第30話 密会

「ここならば、話が外に漏れる心配はありません」



 俺とアゼレアはバルト永世中立王国の王都テルムに存在する一つの飲食店の個室へと通されていた。


 聖エルフィス教会とギルド統括本部に面した大通りに接している飲食店が密集している地域から見て、裏通りにあるこじんまりとした木造とモルタル造りである2階建ての小さな酒場兼食堂。


 その1階の階段裏にひっそりと存在する『掃除道具入れ』と表示されている扉の向こうには、防音対策として分厚い木製の扉を2枚隔てた奥に部屋が存在していた。


 部屋の面積は日本で言うところの6畳間ほどで、中央に4人で囲める程度の大きさのテーブルに椅子が4脚設置されており、天井には淡い光を放つ魔法石が埋め込まれて暗くもなく、明るすぎることもない部屋は不思議と居心地が良く、窓は一切無いのに圧迫感が全くない。



「この店は我々ギルド統括本部情報科の持ち物でしてね。

 従業員達は現在は引退した情報科所属の元情報屋であったり、元遺跡発掘人などです」


「はあ、そうですか……」


「ふぅん……」


「今回のように他人に聞かれたくない場合は、この部屋で話をするようにしています。

 もちろんこの店だけではなく、他にもいくつかの場所に秘密の部屋を構えていまして、このことは通常のギルド職員や幹部達は知りません。

 知っているのは情報科の科長を歴任したことがある幹部と、情報科の職員のほんの一握りだけです」


「そんな秘密を俺達にペラペラ話すということは、貴方が情報科でもかなり重要な地位にいることは分かりました。

 で、一体何を話すおつもりですか?」


「その前に改めて自己紹介をさせていただきたいと思います。

 わたくしの名前はルーク・バンナー。

 ギルド統括本部情報科で科長として働いています」


「はあ?」


(おい、確かこの人はさっき係長と言っていたよな?

 なんで役職が科長にランクアップしているんだよ……?)


「成程、だからあなたと会った直後から誰かが、ひっそりとくっ付いて来ていたわけだわ。

 係長なんていう中間管理職に対して付いてくる影が五人なんておかしいと思ったのよね」


「アゼレア?」



 くっ付いて来たって一体誰なのだろう?

 5人って言うのは、もしかして護衛か何かなのか?



「鋭いですな。

 さすがは魔王軍内でも一二を争う戦略家として名高い吸血族大公家のご息女様です。

 確かに私には最低でも常時三人が護衛任務に就いています」


「それにしても、いただけないわね。

 こんな秘密の場所に引っ張り込むなんて……私達に汚い仕事を押し付ける気満々じゃない」


「まあ、仕事を受けるかどうかは話を聞いてからでもいいじゃないかアゼレア。

 それでも良いんですよね? バンナーさん」


「ルークと及びください、エノモトさん。

 確かに我々ギルドは仕事を斡旋するのが本来の仕事です。

 ですから、この話の内容を聞いて可否を決められるのはそちらにお任せします。

 実際、今のところ三組の冒険者クランから良い返事をいただいていますので」


「断ったら、どこかの路地裏や林の中で身体が冷たくなってたなんてないでしょうね?

 父のことを知っているのなら、私のことも知っているのでしょう?

 あなた達の手駒が何百人来ても、全員皆殺しの憂き目に遭って有能な人材を無駄に消費させるだけよ」


「ご心配なく。

 我々も魔族の世界において、ガチガチの武闘派で通っている貴女様に喧嘩を仕掛ける気は毛頭ありません。

 ただ、今から話す内容は我々としても本当に切羽詰まっている事態なのです」


「そう。 分かっているのならばそれでいいわ」


(うーむ、2人の間で妙な緊張感が漂っているなあ……話題を変えるためにも、こちらから話しかけてみるか)


「ところでルークさん、話したい内容とは?

 さっき路地裏で言っていた例のとある王族についてですかね?

 ああ、それと俺のことは孝司と呼んでください」


「はい。 実はお二人にこのことを話すのは他でもありません。

 それは、あなた方がお請けになった依頼に書かれてあったことなのです」


「依頼……ですか?」


「ええ。 内容は覚えておいでですか?」


(内容ってあれか?

 掲示板に張り出されていた依頼書に記載されている内容ってことなのか?)



 確か、あの依頼はこの国の何処かの貴族家の屋敷に赴いて、領主配下の騎士団や領軍の武装解除と武器の回収だったと思う。



「ええ。 覚えていますけれど」


「では、話が早いですね。

 因みに、どこの貴族家なのかは知らされていますか?」


「いえ、全く知らされていませんね」


「ふむ……そうですか。

 あなた方が受けた依頼内容はこの国の貴族、『ウェビリオ伯爵家』の武装解除と武器の回収を行う国軍の補佐になります」


「ウェブリオ家ですって?」


「アゼレア、何か知っているの?」


「知ってるも何もウェブリオ家と言えば魔王領との交易で繁栄したバルトの貴族家の一つよ。

 この国の初代国王が元冒険者っていうのは知ってるでしょ?

 そして、この国に存在する貴族達の初代は建国の際に周辺諸国から集まって来た冒険者に傭兵、商人に元騎士などが多いの。

 逆に言えば他国から来たとはいえ、没落も含めて元貴族などは数えるほどしかいないわね。

 で、ウェブリオ伯爵家は元々商人から始まった貴族家で、魔王領産の綿製品や陶器の輸入販売で莫大な富を築いて一代でのし上がった家よ。

 そこから更に勢力を伸ばして順調に爵位を登り、今は伯爵家の位に落ち着いたわ」


「へえ~そうなんだ」


「お詳しいですね」



 俺が頷くことしかできない中、ルークさんはアゼレアの説明に感心した様子でウンウンと頷いていた。



「私達魔族にとって数百年前の出来事なんてつい最近にも等しいわ。

 特に父達の代の魔族らにとっては昨日のことのように思えるんじゃないかしら?」


「流石は長命種が多い魔族のお言葉ですね。

 我々としても上級魔族のような各国に伝手が多い長命種の方を職員に迎え入れたいのですが、皆さん魔王領から出て来ようとされないので探すのに苦労していますよ」


「そうなんですか?」


「ええ。

 技術者や職人、農業指導者などの方は魔王領から国策として各国に派遣されているのですが、この過程で最終的に派遣先の国に落ち着く魔族の方もいるにはいます。

 ですが、高等魔術を使える方や各国の貴族や官僚、軍人に商人などと繋がりのある上級魔族の方が魔王領から出て他国に嫁いだり、移り住むということは殆んどありませんね」


「そうね。

 基本、子爵から上の貴族家の魔族が婚姻以外で他国に移り住むことは今まで数えるくらいしかないわ。

 私達の殆んどの種族場合、基本女性は子供ができにくい身体をしているから国外の貴族家に嫁ぐことは殆んどないわね。

 それに皆んな寿命が人間以上に長いから人間種と婚姻を結んでも、子供ができる頃には相手の人間の男性がおじいちゃんになってる場合が多いのよ。

 そういう理由もあって、逆に子供ができやすい人間種や獣人の女性が魔王領の貴族家へと嫁いでくる場合が多いわ」


「なるほどねぇ……」



 俺の疑問にルークさんとアゼレアの2人が丁寧に魔王領の国外婚姻について教えてくれるが、確かに長命でかつ子供ができにくい身体なら、寿命の短い人間と結婚したら大変だろう。


 毎日励んでやっと子供ができたと思ったら人間の男の方は爺さんになっているのに、奥さんはほぼ変わらず若いままで、子供も今から成長していくのでは後継者問題がややこしい以上の面倒な事に発展しかねない。


 しかも貴族とはいえ、結婚した人間男性の方が戦争や病気で死ぬ可能性が地球以上に高いこの世界では、後継者を10年単位で悠長に待っている余裕は本人も家族にも無いかと思われる。



「そういう理由もあり、私共としてはクローチェ様のような大公家のお方が公務以外でこうして単独で他国にいるというのは、非常に珍しい上に千載一遇の機会と捉えています」


「どういうこと?」



 ルークの言葉にアゼレアは少し警戒感を示す。



「どうですか?

 このままギルド統括本部に勤めてみる気はありませんか?

 何でしたら私が統括理事長と各科長に掛け合いますので。

 貴女様ほどの高位上級魔族であれば、科長としても各国の本部長としてもやっていけると思うのですが?」


「そう言われて悪い気はしないのだけれど、私は魔王軍の軍人よ。

 事務仕事より前線で戦いながら指揮を執っていた方が気が楽なのよね。

 ところでウェブリオ家から話が脱線しているわ。

 早いところ本題に入らないかしら?

 あと、私のことはアゼレアで結構よ」


「ああ、そうですね。 失礼しました。

 話を戻しますが、あなた方が請けた依頼の貴族家の武装解除と武器の回収ですが、対象の貴族家というのがウェブリオ伯爵家になります。

 伯爵家の成り立ちは先ほどアゼレア……様が言った通りで、元々は商人から始まっています。

 そのため商品の仕入れ先である魔王領、販売先であった我が国の他、隣国のシグマ大帝国、また支店があった幾つかの国々の有力貴族や豪商に対して商人時代からの様々な伝手があります」


「でもそんな伯爵家が何で武装解除を受けるの?

 これって要するにお取り潰しってことじゃない」


「はい、その通りです。

 正確にはお家断絶とまではいきませんが、領内に抱えていた領軍を押さえられ、武装解除を受けるのですから貴族としては力の源の一つである武力が無くなれば死んだも同然です。

 しかも治安維持の名目で領軍の代わりに国軍が派遣されるので、貴族家としての立場は更に弱くなります」



 まあ、確かにそうだろう。

 日本のように自治体の首長が選挙で選ばれて人間が変わるのに、治安維持の武力が公安委員会麾下の警察組織として別系統で存在しているのではなく、領主が一定の武力でもって治安維持をしているようなこの世界だと武力=力の源なのだから。


 しかも、領軍の規模や自領で回す資金の額で実質的な序列が決まるような場合、これはどん底に陥ったようなものだろう。

 


「伯爵家は何をやらかしたの?

 国からそこまでされるなんて普通じゃないわよ」


「それが……どうも我々情報科が詳しく調査したところ、領内を通行していたとある他国の王族を伯爵家のご長男が私兵を使って襲ったのだそうです……」


「…………はあ?」



 ルークさんの話を聞いていたアゼレアはポカンとした表情を浮かべている。

 俺としては珍しい物を見たという感じだが、彼女としては内容を理解することができないようだった。



「何それ? それって本当なの?

 たかが一伯爵家の長男が他国の王族を襲うなんて……戦争になっても仕方がないことじゃない!

 っていうか、何で戦争になってないの!?」



 椅子を倒すくらいの勢いで立ち上がり、叫ぶようにして話すアゼレア。

 ルークさんが話した内容の余りの馬鹿さ加減に瞬間的にキレたようだ。



「落ち着いてアゼレア。 ルークさんに怒っても仕方がないよ」


「ごめんなさい、孝司。

 でもこれを聞けば誰でも怒るわよ!

 ちなみにそのとある他国ってどこなの? 隣のシグマ大帝国とかなの?」


「いえ、違います。 相手はウィルティア公国です」


「はあ!?」



 素っ頓狂な声を上げるアゼレアは最早キレるとかの次元を通り越して脱力して椅子に凭れ掛かる。そんな彼女を見ながら、俺はまたもや出てきたウィルティア公国の存在に最早何とも言えない気持ちになっていた。



(おいおいおいおいっ!

 俺はウィルティアとは腐れ縁の中になっちまったのか?

 何でことあるごとにあの国の名前が出てくるんだよ?

 俺、ウィルティア公国に対して何か悪いことでもしたのか!?)


「ウィルティア公国の王族って一体誰なの? もしかしてシレイラ公女殿下?」


「いえ、違います。 襲われたのはシレイラ殿下の妹君のルナ公女殿下です……」


「ルナっていうと第二公女殿下のことじゃない。

 でも、何で伯爵家の長男が襲うのよ?」



 確かに伯爵家の人間が他国の王族を襲う理由なんてないだろう。

 もし襲ったことが分かれば確実に戦争になる。


 この国はウィルティアとはシグマ大帝国を間に挟んでいるから、直接的には戦争に発展することはないだろが、関係は最悪になるのは目に見えている。



「ウェブリオ伯爵家のご長男であるサディアス様は非常に好色な人物でして。

 秘密裏に女性の奴隷を頻繁に購入されていたようなのですが、“その筋”では奴隷を直ぐに使い潰す人物として有名だったらしいです。

 ルナ殿下が襲われた日は折しもサディアス様が奴隷を購入して馬車に乗せて連れ帰る最中、領内の森の中で私兵と共にその……奴隷らを……」


「ああ、わかったわ。

 あなたの言いたいことが。

 要するにそのサディアスとかいう馬鹿は見つかれば重罪になる奴隷を今まで違法に購入して使い潰していて、ルナ殿下が攫われた日も奴隷を購入して意気揚々として帰っていたところ、我慢できなくなって手近な森の中で奴隷達を私兵と一緒になってに嬲っていたら、殿下の車列が近くを通り掛かったということね?」


「はい、大体その通りです。

 正確には奴隷の悲鳴を聞きつけたルナ殿下の護衛を務めていた騎士と兵士数名が駆け付けたのですが、兵士の一人がその際にサディアス様の護衛に切りつけられました」


「普通はそれだけでも国際問題ね」


「ええ。

 普通は奴隷を所持しているところを目撃されて国に通報されるだけで大問題です。

 しかも彼らは奴隷に危害を加えているところを目撃していまして、口封じのために駆け付けた騎士と兵士らを殺害したとのことです」


「なんてことを……」


(うわあ、これは聞いているだけでも禄でもないわぁ……その渦中のサディアスって一体歳幾つなのかね?)



 下半身が奔放ならまだしも、話を聞くにどうも後先考えずにキレやすい阿保っぽい。

 っというか、他国の騎士や兵士を口封じで殺すとか救いようがない。


(ん?

 でもウィルティアの兵士って、あのシレイラ公女が魔物の集団に襲われたときも結構強くなかったっけ?)



 相手が武装したオークやゴブリンの大規模な群れだったから対人戦を意識した装備では手こずっていたが、相手が同じ人間だった場合、結構善戦していただろうという覚えがあるのだが?


 もし、ルナ公女の護衛達もシレイラ公女の護衛と同じ装備と布陣だったら、一貴族の息子が持つ程度の私兵くらい簡単に蹴散らせるように思える。



「あの……ちょっといいですか?」


「どうしたの孝司?」


「いや、ちょっと気になったことがあってね?」


「と、言いますと?」


「いえ、なんで公女様を護衛している騎士や兵士たちが殺られたのかなって思ってですね?

 普通は王族を護衛するのならそれなりの人数が揃っているでしょうし、それに護衛を任される騎士や兵士が弱いわけないじゃないですか?

 なのに、どうして貴族の私兵如きに殺られたのか不思議でしょうがなくて。

 もしかして、公女様の護衛ってほんの数人だったんですか?

 それとも私兵がもの凄い数でもいたのかなって思って」


「そう言えばそうね。

 普通は王族の護衛を務めるのならば、騎士にしろ兵士にしろ選抜された精鋭であるべきはず……」



 俺の話にアゼレアはウンウンと頷く。


 そう。

 普通ならば彼女の言う通りで、精鋭中の精鋭で固められた護衛達が殺られるのはおかしい。


 それこそシグマ大帝国の公爵令嬢らの車列を襲った魔法障壁持ちのオーガやシレイラ公女を襲った完全武装のオークでもいないと無理なのではと思う。



「それなのですが、どうも護衛の者達が殺されてしまったのは当のサディアス様が原因のようです」


「どういうこと? もしかして魔法か何かでっということかしら?


「その通りです。

 コトが発覚してから、我々はバルト側に対し秘密裏に調査を進めていました。

 そして様々な聞き込みの末、漸く事件現場を突き止めだのです」


「で、どうっだったの?」


「はい。

 アゼレア様の仰った通りで、現場には魔法を使った痕跡がありました。

 どんなに巧妙に偽装しようとも、現場に残った魔素は短期間では消えませんからね。

 まあ、魔素は目に見えないので物理的に消しようがないというのもあるのですが……」


「そうね」


「でも、誰が魔法を使ったんですかね?

 私兵の中に魔法使いがいたんでしょうか?

 というか、公女様の護衛側には魔法使いはいなかったんですかねえ?」


「いえ、ウィルティアのギルド本部にルナ公女の当日の護衛の布陣を調べさせたのですが、手に入った名簿の中には軍所属の魔道士が四人いました」


「何で他国の機密情報を手に入れられるのかは敢えて聞かないでおくけれど、公女の護衛を任せれるくらいの腕を持つ魔法使い、それも四人が殺られるなんて普通じゃないわね。

 私達魔族種やエルフ種なら話は別だけれど、人間種ならサディアス側の魔法使いの腕はかなりのモノよ」


「それがですね……私兵の中には元冒険者や傭兵や没落した騎士など剣の腕に関しては手練れの者達で構成されているようなのですが、魔法を使える者は一人もいないということです」



 俺とアゼレアの疑問にルークさんは淡々と答えるが、話す内に表情が徐々に強張っていった。



「それじゃあ……」


「はい。 魔法を使ったのはサディアス様。

 しかも、腕は我が国の宮廷魔術師と同じか、それを遥かに凌駕している可能性があります」






 ◇






「中々美味しいわね。 孝司」


「うん、そうだね」



 先程までルークさんと話していた部屋で俺とアゼレアは遅めの昼食を摂っていた。

 ここの昼食代は話を聞いてもらったお礼としてギルド側が持つということだったので、お言葉に甘えて食事をいただくことになったのである。


 今食べているのはこの国で飼育している牛の乳から作ったチーズを地球のラクレットのように加工した『丸形チーズ』という大きく分厚いチーズを切り分けて鍋に入れ、発熱する魔法石を使用して高温になった鍋の中で溶けたチーズに肉や野菜を入れて絡めてから食べるチーズフォンデュを食べていた。


 この国のパンはフランスパンを大きくしゴツくしたようなパンが食されていたが、これがまたチーズフォンデュに合う……というか、このチーズにメチャクチャ合うのだ。


 ここには俺とアゼレア以外誰もいないので、ストレージから遠慮なく山梨産の赤ワインとスパークリングワイン、薩摩切子と江戸切子のワイングラスをそれぞれ取り出し、これらのワインを飲みながら俺たちは周囲の目を気にすることなく、ゆっくりと食事を楽しんでいた。



「この赤も良いけれど、こっちの細かい気泡を含んだワインも良いわねぇ。

 程良い刺激が舌にきて、そのまま肉やチーズの後味を洗い流してくれるし、辛口の味が口の中に微かに残って心地良いわ」


「このシャルドネエクセレントって名前のスパークリングワインは二酸化炭素を精製時にワインに追加して、発酵の段階で生じる炭酸ガスをワインにじっくり吸収させて作っているお陰で、ワインの中に発生する気泡が非常に繊細だからね。

 女性には人気が高いと思うよ」


「このワイングラスも綺麗だわ。

 魔王領でもガラスの表面を削って装飾にする技術はあるけれど、これくらいの大きさのグラスにこれほど細かく削れるのは極一部の職人だけだよ。

 しかも、こっちの赤いグラスはよく見ると、削られているところの溝の模様が徐々に薄くなっている」


「それが薩摩切子の特徴だよ。

 色ガラスと無色のガラスを重ねる『被せ』という技法で作ったガラス製品を削る際に、生まれる色が段々薄くなっていくのを『ぼかし』と言ってね。

 この『ぼかし』に惚れ込んで薩摩切子を集める好事家も沢山いるよ」



 俺はアゼレアに薩摩切子の特徴を説明するために切子のグラスを見せながら話す。

 この薩摩切子や江戸切子のなどの日本製ガラス製品も、以前飲んだシングルモルト同様、この世界の有力者への贈答用に持ち込んだものだ。



「気に入ったのなら、魔王領に着いた時にあげるよ?」


「本当? ありがとう」


「それにしても良かったの?

 あのルークって人の依頼を受けてしまって」


「私は構わないわよ。

 あのサディアスって馬鹿息子がもしかすると生まれ変わった元日本人の可能性があるのでしょう?」


「うん……」



 俺はルークさんとここで話したことを思い出していた。

 今思い返しても、サディアスとかいう伯爵家の長男坊の中身が日本人としか考えられないのだ。



「ルークさんから聞いた話を思い返すとね。

 サディアスって奴の言動が日本人としか思えないんだよなぁ……」



 アゼレアに奴がもしかしたら日本人かもしれないということを話しながら、俺はここでルークさんから聞かされた話を思い出していた。





 ――――30分ほど前





「魔法を使ったのはサディアス本人?」



 ルークさんが言ったことに対してアゼレアが聞き返す。



「はい。

 まあ、貴族にしろ市井の民にしろ、魔法が使える者は使えるのでそれ自体は珍しいものではないのですが、問題はサディアス様が使った魔法の威力の強さです」


「さっき、この国の宮廷魔術師遥かに凌駕しているって言ってましたよね?」


「確かに言いました。

 現場に残されていた魔素を含んだ土を持ち帰り魔法科に分析依頼を出したのですが、使われた魔法の威力は軍属の魔法使い二十人分に相当する魔力量であるという結果が出ました」


「人間種であれば確かに凄いわね」



 ふむ。

 俺は魔法については日本のサブカル分野における架空のものしか知らない門外漢だからよくわからないが、仮に体力にしろ精力にしろ、自衛官20人分と聞いたら凄いと思うので、ルークさんが言っていたことは凄いのだろうというのは何となくわかった。


 しかし少し引っかかるものがある。

 この世界に降り立つ前にイーシアさんの自宅で魔法について聞いたとき、2柱の神様は俺の中に『魔力の種』があると言っていた。そして魔法の使い方を学び経験を積めば魔法も使えるようになるが、反対に使い方もよくわからない状態では危ないとも言われた。


 まあ、だからこうして異世界に銃火器を持ち込ませてもらえるようにイーシアさんに掛け合ったのだが、これらの銃器も使い方やメンテナンスの手順を知らなければ使い物にならない。


 しかし、これら銃器は物体として目に見える状態で存在しているからまだ扱い易いが、実体がない魔法をどうやって操作するのか?

 俺は魔法と聞くとこれが一番疑問に思う。


 アゼレアのように魔族だから、もしくは精霊の仲間だからエルフも魔法を扱えると言っても誰でも最初から簡単に扱える代物ではないだろう。


 最初は失敗したり、コツを掴むのに悪戦苦闘して漸く魔法を扱えるようになる。


 まあこれは何にでも当て嵌まるが、魔法のような実体がない場合、しかも殺し合いの場で軍人である魔法使いを相手に――――それも複数人を貴族の息子が圧倒できるのだろうか?


 どういった戦闘があったかは判らないが、いくら魔力が強くても軍属の魔法使いと騎士や兵士を含めた戦闘のプロを相手に上手く立ち回れるのか甚だ疑問である。


 魔法を含めた戦闘の経験がなければ、いくら有能な私兵がいたとしても最初は善戦していても時期に形勢が逆転すると思うのだが?



「あの、ルークさん。

 サディアスって奴が仮にすごい魔力を誇っていたとしても、軍属の魔法使いやそれを援護する騎士や兵士を簡単に仕留めることって出来るんですか?

 王族の護衛って言ったって、有象無象の者達ではなく訓練された軍人なんですよね?

 彼らは魔法使いが襲撃側にいることも含めて日々訓練していると思いますし、普段から連携も取れていたと思うんですよ。

 しかも、彼らが殺られたら守っている公女様がどんな目に合わされるかもわからないんですから、死に物狂いで戦う筈です。

 そんな彼らをいくら魔力が強いからって、貴族の息子と私兵が勝てるとは思わないのですが?」


「ごもっともな意見です。

 サディアス様の私兵は十数人前後ですが、ルナ公女の護衛部隊は軍属の魔法使いを含めて騎士・兵士らは六十人はいました。

 またサディアス様は勉学、魔法、剣術の修練は共に専属の家庭教師を雇っていたようで、領外または国外の魔法学校や専門の教育機関には行かれていません」


「それならば、確かに孝司の疑問はもっともだわ。

 幾ら魔力が強くても家庭教師相手の魔法戦闘の訓練と違って実戦では想定外のことは山ほどあるし、あらゆる事態を想定して訓練している精鋭の部隊を、何の訓練も施されていない一地方貴族の息子が魔法で打ち破るのは不可能とは言わなくても相当無理な話よ。

 これは私の経験上での話だけれど、サディアスが何か今までと違う大規模攻撃魔法を使ったか、それとも奴がお伽話や伝説に登場する勇者の様な規格外の存在でなければ不可能だと思うわね。

 あとは私達の様な魔族か魔族の血でも入っていれば、また話は別だけれど……」


(……ん? アゼレアは今なんて言った? お伽話や伝説に登場する勇者とな?)


「……ルークさん。

 因みにサディアスの性格や言動は調べていますか?」


「ええ。

 ルナ王女が攫われた以上、相手によってはどんな目に合うか分かりませんから、サディアス様ご本人と身辺については徹底的に調べ上げました」


「どうでした? 彼の性格は」


「……非常に言いにくいのですが、その……あまり好ましい人物とは言えませんな」


「ほう?」


「サディアス様のことを話すには、先ず彼の父親から話さないといけません。

 まず父親のウェブリオ伯爵家の現当主であるディアース・ウェブリオ様は現在のお歳は五十四ですが、最初に奥様がご懐妊されたのはディアース様が二十歳の頃です。

 しかし、一番最初に生まれた赤子は出産直後にお亡くなりになりました。

 その後もお二人のお子を儲けられましたが、いずれも五つを迎える前に当時の流行り病で亡くなっています。 

 そして、ディアース様が三十二のお歳のときに生まれたのがサディアス様です」


「じゃあ、サディアスはけっこう遅め生まれてきた子供なんですね?」


「ええ。

 まあ遅く生まれるのが悪いとは言いませんが、問題はこの後です。

 ディアース様は二十歳から軍に所属し、騎士として国軍の中でかなりの武功を上げた方として国軍の中では現在でも慕っている将兵が多くいます。

 しかし、サディアス様が生まれてからは軍の第一線からは退き、ウェブリオ伯爵家の名跡を継ぐ為に四十歳で軍を退役しました。

 それからは奥様と一緒にサディアス様を熱心に可愛がっていましたが、その……他人にも自分にも厳しいということで有名だったディアース様は、こと息子のサディアス様絡みになると途端に甘くなる傾向がありまして……」



 ルークさんがしどろもどろに話す様子を見て、俺もアゼレアも「あー……」っと全て分かったように声を漏らす。



「アレですか?

 やっとできた跡継ぎの息子が何をしようとも甘やかして怒らないということですか?」


「その通りです。

 サディアス様が領内で何か事件を起こすたびにディアース様は伯爵としての権力を使い、その都度何もなかったことにしているようでして。

 そういう事情もあり、サディアス様はご自分のお思い通りにならないと癇癪を起すようになりました」



 ある意味で予想通りの話を聞いて俺はうんざりした。

 ルークさんの遠回しな話を纏めると彼の性格はこうだ。

 聞いた順番に上げていくと…………





・自分の思い通りにならないと直ぐに癇癪を起こす。

・貴族以外は基本人間とは見なしていない。

・家族を除いて自由意思を奪われた奴隷以外信用していない。

・自分に楯突く人間は身ぐるみ剥いでから伯爵領外へと追い出す。

・トラブルが起こると父親に頼るか金で解決しようとする。

・悪知恵が異常なほどに回る。

・何故か異常なほどに処女に拘る傾向がある。

・見目麗しい女子にしか目がない。

・性行為中に相手の女性の首を絞めたり、切り刻む癖がある。

・誰も教えていないのに幼少の頃から高等魔法が使えた上に読み書き算術も全て完璧だった。





 などなど。

 性根が腐っているというか卑しい心根というか、兎に角関わりたくないような性格だ。


 日本で言うならDQNとでも言おうか?

 18禁小説に出てくる嫌な貴族の息子そのものを地で行っている輩であるのは間違いない。


 アゼレアなんか聞いているうちに殺気が漂い出してルークさんが怯えていた……っというか、本人が目の前に居たら躊躇なく首を斬り飛ばしているのは間違いないだろう。


 しかし、俺が注目したのは一番最後の項目だ。


 日本で言えば幼稚園児くらいのころから舌っ足らずとはいえ、ものをハッキリ喋れる上にこの世界では広く使われている日本語の内、日本人でも難解な漢字の読み書きができる。


 いきなりベテランの魔法使いでも扱えないような魔法を息をするの如く使いこなすことができるなど、普通の幼児ではありえない。


 良くてひらがなやカタカナをスラスラと読める程度だろう。


 まあ日本でも漢字を読み書きできる幼児はいるにはいるので百歩譲って漢字の件は良いとしても、魔法の件は異常の一言に尽きる。


 普通、幼児が息をするくらいの感覚で魔法など扱うことなどできないだろう。才能があったとしてもそれを専門の人間が引き出してなら分かるが、誰も教えていない状態で高等魔法を使いこなすなど異常だ。

 上級魔族であるアゼレア本人すらも、



「魔法に長けている魔女族ですら幼児のころに使える魔法は指先に火をともす程度で、高等魔法を使える幼児など逆に危険視されるわよ」



 と言う始末である。

 なので俺としてはある仮説が浮かびあがった。



(もしかしてサディアスの中身は元日本人か?)



 俺としてはこの仮説が一番しっくりくるのだ。


 もし奴がイーシアさんや御神さんが言っていたように、死亡した日本人としてこの世界に転生しているのならば納得がいく。


 確かイーシアさん達曰く、転生した際に指輪や剣などをギフトとして授けていたというから、物品だけではなく能力を付与されていたとしても不思議ではない。


 それならば、幼い頃から文字の読み書きに算術が出来るということも義務教育を受けた日本人としは当たり前なはず筈だし、魔法も神様が授けた能力であれば高等魔術も難なく使えるだろう。


 しかし、それならば話は相当厄介なことになる。

 聞いただけで近寄りたくないような超自己中心的な奴が強大な魔法を使いこなせるとなれば、鬼に金棒どころかキチガイに刃物状態だ。


 果たして攫われたルナ第二王女は無事なのだろうか?

 下手をすれば今頃切り刻まれた挙句、土の下ということもありうる。



(どう考えても日本人だよねえ?

 しかし、仮に元日本人だったとして、何で御神さんはこんな奴を転生させたんだ?)



 そこが引っ掛かる。

 神様を騙したのか、優一君のようにイーシアさんや御神さんの預かり知らないところで転生させられたのか?



(どちらにしろ、禄でもないことには変わらないな……)






 ◇






「ハア……」


「どうしたの? 孝司」


「ん? ああ……いや、さっきのことでちょっとね」



 どうやらルークさんの話を思い出して、ちょっと憂鬱な気分が表に出てしまったようだ。



「大丈夫? 何だったらこの話は断れば……」


「いや、そういう訳にもいかないよ。

 もし日本人が関わっているのなら、同じ日本人としてケジメを付けさせないと……」


「でも、日本人と言うだけで貴方が関わる必要はないじゃない。

 孝司にも私にも、何の関係のない話よ?」


「確かにそうだけど、このまま放っておいたらウィルティアとバルトで最悪戦争になってしまう。

 下手をすると、この2つの国に挟まれているシグマ大帝国も巻き込まれかねないし、もしかすると魔王領まで巻き込まれるかもしれない」


「まさか……」


「いや、だってウィルティアがルナ第二公女の件でバルト側に強く出れなかったのは、魔王領がルガー王国と戦争中でウィルティアを含む周辺各国が軍事顧問団と言う名目の応援部隊を送っていたからでしょう?」


「ルークから聞いた話ではそうらしいわね……」


「それでずっと考えていたんだけど、もしかしてシレイラ第一公女がバルトに行こうとしていたのはこれだったのかなって思ってさ。

 それならば、ウィルティア側のシレイラ公女が魔物の群れに襲われた際に彼女を助けた俺個人にあそこまで過剰な感謝の意を示したのも納得なんだよね。

 自分の次女が他国で誘拐に遭っている上に長女まで魔物に殺されたとあっては親としては死んでも死にきれないよ」


「ああ。 なるほど……」



 俺の話にアゼレアは納得したように頷いていた。



「仮に魔王領とルガー王国との戦争中に各国から軍事顧問の応援部隊が派遣されている状態で、もしバルトとウィルティアが戦争状態へと突入した場合、部隊を派遣していた各国が巻き込まれていたのは確実だったろうね。

 その中にはシグマ大帝国やダルクフール法国のような大国も含まれている。

 もちろんバルトと国境を接している魔王領もね。

 そうなっていたら、魔王領はルガー王国とは別の戦争に巻き込まれて、下手したら戦力が分散してルガー王国に負けていたかもしれないし、そうでなくても大陸のどこかに燻っていた戦争の火種のようなものがここぞとばかりに燃え上がって、バレット大陸中が中々消えない大きな戦の火で覆い尽くされていたかもね……」


「まさか、たった一人の馬鹿の行いでそんなこと……」


「有り得ない話ではないと俺は思うけどね?

 地球でもほんの些細なことが切っ掛けで大戦に至ったこともあるし、宗教や領土問題が絡んで未だにあちこちでくだらない紛争をしている地域も沢山あるよ。

 中には民衆が革命起こして独裁者を倒したり追い出したりしてやっと平和になったのに、同じ宗教でありながら宗派の違いで、また終わらない殺し合いをして、最終的に独裁者がいたほうが良かったっていうしょうもない民族や宗教もあって収拾がつかなくなってる地域もあったっけな……」


「そ、そうなの?」


「うん。

 でさ、今は魔王領とルガー王国との戦争は終わったわけじゃない?

 スミスさんの知り合いの商人が言っていたように、魔王領内に敵軍の残敵が残っていて、各地で抵抗を続けている。

 これが居る内は各国の軍事顧問は引き上げないと思う。

 それを裏付けるように、ウィルティア公国から派遣された6人の日本人勇者がまだ本国へ戻っていない」


「何故そう言い切れるの?」


「もし、勇者達が魔王領から撤収しているのなら、ウィルティア公王はウェブリオ伯爵家の馬鹿息子に攫われたルナ第二公女を救えと命じるか居場所を特定するように言うだろね。

 何せルークさんがサディアスの魔法について知ってるくらいだから、当然、ウィルティア側もそれを知っている筈さ。

 それならば、アゼレアが言っていたように、ルガー王国軍2個師団を壊滅させた日本人勇者をぶつけさせようとすると思うよ?

 何せ自分の娘の命がかかっている父親は手段を選ばないからねぇ。

 でもルークさんはサディアスと勇者達が戦ったということは言わなかったし、もし戦っていてルナ公女を取り戻せていたら、バルト側もウェブリオ伯爵家の武装解除と武器の回収の依頼をギルドに出さないでしょ?」


「確かにそうねえ……」


「ってことは、まだ戦争の火種は残っている。

 偶々とはいえ、シレイラ第一公女が魔物の集団に襲われたのは却って幸運だったかもしれないよ?

 シレイラ公女が順調にバルト入りして伯爵領に向かっていたら、伯爵家もバルトもサディアスを罰しないといけなくなっただろうし、そうなるとルークさんの言っていた性格通りに癇癪起こして、シレイラ公女を襲っていたかもしれないしね」


「ってことは、もしシレイラ公女殿下が例の事件で本国に戻らず、そのまま伯爵領を目指しているとしたら……」


「そう。

 だからこそバルト側は明日、国軍とそれを補佐する冒険者との共同でウェブリオ伯爵家領軍の武装解除の強制執行を行おうと目論んでいるのかもね」



 そう言った俺の話に何か疑問を持ったのか、アゼレアは半信半疑で俺に質問した。



「でも一つ気になる点があるわ」


「何だい?」


「何故、バルトは国軍を動員しつつも、武装解除という中途半端な手段に出たのかしら?

 普通はサディアスを捕らえて、ルナ公女殿下の居場所を聞き出そうとするのが手っ取り早いでしょうに」



 ふむ。

 確かにアゼレアの意見はもっともだ。


 事態がこれ以上悪化しないように早く片をつけたいというのは軍人として当然の考えだろう。何せ、普通ならば戦争になっていて当然の事件なのである。


 それならば、早期に事態を集結させないと被害はどこまでも広がることだろう。

 しかし…………



「相手が普通の貴族ならば、この国の“上”の方もアゼレアと同じことを考えたと思うよ?

 でもウェブリオ伯爵家の現当主であるディアースとかいう父親は、国軍の将兵達から軍を退役した今でも慕われているってルークさんが言っていたじゃない」


「そう言えば、そんなことも言っていたわね」


「ということはディアース伯爵は今でも軍に対して強い影響力を持っているということの裏返しでもある。

 そういう人を相手に国軍の将兵は“上”から武器を取り上げろと言われても、尻込みする筈さ」


「なるほどね。 だから冒険者を使うのね?」


「そういうこと。

 強制執行のためにウェブリオ伯爵領に向かった国軍の将兵が伯爵に尻込みして、中途半端なことをしないようにという意味でのお目付け役みたいなものだね。

 いくら軍に影響力が強い伯爵といっても、冒険者にはそんなの通用しない。

 等級が高い冒険者であればあるほど、その影響力は無きに等しいはず筈さ。

 しかも状況が状況だから、もしかしたらギルドの各科の職員も現場に来るかもね」


「それは分かったけれど、当のサディアスはどうするの?

 息子が捕まえられると知ったら、父親はあらゆる手段を講じて全力で妨害して来る筈よ」


「アゼレアも聞いていただろう? ルークさんが提案していた作戦を」



 そう言って俺は再びあの時の会話を思い出していた。






 ◇






「ルークさん。

 サディアスのことは分かりましたが、肝心要のルナ第二公女は何処に囚われているのですか?

 それが解らないと救出のしようがないのですが……」


「今のところ、可能性が高いのは伯爵家の屋敷の中の何処かに監禁されている場合ですが、もう一つ我々情報科が懸念を持っている場所があります」


「何処ですそれは?」


「サディアス様が違法奴隷を密かに購入しているリヒテール子爵家傘下の商会であるデリフェル商会です」


「ちょっと待って、まさか奴隷をサディアスに供給しているのは裏社会の犯罪組織や盗賊団などではなく、この国の子爵家なの?」


「驚くのも無理はありません。

 リヒテール子爵家もウェブリオ伯爵家と同じように元々は商人から出発した貴族家で、現在でも子爵としての地位にありながら、バルトでも有数の商会を率いている貴族家のひとつです。

 デリフェル商会はリヒテール子爵家が持つ傘下の商会の内、比較的中規模の商会で主な取引相手はシグマ大帝国より向こう側の大陸西側及び南側に位置する国々になります。

 取引品目は衣服から武具や魔法具と多岐に渡りますが、以前より国外から購入した奴隷を扱っているのではと噂にはなっていました」


「じゃあ、何で早急に捜索令状を持って強制執行しないのよ?」



 魔王領隣国の貴族が奴隷取引に関わっていると知って、苛立ちを隠さないアゼレアは抗議するようにルークさんへ質問する。



「やはり貴族というのが関係していますが、一番の原因はサディアス様ですね」


「またあの馬鹿が出てくるの?」


「はい。

 デリフェル商会の経営を任されているリヒテール子爵家の長男、デュポン様は密かに奴隷の売買をしているためかサディアス様とは大変仲がよろしい様でして。

 またお年も十八歳のサディアス様と同年ということもあり、公私問わずに一緒に居られるところをよく見かけられています」


「外道と仲が良いということは、そいつもかなりの下衆っぷりね。

 どうせ、そのデュポンとかいう奴もサディアスと一緒に奴隷を嬲っているんじゃないの?」



 アゼレアがまるで汚物でも見るような顔で吐き棄てるように発言するが、俺も彼女と同意見だ。

 類は友を呼ぶと言うが、恐らく商売上の理由だけで仲が良いと言うわけではないだろう。



「ハハ……と、とにかく、これまで何度かデリフェル商会に国軍警務隊や聖エルフィス教会の聖騎士団や僧兵団が強制執行に入りましたが、その都度空振りに終わっています。

 国軍に至っては責任者と警務隊幹部数名が逆に処罰されたりしていまして……デリフェル商会に対して国軍は尻込みしている始末ですね」


「国軍は兎も角、聖騎士団や僧兵団の情報も事前にサディアスに漏れていると言うの?」


「確証はありませんが、聖騎士団や僧兵団の中には元国軍出身者が一定数は存在していますから、そこからディアース様かサディアス様に強制執行の話が漏れていた可能性は高いですね」


「厄介ね……」


「はい。

 仮にルナ公女殿下が存命である場合、デュポン様に指示してデリフェル商会内に監禁させている場合があります」


「もしかすると、そのままバルト国外に連れ出して人知れず奴隷として売られる可能性もあるんじゃないですか?」


「それは……」



 俺の言葉にルークさんは初めてその考えに至ったとばかりに驚いた顔をしているが、普通に考えてルナ公女の存在はサディアスにとっては体内に爆弾を忍ばせた奴隷と考えている可能性もあるので、普通ならば殺して遺体は綺麗に灰にしてしまうか、国外へ奴隷として輸出しようとするだろう。


 俺だったらウィルティアの『貴族派』の仕業に見せかけて始末した後、ウィルティア国内の郊外に遺体を持って行って放置するが。


 そうなれば、あらぬ疑いを掛けられたとして国やウィルティア公国に対する重要なカードが手に入るし、自分に向いていた疑いを逸らすことが出来るので一石二鳥だ。


 俺の考えを話すとルークさんはありえない話ではないと思ったのか、顔を青ざめさせていた。



「まあ、あくまで可能性ですよ」


「そ、そうですよね……! ハ、ハハ……!」



 ルークさんは乾いた笑いで誤魔化すが、そうなったらウィルティア国内で内戦でも始まりかねないので、彼としてはシャレにならないのだろう。



「仮定の話はいいとして、伯爵家屋敷への強制執行が空振りに終わったら、ルナ公女殿下がデリフェル商会にいると思ってもいいのかしら?

 もし、屋敷にも商会にもいなかったらどうするの?

 伯爵家には別荘とかないの?」


「まず別荘に関してですが、バルトと魔王領との国境近くに建てられている伯爵家所有の別荘が一軒あります。

 こちらには最近人が入った形跡や馬車の轍の跡は確認できませんでしたから、屋敷か商会のどちらかにいると思われます。

 国軍と冒険者が屋敷に入っている間、タカシさんらお二人は商会へ行っていただきたいのです」


「それは構いませんが、どうやって公女様を探すんです?

 正面から馬鹿ッ正直に入っても摘み出されるのがオチですし、下手すると官吏を呼ばれるんじゃないですか?」



 もし、商会に強引に押入って何も出てこないときが怖い。

 官吏とか呼ばれると面倒になるし、違法な奴隷売買をしていて今まで捕まってないとあれば十中八九、地元の警察機関は買収済みだろう。


 もしそうならば、捕まったら殺される可能性もあるし、上手く逃げ出せたとしても指名手配犯になってしまう。



「ご安心ください。

 商会が存在する地元の国軍警務隊は今まで散々煮え湯を飲まされ歯噛みする思いをしているので、商会絡みで何かあれば味方になってくれる筈です。

 特に最近着任した警務隊の将校は中央で辣腕を振るっていたベテランの幹部ですが、実は私の妻の兄でしてね。

 警務隊が敵になる可能性は低いかと……」


「ならば心置きなく暴れられるわね。

 で、実際に商会に入るのは私と孝司の二人だけなの?」


「いえ。

 警務隊から五人と聖エルフィス教会聖騎士団から四人、それと冒険者がお二人を除いた一五人と我々情報科の職員二人がデリフェル商会へ向かいます。

 最悪、公女殿下が居なくとも奴隷を扱っていたという証拠があれば大丈夫かと思います」


「わかったわ。

 もし商会の人間が抵抗したらどうするの?」


「警務隊からは一応『派手にやりすぎないのなら大丈夫』と言う旨を書類でいただいています」


「じゃあ、大丈夫ね。

 明日、商会に向かう人員の詳細を教えてくれる?」


「すいません。

 それは明日の楽しみにしていてください。

 事前に人数を除く詳細を話すと、どこに相手の耳があるのか分かりませんので……」



 要するに誰がサディアス側のスパイか分からないってことなのだろう。

 しかし、本当に大丈夫なのか?

 大体ギルドって国の機関ではないだろうに、なんでこのようなことをしているのだろう?



「これで、あらかたの説明は終わりました。

 一応お聞きしますが、この件はギルドからの指定依頼と言う形になります。

 依頼をお請けになりますか?」



 ルークさんがアゼレアを見ながら話すが、彼女は「私ではなく孝司に聞いてちょうだい」と言ったため、ルークさんはこちらへ向き直って改めて聞いて来た。



「最後に一つだけ聞かせてください。

 何故、こんな複雑な案件を俺達に提示したんですか?」


「アゼレア様は魔王領吸血族大公家の上級魔族でその武力は魔王領でも敵う者はいませんし、魔族の中でも相当な武闘派で通っています。

 タカシさんはシレイラ公女殿下を巨大なオークから救い出し、ウィルティア公国から公式に感謝の意が示されています。

 そんなお二方ならば、間違いないだろうというのが我々ギルド統括本部情報科と統括理事会の考えですね」



「それにお二人とも、なりたてとはいえ二級冒険者ですからね」とルークさんは言っていた。



「そうですねえ……本来なら俺達には関係ないのでしょうが、ここまで聞いたら引く訳にはいかないのでお請けしますよ。

 ただ、必ずしもルークさんの思い通りになるとは限りませんので、そこは予めご理解くださいね?」


「それだけ言っていただければ結構です。

 それでは、お二人が統括本部冒険者科の窓口で請けた依頼はこちらで手を回しておきますので、お気になさらず。

 集合時間はこちらの建物の前に明日の午前五時にお集まりください。

 我々情報科が手配した情報屋と職員二人が同行し、移動中に商会内部の様子や従業員の詳細を説明しますので。

 私はこれにて失礼させていただきますが、お二人は如何しますか?

 宿まで馬車でお送りしましょうか?」


「ああ、俺達は昼食がまだなので、近所で適当に食べてから戻りますよ」


「ならば依頼を請けていただいたお礼に、こちらでお食事でもどうですか?

 費用は情報科で持ちますので」


「え? いいんですか」


「ええ。 全く大丈夫ですよ」


 ほお?

 一介の冒険者にギルドの科長が奢るとは何とも太っ腹な話だ。

 まあもしかしたら、それだけこの人も今回の事態に切羽詰まっているのかもしれない。



「じゃあ、お言葉に甘えてご馳走になります。

 アゼレアもそれでいいかい?」


「私はそれでいいわよ」


「わかりました。

 私が部屋を出た後、従業員が注文を聞きに来ますのでゆっくりして行ってください。

 それでは、私はこれで失礼します。

 くれぐれも明日は集合時間に遅れないようお願いします」


「わかりました」


「では……」



 そう言ってルークさんはそそくさと部屋を出て行った。

 その後、入れ替わりで従業員がメニューを持って入って来たので、例のチーズフォンデュのセットを頼んでアゼレアと共に2人きりの食事をゆっくりと楽しませてもらった。






 ◇






「ありがとうございました~!」



 従業員に見送られ、俺達は宿への帰路についていた。

 時間はもう夕方と言って差し支えない時間なので、優一君の屋敷は明日以降に行くことにする。


 断りの手紙をアゼレアが使い魔を飛ばして届けさせようとしていたが、先ほどの店の従業員が手紙を持って行ってくれるとの申し出だったので、お言葉に甘えて届けてもらうことにした。


 さすが元情報屋かトレジャーハンターと言うだけあって、手紙を受け取った痩身の男性は瞬く間に走り去ってしまう。



「さてと……宿に戻って明日の準備をしないとな」


「そうね」


「予め言っておくけどアゼレア。 今日の夜は……」


「分かっているわよ。 大丈夫よ、シないから」


「分かってるならいいや。

 じゃあ、帰りがけに公衆浴場に寄って汗を流してから宿に戻ろうか?」


「いいわよ。

 でも孝司、依頼が完了したら血が昂った分、ジックリと相手をシテもらうから覚悟してね?」


「ええーッ!?」


「何よ、その顔は? それとも何?

 孝司は私が誰とも知れない他の男に抱かれても良いと言うの?」


「いや、そんなこと言ってないけれど……」



 そう言った俺の顔を真剣な顔をしてジッと見つめていたアゼレアは突如笑った。



「…………ップ、アハハ!

 大丈夫よ、孝司。

 そんな絶望した顔をしなくても私は貴方一筋だから。

 私の身体には淫魔族の血が入っているけれど、そこまで淫乱じゃないわ」


「は、はあ……」


(ええ~何その言い方?

 っていうか、俺そんな絶望した顔してたのかねえ?)


「さ、早く公衆浴場に行きましょう! 明日の朝は早いんでしょ?」


「う、うん……」



 戦えることを楽しみにしているのかアゼレアは軽い足取りで公衆浴場へと歩いて行く。

 そんな彼女の後姿を見ながら俺は明日のことを考えていた。



(ふう……まったく、下手をすれば死ぬかもしれない依頼を請けたというのに気楽だなあ。

 ま、それは俺も同じか……明日は人生初めての対人戦になる可能性が高いな……)



 今までは通り魔や憲兵、犬の姿をした獣やゴブリンやオークといったのを相手にしていたが、真正面から人間と相対した戦闘はしたことがなかった。


 通り魔も憲兵も殆ど突発的な遭遇戦とも言うべき状況で、仕掛けてくることを予想して念入りに戦闘準備をしている者の相手と戦ったことは全くない。



(ふむ……今までは5.45mmと5.56mm弾を使ったアサルトライフルしか使ってこなかったけど、今度は7.62mm×39ワルシャワパクト弾を使用する軍用ライフルを使ってみるか?

 AK-15にVz58、RK-62MとRK-95、AKML、他にもどの銃を候補に選ぼうかな?)



 明日使う銃器の種類を選びつつ、俺は自然と軽くなっている自分の足取りに気付きながらアゼレアの背中を追い掛けて走って行った。

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