第16話ご近所づきあいも大事

「妹がいたんですね」


妹が実家に帰る―――ドアを閉めた際。

ドアを閉めて数秒後、初江ゆうめに後ろから声をかけられた。


「可愛いですね」


「ビミョーだよあいつ。母親の差し向けた、手先てさき。心臓に悪い」


幽霊わたしがですか?」


「いいや。あいつ、母親と癒着してるからな………俺のテンションを落とすために参上したんだよ―――それが嫌だ。とはいえ、お隣さんへの挨拶を忘れたのは痛かった」


礼儀は大事、ご近所づきあいも大事。

………とは言っても、部屋に幽霊が出てきたら、それどころじゃないだろう。


「お隣さん、ご挨拶に行きますか?」


「………今から?」


「ええ、すでに一度忘れていましたし―――また妹さんに小言こごとを言われるのも、つまらないでしょう」


「むう………」


確かにそうなんだが、この件、そもそも忘れたのは誰の所為なのかというと………。

責任を押し付けるわけではないが。


「そもそも忘れたのは、燈ちゃんと私の所為せいでもあります」


そんなことを言ってくる初江さん。


「い、いや………やっぱり忘れたのは俺の所為だし」


「いえ、私と燈ちゃんのコントが面白かった。だから高次さんはお母さんとの約束を忘れてしまったのです」


「それはねーわ」


と、言ってはみた。

言ってはみたものの、幽霊関係のごたごたですっかり忘れてしまったのは紛れもない事実である。


「………どうせ一部屋だけだ。大家さんは初日に挨拶したし、すぐに済むだろう」


初対面の人にお菓子を渡しに行く、というのは人づきあいが苦手な俺にとって、難しい。

心臓がきゅっと痛んだが、なあに、悪いことをしに行くわけではないのだ。

いいことをしに行くだけだ。


「………良いことを、しにいく」


そう、それだけだ。

それだけなんだ。


「ついて来なくていい―――って、来れないか」


「ええ、お気をつけて行ってらっしゃいませ」


とはいっても部屋から出て、見知らぬ住人が住む隣室………一〇一号室の前に立って、インターホンまで指を持ち上げると、再び動悸がした。

うっわ、会いたくねえ、どうか誰も出てきませんように、留守でありますように。

そんなことを考えてしまう。

失礼であることこの上ないが、俺は本来人見知りのメンタル弱者である。

その上、あんまり仲良くならないであろう人間なのだ。



ううん………。

こういう経験は今までにあるだろうかと、記憶を検索する。

あれだ、クラスの、あんまり仲良くないやつに話しかけるときの心境。

委員会とかの関係でやむを得ず、普段別の友達グループでつるんでいる人間と話すことになる時などの。

それに近い。


「だとすれば、何度か経験済みじゃあないか」


小さく呟く。

声に出して自分を鼓舞する。

ほぼ意識を入れずに、インターホンを押した。

数秒後、かちゃりと鍵が開いて、ゆっくり出てきた男。

眼鏡をかけて無精ひげを生やしている、肌がしわがれた男だった。

大学生、同じ大学の先輩………なのだろうか。

だが三十歳くらいに見えたので、少し気圧される。


「こんにちは………何か御用?」

声は掠れていなかった。

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