第7話一人暮らしになんねーや

彼女は、幽霊にしては―――と言っていいのか表現していいのか、わからないが、やかんに水を入れ、火にかけるなどの動作をこなした。

高いところにある戸棚を背伸びなしにホバリングすることで開け、何かを探していた。

寒気を覚えるほど普通にこなしていた。

彼女が住んでいた、らしいので、なるほど確かに動作が自然である。

ん、何かを探している?


「高次さん、コーヒーってどこですか?」


戸棚から目を離し、しかしあまり表情なく、彼女は問う。


「コーヒーならそこに………ああ、そうか。まだ箱から出していないんだ。どこかの箱、どこかの段ボールの中だよ」


うかつだった。

彼女は、台所からこちらに戻ってくる―――すいーっと、飛んでくる。

思わずその脚を見てしまう。不自然な映像なので。

とにかく、ひざのあたり。

ちょうど関節のあたりから下が消えていた。

もやというか霧雨きりさめというか、そんな感じだった。


「どの段ボールですか」


「ん………たぶん台所で使うもの台所用品の、どれかだと思うが」


俺も探す。

段ボールに手を掛ける、紙テープを破く。

引っ越したその日に、全てを開けるわけではない。

そう思って放置したものもいくつかある。

段ボールを見ると、黒いマジックで電化製品、と書いてあった。


「あ、違うなこれ………ええと、こっちのは本、か」


全部探してなかった。

台所用品、と書かれた箱は、果たして。


「………台所にあった」


テンポ悪い。

なんてことだ。

ようやくその箱から紙テープを引っぺがし、中を探す。

あれ、ないな。

「コーヒーありませんか、この部屋、あれ、高次さん」


「うん?」


今日だったか昨日か、見た覚えがある気がしたが。


「………ねえ、普通、食べ物とか飲み物って、家から持ってきます?」


「いや、家で確かお中元か何かで届いたコーヒーがあるからっつって、そのちょっとおしゃれな箱に入ったのをそのまま持ってこようとして」


「持ってきたんですか?」


「確か、実家のテーブルの上なのだ」


思い出した。


「じ、実家ですか」


「そうだ、この102号室へやじゃない、実家に置いてきてしまったから―――」


がさり、とスーパーの袋を持ち上げた。

その中には今日食べる夕飯の分もあり、外からはコーヒーが見えにくかった。

最寄りのスーパーマーケット、『コープありが』のロゴが入っているレジ袋。


「この中だ」







まあ、俺んのものを勝手に使ったわけだけれど、

それでもこの子の精神は決して悪人ではないのだ。

お湯を注いでいる。


「一般人………事情を知らない人から見たら、驚くだろうな」


「ポルターガイスト法で制限があるんですが、まあその時は隠れますよ、もちろん」


「物を動かすのはオッケーなのか」


「国によって法には違いがありますけどね、霊界の法も」


「ううむ。仮に俺が騒いでこの部屋に幽霊がでる、っていうことを喚いて………そういう行動を起こした場合はどうなるんだ」


「その場合はあなたが危ないクスリをやっているのではないかという疑いをかけられるでしょうね」


「ん………まあ、普通はそうだろうな」


「騒ぐんですか」


「俺がやらなくても、いずれ誰かがやるぜ」


「幽霊を嫌うのは勝手ですけれど、あなたもいずれ、幽霊になるんですよ、宇喜多さんもそう言っていたじゃないですか」


「そうだけどよ………」


「ああ、クリープは?スプーン一杯ですか?」


「ん、ああ―――自分でやるよ」


「いえいえ、なんなりとお申し付けください」


常人には、やかんが宙に舞い、そこからお湯がそそがれているように見えるのだろう。

幽霊が住み着いたアパートで何が起こるか、俺はもう完全に目の当たりにしているのだ。

インスタントコーヒーを作る女幽霊。

新居にコーヒーの香りが広がる。

ことり、と陶器な音を立て、それはテーブルに置かれた。


「ど、どうぞ」


作ってくれたそれに口をつけ、俺は何とか、良い反応、料理番組みたいなリアクションをとろうとしたが。


「うん………まあ、売っている味だな、としか」


「………」


リアクションを求める目つき。


「でも、いいな。初めてだし………この部屋で飲むのは。一人暮らし始まったって感じ。………あ、初江さんもいるね、一人暮らしになんねーや」


「………まあ」


ついでみたいな言われ方をしたのが気に障っただろうか。

障らぬ神に祟り無し、だが一緒の部屋にいるとなると、難しいな。

難しいっていうか、障らないのは無理である。

………ううむ。この雰囲気。

このコメントの貧困さよ。これだから俺は友達ができないのだ。

とっさに近くにあったリモコンを手に取り、テレビをつけてみた。

テレビは、ちゃんと動作確認が済んでいるので、

―――ぱちん。

小さく音が鳴り、ちゃんとスイッチが入った。


ちょうどその時、流れていた番組がある。

まあ、テレビをつけて何も放映していない、ということは夜中でもない限りあり得ないのだが。

番組の内容に引かれたのは事実である


「はあい、皆さんこんにちは、新人となっておりますけどもね」


男が二人組、ステージに立っていた。

芸能系番組だろうか。

ポスターカラーを塗りたくったような色の床、壁―――派手な現場である。


「あれ?これは、漫才ですよ」


「漫才だな」




『お客様、新しいカクテルをお持ちします』


『それはもうええわ!ドリンクバーか!』


『少々お待ちを………では、今夜のお客様の気分は、『カシスリキュールと太陽という名のゆりかごが育んだ果実による、運命的な出会い―――』』


『カシスオレンジやろ、それ!振るな、振るな、カップを!』


『カップではございません、シェーカーにございます』


普通の居酒屋に来たサラリーマンがビールを頼むが、店員が普通ではない。

蝶ネクタイ、黒い洋装のバーテンダーが現れる。

彼はとにかくカクテルを作りたがる、というネタ、展開だった。

シェーカーをシャカシャカやっている。


『似た色合いのカクテルとなりますと、今夜の貴方あなたにオススメは―――『シトロン・ジェネヴァ』』


『普通のビールでええねん!ナマや、ナマ!』


観客の笑い声は大きく、張りがあった。


「結構、面白い………」


「確かにこれは………!」


拍手の中、その漫才はエンディングを迎えた。

参考になった、とゆうめは呟く。

………またやるつもりなの、コント。


『はぁい、有り難うございました!』


『いやぁー、まだデビューして三か月の新人さんということですが、来ていただいた皆さんからも好評なようです。コンビ名をどうぞ!』


『はい、ありがとうございます!コンビ名は『抹茶バニラ』です!よろしくお願いします!』


テロップでもデカい書体でコンビ名が表示された。

俺はコーヒーを吹き出す。

こらえきれなかった。


「何やってるんですか」


言いながら、初江ゆうめも笑いをこらえきれなかったようだ。

声に息遣いが混じる。


「いや………」


ぽたぽたと、飛沫した液体はテーブルの上にとどまったが、それでも、そこから落ちるところもあった。

今日引っ越したところなのに、そのカーペットに早くもコーヒーをこぼすことになるとは。

あのさぁ…。


「コントがね、終わった後に笑わせるのやめてくんない?」


俺は彼女をにらむ。


「………え、私ですか」


「お前『も』だよ………ったく、ちょっと待って、タオル、タオル」


すぐに水拭きすれば後には残らない。


「ハイこれ」


いつの間に取りだしたのか、彼女はタオルを俺によこした。

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