第1話部屋に誰かいる


さて、とにもかくにも。

一人暮らしである。

そうそう、そうだよ。


ついにマイホームを手に入れた、マイルームを手に入れたのだ。

俺も大人になったら、あの親みたいにはなりたくないものだ。

どうしてもなってしまうものなのだろうか………、自分の息子もしくは娘の行動にミスがないかを全力で食らいつくようにチェックする人間になるのだろうか。

なんだかんだと紆余曲折あろうと、そうなるような気がする………ああもう、親のことはそう、俺も十八だ。

戦国の世なら元服は過ぎている。


俺は親の探してきた部屋よりもいくらかグレードを下げた、妙に安い部屋を自力で見つけてきた。

なんだか嫌に安い部屋だったが、俺は一人暮らしをはじめるからにはできるだけ親に負担がかからない場所がが良お、そうしようという、妙なプライドを発揮していた。

仕送りがあっても、自立した気にはなりたいという背反的な心理によるものだ。

アルバイトも、大学生活が安定したその暁には、始める気でいた。



俺はカードキーについたキーホルダーをくるくると、ちゃりんちゃりんと言わせつつノリノリで部屋の前までやってくる。

アパートの廊下には、他の住人のものであろう、荷物がある―――ビニール傘や、下駄箱―――一番目立つもので言えば、タイヤ。

車のタイヤが重なってあった。

ふうむ、車か。

上級生なら持っているのだろう。

自分が在学中に乗り回すことは少ないと思うが、ここの住民の中には、愛車を持っている人もいるのだろう―――こういったアイテムもなるほど、大学生らしい気分にさせてくれる。

夏休みになったら、免許を取りに行くか。




初めてのアパートのその一室。

これから4年間―――問題なく進学ができればだが、我が城となる予定でアパート。

応拳荘おうきょそうの、一〇二号室―――築八年だそうだ。

新しめの建物だし、黒光りするGはそうそう出ないだろう。

初めて使うカードキーは実家の鍵よりも使いにくかった―――というよりも、使えているのかどうか、しっくりとこなかった。

いたじゃないか、こんなの。

本当にこんなものが(突起もついていない)鍵としての役割を果たしてくれるのかと半信半疑になりながらも、カードキーを鍵穴に差し込む。

差し込んで、差し込んだままダイヤルを回すのだが。




金庫のダイヤルに酷似したドアノブのようなそれを回し。

とにかく一回で俺は、アパートのドアを開けることができた。

かちゃん、と鳴った鍵の音は意外にも小さく、隣の部屋から聞こえたのではないかとすら感じる。

観れば隣の部屋、一〇三号室に住人はいないようだった―――というのも、他の多くの部屋の前には色々と物が置かれていた。

車のタイヤをはじめ、下駄箱や傘がいくつかなど住民の私物ものがあり、どの部屋にも生活の雰囲気が、そのかけらが、戸外にまで滲出しんしゅつしていた。




「このドアはただの入り口ではない、俺の一人暮らしライフぼうけんの幕開けである」



記念すべき時には、それ相応の言葉を口にせねば―――という気が沸いて、俺はそんなことを口にする。

人類史上初めての月面着陸における、有名なセリフを意識した。

視線を感じて振り向けば、駐車場の向こう道路で幼稚園児が二人、立ち止まっていた。

俺と目が合うと、怪訝な顔をして、去っていった。

きゃはは、という笑い声がその後に聞こえる。


「ヘンなひとだー!」


「ヘンな『しんにゅうしゃ』だー!ぎゃー!」


走り去っていく、無邪気な子供たち。

………『しんにゅうしゃ』は酷いな。

俺の住むアパートなのに。

ガキどもめ………まああいつらに対して失礼な、と怒鳴っても聞きはしないか。

とにかく俺は『一人暮らし』を始めるのだ。

へへっ、いいだろォー!

始めるぞォ!



妙な高揚感を覚えながら、ドアを開け、部屋に入る。

お邪魔します、と堂々と帰ってきた。

帰ってこよう、これからは。

とりあえずベッドで横になるか、もしくはガスコンロでコーヒーでも沸かすか―――、初めて使うのでブレークインが必要だ。

まごうことなき新品なので、不良品ではないことはわかっているが、さっさと慣れておきたい。

机や本棚などの大きな家具はもう配置についているが、もう少し整理しないといけない。

まあ、一息ついてからでもいいだろう。

入学式まではたっぷり十日間ほどある。


「もう、あかりちゃん、そんなことないって」


さっきの幼稚園児かと思った。

明るい笑い声が聞こえてきて、微笑ましい。

近くの道を通りかかっている人たちだろうか。


「いやいや、そんなものだと思って、楽に構えておくの」


今度は、ちゃんと部屋の中から聞こえる。

あれ、部屋から?

その談笑がこの部屋の中にやけに響いていることに、戸の外にまで漏れてキッチンの金板が音をよく跳ね返していることに気づいて俺は、不思議に思う。



はて。

もしかしたらテレビを消し忘れたかな―――と、そんな推論ことをおもった。


俺は引っ越し業者の兄ちゃんと、テレビがちゃんと動くかどうか、念入りにいじっていたはずだ。

新品ではなく、古い、大きなテレビを実家から運んだ―――もう大型電気店でも売っていないタイプだろう。

そして、スイッチを消し、コンセントを抜いたのも俺が確認した。

他の家電製品とのコンセントの兼ね合い、配置を考えて、テレビはとりあえず後回しにしたのだ。

何かのはずみでスイッチがいたのかな―――もしかしたら、引越しの時にはある現象なのかもしれない。

まだ新居の電気回線を信用していない。

よく知らないし。

廊下の照明のスイッチを横目で見る。

照明スイッチの高さ―――高校までの俺の部屋とそう変わらない高さなのだろうが、やはり慣れない部屋だ。

触れると、位置にかなり違和感がある。



「だからアンタ、第一印象が肝心なのよ?」

その声―――今度は間違いなく部屋の中から聞こえた。

声の響きで、うっすらとドアがふるえているような気すら、ある。


「じゃあどうすればいいの?」


女の声だった。

声色は低いが、高校で聞いていた声に近い。

歳は俺と同じくらいか?

靴を静かに置いて、やかんくらいしか置いていないキッチンの隣を歩いていく。

廊下を進んだ―――小さな窓しかついていないので薄暗く、これではこっちが泥棒になっている気分だった。



「準備はもうしているじゃない、全くもう、文化祭でだってこんなに張り切ったかどうか―――もう………、機会なんてないと思ってた」


「そうね、もう少し『通して』みようかしら。準備は十全に。しすぎて困るということはないよォ?」


話している。

『彼女たち』は話している………二人いるのか。


「じゃあリハーサルね、高次たかつぐさん―――彼が入ってきた時、まずどうするんだったっけ?もういっかい全部通してみよっか」


「うん」


部屋に入ってからようやく聞こえる程度の音量ではあるが、話し声がする。

自分自身の足音のせいもあり、薄らぼんやりとだが、何か俺の名前を呼ばれたような気がした。

俺は台所をゆっくり歩く。

足元に気をつけながら歩く。………やはり慣れない場所だと移動はスピーディにならないものである。

一〇二号室は二部屋ある………キッチンと玄関がある廊下と、もう片方は純粋な「部屋」である。

それらを分かつ中扉の隙間から俺は、覗き込む。

そこには、女の人―――というほどでもないか、俺と同年代の女子が二人いた。




二人の女の子。

服装は普通の、私服である。

びっくりした―――引越し業者の人が残っているのか。

俺は二人のあまりの普通さに、一瞬そんなことを思った。

しかし引越しを手伝ってくれた人達はみんな男だった―――机とか運ぶ、あからさまな力仕事が多いから、当然といえば当然か。

小学校の頃から使っている学習机を持ってきたのは、正直言って悪かった気もする。

あの、本棚と一体になってるやつ………やたらと重い。



ああ、そういえば不動産会社の事務は女の人が多く、その人と一緒にいくつかのアパートを回って、そしてここに決めたなあ―――と、そんなことを思い出し、そして納得しかけてしまった。

不動産会社の職員?

それにしては、服装が私服すぎる。

一見して普通の二人の女子に見えるが、それはそれで異常である。

ここは俺の部屋だ。

俺は一人暮らしを始める、その初日なのだが、どういうことだ。

まずは自分で飯を作って服を洗濯して―――と言う事を繰り返して慣れなければいけないな、なんだか大人になれるような気がするぞ、とか予定を立てていた自分が恥ずかしい。

完全に出鼻をくじかれた。

予定を大幅に変更しなければならない。

さて。

さて、どうすればいいだろうと、考える。

俺の視線は否応なしに彼女らの足元に集中する。

女子の脚である。

彼女らの脚部が魅力的だからというわけではない。俺が太ももに関して異常なまでのこだわりを持つ男だというわけでもない―――。

しかし彼女らをよく見るうちに、観察するうちに、重要なことに気づいたのだ。



脚がよく見えない。

………んん?

あれ、なんか、二人共、脚が見えないというか―――ひざから下だけが蜃気楼にかかったように見えない。

何度か瞬きしても変わらない。

魅力がないとかそう言う意味ではなく、本当に見えない。

何か映像を加工してあるのかと疑いそうだ。

スマートフォンでもパソコンに劣らないレベルの画像処理が可能になってきた現代。

こんなことがあっても不思議ではないのか

ベッドに腰掛けている子がいて―――その女の子の腰があり、スカートがあり、その下に太ももがかろうじて輪郭だけ見え、その下の本来ひざがあるあたりに、掛け布団が透けて見えることに気がつき、見直す。

見返す………二度見、三度見したが、掛布団に、薄い肌色が重なっているだけなのだ。


その女子の、ひざから下が―――ない。

消えている。

それはなまなましい身体欠損ではないにしろ、一人暮らしの初日に目にするには、強烈すぎた。

なんてことだ。

「ゆ、幽霊………?」


一人暮らしライフぼうけんと言ったのは、どうやらいき過ぎた誇張ではないようだった。


「やべえ、部屋選びミスった。幽霊いるじゃん」

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