にここに来てウィルティア公国が出て来るのかがわからない。


 そして、その中でもウィルティアの王様とその公妃様が感謝状っていうのが理解できなかった。

 あの混乱の中で娘の命を助けてくれた相手に対して感謝するのは、まあ人の親としては当然の行動だろうけど、何でギルドを経由して来るのだろうか?


 しかも、娘は娘でこれまたギルドを経由している上に俺の冒険者ランクにまで口を出してる。



(………………あれ? っていうか、これヤバくね?)



 確かあの魔物の襲撃は公女様を狙った『貴族派』というゴリ押し貴族達による王族暗殺事件だった筈だが、その計画を阻止した人間を当の王族が俺の名前を前面に出して公式に感謝の意を表したら、俺の身が危ないのではないだろうか?



「ねえ、孝司。 これって、貴方の身が危なくなっていないかしら?」


「だよねえ?」



 やっぱり、アゼレアも気付いたようだ。

  もしウィルティア公国の貴族派の奴らが中国共産党のように面子を気にする連中ばかりだった場合、面子を潰されたと思ってケジメをつけさせるとか言って、逆恨みで俺を亡き者にしようとする可能性が高い。


 下手をすると既に刺客が放たれている可能性もあるが、この状況を鑑みるに聖エルフィス教会と渡りを付けといて正解だったかもしれない。


 少なくとも教皇や聖騎士団長や僧兵団長の態度を見るに、教会側が敵に回る可能性は低い。


 となると、ほとぼりが冷めるまで魔王領に逃げ込んでいたほうが無難だろう。

 それと一つ解せないことがある。 


 ウィルティアの公女様を救ったことと冒険者ランクの昇級がどう関係しているのだろうか?



「あの、ちょっと聞きたいことがあるのですが?」


「はい。 何でしょうか?」


「実は………少し前にウィルティアの公女様をオークやゴブリンの襲撃から護ったことがありましてね。

 多分、それが原因でウィルティア側が感謝の意を示していると思うのです」


「なるほど、そういうことでしたか。

 ギルド側には魔物を倒してもらったという内容しか示されていなかったので、詳細がいまひとつ分からなかったのですが、そんなお伽話のような功績を打ち立てていたのですね」



 お伽話って言われると、ちょっと恥ずかしいな。



「そういうことであれば、ウィルティア公国側の働きかけも納得ですね。

 しかしエノモトさん、申し訳ありませんが昇級に関しては他の冒険者の手前、無条件で昇級という訳にはいかないというのが、ウィルティア公国側から働きかけがあった当初からのギルド側の考えです」


「やっぱり、そうですよね」


「先程も私が申し上げたように、ごく稀ではありますが、一級冒険者が所属する集団に対して王族から感謝の意が示される場合があるにはあるのです。

 しかしそういった場合、褒賞金が贈られるくらいで昇級云々について王族からの働きかけは特にありませんでした」



 まあ、それが当たり前だろう。

 っというかこの場合、冒険者ランクに口を出しているシレイラ公女の方が非常識だ。



「最初はこちら側も、魔物の討伐程度で即時昇級というには無理があると思っていました。

 しかし、統括本部が本拠を置いていない他国からとはいえ、王族からの働きかけは無下にはできないので取り敢えずはエノモトさんから聞き取りを行なった上で昇級を考える方向で我々も考えています。

 とはいえ、内容が内容ですので当事者のエノモトさんだけの自己申告を伴う証言だけではそうもいかなくなりそうですので、お二人以外に今回の状況を知るお方はいらっしゃいませんか?

 もしいらっしゃるようでしたら、その方からも聞き取りを調査を行なった上で昇級を行いたいと思います。

 出来れば冒険者以外で信用できる組織や集団に所属している方であれば、尚更良いですね」


「あ~そうですねえ……」


(この状況を知っている人ねえ……他にいたっけかな?)



 そうなるとあの2人しかいないのだが、こんなことに巻き込んで大丈夫なのだろうか?

 と、その時隣でギルド職員の話を黙って聞いていたアゼレアが口を開いた。



「ならば、聖エルフィス教会のベアトリーチェ・ガルディアンという教会特高官と聖騎士のカルロッタに確認をとってもらえれば良いわ」


「聖エルフィス教会のそのような方々とお知り合いなのですか?」



 アゼレアの言った内容を確認するかのようにこちらへ質問をするダノンさん。



「ええ。 まあ……」


「実はさっきまでその二人以外にも教皇含めて聖騎士団や僧兵団の団長ともあっていたのよね、孝司?」


「う、うん……」


「それは本当ですか!?」



 アゼレアの言葉を聞いて驚愕するダノンさん。

 しかも聞き耳を立てていたのか、パーティションの向こう側から「本当かよ……?」という声が聞こえてきた。



「ええ。

 そちらが言うように信頼できる人といえば、彼女が言った2人しかいませんね」


「……分かりました。

 因みに、先程仰られたお二人とは今日会うことはできますか?」


「分かりません。

 すぐそこの教会本部にいることは確実なんですけど……」


「そうですか。

 もし差し支えなければ、今からこちらの職員をそのお二人の元に行かせて確認させていただきたいと思いますが、如何ですか?」


「え?

 まあ、あの2人に迷惑が掛からないのだったら良いと思いますけど……」


「分かりました。 少々お待ちください」



 そう言ってダノンさんは席を離れて暫くしてから戻って来た。



「すいません。

 今、職員を教会本部に行かせてエノモトさんのことについて話を聞くように命じてきました」


「はあ……?」


「暫く時間がかかると思いますので、その間にクローチェさんの冒険者登録のほうを進めさせていただきたいと思います。

 丁度、クローチェさんの記録が見つかったと部下から報告がありました」


「へえ、見つかったの? よく取って置いたわねえ~」



 ダノンさんの言葉に少し驚いた様子を見せるアゼレア。

 まあ、それも当然だ。


 日本であっても銀行や役所、法務局などはかなり昔の法人や個人の資産や土地の記録を保持しれいたりするが、それはあくまで保管施設や技術がしっかりしているからこそ可能なわけで、俺自身は異世界の人間が昔の個人情報を管理出来ているのか半信半疑だったので、どちらかと言うと残っていないだろうという思いが大きかった。



「それでは、こちらが当時クローチェさんが書かれた記録用紙になります。

 ご確認いただけますか?」



 そう言ってダノンさんが持ち出してきたのは、所々痛みがある羊皮紙だ。

 しかし、羊皮紙にはしっかりと当時アゼレアが書いたと思われる字が残っていた。



「そうね。 間違いなく、この字は私が書いたものよ。

 でも、ここまでハッキリと字が残っているなんて、ちょっと驚きね。

 てっきり字が掠れて読めないんじゃないかと思ったわ」


「では、確認が取れましたので、こちらに記されている記録を元に新しいギルドの冒険者登録を行います。

 予め申し上げますが、当時の冒険者等級は問題ない限り現在の冒険者制度に合わせて登録されまのでご了承ください。

 また、当時の冒険者等級が五級以下の登録の場合、当ギルドの規定に従い冒険者等級は五級から始めていただく形になりますが、よろしいでしょうか?」


「ええ。 大丈夫よ」


「分かりました。

 それではクローチェさんの持つ身分証をお預かりさせていただきます。

 あと、こちらの登録用紙に必要事項を記入してください。

 私は少し席を外させていただきます」


 そう言ってい受付の机に載ったままだったアゼレアの身分証と昔の冒険者登録の書類を持って席を外すダノンさん。



「ねえ、アゼレア?」


「ん? 何かしら?」


「アゼレアは冒険者登録をする必要ってあるの?」


「そうねえ……まあ今の私は魔王軍の軍人だけれど イーシア様から孝司を助けるよう言われたし、それに孝司はこれからもずうっと世界を歩いて回るのでしょう?」


「まあね……」



 俺の問い掛けに対し、書類に記入しながら答えるアゼレアはどこか淡々としているように見えた。



「ならば私は貴方に付いて行きたいわ。

 生まれてこのかた、魔王領以外に実際に行ったことがある国といえばバルトくらいで、他の国や地域に行ったことはないしね。

 貴方と一緒にこの世界を巡ってみたいのよ」


「それは構わないけれど、アゼレアって魔王軍の国外派兵で色んな国に行ったことがあるんじゃないの?」


「ええ。 確かに派兵でいくつかの国へ行ったことはあるわ。

 でも、軍の規定で許可が出た地域以外に足を踏み入れたことは無かったのよね。

 もちろん、移動中の道中も一緒よ」


「あ、そうなの?」


 

 てっきり派兵先の国の街で観光してるかと思っていたが、違うらしい。



「それに、孝司だって一人ぼっちで旅をするより二人の方が楽しいでしょう?」


「まあ、確かに」


「それなら冒険者登録を予めしていたら、面倒が無いじゃない?」


「そうだね」



 まあアゼレアがそれで良いのならばそれで良いけど、親御さんは反対しないのだろうか?

 ああでも、それもこれも魔王領に着いてからじゃないと話は進まないか……



「すいません。

 今、登録係に命じて過去の記録と照らし合わせてギルドの身分証を作る準備を行なっています。

 新しい登録用紙への記入は終わられましたか?」



 席を外していたダノンさんが戻って来た。

 手に何も持っていないということは、担当者に記録用紙と身分証を預けているということだろう。



「ええ。 ちょうど終わったところよ」


「では、こちらの登録用紙もお預かりさせていただきます。

 それとこれは本来、最初に申し上げておくべきことでしたが、登録手数料は本日お持ちでしょうか?」


「ああ、大丈夫ですよ。 手数料は自分が払いますので」



 そう言って俺は例のがま口財布を取り出す。



「えっと、確か手数料は銀貨10枚で良かったんですかね?」


「はい。

 冒険者登録・申請の手数料は保証金込みでどの国のギルドも一律銀貨十枚になります」


「では、銀貨10枚ちょうどです」


「はい。

 確かにクローチェ様の冒険者再登録の手数料、銀貨十枚頂戴しました」



 俺が払った手数料銀貨10枚とアゼレアが記入した登録用紙を木製のお盆に載せ、ダノンさんは再び窓口から離れた。






 ◇






 ――――約20分後



「お待たせして申し訳ありません。 クローチェ様の冒険者再登録が完了しました。

 こちらが今回発行された当ギルドの身分証になります」



 待たされること漸くしてダノンさんが戻って来た。

 彼女が机に置いた木の盆にはギルドの身分証が一枚載っている。



「これが私のギルドの身分証なのね……」



 そう言って薄い金属の板を持ち上げて興味深げに見るアゼレア。


 俺が持っているギルドの身分証と同じくクレジットカードより一回りほど大きく、厚さが約5mmくらいあるカード状の板には日本語で彼女の名前や種族、出身国などと一緒に偽造防止の特殊な刻印が彫り込まれているが、刻印は通貨に刻印されているものと同じく、かなり精緻で日本のコインと遜色ないほど精密な刻印が打刻されている


 冒険者ランクは2級と表示されており、カードの右側中央に赤いルビーのような宝石と思われるものが嵌っていた。当たり前だが、日本の免許証や個人番号カードのように本人の顔写真は無い。


 アゼレアの身分証を見ていた俺はふと疑問に思ったことをダノンさんに聞いて見ることにした。



「そう言えば、私がギルドのシグマ大帝国本部で冒険者登録をする際に適正試験を受けましたが、彼女もここで適正試験を受けないといけないのですか?」



 そう。

 確かシグマ大帝国本部では、冒険者にはある程度の魔法の知識や計算、最低限の文字の読み書きに交渉能力などが求められるので、冒険者登録をする際に事前に実地を含む適性試験を受け、その後に行われる本試験に合格した者だけが冒険者として登録することが出来るようになると受付の女性エルフことシルフさんが言っていた記憶がある。



「確かにエノモトさんのご指摘通り、冒険者登録をする者は実地試験や適正試験を受けなければ、ギルドに冒険者登録が出来ない仕組みになっています。

 これはギルドの規定に基づいて行われるので例外はありません。

 しかし、この規定はあくまで新規での登録になりますね。

 各国のギルドが統合された際に指定された幾つかの国に設置されていた冒険者ギルドに登録をしていた者は特例措置として、記録が残っている場合に限り冒険者再登録の際に本来行われるべき各種試験が免除される規定があるのです」


「で その指定された国の一つに魔王領のギルドがあったと?」


「その通りです。

 この国を含めて他にもシグマ大帝国やウィルティア公国、ダルクフール法国、ドーラン王国にケルト共和国やカリメート交易都市国家連合に属する国々などです。

 他にも幾つかありますが、代表的なのは先ほど申した能力の高い種族や高位冒険者が多く在籍していた国々が対象ですね」


「なるほど」


「それとエノモトさんの件ですが、職員が教会から戻って来ました。

 無事、先程言われていた教会関係者の女性お二人と会えたようで、エノモトさんの申告通りであると確認が取れた模様です。

 これで問題なくエノモトさんの昇級手続きを進めることが可能となりました」


「そうですか。 それは良かったです」


「あとはギルド統括理事長と冒険者科科長の承認だけですので、申し訳ありませんがもう暫くお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」


「分かりました」


「では、失礼します」



 そう言って再び席を外したダノンさんが戻って来たのは30分ほど経ってからだった。






 ◇






 ――――約30分後



「お待たせしました。

 無事、承認が下りましたので本日付でエノモトさんの冒険者等級は四級から二級へと昇級しました。

 こちらが新しいギルドの身分証兼冒険者等級証明書になります」


「へえ! これが新しい身分証ですか?」



 戻って来たダノンさんから渡された新しい身分証はアゼレアのと同じ身分証だが、こちらは青く丸い宝石のようなものが嵌め込まれている。



「この青い宝石のような物は何ですか?

 アゼレアの身分証にはこれの赤いのが嵌ってますけど?」


「これは先月から導入され始めた情報を入力するための魔法石ですね。

 こちらの魔法石にはギルド側に提供された持ち主の個人情報以外に、これまで請け負って来た依頼内容や討伐した魔物の詳細などといった記録が入っています。

 ギルドの専用魔道具にかざして貰うと、それらの情報が読み取れるようになっていまして、記録簿などを閲覧するといった事務上の手続きを簡素化することが可能になるのです」


「へえ~?」


(なるほど。

 クレジットカードやキャッシュカードのICチップみたいなものか……)



 確かに、これから今までの情報を読み取れるようになれば便利だな。

 もしかして、この機能を提案したのって元日本人だったりするのだろうか?



「この機能を付与するに当たり、再登録や昇級などの場合を除く身分証の新規登録には今までより手数料が上がっていますので、ご注意ください。

 もちろん新しい身分証へ切り替えず、従来の身分証を携帯することに問題はありません」


「分かりました」


「それでは全ての手続きは終了です。

 ウィルティア公国から送られて来た感謝状と褒賞金はあちらに見えている『支払』の案内板が掛かっている窓口で受け取りをお願いします。

 あとエノモトさんとクローチェさんは新しい依頼を請けていませんので、どれか適当な依頼を請けられることをお勧めしますよ。

 もし帰りがけに依頼を閲覧されるのでしたら、あちらの掲示板か依頼閲覧所で探してくださいね」



 そう言って窓口と閲覧場所の案内をするダノンさん。

 支払い窓口はここから見て、出入口に近い左手側で閲覧コーナーは反対側の右側にあるらしい。



「分かりました。 何から何までお世話になりました」


「冒険者の再登録ありがとうございました。 では、これで失礼します」


「はい。 それではお気をつけて」



 ダノンさんに挨拶をして支払い窓口へと向かう。



「孝司、昇級おめでとう」


「ありがとう。 アゼレアも同じ2級だったんだね」


「ええ。 貴方と私が同じ等級で良かったわ」


「それじゃあ、例の感謝状と褒賞金を貰いに行こうか?」


「そうね!」

 


 お互い同じ冒険者ランクになるのは予想外だったが、これはこれで良かったと思う。

 俺とアゼレアはルンルン気分で支払い窓口へと向かった。


 窓口ではダノンさんが担当の職員に予め申し送りをしていたようで、感謝状と褒賞金の受け取り手続きはスムーズに進んだ。



「確認が取れましたので、ウィルティア公国からの感謝状と褒賞金をお渡ししますね!

 受け取り品は感謝状が二枚と褒賞金の金貨三百枚になります!! ご確認ください」


(おい、そこの熊耳獣人の女性職員さん。

 元気なのは構わんが、そんなでかい声で受け取り品の詳細を話すなよ………周囲にいる冒険者たちや他の職員らがこっちを凝視してるじゃないの!)



 一応形式的にざっと確認して感謝状と褒賞金を受け取るが、褒賞金は金貨300枚と重量的にかなり重いので受け取って直ぐにストレージへ素早く収める。



「さ、孝司。 早く依頼を見ましょう」


「え? このあと優一君の所に行くんだけど。

 それにアゼレアは早く魔王領に戻らないといけないんじゃ?」


「確かに私は魔王領に戻らないといけないけれど、スミスと知り合いの商人が言っていたでしょう?

 魔王領とルガー王国との戦争は終わったって。

 それにお父様は生きていることが分かったし、お母様や大公家の者達は一緒にこの国に疎開していて身の危険はないから、急いで魔王領へ戻る必要は無くなったわ」


「でも、アゼレアは魔王軍の軍人なんじゃ……」


「本国に戻るのが多少遅くなっても大丈夫よ。

 大体、シグマ大帝国に飛ばされたのだって元はと言えば、敵軍に寝返った西部方面軍の連中が原因だし。

 それに本国に戻る前にお母様達の疎開先に行くのが先決で、魔王領では私が行方不明ってことになっているらしいから、多少戻るのが遅れても問題無いわ」


「はあ、ならいいけど……」


「ということで、私達に適当な依頼がないか覗いてみましょうよ。

 さっきのギルド職員だって、依頼を請けるようにって言っていたじゃない」


「まあね……アゼレアがそれでいいのなら、まあいいいか」






 ◇






 掲示板や依頼閲覧所に行くと、そこには数人の冒険者たちが真剣な目で依頼を探していた。


 ある者は知り合いの冒険者や仲間と共に請ける依頼内容について「あーでもない、こーでもない」と話し、またある者は何回も複数の依頼と睨めっこしたり、唸っていたりとその様子は様々だ。


 よほど真剣なのか、ギルドに来たときのようなアゼレアの容姿を気にかける者は殆どいなかった。



「季節が冬にも関わらず、結構依頼が出てるのね」


「そのようだね」



 他の冒険者らに混じって依頼内容を見ていく俺とアゼレア。

 見ていて気付いたのだが掲示板には最新の依頼が複数張り出されており、閲覧所には古い依頼が掲載されている。


 古い依頼は基本的に締め切り期限がないかもしくはかなり先に期限を設けている依頼ばかりで、内容的にはファンタジーにありがちな薬草や珍しい虫や動物などの採集や捕獲、農作業や人探しなどの比較的危険を伴わない依頼が多く、その中に紛れ込むような形で危険極まりない依頼が幾つか見られた。


 例えばマンドラゴラの採集やワイバーンと呼ばれる飛竜の巣へ侵入して卵を採取だとか、魔物使いからの依頼でオーガ捕獲の補佐など。


 どう見ても、命の危険が半端なく高い依頼以外にも何時からあるのか、かなり古い時期からの依頼もある。



(マンドラゴラの採集って、高性能のイヤーマフやデジタル耳栓とかが必要なんじゃないのか?

 こんな無茶苦茶な依頼、 自ら死に行くようなもんじゃないか……)



 冒険者達の行動を見ていると、基本的に依頼内容が書かれた紙を剥ぎ取って窓口に行くのではなく、請け負いたい依頼書に書かれている依頼番号をメモるか覚えて窓口に口頭で伝える方式らしい。


 そのため冒険者同士で依頼内容が被ることがあり、その場合は早い者勝ちらしいが、ギルド側がランクや経験を考慮して別の依頼を勧めているのを何回か目にした。



「俺達はどれを請けてみようか?」


「そうねえ……これなんかどうかしら?」


「どれどれ? …………貴族の車列の共同護衛と盗賊討伐の依頼?」

 

(うーん、これはどういうことなんだろうか?)



 この依頼内容は冒険者にとってよくある護衛と討伐なんだろうが、2つ同時っておかしくないだろうか?普通はどちらか一方を請け負うっていうのがセオリーだと思うのだが?



「これもどうかしら?

 森の中に隠れ住んでいるハッグの山狩りですって」


「うーん、ハッグってあれだよね?

 俺の予想が正しければ老婆の姿をした魔物だっけ?」


「そうよ。

 一説には長年討伐されることなく生き長らえた雌のオーガの最終的な姿の魔物とも言われているわ。

 出没地域によって持っている武器が違うけれど、大体は巨大な刃物を使って住んでいる地域周辺の獲物をことごとく狩って喰い尽くす質の悪い魔物っていうのがハッグの特徴ね」


「そういう凶悪な魔物がこのバルトにいるんだねえ……」


「バルトは山間部の広い平野に国を構えていて、周囲は深い針葉樹林に囲まれているわ。

 森は周囲の山脈の中腹にまで広がっているから魔物や魔獣が生息している地域があるのよ。

 と言ってもそれはごく一部なんだけれど、そのおかげで高位の冒険者たちが獲物目当てで集まっている感も否めないわね」


(なるほど。 冒険者の国と言われるのはそういう一面もあるのか)



 そりゃあ、こんな魔物が生息している地域があると高位の冒険者でも身の危険に気を付けさえすれば、一定の収入は得られるということだろうか?



「しかし、アゼレアの選ぶ依頼は護衛に討伐に狩りと物騒なやつばかりだね。

 何か落ち着いて依頼がこなせる案件はないのかな?」



 まあ彼女の場合、戦闘が好きなんだからどうしてもそういった案件を選ぶのはある程度予想できたが、でもしょっぱなから躊躇なく選ぶっていうのはどうなのだろう?



「そうねえ……あっ、これなんかどうかしら?

 元貴族家の屋敷での武装解除と武器の回収の補佐ですって」


「は?」


(え、何それ? そういう作業って普通は国の仕事とかじゃないの?)


「これなら、そこまで危険はないでしょう?

 依頼内容を見るにバルトの騎士や兵士にくっ付いて行くだけらしいから、万が一、何かあっても大丈夫なはずよ」


「ふーん……」



 でも、貴族の武装解除っていったいその貴族は何をしたのだろうか?

 まあしかし、国の騎士や兵士の補佐ならアゼレアの言うようにそこまで危険はないだろう。



「私も魔王領にいたときに、お取り潰しの処分を受けた貴族家の財産没収の作業と騎士や領軍の武装解除の護衛と警備役で同行したことあったけど、相手は抵抗らしい抵抗もしないから楽だった記憶があるわ」



 なるほど。

 魔王領の貴族ってことは高位魔族の家なんだろうし、恐らく魔族ってことはそれなりに強いはずだからそれなりに注意が必要だったんだろうけど、相手が人間の貴族ならそこまで気負う必要もないか。



「じゃあ、手始めにそれを請けてみようか?

 募集人数は複数で定員制って書いてあるから、まずは受付に行って聞いてみよう」


「わかったわ」



 俺は依頼書の番号をメモってアゼレアと共に『依頼』の案内板が掛かった受付へと向かった。






 ◇






「それでは、これで依頼の受付が完了しました。

 予定日は明日の午前になっていますので、集合場所へ遅れないようにしてください。

 あとこちらの書類が依頼受諾証になりますので、依頼主の方に忘れずにお渡しください」


「分かりました。 では、失礼します」


「はい。 無事依頼が完了されることを祈っています」



 依頼の受付を終えた俺とアゼレアは、ギルド統括本部を出て次の立ち寄り先である日本人転生者の優一君の屋敷へと向かう。


 何でも、昨日本人から聞いた話では一緒にいた女の子の一人がとある国のお姫様らしく、その彼女の実家である国元から今住んでいる屋敷を与えられたとのことだ。



「ところでアゼレア、今日はまだ昼食を摂っていないから優一君の屋敷に行く前に遅めのお昼ご飯としようか?」


「そうね。 気が付けば、もうこんな時間だったのね」



 そう言って懐から軍用の懐中時計を取り出して時刻の確認をするアゼレア。

 彼女が持っている懐中時計は俺が軍刀などの装備と共に渡したものだ。


 最初は壊さないように慎重に扱っていたのだが、今では慣れたもので懐から出して時刻を確認して元に戻す一連の動作が様になっている。


 最初は腕時計を渡そうと思っていたのだが、機動隊の防護手袋Ⅱ型を両腕に嵌めていると時刻が確認しづらい上に邪魔になるのということなので、懐中時計を愛用しているのだ。



「何処でご飯を食べようかな?」



 周囲をきょろきょろと見回してしていると、一人の男と目が合った。

 身長は俺とほぼ同じくらいで、若干ふっくらとした体格で欧米人風の顔つきが多い異世界の人間の割には若干印象に残りにくい平凡な顔つきをしており、目を細めると糸目になる猫っぽい目をしている。


 俺と目が合ったことに対し、向こうはニコッと笑ったのでこちらは軽く会釈して再び店を探す。


 しかし、この界隈にはギルドの統括本部と聖エルフィス教会本部が在る為か周囲には『代書屋』と呼ばれる筆記代行の店や魔法役を調合販売する『薬師』の店、武器屋防具の修理・販売を主とする武器屋や衣服を繕う仕立て屋が多く、飲食店は少し歩かないと存在していないようだ。



「ここら辺には飲食店はないようだね。

 少し歩くけどいいかい? アゼレア」


「大丈夫よ。

 今の時間だとさほど混雑はしていないでしょうし、のんびりと行きましょう」


「わかった」





 ――――約3分後





「…………ねえ、ところで気付いた?

 後ろから小太りの男が後をついて来ているわよ?」


「うん、俺も気づいた。

 建物のガラス窓に時々映り込んでいたから最初は気のせいかと思ったけれど、どうやら本当に尾行しているっぽいね」


「どうする。

 今は孝司と私だけで、スミスたちはもういないわよ?」


(うーん、どうしよう?

 尾行しているのは彼一人だけみたいだし、もし例の『貴族派』とかいうウィルティアの過激派貴族の放った刺客だったら不味い……)



 時折立ち止まってアゼレアと話したりしていると、向こうの男もそれに合わせて止まったり、時折追い越したりとかするけど、そういう時は向こうが立ち止まって俺たちが追い越すのを待っていたりする。



(うーむ、やっぱり彼を捕まえて洗いざらい話を聞いた方が良いのだろうか?)



 そうなると何処かの段階で彼を捕まえる必要があるけれど、問題はどうやって捕まえるかだ。

 まさかこの往来のど真ん中で銃を突きつけてひっ捕らえるのは無理がある。


 この界隈はギルドや教会の本部が在るために、優一君のときの様な過激な行動には出れない。



「ねえ、孝司。

 あそこの建物と建物の間にある路地に誘い込むっていうのはどう?」


「えっ? どうやって?」



 黙って思案していたところに突然アゼレアが作戦を提案する。

 彼女曰く、カップルとしてイチャイチャしながら路地に入って彼を誘き寄せようというのだ。



「私達がいちゃつきながら路地に入っていけば、彼は“そういう行為”をするために路地に入っていったと思うの。

 路地に入ったら私が跳躍して建物の上に飛ぶから、貴方はそのままあの男を引き付けておいて。

 で、彼が路地に入ったら……」


「君が下りて来て彼を俺とアゼレアで挟み撃ちにすると?」


「そうよ。 どうかしら?」


「…………いいんじゃない?」


「なら決定ね」



 言うが早いか、アゼレアはこちらの肩にしな垂れかかって来た。



「ねえ、孝司ぃ~私もう朝から息が詰まるような場所に行きっ放しでもう辛抱堪らないの。

 イイでしょう? ねえぇ、一緒にイキましょう?」


「ちょ……いきなりどうしたのアゼレア?」



 いきなり始まった彼女の演技に合わせるようにして、俺も半分驚きながらも慌てた素振りを見せる。



「貴方も知ってるでしょう? 私の種族の特性を。

 もう血が昂って苦しいのよ! だからシテ?」


「うっ!? で、でもここら辺に宿や同伴旅館は無いし……」



 いくら演技とはいえ、嫣然とこちらに流し目を送り妖しげな雰囲気を周囲に振りまくアゼレアにドキドキとしながら、敢えて否定の態度を示す。



「なら、あそこの路地で……ね?

 “誰もいないみたい”みたいだし、いいでしょう?」



 会話の中に路地に本当に誰もいないことをさり気なく俺に教えながら少しづつ路地に近づいていくアゼレアとそんな彼女に引っ張られていく俺。

 そして、それを建物の陰からその様子を観察する男。



「ええぇぇーーっ!? いや、いくら何でも外って……」


「もお! いいから、アソコにイクのよ!!」


「イクって……ちょ、アゼレア!?

 アアアアァァァァーーーーーー!!!!!!」



 「なんかつい最近も同じようなことがあったよね!?」って内心そう思いながら、彼女に襟首を掴まれて石畳の上を引きずられて行く俺。



(っていうか、腰と背中が痛い痛い!!)



 俺が横目で見るとこの状況を見守っていた何人かの冒険者や神官、一般人に混じりこちらを見ている男。


 両サイドを石とモルタルで作られた建物に挟まれた幅約2mほどの路地裏に入り、暫く演技で俺を引きずるアゼレアだが、彼女は俺を引きずりながら腰の後ろの革ベルトに装着していたカイデックス製の鞘からプッシュダガーを後ろに回した右手で素早く引き抜く。


 引き抜かれたプッシュダガーは通常のモノよりかなりの大型で刀身の長さは150mm、厚さは6.3mm。ピストル型グリップの底には分厚いガラスを砕き割るための鋭い突起が装備され、波刃を持つメインブレードの背中側には太いケーブルなどを切り裂くための刃をスエッジとは別個に備えている。


 イタリア海軍特殊部隊が同国内のナイフメーカーに戦闘にも救助任務にも使えるようにとデザインを依頼し、特別に作らせた大型のプッシュダガー。アゼレアが持つのは一般用に販売されている同型のプッシュダガーと違い、イタリア海軍特殊部隊用のスエッジにも鋭い刃が施された特注品だ。


 恐らく狭い路地では軍刀の取り回しが悪いので、格闘戦にも使えるプッシュダガーを選んだのだろう。


 俺も彼女の行動に合わせるように引ずられ声を上げながらポーランド製次世代自動小銃GROTのコッキングレバーを引いて初弾を薬室に装填し、次にハンドガードに装着されている40mmグレネードランチャーに対人対物榴弾を装填する。


 ある程度まで俺を引きずった彼女は襟首を離して直上に跳躍するが、跳躍する瞬間“ボゴッ!”という音が聞こえ、音がした所を見ると石畳になっていた地面が少し陥没していた。上を見上げると右側の2階建ての建物の屋上にいるアゼレアと目が合う。


 彼女は視線で路地の出入り口を見て男が侵入してくるという合図を俺に送る。

 それを受けて俺は路地に会った荷車の荷台に隠れて演技を続けた。



「ああ、アゼレア!

 幾らなんでもこんなところで……ウムゥゥーー!!??」



 物陰に隠れて上を見ると、こっちに男が近付いて来ているとアゼレアはこちらへジャスチャーで教える。


「ハア、ハア……アゼレア、お……俺もう……!」



 そして男と遮蔽物になっている荷車との距離が2mを切ったその時、俺は意を決して立ち上がる。

 自動小銃を構えた先には、街中で俺と目が合った少々恰幅の良い男が驚いた顔でこちらを見ていた。



「なっ……!?」


「動くな! 少しでも怪しい動きをすれば撃ち殺すぞっ!」



 俺がそう言った瞬間、男の後ろに何かが音も無く下り立ち、彼の首筋にプッシュダガーの刃が当てられる。



「彼が言ったように、変な動きをすれば私もあなたの首を掻っ切るわ」



 男は抵抗の意思がないことを示すかのように手を胸の位置まで持っていき、こちらに何も持っていないと言わんばかりに掌をかざして見せる。



「あんたは何者だ?

 もし答えないならば、彼女は即座に首を掻き切るぞ」


「わ、私はギルド情報科に所属する職員だ。

 実は、あなた達に折り入って頼みたいことがある」


「その口ぶりだと俺達のことを知っているようだが、あんた本当に情報科の職員なのか?

 失礼だが、身分証を拝見できるか?」


「も、もちろんだ……だがその前に“コレ”をどうにかしてもらえないだろうか……?」



 コレとはアゼレアの持つプッシュダガーのことを言っているんだろう。

 まあ、この人が何かしようにも、その瞬間にアゼレアに切り殺されるだろうから大丈夫か?



「アゼレア、大丈夫だから彼を放してあげて」


「本当に大丈夫なの? この後、何かするかもしれないわよ」


「その時はその時さ。 仮に彼が抵抗してもアゼレアの方が早いでしょ?

 それにもしもの時は彼の頭がこれで吹き飛ばされるから」


 そう言ってアゼレアが現れたことにより照準を外していたGROTを示す。

 自動小銃のファイアーセレクターはセミオートの位置に合わせてあり、もちろんグレネードランチャーの安全装置も既に解除されている。



「……分かったわ」



 そう言って男から離れるアゼレアであったが、プッシュダガーは右手に握ったままで何時でも彼の首を切り裂ける位置に立っていた、



「ふう……! 本当に死ぬかと思いました。

 自己紹介が遅れましたが、私の名前はルーク・バンナーと申します。 

 所属は先ほど申した通りにギルド統括本部の情報科に所属しており、係長として働いています」


「で、その情報科のお方が俺達に何の用ですか?」


「もし禄でもないことだったら、首を掻き切るだけではなく落とすからそのつもりでね?」


「ヒッ……!? す、すいません。

 いえ、実はこうしてあなた方の後をついてきたのは他でもなく、お頼みしたいことがあったのです」


「何ですか一体? 内容次第では断るかもしれませんよ?」


「それでも構いません。 実は……」


「実は?」


「とある王族の方を救い出して欲しいのです」


「は?」


「ええっ?」



 ルーク・バンナーと名乗った情報科の男性職員の口から出た言葉に俺もアゼレアも一瞬何を言われているのか理解できなかった。


 しかし、これが後の大事件に繋がるとは俺もアゼレアも、このときは夢にも思わなかったのである。

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